第56話 ウルツット離宮
エヴルーの街の中を完全武装した兵士たちが隊列を組んで巡回していた。街のあちこちから煙が立ち上っていた。まるで、この街で大規模な市街戦が行われたかのように、多くの建物が燃やされていた。
女性が1人通りで泣き崩れていた。彼女は何故泣いているのだろうか。親しい人を亡くしたためか、住む場所をなくしたためか、それとも故郷が形を失ってしまうためか。人喰いスライムによって、一つの街が消えて亡くなる。私に出来ることは、これ以上何もない。一緒に泣いてあげれれば良いのだけど、涙も流れなかった。
人喰いスライムを退治するのに、神聖魔術は効き難かった。人体に付着したスライムは、私の手で払って退治できたが、建物に付着したスライムまで除去するのは実質的に無理だった。フェッドとマリアが試行錯誤した結果、強力な火力で焼き払うのは有効な手段だった。幸い人喰いスライムの動きは、それほど速くない。フェッドの見立てによれば、最終的には、すべての建物が焼却されるだろうということだった。
フェッドに付き添われ街外れの避難所に戻ってきたのは、次の日のお昼前だった。マリアとダーチャが駆け寄ってきた。
「ナオ様、なんとお礼を言ったらいいのか」
「良いんです。初めて人の役に立ったと思うと、とても私もうれしいのです」
「さあ、早く休んでください」
「そうですよ。夜通し働かれたのですから」
黄緑の粘液が私に触れると綺麗に消え去る。そのことを知ってから、徹夜でスライムを駆除して回ったのだが、不思議なことに少しも疲れを感じなかった。簡易ベッドに腰掛けてほっと息を吐く。深く物事は考えられなかったが、眠けはやってこない。
ダーチャが、軽い食事を勧めてきた。確かに昨日の昼から何も食べていなかったが、食欲も感じなかった。馬のいな鳴く声がした。馬車に乗って現れたのは、サーバ侍従長補佐だった。サーバは、マリアやダーチャ、フェッドに一瞥もくれず、言い放った。
「ナオ様、これからウルツット離宮へお連れいたします。今回の事件でのご活躍大変、教皇様はお慶びであられます。しかし、同時に教皇様は、聖女様のお体のことを心配されておられます。アドソ来訪の件は、しばし離宮で休養されてからでもよろしいのではないかと。これは、教皇様の配慮でございます。それに、僭越ながら、これ以上エヴルーに留まるのは、危険です」
誰もその意見に反対しなかった。おとなしくサーバが用意してくれた馬車に乗り込んだ。悲嘆に暮れるエヴルーの街の人々に後ろめたさを感じながらも街を出た。東に向かう馬車に揺られながらやっと眠気がやってきて深い眠りに落ちた。
途中の村で馬を乗り換え、夜通し走った。馬車での移動中、普段おしゃべりなダーチャさえも話をしなかった。そのせいで、普段なら考えないことも頭に浮かんできた。
一つは派閥争いの件だ。もう一台の馬車には、フェッドとサーバ侍従長補佐が乗っていた。マリアが話してくれた派閥争いの話では、サーバ侍従長補佐は教皇派だ。これで、フェッドはバランスがとれて気が休まっただろうか、それとも緊張が増したのだろうか。
もう一点は、なぜ、ウルツット離宮に私は、移動しなければならないのか、だ。どうせなら、アドソに送ってくれればいいのに。しかも、今度はちゃんと馬車まで用意してくれている。
私がアドソに行くと困ることが起こるのだろうか。これから行く、ウルツット離宮に一生幽閉なんてことにならないだろうか。不安や疑念を相談しようにも、マリアもダーチャも目を閉じている。起こすのもはばかれる。馬車の御者に話を聞かれてもまずいかもしれない。それに、なんだか、体がだるい。風邪でも引いたかもしれない。ここではおとなしくしていた方が良さそうだ。
2日後、ウルツット離宮に到着した。
ウルツット離宮は、森林に囲まれた小高い高原の中に建つ広大な施設だった。ダーチャもフェッドも、マリアさえ近づいたこともないらしい。馬車を降りるとき、マリアが言った。
「ナオ様。顔が赤いですが、大丈夫ですか」
確かに、体が熱かった。手汗がひどい。高原のからっとした冷たい空気が気持ち良い。離宮玄関前に一人の正装した老人が待っていた。サーバは老人に挨拶すると、「準備してまいります」と告げ、ひとりでさっさと奥に消えた。残された我々に向かって老人が挨拶をした。
「管理を任されておりますキアッフレードと申します。よろしくお願いいたします」
キアッフレードは、私たちを案内しながら建物の奥へ向かった。建物内は薄暗く、どこにも人の気配がしない。やがてその建物を通り抜けてしまった。回廊や渡り廊下を使いさらに奥へと進んでいく。どれだけの広さがあるのだろうか、人の気配がしない。かといって不気味というわけではない。まるで森の中の遊歩道を歩いているような気分だ。よくみれば手入れされている広大な庭だということに気がついた。
人喰いスライムが破裂したときも冷静な態度を崩さなかったフェッドが苛立ちながらキアッフレードに言った。
「どこまで行くのですか」
「教皇様がおられないときに離宮に滞在される方は、はじめてございます」
「どこまで行くのかと聞いているのですが」
「ですから申し訳ございませんが、現在この離宮には、お世話するべき人数が足りておりません」
「それで?」
「誠に申し訳ないのですが、管理棟の部屋をしばらくお使いいただくことになると思います。その旨は、サーバ侍従長補佐にも話してありますが」
ダーチャが、顔を真っ赤にして怒った。
「それは、余りにナオ様に対して失礼です」
キアッフレードは、立ち止まり、体を90度に折り曲げて謝罪した。
「数日の内には、数名の者が対応にやって来るとのことです。それまでは、どうか、どうかご容赦ください」
ここで、喧嘩しても始まらない。本意ではないが、突然やってきたのは、私たちだ。
「構いません。雨風をしのげるだけでも有り難いです」
「でも、ナオ様。エヴルーを助けた功労者に、これは余りに」
「ダーチャ、もう良いですって。ここで、数日休養しましょう。こんな静かで、自然豊かで、なんと気持ちの良いところでしょう。キアッフレードさん、改めてよろしくお願いします」
心から感謝の気持ちを込めてキアッフレードに頭を下げた。
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