第44話 目覚め
赤毛のショートの女性が、窓際に置かれている花瓶に花を生けながら私に話しかけていた。
「我々が到着した時に聖女様は、すでに人攫い達の手の中にあったのです。奴らは、小汚い小悪党でした。そんな奴らと、あんな汚い建物の中に聖女様が押し込められていたなんて、今思い出しても、怒りに震えます」
彼女はマリアと名乗った。白に近い薄灰色の生地のワンピースを着ている。院長先生とときどき訪ねた教会の修道女が着ていた服に一番近いデザインだが、あれよりはずっと明るい色合いだ。袖と襟元がゆったりとしていてアクセントに薄ピンク色のレースが襟袖にあしらわれていて可愛い。髪型も服装も清潔感が表れていた。マリアは、雄弁に話していたがケン兄の話は、マリアの口からは話されなかった。
「他に誰かいませんでしたか」
「いいえ、居ませんでした。野蛮な犯罪者どもと聖女様だけでした」
草原の見えるあの森にいたのに、どうした経緯でその汚い建物にいたのだろうか。全然思い出せない。目をつむれば、今でもあの時、首から血を吹き上げたケン兄の姿がはっきりと目に浮かぶ。
先ほどの話が本当ならケン兄を襲った奴らも死んでしまったらしい。生きていれば、犯人達にいろいろと聞きたい疑問があったが、もうそれも叶わない。
「聖女様、どうされましたか」
「すみません。ちょっとぼーっとしてしまいました。いろいろとご迷惑をおかけしました」
「ぜんぜん迷惑ではありません。気になさらないでください。本当のことをいうと、私は、ほとんど何もしていないのです」
「いいえ、そんなことはありません。私が目を開けたときまず見えたのは、あなたの涙でした」
「もったいないお言葉です。ですが、本当に何もできなかったのです。治療の腕には、いささか自信があったのですが、すべて失敗に終わりました。情けないことにもう、後は、女神様に祈るしかないというところまで追い込まれていたのです。ですから、聖女様が眼を開かれたときは、まさしく女神の奇跡が起こったと思い、つい涙がこぼれてしまったのです」
ベットに横たわり、ぼんやりと部屋の様子を眺めた。暖かい日差しがテラスへ通じる窓から差し込んでいる。時折窓からひんやりした風がカーテンを揺らす。その風は、冷たいというより心地よい。その風にのって、マリアの付けている香水の香りが漂ってくる。香水に詳しいわけではないが、甘ったるいだけの下品な安物ではなく品のある甘さが漂っている。きっと高級なものだろう。それにしても何で私が「聖女」と呼ばれなければならないのだろうか。
部屋のドアがノックされた。マリアが小走りで、ドアに近寄りドアを開けた。深くお辞儀をした女性が一人立っていた。マリアの着ている服とは違う。地味な色の服だ。薄灰色の前掛けをかけている。女性は、ゆっくりとワゴンを室内に押して入ってきた。マリアの目の前を通り過ぎようとしたあたりで、マリアはワゴンを止めた。
「ここで結構です」
女性は、一礼して一言も声を発せず部屋を出て行った。マリアが、ベッド脇にワゴンを運んできた。耳や指にアクセサリーは身につけていなかったが、ネックレスだけはしているようで、小指の爪ほどの大きさの緑色の宝石が首元で輝いていた。
「何かお口に入れた方がよろしいかと存じます」
ワゴンの上をちらっと見る。マリアの話では、2、3日は意識を消失していたらしいから、お腹が空いているはずなのだろうが食欲はさっぱりわかなかった。
「まずは、お水をどうぞ」
渡されたコップの水を一口飲む。ケン兄と飲んだあの泉の風景が目の前に広がった。怒りが腹の底からこみ上げてきた。
「あのう、マリアさん。お聞きしたいんですけど、私がいたあたりに、綺麗な泉の湧く森と広大な草原はありますか」
「いいえ、あのあたりにそのような所はありませんね。どうしてですか」
突然、返事に窮した。「兄が亡くなった場所なんです」と言った瞬間、兄が亡くなったことを認めてしまうようで言い出せなかった。
「いいえ、何でもないです。忘れてください」
ケン兄が生きているか死んでいるかを決めるのは、あの場所を見つけ出したときにしよう。だから絶対にあの場所を探し出さねばならない。
それにしても、マリアの話と自分の経験にいくつかの違和感を感じる。あの男の言葉、「お迎えに上がりました」もそうだし、犯人たちの態度、行動もそうだ。
マリアの話では、犯人はただの身代金目的のならず者たちの寄せ集めのようで、身なりも、技能もまちまちで、連携するということもなかったようだ。建物に突入すると蜘蛛の子を散らすように逃げていったという。
私が見た犯人とは全く違う。森を抜けたとき、彼らはすでに微動だにせず整列して待っていた。卑しさや、油断とはほど遠い訓練されたプロの動きだったと思う。
「聖女様、大丈夫ですか」
マリアが心配そうにのぞき込んでいた。無理やり笑顔を作る。
「あのう、マリアさん、その聖女様というのは、やめてもらえませんか」
「失礼いたしました」
マリアは、深々と頭を垂れた。そんなこともしてほしくはない、と言いかけて辞めた。なんだか八つ当たりしているようだし、そんないちいち注意する自分自身も気に入らない。
「それでは、なんとお呼びすればよろしいでしょうか」
「私はナオです」
「ナオ様ですか」
「”様”は、いりません。ナオと呼び捨てにしてください」
女性の顔が苦いものを口に入れたようにゆがんだ。そんなに変な事を頼んでいるのだろうか。
「すみません」
「ナオ様が謝る必要はございません」
「私の不勉強のせいで、ナオ様にご不快を与えてしまい申し訳ございません」
マリアは、さらに深く頭を下げた。これでは、私がワガママを言っていじめているようなものだ。これ以上、マリアに迷惑をかけるのは辞めよう。今のところ少なくともマリアは私をだまそうとか、危害をくわえようとはしていない。余り困らせて面倒なヤツと思われるのは得策ではない。誰が味方で誰が敵だかわからない。まずは、じっくり観察し、見極め、現状を確認しよう。
私がやるべきことは、あの場所を探しだすことだ。そして、どんな形であれ、もう一度ケン兄に会うことだ。
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