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ここまでレオナが、アルファルドと面会するのに乗り気ではないのには、理由がある。
王政のヴィシュタリア国において、近衛騎士長として王に仕えるラグフォード伯爵家は、その役職の通りかなり肉体派の家系である。幼い頃より一通りの勉学や政治学、マナー教育などの座学や実技と同時並行で、徹底的に身体的を鍛えられるのだ。
現騎士長の祖父ガイアスも現ラグフォード家家長の父エリックも代々、心技体共に叩き込まれてきて今の地位にいる。脳筋だけでなく頭脳もずば抜けていると評判のラグフォード家の教育方針は、もれなく兄や弟、そしてレオナにも受け継がれていた。
本来、淑女としての成長が望まれる女性は体を鍛えるなど忌避すべき事案なのだが、そこは変わり者のラグフォード家、木刀をやんちゃに振り回すレオナを見て、えーいとマッスル集団に放り込んだのである。一番喜んだのは祖父ガイアスで、それはもう、徹底的に、兄弟と変わらぬ指導でレオナを鍛え上げた。
女性と男性の力の差が明確に出るまで、レオナは兄も弟も負かすほど強かった。その甲斐もあり、幼い頃のレオナの夢は"騎士団に入ること"だったので、肉体派脳筋家系で比較的まともな父は頭を抱えていたという。キラキラとした眼差しで可愛らしいお洋服を着て傍目から見ればやんごとなき家の小さなレディに見えるその口から、今日は素振りをやりましたの、スクワットが連続で200回できるようになりました、今日模擬戦でにい様に勝ちましたのよ、などと報告されれば、父親の心境は複雑かつ現実逃避して何も聞かなかったことにしたかったに違いない。
そんな幼少期を過ごしたレオナは、成長しても騎士団の入団は諦めきれない夢だった。女性の入団は認められないと知り、抜け道として女性騎士─────王族の女性に仕え、身辺警護を行う役職だ─────に成ることも選択肢として掲げたが、その実情はお飾りに近いという話も耳にして、将来の夢候補としてかなり低く位置づけしている。
レオナは、身体を動かす事が好きだった。身軽に動く自身が、その瞬間だけ自由になったように感じていた。女性は夫を立てるもの、女の戦場は社交界、などと言われて貴族令嬢にふさわしい身の振る舞いも学んで身につけてきたが、それでも、捨てきれないものというのはある。
アルファルドを避けていたのは、彼に会って親密度を上げていけば、必然的にレオナはクラウディ家夫人としての未来が確定されてしまうと思ったからだ。お淑やかにたおやかに、社交界を戦いの場として夫を影から支え、常に一歩引いて夫を立て周囲からも認められるような、アルファルドに相応しい聡明な妻にならなければいけないと。
現実と夢の狭間で揺らぐレオナにその覚悟をすぐに決める事が出来ず、結果、七つの時に婚約をしてから逢瀬の回数は重なる事なく、両家の優しさに甘んじてずるずるとここまできてしまった。
会えば終わりだと、思ったのだ。もう逃げ道はないと、突きつけられる気がして。
「……騎士になれないなんて、わかりきってたもん」
唇を尖らせて、幼い物言いで独りごちる。
聞きとがめたメイドが首を傾げていたが、なんでもないというようにふるりと頭を振った。
「ああ、もう。レオナ様、大人しくなさってください」
「髪の毛なんて、適当でいいよ…」
「いいえ、そういう訳には参りません。アルファルド様のご訪問なのですから、きっちりしっかり度肝抜かれるほど可愛くなさらないと」
「病人の見舞いでしょ、意気込んでどうするのよ」
「だからこそです。お任せください、絶妙に弱々しくも目を引く髪型に致しますわ」
時間だとキエラに無理やり連れて来られて、レオナは現在身支度を整えられている。
普段着のドレスではなく来客用のものを着せられ、髪型はキエラの手により着々と作品に仕上げられている。左右ではメイド二人が片方ずつ、爪を磨いていた。殿方を射止める深窓の令嬢がテーマだそうだ。
突然のアルファルドの訪問を快く思っていなかったキエラだが、率先して指示を出している。やるなら徹底的に、とのこと。
ものの数分でレオナの髪は芸術的な編み混みが施され、控え目な飾りが耳にかけた片側に鎮座していた。シルバーと水色の髪飾りは、それがアルファルドを模したものだとわかり、そこまでやるかとレオナはげんなりする。
あくまで病人なので、決して華美ではなく大人しい装いで緩みのあるスタイルだが、気合を入れたメイドたちの手により要所要所のポイントが抑えられ、テーマ通りの完成にキエラを筆頭にメイドたちはやりきった笑顔で額を拭っていた。
支度が全て終わったタイミングで、部屋をノックされる。開かれた扉から使用人が顔を覗かせ、アルファルドの来訪を告げた。
「さあさあさあ、お嬢様、気合入れていってらっしゃいませ」
「はいはい」
「お久しぶりにお会いなさるのですから、第一印象をしっかりと、でもアピールを忘れてはなりません」
「いや、同じ学園行ってるんだから別に久しぶりでも…」
「お嬢様のことですからどうせ、学園でもアルファルド様を避けていらっしゃったと思いますが」
図星を突かれて黙り込む。幼い頃よりレオナ付きの侍女キエラは、彼女がアルファルドを避ける理由もしっかりと熟知していた。
なるべく関わらないようにしてきたのは事実だし、避け続けていたせいで顔の認識が薄ぼんやりとしていたのだから、エイミー嬢取り巻く渦中の一員と気づいていなかったのもそのせいである。
招待を受けた夜会も避けられるものは避けて、どうしても行かなければならないものには弟のジュードにエスコートを頼んでいたのだから、その徹底ぶりはいっそのこと、見事だ。
─────あまりにも、稚拙な行為だ。
レオナは自嘲気味に口の端を歪めた。客観的に見てレオナの態度は、子供じみておりスキャンダル好きな貴族社会においては恰好のネタの餌食だ。今なお、レオナがアルファルドの婚約者としてその地位を維持しているのは、ひとえにアルファルドの父、クラウディ宰相が"来たる日が来るまでに互いに成長するため"など断言してうまく言いくるめているからに過ぎない。
そう考えると外堀からもう埋められている気がするのだが、レオナはそれに気付かない振りをした。
「……お待たせ致しました」
来客室の扉が開かれる。中にいた長身の男が立ち上がった。目線を合わせる前に、優雅に一礼をする。
出来る限りゆっくりと顔を上げれば、銀の長髪を揺らしながら、男が歩み寄ってきた。
「…、レオナ嬢。お加減はいかがですか」
「ご心配、痛み入ります。いまは、もう、平気です」
自然な動作で手を差し伸べられる。水色の瞳が真っ直ぐと、伺うように覗き込んできた。久しぶりにきちんと彼の顔を見上げたレオナは、動揺を悟られないように答える。手を重ねれば、寄り添うようにエスコートされ、席に座らされた。
ゲーム攻略キャラクターとはいえ、彼はこんなにも美形だったのかと今更ながらに実感する。その意識がレオナの一挙一動に注がれているのがむず痒い。学園からそのまま来たのか、制服姿のアルファルドは見慣れているようで、実際に間近で見るのは初めてに等しい。
アルファルドは対面して座ると、レオナにほっとしたような笑みを向けた。
「…良くなっているようで、よかった」
「朝から元気いっぱいです。皆が心配したので、念のため休みましたが…」
「急に倒れたんだ、大事を取るのは当たり前だろう」
キエラがレオナの前に紅茶の入ったカップを置く。同様に、淹れなおしたものをアルファルドの前にも置くと、壁と一体化する様に部屋の隅で人形と化した。アルファルドの従者だろうか、男性が一人、アルファルドの背後でこれまた見事な空気と化している。
コチコチと部屋の時計が四分の一程移動したところで、躊躇いがちにアルファルドが口を開いた。
「突然の訪問、大変失礼した」
「いいえ」
それきり、室内にまた沈黙が落ちる。
あーだかうーだか低く唸るアルファルドは、なんだかとても小さく見えた。かなり緊張しているようで、そんなにかしこまらなくてもいいのにと、人ごとのように思いながらレオナはカップを口にする。
「その…レオナ嬢」
「はい」
「…すまなかった」
「……それは、どのような謝罪でしょうか」
純粋な疑問だったのだが、アルファルドはうっ、と致命傷を受けたような顔をした。
「……エイミー・マーカス嬢と、過ごしていた件に対してだ。君という、婚約者がいるにも関わらず」
暫しの間をおいて弱々しい声で告げられた言葉に、レオナはぎょっとした。この事はキエラには伝えていない。予想通り、人形だったキエラの気配が物々しさを醸し出していた。
あくまでも淑やかに振り返ったレオナは、視線と僅かな首の動きだけで、キエラに退室を促す。反論するように目力を込めたキエラに、しかし譲れないとレオナも見つめ返した。
数拍の無言のやり取りで諦めたのか、キエラは一礼の後に部屋を出て行く。察したアルファルドが、己の従者にも退室を促し、室内にはレオナとアルファルドだけが残された。
「………アルファルド様、潔いのは大変好感が持てますが、他の者がいる前でそれを口にされるのは軽率だったかと」
「君の侍女、射殺さんばかりだったな。…君は、愛されている」
大きく息を吐き出して姿勢を崩しながら物申すレオナに、アルファルドは苦笑を持って返した。
少しだけ空気が緩み、アルファルドも僅かに肩の力が抜けたようだ。緊張感を解すように淹れなおされたお茶を一口含むと、一転して真面目な表情で、今度はしっかりとした声で再度謝罪した。
「改めて、申し訳なかった。君を蔑にするような態度を、何も言われないのをいいことに取り続けてしまった。君が倒れてから自覚するなど、今更と詰られても仕方ない事だと覚悟しているが…せめて、謝罪だけでも受け取ってくれないか」
真面目だ。あまりにも真面目すぎて、ここで突っぱねるとレオナが悪いように見えるくらい、真面目だ。
ゲームの設定では、アルファルドは孤独で無口無表情のクールキャラの立ち位置だったはずだが、こうして見ると全くそんな印象はなかった。見た目こそその設定に相応しく、切れ長の水色の瞳と銀の長髪は近寄りがたい雰囲気を演出するが、意外にも変化に富んだ表情はとても無口無表情とは程遠い。
鎮痛な面持ちで許しを乞う姿は、学園の者には見せられないなとレオナは場違いな事を考えた。
「私も…クラウディ公爵様や、他の皆様方の優しさに甘えて、アルファルド様の婚約者らしかぬことばかり、してきましたから」
「それは、今回の件を引き起こす原因にはなりえない。決して。そもそも、俺の力不足であってレオナ嬢のせいではない」
罪悪感に駆られ、便乗して今までの態度を謝ろうとすれば、被さるようにアルファルドにきっぱりと言われてしまい、謝罪の言葉が喉の奥に引っ込んだ。
ぱちぱちと瞬きを繰り返しアルファルドの顔を見る。レオナの非礼を詫びる言葉は受け取らず、ただ己が悪かったと自身を責める姿があまりにも必死の様相で、そこまで怒っていないレオナは逆に困惑してしまう。
「言い訳にしかならないが、その…エイミー嬢に対して、好意は寄せていない。妹に接するような感覚でいただけで…」
「そう、ですか」
彼の性格上ゲームの補正力が働いたのだろう、躊躇いがちにアルファルドから伝えられた内容に、納得がいく。妹のようでもなんでも、要はエイミー嬢と共にいる事が重要視されたようだ。
とにかく一旦、彼を呵責の渦から解放させねばと、レオナはアルファルドを見つめて深く頷いた。
「……謝罪を、受け取ります」
「…………ありがとう」
思い詰めた表情を早く辞めさせたくてとった行動だったが、アルファルドは肩で大きく息を吐いた。ほっとした空気に良かったと思うが、後ろめたい気持ちがあるレオナにとっては、居心地が悪い。
「あの、アルファルド様。私本当に、怒っていませんから」
だからあまり、気に病まないでほしいと告げるものの、アルファルドはふるりと首を振る。己の失態を悔やむのをやめない彼は、相当自己嫌悪に陥っているようだ。
ここまで真摯に謝られたら、情も傾く。なにより、レオナの良心が耐えられなかった。
「…あの、言い訳にしか、ならないですが。正直に申し上げて私、マーカス様の周りにいる方達の中にアルファルド様がいらっしゃるとは、つい最近まで存じ上げませんでした」
思わずと懺悔すると、俯いていたアルファルドが呆気に取られた面持ちで顔を上げた。整った顔に乗るちぐはぐさが、妙におもしろい。
「私、アルファルド様と会わないようにしてたので」
「会わないようにしてたのか…」
「昔の記憶だけですと、お顔が曖昧になってて」
「顔がわからなかったのか…」
「学園にいらっしゃるのはもちろん知ってたんですけど、学年も違いますし、マーカス様の件は関わらないよう気をつけてたので…」
「興味もなかったのか…」
話せば話すほど、アルファルドを取り巻く空気がどんよりとしていく。面と向かって顔も知らないしどうでもよかったですと言われれば、誰しも気分は良くないだろう。なんだか傷を抉ってるようで申し訳なさが募る。
レオナに学園内だけでなく避けられていたことは、アルファルドもわかっていた。何度手紙を出しても、出掛けに誘っても、夜会の招待状を出しても、のらりくらりと断られ続ければ、自然と気づくものだ。それでも手紙をだせば丁寧に返事は返してくれたし、当たり障りのない内容に加えて日々の出来事も楽しげに綴られていたので、文通により仲は保たれていたように思う。
ゆえに、レオナから直接言われた言葉は、アルファルドにかなりの打撃を与えていた。
「……では…なぜ、昨日は彼女たちと一緒に?」
「サウス令嬢ですね。彼女から、婚約者を取られて悔しいだろうと…一緒に抗議しに行かないかと誘われまして」
「…なるほど」
合点がいったと、アルファルドはこめかみを押さえた。だからレオナは、糾弾する令嬢たちの最後方で、ぽつねんと立っていたのだ。
がっくしと肩を落とす姿に、レオナは内心でおろおろした。ここまで打たれ弱いとは意外ではあったが、それは暗に、アルファルドがレオナに心を砕いている事を意味する。そこまで好感を持たれていたとは思っていなかったし、今日も最悪の場合、婚約破棄を視野に入れてくるのではというパターンも想像していたほどだ。
会いもしない婚約者をここまで好ましく思えるとは、不思議でしようがない。
だが、レオナも一応、なけなしの覚悟をかき集めて彼と相見えている。
「…アルファルド様。私たち、もっとお話しする必要が、あると思います」
意を決してそう告げれば、驚いた表情を浮かべたアルファルドは、次いで喜色に顔色を変化させて首肯した。
「俺も、そう思う。…君の近くにいる事を、許してくれるか」
柔い眼差しを注がれ、愛の言葉にも聞こえる台詞を紡がれる。自分の見た目の使いどころがわかってるなぁと感心しつつ、レオナはしっかりと頷いた。
起こってしまったことはもう、どうにもならない。これからどうすればいいのかが、重要なのだ。レオナもアルファルドも、互いに距離が空きすぎた。まずはその空いた空間を、埋めなければならない。
よかったと安堵するように鷹揚に笑ったアルファルドは、今日の目的は達成できたとばかりに、長く留まる無礼を詫びながら立ち上がった。病人のレオナを気遣っての事だとすぐにわかったので、彼の優しさを受け入れてレオナも送り出すため立ち上がる。
部屋の出口側にいたレオナに必然的に近寄る事になり、退室すると思われたアルファルドが、レオナの前で立ち止まった。どうしたのだろうと見上げた彼女に、アルファルドの手が伸ばされる。見下ろす瞳は何故か愛おしさが含まれており、内心で仰天したレオナは脈打つ鼓動を収めようと思わず胸の前に手をやった。
長い指が、レオナの髪飾りに触れる。意図を察せられたようで、恥ずかしさがこみ上げた。そのまま降りてきた手はレオナの手を取り、顔を近づけたアルファルドが、指先に唇を落とす。
爪を磨いてもらってよかったと、混乱した頭が緊張感の無い感想を浮かべた。
「また、明日。…レオナ」
「…は、い……」
目元を緩めて微笑むアルファルドは、壮絶に美しく、レオナは辛うじて返答するので精一杯だった。