第71話 封印の書
光に包まれ、地上に帰還してから丸一日がたった。
「バルドビーノさん。戻っていますか」
図書館の受付にいた女性司書が沈痛な面持ちで言った。
「いいえ。館長からは、まだ、何の連絡もありません」
***
白一色の世界が、次第に暗さを取り戻していった。はじめに形をなしたのは、窓だった。窓の外には、月が見えた。次第に自分が居るのが部屋の中だと気がついた。その部屋には、見覚えがあった。バルドビーノと初めて会った部屋だ。周りを見ると、マリアとダーチャが床に倒れていた。火傷したような痕が顔や手に無数に残っていたが、霜はついていなかった。バルドビーノの姿はなかった。バルドビーノが最後に言った言葉は何を意味するのだろうか。きっと、あのときマリアも気を失っていたから、あの言葉を聞いたのは自分だけだろう。マリアやダーチャを敵に回す? そんなこと、出来るわけがない。そうまでしないと知れない真実なら、知る必要もない。マリアが、目を覚ました。
「大丈夫、マリア」
「ナオ様、ここは」
「地上。たぶん古代遺跡研究室。それよりも、治療しないと。ダーチャは大丈夫かしら」
ダーチャの体を軽く揺すってみる。目は覚まさない。マリアは、自分の体に鉄の鎧を装着しているかのようなゆっくりとした動作で、起き上がり、ダーチャを診た。
「大丈夫だと思いますが、なるべく早く手当したいと思います」
「ちょっと待っていて、だれか手当してくれそうな人を探してくる」
「待ってください、ナオ様。バルドビーノは、どうしたんですか」
マリアは、信頼できる人間だ。全部正直に話すべきだろう。いやできない。バルドビーノの話を全部信用するわけではないが、将来マリアやダーチャが敵となる可能性があるなんて話は声にもしたくない。隠し事は愉快じゃないから、もしかしたら話すことになるかもしれない。それでもバルドビーノの話をゆっくりじっくり一人で考えてみてからでも遅くはない。
「わからない」
「そうですか」
胸にチクッと痛みが走った。
***
「バルドビーノ図書館長を捜索する人員が集まり次第、出発する運びになっております」
話し続けていた女性司書が、涙を拭った。
「何をこんなところで無駄話をしている」
振り返るとファビオラ教授が一人の若い男性と立っていた。
「こいつは、まだ紹介してなかったな。自己紹介をしろフィリッポ」
そういうと、ファビオラ教授は、男性の足をかかとで踏んづけた。男性は、体をよじって痛がりながらも顔には微笑みを浮かべていた。
「痛いですよ、教授」
「そんなことは、どうでも良いんだよ。さっさと自己紹介しろ」
「はい。聖女魔術学で助手を務めています、フィリッポといいます。よろしくお願いいたします」
「さっそく、約束どおり。封印の書の封印を解こう」
ファビオラ教授は、早足きでずんずんと聖女の間に向かって進む。小走りでフィリッポと並んで、ファビオラ教授を追う。
「ところで金魚の糞みたいな、マリアとダーチャは元気か」
「はい、マリアは、ほとんど回復しましたが、ダーチャはまだベッドの上です。意識は取り戻していますが、疲労がたまっていたみたいで、マリアがつきっきりで看病しています」
「それにしても、まさか本当に隠し部屋が見つかるとは。大発見だ。さぞかし古代遺跡研究室の連中は、腰を抜かすことだろうな」
ファビオラ教授は、笑いをかみ殺したのだろう、声はせずとも肩が震えていた。
「バルドビーノ図書館長の捜索隊が編成されると聞きました」
「ああ、古代遺跡研究室の連中に連絡をしたが、すぐに戻ってこれるヤツはいない。大捜索、大探索になるだろう。オブリタステラムに潜ったことのある人員を急遽集めるということだ」
聖女の間の突き当たり、封印の書の前に到着した。
「さあ、はじめるぞフィリッポ」
「はい」
ファビオラとフィリッポは、封印の書を中央に挟み込む位置に立って、呪文を唱えはじめた。封印の書を包んでいた光の膜が消えた。
「さあ、聖女様。封印の書をお取り下さい」
ファビオラ教授は、封印の書を指し示し、頭を下げた。ファビオラ教授にまで、聖女とよばれると、こそばゆいを通り越して、この場から逃げたくなる。もちろん、逃げる訳にはいかない。鎖をまたいで、封印の書を手に取る。見返しに手を伸ばしたところで、本を開くのを止めた。
「どうされましたか」
「この成果は、マリアとダーチャ、そしてバルドビーノさんのおかげです。封印の書の封印が解けるかどうかは、みんなが元気になってからいっしょに確認しようと思います」
「そうですか。残念です。私や、クレーリアの酒乱なら、何の迷いもしないのですが。そうだろう、酒乱教授。こそこそ隠れてないで出てこい。喉から手が出るほど、知りたいんだろう、この本に何が書かれているか」
返事は、ない。ただ小走りで走り去る足音だけが聞こえた。
「まったく、あれで良く教授が務まるものだ」
部屋の入口あたりで、悲鳴が上がった。入口に向かうとマリアとクレーリア教授が、ドアをはさんで、お互い尻餅をついていた。クレーリアは、頭を押さえながらも部屋の外へ逃げていった。そんなに逃げなくてもいいのに。
「マリア、大丈夫」
マリアの手をとり、立ち上がらせた。
「すみません。ナオ様。部屋に入ろうとして、クレーリア教授とばったり鉢合わせしてしまいました」
「体調は大丈夫」
「もちろん、大丈夫です」
「ダーチャは?」
「実は、ご相談がありまして」
「何でも言って」
「実は、教皇様から、招集の命令が届きました」
ファビオラは、腕組みをして、マリアにたずねた。
「今度は、どこの戦場だ」
「戦場ではありません。迷宮新生が発生しました」
「何。どこで」
「ミッドオーシーに浮かぶバリースエイト王国です」
「小国だな」
「はい。ギーガーの古迷宮という遺跡があります」
「ああ、知っている。そこも確か、迷宮とは言いながら白き獣たちはほとんどいないので、詳細な地図が作製されていて、冒険者ギルドの腕試しに使われていると聞いたことがある」
「その古迷宮からこれまでにない規模で白き獣たちがあふれ出ているとの連絡がありました」
「なるほど。新生か。冒険者ギルドだけでは押さえ込めないと判断したバリースエイト王国が教皇に応援要請をだし、教皇は救世軍の出動を決定したというところか」
バリースエイト王国、どこかで聞いた覚えがある。そうだ、フェッドが出動したのも、たしかバリースエイト王国沖の海域だったはずだ
「マリア、大丈夫?」
「できればナオ様のお側でお使いしていたいのですが、迷宮新生が本当に起こったのなら、なんとしても押さえ込めなければなりません」
「無理をしないで。ダーチャは、私が面倒を見るから」
ファビオラ教授が、あからさまに舌打ちをした。きっと本の中身が当分見られなくなったことを残念がったのだろう。その気持ちは、痛いほどよく分かる。
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