山を下る道々にて
「トイ――本当に無事でよかった……」
事の顛末を聞き終えたジェンは、改めてトイのそばまでより、心底安堵したように声を漏らした。
見るものを時には射抜き、時には魅了する紫翠の双眼は、心配のあまりか潤みに潤み、今にも抱きついてきそうな雰囲気さえ感じられる。
「で、でもほら! ロックさんの助けもあって僕全然大丈夫! 怪我もないしピンピンしてるから!」
しかし、姉の出鼻をくじくように零が平気である事をアピールする。
既に一度は抱きつかれ押し倒されているのだ、これ以上同じ目にあうのは皆の前では出来れば遠慮したい。
それに、ただでさえ外套が開けてたわわな実が二つ顕になってるのだ。
あのニ人の話を聞いたジェンは、慌てて家を飛び出したようで、胸の半分ほどが顕になった内服に外套だけを羽織るという出で立ちだ。
一応プロのレンジャーらしく愛用の大剣を持ち出す事は忘れなかったようだが――正直目のやり場にも困る。
「全く相変わらずジェンはトイにベッタリだな」
ロックがジェンの背中にそう投げかける。話を聞くなり何よりもまず弟である零を心配してしまうあたり、彼女の弟への愛情は相当なものである。
「あら、実の弟の心配をして何が悪いのかしら?」
ジェンが彼を振り返り刺々しく言い放つ。キツイ声から不機嫌が滲みでていた。
「いや、別に悪いってんじゃねぇよ。ただトイはそこまで心配するほどのもんじゃねぇさ。流石ジェンの弟だよ。みたところ相当優秀だしな、ソーマ士としての資質はかなりのもんだ」
するとロックは弱ったように眉を落とし、後頭部を擦りながら、まるでご機嫌を取るように零を持ち上げる。
「そ、そう? うん! それはそうよね。だってトイだもの! 優秀に決まってるわ」
ジェンから険しかった空気が霧散し、嬉しさの滲む弾んだ声が発せられる。
ジェンはこと弟のことに関しては単純だ。
「お姉ちゃん。僕が優秀って事はないと思うけど、でも怪我とかは確かに全然平気だよ。ロックさんも助けてくれたしね。でもみんな大分疲れてるし、出来るだけ早く町に戻った方がいいとは思う」
「トイってば友達の事をそんなに――なんて優しいの」
靭やかな掌を頬でなぞらせ、どこかうっとりとした濡れた瞳を零へと向けてくる。
その様子にマーニは若干引き攣った笑顔を浮かべ、セシルも汗混じりの辿々しい笑みで、シドニーに関しては、どこか羨ましそうな瞳をこちらに向けている。
「ジェン。もういいだろ? 説明も終わったし、こんなところで脚を止めてたら日が暮れちまうよ」
ジェンの右肩にそっと手を置き、ロックは片眉を引き上げながら忠告するように述べる。
確かに空の色はだいぶ薄まり、夕闇が天に幕を張り始めていた。これ以上暗くなると山を下るのが厄介になる。
「そうね。でもその邪獣はこの上に置いてきたんでしょ?」
「あぁ。流石にこれ以上は俺には持てそうにないし、あれを皆に運べというのも酷な話だろ?」
「そう。じゃあトイを連れて先に下りててよ。道は判るわよね?」
「そりゃ判るけどよ。ジェンはどうする気だ?」
「私は私でソレを回収してくるわ。すぐ戻るから気にしないでいって。あ! でもトイに怪我を負わすような真似をしたら絶対に許さないんだからね!」
ジェンは腰の辺りに左手を添え、立てた右手の人差し指をロックの鼻先に当てながら、勝ち気な口調で言い置いた。
零は色々と助けてくれたロックに対してちょっとキツすぎるのでは? と思ったりもしたが、何故かロック本人は僅かに頬を紅潮させてどことなく嬉しそうでもあるが――よく見るとロックの方が上背が頭一つ分は余裕で高いため、ジェンの谷間が覗き込める位置である。
(これが男の性か――)
零はやれやれと嘆息をつくも、ロックに関してはそれぐらいの役得があっても仕方ないかとも思えてしまう。
彼の厳つい見た目とは裏腹な大らかな性格も嫌いではない。
「判った。トイの事も皆のことも俺に任せておけ。でもジェンこそ気をつけろよ?」
ロックの声掛けに、誰に物言ってんのよ、と歪みのない綺麗な白い歯を覗かせながらジェンが返す。
「気をつけてねお姉ちゃん」
ジェンの実力は知っている為、そこまで心配はしてないが、それでも一応は案じるように声を掛けた。
そしてその直後に強く抱きしめられたのは言うまでもない――
◇◆◇
ジェンは一旦は皆と別れ、あの化け物が放置された山の中腹へと向かっていった。
だが、暗くなる前にと少し急ぎめで山を下りる一向に、信じられないぐらいの速さで追い付いてもきた。
ロックの見立てでは、全員で麓に到着した頃に、ジェンが合流するのではないか? ということだったのだが、実際にはそれよりも随分速く合流してきたのである。
その姿に、ロックを抜かしては零も含めて驚きを隠せなかった。
ロックは仕事がらもしかしたら見慣れてるのかもしれない。
だが他の者からしてみれば、単純に速いというのもそうなのだが、その背に担がれた邪獣の骸にとにかく魂消る思いである。
しかも邪獣の図体はかなりのものだ、ジェンよりも遥かに大きい。
その為、化け物を横倒しにして肩に担いでいる程だ。
勿論そんな事は普通の人間には不可能であろう。
強のソーマの力によるところが大きいとは思うが、これだけの力を使いこなせるだけでも十二分に凄い。
そして、切り離された頭は腰で吊るすようにしているが、これに関しては紐などではなく、ソーマの形で作り上げたものらしい。
ジェンは錬のソーマに関してはひと通り嗜んでるようだ。特に得意なのは強ではあるようだが、形だけでなく放に関してもかなりの使い手らしい。
これは道々でロックが教えてくれた話だが。
「ジェンさんは本当に凄いですね。私騎士になる自信がなくなりそうです」
両肩で邪獣を担ぐような形になってるジェンを一瞥した後、マーニが自嘲の笑いを漏らしそんな事を口にした。勿論本気ではないだろうが。
「あら、私のこれはソーマを使ってるから出来るってだけの話よ。ソーマを持ってる持ってないの違いで騎士としての力が決まるというわけでもないし、それにトイの話だと、マーニは剣の腕もたつし王国に認められて推薦を受けたというじゃない。それって凄いことよ」
ジェンは笑顔を湛えながら、心からの思いといった感じにマーニへ伝える。
「でも、今回私みんなが危険なときに結局何もできなかったし――」
「何を言ってるんだマーニ。君の矢はしっかり邪獣にあたったし、あのダメージは大きかった筈だよ」
「そうだぜ。大体お前が何も出来なかったというなら俺はどうすんだよ?」
「確かにシドニーは結局狩りもダメダメだったもんね」
セシルが横から茶化すようにいうと、この! とシドニーが拳を振り上げてみせる。
その姿にマーニがクスクスと笑った。
「ま、俺からいわせれば後につながる後悔ならなんぼでもすればいい。それをバネに次に生かせるならな。でも後に残す後悔は駄目だ。後悔を引きずって前に進める奴はいないからな」
ロックが前を歩きながら告げた言葉は厳しくもあるが、彼女を励まそうという気持ちが声音からよく滲みでていた。
「ありがとうございますロックさん。そうですね次に生かせるよう頑張ります!」
眉を引き締めマーニが返す。いい表情だなと零は思った。
「うんうんその意気その意気。それになぁ俺はやっぱりマーニちゃんみたいな可愛い子は、悩んでるより笑顔でいたほうが似合うと思うぜ」
顔だけで振り返り、おちゃらけた笑顔を覗かせるが、後ろを歩いていたマーニは若干頬を紅らめ、目を伏せてしまった。
「あれ~? もしかしてロックあんたもしかして~?」
そこでジェンが悪戯っ子のような笑みを浮かべて、ロックに詰め寄る。
その態度に彼は眼を丸め。
「ば、馬鹿野郎! これはちが、いや違わないけど、そうじゃなくて! だからお前はなんでこういうとこだけ、あぁああ! ね、マーニちゃん! これはほらそういうのじゃなくて――」
どこか慌てたように言い訳のような事を連ねていくロック。
そして何故か半目で不機嫌そうなシドニーが口を開くと、
「ロックさん、こんな暴力女を嫁にもらっても苦労するだぐぎぇ!」
とマーニの拳が飛び、意地悪な笑みを見せ続けるジェンにはロックが何かを説明し続け――
そうこうしてるうちに麓を超え、そして日が完全に落ちるギリギリの所で全員が町へと辿り着いたのだった――
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