11 戦争の未来
「あっ、ご挨拶が遅れてしまってすみません。私はソウマ・ムスビと申します」
「ペリシアン・グレーです、ソウマ様」
「アルデルファ・ベイリーと申します。よろしくお願いいたします」
ソウマの癖のある黒髪は綺麗に纏められていて、切れ長の蛇のような神秘的な目がよく見える。イヅル国の正装である着物がソウマによく似合っていた。藍色の着物の袖に入っている金の刺繍が更にソウマの美しさを際立たせていた。でも今はその美しさが暴力的に思うほどの威圧感がソウマから出ている。
ソウマとの初めての社交の場での挨拶が、こんな風になってしまうとは思わなかった。
戸惑うペリシアンを気にすることなく、ソウマが私の隣に座った。貼りつけたような笑顔をペリシアンに向けたままだ。
「突然すみません。皆様は向こうで楽しく過ごされているのに、お二人だけここにいらっしゃるものですから」
「そうだったんですね。困惑させてしまっているのでしたら、すみません」
「ええ、驚きました。アルデルファ様は私の婚約者候補ですからねぇ」
謝るペリシアンにソウマは冷たく返した。確実に怒っている。正直、ソウマはそこまで深く私に関心があるのだとは思っていなかった。あくまで私は文通相手で、直接会ったのも一度だけだ。それに最初の出会いもソウマにとっていい印象を与えるものではなかったはず。ここまで関心を持たれるような関わりがあったとは思えない。
仮に私に関心があるとして、小説の強制力のようなものが実際に存在していて、それによってソウマの心が動かされていたりするのだろうか。そう思うと胸の奥がちくりと痛んだ。意味が分からない。私はソウマに何を求めているのだろうか。
「申し訳ございません。アルデルファ様に私の体調を気遣っていただきここで休んでいたのです」
「体調? 体調が良くないのですか?」
「良くないと言うほどのものではないのですが、視界がぼやけておりまして」
あははとペリシアンが眉を垂らして困ったように笑った。ペリシアンを謝らせていることに気が付きはっとした。私がここまでペリシアンを連れてきたのに。しっかりしなければ。
「私で何かできることはないかと思い、こちらにペリシアン様をお連れしてしまったのです。責められるとするならば、それは私であるべきです。申し訳ございません」
「いえ、そんな……そう、だったのですね。私こそすみません」
ソウマの目を見て謝った。笑顔を貼り付けて笑っていたソウマの口角が弱く下がっていく。事の流れを分かってもらえたようだけれど、どこか納得していない複雑な表情をしていた。
「……ただ、アルデルファ様が何かをなさる必要はありません。ペリシアン様、少し目を見せていただけないでしょうか?」
「あっ、はい」
ソウマがペリシアンに近づき、目にそっと触れた。両目を覆うように手のひらを被せ、小さく何か囁いた。何を言っているのかは私の位置からは聞こえなかった。それからぐっと手のひらをペリシアンに押し付けた後にソウマはそっと手を離した。「目を開けて見てください」と小さくソウマが呟いた後にペリシアンが目を開ける。眩しそうに目を細めたかと思えば、何度か瞬かせてから私を見た。
「すごい。治っています! ソウマ様、治っています! ありがとうございます!」
「そうですか」
嬉しそうなペリシアンとは対照的にソウマは静かに笑った。ペリシアンの目が元に戻った。あっという間の出来事に言葉が出ない。ソウマがペリシアンの目を手のひら一つで治した。治癒術を使ったようには見えなかった。あまりにも回復が早い。兄ならばまだしも、ベイリー家で治癒術を学んだわけではないソウマがこの速さで治癒術が扱えるとは思えない。
ならば、ペリシアンにかけられている呪いを解いたのだろうか。疑ってしまう自分が嫌になり、すぐにその考えを掻き消した。
「アルデルファ様がはっきりと見えております。やはり可愛らしい方ですね」
「あ、ありがとうございます」
無邪気にペリシアンがそう言った。照れることなくそう言えてしまう姿を見ると、素直な人なのだと感じた。
ふと私の手に冷たい何かが触れてきた。それがするりと私の手を包みそっと握る。目を向けるとソウマが私の手を握っていた。
ペリシアンの目を治した相手だとは思えないほど、彼を冷たく見つめている。
「ペリシアン様も回復されたことですし、戻りましょうか」
「まだお話していたいのですが……そうですね」
名残惜しそうにするペリシアンには反応せず、ソウマはそのまま私を支えながら立ち上がる。
ドレスに芝草がついてしまっていた。今日のために庭園が整備されてはいるものの、芝生の上にそのまま座ってしまうなんて……せっかくドレスを用意してもらったのに。慌てていたとはいえ、令嬢として恥ずかしいことをしてしまった。ドレスについた芝草を払おうとしたら、ソウマがハンカチを取り出し綺麗に払ってくれた。
「ソウマ様、すみません。こんな事をさせてしまうなんて」
「気になさらないでください。アルデルファ様は私の婚約者候補なのですから」
顔をあげてソウマが優しく笑ってくれた。こう何度も言われてしまうと意識せざるを得ない。
婚約者ならまだしも、婚約者候補だ。あくまで候補なのだ。
レイ帝国の貴族は、婚約者候補が何人もいる人も多く、候補の中から自分の家にとって最大の利益をもたらす相手を結婚相手として選ぶ。婚約者候補が他の家の貴族と被ることもよくあることで、候補になったからといって必ずしもその相手と結ばれなければならないということではない。よって候補の段階で親密な関係にならない人も多いのだけれども、これは――
「アルデルファ様、食事会までしばらく時間がありますので、それまで少し話をしませんか? イベルト様からは許可を得ています」
ソウマが私に耳打ちした。もう父に許可を取っているんだ。驚いて顔を上げるとソウマが悪戯を仕掛けたかのように悪く笑った。私もソウマと話をしたかったから嬉しい。けど、呪いのことが引っかかってしまって素直に喜べない。会うのを楽しみにしていたのに。
ソウマの提案に頷くと、ソウマは嬉しそうにした。
「では、ペリシアン様。私とアルデルファ様はこれで失礼します」
ソウマは優しく私の手を取ると、ペリシアンの返事を待たずにそのまま私を連れてこの場を足早に離れた。
◇◆◇
「庭園の傍にこのような場所があるとは知りませんでした」
「奥に行くとちょっとした花畑があるそうです」
「そうなのですね。お詳しいのですね」
「ルーファ様と過ごすために色々調べましたから」
そう言ってソウマは照れ臭そうに笑った。
ソウマに連れられて来たのは、私達が先ほどまでいた庭園のすぐ傍にある森林だ。ソウマの両親は食事会までは顔を出さないらしく、スローパー家も到着が遅れているとのことだった。よって思いがけず私とソウマが一緒に過ごせる時間ができたわけだけど、ソウマが場所まで調べてきてくれているとは思わなかった。交流会の後にこっそり時間を作ろうと思っていたからよかった。
躓かないように私の手をとって、ゆっくりとソウマは先を進んでいく。森林ではあるものの、普段から人通りがあるのか道は綺麗に整備されていて歩きやすい。ドレスが汚れることを心配する必要がなかった。後ろから護衛が距離を取って付いてきてくれているから身の危険を感じることもない。でも、治癒術をかける時は幻影を見せる必要はありそうだ。
ソウマと過ごすこの時間が楽しみのはずだった。脳裏にペリシアンを冷たく見るソウマが過る。ソウマはペリシアンに呪いをかけたのだろうか。
ペリシアンの目は今は回復している。だから、気にしなくてもいいことなのかもしれない。でも、小説の通りに話が進んでいるとするならば、ソウマは色んな人を手にかけていくことになる。これが始まりの一歩になってしまったら……ソウマに苦しんでほしくないのに、私がうまくできないせいで苦しむことになってしまったら。みんなが不幸になってしまったら。
次々と嫌なことを考えてしまう。一度不安になってしまうとずっとそれに捕らわれてしまう。
「ルーファ様、大丈夫ですか?」
気が付くとソウマが心配そうに私を見ていた。いつの間に足を止めていたらしい。不安になると周りが見えなくなるのは私の前世からの悪い癖だ。
「大丈夫です。少し考え事をしていました」
今は目の前にいるソウマのことに集中しなければ。治癒術をかけて、ペリシアンの呪いのことを聞いて、未来は大丈夫だと安心して今日は帰るんだ。私が頑張れば今世でようやく幸せになれるんだ。みんなから愛されるんだ。ようやく、愛されるんだ。ちゃんとできてこそ、愛される資格があるんだ。息を吐く。呼吸が短くなっている。
「ルーファ様、すみません。失礼します」
「え…えっ」
身体が急にふわりと浮いた。慌ててバランスを取ろうとしたけれど、その必要はなかった。あっという間にソウマに抱き上げられていた。
「ソウマ様、私、歩けます! そこまで子供じゃないです」
「あははっ。ルーファ様はおかしなことを仰いますね」
危なげなく私を抱え上げ、ソウマは楽しそうに歩き出す。ドレスの分の重さもあるはずなのにすごい力だ。無邪気に笑いながらソウマは私に顔を寄せた。
「ルーファ様はまだまだ子供でしょう?」
挑戦的なソウマの笑みに、顔がかっと熱くなった。たしかに私の身体の年齢は子供だ。この間5歳になったばかりだ。でも精神的にはずっと大人で、こんな抱え上げられる年齢でもないのに。ただそれを口に出すわけにもいかず、もごもごとする。
「ソウマ様だって」
「そうですね。でも、ルーファ様よりはお兄さんだ。だから、もっと僕を頼ってください」
少しだけ私を抱く力が強くなった。ソウマの目が私を心配しているのだと言っている。私の不安が外に漏れ出てしまっていたのをソウマが感じ取ってくれていた。
「大きな力を子供の頃から持つと苦労されることも人一倍多いと思います。それに加えて未来が見えてしまうなんて、どれだけ大変なのだろうと。僕には想像もつきません」
目線は前に向けたまま、ソウマは進み続ける。小説でもソウマは幼少期から苦労していたことが描かれていた。両親からの愛を感じることがほとんどなく、また、ソウマの持つ不安定ながらも大きな力に周囲の人々はソウマを恐れ距離を取っていく。たまに近づいてくる人間はいても、ソウマの家柄や力の強さを利用しようとする人ばかりで、幼少期は師匠だけが救いだった。そう描写されていた。自分と私を重ねているのだろう。前世の私がソウマと自分を重ねていたように。
「それなのに、ルーファ様はこんな僕のことを気にかけて毎日のように文を送ってくれる。僕の苦しみを一緒に解決しようとしてくれる。師匠しか味方がいなかった僕にとって、それがどれだけ大きな意味を持つのか、きっと貴女は知らないでしょう」
視界が開けてきた。木々の葉の間から漏れてくる程度であった光も、二人をいっぱいいっぱいに包んでくれている。ここがソウマの言っていた花畑だろう。花の仄かに甘い香りが風に乗ってやってくる。色とりどりの花々が咲き乱れていて、整えられた庭園内の花とは違った魅力があった。飾らないありのままの美しい景色。
少し離れたところに東屋があり、ソウマはそこに向かって足を進めている。
「綺麗ですね」
「はい。ここに連れてきてくださって、ありがとうございます」
ソウマとこの景色を見れてよかった。不安でいっぱいになっていた頭が少しずつ落ち着いてきている。まだ未来は決まったわけではない。大丈夫なはずだ、きっと。
「僕はルーファ様が苦しい時は傍で支えていたい。僕ができる限りのことをしたい。だから、せめてルーファ様にそんな表情をさせているものは何なのかを教えてくださいませんか?」
東屋に着くと、ソウマは私をそっと置かれていたベンチに降ろしてくれた。その隣にソウマが座り、私の手を握ってくれた。
さっきの話を聞いていると、ソウマが私をよく思ってくれているのは、私に恩を感じているから――と受け止めてもいいのだろうか。毎日の文でのやり取りがソウマの力になっていたのだ。そう聞いて少しほっとした。
小説の強制力によってソウマの気持ちがねじ曲げられてしまっていたら悲しかった。この繋がりが作られたものだって思いたくはなかったから。そんな理由があるのならば納得だ。ちゃんと相手は生きた人間だ。
ただ、ペリシアンのことはどうしよう。本当にソウマに不安に思っていることを話してもいいのだろうか。でも、呪いの件ははっきりしておきたい。どのみち聞いてしまうつもりだった。だから、思い切って話してみよう。今のソウマなら受け止めてくれるはず。
「ソウマ様、ペリシアン様の目の件なのですが、あれは呪われていたのでしょうか?」
恐る恐る言葉にした。不安になってソウマを見ると目が合った。ただ私を静かに見つめている目からは感情が読めない。そのまま私は話続けた。
「私はどうしても避けたい未来があります。いくつもの出来事が混ざり合って迎えてしまう未来なのです。その出来事の内の一つでも起こってしまうと、私は運命には抗えないのだと絶望してしまいます」
「ペリシアン様が呪われる未来を見たんですか?」
ソウマの私の手を握る力が強くなった。私を痛めつけるような強さではなくて、寄り添ってくれようとしている強さだった。
ソウマの言葉に頷くと、苦そうな顔をされた。
「ペリシアン様は呪われていません。呪いは秘術の中でも特に難しい高位な術で、誰にでもそう簡単にできるものではありません。……私が、認識阻害の術をかけたのです」
「認識阻害の術?」
「はい。特定の相手を認識することを阻害する秘術の一種です。ルーファ様の姿をペリシアン様がはっきりと認識できなくなるよう術をかけてました。……彼がルーファ様のことをずっと見ていたから術をかけていたのですが……それがルーファ様を不安にさせてしまっているなんて……すみません」
声が小さくなり、ソウマが俯いた。
ソウマがペリシアンに術をかけていた。呪いではなかったけれど、ソウマがペリシアンに術をかけるようなことが起こってしまった。小説のような展開が起こってしまった。落ち着いたはずの心が再びざわざわと動き出す。
「ルーファ様は、僕がペリシアン様に呪いをかける未来を見たのですね。そしてそれは、ルーファ様の回避したい未来に関係している……僕がグレー家に対して呪いをかけたとなると、国レベルの問題でしょうか? ここまでルーファ様が怯えていらっしゃることを考えると……もしかして、戦争ですか?」
はっとして顔を上げた。ソウマが苦しそうに表情を歪めていた。ただ呪いの話をしたかっただけなのに、ここまで未来を言い当てるなんて。ソウマの頭の良さに言葉が出ない。どう返せばいいのだろう。まさかここまで言い当てられるだなんて思わなくて何と言っていいのか分からない。
言葉に迷っているとソウマが私の腕を引き、そのまま私を抱きしめた。壊れないように気を付けて抱きしめているかのようだった。
「戦争の未来が見えているのですね、ルーファ様」
ソウマの声は確信を持っていた。
9/9 修正報告
妖術→秘術 に変更しております




