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第47話 ワシリー宮殿

 初めて、ワシリー宮殿の外に出た。第一の希望は、街に出て散歩をすることだった。人々の暮らしの様子、生活様式を見てみたかったからだ。それに、ダーチャの話を聞いていると、実に美味しそうな食べ物があるらしい。実際に買って食べる勇気はないかもしれないが、匂いとか雰囲気を味わいたい。だが、これはアルド副侍従長によって即座に却下された。


「警備の体制が整わないので今回は無理です」


 もしかしたら、これが息苦しさの原因かもしれないと思ったが、もちろん顔にはださない。結局可能だったのは、教会区と呼ばれる塀に囲まれた範囲内での散歩だった。まあ、部屋に籠もって何もしないよりはずっとましだ。朝食後、ダーチャとマリアを伴って予定通り初めての探索に乗り出した。日差しは、春のように柔らかく暖かい。時折吹く風は、湿り気を含んでいるように感じたが、肌にべたつくようなものではなかった。マリアが、斜め右後ろを歩きながら、言った。


「ベイナキュブというのは、実に多くの意味を持ちます。他国の人がベイナキュブと言えば、まずはザッカニア帝国の首都を思い起こすでしょう。自国の民は、首都と同時に教皇様のことを同時に思い起こすでしょう。国内外の政治に関わる者たちはきっと、それは政治世界の中心地として思い浮かべるでしょう。神聖教の信者がベイナキュブと言えば、多くの場合ベイナキュブ大聖堂のことを思い起こします」


「一方、神聖教会総本部に所属している者たちがベイナキュブと言えば、これまでは、教皇様や枢機卿様などの神聖教会指導部のことを想起するでしょう」


 ダーチャは、振り返りワシリー宮殿を指さした。私も振り返り、今出てきた二階建ての荘厳な石造りの建物を見た。余りに大きくてひと目では全体の輪郭は目に収まらない。


「神聖教の信者数は世界最大です。つまり、おおざっぱに言うと、ここは、世界の中心です」


「今いる場所は、なんというのですか」


「ここは、光の広場と言います」


 ダーチャは、くるっと半回転して指さした。その先、建物の反対側には巨大な門が見える。


「あれがアルビン門で、一般区画と教会区を分ける門です。教会区は、ぐるっと高い石塀に囲まれているので、基本的に教会区に入るには、あの門をくぐるしかありません。もちろん教会区の警備体制は万全です。この中なら、万が一にも不審者が入り込むようなことは起こらないでしょう」


 ダーチャは、もう一度半回転した。


「あのバルコニーが見えますか」


 ワシリー宮殿二階中央部分に、確かにバルコニーがある。指さした格好のまま、かかとに重心を置いて、ぐるっと一回転した。


「特別な行事があるときは、世界各国に散らばる信者たちがこの広場を埋め尽くします。そして、あのバルコニーに教皇様がお見えになり、教皇様のお言葉を拝聴するのです」


 ダーチャの真似をして、ぐるっと一回転する。光の広場に面して4棟の二階建ての建物がある。それらの建物の後ろにも、もう一棟ずつ同じような建物が見えた。どの建物も、石造りの建物という点では、ワシリー宮殿と同じだが、表面になんの装飾も施されていないという点では、小学校の校舎のようだ。建物の奥行きも、通っていた小学校の校舎っぽい。一棟の長さは200mぐらいはあるだろうか。


「教会区は、東西に長い長方形の形をしています。アルビン門、光の広場、ワシリー宮殿、光の道が、教会区を東西に貫く背骨に当たります。光の広場を挟んで北側と南側に建物が並んでいますが、北側の4棟は行政庁舎で、南側の4棟は、教会庁舎です」


「庁舎にはどこから入るんですか、光の広場からは入口はみえません」


 石塀の下には、これらの建物を取り囲むように回廊が囲んでいますので、そこから、入ります。回廊は光の回廊と言われています。


「今も、中で人が働いているんですか」


「ええ、もちろん」


 建物には、明かり取りの窓が見えるが、そこから人の気配は感じない。みんな真面目に机に向かって仕事をしているのだろう。光の広場と建物の間には、花壇があり、色とりどりの花が咲いている。お昼になったら、丸の内のビジネスマンたちのように光の広場に出て、休憩するのかもしれないと想像してみる。楽しそうだ。


「ワシリー宮殿の裏に回りましょう」


 マリアの後ろをついて行く。


「ワシリー宮殿の庭園は世界一です」


 ワシリー宮殿の脇を抜けると、立派な庭園が姿を現した。庁舎と広場の狭間にあった花壇も綺麗で立派だったが、こちらは、さらにゴージャスだ。


 かつて院長先生と施設の花壇の手入れを手伝っていたとき、蚊に食われたことを思い出した。院長先生は、いつも花壇の手入れをしていた。


(花壇は、手入れすればするほど、美人になるのよ。これは絶対)


 児童養護施設の小さな庭だって、毎日手入れするのが大変だった。それなのに、ここには枯れ葉一枚、落ちてない。これだけ美しい庭園なのだから、きっと多くの庭師が毎日面倒を見ているに違いない。でも、今は、どうだ。ひとっこ一人いない。本来ならば、誰かしら、草花の手入れをしているはずなのだ。つまり、私が外出しているために、人払いをかけている可能性がある。私は、みんなの仕事の邪魔をしている。きっとこの思いが、ずっと感じている私の居心地の悪さの原因の一つなのだろう。

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