第41話 カルミネ教皇侍従長
「できればティモーティオ副侍従長みずから現場に足を運んで、その目で確かめてほしいんだが」
中年の男性が、「かしこまりました、カルミネ様」と頭を下げ部屋を出て行った。
閉まったドアを見つめながら、ティモーティオ副侍従長の表情を思い出す。目の大きさも、眉毛の位置も変化はなかった。口角の位置は思い出せないが、たぶん動いていない。
慌てて無理やり作った仕事だから、「なぜ、この仕事を」と心の中では思っているかもしれない。少なくとも表情には表れていなかったし、面と向かって疑問を口にされなかっただけで良しとしよう。
まさか、こんな短期間のうちに二度もクルトゥースが開催されることになろうとは予想もしていなかった。今後は、いつでも人払いできる仕事を常に用意しておこう。
何はともあれ、これでこの教皇の住居兼執務室のあるワシリー宮殿で仕事をしている者は、使用人以外にいなくなった。使用人の大部分も、庭園の手入れ、教皇庁や行政庁の補修保全をするようにクラリーチェ副侍従長に命令してあるから、午後からこのワシリー宮殿はほぼもぬけの殻になるだろう。万が一、クルトゥースの存在に気づかれたとしても、数人の使用人なら後でどうにでもなる。
立ち上がって執務机の後ろにある窓から、眼下に見える庭園を眺める。一年中、色とりどりの草花が眺められるのは眼福だ。教皇のために造られた庭園だが、教皇侍従長の執務室からは、教皇とほぼ同じ風景が眺められた。侍従長の唯一の役得だとも言える。教皇侍従長の執務室のすぐ右隣が教皇の執務室というのは、果たして良いことなのかどうかは別の話だが。
それにしても、あの教皇には困ったものだ。教皇というのは、どこにいても目立つ。ましてや、ここは教皇のお膝元、ザッカニア神聖帝国の帝都だ。プライバシーなんてものはないということがわからないのだろうか。一国の元首であり、最大の宗教団体の首長なのだから、秘密の10や20があるのは理解できる。それにしても、性格的に秘密を持ちたがる教皇というものは、上司として困ったものだ。
先ほど仕事を与えたティモーティオ副侍従長も、そろそろ館外に出払った頃だろう。クルトゥース開催の下準備が完了したことを教皇に報告しなければならない。あまり、もたもたするのは得策ではない。教皇は、案外短気なのだ。
大きく息を吐き出し、下っ腹に力を込めた。腹を叩き教皇の執務室へ通じるドアの前に向かった。ドアの前でいったん立ち止まる。こんな気の重い仕事を前エウリディーチェ侍従長は、どのような心持ちでこなしていたのだろう。
あるとき突然、エウリディーチェ侍従長が自分の目をのぞき込み、「一言でクルトゥースとは何かと言えば、教皇とその仲間による極身内による会議、秘密会議のことだ」と言った。そのときの侍従長の眼差しをカルミネは今も忘れていなかったし、それを思い出すと、うっすらと全身が汗ばむ。
ただ、エウリディーチェ侍従長と同じ立場に立ってみてわかることは、もしあのとき疑問やら動揺やらの反応を示していたとしたら、今の立場に収まっていなかっただろうし、長くは生きていられなかっただろう。
じっとり汗をかいた手の平を自分の服で拭き取る。扉の前に立ち、ノックをしようとした、ちょうどそのとき侍従長執務室のドアがノックされた。
カルミネは、教皇の執務室へ通じるドアに背を向け、一瞬、返事をするかを考えた。結局、小走りでドアに走りより自分でドアを開けた。ドアの前に立っていたのは、法務担当のアルド副侍従長だった。弱冠28歳で副侍従長まで昇進した美男子は、無表情とも、冷淡ともとれる表情で立っていた。
その容姿の良さと才能は、教皇庁始まって以来と言われ、男女とわず教皇庁といわず巷でも大人気だという。
次期侍従長の器と噂されていたが、カルミネ自身は、候補にすら挙げていなかった。それは、正義感の強さ、融通のきかなさゆえんだ。頭の良さだけでは、侍従長は務まらない。
「どうしたのか、アルド副侍従長」
「はい、カルミネ様より承りました仕事が終了したので、ご報告に上がりました」
心の中で「え」と驚いたが、口から音として出たのは「ほう」だった。
「邪教審問官全員の昨年の実績に関する、疑問点をまとめ上げるように言ったはずだが」
「はい。ですから、ここに疑問点をまとめて参りました」
アルドは、カルミネの前に30枚ほどの紙の束を差し出した。
「昨日の夕方お願いして、もう終わったのかね」
「はい。法務に関する事項は、おおよそ頭の中に入っておりますので。それに、邪教審問官に関しては、私も日ごろから、疑問に思うことも多く」
カルミネは、アルドの話を途中で打ち切った。
「わかった。ご苦労。これは確かに受け取った」
「早く仕事を終わらせてもらって、大変言いにくいのだが、もう一つ仕事をお願いして良いかな」
「もちろんです」
「実に言いにくいのだが」
「何なりとおっしゃってください」
「娘が、どうしても食べたいというものがあってな」
「どんなものでしょうか」
「君に、お使いを頼むのは、大変心苦しいのだが、」
カルミネは、懐から、紙幣を数枚取りだし、アルドの手に握らせた。
「これで話題のお菓子を娘のために買ってきてくれるか。いつも長蛇の列で買うのが難しいと言っていたんだ。普段父親らしいことは何もしてあげられないからな。どうだろう頼まれてくれないか」
我ながら無茶苦茶な理由だが、今すぐに、この男をこの建物から追い出すのに、これ以上の理由はみつけられなかった。
「カルミネ様、こんなに買ってきては、店の商品がなくなってしまいます」
「いいんだ、残ったカネは、君の好きなように使い給え」
「いいえ、そうはいきません」
そこだよ、アルド。そういう所が駄目なのだよ
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「面白い!」「続き読みたい!」などと思った方は、ぜひブックマークをお願いします。
↓の評価で5つ星にしていただいたら励みになります。
よろしくおねがいします。




