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第122話 棺の中のフィリップ

 人々の騒めく声が聞こえてくるが、私は気にとめるのをやめることにした。


今から愛するフィリップとの最後の別れの刻を迎えるのだから、今はそのことだけを考えなければ。


セシルが私の身体を労わって、ゆっくりと車椅子を押してくれている。

そして私達はフィリップの眠っている棺に辿り着いた。


「立てるか?エルザ」


セシルが背後から声を掛けてきた。


「え、ええ…」


肘掛けに両手を置いて、立とうとしたけれどもズキリと下腹部に痛みが走った。


「う…」


「やっぱり無理するな。俺が立たせてやる」


背後からセシルに支えられて、何とか立ち上がった。

でも、たったそれだけのことなのに背後ではざわめきが大きくなった。


「見たか…今の…」

「やっぱりね…」

「弟も弟だな」

「夫を亡くしたばかりなのに…」


わざと聞こえよがしに言っているのか、彼等の言葉が一つ一つ私の傷ついた心を更に深く抉っていく。


「チッ…なんて奴等だ…だが、気にするなよ?」


セシルが忌々しげに小声で言う。


「ええ…」


それだけ返事をするのがやっとだった。

そして私はセシルに支えられながら、フィリップが眠っている棺の中を覗き込んだ。


「!!」


棺の中を見た途端…私の中に衝撃が走った。


フィリップは白い花に囲まれて目を閉じていた。

両手を胸の前で組み、頬は痩せてしまっていたけれども死化粧のお陰が、血色もよく…まるで静かに眠っているようにしか見えなかった。


「兄さん…」


セシルの嗚咽混じりの声が背後で聞こえる。


「フィ、フィリップ…」


そっと右手でフィリップの頬に触れた。


冷たい…。

フィリップの身体はとても冷え切っていた。そこには生きていた頃の温かな温もりが完全に消えていた。今、目の前にあるのは魂の抜けたフィリップの身体だけだった。


「フィリップ…私よ…」


無駄とは知りつつ、呼びかけずにはいられなかった。


「お願い…目を開けて…?私を…み、見てよ…」


私の目には涙が浮かび、目が霞んでフィリップの顔がよく見えない。


「フィリップ…お、お願いだから…目を…目を開けて…?」


涙が後から後から溢れて止まらない。悲しすぎて、どうにかなってしまいそうだ。


棺の中に私の涙がぽたりぽたりと落ちていく。


「エルザ…もう、兄さんは…」


セシルが私を止めようとしている。


分かっている。

フィリップが…死んでしまったことは…もう二度と目を覚まさないことくらい…。


「フィリップ…ずっとずっと…貴方を愛しているわ…」


私は棺の中で眠るフィリップに顔を近づけ…最後の別れのキスをした。

その触れた唇の冷たさが余計私の涙を誘う。


私は泣きながら…少しの間、フィリップに別れのキスをした。



やがて棺から顔を離した私は、最後に花を添えた。


「フィリップ…もう、痛みから開放されたのよね…どうか、安らかに…眠って下さい…」


お別れの言葉を述べて、涙をハンカチで拭った時…辺りが静まりかえっていることに気が付いた。


何気なく参列者たちを振り返った時…私は息を呑んだ。


あれだけ私とセシルの仲を面白おかしく囁いていた人々が、今はハンカチで目を拭ったり、赤い目をしてすすり泣く女性の姿まであったのだ。


え…?どういうこと…?


「エルザ…お前の姿が…参列者たちの心に突き刺さったんだ」


するとセシルが教えてくれた。彼の顔も…涙で濡れていた。


「セシル…」


「席に…戻ろう。お前は世間の誤解を…解いたんだよ」


「…ええ…」


再びセシルに車椅子に乗せられた瞬間、突然酷い目眩に襲われた。


そして、そこから先の記憶が途絶えてしまった―。


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