第46話 ダーチャ
部屋のドアが静かに閉められた。机に広げていたノートを閉じ、深く椅子に座り直す。部屋の窓から入る光は、とっくに夕方であることを告げていた。
アルド副侍従長によれば、この部屋は、今は空き部屋だが、副侍従長クラスのための執務室だったという。
机は重厚な一枚板で天板に節がないところからも高級な机なのだろうと思われた。椅子は革張りで、座り心地はよい。人生で革張りでの椅子に座ったのは二度目だが、長時間使用していても疲れ難いような気がした。
教皇と謁見してから、3日がたっていた。先ほど部屋を出て行ったおじいさんで主要な教会幹部との顔合わせがやっとすべて終わった。
ドアがノックされた。返事をすると、アルドが部屋に入ってきた。
「ご苦労様でした。お部屋までお送りいたします」
「アルドさん、明日の予定を教えてください」
「今のところ、予定は入っておりません」
心の中でガッツポーズをする。明日は、1日フリーだ。この建物から外にでて散歩という名の探検に出かけよう。少しずつ、知識や経験をふやし、早くこの世界に順応しなければ。今回の顔合わせも、貴重な経験だったが、息抜きも必要だ。小走りで部屋を出る。部屋に戻ったらマリアに明日の予定を相談しよう。その前に、今日の復習をすませておこう。手に持ったノートをパラパラとめくり書き漏らしたことがないか確認する。
「聖女様、誠に失礼ながら、歩きながら読むのは、いかがかと存じます」
「すみません」
「聖女様は、我々神聖教会の規範。煩わしい思いもするかとはもいますが、いつも心に留めて置かれますよう」
廊下を歩いていてもほとんど誰ともすれ違わないというのに誰が誰の規範となると言うのか。アルドに聞こえないようにため息をつく。部屋に戻ると、マリアの他に、もう1人の女性が待っていた。ぱっと見たかんじ、同じデザインの服だが、よく見ると三本線のところが、一本線になっていたりして若干デザインがシンプルだ。マリアはどちらかと言えば痩せ型だが、もう一人の女性はふっくら丸形だ。
「ナオ様、こちらは、二級神官のダーチャです」
女性が深々とお辞儀をした。
「初めまして聖女様。今後身の回りの世話をさせていただきます、ダーチャと申します。よろしくお願いいたします」
「ダーチャさん、周りにマリアしかいないときは、ナオと呼んでください。聖女様というのはあまり好きではありませんから」
「かしこまりました、ナオ様」
「それと、自分のことは自分でできますから、やり方を教えてくれますか。例えば洗剤がどこにあるのかとか、教えていただければ自分で自分の下着も洗えますから」
ダーチャは、目を丸くして驚いていた。
「下着を洗うのですか、聖女様が」
「ええ、もちろん」
児童養護施設では、自分のことはもちろん自分より小さい子の面倒もみてきたので、掃除洗濯家事全般をこなすことは苦痛じゃないし、気にならない。やってもらう方が気になって仕方ないぐらいだ。
「だから、言ったでしょ、ダッチャ、ナオ様はそんな人なんだって」
マリアがこれまで聴いていた中で一番砕けた口調でダーチャに話しかけた。
「マリー、でも、あなたは気を抜きすぎ過ぎじゃない」
「あのう、お二人はどんな関係なんですか。上司と部下?」
「すみません、ナオ様。ダーチャは、幼馴染みなんです」
「ダッチャは、愛称?」
「そうです。昔から、ダッチャ、マリーって呼び合っていたので、ときどき癖がでちゃうんです」
背後で、アルドが咳払いをした。
「不適切な言葉遣いですね」
ダーチャは、「すみません」と頭を下げた。
「マリア特級神官」
「なんでしょうか」
「聖女様の身の回りのお世話は、侍従職の仕事です。神官職のあなた方が行う必要はありません」
ああ、これはバイト先の店長と本部の人事担当者の会話にそっくりだ。バイトの私には関係ないところで私の事を勝手に決めているパターンだ。マリアにしてもダーチャにしても良い人っぽいけど、どうして私のそばに居ようとしているのか、メリットがなんなのか判断できない。組織の力関係がわからないからだろう。
マリアは一歩も引き下がらなかった。
「アルド副侍従長、もしも聖女さまに危害を加えるような不届き者が現れたとき、侍従職では役不足です。我々なら、多少の武術の心得はありますし、神聖魔術の専門職としての技能もございます。もちろん、生活全般を支えてくれる侍従の方々の助けも必要かとは存じますが、我々も万全の体制で聖女様を支えていく所存です」
アルドは超絶美形な顔を一ミリも崩さず「それはお父上、ガンビット神官長のお言葉ととらえてよろしいですかな」といった。
「もちろんです」
「わかりました。私も少しばかり気が利きませんでした」
優雅にアルドは頭を下げ、扉をしめた。ダーチャが小さくガッツポーズをした。
「やった。あのにっくきアルド副侍従長に一矢を報いてやった」
マリアは、フーッと一つ大きく息を吐いた。
「一矢を報いるって、どういうことですか」
「たいしたことではありません」
「マリー、たいしたことよ。食べ物にあんなことをして許されて良いわけない」
ダーチャは、腰に手を当ててマリアに抗議の意志を示した。
「もし、良かったら聞かせて」
「話せば長くなりますが、短く言えばダッチャが食いしん坊で食べ物の恨みがあるということです。これ以上はナオ様にとってはお耳汚しにもなりません。それよりもダッチャ。私にもしものことが有ったらナオ様をよろしくね」
「任されたわ」
「もしもの事って何」
「ナオ様はお気になさらず」
ダーチャは、部屋の中にあるワゴンの中から、カップを取りだし、お茶の準備を始めた。
「マリーは、特級神官ですから、いつ何時緊急で仕事で呼ばれるかわからないのです」
「2級とか特級って、どういう仕組みなの」
マリーが、ダーチャの手伝いをはじめた。気心のしれた仲なのだろう。二人の作業分担にまったくよどみがない。
「ナオ様は、今日までの面会で、協会の組織についてどれくらい詳しくなられましたか」
ノートをめくってみる。
「いろいろ一度に言われたから、全然整理がついてなくて」
「そうですよね」
「神聖教会組織は、教皇様を頂点とした官僚組織に近いです」
「実際、教会は、ザッカニア帝国の行政機構とも重ねって居る部分もあって複雑なのですが」
ソファーの前のテーブルに、緑茶のような緑色の液体がカップに注がれ置かれた。昨日もいただいたが、まさしく、日本茶だった。こんな見知らぬ世界で日本茶が飲めるとはうれしいかぎりだ。
「主な役職だけ上から言うと、教皇様、枢機卿、神官長、大司教、司教、司祭、助祭となります」
「神官長から上は、常時総本山詰めになります」
「神官長の下に、マリアとダーチャが所属しているのね」
「そうです。特級神官であるマリーは、位としては、大司教と同格になります」
「すごい上じゃない」
「そうなんです。だから、責任の範囲も広いし、重いのです」
「やめてよ、ダッチャ。私はあくまで神官。同格扱いというのは建前で実際に偉いわけじゃない。実際は神官長の部下の一人よ」
「ちなみにマリーのお父様は、現在の神官長です」
「すごい、エリートなのね」
「辞めてください。私はそんなものではないです」
「じゃあ、わかった。聖女様と連呼したのとこれでおあいこね」
「ええ、そうですね。おあいこでお願いします」
「さあ、それじゃマリアさんとダーチャさんも座って。教会の組織に関しては追々教えてもらうとして、一緒にお茶をしましょう。明日は自由に行動できるらしいので予定を一緒に決めましょう。ところで時間空いている?」
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