獲物を求めて
背後に見えていた丸太の囲いが遠ざかっていき、件の街道を右に折れ更に皆と歩みを進める。
目的地は、零がこの身体に憑依する事となった恵みの森を抜け、更に東へ一時間程歩いた先にあるカチーナ山岳。
緑の自然が溢れる山で、数多くの動植物が生息しているらしく、街の人々も良く狩りや植物採集の為に訪れているらしい。
但し狩猟に関しては事前の許可は必要となる。これは成人を過ぎた大人であっても変わらない。
ここフォービレッジ王国は年を通して温暖で過ごしやすい気候を保つ。そしてその中でも特にこのジェードの導きの時期は天候の崩れも少なく狩りには最適な時期といえるだろう。
零は仲間たちと談笑を繰り広げながら、比較的のんびりと街道を突き進む。
数多くの果実が採れるという恵みの森を抜け、更に進むと、街道の脇では色彩豊かな花々が咲き乱れていた。
黄色い花はタンポポにもよく似ており花弁は細長く放射状に広がっている。
紫色の花は細長い円筒形で、花弁は綿毛のようにフワフワしている。
無数の白色の花弁が扇形に広がっている花も美しい。
こういった様々な種類の花を眺めながら、こうやって外を歩くのも悪くないなと軽く微笑む、すると少し先から川のせせらぎが耳朶を打つ。
前方に目を向けるとその正体は小川。記憶ではここで丁度目的地まで半ばといったところだ。
川と言っても水深も浅く、幅も跨げる程度なので進行上問題はない。
皆でそのまま歩みを進めると、街道沿いの草花が波が押し寄せるように倒れていく。
風が吹いてきたようだ。
「う~ん、いい風~」
声につられてマーニの横顔に目を向ける。細い指で頭を軽く押さえ、息を吸い込みお腹をペコリとへこませる。
心地よさ気な笑顔を乗せて、若々しい翠髪が風に靡いた。
花に華を添えるその姿に、一瞬だけ見惚れる零であったが、それに気づいたのか寄せられたマーニの一瞥に照れたように顔を背ける。
「あれ? もしかしてトイ見惚れてた?」
そういうことを口にしてしまうんだな、と目を細めながら顎を掻く。
「そんなはずねぇだろ。どんだけ自意識過剰だって~の」
後手を首に回しながら、シドニーが相変わらずの憎まれ口を叩く。
そしてマーニが追いかけて一発殴るといういつものやり取りが目の前で繰り広げられた。
「仲がいいよね~あのふたり~」
セシルが零の横に立ち、のんびりした口調でそう述べ、微笑ましい物をみるような優しい瞳を向けていた。
確かに喧嘩するほど仲がいいともいう。それにふたりをみてるとどこかじゃれ合ってるようにも思えてくる。
「たく暴力女が――おいお前たちものんびり見てないで、さっさと行こうぜ~」
シドニーが右手を上げ呼んでくるので、零もセシルと顔を見合わせ、お互い軽く笑い合ってからふたりの後を追う。
青く澄んだ水の流れる小川を跨いで渡り、暫く進み丘陵を上っていく。
そして高台まで上りきったところで、シドニーが右手を額につけ、遠くを眺めながら口を開く。
「見えたぞー、カテーナ山だ」
少し遅れて零とセシルが高台に到着し、彼らの見ている遠景に目を向ける。
丘の上からは、目的地となるカテーナ山の尾根から麓に広がる森林まではっきりと見渡す事が出来る。
丘陵を超えた先はカテーナ山岳までは平地が続いており、これといって景色を阻害するものがないためである。
カテーナ山岳の麓に広がる森は中々に広い。それでもコボルトの森程ではないが。
「やっぱ先が見えると俄然やる気が出てくるな」
シドニーは拳を胸の前で打ち鳴らし、改めて気合をいれる。
そして、よっしゃもう少し! と背中のリュックを激しく揺さぶらせながら駆け足で丘を下りだす。
「全くあいつも元気なもんねぇ」
マーニは呆れたように息を一つ吐き出し、その後を追いかける。
それに倣うように零とセシルも同道を再開したのだった。
◇◆◇
丘を越えてからはわりとすぐにカテーナ山岳の麓に辿り着いた。
シドニーの駆け足に従ったのが大きかったのか。
森に入る直前太陽は中天の少し手前といった所であった。
時刻でいったら11時頃といったところだろう。
町の広場で待ち合わせたのは教会の三度目の鐘が鳴ったあとだ。三度目の鐘は9時になる。
それから準備して皆と落ち合って町を出たのが10時頃と考えるなら、大体二時間ぐらいの道のりであった事になる。
森は特に障害もないため、どこからでも入ることは可能だが、シドニーは街道に沿って入ることに決めたようだ。
カテーナ山は標高千メートルにも満たない王国でも比較的低い山であるが、平地の多いこの辺りは頂上からの眺めが抜群によい。
森を南側に抜けた先は海と面してる為、頂上からは緑の森と蒼い海の見事なコントラストが一望できる。
山自体も斜面は比較的なだらかで登りやすく、頂上から見える景色を目的としてやってくる旅人も多いようだ。
その為、街道から続く道はそのまま森の中の山道に続いている。
道と言っても山道は街道に比べれば簡素なものだが、頂上を目指す道導としては十分役立ってるのだろう。
ただこの道を辿るのは狩りにはそぐわない。森に住む動物たちは、人がここを通ることを知っているため、よっぽどの事がない限り近づこうとしないからだ。
当然シドニーもそれは理解してるらしく、山道をある程度進んだところで鬱蒼と茂る藪の方へ顔を向け、こっちにいそうな気がする、といってそのまま草木を掻き分け進んでいった。
零を含めた三人は一旦顔を見合すも、シドニーの後について森のなかへと脚を進める。
道無き道を進むことになるため、はぐれないようお互い気を使いながら森のなかを進む。
横には広がれないため縦一列で、シドニーの後ろにマーニ、その後ろには零、セシルと続く形だ。
「てかあんた今日何を狩るかは決めているの?」
「あったりめぇだ。ディアだよアックスディア」
木々をかき分けるように進みながらも、後ろを振り向いて念を推すように獲物を二回言う。
すると前を歩くマーニが一度背筋を伸ばし、
「アックスディアってあんた本気!?」
と驚きの声を上げた。
更に後ろではセシルも、随分と大物狙いなんだね、と小さく呟いている。
アックスディアという名称は零も初めて聞くが、名前を精魂で反芻すると、零の中に知識として溢れてくる。
それによるとアックスディアは大型の鹿の一種のようだ。
頭から伸びた二本の角は後ろに反るように生えていて、先端側が異様に太く、横から見ると斧が生えてるようにも見えるためそう呼称されてるらしい。
頭には姿形も湧いてきたが、角以外の見た目に関しては零のいた世界の鹿とそれほど変わらない。
草食で性格は大人しい。追い詰められた時には体当たりなどもしてくるようだが、基本的には危険を感じた時には逃げの一手である。
なので狩りを行う上では特に命の危険に脅かされる心配はないのだが――
「あんたねぇ、簡単にいうけどどう狩るか考えてるの? アレは気配にも敏感だし、見た目の割に動きも俊敏よ。あんたがそんな武器持って追っかけたとこですぐ逃げちゃうわよ」
「問題ねぇよその為にお前がいんだから。その弓で遠くから仕留めることが出来ればな」
その返しにマーニが肩を竦めた。
「そりゃ私も多少は弓は使えるけど、絶対仕留めるって自信はないわよ」
マーニが若干の弱気を見せる。話を聞く限りは、騎士としての鍛錬は剣がメインなのかもしれない。
零は一応記憶を探るが、彼女の弓の腕を直視した事はないようだ。
それでも全く自信がなければ持っても来ないだろうが。
「そんときの為にセシルとトイがいるんだろ。ふたりとも素早いし背も小さいから藪に潜めるしな。獲物を見つけたら左右に展開してもらって、外れた時の逃げ道を塞ぐ」
狩りの算段をシドニーなりに考えてきていたようだ。
失礼な話だが割りと行きあたりばったりな性格と思っていた為、零は少し感心してみせる。
ただこの場合、追い詰められた獲物が決死の覚悟で向かってくる可能性もあるが――それに関しても大丈夫と踏んでいるのだろう。
零からしても余程油断しなければ問題はないし、セシルも既に町で戦いぶりをみていたので不安にはならない。
「てかそれって結局あんた何もしてなくない?」
マーニが鋭いツッコミを入れた。
確かによく考えて見ればこの作戦ではシドニーの出番がない。
「俺はいざとなったら狩声上げて追い込む。そんときは上手いことその矢で狙ってくれ。コンポジットボウならあたりさえすれば仕留めれる確率も高いしな」
シドニーがマーニの矢筒を指さしながらいう。
確かに彼女の持つコンポジットボウというのは複数の材料を組み合わせて作られた弓矢のようで、狩りで一般的に用いられるロングボウと比べると、コンパクトな割に威力は絶大なようだ。
但しその分値ははるようだが。
「なんかそれでもあんたが楽すぎな気もするけど――」
「馬鹿いえ。俺は寧ろその後の仕事があるんだよ」
「その後?」
「あぁ。大体アックスディアを仕留められてもそのままじゃ持っていけないだろ」
零も確かにそこが気になる所ではあった。
アックスディアは頭から胴にかけてだけでも優に二メートルは超える。
そんな大きな獲物を持って町まで戻るのはかなりの労力を要することになる。
シドニーは見た目通り腕力に優れるが、それでも一人ではとても無理だ。
かといって他の面々は単純な力はそこまで優れていない。
「だから俺が仕留めた後これで解体するんだよ」
シドニーが己の得物を掲げ、得意気にいう。
「あんた解体なんて出来んの?」
「馬鹿にすんなよ。これでも学園が休みで戻ってきた時は、親父の狩りにも付き合ったりしたんだ。アックスディアは肉もうめぇけど、角から皮まで材料としても優れてるからな」
なるほどね、と零は得心がいき頷く。
確かに解体となれば、零やセシルの持つ剣よりもシドニーの持つ鉈タイプの方が優れているだろう。
そして改めてシドニーの背負う馬鹿でかいリュックの意味も判った零である。
「ふ~ん。まぁそこまで考えてるならもう何もいう事はないわね」
「そうだね。後は――結構山道から離れることになると思うけど、迷わないよう注意しないとね」
マーニは一応の納得を示しアーマードディア狩りに付き合うことを決めたようだ。
セシルもそれに従うようだが、このまま道無き道を突き進んだ場合の遭難の心配はしてるようである。
「その辺の心配はいらねぇよセシル。この山の地形は俺の頭に叩きこまれてるからな」
シドニーは側頭部を指で突きながら自信ありげに応える。
その自信は山をなめてるようなものではなく、仲間を危険に晒さない決意みたいなものに感じられた。
口元で笑みも浮かべているが双眸に関しても真剣そのものだ。
これであれば安心だな、と零もシドニーを信頼して後につき従う。
とは言え、いざとなれば魂だけ抜けだして、上空からみればある程度位置は掴める為心配はしてないということもあるのだが――
とりあえずそのいざという事がないよう願いながら、シドニーを信じてその背中を追うのであった――




