コボルトとの遭遇
最初の一組を倒した後は順調に狩りは進んでいった。
マウンテンボアが食事をとっているところに偶然遭遇、というのは流石にあれからはなかったが、ロックの熟練の勘で常に群れを先に見つけることができ、その都度先手を打つことで、拍子抜けするほどあっさり獲物は倒れていったのである。
ただ、別段この仕事が特別簡単だというわけでは勿論ない。
それでもこれだけあっさりと事が運ぶのは、ロックの腕によるところが大きいのである。
これが並みのレンジャーであれば、そう上手くもいかないだろう。
例え弓を持っていたとしても一発でこのボアを仕留めるのは困難であり、中途半端な攻撃は怒りを買うだけだからだ。
実際森に入って大怪我を負ったという村民はそれで失敗しているらしいのである。
「これでかなり片付いたとは思うがな」
四回目に遭遇したボアの遺骸を一箇所に積み上げた後、ロックが誰にともなく口にする。
零が昨晩調べた限りでも確かに残りの群れは一組、それは三匹で行動しているはずである。
だがその三匹は最初に相手にしたマウンテンボアとは違い、かなり厄介な可能性があることを零は知っている。
それでもロックとふたりであれば大丈夫だろうと思ってはいる零ではあるが――
「まぁだがまだ時間はあるしな。トイは疲れは大丈夫か? 少し休んでもいいが」
「いえ、僕はまだ全然いけます。それに出来るだけ早く片付けてしまったほうがいいでしょうし」
零の言葉にロックは強く頷き、そうだな、と森の移動を再開する。
藪の中を掻き分け、西側を慎重に調べていくロックだが、ある開けた箇所で動きを止め、ボアがいた痕跡に目を向ける。
「こいつは――ちょっと前までこの辺りにいたようだが……だが」
ロックは腰を屈め顎に指を添え何かを思案する。
どうやら異変に気がついたようだ。
そうであれば零は、こちらから注意を呼びかけなくても大丈夫か、と考えるが、その時マウンテンボアの鳴き声が森中に響き渡り、周囲に潜んでたらしい野鳥が一斉に飛び立った。
「この声は!」
ロックが緊張の声を上げる。
それに零も顔を引き締め、向こうからです! と鳴き声のした方向を指で示す。
「急ぐぞ!」
何かただならぬ物を感じたのか、ロックは険しい表情のまま鳴き声のした方へ駈け出し、零もその後を追った――
◇◆◇
「あれは――コボルトか」
鳴き声の主が視認できる位置まで近づいたふたりであったが、その異様な光景に目を剥き呟いた。
三匹のマウンテンボアの内、二匹は既に仕留められているのが横たわるそれから見て取れる。
それをやったのは恐らく残りの一匹と対峙する四体のコボルトであろう。
コボルトは前衛の二体は短めの剣を、後衛の二体は弓矢を構えている。
だが、問題なのはその残りの一匹であり――
「それにしてもこいつはデケェな。主って奴か」
ロックは樹木の影に身を潜めながら、コボルトと対峙するマウンテンボアに注目し感想を漏らした。
零も巨大なそれに目を向ける。
改めてみてもやはりデカい。ロックが驚くのも無理は無いだろう。
既に命を失っているマウンテンボアは他の仲間と同じく体長は三メートルほどであるのに対し、残ったロックのいうところの主はそのマウンテンボアが三匹集まったかのような巨体を有している。
零は昨晩魂の状態で前もって調査に乗り出した時もその姿を見ていた。
そしてその大きさに随分と驚いたものだ。
「それにしても派手に暴れたもんだな。仲間がやられて頭に血が上ったのか?」
ロックの眉間に皺がより、問うように呟く。
尤もそれは自己完結した言葉であろうが、確かにあの巨大猪周辺の惨状は凄まじい物だ。
まるで嵐か竜巻でも過ぎ去った後のように、周囲の樹木がへし折られ、地面も抉れたような線を刻み、まるで波を打ったかのような状態に変化している。
コボルト達が立っているのが不思議なぐらいだ。
みたところ彼らには犠牲者はいないようだが、ただ剣を持った二体の脇腹は抉らたようになっていて鮮血が脚を伝って地面に滴り落ちている。
あの湾曲した牙にやられたのかもしれない。
致命傷には至っていないようだが、かなり疲弊してるようにも思える。
この相手との戦いが、彼らにとって決して分のいいものでないことは確かだ。
「あまり考えてる余裕はなさそうですね」
「あぁ、この目にした以上、コボルトも助けてやりたいしな」
ロックが一考し、顎を引くと零に目を向け口を開く。
「トイはここで待っててくれ。念の為ソーマの詠唱はしておいて、いざとなったら頼む」
「え? ロックさんは」
「あぁ俺はなぁ――」
そう口にすると、ロックは手近の一番太い枝を折り、その脚を前に移動させる。
巨大なマウンテンボアの後ろ側に飛び出るロック。
あの巨体ひとつ分程度離れた位置で仁王立ちになり、山の主を野獣の双眸で睨めつける。
「おいデカブツ、てめぇの相手は俺がしてやるよ!」
ロックは語気を荒らげ、かと思えば大きく振りかぶって手持ちの枝をマウンテンボア目掛けて投げつけた。
巨大な彼の手を離れた枝は、勢いの乗った状態で淀みなくマウンテンボアの後頭部に命中する。
だがダメージはない。
この程度で傷を追うほどやわではないだろう。
だがロックの別の目的は達成されたようで、ブルル、と不機嫌そうに鼻息を吹き出し、マウンテンボアの胴体が揺れ四肢をロックに向けた。
今の零の身体ほどはあるであろう頭、そこから突き出た鼻が、まるで照準のようにロックの身体を捉え、鼻の上側に位置する双眸がぎらりと光った。
これで間違いなく規格外の体躯を誇るマウンテンボアの意識はロックに向けられた。
コボルト達はとりあえず安心していいだろうが――
「お、おいどうなってんだ?」
「わからん。だがあの人間はどうやら俺たちを助けようとしてくれているようだ」
「おいおい、でもたった一人でか? そりゃ無茶ってもんだろ」
「だがこれはチャンスだろ。今のうちに逃げよう」
遠巻きのコボルト達の声が、零にはよく聞こえ理解も出来た。
最初に憑依したコボルトの知識がそのまま残っているからだ。
しかし、理解できるからこそ、わざわざロックが助けようと出て行ったというのに、逃げようとしている事が、若干腹立たしくもある。
「馬鹿言うな。俺達の為に助けに出てきた雄を、見殺しになど出来るか。俺達も手助けするぞ!」
だがその中の一体が発した言葉で零は考えを改めた。
どうやらこのコボルト達の中にも勇敢な戦士はいるようだ。
ふと精魂にヴィヌとドヌィの姿が思い浮かぶ。
「おら、黙ってないでかかってこいよ」
その声に零の意識が再びロックに向けられる。
彼は前に向けた右手で挑発のポーズを取り更に声を上げた。
尤も人間の言葉をそのまま理解できるとは思わないが、ただ何かを感じ取ったのか、マウンテンボアは荒々しく鼻息を辺りに撒き散らしながら、後肢で地面を掻き始める。
するとロックは更に追撃として、左手でボアに錬の放による一撃をお見舞いした。
尤も溜めの動作もなく放たれたものなので、あたりはしたが威力はない。
精々石を投げられた程度のものであろうが、それが決め手になったのか――
「ブフォオオォオオオオオオオ!」
怒りのマウンテンボアが、再び周囲の木々をも揺らす程の鳴き声を上げ、そしてロックに向けて勢い良く飛び出した。
マウンテンボアの加速は早く、短い距離でも十分に速度が乗る。
「いけない!」
コボルトの一体が警告のような声を上げた。
その荒ぶる巨体の駆ける動きに合わせて、振動が地面を伝わり幹や草を揺らしている。
これだけの巨体が地面を揺らしながら突撃を仕掛けているのだ。
コボルトが思わず叫ぶのも良く判る。
だが、肝心のロックは全く怯む様子も見せず、寧ろ両手を広げ受け入れる体勢である。
その気魂の逞しさは尊敬するに値するものだが、しかしいくらなんでも無茶だろう! と零が慌てて詠唱を紡げた。
その瞬間マウンテンボアの巨躯とロックの巨体が重なり、重い響きが周囲に広がった。
見た目にはまるで大型のダンプカーが衝突したかのような、そんな光景である。
「マジかよ……」
そして、コボルトの呻くような声。
だがそれも当然か――何せロックは、受け止めていた。
マウンテンボアの突撃を、その巨石のような身体を、前のめりの状態で胸で受け止め、更にしっかり両手で二本の牙をしっかり掴んでいる。
ロックの身体は僅かにだが後ろには下がっていた。
それは地面に刻まれた滑り跡で理解が出来た。
だが、それだけだ。身体には全くダメージを受けている様子はない。
寧ろマウンテンボアの方が遥かに狼狽しているようで、ぶふぉ、ぶふぉ、と刻まれる鼻息はリズムもバラバラで落ち着きがない。
「おいおいどうした? この程度かい? だとしたらちょっと期待はずれかな――と!」
ロックは、マウンテンボアの牙を掴む手へ更に力を込め、そのまま一トン級の巨体を振り上げるようにして持ち上げた。
マウンテンボアの身が天を突くように浮き上がる。一人と一匹が縦に一直線連なったその姿は、まるで一本の塔である。
そしてロックはそのまま身体を後方に倒し、かと思えばマウンテンボアの頭部を地面に勢いに乗せて叩きつけた。
その衝撃で再び地面が揺れ土塊が舞い上がり、マウンテンボアを叩きつけた位置には大きな窪みができていた。
これは零の世界で言えばプロレスの垂直落下式ブレーンバスターと呼ばれるものである。
それをリングではなく地面の上で行ったのだ。
その威力の凄まじさは地面に刻まれた爪痕と、既に動かないマウンテンボアの様子からも察することが出来た。
恐らくこの一発で頭蓋は砕け首の骨も叩き折られてる事だろう。
規格外の巨体を誇るマウンテンボア相手に、苦戦するやもとも思われたこの闘いであったが、蓋を開けてしまえばそれ以上に規格外のパワーを誇るロックによる一本勝ちであっさり幕を下したのであった――




