第1話 学園生活、始まります!
雲一つない青空が広がり、風の精霊が花の香りを運ぶ。
一番高くまで登った太陽は、居心地のいい暖かさを送り届けてくれる。
そんな美しく清らかな1日は、目も眩むほどの激痛とともに崩れ去った。
「はーい、どいてどいて!」
「担架足りないよ、もう四つ持ってきて」
「回復士が来れないって!? ……じゃあ薬師は?」
野次馬の喧騒、慌てふためく教師陣。
騒ぎの現場はここ、聖フロートン学園の食堂。
貴族しか通えない由緒ある学園で、長年生徒を支え続けていた食堂で起きた、前代未聞の大事件。
「お腹……が…ぁ……」
今日のDランチ、その一品であるカルパッチョの生魚が、十分な処理を怠っていたらしい。
生徒8人が食中毒に倒れ、高貴な身分の男女が醜態をさらす。
そんな地獄の渦中に、私も担架で運ばれていた。
「まだメイン……、食べてなかったのに……」
くだらない未練を残しつつ、私の意識は激しい腹痛に呑まれていった。
深くて、とても長い夢を見た。
子猫を庇った女の子が、走る箱に吹き飛ばされている。
街の風景も、道行く人の服装も、言葉や文字だって違う。
でもなんでだろう、どこか懐かしくて、恋しくて、寂しい―――
「……ラ…ダ様」
「ん……ぅ…ぁ…」
「エスメラルダ様!!」
「ひゃぅあっ!?」
唐突に張り上げられた声に驚き、私は身体を跳ね上げる。
追いつかない思考に、視線だけがキョロキョロとから回った。
「ああ、よかった……、目を覚ましましたか」
私は小さなあくびを手で隠しつつ、ナース服の女性に尋ねる。
「ここは……、どこ?」
そう言ってパッと目が覚めた。
「思い出した、私食事中に吐いて、倒れて……」
「ええ、今先生をお呼びしますね。
詳しい話はそこで」
その後やってきたお医者様の話で、集団食中毒事件を聞かされはしたものの、私の頭の中はさっき見た夢の内容がどうにも引っかかってしょうがない。
「ちょっと待ってぇ、なんか色々整理したい~」
「でしたら紙とペンを使いますか?
今日一日は安静にしてもらいますし、寝てるだけというのも億劫でしょう」
用意のいい医者はテーブルにインクと羽ペン、数枚の羊皮紙を置き部屋を去る。
「なんでだろう、すっごく頭が混乱する。
私の中に二つの常識があるみたいな……」
自分でも何言ってるかわからないが、ひとまずペンを執る。
何から書き始めていいか迷ったので、適当に自分の名前を書いた。
”エスメラルダ・ヘレナ―ジャ”
もう16年も付き合ってきた名前には、さすがに違和感など起こりえない。
とは言え、名前を書いているともう一つ頭に浮かんでくる。
”東雲京子”
見たこともない文体なのに、手が自然と羊皮紙を滑った。
「しののめ……きょうこ?」
訳が分からないが、この文字を私は知っているし、はっきりと読むことができる。
もはや頭の中のモヤモヤが気持ち悪いくらい渦巻いて、今にも溢れて飛び出しそう。
「そうだ、やっぱりさっきの夢。
あの夢が頭に引っかかって取れないのよ」
思い出さなきゃいけないと、私の細胞が警笛を鳴らしてるんだわ。
無駄なことでも、理解できなくても、夢で見た光景を細かく思い出していく。
「住んでたのは日本の街、東京、公立の中学に通ってて……」
片っ端から夢の内容を思い出す。
そのたびに脳みそを覆い尽くすような霧が晴れていった。
「学校帰りに映画を見たり、本屋で立ち読みとか、趣味で小説を書いたりして……」
思い出すたびに、夢と現実が混ざっていく。
世界的なニュースの話題、お小遣いを貯めて買った香水、好きだった歌手、好物だった焼肉の味。
学校で仲の良かった友達の顔、家を出る前に聞いた両親の声。
赤信号、飛び出す小猫、耳が痛くなるクラクション、トラック、血、激痛、私は……。
「……生まれ変わった?」
夢じゃない。
今この場でハッキリと断言できる。
あれは夢という形で見た、確かな前世の記憶だ。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!?」
私の名前、エスメラルダ・ヘレナ―ジャ。
宝石のエメラルドを意識してなんとなく字面で名付けたのを覚えている。
それにこのわざとらしい緑の髪も、140cmしかないドチビな身体も、青みがかったグリーンの瞳も、私は誰よりも良く知っていて、私だけが知ることのできるはずの人物像。
「私の小説……、賞に応募しようと書いてた、小説のキャラクター!」
そう、私はこの小説を応募するために、原稿をポストに持っていこうとしてたんだ。
子猫を助けて撥ねられる瞬間も、あの原稿は手放さなかったはず。
「じゃあ何……、小説の世界に魂が入り込んだとか!?
そんなオカルト勘弁してよぉ!」
私はあわてて看護師を呼び出すと、この世界の一般常識を根掘り葉掘りと聞いていく。
大雑把に決めた設定、舞台、時代設定、使用言語や文字。
全部、……全部当てはまる。
「そんな、だってただ普通に描いた乙女小説だよ!?
悪さをする令嬢に邪魔されながらも、ヒロインと王子が婚約するテンプレまみれの王道小説っ!」
どこを疑ってかかっても、現実が嘘だと言ってくれない。
私は今、自分の書いた小説の世界に生きている。
「最悪だっ!
エスメラルダって、何でよりによってコイツなの!?」
エスメラルダは主人公でもないし、攻略対象でもない。
もっと言うならば、主人公と敵対する悪役令嬢ですらない!
「こいつは……、このキャラクターは……」
震える手をぎゅっと握りしめ、私は吠える、空高々に。
「コイツっ、悪役令嬢の手下その1じゃないのよぉおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」