決着はついていない
あくぅ! という呻き声を上げ、マーニが地面に倒れ込んだ。
その姿を荒い息を立てながら、上気した顔でイービルが見下ろす。
そして僅かに口角を吊り上げ、下卑た笑みを忍ばせた。
その嫌らしい顔付きに一瞥をくれながらも、零は倒れているマーニの下へ駆け寄る。
「マーニ!」
一声上げ、傍で腰を落とし様子をみる。脇腹を抑えながら苦悶の表情。
息は若干荒いか。意識に関してははっきりしてそうだが。
「おい! 大丈夫か!」
そこへシドニーもやってきて、零とは反対側の位置に立ち、彼女の顔を覗き込む。
いつもにくらべて真剣な表情。当然だがかなり心配してる様子だ。
「ふ、ふん! 大げさな奴らだこの程度で――」
「何いってるんだよ! 第一本当にあてるなんてルール違反じゃないか! しかもあんなに何度も!」
零の隣に何時の間にか立っていたセシルが、イービルに抗議の声を上げる。
かなり興奮した口調で険のある声音。
普段は温厚な彼が、こればっかりは我慢ならないといった様子で瞳を尖らせ彼を睨めつけている。
「馬鹿か! 誰がそんな約束をした? たまたまお前らが運良く寸止めで終わらせていただけで、別に攻撃を当ててはいけないなんて決めた覚えはないぞ!」
あまりに自分勝手な話だ、と零も怒りに拳を震わせた。
先程からこの男は自分に都合の良い解釈でしか物を言ってこない。
「だからって女の子にこんな真似許されるわけないと思いますがね」
シドニーの横で同じように心配そうにマーニの様子を見ていたエリソンが、眉を吊り上げ不服を唱える。
するとイービルは首を明後日の方に向けながら、片目だけでマーニを見下ろし、はんっ! と鼻を鳴らして。
「女? ふん。騎士に男も女も関係有るものか! 女だからとチヤホヤされたいなら、騎士を目指すことなんてとっととやめるんだな!」
「そ、その通りですな! イービル様の言うとおりです! そこの小生意気な女もこれで少しは思い知ったでしょう」
イービルの言葉はとんだ暴言である。悪びれる様子もみせず、その態度ひとつとっても腹ただしい。
ただ彼に追従するように述べたあの尖り眼以外は、言葉を発する様子がない。
むしろ戸惑ってる様子も感じられる。
流石に彼らはマーニに対しての仕打ちに申し訳ないと思ってるのかもしれない。
「てめぇら……」
ふと、怒りの炎をその眼に宿したシドニーがゆっくりと立ち上がり、イービルをキツく睨みつけた。
眉間では野太い血管が脈動し、いまにも飛びかかりそうな雰囲気を感じさせる。
「やめてシドニー!」
その背中に制止の声を上げたのは渦中のマーニであった。
シドニーの気持ちを察して、事態が大きくならないよう止めに入ったのだろう。
確かにマーニの声がなければ、冗談じゃなくシドニーはイービルに殴りかかっていたかもしれないと零も思う。
勿論その時は零自身が止めたとは思うが。
「マーニー……でもよぉ――」
シドニーはそこまで言って、後は眼で不満を訴えた。
眉を顰め納得がいかないと唇を結ぶ。
「いいの。大丈夫大した事ないから。それよりごめんね。皆の期待に応えれなくて――」
立ち上がり、マーニは皆にぎこちない笑顔を振りまいた後に、整ったまつ毛を落とし謝罪の言葉を述べる。
表情が歪んでいるのは痛みというより、悔しさから来てるものが多いのだろう。
それなのに皆に気を使うのを忘れない。
その姿勢に零は胸が痛くなる思いであった。
しかしそんなマーニの気持ちも考えず、イービルは更に心ない言葉を吐き出した。
「ふん。所詮脆弱の女でしか無い貴様が、この私に勝てるなど身の程知らずだったということだ。まぁこれで私達の勝利も決まった。これにこりたら少しは分をわきまえることだ。騎士になるというのも考えなお――」
「待ちなよ」
思わず零が、彼の言葉を遮った。あまりに聞くに堪えないものだったからだ。
精魂に宿った熱はとても熱く感じられる。最もこれは気持ち的な問題だが、それぐらいイービルの発言に憤怒を感じていた。
「トイ……なんだ? そんな眼で私に声を掛けるとは生意気な。前は私の目の前でぴ~ぴ~泣いてたような奴がな」
零の中にトイのかつての記憶が蘇る。最もトイは決して泣いてなどいなかったが、我慢は続けていた。それがより一層零の怒りを増幅させる。
「……僕だって成長したんだよ。そんな事より、いっておくけどまだ勝負は付いてない」
荒ぶる気持ちを押さえつけるようにしながら、声を絞り出す。
するとイービルが顔を眇め、
「……なんだと?」
と疑問の声を発した。
どうやら彼は最後のアレで全てが終わったと勘違いしてるらしい。
「忘れたのかい? これはお互いのチームが一対一で戦いあって、勝利した数の多いほうが勝ちのルールだ」
「……」
零がそこまで話すと、口を結び、眉間に皺を刻んだ。
納得していない様子だが零は更に話を続ける。
「最初は確かにこっちのエリソンが負けてしまったけど、二戦目はセシルが引き分けてその後は僕とシドニーで一勝ずつ上げている」
ここまで述べると、イービルが顎を軽く上げ、尊大な態度で口を挟んできた。
「それがどうした? 最後の試合は紛れも無く私の勝ちだろう」
「そのとおりですな。イービル様の圧勝でした」
腰巾着もイービルを支持する。
だが零にとってはそんな事は関係がない。
「……圧勝かどうかはともかく、今のをマーニの負けにするのだとしても結果はお互いに二勝ずつ、つまり今のままだと引き分けでしかないだろう。少なくともこっちは負けてはいない」
マーニに関しては納得の行かない部分が大きかった。だが彼女が負けを認めてる以上ここはそれを前提に話さなければいけない。
「何を馬鹿な! お互いの勝利数が一緒なら最後の勝負を制した私達の勝ちに決まってるだろう!」
「い~や今のままだと精々分けだ。第一そんなルール取り決めた覚えはない!」
右手を勢い良く振りぬき、強気な態度で押し通そうとするイービル。
だが、そうは問屋が卸さない、と零は語気を強める。
「待ったく往生際の悪い連中ですな。そんな屁理屈を並べてそこまでして――」
「お前ちょっと黙れよ――」
零はつい自分の気持ちを変換なしで発し、尖り目を睨みつける。
その変化に調子のいい腰巾着も口を止め額に汗を滲ませた。
「……随分と偉くなったものだなトイ」
苦虫を噛み潰したような顔でイービルが言ってくる。
だが構うことなく零は自分の意見を口にした。
「……とにかく。こっちはさんざんそっちの屁理屈に付き合ってやったんだ。こればっかりは認めるわけにはいかない」
絶対に曲げないという頑固たる意志で言いのける。
相手の無茶な言い分にこれまで付き合ってやったのだから、こればかりは譲れない。
なんでも思ったとおりになると思ってるなら大間違いだという事を思い知らせてやる必要があるだろう。
「ふん、だったらどうしろというんだ?」
そこで漸くイービルが折れたように訪ねてきた。
顔は不機嫌なままだが構うことはない。
「決まってる。もう一戦やればいい。それで間違いなく決着が付く」
零は当然と言わんばかりに言い放った。
その話にイービルは目を少し瞬かせ。
「はん!」
両手を振り上げ鼻を鳴らす。
「もう一戦だと? 構わないがこちらは再度私が戦わせてもらうぞ。それでそっちはどうする気だ? まさかまたその女にやらせる気か? あんな無様な負けを喫しておいて」
嘲笑うように顔を歪め、イービルがマーニに指を突きつけた。
「――いやマーニは貴方の騎士道精神あふれる戦い方で負傷してしまった。それでやらせるわけには――」
皮肉を込めて零が告げる。イービルの鼻の頭に皺が寄る。明らかに機嫌が悪いがそこへ――
「大丈夫よ! 怪我なんて大した事ない! 私やれるよトイ!」
マーニが声を上げた。やはり先程の負けが悔しかったのだろう。
だが、ここで彼女に任せるわけにはいかない。
「駄目だよマーニ。それに……ここは意地でも僕が決着を付けたいんだ」
零は彼女に申し訳ないと思いながらも、自分がやるという旨を暗に示した。
「何?」
するとイービルが怪訝な顔で問うように述べる。
「聞こえなかった? 僕が決着をつけるといったんだ」
零は改めて自分の決意を述べる。
そして獣のように鋭くさせた瞳をイービルに向けた。
「……くっ、くくっ、あ~はっは! これはとんだお笑い草だ! 貴様が! 貴様が私とやるだと? 馬鹿か貴様は! そこの女にも勝てなかった貴様がどの面下げてそんな事を!」
腹を抱えるように大声で笑い、ひとしきり笑った後、指を突きつけてきながら、小憎たらしい顔で言ってくる。
「この面だよ。よく見ておくんだね。お前がこれから吠え面欠かされる相手だ」
だが零は負けじと顎を上げ、相手を見下すようにしながらはっきりと言い放った。
「……貴様ぁああ!」
イービルは歯噛みし、怒りの混じった声を喉奥から絞り出してくる。
しかし零は怯まない。そして引かない。
「お、おいトイ本気かよ?」
そんな零に心配そうにシドニーが訪ねてくる。
だが零は彼を振り返り。
「本気だよシドニー。それにこいつとは因縁もあるしね。いいかなマーニ?」
シドニーに自分の決心を伝え、そしてマーニをみやり確認を取る。
正直零には出すぎた真似かもしれないという不安もあった。
マーニが納得しなければ考え直す必要もあるかもしれない。
「……おかしいな。なんかトイがすごく頼もしく見えちゃうよ。……判ったお願い」
だがそれは杞憂に終った。マーニは薄い笑みを浮かべながら零に全てを託してくれた。
「――いい度胸だ貴様。この私をこいつ呼ばわりし、あまつさえそのふてぶてしい態度! いいだろう! 貴様がどれだけ脆弱な存在か改めてその身体に叩き込んでやる!」
眉毛を逆立て、イービルが舞台に上がる。チョークで円を描いただけのものだが、零にとっても真剣勝負の舞台である。
皆の頑張ってという声が零の背中に降り注ぐ。その思いを胸に脚を輪の中に踏み入れ、零は真剣な表情でイービルと対峙するのだった――




