では異世界を覗いてみましょう
この村には冒険者ギルドの専用宿舎があります。
その宿舎の一室で、
一人の少女が目を覚ましました。
彼女の寝相は悪くないようで、
長くてきれいな黒髪に目立った乱れはありません。
彼女はベッドに寝転がったまま、大きく伸びをします。
固まった体の筋が伸び身体がほぐれます。
そして気持ちが解放された気分になりました。
彼女は特にあやしい薬をヤっている訳ではありません。
ガバっと上半身を起こして、辺りを見渡します。
冒険者ギルドの宿舎の一室、
簡素な作りの部屋ですが、
野宿するよりかそこそこマシな程度の設備が整っていました。
彼女以外には誰も居ません。
彼女がこの部屋を占有していました。
それでは、
あの大きなタンスの中に男の遺体があって、
彼女はその肉の塊とルームシェアをしているのでしょうか?
彼女はそう言ったタイプの人間ではありません。
窓から優しい日の光が差し込んでいました。
少し窓が開いていたのか、
爽やかな朝の風が入り彼女の綺麗な黒髪を揺らします。
透き通った心地よい風を全身に浴びて、彼女は瞳を閉じました。
二度寝をするわけではありません。
この瞬間のこの世界を身体で感じているのです。
すると、ぐううう、と少し間抜けな音が鳴りました。
彼女は顔を赤めてお腹をさすります。
だいぶ長い時間を睡眠にとっていたのか
彼女はお腹が減っている様でした。
彼女はベッドから身体を起こして鏡の前に立ちます。
外出の準備に取り掛かりました。
長くて綺麗な黒髪を一つに束ねて、
そして横に流します。
あまり防御に期待できない、
お情け程度の胸当てを付けます。
ブーツの上から脛当てを巻きます。
これもお情け程度です。
両腕にはよく使いこまれている鉄の手甲を付けます。
これは少し防御に期待ができそうです。
地味な色のローブを羽織ります。
フードが付いていて雨が降った時にはこれを被ります。
あとカッコつける時とかにはフードを深くかぶります。
そのローブの上から大きなベルトを腰の部分に巻いて、
華奢な彼女には少し野暮ったい鉄の剣を下げました。
これで準備は完了です。
これが初級冒険者の基本装備になります。
それでは出掛けよう、
と鏡の前から立ち去ろうと彼女はしましたが
一つ忘れている事がありました。
彼女は鏡の前に戻り、
鏡に映る自分に向かってニコッと笑顔を見せます。
これで本当に準備は完了です。
彼女はついうっかり、笑顔を忘れる所でした。
彼女はクールな見た目の印象と違って、
笑顔の似合う素敵な女の子でした。
…
…
…
…
…
冒険者ギルドの宿舎を出ると、
そこにはすでに人が賑わっていました。
彼女は決して寝坊をしたわけではありません。
沢山の食材が乗った荷車を引いている商人、
立派な装備を身に纏った男女の一団、
水瓶を頭に乗せて器用に歩く中年女性、
魔法の薬が入った瓶を両手に抱えて急いでいる人、これはあやしい薬ではありません。
これから始まる一日の準備に取り掛かっている人達で賑わっていました。
冒険者ギルドの支社があるこの場所は、
一応「村」になります。
村と言うにはかなり大きく、
設備が整ってあり、
それ相応の街とそう変わりません。
ここの村長が有力者と血縁関係にあって
色々と黒いウワサが飛び交っているのですが、
それはきっと関係の無い事でしょう。
元々は辺境と呼ばれた地域の村ですが、
大胆な道の開通によって一応の物流拠点になりました。
物が集まる所にはお金が集まります。
お金が集まるところには勿論人も集まります。
そして人が集まるところには冒険者が沸いて出ます。
そのためこの村はここまで大きくなったのでしょう。
彼女は颯爽と歩き出しました。
彼女は駆け出しですが冒険者です。
冒険者にはその熟練度合によって
S、A、B、Cと順にランク付けがされています。
Cクラス…駆け出しの冒険者、彼女はここに分類されます。
Bクラス…中堅どころの冒険者、ひな壇だと大体二列目です。
Aクラス…上級の冒険者、かなり地位が高いです。街ではデカい顔をしています。
Sクラス…高難度クエストを数多く乗り越えてようやくたどり着くクラスです。
SSランクなる存在もあるようですが、
数々の伝説を残した冒険者にしか与えられない特別な称号です。
過去数名この地位に上り詰めた冒険者もいたようですが、
存命の冒険者ではこのランクに位置する人はいないようです。
そんな冒険者である彼女が向かう先と言えば、
クエストの受注ができる冒険者ギルドの支社しかありません。
彼女は今日こそ自分と相棒との目的そして使命を着実に進めていくつもりです。
彼女はわき目も触れず颯爽と歩きます。
屈強な男性冒険者の横を通り過ぎます。
その冒険者は彼女に話しかけようとしますが、
勿論彼女はわき目を触れる事はありません。
自己主張の強いお金が掛かっていそうな
甲冑を纏った冒険者が話しかけようとも彼女は相手にしません。
彼女はわき目も触れず颯爽と歩きます。
彼女の後ろにはその可憐な姿に心奪われた
冒険者たちが呆然と立ち尽くしています。
彼女はそれほど美しかったのです。
彼女が通った道後には
キラキラとした人を惹き付ける不思議な何かがあるのかもしれません。
ナメクジが這った後にも似たような現象が起こりますが、
彼女のそれは真逆の物です。
そんな彼女は颯爽とわき目も触れず
目的の冒険者ギルドへ向かいます。
ですが、露店が立ち並ぶ道に差し掛かった時、
急に彼女は立ち止まりました。
果物を売っているお店に興味をそそられたようです。
彼女はわき目を触れていない様に見えましたが、
実はわき目を触れていたのです。
彼女は視線を悟らせない様に
相手を見たりするのが特技でした。
見ていないようでいて、良く見ています。
彼女はお店の前に行き黄色くて丸い形の果物を一つ手に取ります。
朝露か、もしくは店主が演出で水を撒いているのか分かりませんが、
つやつやしてとても美味しそうです。
彼女は空腹の事を思い出して一つ購入しようとしました。
すると、露店の店主がお代はいらないから持って行けと、
気前のいい事を言ってくれました。
鼻と口の間が長くて変な顔をしているので、
女性に弱いタイプの店主なのかもしれません。
下心が丸見えでした。
店主のご厚意に甘えて一つ彼女はその果物を貰う事にしました。
その丸い果物を手に取りクルクル回して観察してみました。
彼女は一瞬悩みます。
どこをどう剥いたら正解なのかよく分かりませんでした。
お腹がすいていたこともあって
彼女はもう皮ごと噛り付いてみました。
空腹時は判断能力が低下します。
すると、柑橘系の果物かと思っていたのですが、
中身はバナナの様にしっとりとした滑らかな舌触りで、
仄かに優しい甘みがありました。
ボリュームもしっかりしていて、
空腹には丁度良くお腹を満たしてくれそうです。
でも皮は渋くて食べられたものではありませんでした。
この食べ方は正解ではありませんでした。
後には引けない彼女は
そのまま皮ごとペロリと食べ終えて食事を済ませました。
そして、当初の目的通り冒険者ギルドへ向かいます。
その道中いつもの老婆がいるのに気が付きました。
老婆は道行く人に声を掛けていました。
相手は自己主張の強い装備を身に纏った屈強な体格の者ばかり、
つまり、また冒険者たちです。
この村には掃いて捨てる程、
冒険者がいます。
老婆はペコペコ頭を下げながら
冒険者たちに頼み事をしている様でした。
でも冒険者たちはその老婆を軽くあしらっているようで
全く相手にしていません。
またか、と彼女は思いました。
彼女はクールな見た目の印象と違って
困っている人を見かけると放って置けない性質なのでした。
彼女は老婆に話しかけます。
それが何度目かの頼み事でも彼女は引き受けるつもりでした。
老婆の頼み事とはこうでした。
都会に働きに出ている息子に
毛皮のコートを作って送ってあげたいのですが、
最近村長が毛皮をここの村の特産品にしようと
大量に買い占めているらしく、
お店に中々出回らなくなっています。
自分で毛皮を取りに大型動物を狩りにいく訳にもいきません。
そこで冒険者さまに毛皮を取って来てもらいたいのです。
と言う事でした。
彼女はこの頼み事を快く引き受けました。
これでこの老婆の頼み事を聞いたのは………
集計の結果、3回目でした。