理由
森の中の青い屋根のお家には、猫の小説家ジャスミンこと、ミーシャが住んでいます。ミーシャが小説家であることは、飼い主の茉莉花には秘密です。
その日、ミーシャは念入りに毛づくろいをしていました。月に一度の動物病院の日だからです。
第三土曜日に動物病院に行くのは、茉莉花がミーシャを拾ってから、毎月欠かしたことがありません。家猫のミーシャにとって、外の景色が見られるこの日は、何よりも楽しみでした。
ミーシャは、お気に入りの毛布をペットケージに持ち込むと、そこでウトウトしはじめました。
…ある夜、仔猫が母猫とはぐれて、森の中で鳴いていました。母猫のお腹にうずくまって寝ていたはずが、袋に入れられ、森の奥に連れてこられて捨てられてしまったのです。理由は、仔猫が病気がちで、ミルクを吐き戻してばかりいたからでした。
鳴いて、鳴いて、ずっと鳴いていたら、若い人間の女の子が、仔猫を抱き上げました。仔猫は驚いて、思いっきり女の子の腕に噛みつきました。しかし、女の子は、優しく仔猫をなでると、暖かい毛布で包んでくれました。それが、ミーシャと茉莉花の出会いでした。
それ以来、茉莉花は病気がちのミーシャを毎月動物病院に連れていき、熱心に世話をした結果、あまり病気もしなくなりました。ですが、恒例となっている動物病院通いだけは続けていました。
ミーシャは、はじめの頃、茉莉花を警戒していました。ですが、読み聞かせのボランティアをしていた茉莉花が家で練習をしていると、ミーシャが興味を示して、絵本を覗き込むようになったのです。はじめは、ただ絵を追っているだけでした。ですが、何度も同じ絵本を読むうちに、ミーシャは少しづつ、文字を覚えていきました。そして、物語の中に、冒険の世界があることに気づき、自分でも物語を書きたいと思うようになったのです。
ある日、茉莉花が大学のレポートを書いていたときに、パソコンで文字が打てることにミーシャは気づきました。そして、茉莉花がいない日中に、物語を書き始めたのです。
はじめは、名前のない子猫が近所を散歩するだけの物語でした。それが後に、世界中を冒険するミーシャの冒険へと変化していきました。
いつしか、ミーシャの冒険はネットで話題になり、茉莉花も読者になりました。茉莉花はミーシャにも読み聞かせをしてくれましたが、照れくさくて、あのときの毛布にくるまり、寝たフリをしていました。
「こんにちは!」
玄関から、青森の声が聞こえました。青森は、ミーシャの冒険の担当編集者で、茉莉花の恋人でもあります。
ミーシャは、幼い頃の夢を見ていたのがむず痒くて、素知らぬ顔で毛布にうずくまっていました。
「ミーシャ、今日は青森さんが病院まで送ってくれるって言うから、一緒に景色が見れるね。」
茉莉花の笑顔は、全て見透かしているようで、何も気付かないようで、包み込んでくれるようで、ミーシャは大好きです。
「ミーシャ、いつまでも一緒にいてね。」
茉莉花は、ミーシャのペットゲージを抱きながら、そうつぶやきました。
ミーシャは知っていました。ミーシャが病気がちでも、元気でも、茉莉花はミーシャを動物病院に連れていくであろうことを。茉莉花よりも自分のほうが寿命が短いことを、よくわかっていたのです。
ミーシャは、動物病院へ向かう街の景色を脳裏に焼き付けるように眺めました。
この景色を物語にして、いつか茉莉花と離れても、二人で過ごした日常を茉莉花に残せるように。
物語はいつでも、二人の思い出であるように。
ミーシャは、大好きな茉莉花のために、小説を書き続けていくのです。
おしまい。