10 呪い
馬車の窓から爽やかな風が入ってきた。髪がふわりと舞い、瑞々しい草木の香りが鼻を通して身体の中に入ってくる。春の匂いだ。
今日のために用意してもらった淡い薄紫のドレスには、スノーフレークの花の刺繍が施されている。春の訪れを喜んでいるかのようなドレスで可愛い。同じ色の靴も今日のために磨かれて誇らしげにぴかぴかと光っている。ああ、何だか胸が弾む。前世ではおしゃれを楽しむ余裕がなかったから嬉しい。
「風が気持ちいいね、ルーファ」
「はい。気持ちいいですね。春の匂いがします」
隣に座る兄が明るい声で話かけてくれた。表情が柔らかい。きっと私と同じ気持ちなのだろう。
今日は公爵家同士の交流会がある日だ。皇帝が所有している大庭園を借りてガーデンパーティーを開く。四大公爵家の直系のみが集まる交流会で、帝国への忠誠と公爵家間の結束を再確認する目的がある。
今日は『破滅のアデル』に登場する人物達と一斉に出会う場になる。今日の私の関わり方次第で未来が変わってくる可能性があるのだ。そう思うと少し緊張する。
胸元の真珠のペンダントに触れた。私に何かあった時のために、セツがこのペンダントの中に入ってくれている。触れたところが少しだけ温かくなった。セツが反応してくれている。あの白いもふもふの手で触れてくれているような感じがする。
「ルーファ、緊張しているのかい?」
落ち着いた深い声。顔を上げると父が優しい笑みでこちらを向いていた。父は兄にそっくりだ。いや、兄が父にそっくりと言うのが正しいだろうか。垂れた目尻と自然に優しく上がる口角が特にそっくりで、たまに兄に話しているような気持ちになることがある。
「少し緊張しています。初めての社交の場ですから」
「そうだね。それは緊張して当然だね。大丈夫だよ、みんなでルーファを守るからね」
「そうよ。何かあったらすぐ言うのよ? すぐに戦うわ」
「ありがとうございます、お父様、お母様」
母が腰に手を当てて闘志を見せてくる。その様子が愛らしくて馬車の中の空気が和らいだ。母に対して愛らしいと思うのは適切ではないかもしれないけれど。
「ソウマ様にも会えるわね」
「はい。お会いできるのが楽しみです」
胸のペンダントを握った。そう。今日は社交の場で初めてソウマに会える日なのだ。毎日のように文でやり取りはしているけれど、最後に会ったのが半年以上前。実際会うとなるとどきどきして手が少しだけ震える。
「お父様、ソウマ様にお会いする機会を作っていただきありがとうございます。デールお兄様からお父様が皇帝陛下に今回の交流会のことを提案されたと聞きました」
「そうか、デールから聞いたのか」
父は照れ臭そうに笑った。悪戯がばれてしまった子供のようだった。
「婚約者候補に会いたいと思うのは当然の感情だし、未来に関わることだからね。でも、ルーファ。今日お会いしたからと言って、必ずしもソウマ様と婚約しなければならないというわけではないよ。そこは重く受け止めないでほしい」
「はい。わかりました」
婚約者候補であることを重く受け止めなくてもいいことは父から今まで何度か聞かされていた。皇帝からの希望で出た縁談だ。例えば私が婚約をしたくないと言ったとして、本当に婚約を断ることができるのかと疑問には思うけれど、きっと何とかしてくれるのだろう。そんな強さを父から感じられる。
「ソウマ様は麗しいと噂されるほどの容姿であるし、すでに当主と呼ばれるに相応しい力を持っておられるから惹かれることはあると思う。恋をすることは誰にでもあることだ。おかしいことではない。でも、一生を共に過ごす相手は急がずゆっくり考えてもいいんだよ。ルーファがルーファらしくいられる相手なのかよく考えるんだよ」
私が私らしくいられる人。前世ではそのような出会いはなかった。ただ相手が深く私を愛してくれていれば私自身満たされるものかと思っていたけれど、それとは違うのだろうか。
私は未来を変えたいから、ソウマに苦しんでほしくないから、だからソウマに会いたいという考えの上で動いている。けれど、婚約者候補である以上、いずれはソウマと婚約するのかどうかをよく考えなければならない。
正直、今世で結婚をしたいのかと問われると、よく分からない。公爵家にいる以上しないといけないとの義務は感じている。
でも、愛し、愛されたいとは思う一方で、誰かとパートナーとして一生を添い遂げなければならないと考えると恐ろしい。私が前世でそうであったように、愛に溺れ、相手に依存し、自分が自分を保てなくなってしまうほど崩れてしまうのが怖い。自分の不安を相手の愛で埋めようとしてしまうのではないかと恐ろしくなってしまう。
だから、まだ時間が欲しい。その時間を父はくれようとしているんだ。父の言うように、今は急がずゆっくり自分の気持ちを見極めよう。今は自分の愛の価値観と向き合おう。
「わかりました、お父様。心に刻みます」
「うん。君はまだ5歳になったばかりの少女だからね。ゆっくりだよ」
結婚は貴族にとって大きな意味を持つのに私の意思を尊重してくれることに幸せを感じる。私もその想いに応えられるようになりたい。
「デール、ルーファ、外を見て! 綺麗よ!」
「エリカ、身体を外に出したら駄目だよ」
母が馬車の窓から身を乗り出そうとしているのを、父が母の腰に手を添えて止めている。きらきらと瞳を輝かせながら身振り手振りで母が窓の外を指さした。子供達より嬉しそうな姿に兄と私は目を見合わせて笑い、それから窓の外を見た。
「わぁっ」
馬車が大庭園を見下ろせる場所を走っているおかげで、今いる場所から大庭園がよく見える。大庭園は『帝国の宝石箱』と呼ばれることがあると本で読んだことを思い出した。
花の絨毯だ。赤、白、青、紫と様々な花が大庭園いっぱいに咲いている。花を植える位置が計算されているのだろう。白い花が等間隔に植えられており、その白い花が日の光を反射させている。だから、大庭園全体が輝いているように見える。庭師の努力が見えて息を漏らすことしかできない。宝石箱との名前の通りに美しい。
セツも見えているだろうか。ペンダントをそっと窓に近づける。セツにも私と同じように感動してほしい。そして、今ここに向かっているであろうソウマにも。ソウマにとって少しでも日々の疲れを癒す景色になることを願う。文でも交流会があることを楽しみにしていたから。
ああ、もうすぐ会えるのだ。美しい景色への感動と、これからへの期待と緊張と。綯交ぜの感情で胸いっぱいになった私と家族を乗せて、馬車はゆっくりと大庭園へと下って行った。
◇◆◇
交流会の開催を提案したのはベイリー家ではあるけれど、皇帝の意向で、ムスビ家を刺激しないためにそれは明かさないことになった。よってベイリー家以外の公爵家――グレー家が今回の交流会を取り仕切る役として選ばれた。
グレー家は、英雄の一族と呼ばれる一族だ。大陸統一戦争で圧倒的な武力で戦争に貢献したことにより英雄の一族の称号を得た。
グレー家では、生まれつき身体能力が高い人が多く、先祖代々から伝わる剣術もその強さの理由の一つとなっている。グレー家の当主は騎士団長も兼任しており、現在においてもレイ帝国の武力の要となる一族だ。また、清廉潔白な人も多い。一族の剣術の教えが心を律するものが多いことが理由らしい。
『破滅のアデル』でアデルが結ばれた相手であるペリシアンがいる一族だ。今日の交流会にもペリシアンはもちろん参加している。
ペリシアンは、嫉妬に狂ったソウマからの呪いにより失明し、最終的にはソウマ自身の手によって戦いの中で殺害された。目が見えないという武人にとっては致命的なハンディキャップを負いながらも技を磨き、ソウマが殺害に苦労するほどの実力を持つに至った。その努力と真っすぐな姿がSNS上でも人気があった。
アデルは幼少期からペリシアンに惹かれていた。私もそうなってしまうのだろうか。小説の力がどれほど私自身の感情に影響を及ぼすのかは分からない。私の好意が小説に引っ張られてしまうのが怖かった。心は自由でありたい。
大庭園に馬車が到着するとベイリー家の支度用のテントに連れられた。テントと聞いてキャンプ用の小さなものを想像したけれど、想像の遥か上をいく規模のテントだった。
屋敷内の支度部屋が丸ごと一つ入っているのかと思うほどの大きさで、支度に必要な調度品が一式揃っている。それが一人につき一つずつ用意されており、交流会の費用を負担している皇族の経済力に眩暈がした。税金ではなく皇族の私財から出しているのだというから驚きだ。
父は一体どんな風に皇帝に提案をして、皇族の私財で交流会を開くまでに至ったのだろう。想像以上の父の力に少し怖くなった。皇帝側の意図としても、公爵家をそれだけ繋いでおきたいということなのかもしれない。
支度を終えるとグレー家の執事が私達家族をガーデンパーティーが開かれる会場へとエスコートしてくれた。
大庭園は丘から見下ろした時も美しかったけれど、中に入ると一層心を奪われた。今回交流会が行われるのは大庭園の一区画にある薔薇の庭園だ。皇后陛下のお気に入りの庭園で、奥まで進むと珍しい色の薔薇もあるのだとか。庭園を仕切る壁や茂みに薔薇が植えられており、見ているだけで心が満たされる。セツもこの庭園を気に入ったかな。そっとペンダントを指の裏で撫でた。
ガーデンパーティーの会場にはすでにグレー家がいた。初対面ではあるけれど、名前は憶えてきている。当主となるエイドリアン・グレー。その妻のソフィア・グレー。長子で次期当主となるフレデリック・グレー。そして、ペリシアン・グレー。
庭園に入る際にペリシアンの金の瞳と目が合った。目を逸らすわけにもいかず、小さく礼をとる。
「イベルト様、エリカ様。お待ちしておりました。お会いしたかったです」
グレー家で一番身体の大きな人物が私達家族に最初に声をかけてくれた。胸に騎士団の紋章が入っている。きっと当主のエイドリアン・グレーだろう。
「エイドリアン様、ソフィア様、お久しぶりです。前期の国議会以来でしょうか。こうして会える機会ができてよかった。お忙しい中での交流会の準備、感謝いたします」
父と当主のエイドリアンが笑顔で挨拶を交わす。元々仲がいいのか、両親とグレー公爵夫妻のどちらも表情が明るい。特に母と公爵夫人のソフィアは、父とエイドリアン以上に仲が良さそうで、少女のようにはしゃいでいた。たしか母は社交界で愛される存在であったことを思い出す。
エイドリアンは、正装の上からでも鍛えているのだと分かるほど身体の大きな人だった。さすが現役の騎士団長だ。焼けた肌に白い歯、短く整えられた銀髪。にかっと笑うその姿から人柄の良さが伺えた。
「エイドリアン様、子供達に会われるのは初めてでしょう。エリカの隣が長男のイファデール、そのまた隣が長女のアルデルファです」
笑顔で紹介してくれる父に合わせて礼をとる。エイドリアンと目が合うと眩しいくらいに笑いかけてくれた。
「美しい子供達だ。どちらも温かく優しい表情をされていますね。お二人の愛がそうさせているのでしょう」
「そう仰っていただけるなんて嬉しく思います。夫と子供達のおかげで毎日幸せですわ」
母が前に出て幸せそうに笑った。空気が和らぐのが分かる。心からこの場を楽しんでいるようで、さすが母だと誇らしく思った。
「お初にお目にかかります。イファデール・ベイリーと申します。グレー家の皆様にお会いできて光栄です」
「アルデルファ・ベイリーと申します。交流会のお話を聞いた時からお会いできるのを楽しみにしておりました。本日はよろしくお願いいたします」
「これからも会う機会は多いでしょう。どうぞこれからもよろしくお願いします」
兄と私が挨拶をすると、エイドリアンは私たちに丁寧に礼を取ってくれた。子供相手であれば、礼儀的には頷く程度で問題はないはずだ。きっと誰に対しても敬意を払ってくれる人なのだろう。
「ぜひ私の子供達も紹介させてください。イベルト様は何度かお会いしていますね。隣がフレデリック、そして、ペリシアンです」
目の前に並ぶ二人はエイドリアンに紹介された順に胸に手を当て頭を下げていく。英雄の一族らしく、騎士の礼をとっていた。顔を上げたペリシアンと再び目が合った。
兄のフレデリックが父親に似ているのに対し、ペリシアンは母親に似ていた。目鼻立ちがはっきりとしており、その大きな目の中には金色の瞳が光っている。獅子のような雰囲気を持つ人だと思った。たしかソウマと同い年だったはずだ。
今のところはペリシアンに対して胸が高鳴るような感情はない。会うのが怖かったけれど、今は一旦大丈夫そうだ。
それにしても……ペリシアンはずっと私を見ている。自然な流れで目を逸らしたけれど、視線が顔に突き刺さっているのを感じる。私が何かしてしまったのだろうか。まだ挨拶くらいしかしていないけれど。落ち着かず、再びペリシアンを見るとやはり再び目が合った。でも、何となく違和感がある。私を見ているようで見ていない。
「いかがされましたか、ペリシアン様」
両親達の談笑が始まったタイミングでペリシアンにそっと声をかけると、はっとした表情をされた。それからペリシアンは目を瞬かせてから更に目を擦る。
「申し訳ございません。何と言っていいか分からないのですが、アルデルファ様だけがぼやけて見えて」
「それは大変です。休みますか?」
目が疲れているのだろうか。眼球付近に魔力が留まってしまうと視界がぼやけることがある。両親の前でなければ治癒術をかけたいところだ。でも、私だけがぼやけて見えるというのは不思議だ。今日のドレスの色が目への刺激になっているのかもしれない。
「大丈夫です。きっとよくなります」
「私の父や母ならばペリシアン様を癒せるはずです。もしよろしければ、私から二人に頼めますよ」
「お二人の手を煩わせるわけにはいきません。大丈夫です。緊張からくるものでしょう。お気遣いありがとうございます」
本当に大丈夫だろうか。焦点が合わないまま私と話すペリシアンを見ていると心配になる。ペリシアンは小説では失明してしまう。だから目がおかしいと聞くと余計に心配になってしまう。本当にペリシアンの言うように大丈夫なのだろうか。誰も気づいていないの?
大人達は楽しそうに言葉を交わし、兄もそれに参加している。
ペリシアンに目を向けると、少し遅れて笑顔で返された。私が見えていないのだと分かる。
「実はアルデルファ様が大庭園にいらした際に、お姿を一度拝見することはできたのです。可愛らしい方だと思っていたところ、急にぼやけて見えるようになりまして」
「急に、ですか」
身体の不調の話であれば治癒術をかける程度の処置はできるけれど、聞くとそうでもなさそうだ。
私だけ突然ぼやけて見える――考えてふと思い至る。
「ペリシアン様、ソウマ・ムスビ様は到着されているかお分かりになりますでしょうか?」
「たしか到着されていると父が言っていました。いらっしゃるはずですよ」
ソウマがいる――となると、小説のことを考えるとペリシアンはもしかしてソウマに呪われているのかもしれない。
ソウマは小説ではアデルに一目惚れをしていたと書かれていたけれど、私に対してそういった様子はなかった。
だから、ペリシアンに呪いをかけようと思うほど仲は深まっていないと思うのだけど、小説がどれだけの強制力を持つのかは分からない。小説のペリシアンが失明した時期とは大分ずれているけれど、念の為に疑った方がいい。
「お父様、ペリシアン様と向こうの木陰で遊んできてもいいでしょうか?」
少し会話の間のできたタイミングで父に声をかけた。父は少し驚いた様子を見せたけれど、私とペリシアンの繋がれている手を見て微笑んだ。
「私は問題ないよ。エイドリアン様もよろしいでしょうか?」
「私も大丈夫ですよ。ペリシアン、失礼のないように」
「ありがとうございます。では、失礼いたします」
軽く礼をとってからペリシアンの手を引く。ペリシアンは何が何だか分からないといった様子で私にただただ引っ張られていた。両親達から少し離れた木陰にそのままペリシアンを座らせ、私も目の前に座る。
「あの、アルデルファ様。どうされたのですか? 私と遊びたかったのですか?」
困惑した声でペリシアンが私に尋ねた。何も説明せずにここまで連れてきてしまったのだから当然だろう。
「すみません。遊ぶというのは嘘です」
「嘘ですか?」
「その、ペリシアン様の目が心配で……」
ペリシアンが目を大きく見開いた。
仮に呪いであった場合、父と母にペリシアンを診てもらうことはできない。
呪いは妖力を持つイヅル人にしか扱えない。通常は結界に守られている公爵家の人間に呪いをかけるとなると、公爵家の守りを突破できるほどの実力がある人物が呪いをかけたことになり、呪いをかけた人物の特定が容易くなる。
帝国の公爵家の人間に呪いがかけられていると知られてしまっては、外交問題になる可能性が高い。
セツにペリシアンを診てほしい。呪いがかけられているかどうか、かけられていたらそれが解けるのか。どう動くべきかと考える。ペリシアンに悟られずに呪いがかけられているか調べる方法。
「お二人はこちらで何をされているのでしょうか?」
突然冷たい声が頭上から降ってきた。聞き覚えのある声だ。前に会った時よりもずっとずっと冷たい声。顔を上げると蛇のような目が私達を見下ろしていた。目は笑っていないのに口角が楽しそうに釣り上がっている。背中がぞわりとした。
「私も仲間に入れてくださいませんか?」
有無を言わせない声で、ソウマがそう言った。




