第55話 宿場町 エヴルー
フェッドの心配とマリアの憂鬱は、ダーチャの楽観的態度の前では、無用の長物だったようだ。二日目も何事もなく順調に旅程をこなした。夕方前に、次の宿場町、エヴルーが見えてきた。明日には、予定通り古都ティンカールーインに到着できそうだ。
足も肩も腰もパンパンに張っていた。フェッドが初日に忠告してくれたように、無駄話をせずに歩いて正解だった。早く宿に入り、休憩したい。隣を歩くダーチャを見ると、犬の様に舌を出し呼吸をしていた。
「ダーチャ、舌、出ている」
「ナオ様、平気なんですか、こんな軍隊の行軍みたいな旅で」
ちらっと、前を歩くフェッドを見る。ダーチャの声は聞こえているだろうが、ピクリとも反応しなかった。片足に古傷を抱え、背中に鉄板の様な大剣を背負いながら、その足取りは少しも乱れていない。鍛え方が違う。何故か、彼の背中を見ていると勇気が元気がわいてくる。
マリアの話では、救世軍の中でも特に優秀な7人をセブンスターと呼ぶらしいが、フェッドはそのセブンスターの筆頭だというのもうなずける。きっと彼には、背中を見せて仲間に力を与える才能があるのだろう。
エヴルーの街は、前日に宿泊したレミニーより幾分賑やかだった。街の中にある標識には『南 ティンカールーイン』、『東 ウルツット』、「北 ベイナキュブ』と書かれていた。
どうやら、街道が合流する地点のようだ。確かに昨日よりも人の往来が多い。子供達が、街中を駆けていく。仕事帰りの男や、買い物帰りの女が、足早に標識の前を通り過ぎていく。誰も標識の前で立っている自分に注意を払わない。やはり、こっちの方が居心地が良い。
隣で誰かが咳払いをした。フェッドが立っていた。ケン兄より、背が高い。顔形、髪型も全然ちがうのに、どうしてフェッドを見るとケン兄を想像してしまうのだろうか。
「何か、私の顔についていますか」
「いいえ、済みません」
「さあ、ナオ様。今夜の宿に向かいましょう。宿屋は、街の中心部です」
マリアとダーチャが三件ほど先の店の前で手を振っていた。どうやら、みんなから少し遅れてしまっていたようだ。フェッドの後ろ姿に無言の言葉を投げかけた。
フェッドもこれぐらい優しくダーチャに声をかければ喧嘩にならないのに。
宿屋の看板が増えてきた。宿屋が多く建ち並んでいる一角なのだろう。宿屋と宿屋の間には、お土産屋やお食事処が建ち並び、夕方近くということもあり、店の中から良い匂いが漂ってきていた。どんな店があるか、キョロキョロしながら通りを歩いていると、通りの反対側の酒場の看板を掲げた店から、前触れもなく人が飛び出してきた。悲鳴が上がった。
酔っ払い達が喧嘩でもはじめたのだろう。ダーチャが声を潜めて言った。
「酒乱は、いやですね。でもこの街は、微炭酸のお酒が有名なんですよ。ちょこっと飲みましょう」
まったく、ダーチャは懲りてない。悲鳴が上がった酒場から、次々と人が飛び出てきた。店の中で大げんかでも始まったのか。マリアは、私の前に立ち。フェッドは、大剣をくくり付けている鎖に手をかけていた。酒場の入口で男が転んだ。
「助けてくれ」
瞬間。
半透明な黄緑の粘液が、つま先から男の全身を包んだ。息が出来ないのだろう、男は必死で逃げようと手足をばたつかせたが苦悶の表情を浮かべたまま事切れた。その粘液は、うっすらと光っている。フェッドが叫んだ。
「逃げろ」
マリアが、私の腕をつかみ引っ張った。痛い。
マリアの手を反射的に振りほどこうとしたが、マリアは手を放さなかった。
「ナオ様、逃げましょう」
さらに力強く私の腕を引っ張った。酒場の方で木材が、折れる音が立て続けに聞こえた。マリアさえ、逃げることを忘れ、その音の発生源を見た。酒場の屋根が崩落し、半透明な黄緑の粘液がドーム状に盛り上がった。腰を抜かしているダーチャの腕を取ってフェッドが懸命に起き上がらせていた。
巨大な風船が破裂する音がした。
酒場に目を戻すと、粘液のドームはなくなり、あちらこちらに粘液が飛び散っていた。雨のように粘液の塊が降り注いできた。それらの粘液は、生き物のようにうごめき街の人を襲いはじめた。
ダーチャが悲鳴を上げた。粘液が、ダーチャの脚に付着していた。フェッドにも、マリアにも粘液が付着していた。自分の体を確認するが、付いていない。
「ナオ様、どこか建物の中にお逃げください」
「ダーチャは、マリアは、どうするの」
「これは人喰いスライムの一種だと思われます。こいつらは、神聖水系の魔術で浄化できます。これだけ広範囲にばらまかれると、すべての住民を助けることはできませんが、できるだけのことはしたいと思います」
「マリア、だめ。聖水浄化が効かない。こいつら魔術耐性をもっている」
「落ち着いて、ダッチャ」
マリアは、一瞬、目を見開き、こちらを見て口だけで笑った。
「ナオ様は、街の外へお逃げください。見たところナオ様にはスライムどもは付着してないようです」
「だめ。あなたたちを置いていけないし、街の外にもばらまかれている可能性もあるし」
「お願いします。ナオ様。この事態を、どうかティンカールーインに伝えてください」
マリアの頭上で粘液が角の様に隆起した。まるで、他人の命を小馬鹿にするように感じられ、怒りがこみ上げてきた。思わず、マリアの頭上の粘液を手で払った。
「おやめください」
払った手に粘液は付着していなかった。マリアの頭上の粘液も消えていた。きっとこれは、あの光る接着剤と同じだ。魔術、もしくは魔術らしきモノだ。
私、救える。
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