第5話 契約
俺が目を覚ましたときの感覚を一言で言えば、「冷たい」だ。「寒い」ではない。
目は開けているはずなのに、見えるのは暗闇ばかりだ。あまりに暗いので、暗闇をじっと見つめていると、自分の目が本当に開いているのかどうかさえ自信がなくなってくるほどだ。横たわっている感覚はあったが、どこで横たわっているのかはわからない。土の上ではない。とびきり冷たく、とびきり薄い氷の上だ。体勢を変えようとちょっと動いた調子に、どこか一箇所に圧力がかかり薄氷は割れ、その下に満たされている深い闇の中で溺れてしまう、そういう場所に俺は横たわっているという予感がした。
ただし、実際には動こうとしても、小指の第一関節すら動かす力は、体に残っていないようだった。誰かが、突然俺の左の耳元で何事か囁いた。
「誰。何? 聞こえない」
返事はない。空耳か。
「誰だ。誰でもいい。助けてくれ」
「助かりたい?」
今度は、はっきりと右耳から声が聞こえた。
「あなたは、今、死の縁にいます。その氷が割れれば、たとえ私でも、助けることはできなくなる」
「助けてくれ」
「条件があります」
「どんな」
「私の世界の完璧な地図を作って欲しい」
助かりたい、でも地図など作ったことなどない。もちろん作り方も知らない。それなのに、完璧な地図など。
「無理だ」
「もう一度問います。この世界の地図を作ってくれるなら、今ある私の力を分け与えましょう」
腹のあたりで、氷にヒビが入る音がした。俺は、早口で言った。
「道具はどうする」
「そのために必要なものも、ある程度用意しましょう」
「あんた、何者だ」
「女神とだけお答えしましょう」
「女神? それなら、俺たちをまずは、元の世界に戻してくれ。神様なんだろう。やってくれよ。俺たちは好き好んでこんなところにいるわけじゃないんだ。これは、何かの間違いだ」
「それは、あまりに欲張りすぎというもの。それに残念ながら、今の私には、あなたを元の世界に戻してやれるほどの力は、もはや残っていません。それで返答は。このまま、闇の底に落ちていくか。それとも私の手足となって働くか」
「わかった。助けてくれ。地図を作ろう。ただし、俺は素人だ。責任は取れないぞ」
「ありがとう。契約成立ですね」
猛烈な眠気が突然やってきた。
「ちょっと待って。まだ聞きたいことが。ナオ、は……」
俺は、今度は温かい光に包まれた。極寒の地で温泉に浸かっているような、とろけるような暖かさだ。そうして俺は、深い深い眠りに落ちていった。
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