隣の芝生と見えない才能
”普通”とは何か、”正しい”生き方とは何か。
知らず知らずのうちに皆と同じように生きていることが当たり前になっていませんか?
とまあそんな大それたことは思ってませんが、生きている自分は自分でしかないことを改めて知ってもらいたいですね。
「ん・・・朝か・・・」
窓から入り込まんとする光を遮るためのカーテンが、職務怠慢しているようだ。
カーテンの端からわずかながらに差し込む陽気な光は、この陰鬱な部屋にはそぐわない。
ぼさぼさに乱れまくった前髪の奥に見える時計の針は八時を指している。
「はぁ~~~、無駄に優良児なんだよな。起きる時間は・・・」
学生という身分でありながら、俺は平日のこの時間にリビングでのんびりと朝食をとる。
決して、遅刻魔だとか一分で学校に着けるというわけではない。
ーーー俺は不登校児だ。
別に特別な理由なんてない。
ただ周りより少し劣っていて、ただ周りに少しいじめられただけの引きこもりである。
不登校を続けて半年が経つというのに、いまだに朝はこの時間に目が覚めてしまう。
毎日毎日、誰もいないリビングには朝食しかとれない俺の体を気遣ってか、野菜マシマシのヘルシーな朝ごはんが用意されている。
つけっぱなしにされたテレビからは朝のニュースがつらつらと耳を通っては抜けていく。
仕事に忙しい父も、主婦に働く母も、汚れを知らない幼い弟も今の俺を腫れ物のように気遣っている。
にこやかに話すお天気お姉さんに嫌気がさし、テレビの電源を消す。
「はぁ・・・ごっそさん」
誰も聞いていない部屋で、誰にも聞こえない声でそう呟いた。
ピンポーン、ピンポーン。
何をするでもなく二度寝に決め込んだ俺はドアチャイムの音で二度目の起床をする。
無意味に時間が過ぎ、すでに夕方。
宅配でもきたのかと欠伸をしていると、一つじゃない足音が階段を上ってくるのが聞こえた。
まあ自分には関係ない、と思い込んでいた俺はコンコンとなるノックに驚いてしまった。
「・・・何?」
「あなたにお客さんよ」
端的に母の声でそう説明される。
(今の俺にお客とか・・なに、死神?)
返事をする間もなく扉は開けられ、学生服を着た人物が暗い部屋に入ってきた。
「よっ!久しぶりだな、ゆー」
顔を見せたその人物は、俺のよく知る人物だった。
(ははっ、これなら死神が来てくれた方がよかったな)
「部屋暗いから電気つけんぞ?」
返事を聞く前にこいつは部屋の電気をつける。
母といいこいつといい、了承を得てから行動してもらいたいものだ。
「んで、何しに来たんだよ」
「なんだよ、ダチが遊びに来ちゃいけないのか~?」
へらへらと楽しそうにそいつは、亮はそう言ってきた。
丈にあったブレザーを脱ぎ、亮は俺の前に座る。
「なあ優斗、お前学校行ってないらしーな」
語気は強くなくとも、亮が真剣にそう聞いているのが分かった。
小中と一緒にいてこいつが優斗という時は、いつも真面目に話をするときだけだった。
「・・だったらなんだよ」
「否定はしないんだな」
確認で確証を取ってきた亮に、自分の心内まで見透かされているようだった。
「・・ああそうだよ。学校なんざ半年も行ってねぇよ!どうせあれだろ、学校に行けとかなんとか言いに来たのか?お前も暇だな!」
冷静な亮とは反対に、俺は頭に熱が上り言う気もない言葉すら口に出してしまっていた。
「くだんねぇお節介なんざいらねえぞ?もうクソ先公に飽きるほど言われてるからな、そんなの聞きたくもない。お勉強のできるお前には、何にもできねぇ俺の気持ちなんかわからねえよ!」
言い終わったころには俺は息を切らして後悔していた。
俺の耳には、俺に繋がった数少ない糸が切れる音が聞こえた気がした。
「いや、そんなこと言いに来てんじゃないよ?」
「は?」
「むしろ俺は学校辞めるように言いに来たんだよ」
「はあ?」
俺は亮が何を言いたいのかがさっぱりわからなかった。
「いいか、高校の学費もタダじゃないんだぞ。行く気がないならそもそも行かなきゃいいんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。亮、お前は何が言いたいんだ?」
学校へ行くようにと学校の先生も、親も、そして自分自身すらもそう言うものだと思っていた。
だがこいつは、この友人はそうではなかったようだ。
「簡単にいうとだな、今のお前には学校に行く才能がなかったんだ。だから、今の道はあきらめろ」
「いやわかんねぇよ!?」
本当にわからなかった。
普通友達なら、引きこもった友人をなんとか普通の道に引き戻すものじゃないのか?
「お前、もしかして学校に行っていい企業に就職することが”普通”だと思ってないか?」
「違うのか?」
「いや、違わないけど」
「どっちだよ!!」
亮が何を言いたいのか、本当にまったくわからない。
「学校行って就職して、これは所謂普通だが別に”正しいこと”じゃない」
「じゃあ、お前が学校行ってるのは間違ってるのかよ」
普通に学校に行くことが正しくない、それなら学校に行っていることは間違いである・・短絡的に俺はそう思った。
「そうじゃない。”正しい”ってのは”自立して生きる”ってことだ」
「それなら、お前はなんで学校に行ってるんだよ!?」
普通が正しくなく、普通に行ってることは間違っていない。
亮が優斗に言いたいことが、優斗にはまだわかっていない。
「俺は”普通”に生きる才能があっただけだ。普通に学校に通い、そこそこ勉強ができて、まあまあ部活に取り組んで、有意義に自分の時間を過ごす。多分このまま企業に就職して、おそらくお嫁さんができて、いつかは子供なんかできて、さっくり死ぬんだろう。そうやって100人が99人進む道を歩く才能が、俺にあっただけだ」
亮は”普通”に生きていくことが才能だと言っている。
誰もができていることが才能だと。
「・・それなら、俺はどうすればいいんだよ。どうやって生きていけばいいんだよ?」
「そんなん知らん!」
亮は初めて語気を強くしてそう言い切った。
「”普通”にいることが難しい奴らの半分くらいは”普通”に生きてるだろう。お前みたいに不登校になった奴が転校してその先で上手くやっていける奴もいるだろう。どう生きるかなんてそいつ次第だ。俺が、俺以外の奴の生き方を決めることはできない」
亮はすがるように聞いた俺を突き放すようにそう答える。
結局、俺はどうすればいいかわからないままだった。
「・・俺は、どうすればいいんだよ。お前みたいに生きるには、どうすれば・・・」
「優斗・・お前は話を聞かん奴やな」
亮は俯いた俺の顔を両手で鷲掴み、前を向かせた。
「お前が、お前の生き方を決めるんだよ!」
亮の言葉は、真っ直ぐ俺の心に飛び込んできた。
「お前が決めていいんだよ。やりたいことも、やりたくないことも、全部!お前の人生じゃねーか、お前がやりたいようにやっていいんだよ!」
そう言って亮は俺の顔から手を離した。
下を向いた顔からは溢れる涙がポロポロと零れていた。
「そんで、お前がそんな時に上手くいかないなら愚痴も聞いてやるし、飯くらいも奢ってやるよ。俺たちは友達なんだからな」
揺れる視界の奥は、はにかんだ亮の笑顔がとても眩しかった。
俺と亮とを繋いでいた糸は、どうやらまだ繋がったままだったようだ。
「-母さん、ちょっといい?」
優斗は赤く腫れた目に決意の意志を持ってそう話しかけた。