表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魂戟のソーマ~異世界憑依譚~  作者: 空地 大乃
第二章 姉弟編
20/89

トイの後悔

 ジェンに手を引かれ零はレンジャー協会を出た。


 そして暫く一緒に歩いているとジェンがふと足を止める。

 ジェンは零を振り返り、じっと見つめた後、腰をかがめながらその小さな首に優しく触れる。


「傷、まだ残ってるね。大丈夫?」

 

 傷? と一瞬考え、トイにとって致命傷となったダガーの一撃を思い出す。


 憑依した時に傷口を無理やり塞いではいるが、見た目には痛々しい傷口が残ってる形である。姉のジェンが心配してもおかしくはないが、かといってこれ以上は治りようもない。


「あ、うん大丈夫だよ。痛みもないし」


 零は魂としてはドギマギしながらも、出来るだけ冷静に言葉を返した。

 彼の姉にあまり心配は掛けたくはない。


「そう――でもやっぱり痛々しいしね。そうだこれから教会に行こうか? 今日は聖歌も謳われているから、ソーマが使える司祭様もいらっしゃるはずだし」


 司祭――と、一瞬疑問符が浮かぶも知識はすぐに補完された。ジェンの言っているのは零も何度か見た教会のことで、聖神ミコノフを崇拝するミコノフ教の神官や司祭が常駐する場所でもある。


 そしてここフォービレッジ王国を含めて殆どの国では聖神ミコノフを崇拝しているため、ミコノフ教の教会は町と言える場所にはたいていどこにでも存在する。


 基本ミコノフ教では神官レベルであれば、ある程度の聖のソーマを扱う事ができる。

 それが司祭ともなれば尚更だ。教会には勿論聖神ミコノフに祈りを捧げるため訪れる信者も多いが、怪我の治療を願いに向かうものも多い。


 零のいた世界とは違い、医療というものが発展していないこの世界では、怪我や病気の治療には薬草などを調合した薬を使うか、教会で使用される聖のソーマが頼りとなる。


 つまりジェンは零の傷をその聖のソーマで癒して貰おうと考えているようなのだが――


「え? あ、でも大丈夫だよ。ほら、動いても痛くないし」

 

 とりあえず零は身体を回してみたり、腕を曲げ伸ばししたりして、平気なことをアピールする。


 なにせこの傷は本来なら治るはずのないものなのだ。聖のソーマの仕組みなど皆目検討もつかない零だが、いざ治療を施しても治る気配がなければややこしい事になる。


「もう。ダメよそんな事いったら。あ! もしかしてお祈りするのが嫌だとか? ダメよ特にソーマ士になったなら、お祈りを嫌がっていたら務まらないわ」


 ジェンが諭すようにいってくる。眉もキリリと引き締めかなり真剣な表情だ。

 正直ここで断っても、零が駄々をこねてるようにしか思われないだろう。


「わ、判ったよお姉ちゃん。一緒に行くよ」


 零は観念を決めた。ここで何とかしようと、下手な言い訳をしても怪しまれるだけかもしれない。


 ならば一度いってから上手く誤魔化した方がいいだろう。最悪お祈りだけでもしておけば、面目は立つ。

 

 ただそのためには先にお祈りを済ませねばいけないな、と零は考えた。治療に関しては直前でお腹が痛くなったなど――小学生みたいな言い訳だなと心のなかで自虐的に笑う。


 だがいま憑依している身体は、準成人とはいえ少年といえる年齢のものだ。

 ただ痛くなったお腹も治すという話になったら厄介ではあるが。


「さぁ着いたわねトイ~」

 

 音楽でも奏でそうな声音と太陽のような笑顔で零に語りかけてくる。

 それになんとか同じく笑顔で返そうとするが、今の心境に顔も反応してしまっているのかなんともぎこちない。


 そしてジェンが教会の両開きの扉を開ける。すると中から信者たちの斉唱する聖歌の調べが身魂に飛び込んできた。


 それはとても綺麗な旋律であった。一糸乱れぬ素晴らしい響きでもあった。

 だが、その中に漂う僅か一点の不協和音。それに零の身魂が呻いた。

 

 ひどい痛みがその魂を覆ったのだ。殆どの感覚をなくした零に本来痛みはやってこない。

 だがその歌声に交じる何かによって、間違いなく零の本体が悲鳴を上げている。


「あ、ぐぅ――」

 

 思わず赤絨毯の引かれた床に膝を付ける。小さな呻き声もあげてしまった。


「え!? トイどうしたの?」

 

 ジェンの心配そうな声が精魂に響く。なんとか意識を保ち、零は顔を上げた。その顔を覗き込む瞳にどこか緊張した様子も感じられる。


 これ以上心配かけてはマズイ。それにこんなところで蹲っていたら、何かを怪しまれるかもしれない。


 零は立ち上がり、大丈夫、と一言返しつつも。


「でも、ごめんやっぱりここはまた今度に――」


 そういってふらつく身魂を奮い立たせるようにしながら、逃げ帰るように教会の外へ出た。





◇◆◇


「トイ大丈夫?」


 姉のジェンが部屋へとやってきた。両手には木製のトレイが握られていて、その上に土鍋のような形の器が置かれている。


 一応知識では食事を盛り付ける為のもので、扱いも零の知ってる土鍋と変わらない。

 ただこれといった名称はこの世界ではないようだ。


 零はジェンと共にあの後屋敷に戻ってきていた。教会を出た後は彼女にも随分心配されたものだが、急に具合が悪くなったといって何とか誤魔化した。


 それこそ司祭様に診てもらうべきでは? という表情をジェンは見せていたが、零は屋敷に戻って休めば大丈夫だと思う、とわりと無理やり納得させた形でもある。


 とは言え症状自体はあの歌が聞こえなくなった途端に収まった。

 その理由の細かい事までは零にもわからないが、ただ聖のソーマというのに何か関係してるのかもしれない、という予測だけはついた。


 これは今の零にとっては少々厄介な事ではあったが、記憶では聖歌は十日起きに歌うというのが決まっている。


 流石に全く教会にいかないというわけにもいかなそうではあるので、とにかく聖歌の日だけは避けようと身魂に刻む。


「そういえばさっきお友達が来たんだけどね。トイが調子を悪くして寝てるっていったら、じゃあまた来ますって宜しく伝えておいて欲しいって言ってたかな」


 お友達というキーワードに、トイの引き出しから記憶が飛び出した。

 そして溢れだした知識は零が前に見た子どもたちと重なる。


 そう、トイが森に行く直前一緒になって遊んでいた子どもたちだ。どうやらトイとは学園時代からの付き合いのようである。


 零は記憶に染み付いた顔と名前を自然と反芻した。


 あの中で尤も恰幅が良かった少年はシドニー。


 眼鏡を掛けた子はエリソン。


 剣術に長けた紅一点の少女はマーニ。


 そしてあの中では唯一空色の髪をした少年(中性的な顔立ちだったがどうやら男の子だったようだ)はセシル。


記憶によるとただ学園のクラスメートというだけではなく、昔からの付き合いのようであった。

 幼なじみというものなのだろう。


「何か心配そうにしていたわね。元気になったら顔を見せて上げた方がいいわよ」


「うん。そうだね」


 トイとあのシドニーという少年の間にはちょっとした蟠りが残っている。

 だが、記憶から推し量るに、トイも仲直りはしたいと思っていたようである。


 誤魔化すため今は安静にしているが、明日には回復したという事にして、会いに向かったほうがいいだろう。


「体調はどうかな?」

  

 零が考えを巡らせていると、ふとジェンの額が零の額に引っ付けられた。

 ふぁん! と思わず変な声が出る。


「きゃ! え? どうしたの?」


「あ、いや。ごめんなさい突然顔が近づいてきたから驚いて――」


「え!? いやだ私表情おかしかったかな?」


 そう言ってジェンガ頬を両手の指でグニグニと上下に擦る。眉根を落としちょっと困ったような顔もみせている。正直可愛い、と零は思った。


「ち、違うよ! お姉ちゃんの顔はその、綺麗だとは思うけど――」


「嬉しいトイ!」


 すごい勢いで抱きついてきた。大きな胸が目の前に迫る。相変わらず感覚はないが視界に収まりきらないボリュームには零も戸惑うばかりだ。


「お、お姉ちゃん苦しい」

「あ、ご、ごめんねトイ」


 一言謝りながらジェンが離れた。実際は苦しいなんて事はないのだが、そういっておかないと離れてくれなかったであろう。


「あ、でも――熱はないみたいかな? なんかちょっと冷たい気もしたけど――」


「あ、そ、そういえばさっきちらっと窓を開けたかな~ははっ」


 ぎこちない笑みを浮かべながら、咄嗟に浮かんだ言い訳を述べる。


 すると、窓? といってジェンがガラス窓へと視線を変えた。


 ちょっと不思議そうな顔をしている。常に温暖なこの地では、冷え込むほどの風が入り込んでくる事はない。


「や、休んでたおかげで体調はかなりよくなったと思うんだ。お姉ちゃんが看病してくれたおかげだよ。ありがとう」


 そう、屋敷に戻ってからはジェンは甲斐甲斐しく零を看てくれた。濡れたタオルなども当ててもくれた。

 本当に病気というわけではないので申し訳なくも思ったものだが。


「そう! 良かった。あ、じゃあご飯食べる?」


 再びその顔に太陽が宿り、そしてジェンが土鍋の蓋を開けた。

 中にはいっけんお粥のようなものが入っている。


 ただ米とは少し違う。粒が大きくて大豆のようにも見える。ただ色は白米のように白い。


 トイの記憶からこれがホワイトソイシスというマメ科の穀物だというのが判った。


 普段はスープの材料などに使われることも多いが栄養価が高く、柔らかくなるまでしっかり煮込めば消化にもいいため、病人などに食べさせる食事としては定番らしい。


 ただ――これには零も弱ってしまう。何せ食事を試すのは初めてだ。

 コボルトの時にも結局食べてはいなかったのだから、難しい問題がまたひとつ生まれた形である。


「さぁトイ~あ~~ん」


 予想はしていたが、ひとつお祈りを済ましたあと、ジェンは木製のスプーンで中身を掬い零の口に近づけてくる。


 ここで断ろうかとも思ったが、ニコニコとしたその顔をみてはいうにいえない。

 

 それに回復してきたといってる以上、食べないというのもおかしいだろう。


 仕方ない! と零は意を決して口を開けた。スプーンが入ってきた感覚はわからないので、目線を落として確認する。


 スプーンの先が完全に口の中に入ったようだ。零は口を閉じるとジェンもスプーンを抜いた。


 そのまま暫く咀嚼してみる。だが当然なのだが唾液は出てこない。それは雰囲気的になんとなく知ることが出来た。


 しかたがないので舌で無理やり押し込んだ。感覚はないのでその先どうなるかは皆目検討も付かないが、とりあえずは食事の摂取は出来たようだ。


「美味しい?」


「う、うんすごく美味しいよ。やっぱりお姉ちゃんの料理は最高だね」


 言っては見たが当然味なんてものはわからない。だがなんとなくでも食事を摂る事は出来たので、その後の流れはスムーズであった。


 ただ、零としては寧ろそのあとの事が心配であったが。


「美味しかったよお姉ちゃん」


 最後の一口を食べ終え、再度ジェンに感想を告げる。正直いえば思わずごちそうさまといいそうになったものだが、この世界にその風習はない。


「やだ嬉しいよトイ~」


 ジェンは緩んだ両頬を押さえながら、身体を左右に振る。心底嬉しそうである。


「それじゃあ食器下げちゃうね」


「うん。じゃあ僕もうひとねむりするね」


「そうだね。今日はしっかり休んで回復させないとね」


 零に優しく微笑み、そして食べ終えた食器を片付け始める。

 その姿を眺めながら、零はどうしても言っておかねばならないことがあったことを思い出す。


「あの、お姉ちゃん」


「うん? 何トイ?」


「……ごめんなさい」


 え? とジェンが零を振り返る。


「僕お姉ちゃんに酷いこと言っちゃった。お姉ちゃんは僕のことを思って叱ってくれたのに、それなのに僕生意気なことをいって――結局お姉ちゃんにも迷惑かけちゃうし……」


 そう。これはトイの後悔のひとつ。お姉ちゃんに謝りたかった。本当はわかっていたのに――でも本人からはもうそれを伝えられない。


 だから、せめて零がかわりにとトイの身体で代わりに謝る。森の中でも謝ったけど、この場でしっかりと謝ってあげたかった。


 そうトイはレンジャーになるためにソーマの練習を積み、そしてあの時、初めて生きている動物に力を試した。

 それが必要なことだと思うようにした。それが大好きな姉のためになると言い訳をした。


 でもジェンに得意そうに語るトイを、彼女は咎めた。ソーマの力は無駄に命を奪うためにあるんじゃないと。


 そんな使い方しか出来ないようなら助けてほしくなんてないと。


 トイはジェンの怒っている意味も自分の愚かさも理解している筈だった。だけど精神的にはまだまだ未熟だった彼は、つい、お姉ちゃんだってその力で命を奪ってるくせに! と反抗してしまった。


 その先は零も見ていたとおりだ――その時のトイの後悔はいまも零の身魂にこびり付いている。


「本当にごめんなさ――」


 再度そう言いかけた時、ふわりと何かが零の身体を包み込んだ。勿論ソレはジェンが回した腕だ。

 雰囲気はいつもとは違っていた。弟を溺愛するあまりに、行き過ぎた感もあるあの所為とは違う。


 それは感覚のない零にも判った。とても優しい加減で、零の身をそっと抱き寄せる。

 溺愛していることに変わりはないだろうが、いま彼女から感じられるのは姉というよりも母親のソレに近い。


「私の方こそごめんね」


 感覚のない零でも、なぜかその声で耳の中が撫でられてるような気分になれた。

 春の息吹にも似たその響きは零の身魂にまで染みわたる。


「ほっぺた……」


 え? と思わず問い返す。


「まだ痛む? ごめんね――お姉ちゃん二度も手を出しちゃうなんて……酷かったよね」


 零は首を左右に振り、確かに痛かったけど、と告げ。


「でもそれはほっぺの痛みじゃないんだ。心の痛みなんだ。お姉ちゃんを傷つけたことが痛くて、殴ったお姉ちゃんだって痛いはずなのにって思えると……苦しかった――」


 そう告げた時のジェンの瞳は少し濡れていた。

 そして、馬鹿、と胸に抱き寄せ零を掻き抱く。


「でもトイのその言葉が聞けてお姉ちゃんすごく嬉しいよ」


 零はお姉ちゃん、と小さく囁くことしか出来ない。


「あぁトイ」


 だが――


「トイ~、トイ~~! ああ~んもう駄目ぇ! 本当に可愛いんだからぁあ~~!」


「え!? お姉ちゃん、ちょ!」


 そのままベッドに零は押し倒された。

 そして、

「ごめんね! ほっぺた痛かったでしょう? あぁこんなに柔らかくて美味しそうなほっぺに私のバカバカバカバカバカ~~! もう! 癒して上げる! 痛いの痛いの飛んでけ~~!」

といささか暴走気味の姉は零のほっぺを擦ったかと思えばペロペロと舐め始めた。


 痛いの飛んでけはこれじゃない!? てか前にもそれはヤラれてるし! と零は色々台無しになった気もしつつ心の中で突っ込んだ。


「お、お姉ちゃん、く、くすぐったいよぉお~~もう大丈夫だから~~」

 

 零は甘えたような口調でソレを述べ、姉の身体を引き剥がした。そんな感覚ないのだが、ここはそういう感じで返した方がいいと思った。


 しかし、あぁトイ私のトイ、可愛い可愛い可愛い可愛い! と、そのまま抱きつかれてやはりもみくちゃにされる結果となったのだった――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ