量子力学的きびだんご
向こうの方から一人の男がやって来る。
男は戦装束を身にまとい、立派な刀を携えて、日本一と書かれたのぼりを背負っておった。
たいそう剣呑なその見た目に、お犬どんは恐怖のあまり震えあがった。
「おや、おやおやおや。
これはお犬さまではありませんか」
「あっ……あなはたは?」
「申し遅れました、私は桃太郎。
これから鬼退治に行くところなのですよ」
桃太郎と名乗ったその男は、不気味なほどやさしく語りかけてくる。
「もし一緒に戦っていただけるのでしたら、
こちらを差し上げますよ」
そう言って男が差し出した袋には、何やら球状の物体が詰め込まれておった。
「こっ……これは?」
「量子力学を応用して作ったきびだんごです。
観測すると形を変えてしまいますので、
注意して食べて下さいね」
言っている言意味が分からない。
お犬どんは恐る恐る、袋の中に手を伸ばす。
そこには確かに団子と思われる感触の何かが入っていた。
一つ、手に取ってその正体を確かめてみる。
すると不思議なことに、袋から取り出した途端にその物体はたちまち霧散して消え去ってしまったそうな。
「いっ……いったい何が」
「観測したことで、形を変えてしまったのです。
さぁ……今度はもう一つ」
「あんたさっきから何を言ってるんだ。
意味が分からなさ過ぎて不気味だ。
一緒に鬼退治へは行けないよ」
お犬ドンは勇気をもって断りました。
「おや、おやおやおや。
仕方ありませんね。
鬼退治には私一人で行くことにします。
それでは、失礼」
桃太郎と名乗った男は、足早に立ち去って行った。
残されたお犬どんは、肉球に染み付いたあの感触を忘れられないでいる。
袋の中に入っていたのは間違いなく団子だった。
普通のお団子の感触だった。
それが観測した途端、まるで霧となって消えたかのように、ふんわりと手から感覚が消えうせていったのだ。
もしあのきびだんごを食べていたらどうなっていたのだろう。
どんな味がしたのだろう。
気になりすぎて今日も眠れる気がしない。
「こんにちは、おさるさん」
桃太郎はお猿どんに声をかける。
「よろしければ、私と一緒に鬼退治にいきませんか?
もしご一緒いただけるのでしたら、
この量子力学的きびだんごを差し上げましょう」
「え? きびだんご?」
何も知らないお猿どんはきょとんと首をかしげる。
「はい、この袋に入っています。
是非とも手に取ってみてください」
袋を差し出す桃太郎。
その中に何が入っているのか、誰にも分からない。