1 僕は死んでしまったらしい
「ご愁傷さまです」
そう言われているのは確かに僕の体だ。
僕はその少し上をふわふわと漂っていた。
僕は死んでしまったらしい。
なんということだ。
雨の日に駅の階段で足を滑らせて頭を打って死んでしまうとはあまりに情けない。
もっと、こう。飛行機の墜落事故で亡くなるとか、もっとそれらしい他の死に方というものがあったはずだ。
それなのに。
でも、まあ仕方ない。
あの時、嫌気がさして僕はもう死にたいって思ってたんだからな。
だからこれはただの夢に過ぎない。
新しい夢だ。
夢の続きだ。
しかし夢とはいえこんなにはっきりとした意識を持ってしまうとどうにも落ち着かないものだ。
とりあえず自分の体を眺めてみるが、特にこれといって変わったところはない。
まあ足の先は無いが手はちゃんとある。
そして体が妙に軽い感じがする。
浮いてるし。
まるで幽霊みたいじゃないかと思ったが、まあそうなんだろう、別に怖くはなかった。
幽霊といっても自分だしな。
むしろなんだか面白かったくらいだ。
僕はしばらくこの不思議な世界を楽しんでいた。
するとふいにあることに気が付いた。
それは今僕がいるこの場所についてだった。
ここは自分の家だ。
そしてここからはあまり遠くには行けないことが分かった。
それじゃあ天国に行けないじゃないか。
どうするんだ僕。
それにしても…… 目の前には僕の家がある。
子供の頃住んでいた家ではなくて、つい最近まで住んでいた家の方だが……。
まだそんなに時間は経っていないはずなのに、すごく昔のことのように思える。
なぜ僕はここを漂っているのだろう。
もしかして成仏できない何かがあるのだろうか。
そう考えると急に自分の存在が怖くなってきた。
これって地縛霊ってやつなのかな
嘘だろ。
僕そんなに未練とか無いし。
あっ、でも成人前に早く亡くなった母さんには会いたかったかも。
父さんはいいや。まだ死んでないし。
でもなぁ、こんな若くして死んでしまうとか、あまりに親不孝すぎるだろ。
死に方があまりにダサすぎる。
お宅の息子さんはなぜ亡くなられたのですか?
病気ですか?事故ですか?
なんて話になって、いや階段で足を滑らせましてね、なんて言えるわけない。
あー、親不孝者の息子なんて言われた日にはショック死してしまいそうだ。
……いや、もう死んでるか。
うん。そうなんだよな。
これどうすればいいのかな。
そもそもこのままずっとここにいるのか?
それともそのうち消えるのか?
まさかこのままずっとここで過ごすことになるんじゃないだろうな。
うわっ! 嫌だよ。絶対に嫌だぞ。
天国に行きたい。
せめて成仏したい。
こんなところで一人ぼっちはいやだ。
僕は必死に考えた。
考えて考えて考え抜いた。
その結果……
「やっぱり家族に会いたい!」
僕は思わず叫んでしまった。
「何よいきなり大きな声出して」
振り向くとそこには母親が立っていた。
「えっ?」
僕は驚いて目を丸くした。
あれっ、母さんが見える。
なんで?
「あら、私が見えてるのね」
母さんは不思議そうに首を傾げた。
見えるよ、見えてますけど。
「あんたやっぱり成仏してなかったのね。心配したじゃない」
母はほっとした様子を見せた。
僕はまだ状況がよく分からず混乱していた。
母さんの顔をまじまじと見つめてしまう。
「ちょっと聞いてるの?いつまで私の顔見てるつもりなの?」
「ああ、ごめんなさい。あまりにも若々しいからびっくりしちゃって」
母さんの姿は僕が覚えているより少し若かった。
髪の毛も肩まで伸びてるし、もしかして幽霊もおしゃれする?
「当たり前でしょう。私はまだまだ若いもん。それよりどうしてここにいるの?」
「それが分からないんだよね。死んだら天国に行くものと思ってたし……」
「あぁ……なんてこと。もうちょっと常識というものを教えておけばよかったわ……」
母さんは頭を抱えている。
え、どういうこと?
「あのね、天国っていうのはね、キリスト教の世界なの。分かる?」
「えぇ……まぁ」
「あー、絶対分かってない。この子はもう……」
僕間違ったこと言ったかな……。
「うちはね、キリスト教じゃなくて仏教なの」
「はあ……」
「仏教にはね、天国は無いの。あるのは極楽浄土なの!」
「……てことは?」
「あんたが天国に行こうとしてるからどこにも行けないのよ。そりゃ仏教に天国なんて場所ないもの」
そうだったのか。
僕が間違っていたらしい。
でも僕は宗教に詳しくない。
極楽浄土と天国の違いがいまいちピンと来ていないのだ。
じゃあこれで本当の行先を知ったわけだから迎えが来るのかな。
そんなことを考えていたのだが、そんな僕を見て母さんはため息をついた。
「まあいいわ。とりあえず三途の川を渡りましょう」
「あぁ、それなら聞いたことある。死んだときに渡る大きな川ってやつ?」
「そう。あなたもう死んで7日過ぎてるから三途の川を渡る権利があるのよ」
「え、そんな決まりがあるの?」
そういえば四十九日とか言うもんな。
なにかスケジュールのようなものがあるんだろう。
みんなその予定通りに行くのだろうか。
それより先に行った人はどうなるんだろう。
でも待てよ、三途の川と賽の河原って何が違うんだっけ。
石を積み上げてるのは三途の河原じゃないのかな。
「賽の河原じゃなくて?」
「それはおとぎ話でしょ。そんな物騒なものないわよ。極楽浄土へ行く途中に鬼が出てくるわけないでしょ。それにポケットにお金が入ってない?三途の川を渡るお金を持たされてるはずよ」
僕はポケットに手を突っ込んだ。
「お、小銭が入ってる。もしかしてこれで渡れるの?ていうか僕この家から離れられないんだけど。もしかして僕って地縛霊なんじゃないの?」
ここから出られないことを説明する。
「あ、ここよ。この先に道が見えない?」
そう言われて見ると確かに道のようなものが光っていて、ずっと先まで続いているような気がする。
「これが僕の進む道なの?」
「そう。この道を通れば出られるから」
ふうん。そういうものなのか。
「分かった。じゃあここを行けばいいんだね」
「はい、いってらっしゃい」
母さんはしばらく手を振っていたが、ふっと消えた。
向こうの世界に戻ったのかもしれない。
さて。
しばらく歩いていたが、幽霊だからか疲れることはなかった。
ということは?
僕は走ることにした。
足が無いのに走れる。しかも飛ぶように早い。
僕は自分の新しい体を気に入っていた。
こりゃ面白い。僕すげぇ。
満足気に走っていると、死んでから歩いて7日間かかると言われていた三途の川にすぐ到着した。
川には桟橋があり、船乗り場と書かれた看板が立てられていた。
そこに行くと渡し舟のような船が浮いている。
これがそうか。
数人乗れるかどうかという小さな船だ。
よく見ると人がいるようだ。
「すみませーん。乗りたいんですけどー」
「はいよー」
返事が返ってきた。
どうやら人が漕いでいるようだった。
僕が近くまで歩いて行くと船頭が手招きした。
「こちらへどうぞ」
「じゃあお願いしまーす」
しかし、僕が乗ろうとしてもなぜか船に近付けない。
「あれ、乗れないんですけど」
「え、君まだ未練があるんじゃないの?」
嘘だろ。また何か忘れてるのか?
「いえ、特に未練とか無いし川を渡るお金も持ってるし」
「そうなの?でも乗れないってことは未練があるはずだよ。ほら、生前に後悔したことを思い出してごらん」
そう言われたので僕は考える。