子作り? え? 交尾?
零は正直戸惑っていた。年齢がそのまま彼女のいない歴である彼にとっては相手が女性(と言っていいか雌と言っていいかと言ったところだが)を相手にどう接していいかわからないのである。
しかし最初に会った時と違い、今回は途中で誰かに呼び止められる事もないだろう。そんな中でこのまま黙ってるのも気まずい感じがする。
零は自然と手を伸ばし、頭を掻いていた。そうしてどうしようか考えあぐねていると、目の前の婚約者がクスクスと肩を揺らした。
「本当に変わらないですね。ちょっと安心しちゃいました。私の前だと口下手で……でもいつも優しい――」
零の身魂に何とも言えない感情が湧き上がっていた。照れくさいと言っていいのかもしれない。相手は人ではないが、喋る言葉がわかるというだけでこんなにも大差なく感じるものか。
「……実は私ワンヌヴオズイズヌ様にお願いがあるのです」
お願い? と零は心魂の中で首をかしげる。
すると婚約者は零の瞳を見つめ再び口を開いた。
「あの……今から部屋に伺ってもいいですか?」
◇◆◇
零は記憶を頼りに自分の、というか元の彼の部屋に向かった。後ろからは婚約者も付いてきている。さっき部屋にいっていい? という聞いてきた時は真剣な表情に見えた。何か大事な話があるのだろうと零は判断し、外で話したくないことなんだな、と彼女の申し出を受けたのだ。
零の部屋は集落の角側に位置する場所にあった。部屋といっても他のコボルトと基本的には変わらない。ただ英雄扱いされ婚約者もいるこのワンヌヴオズイズヌは、専用の住居を用意してもらっていたようだ。
だから他のテントでは何人かが暮らしてる中、彼は単独でいたことになるわけだ。
尤も記憶を探る限りでは、ドヌィがちょくちょく遊びに来ることはあったようだ。勿論目の前の婚約者もだが。
テントの中は部屋といっても特にこれといって目立つものはない。コボルト達が調度品などを持つことはないので、精々橋の方に多量の葉っぱが纏められているだけだ。
ちなみに寝るときはこの葉っぱを布団代わりにしているようである。
「え、え~と。て、適当に座って」
と立っている彼女を促す。座ると言っても座布団も椅子もないので地べたにそのままって感じだ。零はそもそも感覚がないから、腰に痛みを感じることはないが、コボルト達がどうなのかは判らない。
ただこれまでも会議で見る限りは、皆地べたに座っていたが腰を痛そうにしてる者はいなかった。もしかしたら毛がクッション代わりとして作用してるのかもしれない。
婚約者である彼女は、はい、と頷き地べたに座った。意外にも正座である。びっくりした。異世界にもこんな風習があるんだなと。
そしてふと心魂に湧き上がった記憶でも、コボルトの女性は正座をするという知識が湧いてきた。
ただ、よくよく考えてみたら雄はみんな胡座をかいていた。それに零も倣っていた。あまりに普通に行われてたことだったので、部屋にきて落ち着くまで気づかなかったが。
もしかしたら地べたに座るような生活を続けていると自然とそうなるのかもしれない、と零は考察した。
それから暫く彼女も零も何も喋らなかった。いや零に関しては喋れなかった。もしかしたら相手を犬だと思えば平気かもと思ったりもしたが、知識のある種族に、いくら見た目が犬とはいえお手などをするわけにはいかないだろう。というかそういう風に考える事自体が失礼だなと、頭の中で自粛したりもした。
とは言え、彼女の方から部屋に来たいと言っていたので、何か重要な話かと思ってた零からしたら少し拍子抜けした思いだ。
が、よくよく考えて見れば彼女はこの主の婚約者だ。ましてや零は先ほどまでゴブリンとの戦に出向いてたのだ。
婚約者であるならその間、心配で仕方ないというのが普通かもしれない。そんな彼が無事戻ってきたのだから、特に理由が無くても部屋に来るのは別に不自然ではないだろう。
と、色々と零が思考を巡らせていると。
「また……戦いに出られるのですよね」
クンッニャルヌガヴメが細い声を発してきた。心配という感情が伺えた。表情にも少し影が見え、毛並みも萎れた植物のようにクタッとなっていた。
「……可能性は高い。私は明日中には判断しなければいけないとは思っている」
ゆっくりと、そしてはっきりと伝わる声音で零は答えた。彼女はどこか物悲しげに顔を伏せている。そのせいか頭に付けられた天然の花飾りの色が妙に際立って感じられた。
何となく零がその髪飾りに意識をやっていると、クンッニャルヌガヴメは気がついたように頭を擡げ、そして右手で花飾りを撫でた。
「これ……覚えてますか?」
「……あぁ。忘れるわけないよ」
そう応えた。勿論これは彼の中の記憶だが。
「貴方は私の誕生日にこれを優しく付けてくれた。そして……結婚しようって照れくさそうに――私凄く嬉しかったのよ? だってずっと好きだったから――」
零はどこかこそばゆい感覚を覚えた。自分の事ではないのだがもし感覚が残っていたなら顔中……といより毛中が真っ赤になっていた事だろう。
実際目の前の彼女が真っ赤になってるのを見ると間違いないなと思う。
「そっちに……近くまでいっても、いい?」
今、零と彼女の間にはコボルト一体半分ぐらいの隙間があいている。彼女はそれを埋めたがっている。今現在は彼の身体を借りている零には断る理由がなかった。
クンッニャルヌガヴメは正座から少しだけ脚を崩し、そして零の側ににじり寄ってきた。
隣に座ると正座ではなく脚を少し斜めに崩した状態でその肩にもたれ掛かって来る。
これがもし零自身の身体で相手が女の子であったなら――そう考えると顔から火が出そうな気分だった。
「ワンヌヴオズイズヌ様……」
そう呼びかけ彼女が零の瞳を見つめてくる。毛と毛が触れ合うほどの至近距離に彼女はいる。コボルトの瞳は人と違って真っ黒だ。
だがその人と違う瞳も、この状況では人と同じようにうるうると濡れてきている気がする。
零は身魂が完全に硬直した。背中が無駄に張られている。支柱が背中から腰まで貫通したみたいだ。一体何をどうしていいか判らずにいる。
そんな彼に更に彼女の追撃が行われた。
「私――貴方の子供が欲しい」
キャッというのはその言葉を言った直後のクンッニャルヌガヴメの声だ。反射的に零が飛び退き肩から頭が外れてしまった為、彼女が傾倒したのだ。
「ご、ごめん……」
地べたに付けた両手で上半身を支えるようにして、零は少し後ろに体重を預ける形だ。謝ったのはバランスを崩したことに対してとその要望には応えられないという二重の意味があった。
だが、ゆっくりと上半身を起こした彼女は、立ち上がり、嬉しい、と一言口にする。
その意味が零はすぐには理解できないでいる。
だが、ふと動かした手が木の葉に触れたことで漸く理解した。彼等にとって布団代わりであるソレの側まで期せずして移動してしまったのを、彼女はOKだと理解してしまったのだ。
クンッニャルヌガヴメはやおら立ち上がり、着ているものを脱ぎ始めた。思わず零は顔を背けてしまう。妙に背徳的なものを感じてしまったからだ。と同時にコボルト相手に何してるんだ自分はという思いも湧いてくる。
「ワンヌヴオズイズヌ様……どうか顔をこちらへ……」
彼女はそう言うが、零は流石にその気にはなれない。勿論冷静に考えればコボルトが脱いだところで毛に覆われた肢体があるだけだ。別になんて事はないと思う。
だが、この身体は所詮は形骸化したものだ。中身は別物である。
「ワンヌヴオズイズヌ様、どうなされたのですか」
そう言いつつ彼女は零の首から肩にかけて腕を回してきた。もう完全にその気なのであろう。
零は、恐らくこれまでの人生においてこれほどまで動揺したことはないだろう。動いてないはずの心臓がバクバクしてるようだ。
だが勿論そんな行為に及ぶなど考えられない事であり。また筆おろしが獣姦だなんて! という思いもある。
しかし、冷静に考えてみればそもそもが無理な話であった。今の零はソレを機能させることなど出来ないのだから。
そう彼女が子を垂涎する気持ちも判らくもないが零はそれに応えること等が土台無理な話なのである。
「ご、ごめん!」
慌てながらわりと大きな声で叫んだ。両肩を掴み身から引き離す。
「どう、して、ですか? もしかして……私、何か嫌われるような事を――」
潤んでいた瞳は別な意味で潤みが増してきていた。明らかに悲しい表情を醸しだしている。ヤバイ! と零は思った。これまでなんとか記憶と知識で彼の立場を守ってきたつもりだが、こればかりはどうしていいかすぐには判断できない。
だが、コボルトとはいえ相手は女性だ。このまま悲しませてなるものか、と零は少ない経験の中からなんとか答えを見つけ出そうと必死に頭を絞る。
「そ、そのなんだ! 私はまだ戦いに出なければいけない身。それなのに、ここでそのような行為にふける事は他の仲間達の手前考える事が出来ないのだ。只でさえ先ほどの話し合いで若干私に不満を持ったものもいた。そのような状況で、その、だから……君の事を嫌いになったなどではない。それだけは理解して欲しい。勿論この戦いが終わったその時は――」
とにかく思いつく限りの言い訳を零は並べ立てた。もしかして無理がないだろうか? と心配もあったが、そんな零の瞳を彼女はじっと見つめ続けていた。真剣な表情で……いつのまにか悲しみも消え失せているようであった。
「……確かにその通りですね……私ったら貴方の立場もわきまえずこのような事を……本当にごめんなさい」
た、助かったぁああぁ、と零は心魂で胸を撫で下ろした。そして両手を付き深々と頭を下げる彼女に、いやいや、と手を振って、頭を上げて欲しいと頼んだ。
「……でも、嬉しいです。私の事を大切に思っていることが判って……」
そう言ってにっこりと微笑む彼女をみて零は照れくさそうに後頭部を掻いた。
「ただ、せめて一つだけ……今日だけでも一緒に添い寝しても宜しいですか?」
それぐらいならば、と零は承諾する事にした。その応えに喜ぶ彼女をみて微笑ましくも思った。
そして零と婚約者のコボルトは同じ木の葉の布団の上で夜を明かす事となった。
横になり暫くすると、彼女の寝息が聞こえてきた。こういった所為も人間のと大して変わらない。
零は何のけなく、隣で寄り添ってすやすや眠る彼女の頭を撫でてていた。毛や肌の感覚は何も伝わってこなかった。
天井を見上げるとただの闇だった。瞼を閉じても闇だった。
例え心魂を別の身体に宿してもその機能は回復することがない。それがコボルトだからなのか? いずれ人の身体に憑依する日がくればそれも回復するのか?
零には何も判らない。夜は長い。零は眠る事が出来ないからだ。だが、だからこそじっくり今後の事も考えられるだろう。
そう零にとって今は先の未来よりこの主の現在の方が大事なのだ。その為に考えなければいけない事がある。
翌日中には零自身が決断せねばならないことなのだから――