ジェンのこなした依頼
トイの疑問にはドムが応えてくれた。
その殆どは既に零がコボルトの知識から得たものであったが、あまり知っているように見せるのは当然具合がよくない。
なので、今の身体の知識と照らしあわせて彼の知らない部分は、驚いたり感心したりして真剣に話を聞いてみせた。
ただその話の中で零が尤も興味を惹かれたのは、姉のジェンが今回調査に向かった理由であった。
ドムとジェンの話では、レンジャーの受ける以来の中ではゴブリン退治はわりとよくあるものなのらしい。
彼らは繁殖率が高く、一度は倒したと思えてもすぐにどこかから湧いて出てくるからだ。
そして一匹一匹は対したことがなくても群れを作ると縄張りから出て、小さな集落などを襲うことだってあるらしい。
だから基本発見されればレンジャーが向かい退治するのが基本なのである。
そしてこれは勿論零が最初に目覚めた森――どうやらこの王国では西のコボルト大森林と呼ばれているらしいのだが、そこも変わらない。
但しここはその名称からも判るように、コボルトが多く生息し縄張りを持つ森だ。
人間との交流で一部は採取などが自由に出来るよう開放されているが、基本的には開放部分以外はコボルトの領地といってもいい状態である。
そしてここにもやはり昔からゴブリンが数多く棲息するのだが、コボルトが人間と交流するようになり、得た知識で武器を作り使いこなすようになってからは、少なくともコボルトの住む森ではゴブリンが縄張りの外まで出るような自体に陥ることはなくなっていたのである。
つまりコボルト族がレンジャーの役目を担ってたともいえるわけだが――しかし最近になってその事に異変があった。
それは勿論零も知っているゴブリンの異形の誕生。そして、人間にとっては縄張りの開放された区域にゴブリンが出現した事。
どうやら話によると、コボルトの森での薬になる植物などの採取に向かったレンジャー(ジェンもよく知ってる人物との事であった)がばったりゴブリンと遭遇したのだという。
その時のレンジャーはゴブリンをすべて退治したが、そのことがきっかけで話を聞いたレンジャー協会が急遽調査依頼を発行したというのだ。
そしてジェンの話によると、そのレンジャーはジェンより二つ下の緑髪の少女との事であり――
零はその話を聞き、表情にはださないまでも魂としてはハッ! と何かに気づいたものになっていたのだった。
そう恐らくその少女は、零が異世界で一番最初に出会った人間の女の子の事であろうと。
なるほどどうやらあの少女もジェンと同じレンジャーだったようだ。
零はどうりで女の子ひとりであっさりゴブリンを退治出来たはずだと、ひとり納得を示した。
「その少女の名前は何というの?」
なんとなく興味本位で零は聞いてみることにした。するとジェンの表情が困った、というか悲しいというかそんな顔に変わる。
「そ、そんなにトイはその子、のことが気になるの?」
――瞳も何故かウルウルしてきている。ただ折角一度は見知った顔なので名前に興味をもっただけではあったのだが――
「ロイエ・マンリヤだよ。見た目には可愛らしい女の子って感じだけどな。まぁレンジャーとしての腕は確か……て、なんだよ。別に名前ぐらい教えたって構わねぇだろ?」
ジェンの抗議するような瞳に、後頭部を擦りながらドムが困った表情をみせる。
「そ、それでそのロイエさんというのがゴブリンと遭遇したから、お姉ちゃんが森の調査に向かうことになったんだね!」
これはとにかく話を変えたほうがいいと思い、零が続きを促した。
「あぁそうなんだ。なにせ本来はコボルトによって徹底的に管理されてる森だ。ゴブリンが出るなんてこともなかったんだけどな。それと遭遇したとあったなら放ってもおけない。人里に姿を見せてきても厄介だしね」
確かにそうですね、とトイの身体で納得を示しつつ、あの英雄の記憶も思い出した。
あの悍ましいゴブリンの性質はどうやら人間を相手にしても発揮されるらしい。
そんな奴らが集団で森を出てドムとジェンがいってたように村などを襲ったら……その光景はとても陰惨なものとなるであろう。
正直想像するだけでも悍ましい。
「で、その調査でジェンが発見したのがそのハイゴブリンだったってわけさ。しかしまぁそれをひとりでやっちまうんだからなぁ。依頼完了したって首をもってきた時は、俺も目を見張ったよ」
そういえば確かに相当驚いていた様子だったな、と零は初めて魂としてこの場所を訪れた時のことを思い起こす。
「別にひとりで倒せたといってもね。運が良かったのもある。ドムにはいっただろ? 相手は既にかなりの手負いだったんだ」
「あぁ確か勇敢なコボルトが果敢に挑んでいっていたって話だよな?」
その言葉に零の身魂が跳ねた。正しく自身の事であったからだ。
「あぁ。あれは完全に捨て身の戦法だったな。あの森で一番の大樹から飛び降り、死をも厭わぬ覚悟で槍による一撃をくれていたんだ。コボルトが槍を使うこと自体も珍しいけど、あの気概は私も見習うべきところがあったよ。結局本当に命を落としてしまったのは残念だったけどね――」
そこで少しだけ寂しい表情をジェンは見せた。
「本当は私がもう少し早ければ、助けることが出来たかもしれないけどな。私が近くまで行った時には雷が落ち、そのコボルトごとハイゴブリンを撃ったのさ――」
零の精魂にあの時の光景が蘇る。雷に撃たれそして零は魂を引き離したあの瞬間のこと。
どうやらその時には、ジェンは近くから様子を見ていたようだ。
「だが、それでもハイゴブリンは立ち上がったんだろう? やはり変異体の力は相当なものだな。調査に向かったのがジェンじゃなかったらと思うとゾッとするよ」
右手を差し上げながら、ドムが眉を顰めてみせる。
「ハイ・ゴブリンというのはそんなに恐ろしい生物なのですか?」
「うん? あぁそうか元々はハイゴブリンのことを知りたいんだったね。あぁ恐ろしいよ。奴らはここフォービレッジでも何度か姿を現したことがあってね」
そう言ってドムが忌々しげに眉を顰める。
「アレが一体どういう条件で発生するのかは定かではないが、かなり低確率で産まれ落ちるタイプみたいなんだ。ゴブリンは人間の子供ぐらいの上背しかない邪鬼だが、ハイゴブリンとして生まれると二メートルを超える巨漢に成長する。勿論膂力もケタ違いで、並みのレンジャーじゃ全く歯がたたないし、腕利きであってもひとりじゃ絶対に相手したくない恐るべき相手なんだよ」
その恐怖は戦った零が実は一番判っていたが、あくまで知らない体で、多少怖がってるような雰囲気を醸し出し、そこまで――と不安の声で呟いた。
するとドムは再びジェンに目をやり。
「ま、そんなとんでもないのを、お前さんの姉さんはひとりで片付けちまったんだけどな」
そういって肩をすくめた。
「トイの前で人を化け物みたいにいうな。それに今いったように相手は手負いだったんだ。運が良かったんだよ」
「いくら手負いでも一撃で首を切り落とすなんて早々できるものじゃないさ。それにジェンはハイゴブリンを以前も退治してるしな」
「あの時は仲間と一緒だっただろ」
「そうだが、殆どお前さんひとりでやっちまったって報告受けてるぜ?」
ジェンはひとつ溜め息を吐き、そして姉の姿を見つめる零を、ハッ! とした表情で振り返る。
「ちっ! 違うんだトイ! こ、これはドムがちょっと大げさにいってるだけで、ほ、本当は私はこうみえて結構かよわいのだぞ」
と、いわれてもなんと反応してよいか困るので、零は苦笑を浮かべるばかりであった。
「ジェンが――」
「か弱い?」
「プッ――」
「よし。今笑ったやつ。ちょっときなさい。折角だから私の剣の稽古に――」
「あ! お、おれちょっと用事が!」
「お、俺も依頼があったの忘れてた」
「か、かえって女房の手伝いしねぇと――」
一部のレンジャー達はよっぽどジェンのことが怖いのか、そそくさと扉を抜けてその場を去って行ってしまった。
「全くなさけない奴らね。稽古のひとつにも付き合えないなんて」
「いや、ジェンの場合稽古といっても大怪我を負う危険があるからな」
「……別に私はドムが相手でもいいんだけど――」
「勘弁してくれ! こっちも仕事があるんだ! それに支障をきたすようでは困る!」
慌てたように首と左右の手を同時に振る。その姿に零も思わずクスリと笑みをこぼしてしまった。
「何か楽しそうだね」
零がそう告げると、ドムも顔を綻ばし肩を揺らした。
「まぁうちは皆気持ちのいい連中ばかりだからな。町の連中も良く慕ってくれてて、おかげで仕事も途切れないのさ」
「何かレンジャーになる日が楽しみです」
「そうかい? それは良かった。ただ楽な仕事ばかりじゃない事だけは覚えておいたほうがいい」
「はい。肝に銘じておきます」
「安心してトイ。お姉ちゃんが危険な目になんて絶対に合わせないから」
そういったジェンの胸に零の顔が押し当てられる。
「いや! ちょ、お姉ちゃん、は、恥ずかしいから~」
「何言ってるのよトイ~姉弟でそんなに恥ずかしがる事ないじゃない」
そうは言われても、やはり巨大な果実を目の前にしては、零も冷静ではいられない。
「おいおいこれからレンジャーになろうって言ってるのに、あんまり甘え、というか過保護というか、とにかく少しは控えたらどうだい?」
「何を馬鹿な。これは姉弟のタダのスキンシップだ。おかしなことなんて何もない」
そういうジェンの腕からなんとか零が抜けだすと、少し残念そうにジェンが眉を落とした。
「全く激しいスキンシップなこった」
ドムが苦笑交じりに述べ。
「ところで今日はなにか依頼は受けてくかい?」
そうジェンに尋ねる。
「いや。特に重要なのがなければ今日はこれで失礼するよ。トイとちょっと寄りたいところもあるしね」
「そうかい。まぁハイゴブリンの件や、人攫いの連中の事もあったしな。少しはのんびりするのもいいだろう」
「あぁそれじゃあまたねドム――」
ジェンはそう辞去の言葉を述べ、そして零に顔を向けると、
「さぁいこっかトイ~」
と音符でも飛び出しそうな声で零の手を握り、協会を後にした――




