コボルトの集落にて出会うは雌のフィアンセ
彼等に付き従い、皆がいるという集落まで戻る道中、改めてコボルトの身体能力の高さを知った。
零は先にこの身体の扱い方に慣れていてよかったと心から思った。
コボルトは移動するとき四本足でとまではいかないが、まるで跳ねるように森を駆ける。
右足で跳ね、着地と同時に左足で跳ねと相当に敏捷性に長けている動きであった。
これはもしかしたら魂状態の零が空を飛ぶ速度より早いかもしれない。
どうやら見た目が獣であるのは伊達では無いらしい。
おまけにバネのように柔軟な身体と、足裏の肉球のおかげか着地の音もやわらかい。
もしこれが戦国時代であるなら、忍者としてこれほど適任な種族はいないだろう。
「あいつらに合わなくてとりあえず良かったな。村にはもうすぐ付くぞ」
「フン! 例え出たとしても返り討ちにしてやるよ!」
前を行くヴィヌの言葉にドヌィが鼻を鳴らして息巻いた。
この二人は性格が正反対ともいえる。
終始落ち着いているヴィヌに対し、ドヌィは見た目通りかなり野性的だ。
どこまでも続くかと思われた緑の壁が、ぱっと開けたのは薄闇が辺りを覆い始めた頃であった。
そこは零が身体の使い方の練習を重ねていたところよりも更に広い空間であり、コボルト達が生活を営む集落だ。
森を抜け大地に着地した二人の後から零も倣うように、土面に両の脚を付ける。
集落には五十体程度のコボルトが住んでおり、住居は簡易式のテントのようなもので賄われていた。
作りとしては樹の枝を加工した支柱を使い、先を尖らした木の杭で固定し円錐の形に広げ上から布を使い覆っているという形だ。
この覆う布に関しては、コボルトが人から譲り受けたものである。
コボルトの知識から察するに、ゴブリンとは違いコボルトは人間と上手く共存できているようだ。
ちなみに人間からこういった森では手にはいらないものを分けてもらう代わりに、森の一部を人間に開放したり、コボルトの管轄内にある鉱山から取れた黒曜石を分けたりもしているようである。
言葉に関していうとコボルトは人の言語を話せないようだが、一部の人間は理解しコミュニケーションをとる者もいるらしい。
また言葉が通じあわなくても、ある程度はジェスチャーなどで対応してるようである。
建てられたテントの殆どは、一つに付きコボルトが五人程度共同で暮らしている形だ。
そしてテントには出入口として一箇所に円形の穴が設けられ、外からは見えないように獣の毛皮で穴は隠されている。
とはいえテントは基本的には寝床といった感じであり、日が上っているうちは基本外にいることのほうが多い種族だ。
今も多くのコボルトは外で作業をしている。雄は基本的には狩りを行い雌は子供がいれば子育てに追われている。
テントの外では沢山の子供たちが走り回っていた。
コボルトの子供は、見た目にも二本足で立つ子犬といった風貌だ。
正直犬の顔でなければ普通の人と対して差異はないように思える。
「ワンヌヴオズイズヌ!」
零が走り回る子供達に目を向けていると、横から誰かに呼びかけられた。
その声に反応し、零は身体を巡らせる。すると茶色い塊がその胸に飛び込んできた。
「良かった……私、心配してたのよ。でも、信じてた。貴方がそう簡単に死ぬわけないもの」
声は甲高い雌の声だった。零の脳裏にはすぐ憑依している彼の記憶が呼び起こされる。
彼女の名前はクンッニャルヌガヴメ――
このコボルトの……婚約者である。
それを念頭に置き零は視線を彼女、ガヴメに落とした。
だが、胸の中で涙をこぼす彼女に、零は正直困惑した。どう接していいか判らないからだ。
人間の彼女さえ出来たことがないのに突然婚約者、しかも人ではない。
あまりにハードルが高過ぎる。
しかし言葉や記憶は得られても、こういった対応は自分で考えて行わなければいけない。
とりあえず彼女を観察してみる。雄のコボルトに比べて彼女は柔らかそうな毛並みをしていた。
犬と同じに考えるならこの頭を撫でるべきだろうか?
そんな迷いが脳裏を過るなか、別の声が彼の名を呼ぶ。
「ワンヌヴオズイズヌよ。よくぞ無事でいてくれた」
その声は困り果てていた零の助け舟ともなった。テントの中から姿を現し声を掛けてきたのはコボルトの長であった。
その隣には左右に一体ずつ雄のコボルトが付いている。
長の従者を任されてるコボルト達だ。
すると彼の記憶が流れ込み、瞬時に長の名前が心魂に刻まれた。ワングムングィボンボというのがその名だ。
長はどうやら大分お年を召してるようで、毛は全て色が抜け落ち体全体が白で覆われており、腰も若干曲がっている。
ただその眼に宿る光だけは野生を失ってはいないような、強い輝きを保っていた。
長に呼ばれた事で、零はこれ幸いと婚約者から一旦身体を離し、彼の元へ駆け寄った。
そして零を視認し、足を止めた長の目の前に立ち、
「ワンヌヴオズイズヌ。ただいま帰還いたしました」
と深く頭を下げてみせる。
「頭を上げよ。今回の件ご苦労だったな。仲間達の事は……残念な事をした――」
長はそう言ってこの身体の主だった者と共に遠征した仲間四体の名を口にし、悔みの言葉を述べた。
その声音には幽愁の念も感じられる。
「しかし。コボルト族の英雄とまでいわれるお前が生きていただけでも幸いであった。これで我らはまだ立ち上がる勇気を保ち続ける事が出来る」
長から述べられた言葉に零は複雑な心境だった。
確かに彼の記憶を辿るに、相当な腕の持ち主で、コボルト族の間では英雄視されているぐらいの強者であったようだ。が、今は乗り移ってるのが零である。
身体の動かし方も知り、知識も得たが、だからといって彼の代わりが務まるというものではないし、そもそも零にはそこまでする義理もないだろう。
だが、かと言って零はこのまま身体から抜け死体だけを残し立ち去る気にはどうしてもなれなかった。
それは婚約者と会い、長ともあったことでより固着してしまった。二人に再会したことで、零の精魂がより震えたのだ。
「とにかく皆が戻ってきたら、詳しいことを聞かせて欲しい。そして早急に対策を練らねばいかん」
コボルトの決意めいた瞳に、零はただ頷くしか出来なかった。
◇◆◇
日が傾き、集落に夕闇が訪れ始めた頃、狩りに望んていた雄達が戻ってくると、主だったものは長の塒としているテントに集まった。
長の住むテントは他に比べると一回りほど大きい。
これはこういった話し合いの際に主要な戦士が集まることを想定しての事だ。
テントの中央は浅く掘られ、周りを土で固めてある。テントはしっかり換気が出来る仕組みとなっているので、ここで焚き火が出来るというわけだ。
しかし、零にとってコボルトが燃え上がる炎を囲むというのは、知識としては理解できても心情的には意外な思いであった。
勝手なイメージでしか無いが、いくら人間のような振る舞いをしてるといっても見た目が獣であることに変わりはないからだ。
どうしても零がこれまで生きてきた知識の中では獣は炎を恐れるという感覚がついて回る。
とは言え。このコボルトの知識から察するに、森で暮らす普通の獣達はやはり火は恐れるようだ。知識のあるコボルトはその辺も並みの獣とは違うのであろう。
テントの中では八体ほどのコボルトが顔を連ねていた。
しかしコボルトは個体毎による見た目の変化が少ない。
憑依した彼の知識が無ければきっと誰が誰だかわからなかったであろう。
「――よ、全員揃ったことだし、あの時、ワングラヌッフガヴィの縄張りで起きたことを話してくれるか?」
簡単な挨拶を済ませ、この縄張りの長が、早速零に話を振ってきた。上手く話せるか心配だった零だが、湧き上がる記憶の中から要点をとりあげ話していく。
長の言う縄張りとは、コボルト族の間で定められた各長の管轄範囲の事である。
コボルトは零が案内されたこの地にいるものが全てと言うわけではない。
他のコボルト達も似たような集落を持ち、そして狩場が重ならないようしっかりとお互いの縄張りを定めて活動している。
コボルト族は仲間意識が強い為、同じコボルト同士で争うような事はしない。
生活範囲がこの森のみというのもあるのかもしれないが、しっかりとしたルールのもとで活動を行っているし、また例えば他の縄張りの範囲内で狩猟が上手くいかず苦しいような状況に陥った場合は余裕のある縄張りの長が助けたりもする。
だからこそ今回のような思わぬ脅威が訪れたさいは、他の縄張りの戦士に協力を要請することもある。
今回の零が乗り移ったコボルトがゴブリンとの対決に至った経緯も、元は他の縄張りの長からの協力要請があったからだ。
突如襲撃してきたゴブリンに苦戦しているので助けを借りたいというのがそれだ。
彼等はそれを狼煙で伝達しあっている。
その為、この縄張りの長であるボンボの命により、零の宿主を含めた五人の戦士が援軍として向かったのだ。
しかし、当初コボルト達はゴブリンをそこまでの脅威としては感じてなかった。
ゴブリンは、狩場を荒らす天敵としてこれまでも何度かコボルト族と接触する事があったからだ。
コボルトとゴブリンを比べた場合、コボルトは線が細く敏捷性に優れており、ゴブリンは背こそコボルトより低いものの、肉付きが良く腕力に優れている。
これだけ考えると両者一長一短のように思えるが、それ以上に大きな違いとして知能の差があった。
コボルトは人に比べると劣るとはいえそれなりの知性を有した種族である。反対にゴブリンはひどく原始的で、武器すら適当に岩を砕いた代物だ。
勿論ゴブリンの膂力があれば、そんな砕いた岩でも十分脅威になり得るが、コボルトは精錬された剣や斧、さらに弓までも使いこなす。
つまり冷静に考えれば、ただ力任せに突っかかるしか能のないゴブリンに負ける要素がないのである。
今まで戦ってきた中でも、このコボルトの記憶の限りではコボルト側が大勝を記してきた。
ゴブリンはその都度、森から姿を消してしまったかのようにいなくなる。
しかし、ゴブリンはその悍ましい性質からか、決して殲滅されることはなかった。
ゴブリンは知能こそ高くないが、それでも個々で動こうとはせず基本的には集団で行動する。
最初に彼が止めを刺されたのを見た時もそうであった。ゴブリンは五体いたはずである。
ゴブリンはそうやってある程度固まった状態で行動するのだ。
そして個ではなく集団で捉えて、危なくなった時には仲間の一匹でも逃げのびることを優先させる。
勿論あの時の少女のように、そんな暇さえ与えないほど圧倒的であったなら話は別かも知れないが――
とはいえ、基本的にはそうすることで種の絶滅を避けているのだ。
そしてゴブリンの悍ましい性質。奴等はコボルトと違い雄と対になる雌というものが存在しない。
ならば両生類かというとそうではない。生まれるのが雄であり、ゴブリン自体が卵を生むというような物でもない。
奴等は多種の雌と交配することで、その、子を産ませるのである。
しかもゴブリンにとっては、彼らの身体を産み落とせるぐらいの体躯を有していれば、それこそ馬でも牛でも犬ぐらいの中型の獣でさえ受精は可能なのだ。
そしてこれこそが、コボルトにとってゴブリンを敵視する最たる理由である。
ゴブリンに交配されると雌は確実にその子を宿す。受精率が異様に高いためだ。
そして更に悍ましいのは、ゴブリンは生まれるとき母体の腹を突き破ってこの世に性を受けるのだ。
当然ながら触媒とされた雌はその時点で死亡するうえ、屍はゴブリン達の餌となる。
そこまでの知識が零の頭を駆け巡ったことで、魂ながらもあまりの醜悪さに、零は身震いする思いであった。
もしこれが魂でなく身体をもった存在であったなら、それこそげぇげぇと吐いてしまってもおかしくなかったであろう。
そして――此度の出来事――
零は自分が乗り移る彼の記憶を淡々と話していく。
彼が仲間達と、援護依頼のあった長の一族が住む集落へ向かった時。そうその時にはもうすべてが遅かった。
これは彼等にとっても驚くべき光景であった。今までゴブリンがコボルトの一集落を襲撃するという事も記憶にないのだが、目の前に広がる陰惨な光景に目を疑いたくなるほどであった。
寝床は全て破壊されていた。正直一体どうやってこれほどまでに? というぐらいの有り様だった。
ただ壊されたというのではなく徹底的に破壊されていたのだ。
支柱はバラバラに砕け、覆い布は引き裂かれ原形を咎めていなかった。
更にコボルトの勇敢な戦士達は四肢が引きぬかれたように四散しており、そこらに頭蓋が転がっていた。
何か刃物で切ったようなものではなかった。無理やり力でねじ切られたといった様子であった。
しかし彼の記憶では、いくらゴブリンの力が強いといってもここまででは無かったはずなのである。
集落には当然、愛すべき子供たちもいた。
だがその小さなコボルト達も例外なく斬り裂かれていた。しかも所々に歯型が残り内臓はえぐり取られていた。
ゴブリン共がその場で子供たちを喰らった証拠であった。
彼はその一方的な所為に、ぞら寒いものを感じていたようだ。
確かにゴブリンは悍ましい種族だが、コボルトが武器を使うようになり、集落を営むようになってからは決して脅威ではなかったはずだからだ。
しかし現状目の当たりにした惨状はあまりに一方的すぎるのだ。
彼は決断を迫られていた。
このまま奴等を追うかどうかだ。集落の状況を見る限り壊滅させられてからそれほど時間が立っていないと思われたからだ。
それは子供が喰われた状態などから彼には察することが出来た。足あとも多数残っている。
だが彼の決断を待つまでもなく悲劇の濁音が、その耳を刺激した。
他の仲間達も気づいたようであった。
彼は仲間と共に森の奥へ向かった。
そこで目撃したのだ、一体の雌が奴等に無理やり交配されていることに。
何体ものゴブリンに掴まれ、両足を広げられ無理やり捩じ込まれていた。涙を流し獣の泣き声を上げていた。
彼は吠えた。天をも貫きそうな遠吠えであった。他の仲間達もそれに倣った。
当然ゴブリン共はそれに気づき、武器を取るがそのときには既に遅かった。
彼の抜いた黒曜剣がその首を跳ね飛ばしていたからだ。そして更に未だ腰の動きをやめようとしない悍ましい緑色の背中を貫いた。
残りのゴブリンの多くも他の仲間達の手により淀みなくその頭を草根に転がし、割れた胴体が大地に根を張った。
だがその中でもやはり数体は逃げに徹し、その場から逃亡を図った。
それを追いかけようと仲間の何体かが駆け出したが、彼はそれを止めた。
バラバラで行動するのは芳しくないと考えたのであろう。
そしてコボルトの彼女の傍に歩み寄った。
ゴブリンに無理やりその身を犯されてしまったコボルトは、既に受精を済まされた後であった。
一体の雌に多数のゴブリンの雄が交配するのは珍しい事ではない。
何故なら条件さえ合えば、一度に受精した数だけ生まれる子の数は増えるからだ。
そして奴等の子は産まれるまでの期間も一ヶ月と非情に短い。
彼は憂いの感情を持って彼女を見下ろしていた。
彼女は彼にお願いをした。
この汚れた身体を腹ごと斬り裂いて殺してくれと。
一度奴等に受精されてしまうと、もうそれを止める手段は限られてくる――それは奴等の子を宿した母体を殺すことである。
彼もそれを当然理解していた。
心はどうしようもない絶望感に満たされていた事だろう。
だが彼は一族を任される戦士のリーダーだ。
汚れ仕事を仲間にやらせるわけにはいかない。
「すまない――」
彼が最後に彼女に伝えた言葉だ。それに一つだけ頷いて返すその身を、せめて苦しまないようにと一撃の元に葬った。
彼とその仲間達は、そのあまりの残虐非道な行いに、その心は怒りに支配された。
だがそれが間違いだったのだ。
ゴブリンの足取りをおい、全てを駆逐しようと脚を早めた。
だが足跡は途中で途切れていた。
そこは特にゴブリン達の匂いが強まった位置。
そこで彼等は囲まれていることに気がついた。
しかしそれでもゴブリンなら多少数で負けていても勝てる自信が彼にはあった――だが。
想定外であった。ゴブリンの中に一体、彼も見たこともないような化物が存在したのだ。
それは見た目はゴブリンとよく似ている。
だがコボルトよりも上背のないゴブリン達の中でそいつは異彩を放っていた。
体躯は軽く二メートルを超えるだろう。
盛り上がる筋肉はまるで隆起する丘陵だ。
手には石を砕いた得物の代わりにへし折った巨木が持たれていて、奴は躊躇なくそれをコボルト達に向けて振った。
まるで小枝で遊ぶ幼児のように、軽々としたものであったが、その威力は絶大であった。
たった一振りで、仲間三体を吹き飛ばしその生命を奪ったのだ。
彼はそれでもその怪物相手に懸命に戦ったが、硬い皮膚に覆われた身体に傷ひとつ付ける事叶わなかった。
結局深い傷を負い、残った一人が盾となり、敗走を余儀なくされた。
だがその彼も途中で追手のゴブリンに追いつかれ、止めを刺されてしまった。
その無念は相当な物であった――