第3話 怖がらないで
息を切らしてさっき逃げ出した場所へ戻ってくると、状況は一変していた。
「あなたわたくしの近くを通って挨拶も無し?
いくら何でも躾がなっていないのではなくて?」
「で、でも、離れてたから……、その……」
「離れてても挨拶しに行くんだよ!」
ルビアちゃんの周りには、行く手を阻むように六人が取り囲んで罵声を浴びせていた。
「うそうそうそ……どうしよ、止めないと」
そう言って飛び出そうとした足が動かない。
わかってる、本当は頭でわかってるんだ。
「マリン様には……、逆らえないよ」
マリンネスタは辺境伯家の長女で国家に強い発言力を持つ、超が付く権力者。
私なんかは男爵家の三女で、家の中でさえ発言力が低い。
そんな力関係で割って入ろうものなら、よくて退学。
最悪の場合、家族にまで影響が出て路頭に迷う可能性だってある。
「助けたい、でも……。
私だってこの世界の住人になっちゃった。
ここを捨てたら、第二の人生もまた終わっちゃう」
これがせめて何の関係もない一般生徒なら、目を付けられるだけで済んだかもしれない。
だが私は、マリンネスタ派閥の代表格。
この学園に入ってから何年もの間、手となり足となり尽くしてしまった実績がある。
「何とかしたいのに、怖くて保身にしか走れない、私は……私は!!」
マリン様の手が振り上げられる。
ルビアちゃんが殴られる、そう思ったとき。
震える足が、……動いていた。
「マリン様っ! ちょっと……ちょっと待ってください!!」
「エスメラルダ?」
私の登場に振り返り、マリンネスタは振り上げていた手を静かに降ろす。
「えっと、今教師が近くを歩いてるのが見えたんです。
今その女に怪我させると、面倒なことになるかもしれません」
とっさについた嘘。
だが教師という言葉に、マリンネスタ以外の顔はゆがむ。
「ふーん、……はぁ、仕方ない。
教室に戻りますわよ」
ため息混じりにパンと手を叩いたのを皮切りに、ルビアちゃんを取り囲む令嬢たちは慌てた様子で走り去る。
そしてマリンネスタ自身も、気だるげにその場を立ち去り始める。
「次の休み時間、わたくしの教室前にいらっしゃい」
去り際、彼女は私の肩に軽く手をのせると、そう耳打ちした。
「超行きたくない」
一人こぼす愚痴は、授業終了の鐘にかき消される。
「やっぱりあんな嘘ばれてるよねぇ……。
あぁ、何言われるんだろう、お説教? それともグループ抜けろとか?
まさか次の標的はお前だとか……、だぁ~、もう胃に穴が開きそう」
しかしすっぽかすわけにもいかず、気持ちとは裏腹に足は早まる。
「来ましたわね、エスメラルダ」
「ぴゃう!!?」
突然死角から姿を現したマリンネスタに、私は飛び上がる。
目を飛び出さんばかりに見開き冷や汗を流す私を、彼女は冷たい目で見降ろす。
「あなたが何を考えているのか、聞かせてくださる?」
「いやですわ、考えなんてそんな……」
「近くに教師がいる……あれは嘘だったのでしょう?」
当然といえば当然だけどしっかりバレてる。
「何故ルビア・ローズナーへの行為を邪魔したのか。
あなたの事情はなんとなく察してますわ」
「へぇっ!? 嘘っ、マジで!? エスパー!?」
「あなたいつからそんな低俗なリアクションするようになりましたの?」
マリンネスタは軽く咳ばらいを交え、少し腰を曲げて私と目線を合わせると、周りを気にしつつ声を小さく抑えた。
「で、誰ですの?
うっとうしい事を吹き込んだ教師は」
「ふへ?」
あまりに予想外の言葉が飛んできたもので、私の喉からなんとも素っとん狂な声が出た。
「あなたの行動なんて隅から隅までお見通し。
どうせ成績と素行で内申点がボロボロ、そこを付け込まれて誰かにそそのかされたのでしょう?
わたくしを大人しくさせれば、確実に進級させてやるとでも」
「やっぱ……、マリン様って頭いいんですね」
「ではやはり?」
どや顔で見てくるけど全部間違ってる。
でも筋は通ってるし、それならマリンネスタへの邪魔は適当な教師に擦り付けることができる。
このとんちんかんな推理、乗らない手はないわ!
「さすがです、御見それしました。
でもこう人目がある場所じゃ話しにくいんで、お昼休みに校舎裏でもいいですか?」
「ええ、それで構わなくてよ」
おっと、もう一つ付け加えておいた方がいいかな。
「念のため言いますけど、私は今日マリン様を止めなきゃいけません、立場的に。
なんでルビアにちょっかいかけるのは、今日一日控えてもらえるとありがたいです」
「なるほど、構いませんわ」
彼女が納得するのを見て、私は心の中で胸をなでおろす。
これで少なくとも今日一日、ルビアちゃんがいじめられることは無さそう。
「ではまたお昼に、ごきげんよう」
「は、はい! ごきげんようです」
私は早速教室に戻ると、黒板に書かれる授業内容をガン無視し、マリンネスタに報告する嘘をノートに書きまとめる。
まず、マリンネスタは私が教師に内申を握られ脅されていると考えている。
ならば、悪役にする教師を立てて身代わりにするのがベスト。
誰を生け贄にするのかは、実はとっくに決まっていた。
「おいそこ、聞いてんのか!?」
そう言われて指名されたおさげの女生徒は、突然難しい応用問題を振られて答えに詰まる。
「ボーッとしてるからダメなんだお前は」
「あ、う……、す…すみません!」
特に身分の低い生徒にだけ高圧的な社会科教師、ダイラム先生。
学園内の評判は悪く、あの男のいい噂は聞いたことがない。
だがそれだけで悪役に抜擢したのではないのだ。
「ここが私の綴った世界なら……」
今後起こる出来事は、私の書いた筋書き通りに進むはず。
そしてあのダイラム先生は、ほかの人と違ってモブキャラじゃない。
「えーっと、確か第二章の中盤だったはず」
自分で書いた文章を思い出しながら、私は二か月後のダイラム先生を思い返す。
主人公のルビアちゃんが、来月この学校にやってくるイケメン、ダイヤリー王子と事件の解決に臨む。
女子更衣室の天井裏に開けられた秘密空間と、覗き用の穴。
幾人もの容疑者とアリバイを照らし合わせて思考する推理パートだが、犯人は当然ダイラム先生。
「あの情けない敗北シーンが見れないのは残念だけど、スケープゴートにはちょうどいいよね」
「何が残念だって?」
私の頭にぽふんと乗っかる出席簿の感触。
振り返る冷や汗だらけの私の眼に、鬼のような顔のダイラム容疑者が映る。
「授業を聞かないバカは廊下に立っていろ!!」
今時、両手にバケツで廊下に直立させる教師。
うーん、私の書いた設定通りの人物像とはいえ、殴りてぇ……。
――そんなこんなでお昼休み。
「よぉ、先食ってるぜ」
「あれパールちゃん、なんでいんの?」
「なんでも糞も、お前が教師に脅されてるって聞いてよぉ。
友達として黙ってられるわけねぇだろうが。
それでどんな変態だ、何を要求された、胸か? 尻か!?」
「されとらんわっ、この同人脳!」
ツッコミの意味ができてなさそうな顔で、パールちゃんはお弁当を口に運ぶ。
そうこうしているうちに、サンドイッチを手にしたマリン様がやってきた。
「ごきげんよう、揃っているわね」
「おう、マリン様。
変態をボコボコにするのなら任しときな」
「まぁ、いざとなったら頼りますわね。
それよりもエスメラルダ、詳しい話を」
「あっ、はい……」
私はダイラム先生が教師間での評価が低下していることに焦って、私を使い校内問題を解決していく方向に舵を取ったと。
その第一弾の実験的意味合いで、私の一番身近にある問題。
つまりマリンネスタ関連をササっと解決して手柄を上げようと考えた……、なんて、そんな妄想話をつらつらと。
「はぁーん、あんなダメ教師でも評価を考えるもんなのか」
「それか、別に隠したいことでもあるのか。
手足としてエスメラルダを動かすつもりならば、そこまで細かく自身の内情は明かさないはず。
もしわたくしの考え過ぎでないのなら……、少し探る必要がありますわね」
さっすが学年主席の優等生マリン様。
いろいろと察しが良すぎて不安になってくるなぁ。
私の書いた人物のはずなんだけど、絶対作者より頭いいじゃん、マジ勘弁じゃん。
「なーんだ、ぶん殴って終わりそうもねぇ話ならパース。
こっちに正当性がない状態で揉めても、めんどくせぇだけだしな」
「まぁうん、結局校内の風紀を正そうとしてるだけだし……」
その後はこの話は平行線で進むことなく、皆でお弁当を楽しんだ。
午後の授業も変わった様子はなく、マリン様の探る発言にわずかな不安を覚えつつ、放課後を迎える。
「あ゛~、ルビアちゃん超かわいい~」
誰もいない校舎の陰で至福の声を漏らす私。
えぐい濁声になるのも抑えず、己が本能に喉を鳴らす。
一人でポツンと帰る姿を見つめていたが、私の中の悪魔がささやいた。
「今なら話しかけられんじゃね?」
普段の私なら至らない考え。
興奮でバカになってとろけていたからこそたどり着けた思考の末端。
「そっか、今はマリン様的に見ても私は先生の手駒。
つまりこの場でルビアちゃんに話しかけたって、別段違和感は無いじゃない」
というか今……、そう今、今日この放課後、この瞬間だけに許された推しとのお喋りタイム。
行くかどうか迷う? 何を話せばいいかわからない?
そんな不安は犬にでも食わせておけばいい!
「ぬおぉぉっ、ルビアちゃんっ、君を一人では帰らせない!」
勢いよく飛び出した私の体が、ルビアちゃんの行く手を阻む。
突然道をふさぐ私を見て、暗い顔で目をそらし脇を抜けていこうとする。
「すみません、もう帰るので……」
「いやその、いっ、一緒に帰りませんか!!」
ルビアちゃんが暮らす寮は、私の帰る屋敷と少しばかり方向が異なる。
だが途中まで道は同じだ。
「あのっ、えっと……、ダメかな?」
「…………わかりました」
ルビアちゃんは俯いたまま返事を返す。
どうも怖がっているのが目に見えているんだけど、イヤイヤ了承してくれた感じかな……。
でもこうやって二人きりで話せるのは今しかないと思う。
多少強引でも、私は今しかないチャンスを生かしてみせる。
「じゃあ行こっか」
「……はい」
しばらく歩くが当然会話はない。
私は何を話そうがぐるぐる思考を巡らせて、ルビアちゃんは不安そうに黙っている。
「ん~、ダメだこのままじゃ!」
「きゃ!?」
私は強引にルビアちゃんの手を引っ張り、人の少ない路地に走る。
少し走った先にポツンとある寂れた空き地。
私の足はそこで立ち止まり、走りなれない身体は激しく息を切らす。
「ここで、何をするんで……っ!?」
ただ私は、額を地面にこすりつけた。
服が汚れることも、アクセサリーが擦れて傷つく事もいとわず、力強く限界まで頭を下げる。
「ごめんなさい!!!!」
私の言葉と行動に戸惑い、混乱するルビアちゃん。
「私の事が怖くて、言いたいことも言えないと思う。
だから今ここで、気持ちをハッキリさせておきたいの」
土の付いた髪をかき上げ、私は彼女の眼を正面でとらえた。
「きっとルビアちゃんから見た私は、怖い人の取り巻きでしかないと思う。
でもね、今更こんなこと言っても信じられるかって話なんだけど……。
私は、……あなたの敵でいたくない!」
「そ……、そんなこと言われたって」
ルビアちゃんは目を背け、震えた声を出しながら口に手を当てる。
「もちろん、ルビアちゃんが許せないって言うなら甘んじて受け入れる。
近づくなって言うならそうするし、今まで盗んだお弁当を返せって言うなら全部弁償する。
何なら、鼻が折れるまでボコボコにしてもらって構わない!」
「いきなりそんな……、今日はどうしたんですか、エスメラルダさん」
ルビアちゃんは周囲を気にする様子で、私から視線を外す。
ほかに仲間がいて、様子を見て笑っていると思われているのかもしれない。
でも、エスメラルダはそういう事をした、して来てしまった奴だ。
「ルビアちゃん、私はあなたを救いたい。
今は何と思われても、これが私の本心。
それだけは、心のどこかで覚えておいてほしい」
何一つとして理解できていない様子のルビアちゃんは、返事を返せずうろたえている。
「ごめんね、急にこんなこと言って。
どうしても伝えたかったんだ、それじゃあね」
私はすぐに背を向け、その場から走り去った。
背中にかかる声はない。
静寂が後押しをするように、気が付くと家の前まで走り切ってしまった。
「お帰りなさいませお嬢様、もうお食事の用意は……」
「いらない、すぐに部屋で休むわ」
メイドの言葉を突っぱねて、私は自室の扉を閉める。
部屋の外では私が食事をとらないと聞いた従者たちが大騒ぎして、今にも医者を呼ぼうと喚いているがどうでもいい。
「ルビアちゃん、怖がってたな」
あんな顔をさせたかったわけじゃない。
もう大丈夫って安心させて、笑顔にさせてあげたい。
可愛く笑っていてほしい。
でも本当は、そんな資格がないのは痛いほどわかってる。
「いじめの主犯はマリンネスタだよ。
……でも、そのいじめっ子を作ったのも、筋書き建てたのも、どういじめるか考えたのも……」
全部、……全部私なんだ。
「面白いと思って、楽しいと思って、私は何て世界を書いてんだ!
推しにあんな顔をさせて泣かせてんのはっ、私じゃないかぁ!!!」




