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なんてド定番なんだ。
記憶を整理して、レオナが抱いた感想である。
文明も何かも違う、恐らく世界単位で異なる国の記憶。日本、と呼ばれていたが、その国では世界の歴史を学ぶことができ、そしてその中でヴィシュタリア王国、なんてものは存在していなかった。"記憶"の持ち主が知らなかっただけかもしれないが、明らかに違うと決定付けたのは、小型の機械スマートフォンで遊ぶゲームの存在だ。
ゲームタイトルをはっきりと覚えていないが、たしか【ホニャララの約束とハニャララが紡ぐ愛】みたいな感じだった気がする。ホニャララとハニャララは不明の部分である。
数多くある乙女ゲームの中でさほど人気は高くなく、ゲームシステムやシナリオに不満が多く評価は低い方であったが、リリース当初は何人ものゲーム好きが手に入れていた。
理由は簡単、そのゲームの総キャラクター原案、原画が大人気イラストレーターの手によるものだったからだ。
設定がクソでもシナリオがクソでもシステムがクソでも、絵が良ければ鑑賞対象にはなるし、イラストレーターのファンもいる、おまけに声優陣は若手だが急成長の有望ある面子だ─────そういう訳で、大人気というわけでは決して無かったが、そこそこプレイヤーは多いゲームだった。
こんなクソみたいな構成でよく、あの大人気絵師が仕事を受けたものである。口々に言われる感想の始めにでるのは決まって、前述のような内容ばかりであった。
「主人公、エイミー・マーカス男爵令嬢がトレヴィア学園に入学してくるところから物語は始まる、か………確かにあのご令嬢が入学してから色々起こってるね…」
カリカリと思い出したことを書き記しながら、レオナは入学当初からを振り返る。
爵位の中で、男爵は一番下の位に位置する。しかもマーカス家は決して裕福ではなく所謂"貧乏男爵"というものだったため、貴族社会の縮図のようなこの学園では、かなり粗雑な扱いを受けているだろう。
それでも下手に有力家や位の高い爵位に関わらずひっそりとしていれば、実害はそんなにない。陰湿な虐めに手間暇かけるほど、貴族子息令嬢は暇ではないのだ。主にパイプ作りという面で。
しかし乙女ゲームのヒロインという立ち位置であるエイミー・マーカス嬢には、今考えればゲーム補正というものでもあったのだろう、学園内どころか国内でも有力な子息たちに次々と関わっていくのだ。
同じ名前の令嬢が本当にいたところで、ただの同性同名と結論付けることは簡単だったが、その後に思い返す出来事とゲーム内で起こっていた出来事やイベントが一つ残らず当てはまり。当てはまってしまい。
あえなく、レオナは己が通う学園がゲームと同じ舞台で同じシナリオを歩んでいると、認めざるを得ないという結論に到達した。ガッデム。
「だいたい、これ誰の記憶よ…ゲームやってたならタイトルぐらい覚えてなさいよ……」
"記憶"の持ち主は、イラスト目当てだったらしい。各所のイベントのスチルを集めるためにプレイしていたようで、細かいところは結構すっ飛ばしていたようだ。
レオナは、この"記憶"は自身とは別人だと考えていた。最初は前世の記憶が、とか、転生なのでは、とか少しばかり夢見心地な期待を抱いたが、それにしてはあまりにも他人事めいているからだ。"経験による記憶"ではあるが、それがあまりにも"自分が"経験したという感覚から乖離している─────わかりやすく言えば、他人の記憶がごろっと入り込んできている感じだ。厚かましいことこの上ない。
前世であれ転生であれ、いまのレオナからしたら他人であることに変わりはないのだが、それにしても希薄な印象を受ける。
柳眉を潜めて思いを巡らせていたが、考えても正解がわからないことに時間をかけるのも無駄だと、記憶を頼りに手帳と再び向き合う。
この"記憶"について、レオナは誰にも打ち明けるつもりはない。だが、トレヴィア学園の出来事がゲームの通りであるなら、レオナも少なからず関与してくるのだ。
ゲームの攻略キャラクターの一人。
銀色の長髪で薄い水色の瞳。薄氷のような面持ちは近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
ヴィスタリア王国の宰相、クラウディ公爵家の子息で、現在レオナやエイミーと同様の学園に通う男子生徒。
アルファルド・クラウディ。
レオナの婚約者で、つい数時間前まで他の攻略キャラクターと共に、エイミーを守るように側にいた男である。
乙女ゲームでよくあるイベントの一つに、ヒロインを悪役令嬢が学園内で公開で責め立てる、というものがある。これを"糾弾イベント"と仮に呼ぶとして、今回レオナが倒れたのはこの糾弾イベントの真っ最中だったのである。
攻略キャラと彼らに囲まれたヒロイン、対峙するのは、悪役令嬢率いるいじめに加担する集団だ。ゲームではありもしない噂を流布したり事あるごとに罵ったり水をかけたり物を隠したりエトセトラエトセトラ…。
というありきたりないじめは、実際にはそれほど起こっていない。ここはゲームではなく、レオナにとっては現実世界なのである。
チクリと針を刺すような嫌味を言ったり罵ってきたりはもちろんあったが、ゲーム内で表面化されていたような物理的な攻撃は、現実ゲームに比べればかなり少ない。ほぼほぼ、悪役令嬢を傘に着た他の女生徒たちからの、妬み嫉みから来る嫌がらせだろう。そもそも貴族という生き物は、自ら手を下すという汚れ仕事は避ける傾向にある。
レオナが悪役令嬢と呼ぶ女生徒たちが今回、糾弾イベントなるものを開催することになった原因は他にある。
「サウス家令嬢、ルーゼドスキー家令嬢、ミレン家令嬢、グリフィス家令嬢……」
日が変わって翌日、レオナは自室で自分宛に届いた手紙の差出人を読み上げると、小さく息をついた。
良家の令嬢らしく品のある便箋と、微かに香るトワレ。内容はみな似たり寄ったりで、レオナに向けてのお見舞いだ。そこに決して裏表はなく純粋な心配が感じられ、あの土壇場でレオナが倒れた事に、よほど驚きと困惑があるらしい。
高位の爵位をもつ貴族令嬢の彼女たちは、今回糾弾イベントでヒロインの隣にいた攻略対象─────すなわち、貴族子息の婚約者たちだ。
そしてその集団にレオナも居たということは…つまり、そういうことである。
「自分の婚約者が他の女とベタベタしてたら、そりゃ嫌な思いするでしょうねぇ…」
糾弾イベントの概要は、こうである。
地方領より入学してきたエイミー・マーカス男爵令嬢は、慣れない貴族社会の環境に突然放り込まれた。暗黙のルールやしきたりなどに疎い彼女は、その穏やかな性格も相まって学園という狭い鳥籠の中ではそれだけで格好の標的となる。
そんな彼女を助けたのが、国内で有力な家柄子息たちだ。ガチガチな貴族社会に生まれ過ごしてきた彼らは、エイミー嬢の媚びへつらわない態度が新鮮だったようで、なにかと気にかけるようになる。顔面偏差値も高く一目置かれている彼らがそんな事をすれば、女生徒たちには当然、嫉妬の炎は渦巻き憤怒の角はにょきにょき生え地獄の火山は噴火し焼き餅が美味しく頂けることだろう。
件の眉目秀麗イケメン軍団が己の婚約者となれば、その怒りは正に、怒髪天をつく。女の嫉妬は恐ろしく根深くねちっこい。
これでも中等部ではまだ大事になっていなかった。誰にでも優しい未来の夫スバラシイ、という夫を立てる妻としての自尊心のおかげであり、その点においては、将来夫人として飲み込まねばならぬ部分もあると理解していた悪役令嬢たちは、優秀である。
しかしだんだんと悪化していく嫌がらせに反して攻略男子生徒たちがエイミー嬢と共にいる時間が増えていき、次第に婚約者を邪険に扱うようになる。ぞんざいな態度に令嬢たちは負の感情を募らせていき、そのスパイラルの末に爆発したのが─────糾弾イベントというわけだ。
怒りが四方八方に飛び散った彼女たちは、一周して静かなる流水の如くふつふつとお湯が沸騰している面持ちで、授業後のレオナを訪ねてきた。
─────貴方も婚約者を盗られて悔しいでしょう、わたくしたちと共に抗議に参りませんこと?─────
あくまでにっこりとお淑やかに青筋を立てながら笑う彼女たちに、思わず称賛の感想を抱いて頷いたのは、少しばかり早まったかなと反省している。そもそも。
「あの中にいたアルファルド様が、攻略キャラとは…」
自身の婚約者がエイミー嬢を守る騎士の一員になっていると知ったのは、高等部に入って暫くしてからである。攻略キャラであればエイミー嬢の周りにいるのは当然なのだが、乙女ゲームの知識を得たのは倒れた瞬間なので、どうにも複雑だった。
このゲームの中で、レオナの立ち位置は悪役令嬢の取り巻きAというところか。
「レオナお嬢様、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
自室の扉を数回ノックされ、入室を許せば入ってきたのはレオナ付きの侍女、キエラだった。一礼したのち、ワゴンとともに部屋に踏み入れる。
手紙をまとめてデスクの端に寄せ、ゲームについて記してある手帳を引き出しに仕舞い込んだレオナは、立ち上がるとソファに座る。同時に、目の前に暖かい紅茶が差し出された。
「お加減いかがですか?」
「絶好調。別に、休まなくても良かったのに」
「いいえ。突然倒れられたなんて一大事ですわ。充分に休息をとってくださらないと」
「貴方たちも過保護ね…」
「お嬢様が倒れるなんて、明日は暴風が吹き荒れ雷が襲い滝のような雨が降ると皆一様に怯えておりました」
「一点の雲もない晴れ晴れと輝く青空で大層よかったですこと」
淡々と告げてきたキエラにとげとげしく答えるが、気にした様子もない図太い侍女はすまし顔だ。伯爵家令嬢付きの侍女が主人に対して無礼とも取られる態度でいいのかとは思うが、ラグフォード家は昔からこの距離感なので、屋敷内で咎めるものはあまりいない。公の場や客人が来た時はもちろん、彼らは礼儀作法に則って完璧にこなす。
カップを取り、一口。いつも通りレオナ好みの味に、こんな優秀なのに、と遠い目をした。
今日は通常であれば学園に登校していたはずだが、昨日の今日で心配をした周囲から休むよう勧めまくられた結果、致し方なくレオナは自室で過ごしていた。あまりにも使用人たち引き留めが激しく、キエラや他のメイドたちはプチストライキとばかりにレオナの身支度の用意を拒否したため、面倒ごとはたくさんだと渋々と了承したのだが、いざ行かないとわかったらこの態度である。理不尽な。
「暇だし、庭で運動でもしようかな」
「まあ。まあまあまあ、お嬢様ったらご冗談を」
大きく伸びをしてぼやいたレオナに対し、オホホホホと口元を指先で覆いながらにこやかに笑みを溢すキエラは、その実目が笑っていない。言外に大人しくしていやがりくださいという感情がひしひしと伝わってきた。昨日意識が戻ってからすぐに走ったりドロップキックを繰り出したりと暴れているので、レオナにとって今更安静にするのは手遅れな気分だ。
知られたらあと二日は外に出してもらえそうもないので、黙っておく事にした。従者で迎えに来ていたトーリは恐らく家令セグルの教育真っ最中なので、暫くバラされることはないだろう。
態度は冷たいが、なんだかんだでレオナに対して心配性なのだ。この家の人間たちは。
「ところでお嬢様。実は本日夕刻に、お見舞いされたいと仰る方がおりまして」
「あら。大袈裟だなぁ…どちら様?」
クロエだろうか。あの場を収めるためとはいえ、彼女とは昨日ちゃんと別れも言わずに帰ってきてしまった。
「わたくし共としてはお断り願いたいのですが、どうにも断ることが難しそうでして…」
「もうピンピンしてるから大丈夫だって」
「奥様も張り切ってしまわれまして。ジュード様が唯一反対していたのですが、旦那様が了承してしまわれたので、しぶしぶ引き下がっておりました」
「うん、いやだから、どなた?」
訪問予定客をなかなか告げないキエラに、だんだんと眉間がきつくなる。少し乱暴気味にカップをソーサーに戻せば、感情の読めなかった声音が少し不機嫌そうに変化して、告げられる。
「アルファルド様です」
つい先程まで思い巡らせていた婚約者の名前に、レオナは虚を突かれたようにぱちりと瞬いた。