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第29話 影

 薪割りがこんなにきつい仕事だとは思わなかった。計画通りに進行しているが、体のあちこちが痛みで悲鳴を上げていた。


 一日のノルマが終わったからと言って、まだ寝るわけにはいかない。ビデオを見れば必ず眠ってしまうからその前にやっておくことがある。まずは、万能薬を飲んで体調をリセットする。それから一人で稽古を開始する。


 これまでの技の復習を一通りこなしてから、攻撃終わり後の間合いの取り方を工夫する。一人で稽古していると、正しいのかどうかわからないから不安だが、不安になったら、その不安を打ち消すための稽古だと言い聞かせる。


 一通り技のおさらいを終え、呼吸を整えた。裏庭から見える月を一瞬、何かが横切った。


 猫か。


 猫が、あんな高い屋根の上に登って降りられなくなっていたら大変だ。助けを呼んでいないか、耳を澄ます。再び影が月を横切った。こんどは、はっきりとその形を捉えた。


 人だ。


 こんな夜更けに教会の屋根をうろちょろしているヤツはろくでもないヤツに違いない。ただし、そいつと対峙するのは、俺の仕事ではない。教会にはそれ専門の守門官リースがいる。問題は、どうやってリースに知らせるかだ。


 裏庭にいると言っても日が暮れるころには、裏庭に面している教会の扉はすべて閉められてしまっていて、教会の外にいるのと変わらなかった。


 俺は、軽バンの鍵を開けて、軽バンに乗りこんだ。思いっきりクラクションを鳴らそう、と思ったが、すんでのところで思いとどまった。


 もしも、教会と関係がなかったら。教会の屋根を伝って別の場所に忍び込むのだとしたら。たたき起こされたリースやあの司祭はものすごく怒るだろう。薪割りの依頼を破棄するかもしれない。もう少し確実な証拠がほしい。


 俺は、インフォゴーグルをレンタルして教会を一周してみることにした。どこにも人影などなかった。教会の建物に不審な点は見当たらない。早とちりだったのだろう。やはりクラクションを鳴らさないで良かった。


 遠くで、酔っ払いが何かわめいていた。ぼちぼち明日に備えて、泥酔している客さえも家路につくころなのだろう。


 正面玄関前に軽バンを停め、外に出る。月を見上げる。では、あの人影はどこに行ったのか。ゆっくりと、教会の正面玄関が開いた。おっ、誰かが起きてきたのか。見ると、覆面をした人物で、ナップザックのようなものを背負っていた。


 覆面と目があったような気がした。


 俺はとっさに間合いに切った。ホイットからたたき込まれた動作だ。同時に、練気言祝を唱える。


 間相。相手との距離を見極める。距離としては、20歩の距離だ。


 静歩。足音を消し、間合いに入る。


 縦拳。かわされた。


 焦る必要はない。動きは、ホイットと比べてモッサリしている。すかさず間合いを切る。


 間合いを切りながら、練気言祝。


 今度は、相手が前に出てきた。


 足払い、踏み込んで肘打ち。みぞおちにクリーンヒットした。


「うっ」と声がもれ、両膝が同時に地面についた。


 胸のあたりに下がってきた頭に手をかけ覆面を剥ぎ取る。男だ。顔に入れ墨をしている。月明かりでは、表情の細かいところはわからない。もっとよく見ようとしたのが悪かった。男は、体当たりをして、俺を突き飛ばした。ホイットの言葉が耳の奥によみがえった。


(三連打までしかできないなら、それが終わったらすぐさま、相手と間合いを切れ。いつまでもぼーっとしない)


 さらに2人の覆面が教会正面玄関から現れた。インフォゴーグルからロラが指摘をした。


「おい間抜け、夜間モードに切り替えろ」


 たしかに間抜けだった。どうして最初からこのモードにしておかなかったの。夜間モードに切り替えると昼間のように視野が明るくなった。後から現れたうちの一人が、こちらに駆けてきた。


 練気言祝、縦拳、縦拳、正拳。


 正拳が顔面にヒット。どうやら、背負った荷物が重くて素早く大きくは、よけられなかったようだ。顔の骨が何カ所か砕ける音が俺の手の骨を通して伝わってきた。やっておいてなんだが、気持ちの良いものではない。正拳をまともに顔面でうけ他覆面は顔を押さえ地面を転げ回っていた。


 はじめに肘打ちを入れた男が逃げようとして背中をむけた。練気言祝。男のリュックをつかみ引き倒す。ナップザックの口が開き、中から金銀宝石がこぼれ落ち、地面に散乱した。


 覆面の残りの一人が、間合いに入ってきた。大丈夫、ホイットより遅い。やれる。


 足払い、掌底、掌底。三打目の掌底が、相手のアゴにヒットした。


 膝から、崩れ落ちる。脳しんとうを起こしたボクサーのように、立とうともがいているが手足に力が入らない様子だ。


 引き倒されてた男がナップザックをおいてファイティングポーズを取った。


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