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◆ ◆ ◆
実は、とてもまずいのではなかろうか。
アルファルドは思案顔で、当たり前の事を思った。
ここ最近、エイミー嬢へのいやがらせが増えていた。最初にいじめ現場を目撃し成り行きで助けてからも、アルファルドの性格上、気にかけて彼女に声をかけ続けていたのがそもそも選択として間違えていたようだ。
一度、二度と助けていくうちに回数は増し、乗り掛かった船だと諦めて目を配るようにしていれば、あれよあれよと言う間に同じような状況の者たちが集まり、そのうち好意を抱くものも出てきた。教師から気にかけてくれと言われてしまい、アルファルドの捨てきれない正義感ゆえに逃げられなくなり。
気づいた時には、エイミー・マーカス嬢の周りを固める、今や時めく有力貴族子息たちの一人となってしまっていた。
エイミー嬢を助けた事は後悔していないが、この状況は納得出来かねないうえ、姫を守る騎士、などと呼ばれるのは、甚だ遺憾である。
─────実は、もしかしなくても。とんでもなくまずいのではないだろうか。
まあ2年だけだ、と安直に考えていた過去の自分を揺さぶってやりたい。
アルファルドの友人は、エイミー嬢の素朴で素直な性格に惹かれてぞっこんになってしまったようだが、アルファルドが彼女に抱く感情は恋愛感情ではない。多く見積もっても友達以上恋人未満であるが、その友達以上とは『妹のような感覚』だ。妹がいるアルファルドにとって虐められるヒロインの姿は、家族のような庇護欲を掻き立てられた。
これは、あまり他人との交流を積極的に行わないアルファルドからすると、あり得ないことである。
曲がりなりにも、奇々怪界で下卑た思惑が渦巻く貴族社会での教育を受けてきたのだ、年下の女性が虐められていたとしても、こんな簡単に庇護欲が沸いた事実があり得ない。いまなら断言できる。
「……………最悪なことに、まずい」
口にしたところでより一層自覚するだけで、アルファルドは憂鬱げにこめかみを押さえた。
昨日のことを振り返る。呼び出されたというエイミー嬢にのこのことついていけば、怒り絶頂と言わんばかりの複数の令嬢たちが迎え撃ってきた。
嘲罵する彼女たちに、騎士と称される彼らがエイミー嬢を守るように対峙していたが、その最中で、令嬢たちの後方にいた一人が倒れたのだ。小さな悲鳴と共に呼びかけられていた名前には聞き覚えがあり、視線をやれば倒れた令嬢は蹲み込んで頭を伏せていた。
既視感のある青灰の髪と先程上がった名前に、瞬時に頭が答えをはじき出す。
あれは、もしかしなくとも。
レオナ・ラグフォード─────自分の婚約者なのではなかろうか、と。
「お悩みですか、坊ちゃん」
「……………お悩みだとも」
アルファルドの長い髪に櫛をいれながら、老成の侍女が穏やかに問いかけてきた。ため息をつきながら答えたアルファルドは、鏡に映る自身を見やる。
朝の支度の一環で、背中にまで届くアルファルドの銀髪を、いつも通り侍女が編んでいく。いつから伸ばし始めたか忘れた長髪を、傷まないようにとケアするのに意気込んでいる侍女は毎朝こうしてアルファルドの銀髪を整えていく。満足気な顔は仕事というには嬉々としており、彼女の楽しみのようだ。
陰鬱とした雰囲気のアルファルドにあらあらと微笑んだ年老いた侍女は、優しい眼差しのままにこにことしている。
「坊ちゃんはお優しいですけど、たまにはご自分の思うままに動いてよろしいんですよ」
「………そうか」
その感情の思うままに動いた結果が現状なのだとは言えず、苦虫を噛み潰したような顔で答える。
整髪を最後に身支度が全て整い立ち上がると、入り口近くにいた従者が扉を開ける。出ていくと彼らの背中に、いってらっしゃいませ、という侍女の送り出す声がかけられた。
「若様、何かお困りごとでも?」
一歩下がって後ろを歩く従者が、先程の侍女の言が気になるのか尋ねてくる。アルファルドの従者として常に付き従う彼の目から見ても、主人の様子がいつもと違う事に気がついたのだろう。
状況が芳しくないということははっきりとわかるが、どう答えて良いものか。うまく表現することができないと諦めたアルファルドは、ちょっとな、とぼかした返答をするしか出来なかった。
とにかく、己の婚約者と一度、ちゃんと話すしかあるまい。
そう決意して学園に行けば、レオナは今日は休みだと、彼女の友人だという女生徒に冴え冴えと告げられた。
学年の違うレオナのクラスに訪ねてきたアルファルドに、彼が誰かに声をかける前に真っ先に話しかけたクロエ令嬢は、浮き足だって熱い視線を注ぐ令嬢たちとは正反対に、冷たい視線と固い声色で会話に臨んできた。吊り上がる眉と引き結ばれた唇にアルファルドは申し訳なさを感じ、長身を少しばかり縮こませる。非はこちらにあるので、何を言われても反論はできない。
「あー…昨日の一件のせい、か?」
「そのように推測は出来ますが、実際何が原因かわたくしにはわかりかねます。伝え聞くには、体調不良、と」
「……昨日倒れた彼女に付き添ったのは、たしか君だっただろう。何か気づいたことは」
「さあ? わたくしも突然のことで大変、動揺しておりましたので」
「それはあの場にいた誰もが同じことだ」
「あら。クラウディ様がまさか、レオナを気にされていらっしゃったなんて、驚きですわ」
「…それは一体、どういう意味で言っている?」
「マーカス嬢率いる群れに成り下がられていたとお見受け致します。昨日は結局レオナの様子を見にも来られませんでしたし、マーカス嬢以外の御令嬢はじゃがいも程度にしか見えていないのかと」
にっこりと笑ったクロエに対し、アルファルドは無言を貫く。心なしか外気温が二、三度下がったように、クロエとアルファルドの周りに見えない吹雪が吹き荒んだ。異様な雰囲気に、他の生徒たちは気になってちらちらと二人を見てるだけで、近寄る者は誰もいない。
オブラートに包まれてもなお刺々しい言葉に返す言が見つからず、アルファルドは重たい息を吐き出した。
「……すまない」
「仰ってる意図がまったくなにひとつとしてこれっぽっちもわかりませんわ」
取り付く島もないとは、このことである。
以前よりアルファルドの行動が気に入らなかったクロエにとって、大事な友人が倒れた時に助けもせず、気を失ってる時に訪ねもせず、翌日ひょっこり現れてぽつりぽつりと伺うように聞き込み紛いのことをしてくるアルファルドの評価は、地面にめり込んでいた。いくら有力貴族の子息だろうと、父親が宰相を務めていようと、関係ない。
クロエ自身の家もかなり手広く顔が聞くので怯えることはないというのも一つあるが、何よりも、アルファルドのレオナに対する扱いには、婚約者の態度としてあり得ないと、憤りと懐疑心を抱いていた。
レオナの友人として隣にいたが、彼女がアルファルドに対して正負の感情を露わにすることは見た事がない。アルファルドについてクロエに語ったこともないし、エイミー嬢の取り巻きとして参加している時も遠くから一瞥するに留めて、まるで自分には関係ないとでもいうような姿勢は崩れなかった。
宰相子息の婚約者がレオナ・ラグフォードというのは有名な話だったが、当の本人たちが消極的にすら関わることもなく赤の他人に等しい態度でいたゆえに、名前だけが先行してレオナの容姿は注目されていなかったことも、距離の解離に拍車をかけた。
だからこそ余計に、クロエは他の女に現を抜かすアルファルドが、許せないのだ。
彼の行いは─────アルファルドだけではなく、それはエイミー嬢を取り囲む生徒たちにも言えるが─────ひどく幼稚で考え無しの、愚か者がとる行動である。
「申し開きをなさるのでしたら、わたくしではなくレオナにするのが道理でなくて?」
「………その通りだ」
「わかって頂けて結構ですわ」
ふん、と顔を逸らしたクロエは、話は終わりとばかりに踵を返した。背後で困惑の気配がしたがそれも束の間、足早に遠退いていく。
美形と権力の圧に負けずに突っ返したクロエに、教室内の生徒が数人、尊敬と畏敬の眼差しを向けていた。振り払うように席に着くと、教本を取り出して授業の準備をする。朝から忙しいことこの上ない。
何一つ言い訳がましいことを口にしなかった点だけは、褒めてもいい。
アルファルドは話を聞かないぼんくらではないようなので、これで少しはレオナと接触する機会を持ってほしいものである。
「……レオナにも、がつんと言っておかないとだめね」
出来る友人、クロエは、やれやれと呟いた。
ところ代わってラグフォード邸では、レオナが思案顔で思い悩んできた。
ふむ、と、腕を組み、まずは形から落ち着きにはいる。あまりにも急展開で、少し思考が追いついていない。
まさかイベントがあったその翌日に動きがあるとは、さしものレオナも予想外である。
暖かい午睡の陽気、せめて庭でアフタヌーンを、というレオナの要望がなんとか通り、現在美味しいおやつと共に絶賛一人でお茶会中だ。母は別の貴族夫人の茶会に呼ばれて家に居らず、弟のジュードは遠方の教授を訪ねるとのことで、トレヴィア学園中等部を休んで外出していた。父と兄はいつも通り仕事に勤しんでいるので、割愛。
初めのうちは近くに侍女キエラが控えていたが、いつのまにか姿を消している。
手にしていた手紙をテーブルに置くと、レオナは椅子の背に体を預けて空を見上げた。
「アルファルド様、いらっしゃるのか…」
手紙の主は、アルファルドからだった。
よほど急いでいたのか、上質ではあるが簡素な紙に少し乱れた文字が走っていた。宛先のレオナの名前は丁寧なように感じられたが、差出人である彼自身の名前は、書き殴るように大きく右斜めに乱れている。
内容もデザイン同様に実にシンプルで、体調の様子を伺う旨と、急で恐縮だが今日訪問を許してもらえないか、とだけ記されている。
使用人に聞くところこの手紙を受け取ったのは昼前だったようなので、恐らく今朝急遽こしらえたものなのだろう。
このアルファルドの訪問に、諸手をあげて歓迎したのが母で、諸手をあげて反対したのが弟である。一度決めたら頑なな母は、弟の反対を黙殺して押し切り夫の了承をもぎ取って、レオナの答えも聞かず手紙に承諾の旨を応答していた。
流石にレオナが講義の声を上げれば、至極真面目な顔で、そろそろちゃんと向き合いなさい、と諭されてしまったので、しぶしぶ頷くしか選択肢はなかった。
レオナも今年で十六だ。母の言う"向き合え"という言葉の重みは、理解している。
寧ろいままで、父母もクラウディ家もよく、何も言わずにいてくれた。アルファルド本人は中等部からあんな感じになってしまっていたので、どう思っていたのかはわからないが。
面会を求めてきたということは、彼自身も何か、思うところがあったのだろう。
「まあ、婚約者が倒れて心配もしない男だったら、こっちから願い下げよね」
そう考えると、エイミー嬢の存在はある意味、本性を暴く判断材料として一役買っている。エイミー自身については、流布されている悪口の性悪女だとレオナは思っていないが、いかんせん、初心なところが貴族らしくなさすぎて悪目立ちしているのだ。
「攻略キャラに婚約者がいる設定って、なかったような気がするけど…やっぱり齟齬があるなぁ」
ゲームの知識を思い起こすが、ヒロイン以外の設定は曖昧にしか決まっていないようだ。モブ令嬢であるレオナの存在は良くて背景の一部。世知辛い。
昨夜からずっと考えていた。
ゲームのストーリー通りだと、糾弾の場で誰かが倒れたという記載は無い。イレギュラーな出来事がこれからどう影響するのかわからないが、そもそもシナリオを知っているレオナの存在自体が、ゲームの世界からするとイレギュラーもイレギュラー、ストーリーを引っ掻き回す道化という役目を背負わされてもおかしくない。
ヒロインがハッピーエンドを迎える代わりに、悪役令嬢はバッドエンドを迎える。取り巻きAのレオナも例外ではないだろう、メインの悪役令嬢より酷くはないにしても、ゲーム設定では一緒にヒロインをいじめていたことになるのだから。そんなのごめんだ、とレオナは眉間にしわを寄せた。
モブ悪役のレオナが慎ましくてもいい、ハッピーエンドを迎えるためには、ゲーム通りの進行を阻止してなんとか現婚約者のアルファルドと仲良く親密になり、そのままゴールインするしか、いまのところ道は無い。
だからこそ、今回のアルファルドの訪問は受けなければいけない必須イベントだったのだ。そう、仕方ない。仕方ないのだけれども。
「………お母様の高笑いが聞こえる…」
何も知らないはずの母親が、勝ち誇ったような笑みを浮かべた姿が容易に想像できた。