第68話 迷子
どこをどう走って逃げたのか思い出せない。明かりもなかったはずなのに、暗闇の遺跡の中をよく、逃げきれたものだ。耳を澄ます。何も聞こえない。スケルトンワイバーンの咆吼もマリアやダーチャの足音も聞こえない。完全に迷子になってしまった。
背中にしょったリックの中から、一本の松明を取りだし火を付けた。松明の明かりだけが命綱だ。予備はあるが、帰り道のことも考えなければならない。明かりがなくなる前に、なんとしてもみんなと合流しなければ、暗闇の中で一歩も動けなくなる。みんなも無事だろうか。神官であるマリアとダーチャは大丈夫だとは思うが、年齢とかを考えるとバルドビーノが心配だ。余計なことを考えるのはよそう。今は他人の心配よりも、自分の心配だ。
暗がりから、もしもスケルトンが出てきたらと思うと、怖くて足がすくむ。でも、ここに来たいと言ったのは自分だ。いや、あの教授に言われたから来るしかなかった。でも、やっぱり来ると決めたのは自分だ。マリアとダーチャ、バルドビーノを巻き込んでしまった。みんな無事でいて。
別れ際にバルドビーノが「道は守り袋」にあると言っていたことを思い出した。中を開けてみると、小石と護符が入っていた。小石がかすかに光を放っている。小石が、勝手に袋から飛び出して、フラフラと宙に漂いた。しばらくその場で自転していたが、やがて動き出した。
「待って」
小石のあとを追う。宙を漂う小石は、一瞬も、動きを止めない。時間の感覚はとうに消失してしまったが、歩き続けているので足が痛い。空腹感と疲労が、思考を奪う。休憩したいので、何度か小石を捕獲しようと試みたが、ハエのように手からすり抜け、逃げられてしまう。
歩きながら食べられるもの全部食べてしまった。飲めるものも、あと一口二口ぐらいしかないだろう。松明の明かりも、こころもとないほどに弱ってしまった。せめてもの救いは、あれから一度もスケルトン達に出会わなかったことだ。もう、今出くわしても逃げる体力はないだろう。
漂う光が二つに見えた。目をこすり、焦点を合わせようと努力してみるが、光はダブって見えたままだ。とうとう幻覚が見えるほどに、頭がおかしくなったか。最後の水を飲んでみよう。これで、焦点が戻らなければ、いよいよ危ない。
「ナオ様」
ダーチャの声だ。脇道から、ダーチャが現れた。ああ、良かった。ダーチャは無事だった。もう一つの光る小石は、ダーチャのものだったのだ。お互い駆けより抱きついた。その瞬間も、漂う光からは、眼を離さない。二つの光る小石は、戯れる小鳥のように楽しそうに、一つの方向へ向かっていた。二つの小石を二人で追う。
「無事だったのね。良かった、ダーチャ」
「ナオ様も良くご無事で」
「マリアは、どうしたの」
「はぐれてしまいました」
「そう、でも、彼女なら大丈夫そう」
「ええ、マリアは優秀ですから」
ダーチャと合流できてうれしいはずなのに、何故か今の言葉に違和感を感じた。なぜだろう。いつもの、ふんわりとした包み込むような感じがしなかったからか。少し痩せたか?
脇目でちらっとダーチャの顔を見る。確かに、やつれた顔をしていたがダーチャだ。服装もかわってない。そういえば、松明は? 突然、一つやらなければならないことを思い出した。
今すぐ確認してしまおう。
「すっかり忘れていたんだけど、はぐれた時は、合言葉を言い合う約束だったじゃない」
「そうでした、ナオ様」
「私から言うね。パラパラチャーハン」
ダーチャがにっこり微笑んで言った。
「ハラハラチャーハン」
うそ。無理やり笑顔を作る。ダーチャの顔がみるみる変わっていく。鬼面だ。ワイトに憑依されている。バルドビーノがくれた匂い袋をダーチャの顔に押しつける。ダーチャは、悲鳴をあげて、飛び下がった。番犬が不審者を見つけた時のように、喉をならしてうなっている。どうやって、ここからこんな状態のダーチャを地上に連れ出せば良いのか。
鬼の形相のダーチャの体から青白い光が放たれ、ダーチャの体と人型の幽霊がダブって見える。これがワイトの本体か。
「ダーチャから離れなさい」
匂い袋をダーチャに向かって掲げる。一歩ダーチャに近づくと、ダーチャは一歩下がった。ちらっと光る小石を見る。みるみる遠ざかっていく。あれを見失ったら、もう一歩も動けない。でも、ダーチャをこのままにもしておけない。ダーチャは、一足飛びに間合いをつめてきて、匂い袋を持った手を叩いた。
「痛っ」
しまった。匂い袋が、どこかに飛んでいってしまった。次の瞬間、ダーチャの両手が、首に伸びて首をしめてきた。
「放して、ダーチャ」
次第に意識が遠くなる。ダーチャの目から涙がこぼれ落ちていた。ダーチャも苦しんでいる。ここで死ぬわけにはいかない、ケン兄のためにも、ダーチャのためにも。
ダーチャを引き離そうと必死でダーチャの顔を押し返す。ダブって見えるワイトの顔が恐怖でゆがんだ。ダーチャが手を離した。ワイトが体をよじって自分の手から逃れようとしているように見えた。
逃げる? もしかして。今まさに距離をとろうとするダーチャの手を掴む。ワイトが甲高い悲鳴を上げた。少しずつワイトが自分に近づいてくる。接近する速度が加速した。しまいに掃除機に吸い込まれるゴミのように、ワイト全体が私の手の平の中に消えた。ワイトを吸ってしまった。
ダーチャは、膝に力が入らないのか地面に両膝を落とした。骨と地面がぶつかる鈍い音がした。そして精根尽き果てたランナーのように頭から地面に突っ伏す。間一髪、頭をぶつける前に、ダーチャの頭を抱きかかえた。両手で、自分の頬を打ち、気合いを入れる。
「立って、ダーチャ」
力を込めてダーチャの頬を叩き続けた。危機はまだ、脱していない。小石を追わなければ、いずれは死だ。
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