第18話 1人の食事
午後6時―
夕暮れになり、大分部屋の中が薄暗くなってきた。
「手元が見えにくくなってきたわね…」
手元が暗くなったので、私はマッチを擦って部屋中のアルコールランプに明かりを灯した。すると部屋がオレンジ色の温かな光に包まれる。
「これで明るくなったわ。それじゃ刺繍の続きを…」
コンコン
すると部屋の扉をノックする音が聞こえて来た。
「はい、どちら様ですか?」
扉に向かって声を掛けた。
『エルザ様、お食事を運んで参りました』
扉の奥から声が聞こえる。
「ありがとう、今開けるわ」
直ぐに扉を開けに行くと、そこには料理が乗ったワゴンテーブルと一緒にクララが立っていた。
「あら、貴女が食事を運んできてくれたの?」
「はい、私の方から申し出ました。エルザ様の御食事を運ばせて下さいと。それではお部屋に運びますね」
クララはワゴンを押して室内に入り、私の縫いかけの刺繍に目をとめた。
「もしかして…この刺繍、エルザ様が自分でされたのですか?」
「え、ええ。そうなの。まだ完成はしていないけどね。後はフィリップの名前を刺繍すればいいだけなの」
テーブルの上には刺繍枠にはめられた白いハンカチにアンバー家の紋章であるユリが刺繍されている作品が乗っている。
「素敵ですね…。こんなに美しい刺繍をされるなんて、素晴らしいです」
「そ、そう?ありがとう」
思わず褒められて顔が赤くなる。
「あ、すみません。お食事が冷めてしまいますね。すぐテーブルに並べますので」
クララはワゴンの扉を開けると、料理の乗った皿をテーブルの上に並べていった。
その料理はまさに私がロビンにお願いしていた料理そのものだった。
ハーブの香りが漂う魚料理と肉料理。そしてホットサンドに野菜スープが並べられていく。
「まぁ…本当に私のリクエストに応えてくれたのね」
何て良い人達なのだろう。フィリップに冷たい態度を取られていただけに、皆の優しさが心に沁みる。
「…」
思わず涙ぐみそうになってしまった。
「エルザ様?どうされたのですか?」
「い、いえ。何でもないの。皆にこんなに良くして貰って、感動してしまっただけだから…」
目をゴシゴシ擦ると、私は笑みを浮かべてクララを見た。
「エルザ様…」
クララの目に同情が宿る。
「フフ…それにしても、量が多いわね。こんなに沢山食べきれるかしら…もっと減らして貰っても良かったのに」
するとクララが驚いたように目を見開いた。
「何を仰るのですか?エルザ様。寧ろ足りないくらいです。私なんか、毎食こちらの料理の2倍は食べていますよ?それにシェフが言ってたんです。『残して貰っても構わないので、食べられるだけ食べてもらいたい』って」
「まぁ?そうだったの?だったら尚更頑張って食べないとね」
「はい、そうして下さい。それでは私はもう行きますので、ごゆっくりお召し上がり下さい」
クララは元気よく返事をすると部屋を出て行った。
バタン…
扉が閉ざされ、また私は1人になってしまった。けれど…。
「フィリップと2人の息詰まる食卓よりは…1人で食事する方が、まだマシなのかもしれないわね」
そして私は早速、リクエストしていたホットサンドに手を伸ばした―。
****
40分後―
時間はかかったけれども、何とか全ての料理を完食する事が出来た。
「…意外と食べれたわ。私の好きな料理ばかりだったからかしら…」
でも理由がそれだけでは無い事はよく分っていた。フィリップがいなかったからだ。
食事中、彼の冷たい…何処か避難するような視線に晒されながらの食事では無かったから全て食べ終える事が出来たのだ。
そう考えると、フィリップと一緒の食卓に着かない方がいいのかもしれない。
けれども…。
「ううん、でもそれでは駄目だわ。だってフィリップは食事の時以外はもう私と会ってくれるつもりは無いのだから」
だから私はこの先もフィリップとの食事を続ける。
彼の事が好きだから…。
何とか彼と話し合って、離婚だけは避けなければならないのだから―。