男あるある。2月14日はみんなそわそわしがち。
初めて投稿します。読みにくいかもしれません。ごめんなさい。読んだ感想をもらえると、うれしいです。
最初はつまらないかもですが、最後はわりと頑張りました。自分的にはですが。
【7時30分00秒に英語の追試テストを職員室前廊下で行う。時間厳守。なお、1秒でも遅れた場合は覚悟されたし】
大急ぎで靴を下駄箱に押し込む。職員室は昇降口を上ってすぐのところにあるが、ダッシュで向かってもギリギリの時間であった。まだほとんどの生徒が登校していないため、校舎内は静まりかえっていた。階段を上る途中、上の階から楽器を演奏する音が聞こえてきた。吹奏楽部が朝練をしているようだ。俺は2段飛ばしで階段を駆け上る。
職員室前の廊下で安藤先生が腕を組んで俺のほうをにらみつけているのが分かった。俺は「うぉぉぉ!」と叫びながらラストスパートをかけた。
「3……2……1……ちっ、間に合いやがったか」
安藤先生は悔しそうに舌打ちをした。先生は坊主頭で色付きのサングラスを常にかけているので、俺たちは影で先生のことを「組長」とよんでいた。
「ま、間に合った……」
「間に合えばそれでよしじゃねぇぞ、ほら追試だ。そこの机に座れ。制限時間は10分! はじめ!」
職員室前の廊下には机が並んでいて、それは生徒たちから「見せしめの机」と呼ばれている。こうやって追試を受けることになった生徒は恥ずかしい思いをしながらこの机に座るのだ。まだ早い時間だったため、生徒がほとんど通らないのが不幸中の幸いだった。
「……よし、終了だ」
「うわぁ~! 全くできなかった! 安藤先生、あんたは鬼だ! よりによって、こんな日に英単語の追試なんて! 悩める男子生徒の気持ちを考えたことがありますか? 今日がなんの日だか、先生だって知ってますよね? バレンタインデーですよ!」
悲痛な叫びを訴えたが、安藤先生は俺が解答したばかりの追試をじろじろとみながら、ふんと馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「トモヒサには関係ないイベントだろ? ヴァレンタィンなんて。」
ヴァレンタィン……安藤先生はいかつい外見からでは想像できないほど、なめらかな発音でそう言った。
先生の言う通り、バレンタインなんて俺には縁のないイベントかもしれない。どうせチョコなんてもらえないことは分かっている。俺がチョコをもらうなんて、宝くじの一等が当たるくらいの確率だろう。追試を終えた俺は教室へむかった。
正面黒板とは反対側の入り口から教室に入ると、すでに4名の生徒がいた。ほとんどが吹奏楽部のメンバーだ。教室中央に座る女子生徒の後ろ姿が視界に入る。背筋がしっかりと伸びており、長い後ろ髪は教室の窓から差し込む朝日に照らされて輝いていた。教科書を読んでいるだけなのに、その後ろ姿には気品のようなものがただよっていた。
チヨコちゃん。男子にとって女神のような存在であるチヨコちゃんは、一体だれにチョコをあげるのだろうか。まさか俺なんかにはくれないよな。
彼女は吹奏楽部に所属しており、楽器を演奏する姿はまるで現世に降り立った天使のように美しかった。
こんなに早く登校しているのは吹奏楽部の朝練があったからだろう。昇降口から階段を上る途中、楽器を演奏する音が聞こえてきたのを思い出す。吹奏楽部にとって、卒業式や入学式シーズンは忙しい時期のようだ。横目で彼女の後ろ姿をじっくりと拝む。
「えっ!? トモヒサ、こんな朝早くから来てどうしたの?」
カケルは俺の顔を見るなり予習をする手を止めて、俺の方を振り返って驚いた様子でそう言った。普段の俺は朝のホームルームが始まるギリギリの時間に来ているから、こんな時間に登校しているのは異常なことに思えたのだろう。でもそこまで驚かなくてもいいじゃないか。
「早起きは三文の徳っていうだろ」
「ふーん、そっか」
カケルはそう言って、男にしては長めの髪をゆらしながら机上の教科書に視線を戻す。
カケルは整った顔をしており、クラス内外問わず、女子からの人気が高い。カケルもチヨコちゃんと同じように吹奏楽部だ。容姿が整った2人が並んで楽器を演奏するだけで、精巧に描かれた一枚の美しい絵画が、額縁にぴったりとおさまるような感覚を覚える。今年の春、始業式で並んで演奏する二人を見て俺はそのように感じた。
最近、カケルに彼女ができたという噂を聞いた。その真相について、いつか本人に聞こうと思っているがなかなか聞けないでいた。
「英語の追試でしょ? 昨日の昼休み組長に怒られてたからね。相変わらずバカだね~」
レイは挑発するかのような表情で俺の方を向いた。
チヨコちゃん、カケル、そしてレイ、この3人がうちのクラスの吹奏楽部メンバーだ。こんなやつでも楽器を演奏するというのだから驚きである。楽器を演奏するレイのイメージはこうだ。言語を有さない原始的な生物が地球にやってきて、そのへんの石ころをおもむろにつかみ、まわりの木に打ち付けてウホウホと叫んでいる。そう、そんなイメージだ。
正反対のイメージであるレイとカケルが付き合っているという噂が流れだしたのはいつからだろう。2人が最近一緒にいるところをよく目にするが、きっとただの噂に違いない。そうだ、そうに決まっている。
自席につく。俺の席は一番後ろに位置していた。鞄の中から教科書を取りだして机に押し込もうとするが、なかなか入らない。机の中で何かが詰まっていることに気付く。それを取りだそうと思い、机の中身を一度全部出すことにした。そのとき足下になにかが落ちた。それは手紙だった。
【屋上で待っています】
綺麗な筆跡でそう書いてあった。すぐ下に時間が書いてある。この時間に来てほしいということだろう。差出人の名前は……書いてない。
机の中にはラッピングされた小さな長方形の箱が入っており、この箱がつっかえて教科書が入らなかったようだ。箱の中に何が入っているのか、さすがに俺でも分かる。
あまりの衝撃に椅子から転げ落ちそうになった。静かな教室内にガタガタッという音が響いて、教室内にいた4人が一斉に驚いた様子で俺の方を振り返る。チヨコちゃん、カケル、レイ……そして野沢さんだ。彼女は漫画研究部に所属している。
チヨコちゃんと目が合う。「お、驚かせてごめんね」というと、彼女は白い歯をみせて、やさしく微笑んだ。
ヴァレンタィン……安藤先生の発音を思い出しながら、心のなかでそうつぶやいてみた。
**
トイレの個室内で、制服の内ポケットにしまっておいたものを取り出す。手紙と一緒に入っていた、生徒手帳より少し大きいくらいのサイズの箱は、赤色の包装紙で丁寧にラッピングされていた。慎重にその包みをはがす。すると白い箱が姿をあらわす。フタをあけると、中にはサイコロくらいの大きさのチョコレートが6個入っていた。
狭い個室内でガッツポーズをする。しかし、俺はすぐに首を横にふった。
落ち着け、俺。こんなことが俺にありえるか?去年の悪夢がよみがえって、急に不安になってきたのだ。その悪夢を俺は「バレンタインの悲劇」と呼んでいる。
去年のバレンタイン、つまり2月14日のことだ。俺がギリギリの時間に登校すると、今日みたいに机の中に何かが入っていることに気が付いた。
「うおおおお! 見ろよ! みんな! チョコレートだ! 俺の時代がきたー!」
クラスの男子どもにそれを見せびらかすと、まるで神からの贈り物を眺めるように「おぉ……」と声をもらしていた。しかし、その眼差しはすぐに失笑に変わった。
「おい、トモヒサよく見ろよ。これ、チョコレートに見えるけど消しゴムだぜ」
カケルがそう言うとクラスから大爆笑がおこる。
「その消しゴムを使ってもっと勉強しなさい、って意味で誰かがくれたんじゃないの?」
レイはお腹をかかえながら笑っていた。
それは雑貨屋で売られている、チョコレートの形をした消しゴムだった。かなり良くできており、一瞬見ただけだったため本物と間違えてしまったのだ。俺はバレンタインということもあって完全に舞い上がっていた。それから一年の間、俺はそのチョコレート消しゴムを使うはめになった。つい最近、その消しゴムは消失した。俺は勉強を全くしないが、追試を受けることが多いため、幸いにも消しゴムを使用する機会には恵まれていた。
箱の中にきれいに配置されているチョコに鼻を近づけて、においをかいでみる。トイレでこんなことをするのは少し気がひけるが、甘いかおりがした。つまり、これは間違いなく本物であり、消しゴムではない。
机の中に入っていた手紙をもう一度読んでみるが、手紙をくれた人物の名前は書かれていない。名前をあえて書かなかったのは、チョコをもらった俺が「皆の衆、見よ! 神が創りし、奇跡の賜物、それが……チョコだぁぁ!」と去年みたいに教室内で騒ぐのを恐れたのかもしれない。去年の「バレンタインの悲劇」の犯人は結局分からなかった。どうせ男子生徒が俺をバカにするためにやったのだろう。しかし、今回の件は去年とは事情が違う。チョコをくれた人物は俺に特別な感情を持っていることは間違いない。その人物が俺の想定とは違った場合も考慮して、教室に戻ってもチョコのことは黙っておいたほうがいいだろう。
ラッピングを元通りに復元し、チョコが入った箱と手紙を内ポケットに大事にしまい、俺は教室へ戻った。
トイレから戻ると教室の自席につく。生徒の数は朝来たときから変わっていない。しかし、あと少しすれば登校する生徒も増えるだろう。
現在、俺とカケルをのぞけば女子生徒は三人。前方にその女子生徒たちの後ろ姿がみえる。俺は順にその背中を目でなぞった。
チヨコちゃん、レイ。二人はカケルと同じ吹奏楽部だ。……そして、野沢さん。彼女は漫画研究部に所属している。唇に指をあてながら思考をめぐらせる。俺はチョコをくれた人物を仮に「X」と呼ぶことにした。理由は特にないが、推理小説みたいでかっこいいからだ。
「この3人の誰かがX……」
思わずつぶやいてしまったが、俺はそのように結論づけた。もちろん根拠はある。
俺の学校では一番最初にきた生徒が職員室から教室の鍵を借りてきて解錠し、最後に下校する生徒が施錠する決まりになっていた。一年生のとき、俺のクラスで財布の盗難事件があった。その事件以降、朝と帰り、また体育などの移動教室がある場合、教室を施錠するきまりになっていた。
昨日の夕方、最後にこの教室を出たのは俺だ。数学の再々テストを教室で一人受けていたから間違いない。そのとき机の中にチョコなんて入っていなかった。そして、教室を施錠して帰った。
この施錠システムがあるため、昨日俺が教室を出てから今日の朝まで、誰も俺の机にはふれることができないはずだ。
以上のことから、教室を解錠した人物がXである可能性が高いと考えた。他にも想定外のケースがいろいろ考えられるが、今はテスト週間で吹奏楽部以外の部活動は活動していないため、学校内には生徒が少ない。つまりXの候補者は多くないはずだ。
チヨコちゃん、レイ、野沢さん、この3人の誰かが教室を解錠し、俺の机にチョコを入れたに違いない。
……だめだ、やっぱり気になる。放課後になれば、その正体は分かるだろう。でも、どうしても知りたい。
教室内の時計は8時10分を示している。クラス内はずいぶんにぎやかな雰囲気になっていた。俺はまわりにバレないように、Xを特定することにした。候補は3人。Xの目星はついている。しかしそれは論理的な推理からではなく、俺の願望から導き出されたものだ。
席を立つ。そして、クラスの絶対的マドンナであるチヨコちゃん……ではなく、レイのもとへむかった。
**
「おい、ゴリラ女」
レイは俺の顔を見ると、明らかに不機嫌そうな顔になった。
「誰がゴリラ女よ。」
俺はレイの隣の席に座る。窓際の壁にもたれかかると、レイは俺の方を向いて目を細めた。窓から差し込む光がまぶしいようだ。「カーテン閉めてよ、ばか」と言われたので、ばかは余分だろと思いながら、窓際のカーテンを閉める。すると少し離れたところに座っていたチヨコちゃんが「ありがとう」と言って、俺の方を向き、優しく笑ってくれた。俺はうれしくなって、両手をぶんぶん振る。レイはあきれ返った顔で俺を見ていた。
俺はわざとらしく満面の笑みでレイを見つめる。
おまえが俺にチョコをくれたんだろ?まぁ、恥ずかしい気持ちも分からんでもない。でも大丈夫、クラスのやつらに言ったりしないから。さぁ「チョコを机に入れたのはわたしです」って言ってごらん? そういう意味合いを込めた視線をレイに送る。
「なにニコニコしながらこっち見てんのよ……きもちわるい……」
レイ、もっと自分の気持ちに素直になれよ……まぁ、人のことは言えないけど。
レイとは家も近く、中学も一緒だったため付き合いは長い。中学時代のこいつは、吹奏楽部のくせに運動部みたいな短い髪型で、そのうえ気が強く、俺とはよく言い合いのケンカをしていた。そうこうするうちに、俺はレイのことを「ゴリラ女」と呼ぶようになった。さらに同じ高校に入学し、2年連続で同じクラスだった。
「ちょっと耳をかせ」
チョコをくれたのはレイだろ? そうやって聞いてしまった方が早いと思った。
俺は壁から背中を離し、身を乗り出してレイに近づこうとするが、レイは肩をビクッと震わせて俺から距離をおいた。
「ちょっと! 近づかないでよ」
なんだよ、中学時代だったら「面白い話じゃなかったらぶっとばすわよ」とか言って、嬉しそうに近づいてきたくせに。レイは肩まで伸びた髪を手で整えている。高校に入学してから、髪を伸ばしているようだ。それにさっきレイに少し近づいたとき、あまいかおりがした。香水でもつけているのだろうか。
「高校生になったからって、色気付きやがって……」
心でそう言ったつもりが、つい口にしてしまった。それがレイに聞こえたらしく、俺の肩にするどいパンチが飛んでくる。
やっぱりこいつはゴリラ女だ。こんなゴリラ女でも男子から人気があるのだから、世の中不思議なものだ。修学旅行の夜「チヨコ、レイ、どっちがかわいい論争」は予想外に大激論になって、俺たちは朝になるまで議論をかわした。結局、話はまとまらず、最後は挙手制の多数決で決着を試みた。信じられないことに、結果はまったくの同数だった。
「いってぇな。殴るなよ……えーっと……それじゃあ、朝学校に来て、教室の鍵をあけたのはレイだろ?」
少し遠回しに聞いてみることにした。
「なんで……トモヒサがそんなこと聞いてくるのよ?」
「いいから教えろよ。おまえだろ?」
ふと視線の先でカケルと目があう。すぐにカケルは俺から目線をはずした。「チヨコ、レイ、どっちがかわいい論争」を思いだす。そういえば、カケルはレイの方に手をあげていた。再び視線をレイへと戻す。
「野沢さん」
レイは、俺がまったく予想していなかった人物の名前を口にした。
「え? ええ?」
思わず、情けない声がでてしまった。
「あたしとチヨコ、吹部の練習が終わって教室にきたとき、野沢さんがいたよ。だから教室の鍵をあけたのは野沢さんだと思う」
レイが野沢さんの名前を言ったとき、肩から力がぬけてゆくのが分かった。
カケルとレイが付き合っているという噂を思い出す。
「もういいでしょ、あっち行って!」レイにそう言われて、俺は会社帰りの疲れ切ったサラリーマンのようにふらふらと自席に戻った。
机につっぷしてうなだれる。内ポケットに入れたチョコがつぶれてしまわないように気をつけた。人生は思い通りにいかないものだ。
俺にチョコをくれたのは……つまりXは野沢さんだった。彼女は漫画研究部に所属しており、漫画やアニメに精通している。好きな漫画が共通だったこともあり、1年生の入学当初から漫画のことやアニメのクオリティについて議論をかわしていたのだ。彼女と話すのは楽しかった。周りの男友達は野沢さんのことを「可愛くない」と酷評するが、俺はそうは思わない。メガネの奥に見える瞳は豆粒みたいに小さくて可愛らしい。修学旅行のとき「トモヒサ、写真とってよ」と野沢さんがそう言うので、言われた通りに俺が写真をとってあげようとすると「わたしと一緒に写るんだよ? ねぇ、分かってる?」と顔を真っ赤にして泣きそうな顔をしていたのが印象的だった。まさか野沢さんからチョコをもらうとは……女の子の気持ちは分からないものだ。
そのあとすぐ、レイが席から立ちあがるのがみえた。そして、カケルの方へと小走りでむかい、そのまま教室の外へ出て行った。あぁ、やっぱりそうなのかと俺は納得する。
その後の授業はまったく集中できなかった。授業を聞いていないという点では普段と変わらないかもしれないが、ぼーっと黒板の方をながめて、同じようなことをぐるぐると考えていた。野沢さんがくれたチョコのこと、そして、レイとカケルの関係についてだ。
ドン!
「おっと、わりぃな」安藤先生は手から黒板消しを落としてしまったらしく、申し訳なさそうに拾う。ヤクザの風貌をした先生が謝るのはなんだか違和感があった。そう感じたのはみんなも同じのようで、先生が黒板消しを拾う動作をただじっと心配そうに見守っていた。
そのとき俺はハッと気がついた。
かつてニュートンはリンゴが木から落ちる様子をみて万有引力を思いついたという。俺は安藤先生が黒板消しを落とす様子を見て、ある考えにたどりついた。
今の俺は、なんだか俺らしくない。いろんなことを深く考えるのは昔から苦手だ。みんなからよく単純とか言われるが、単純でいいじゃないか。
さきほどの安藤先生に感じた違和感を思い出す。先生は見た目がヤクザだ。
「おい、昼飯くった後だからって眠そうにしてんじゃねぇぞ!この音で少しは起きただろ!」と言うのがいつもの先生だ。それなのにさっきみたいに俺たちに謝るのはおかしい。普段と違う言動は、周囲の人間を不安にさせる恐れがある。今こうして俺が一人で悩んでいることだってそうなる可能性がある。
俺は俺らしく。単純に考えろ。俺ができること、やるべきことはなんだ?
レイとカケルが恋人同士なら、俺はどうすればいい? そんなことは決まっている。友達として、これまでと変わらず2人と接するべきだ。
俺が今、向き合うべき相手は誰だ? それは野沢さんだ。彼女に対して、しっかりと俺の気持ちを伝えよう。たとえそれが野沢さんを傷つけてしまうような結果になってしまっても。そして、明日も野沢さんに話しかけるんだ。これまでと変わらず、これからも友達でいられるように。
俺が一人でうんうんとうなずいていると、安藤先生は「トモヒサがめずらしく起きてるじゃねぇか。よし、この問題分かるか?」と質問してきた。俺はスッキリとした表情で答える。
「その問題はまったく分かりませんが、俺はあるひとつの真理にたどりつきました!」
安藤先生は「ほう」と、髭を手でさわりながら、色付きのサングラスごしに俺をみつめた。その目は、極道の世界に生きる人間のそれだった。
「今朝うけた英単語の追試、不合格だからな。真理にたどりつく前に、もっと勉強しろ!」
「やっぱりその感じの方が先生っぽくて好きです」と俺が言うと、安藤先生は照れくさそうに黒板の方を向いてしまった。クラス内で笑いがおきた。
あっという間に時間はすぎて、下校時間になった。生徒は次々と帰宅してゆく。テスト期間中は部活もないため、下校する生徒は多い。
待ち合わせの時間が近いことを確認し、俺は屋上へとむかった。もう頭の中に迷いはなかった。
**
屋上への扉を開くと、冷たい風が頬にふれる。夕日が西にかたむき、屋上から見える景色は橙色に染まっていた。
トモヒサはまだ屋上に到着していないようだった。転落防止用のフェンスに手をかける。校庭付近には、下校する生徒が不連続な波をつくっていた。
トモヒサに対して特別な感情をもつようになったのは一年生のときだ。クラス内で財布の窃盗事件が起きた。当初それは大きなさわぎになって、クラス内は殺伐とした雰囲気になった。それに至るまでの途中経過は思い出したくもないが、「一番はやく学校にきたやつが怪しい」という理由だけで犯人扱いされた。みんなから疑惑の目が向けられて、泣き出したくなるような気持ちになった。そんなとき、救ってくれたのはトモヒサだった。
「誰も盗んだところなんて見てないんだろ? こんな雰囲気、やめようぜ」
結局、財布は盗まれておらず事件はあっけなく解決した。トモヒサは「よかったな! まぁ、財布をしまった場所なんて、うっかりしてると忘れちまうよな!」と笑い、財布がなくなったと言っていた生徒は恥ずかしそうに笑っていた。彼はその生徒が批判の対象にならないように気を遣っていたのだ。彼はいつも周囲の人間に気を遣っている。教室内が重苦しい雰囲気になると、トモヒサは冗談を言って和ませてくれる。すると、教室内の空気はあたたかく、優しいものへと変質する。彼を中心として、教室内に灯がともったように感じる。
1年生のバレンタインデーのとき、こっそり彼の机にあるものを入れておいた。本物のチョコをいれようかと思ったが、その勇気がなかった。もしチョコを渡せば、トモヒサはきっと驚くだろう。これまでの友達という関係が壊れてしまうのではないかと思うと怖かった。そこで、雑貨屋で買った消しゴムのチョコレートを入れておいた。
机の中に入っていた物が本物のチョコではないと分かるとひどく残念そうにしていたが、怒ることもなくその消しゴムをずっと大事に使ってくれた。そのとき、クラスのみんなに「来年は、消しゴムじゃなくて本物のチョコでいいからな!」と言っていたから、もし来年も同じような気持ちだったときは今度こそチョコをつくって渡そうと考えた。結局、1年経っても気持ちはかわることはなかった。それどころか想いはますます強くなるばかりだった。
2年も彼と同じクラスだった。修学旅行では、二人で写真を撮った。「写真をとろうよ」というと、トモヒサはすこし恥ずかしそうにしていた。その写真は大切な思い出として大事にとってある。
今日、朝いちばんに教室に入ってトモヒサの机にチョコと手紙を入れた。
ついにチョコを渡せるという喜びと、取返しのつかないことになるのではないかという恐怖が交互に押し寄せてきて、手紙に自分の名前を書くことができなかった。後になって自分の気持ちを伝える勇気がわかなかった時のために、保険をかけておいた。
ギィ、とドアノブがまわる音が聞こえる。ゆっくりと、確認するかのように扉が徐々に開く。
自分の心拍数が急激に上がってゆくのが分かる。大きく息をすって、ゆっくり吐く。だめだ、まったく効果がない。
トモヒサと目が合う。一瞬驚いたような顔をした後、ピンとはっていた糸がたゆんだような表情へと変わる。
「あれ……?」
どうやら、想定していなかった人物が屋上にいるため、状況がつかめていないようだった。
レイじゃなくて、ごめんね。心の中でつぶやいた。
「どうしてカケルがここにいるんだよ?」
あたりをキョロキョロと見回しながら、トモヒサは僕に近づいてきた。
「なぁ、えっと……まぁ、詳しいことは聞かないでほしいんだけど、野沢さんをここで見なかったか?」
「ここには来てないよ。それに、野沢さんなら帰っていくのを見たよ」
僕がそう言うと、トモヒサは首を傾けて困っているようだった。
今朝、ホームルームが始まる少し前、レイが僕のところに来た。ちょっと来てほしいと言われて音楽室へと向かった。
そこでレイと話した内容を思い出す。
**
「え!? 手紙に名前をかかなかったの? ごめん……あたしまずいことをした。あのバカ、いきなりわたしのところに来てニヤニヤしたり、教室の鍵を開けたのは誰だ、とかしつこく聞いてくるから……。とっさに野沢さんって言っちゃった。あいつ、野沢さんからチョコをもらったって勘違いしたかも……」
レイには僕の気持ちについて、すべて話してあった。今日、チョコを机に入れることも相談してある。今朝、朝練が終わってすぐに僕が教室の鍵をあけた。そのあと野沢さんがやってきて、レイとチヨコちゃんが教室に入ってきたのだ。
「ねぇ……僕は、気持ち悪いかな」
レイは一瞬驚いたような表情をしてうつむいた。しかし、すぐに僕の方を見上げて言った。
その瞳があまりにもまっすぐで力強かったため、僕は引き寄せられるように彼女を見つめた。
「わたしは気持ち悪いなんて思わない。絶対に。ただ、カケルの気持ちをトモヒサが知ったら、あいつは驚くと思う。でも、カケルが心配しているようなことにはならない。わたしは、あいつになら言ってもいいような気がするんだ」
レイの言葉には確信に近い感情がこもっていた。あいつになら言ってもいいような気がする、その言葉の背後にある、二人が一緒にすごしたであろう時間の蓄積を感じる。
「……そうだね。僕も、そう思う」
「もし、トモヒサがカケルを傷つけるようなことがあったら。わたしがぶっとばしてあげるよ」
レイは笑ってそう言った。
僕はバカだ。
トモヒサのことを特別な感情でいつも見ていたから、彼がレイのことを好きだということはすぐに分かった。でも、レイがトモヒサのことを好きだということに、愚かな僕は気づいていなかった。彼女に僕の気持ちを相談したあと、そのことにようやく気付いた。レイはどのような気持ちで、励ます言葉を送ってくれているのだろう。
「教室に戻ろっか」
そう言われて、彼女と並んで教室に戻った。
**
「野沢さんじゃないなら……じゃあ、誰だよ……」
トモヒサはぶつぶつ言いながら僕のほうへ近づく。そして、急に走りだしてそのままジャンプし、フェンスにしがみついた。その後、得意気な顔をしながら僕の横に立つ。あの距離からよくここまで飛べるな、と感心する。僕は運動が苦手だから大きな跳躍をしたトモヒサが自分と同じ肉体構造をしているということが信じられなかった。しかし、僕とトモヒサは生物学的には同じ、男に分類される。この世界では、男は女と呼ばれる生物を愛さなくてはいけない。誰が決めたかは分からないが、それが定められたルールだ。
僕はそのルールを破った。その代償は大きい。僕ひとりがルールを破ったため、レイとトモヒサの関係まで壊してしまった。
僕が抱いている、胸がしめつけられるようなこの気持ちが正しい方向に向いていたなら、そう考えることがよくある。つまり、例えば僕がトモヒサではなくレイのことを好きだったなら、問題はなかっただろう。トモヒサはレイのことが好きだから、2人が同じ相手を好きになってしまうことになるが、僕は喜んで2人を祝福するだろう。いつものように口喧嘩をする二人の横で「まぁまぁ、仲良くしなよ」と言うのだ。そして、同じ方向へ帰る2人の後ろ姿を僕は見送る。そんな場面をよく想像することがある。
「なぁ、カケル……」
夕日に照らさたトモヒサの横顔を見る。教室内で冗談を言うときの顔とは違う。髪は短く整えられており、精悍な顔つきだった。
「……レイのことだけどさ。俺、応援してるから。だからさ、俺に気をつかわなくてもいいからな?」
空を見上げる。真っ赤に染まった空は、少しづつ夜の気配を帯びていた。
少しでも気をぬけば、涙があふれそうだった。間をおいて気持ちを落ち着かせる。
「去年のバレンタインのこと覚えてる? あの消しゴム、入れたのは僕なんだ」
トモヒサの顔は見ていないが、僕のすぐ横で驚いた顔をしているだろう。
「それと、今朝トモヒサの机にチョコを入れたのは、僕だ」
ゆっくり息をはく。自分が一番大切にしたいものを思い浮かべた。
「去年よりも、今年は手が込んでただろ? 一日ずっとトモヒサを見ていたけど、あまりに面白くて笑ってしまいそうだったよ」
「うそだろ!? え……あれカケルがやったのかよ!?」
僕が笑いながらうなずくと、トモヒサはフェンスをにぎりしめて「ヴァレンタィンのバカヤロー!」と叫んだ。
校庭で下校指導していた安藤先生がその叫び声を聞いて、屋上の僕たち2人に気付いた。
「やべぇ、組長に気付かれた! おい、カケル! 帰るぞ!」
僕たちは誰もいない校舎内を走り抜ける。
僕は家に帰ったら泣くだろう。屋上で見たような、真っ赤な夕日を見るたびに、僕の胸はしめつけられるだろう。でも、それでもいいと思った。
僕が一番大切にしたいもの。一番大切にすべきもの。それは、僕のことを一番に思ってくれる、トモヒサとレイだ。
トモヒサは廊下を走りながら、また「ヴァレンタィンのバカヤロー!」と大きく叫んだ。僕もそれをマネして大声で叫んでみる。
静まりかえった校舎が、僕たち2人の叫び声をひっそりと聞いていた。
内容が内容なので、不快に思った人がいましたら、ごめんなさい。感想がありましたら、どんな感想でも結構です。ぜひ、聞かせてほしいです。
あと、この話を書くきっかけになった出来事を書きます。
最近、2人の友達から別々に恋愛相談を受けました。話を聞いてみると、どうやら同じ女の子を好きになってしまったようでした。
その2人は自分のことしか考えていませんでした。どうやったら女の子の気持ちを自分に向けることができるだろう、そんな相談でした。まぁ、現実なんてこんなもんです。
そこで僕は思いました。
それぞれが自分の気持ちを押し殺して、相手のことを最優先にするような登場人物がいたらなぁ、と。
恋愛小説なんて書いたことがないので、つっこみどころが満載ですいません。
読んでいただき、ありがとうございました。