名前だけでも覚えてください
…
…
…
…
…
「───ってな感じが彼とのゲーム世界での出会いでした、…コー、スー」
署の喫煙場所は
警察職員の私用車駐車場の一角にある。
一之瀬はお気に入りのモッズコートを羽織って
壁に寄りかかりながらそう言った。
10月も中旬に入って朝晩はこのコートも
ある程度は違和感なく着られるようになった。
そんな、一之瀬の証言は置いておいて、
杉森は今一番気になる事を一之瀬に尋ねた。
「そのガスマスクは何処で手に入れたんだ?」
一之瀬は顔面を覆う無骨なガスマスクを着けていた。
M-65フィールドジャケットに
M-40ガスマスク、
彼女は今すぐにでも戦場を駆け抜ける覚悟があるのかもしれない。
「機動隊から借りたんです。この周辺に毒ガスが撒かれているようなので、…コー、スー」
咥えタバコの杉森を
ワザとらしく睨みつけながら一之瀬は言う。
喫煙所に向かう杉森に
「例の家出の話をしましょう」
と着いて来たのは一之瀬の方からだった。
「嫌味なヤツだな、ここは喫煙所だ。別にいいだろタバコくらい」
「タバコの煙は周囲の人にも悪影響を及ぼします!毒ガスを使ったテロに変わりありませんよ!!…コー、スー、コー…」
ガスマスクのレンズ部分から覗く瞳は
熱く使命感に燃え滾っている。
彼女はテロリズムの撲滅を訴えていた。
中々どうして彼女は市民の安全を守る警察の鏡である。
「悪かったな…、ふぅー」
杉森は吸い込んだ煙を無骨なガスマスクを着けた
一之瀬の顔面に向けて吹き掛けた。
とうとう喫煙者は安全な室内から
寒空の下へ追いやられる世界になりつつある。
しかも追いやられた先にまで、
戦闘服を着こんで体制側の人間が範囲を広げる。
だが、杉森はそんな相手に一矢報いてやった。
テロリズムとはこういう事を言うのかもしれない。
「うわっ!!ひどい!明らかに殺人未遂です!うわっ!タバコ臭い!!何これどこか漏れてます!不良品です!これだから通販はっ!」
そう言って一之瀬は
ガスマスクを強引に脱ぎ取り地面に叩き付ける。
痛み分けと言う事で、
杉森もまだ充分な長さのあるタバコの火を消した。
「そんな事よりも、どうなんだ?その後、彼の操作キャラクターは見つかったのか?」
「そ、捜査中です…、いやー、逃げ足の速い人でしてね!すばしっこくて敵いません…、話しかけようにもすぐに逃げられてしまうんですよ!…杉森さんの方はどうですか?何か分かった事とかありますか?」
当初はすぐに見つけ出すと豪語していた一之瀬だが
状況は芳しくなかったようだ。
杉森に話を振る。
「そうだな…、少しは動いているが、中々手が回せなくてな…」
「まっ!?自分から言い出した癖に!サボっているんですか!!」
「一之瀬はゲームしているだけだろ」
「何言っているんですか!私は必死に毎晩遅くまでゲームしているんですよ!もう毎日寝不足で…ふわあぁ…、ねむねむ…。それに好きな深夜アニメだって見れていないんですよ!!どうしてくれるんですか!」
恐らく普段の彼女の生活リズムとそう変わりは無いだろうが、
確かに言い出しっぺは自分なので
杉森は文句を言えなかった。
「まあ、すまない。いつでも止めていいからな、所詮ただの家出だし無理して捜査する必要は無いからな」
天邪鬼な一之瀬にはそれは通じない。
「止める訳ないじゃないですか!冗談です、アニメは録画してから一気に見るタイプです!」
一之瀬は杉森に対して特別な思いがあった。
続けて言う。
「それに…、私たちの仲じゃないですか?」
微笑みを抱きながら一之瀬は言った。
「そんな関係になった覚えはない、好きなアニメの男の子はどうした?」
微笑みを抱きながら
一之瀬は杉森の話を流して言う。
「“キラキラコンビ”でしょ?私たち」
「何だよ?キラキラ…って?」
謎のワード「キラキラコンビ」
杉森は初めて聞いたコンビ名だった。
「ほら、私たちの下の名前…キラキラしてるじゃないですか、あれ、知りませんでした?杉森さんがいない時によく言われるんですよ?」
「……誰だそんな事言ってるやつ」
「キラキラコンビ」とは
部署内でも悪い意味で目立つ二人につけられた陰口であった。
「ああ、私も子供の時良く揶揄われたな…コーヒーだとか、ダ○クモカチ○プクリ○ムフラペチ○ノだとか、もう原型を留めて無い渾名だったな…、私としては自分の名前は気に入っているんですけどね…」
「だから誰だよ、そんな事言っているやつ」
「ところで杉森さんのお父さんは“海賊王”だったんですか?」
「だまれ」
「何ですかもう、“メラメラ”しちゃって…」
「遠回しにイジるな!」
「冗談ですよ、そんなに本気にしないでください。…ところで杉森さんはどんな捜査を?少しは動いているんでしょ?」
一之瀬は自ら脱線させておいて、
話を本題に戻した。
杉森は、「全く…」とつぶやき、
一之瀬の質問に続く。
「まあ普段の仕事の合間に彼の自宅周辺の監視カメラを調べている」
「へえ、根気のいる作業ですよそれ、…何か見つかりました?」
「いや、何も見つからない。まだそこまで件数を当たってないからな、それに何時頃を見ていいのか見当もつかない、手探り状態だ…」
海賊王の息子は怠慢王だったのだが、
杉森は意外と真面目に捜査をしていたようだった。
それを聞いて一之瀬は
ワザとらしく考え込むように
腕を組み小首を傾げながら言った。
「もしかして、彼はまだ一歩も家から出ていなかったりして…」
「…何だそれ?どういう事だ?」
意表を突いた意見に杉森は興味を示した。
一之瀬に身体を向ける。
「そうですね…、えー…、これは証拠も無い、んー、私の推測に過ぎませんが…」
一之瀬は、一歩、二歩、と行ったり来たりを繰り返し、
身振り手振りが大袈裟な
ベテランの頭脳派刑事の様に額に指先を当てて勿体ぶる。
ダボダボのモッズコート袖口から
「ピン」と人差し指が生えて来た。
「きっと彼は異世界へ転生したんですよ!…いや、思いつきで言いましたが、これは間違いありません!私そう言ったお話し大好きなんですよ!」
意表を突いた意見に杉森は肩を落とす。
何だか力が抜けた様だった。
「…真剣に話を聞こうとしたのが間違いだったよ、監視カメラは調べたばかりだぞ、まだ見つからなくって当然だ」
「分かってますよ、これも冗談です。あまり私の推理に期待しないでください」
あっけらかんと一之瀬は言った。
「そうだな、期待して損した」
「じゃあ、保護者の方はどうですか?杉森さん“彼女は何か隠し事をしている”って言ってたでしょ?」
「ああ、あれから何度か伺ったが余り良い感触は無いな、お前のせいだろ」
「うっ…杉森さんの指示ですよ」
「そんな指示をした覚えはない。ただ相変わらず彼女は挙動不審だな、隠し事をしているのは間違いない」
杉森は当初から女性の言動に疑問を抱いていた。
その疑問は確信に近づいているのかもしれない。
「ふーん、何回も言いますけど、ただの家出ですよ」
「そうだ、ただの家出だ、特に捜査しなくてもひょっこり本人は帰ってくるかもな」
少し間を空けて杉森は続ける。
「だが…」
「だが?」
「そう簡単な事で終わるように思えなくってな…」
10月も中旬に入り冬に近づきつつある。
ぼうっとしていたら時間だけ過ぎていく。
気を抜いていたらすぐに日が暮れる。
一日が短くなってきた。
黄昏時に入りつつある空を見ながら
黄昏る杉森に一之瀬はまた茶々を入れる。
「でました、刑事の感ですね!」
「また吐きそうとか言うなよ」
そう杉森は言って二本目に火を付ける。
一之瀬は急に静かになった。
「…………」
フグみたいに頬を膨らませ
鼻をつまんで息を止める一之瀬。
それを興味深く眺める杉森。
「…いつまで続けられるかな、ふうー」
「ぶはっ!うわっ!げほっ!ごほっ!能力は一つだけしか使えないはず!なんでモクモクの能力を!?」
「だから、そのいじり方は止めろ!」
何だかんだで二人は仲が良かった。