表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

地蔵の涙

作者: 中川聖茗

1.墓石からのメッセージ


 真如堂から黒谷さんー金戒光明寺に抜ける道は僕のお気に入りの散歩道である。真如堂は春は桜、秋は紅葉が美しく、また新緑の季節、夏、冬を通して一年中散策を楽しめる。四季を通じて観光客で賑わうこの寺の裏から墓地へ通じる道がある。この墓地を通って光明寺へといたるのがそのお気に入りの散歩道であるというわけである。

 なぜわざわざ墓場を通って、と思われるかもしれない。無論、ほかにも光明寺へといたる道はある。しかし僕は、歴史の街京都を感じるにこれほどふさわしい散歩道は無いと常日頃思っている。

 墓石に刻まれているのは故人の名前にとどまらない。死亡年月日、死亡場所、その他、故人へのメッセージなどが刻まれていることもある。それらを確認するのも困難なほど古い墓石から、ぴかぴかに光る最近のものまで、実におびただしい数の墓石の中を歩いていく。時々立ち止まっては、それら墓石に刻まれたメッセージを読んだりする。そして、その故人の人生に思いを馳せるのだ。そして問いかける。「何故あなたは死んだんですか?」

 無縁仏の墓もある。何か正体不明の石像があったりもする。夕暮れ時に歩くときなど、一瞬背中にひやりとするものを感じることがある。またそれが醍醐味であったりする。無論幽霊などを信じているわけではない。僕はそれが僕への故人のメッセージだといつも感じている。故人が何か僕に語りかけようとしているのだ、--そう思うと、そんな感覚も決して怖いものではない。ひやりとした方を向くと、墓石がにこりとこちらに挨拶をしているのが分かる。

 「こんにちは、よく来てくれたね。誰も来てくれないから寂しい思いをしていたよ」そう語りかけているのが見える。

 僕も挨拶を返す。

 「突然ごめんなさい。すぐに行きます。お休みのところ、騒がしくしたんならごめんなさいね」

 「いや、もう少しゆっくりしていってくれ」と、--いやさすがにそこまでの返事が返ってくることはないが。

 こうして光明寺の本堂のある境内へへ着くころには何か心に満たされたものが出来上がっていて、不思議な安堵感を覚えるのである。

 時間があるときには、さらに墓地の高台にそびえる三重の塔へ立ち寄る。階段を登らねばならぬので疲れているときはつらいが、そこから眺める京都の町はなかなか絶景である。 

 さてある日のこと、晩秋のころである。そんなお気に入りの散歩コースに行ってみようと、ぶらりと家を出た。いつも気まぐれである。真っ赤な紅葉を見たかった。土曜、日曜はなるべく避けるのが常である。人を眺めに行ってるようで、風情も何もあったもんじゃない。

 近年、京都の紅葉は美しくない。三十年も前から京都の紅葉を眺め続けている僕の目にはそう映る。大気汚染、酸性雨、地球温暖化、いろんな原因があるのだろうが、なんとも昔が懐かしい。一面血に染まったような見事なまでに美しい紅葉を見ることは本当に稀有になった。

 そんな思いに耽っているうちに電車は阪急河原町駅に到着した。ここからは徒歩である。

阪急河原町駅から金戒光明寺まで徒歩で、と聞くと京都に多少の土地勘のある人なら怪訝に思うことだろう。早足でざっと三十分はかかる。大抵の観光客はタクシーに乗る。しかしこの途中の路もコースを選べばそれなりに楽しめる。

 私のお気に入りは、四条大橋を渡り、白川通り、祇園新橋を抜け、東大路通り、知恩院北門の前から白川に沿って平安神宮、そして金戒光明寺--いわゆる”黒谷さん”へと至るルートである。

 承安五年(千百七十五年)法然上人が比叡山の黒谷を下り、この地に草庵を結び専修念仏のための道場とした、と伝えられることが、この寺が”黒谷さん”と呼ばれるゆえんである。

 そもそも黒谷さんそのものが観光地京都にあって穴場的存在である。秋の紅葉シーズンに真如堂が銀座並みの混雑を呈しているときでも、すぐ隣のこの寺は人も少なく、落ち着いて散策できる。またそれなりに趣もある。法然上人ゆかりの地であることから平安、鎌倉の古の時へ想いを馳せるもよし、幕末には、会津藩が陣を取り京の都の治安に当たった場所でもあるから、新撰組の活躍を思い浮かべながら散策するのも良いだろう。

 壱千年の時の流れを感じつつゆっくりと京都の街を歩いて欲しい。京都の町に昨今あふれる観光バスの行列を見て思うことである。自分の足の裏に、歴史を直に感じる。これが京都の散策の醍醐味である。だから歩く、ひたすら歩くことで京都の良さは本当に理解できるのだ。


2.女子霊との遭遇


 さていつものとおりのコースを辿り、黒谷さんにたどり着いた。三十年前と違って五十才近くにもなるとさすがに多少は疲れる。しかしここの空気を吸うと心が安らぐ。疲れも不思議と和らぐ。歴史ある建造物には古の都人のエネルギーが蓄えられているのかもしれない。 

 森林浴ではないが、これらの建物の中に身をおくと何か霊的なものが降り注いでくるのを感じる。これも京都の散策の魅力であろう。

 光明寺の散策は、しかし、後回しにしてまずは真如堂へと向かう。

 脇道へそれると真如堂へ向かう小道がある。この道も観光シーズン中であっても、あまり観光客で溢れることはなく、ゆっくりと散策を楽しめる。紅葉のピークは過ぎたとは言え、途中、小ぶりながらも見事な紅葉を鑑賞も出来る。

 本日は天気もよく、晩秋の京都は空気も澄んで、まことに爽やかであった。

 十分もかからない。真如堂にたどり着いた。人はさすがに少ない。あれほど鮮やかだった紅葉もほとんどが散り散りで、残った葉も色は褪せてしまっている。その儚さが侘しいのではあるが、しかしまた美しいのだ。

 春の桜はたとえ一週間で散ってしまうとしても、そこに新しい命の息吹を感じるものである。しかし、秋の紅葉は何か人生そのものを考えさせる。清少納言も言っているではないか、「春は曙……秋は夕暮れ」と。晩秋の京都で夕暮れを過ごすとそんな清少納言の言葉を「げに」と思うのも当然の反応と思える。そんな想いにとらわれながら、真如堂の境内をさらに奥へと進んでいった。

 京都の街は今に至るまでに、一体どれだけ数多くの災害に見舞われたことだろう。戦乱、火災、落雷、地震、鴨川の氾濫、伝染病の蔓延、そして飢饉。一体どれだけ多くの人々が苦悶の表情を浮かべながら死んでいったことだろう。

 そういったことを鑑みると、この街で本望ならず死んでいった人々の苦悩に満ちた霊魂の彷徨いを、折につけ感じることがあると、そう僕が言っても決して過言ではないとうことを読者は理解して下さるだろう。

 この真如堂の裏手から広がる黒谷さんの墓苑もまさにそういった場所の一つである。僕はここを散策するたびに強い霊気を感じる。彼らの悲しげな叫びを聞く。一体何と叫んでいるのか、しかしその声の中身まではわからない。僕にもっと霊能力があれば、と思ったりもする。でもそれも怖そうだ。死者と会話できる能力なんてもし身に着けてしまったら、実際はありがた迷惑もいいところだろう。

 いよいよ真如堂の裏手からその黒谷さんの墓苑に入る。風情のある景色から一転、目の前に無数の墓標が広がる。中には恐ろしく古いものもありこの墓苑の歴史を感じる。無論墓苑の歴史まで調べたことはないのでいつの時代ごろから整備され始めたものか、詳しいことはわからないが。

 恐らく軽く一万を越えるのではないか、殆どが西を向いて立てられているその墓碑は、夕日が沈む頃には美しく照らし出されて、古人の西方浄土の思想を偲ばせる。ここ黒谷の丘は南無阿弥陀を唱える浄土宗の念仏信者たちにとって、彼らの墓苑として整備するのにまことにふさわしい場所であったのだと、そんな墓標を見ていて実感する。

 そんな思いに浸りながら、いつもの散策コースを辿る。即ち、墓苑の中の道を通って南へ下がっていく。その間、墓標に刻まれた名前など見ながら歩いていくのである。名前、逝去場所が大抵刻まれている。いろんな形の墓石があるのも興味深い。

 快適な散策である。天候は良く、寒すぎることも無い。いつものように運慶作と伝えられる文殊菩薩像が安置される三重の塔の前の階段を右手に曲がって斜面を下りようとしたときである。

 丁度日が沈みかける頃でもあり、夕日が眩しく、斜面に照り映えて美しい光景であった。あまりの美しさに思わず後ろも振り返ってみた。塔も美しく輝いているだろうかと、ふと思ったからである。

 三重の塔も美しく黄金色に夕日によって照りだされていた。

「ああ、きれいだ」

 と、思わずため息をもらしたその瞬間である。その塔の傍らに人影が見えた。若い女性のようである。着物を着て、塔の周りを歩いている。不思議な光景であった。ここで着物姿の女性を見ることはあまりない。お彼岸の頃とかであれば、全く見ないという事はないが、殆ど年配の女性で、若い女性の着物姿は何か違和感があり、夕日に照りだされているせいもあるのだろうか、周囲の光景から浮き上がった感覚の人影は美しくもあり、また怪しげでもあり、何か惹きつけられるものを感じた。

 疲れてもいたし塔の方へ向かって登っていくつ8もりはなかったが、「誰だろう?」という興味も手伝って、その日は右手に曲がらず、左手に曲がり、斜面を登って三重の塔の方へ向かった。

 三重の塔まではすぐだ。多くの墓標に挟まれた階段を上るとすぐに到着した。しかし先ほどの女性の姿は見えない。裏手に回ったのだろうか。「変だな」と思ったが、とりあえず塔の裏側へ足を向けた。「おかしいな、誰もいないぞ」そんなことを考えながら気がつくとぐるっと塔の周りを一周して、正面に戻っていた。

「幻でも見たのだろうか。」

 そう思ったその瞬間、眼下にその女性の姿が見えた。「えっ?」思わず心の中で叫んだ。階段のはるか下の方で、着物姿の女性が、多分さきほど見た女性であろうが、彼女がある墓標の前で佇んでいる。


3.せつない祈り


「そんな馬鹿な!」と思ったのも無理はない。どんな早足でも、この塔で僕と行き違いになったのだとしても、すれ違いざま、あそこまで一気に駆け下りるのはとても不可能だ。

 狐につままれた気分だった。幻でも見ているのか。しかし、眼下にははっきりとその女性が見える。ただ先ほどと同様、周囲の光景から何か浮き上がった感覚である。夕日に照らされているためだろうか、とそんな思いに囚われながら見下ろしていると、何かぐぐっと引き寄せられる力を感じた。何かしら不可解な気分ではあったが、僕はその女性の下へ、ともかく階段を降りていった。

 今度は女性はそこに留まったままである。僕は女性のすぐ近くまで来た。彼女はある墓標に向かって懸命に手を合わせて祈っている。

 僕はその横を、正確には彼女の背後を通り過ぎた。その瞬間何とも心地よい香りに包まれた。何と表現してよいのだろう。甘く切ない、そしてなんとも物悲しいような、……この世のものとはというてい思えないような……。

 次に一瞬強い引力を感じた。深い淵へ引きずられるような、それは一旦引き込まれると、二度と出ては来れない様な、そんな恐怖心に満ちた感覚が体を支配した。

 「あっ」

 と思ったが、体は金縛りに会ったようでなかなか自由が利かない。

 「このままではまずい」本能的にそう感じた。必死の思いで、全身の力を振り絞ると、ようやくその場を何とか通りすぎた。いや、「這いずり出た」とでも言った方が感覚的にはより近いだろう。彼女の元から少し遠ざかり、体の自由が利くようになったのが分かると、何か恐怖感からとでもいうべきか、僕はそのまま後ろを振り返ることなく一気に階段を駆け下りた。下まで辿り付くと、全身の力がどうっと抜けた。そしてその場にそのままへたり込んだ。

 強烈なめまいがした。

「何だったんだ、今のは」

 そう思いつつ、恐る恐る後ろを振り替えった。夕日に照らされた黒谷の丘が目の前にあった。三重の塔が美しかった。

「あっ!」

 僕は言葉を失った。女性の姿が見えない。周りを見渡したがどこにも見えない。

 背中に瞬間寒いものを感じた。それでも僕は暫しその場に佇んでいた。怖くもあったが、墓苑が夕陽に照らされて黄金色に染まっているそんな情景の美しさにも見とれてしまってもいた。

「何だったんだろう、今のは」

 体に力が戻ってくると、僕は急いで墓苑から光明寺の本堂がある境内に出て、そのまま本堂の階段にへたり込んでしまった。一連の出来事に、頭が完全に混乱していた。

「あの女性、一体何者だろう」

 すると、今度は徐々に恐怖心が心に湧いてきて、それがどんどんと大きくなった。

「とにかく今日は帰ろう」

 あたりはかなり暗くなってきた。僕は家路を急いだ。三門をくぐり黒谷さんの参道へ出た。人で賑わっている通りに出て、ようやく僕は心に落ち着きを取り戻した。ただ、頭はやはり混乱していて、いつもならゆっくり来た道を帰ることが多いのだが、その日はタクシーを使うとそのまま四条河原町まで一気に向かい、そのまま帰宅した。


4.地蔵の目の涙

 

 その日の夜はなかなか寝付けなかった。今日体験したことを思い出すのだが、不思議なことの連続に些か辟易してしてしまって、冷静な分析などはとても無理というところだった。

「あの女性は……」

 と、そこまでは考えるがそこから先へなかなか思考が進まない。

 あの強烈な引力は一体何だったのだろう。それにあの周囲からの浮き上がった感覚、あれは一体何だったんだろう?確かに、僕は今までにも多くの不思議な体験をしている。よく体験したのは、人とすれ違いざま、何かしらの違和感、非現実感というのだろうか、実体の無さとでも言うべきか、そんなものを一瞬感じることがる。すると、そんな時は、後ろをすぐに振り返るのだが、今すれ違ったはずの人が、視界には存在しない、というものである。

「そんな馬鹿な」

 と、言われるのがいやであまり人には話をしない。また、僕自身が特にこういう体験を怖いとは思わない。夕暮れや夜に体験することが多いが、恐ろしいとは思わない。いつも僕はこう考えるからだ。

「今の人は一体、僕に何を伝えたかったんだろう?」

 今回の件も、彼女が何か霊的な存在で僕に何らかのメッセージを伝えようとしたのは明らかだ、とは理解できていた。 

 しかし……。

 今回の経験は強烈だった。特にあの引力は怖かった。

 先にも述べたが、僕は自分をそんなに霊感が強い人間だとは思っていない。世の中には僕よりももっと霊感の強い人間が数多く存在することは間違いない。そんな中で、わざわざ僕を選んで引き込もうとまでしたのは何故だろう?そう考えると、僕はもう次に選ぶべき道を決めていた。

「もう一度行かねば!」

 自分の目でしっかりと事の成り行きを見極めよう、そう決心すると、なかなか眠れないでいたのが、不思議なことに幾分気持ちが和らいで、いつしか僕は浅い眠りについていた。


 次の週、僕は再び黒谷さんへと向かった。何か怖くもあったが、ともかくことの真相をはっきり知りたかった。

 無論、今日行って一体何が分かると言うのか、全く未知数ではあった。

 しかし物事には必ずそれなりの道理がある。あの女性が現れたのは必ずそれなりの訳がある。それならそれを中途半端で逃げ出してきた自分はある意味卑怯だとも思った。

「だから、ともかく行かねば」

 先週と同じく良い天気に恵まれて、晩秋の京都はやや肌寒いものの、日の当たるところでは若干暖かさも感じられ、まことに散歩日和というべき日であった。

 黒谷さんにいつものように到着すると、今回は真如堂へは足を運ばず、まっすぐ本堂から墓苑へと向かった。周囲には人も散見され、それほどうら寂しさを感じることは無かった。墓苑の中の階段を上がった。見上げると、何人かの人が階段を上り下りしている。墓参りであろう。

 それを見て、これなら大丈夫、と腹をくくり、僕は階段を上り始めた。

 女性のいた位置は大体覚えている。斜面の下のほうだ。そのあたりを目指して階段を上がっていく。

 このあたりだろうというところまで来た。

「さて正確にはどの辺りだったろう?」

 また吸い寄せられでもしたらどうしようか?という一抹の不安が無いわけでもなかったが、さいわい何の引力も感じなかった。そこで次に、それでもまだ怖々ではあったが、そのあたりの墓標を一つ一つ確認していった。何かあの時の体験の説明になるようなものがありはしないかと思ったのだ。

 するとふと異様なものが眼に留まった。

 お地蔵さんである。

「しかしなぜこんなところに?」

 思わず首をひねってしまった。そう異様なのは地蔵さんの存在そのものではない。小さいお地蔵さんであったが、それがある墓標の上に乗っかっているのである。−−ちょこんと。

 眼をこすってみたが幻を見ているのではない。

「誰かのいたずらであろうか?」

 あろうことか、墓石の上に地蔵が鎮座ましておられるのである。

 じっと地蔵を眺めてみた。石の 表面の光沢から判断して、墓石とは明らかに素材が違う。あとから墓石の上に乗っけられたものであろう。

 「しかし、一体誰が」

 そうして地蔵の表情を見ると、いかにも悲しげな表情をしている。

 その表情をもっとよく見ようと、墓石に近づいた。

 じっと地蔵の眼を見つめていると、次の瞬間驚くべきことが起こった。地蔵の眼から涙が流れ出たのである。……と、少なくとも僕の目にはそう見えたのだが。

「あっ」と驚いて後ずさりした瞬間、強烈なめまいが僕を襲った。目の前が真っ暗になり、その場にうずくまった。「またか!」前回経験した恐怖感が体を襲った。

「まずい……」

 その場で、ぐっと体を縮め、僕はめまいが治まるのを待った。

 

5.ある陸軍一等兵の戦死


実際にどれだけの時間が経過したのか僕にはよく分からない。

「大丈夫ですか」

 という男性の声がした。眼を開けると目の前に男性が立っていて、僕を心配そうに見ている。めまいは治まっていた。男性の手を借りて何とか起き上がった。

「大丈夫です。ほんの軽いめまいです」

 僕は男性に感謝の言葉を述べて頭を下げた。

「そうですか、お気をつけて」

 そう言うと男性は立ち去った。

「どうもご心配かけて申し訳ありませんでした」

 そう最後にもう一度感謝の言葉を述べ、男性が立ち去るのを見届けると、僕は墓石の方をあらためて振り返った。その瞬間、僕はまたまた驚きのあまり声を失った。

 地蔵が忽然と姿を消していたのである。

 もう一度眼を皿のようにして見てみたが、やはり無い。さっき確かに見たはずの地蔵はそこには無かった。

「……!」

 眼の錯覚かもしれない。「脳貧血を起こして幻覚でも見たのだろうか」そんなことを思いながら、地蔵が乗っかっていた墓石の周辺を丹念に調べてみたが、地面へ落ちた気配も無い。

 狐につままれたようで呆然としてしまった。

「あの涙は、確かに、確かに、−−間違いない。」

 僕は自分が見たものは確かに〝見た〝のだと心でそう確信すると、その墓石そのものを丹念に調べてみることにした。恐怖感は消え去って、それよりもこの謎を解き明かそうという熱心さが今や僕の心を支配していた。

 冷静さを取り戻そうと深呼吸をし、墓石の正面に立って、あらためてもう一度墓石を眺めてみた。

「陸軍一等兵、山田恭二、中国雲南省にて戦死」

 墓石の表面にはそう刻まれていた。

「この人も戦死者か……」

 僕は大きいため息をついた。

 ここの墓苑に限らず、大谷祖廟ほか、他の墓苑を歩いていてもいつも思うのは、何と戦死者の多いことであるか、ということである。当たり前と言えば当たり前なのだが、しかし、こういう墓標を見るたび心が痛む。異国の地で無念の死を遂げたこれらの人たちの心情を察するに、いくら同情してもしきれないやりきれなさと、その当時の戦争責任者たちへの腹立ちさがこみ上げてくる。

「名誉の戦死なんてありはしない 」

 いつもそう思う。せめて彼らの魂の安らぎを願うのみである。

 ともあれ……。

 僕はこの「山田恭二」なる人物について調べてみようと思った。今までにそんなことは考えてみたことも無かったが、今回は事情が違った。すべての謎を解き明かしたかったのだ。彼の人生が今回の不思議な一連の出来事に深く関わっている様に感じたのだ。

 気がつくとあたりの人影もまばらで、日が暮れかかっていた。夕日に照らされた墓標が美しかった。

「この人は、浄土へと旅立ったのだろうか」

 ふとそんなことを思った。「この人は南無阿弥陀仏と唱えながら死んでいったのだろうか? 」とも思った。

 たとえ靖国神社に神として祭られようが、ここ黒谷さんに立派な墓を建てられようが、そんなことを望んで喜んで死ぬ人がいるだろうか?死ぬよりは生きていたほうがいいに決まっている、そんな当たり前のことを、「そうではない」などと、どこかで時々理論を摩り替える輩が出現することに僕は激しく苛立ちを、怒りを覚える。

 この人には、子供がいたのだろうか、妻がいたのだろうか?−−ともかく調べてみよう、僕の決心は固まった。

 早速墓苑の管理事務所へと足を向けた。そこで尋ねれば、この人のことについて何か教えてくれるかもしれない、そんな風に思ったからだ。しかし、故人のプライバシーは教えられない、と一蹴されるかもしれなかった。

「ともかくも行ってみよう」

 時間も遅いし、管理人も帰ってしまうかもしれない。……そう思った僕は歩をいっそう速めて墓苑入り口付近にある管理事務所を目指した。


6.悲劇のインパール作戦


 山田恭二の生い立ちは、比較的簡単に僕の知るところとなった。

 というのも、黒谷さんの墓苑の管理事務所のおじさんは、親切心からというか、生来の口の軽さからと言うか、彼のことを尋ねると、すぐに、気さくにいろいろと彼のことを聞かせてくれたからである。

「ああ、山田恭二さんね。はいはい、彼の墓ね、そうなんや、わしらも実は困っとるんや」

 と言うと、彼は、山田恭二の墓の維持管理費が彼の父が昨年無くなってから未納になっていること、どうもほかに身寄りが全く無い模様であるということ、そのため寺としてはどうしたものか実は困っているという事など、すべて僕に話してくれた。

「あんた、彼の墓の維持費をこれから払ってもらえんやろか」

 との彼の半ば冗談と取れる提案に

「まあ、そうですね……」

 と言葉を濁すと、僕は続けて、彼から恭二の父の住まいの住所を聞き出すことにも比較的簡単に成功した。

「あんた、山田さんの知り合いかい」

 と、怪訝そうに尋ねる彼の問いに、

「いえ、まあ、……そんなところで……」

 と言い残すと、僕は墓苑を後にして、早速山田恭二の父の住まいに行ってみることにした。日が暮れるまではまだまだ十分時間がある。

 住所は京都市下京区である。すぐだ。僕は黒谷さんを後にして、山田恭二の父の家を目指した。


 そこは昔ながらの京都の民家が立ち並ぶところであった。随分と古い家が多い。

「まだ、昔の京都らしい所が残っている所だな……」

 と、そんなことを思いながら彼の父の家を捜し歩いた。

「あった」

 恭二の父の家は比較的簡単に探し当てられた。古びた”山田〝の表札が目に入った。しかし玄関は鍵がかかっていて無人である。

「さてどうしたものか」

 と、玄関で思案していると、隣の家からおじいさんが声をかけてきた。

「あんた、山田さんの親戚かい?」

 僕は「いいえ」と答えると、ここを訪れた理由を簡単に告げた。

「それならOOさんのところを訪ねてみなはれ」

 親切なおじいさんは、生前山田恭二の父と親しかったというご近所さんの家を教えてくれた。

「行ってみます」

 早速そこを訪ねてみると、彼の生い立ちの解明は比較的簡単に進んだ。そのご近所さんが懐かしそうに昔の話を詳しく語ってくれたのである。

「そうでしたか……」

 話を聞いて僕の心は沈んだ。

 彼からの話では、恭二は父、権三郎の次男であること、権三郎が長男に京都での家督を継がせた後、恭二は福井県小浜の醤油問屋に奉公に出されてしまったこと、さらに戦争が始まると、長男は海軍に入り、太平洋上の海戦で戦死、次男恭二も陸軍に徴収され、最期はインパール作戦で無残な戦死を遂げたとのことであった。

「名誉の戦死なんて、そんないいもんやあれへん。犬死や、ほんま、お父さん、お母さんは可哀想やった。息子を二人も無くしてしもたんやからな」

 彼は、恭二の母が二人の息子の戦死の後、心労から寝込んでしまい、その後間もなく病で死んでしまったことなど、権三郎が戦後、寂しい人生を送らざるをえなかった、そのいきさつを、時に目に涙を浮かべながら、僕に淡々と語ってくれた。

「インパール作戦……」

 聞いたことはある。

 愚かな隊長の無謀な作戦計画のため、結局は失敗に終わっただけではない。撤収のさいに、英軍の追跡、さらには飢えと、病気とに追い討ちをかけられ、白骨街道、と呼ばれるほどに累々と日本軍の兵の屍を連ねた、悲劇の結末を迎えた作戦である。

「山田恭二はその作戦で死んだ」

 僕の関心はますます深まった。

「小浜か……」

 彼の墓標に現れた地蔵の幻が、不思議と、僕の心の中で、小浜のイメージにぴたりと重なった。

 小浜へは何度か足を運んだことはある。京都からはすぐである。

「ここまで来たら、彼の足跡を徹底的に辿ろう」

 何か小浜からの引力を感じたのだ。何かが僕を待っている……。

 早速、次の祭日、僕は福井県小浜市へ向かった。


7.引き裂かれた恋


 山田恭二が出征まで暮らした町、福井県小浜……。久しぶりの訪問となる。といっても、いつもは車で通り過ぎるだけのことが多い。今回は調査が目的だ。朝、妻に「ちょっと出かけるよ」と言い残して、車で京都を出発した僕は、昼前にはもう小浜の町に到着していた。

 いい天気だった。しかし、日本海側へ来るといつも思うことであるが、晩秋のこの時期にはすでに風も冷たく、これからの厳しい冬の到来を予感させた。

 取りあえず僕は車を駅前の駐車場に止めた。

 自らの足で歩いてみて初めてその町の雰囲気が伝わってくる。これが僕の観光哲学である。この小浜も実際に歩いてみると、田舎の小都市ではあるが、こじんまりしてまとまっていて、町並も整然としていて、昔からの面影を伝えているのがなんとも心地よい。車で通り過ぎたのでは決して味わえない風情だ。

「やはり歩いてみるもんだな」

 しかし今回はのんびりと散策をしている余裕はない。目的の、山田恭二の奉公先の醤油問屋はまだあるのだろうか。恭二の父のご近所さんから聞いた名前は「丸亀」であった。僕は駅前のタクシーの運転手さんに最寄の交番の場所を聞いた。

 交番はすぐ分かった。しかし誰もいない。

「すいません!」

 と、大きい声で奥のほうに呼びかけると、お巡りさんが出てきた。

「実は……」

 と、ここを訪問した理由を告げると、彼は「あー、丸亀醤油ね。今もありますよ。ここの有名な老舗ですからね。ここからすぐですよ」と、僕に親切に道順を教えてくれた。とんとん拍子で話が先へ進んでいく。僕は何かに導かれているような感覚であった。

 歩いて行ける距離だと言うので僕はまずはそこへ向かうことにした。10分も歩くと醤油問屋はすぐに目の前に現れた。

 

 目の前に現れた丸亀醤油は近代的な建物であった。戦後建てられたものであるということは誰の目にも明らかであった。慌しそうに人が出入りしている。車の出入り、荷卸、とまことに賑わっていた。商売大繁盛、という感じである。

「さて……」

 と僕は考えた。

「こんな雰囲気では、突然入っていって、山田恭二のことを尋ねたところで、追い返されるのが関の山か?」

 しかし、躊躇する余裕は無かった。そもそも2日も3日も仕事を休めるわけではない。ここまで来たら破れかぶれ、という気持ちが僕を押し立てた。

「すいません!」

 店の中に入ると、受付らしい女の子がいたので、僕は早速来訪の理由を説明した。--即ち、かってここへ勤めていた山田恭二のことを何でもいいから知りたい、その当時のことをご存知の方は誰か居られないだろうか、と。「墓苑の管理費用の問題がありまして……」という理由にしておいた。墓標の地蔵の話はわざと伏せておいた。そんな話を持ち出せば、話が混乱することは勿論、追い返されるのがおちであったろう。

「私は、昔のことは知りませんので……」

 女の子は奥のほうへ行くと、年配の男性を連れてきた。彼は、怪訝な面持ちで、

「何か、昔のことをお尋ねでしょうか?」

 と、改めて僕に来訪の理由を問うた。

「はい」

 僕は、来訪の理由を再度説明した。ただ、一歩踏み込んで地蔵の話は伏せながらも、「実は個人的に太平洋戦争の歴史に関心がありまして、今はインパール作戦のことについていろいろと調べています。その中で、京都出身の山田恭二がこの作戦で亡くなったことを知りまして、彼のことをいろいろと調べていたら、ここにたどりついたわけです」と、ある程度正直に彼に来訪の理由を伝えた。

 年配の男性はじっと黙って聞いていたが、

「私はここの番頭ですが、そんな昔のこととなりますと、知っておるのは先代の社長だけだと思いますよ」

「そうですか」

 やはり話はそう簡単ではないようだ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。

「先代の社長さんとお話が出来ますでしょうか。はるばる京都から来ましたし、そう何回も機会があるわけではありませんので……」

 僕は思い切ってそう食い下がった。すると番頭は少し困惑した面持ちであったが、

「まあ、分かりました。よろしいですよ、電話してみましょう。毎日、庭弄りだけが日課ですから、昔の話をする相手が来たら喜ばれるでしょう」

 と、親切に取り次いでくれることになった。

「ありがとうございます」

 僕は、この地の人の素朴な親切心に触れて、なんとも清清しい気分であった。

「では、電話をかけてまいりますが……」

 番頭はそれでも多少怪訝そうな顔をしていたが、電話をかけに行ってくれた。

「お会いになるそうです」

 話はまとまった。

 先代の社長が快く会ってくれる、という。

 彼の家までの地図も書いてくれた。歩いて十分ほどだと。……僕は早速そこへ向かった。

 

8.悲しき恋の結末


「ごめんください」

 実に大きい家であった。庭弄りだけでも一日は悠にかかりそうだ。

 インターフォンを鳴らして待つことしばらく、話題の〝先代の社長〝が姿を現した。

「やあ、ようこそいらっしゃいました」

 先代の社長は実に気さくな人であった。名を木村権三と言った。八十歳前後かと思われたが、衰えを感じさせない矍鑠とした体つきであった。彼は僕を招き入れるとまずお茶を勧め、そしてゆっくりと昔の話を、僕の求めるままに詳しく語りだした。

「山田恭二……何とも−なつかしい名前じゃ。もうほとんど忘れかけておった」

 お茶をすすりながら、彼は目を瞑ると過去を回想し始めた。

「山田恭二さんのことをご存知ですか」

 僕ははるばるここまで来た甲斐があったと喜んだ。

「いや、覚えておる、と言っても名前だけじゃ」

 そこで、彼ははーっとため息をついた。彼の表情が少し悲しげになるのが横顔からでも分かった。彼は続けた。

「わしはここの木村家に跡継ぎに養子として貰われたんじゃが、それも戦争が終わって何年もしてからのことじゃ。戦争中何があったかは、両親から聞かされただけで、それも彼らは多くは語りたがらなかった。それはそうじゃろう、悲しい出来事だった。あまりにも悲しい出来事だった……」

「義理のご両親様はやはり戦争で息子さんを亡くされて、養子をもらったということなのですか?」

 僕の質問にどう答えるべきか、彼は思案していたようだ。ゆっくりお茶を飲み干すと、彼はすべてを語ろうと意を決したのか、はっきりとした口調で語り始めた。

「山田恭二が、本当はここの跡取りになるはずじゃったのだよ」

「えっ!」

 僕は思わぬ展開に言葉を失った。驚きの表情を隠せないでいる僕に対して、彼は言葉をゆっくり選びながら、過去のいきさつを語り始めた。

「ここまで、訪ねてきてくれたあんたに隠すこともあるまい。木村家には息子がいなかったんじゃ。子宝には恵まれなかった、ということじゃ。唯一、一人娘がおったのじゃが……」

 彼が語った全容はこうである。

 

 木村家には跡取りとなるべき男子がいなかった。彼らには一人娘がいただけだ。名を美代子という。木村夫妻はそれはそれはその娘を可愛がっていたらしい。町でも評判の美人の娘さんだったらしい。

 山田恭二はそんな木村家に奉公人としてやってきた。彼はすこぶるまじめで、商売を堅実に学び、いつしか美代子の両親に気に入られるようになった。また、恭二と美代子の仲もたいへん良く、「あの子を美代子と結婚させ養子として迎えようじゃないか。そしてうちの跡取りにしよう」と、美代子の両親もそんな思いを巡らすようになった。そして結局二人はいいなずけとなった。……幸せな日々。しかしすでに日本は戦争に突入していた。幸せな日々は長くは続かなかった。

 ついに恭二のもとにもある日赤紙が届いた。召集令状だ。

「帰ってきたら祝儀をあげよう」

 そう約束して恭二は戦地へ旅立った。

 そして……。

「そう、帰っては来れんかった。あんたが知ってるとおりのう」

 権三の目に涙が光った。彼自身も戦地での戦闘を経験しているのだろう。恭二の戦死のことから、自分の体験にも思いを巡らし、さらには死んだ自らの戦友のことにも思いを馳せていたに違いない。

 僕はこういうときに何と言うべきか言葉がみつからず、すっかり困ってしまって沈黙を守っていた。

 権三は、悲しげな語り口で、さらに話を続けた。

「まだ、ここからが本当に悲しい物語の始まりなんじゃ」

「まだ?」

 思わず僕は口を開いた。どんな悲しい話がまだこれから展開すると言うのだろうか。

 彼は言葉を続けた。

「それはじゃな……」

 と、語る彼の話はざっとこうである。

 恭二の戦死が伝えられると、当然の如く木村家は悲しみの涙であふれた。美代子の両親の落胆振りは無論大きかったが、それ以上に美代子の落胆は想像を絶していた。彼女は半ば半狂乱状態となり、誰とも口を聞かず、部屋に閉じこもって泣くばかりの毎日が続いたという。

「そして、ついにある日」

 美代子はこっそりと家を抜け出すと、ある朝、海岸へ赴いて、崖から海に身を投じてしまったのだという。

「何も身を投げんでものう……」

 そこまでいい終わると、彼は残ったお茶を飲み干した。

「そうでしたか……」

 僕はかくも悲しい、事の結末に、半ば心は放心状態となった。


9.魂に導かれて


 権三の話によれば、娘といいなずけを失った木村夫妻は、しばらくはどん底の精神状態であったが、それでも戦後何とか商売を立ち直らせ、権三を養子に向かえ、彼を二代目として家督を譲ったとあとは、悠々自適の老後を送ったのち数年前に二人相前後して他界したのだという。

「それでも、娘さんのことを思い出すたびに、二人は涙を流さずにはおられんかった」

 特にお母さんは、時間があれば娘が身を投じた崖に足を運び、そこで花を捧げ供養したのだという。

 僕はそこまで話を聞くと、ある決心を心に抱いた。

「権三さん、たいへん図々しいお願いですが、僕をその美代子さんが身を投じたという現場に案内していただけませんか。僕も美代子さんの供養をどうしてもそこでしたいのです」

 権三は僕の発言にやや戸惑った表情を見せた。しばらく下を俯いて考えいたが、顔を上げるとこう返事してくれた。、

「あんたも変わった人じゃのう。……−まあ、よい。何かの縁じゃ。わしも久しく行っておらん。久しぶりに訪ねてみようか。幸い、あんた、車で来とるのう。あんたの車で、わしも一緒にお供させてもらうとするか」

「ありがとうございます!」

 僕はこの老人の優しい心に深く感謝した。まだ日は明るい。車を飛ばせば現場にはすぐ到着するという。僕たち二人は車に飛び乗ると海岸へ向かった。


 小浜の海岸は実に美しい。僕は以前に訪れた「蘇洞門」を思い出していた。そこは花崗岩が波に打ち砕かれ、方状節理にそって海蝕してできた奇岩・洞窟・断崖が連なる所で、断崖から流れ落ちる滝が約六kmにも及び、その豪壮雄大な姿は、日本海側有数の景勝地と言える。しかし反面日本海の海は荒々しくもある。

「あそこに身を投げたのであればひとたまりもあるまい……」

 僕は彼女の悲しみの心情はいかほどばかりであったかと同情しながら、車のハンドルを握り続けた。

 美代子が身を投げた場所はその蘇洞門までは行かない。その手前だという。僕は助手席に乗る権三から道案内を受け、ようやく目的の場所に到着した。

 車を止めて、しばらく藪の中を歩くと目の前の視界が開けた。小浜の美しい海が眼前に拡がった。

「足元に気をつけなされ」

 権三に言われて、ハッとした。美しい景色に見とれてしまったが、足元はとても危険だ。断崖絶壁である。身を投げたこの場所は特に整備もされていない。足をすべらせればそれまでだ。

 僕たちは途中買い求めた花を海の見える断崖の一角に供えると、手を合わせて黙祷した。……僕の思い、権三の思い、それぞれに異なるが、死者への尊厳の思いは同じだ。僕はこの旅の最後がこういう形で締めくくられるようになって、悲しくはあるが、何かしらほっとしたような、そんな気分でもあった。山田恭二の霊がここへ導いてくれたのだ、とそんな思いだった。

 すると、突然権三が

「どうじゃ、下へ降りてみんか。向こうに下へ降りる道があって、そこから海岸まで降りることが出来る。亡くなった母は時々下まで降りていたようじゃ。それに……」

「それに?」

 下まで降りることに依存は無かったが、あまり時間が無かった。もう日暮れが近かったのだ。でも権三の言い方が気になった。

「何か下にあるのですか?」

 権三は答えた。

「ああ、下に当時の人が立てた小さい祠があるんじゃ。供養のためにじゃがのう。地元の人、皆が、美代子さんのことを気の毒に思うて、供養のために建てたんじゃ。わしも最近、それをまったく見てないもんじゃから、今どうなっているものか、……折角来たもんじゃから、一度様子を見ておこうかと……」

 権三の提案を僕は受け入れた。ここまで来たらすべてを見ておこうと思った。地元の人にそこまで愛された美代子さんとはどんな女性であったろうかと、そんなことにも思いをめぐらしていた。

 僕は彼とともに崖下へと降りる道へ向かった。

 少し険しい道を下ると、崖の下まではすぐだった。切り立った崖は下から見上げても迫力十分であった。しかし肝心の祠はどこにあるものか、すぐには分からなかった。

「もう潰れてしまったんじゃろうか。最近は誰も手入れをするものがおらんかったからのう」

 権三と僕は何かその残骸でもないか、周りを調べてみた。

 程なく、背高く生い茂った雑草の中に、朽ち果てた小さな祠を発見した。かろうじて元の形を維持してはいるが、覆っている雑草を払おうとすると今にも祠そのものが崩れ落ちてしまいそうであった。

「ありましたね」

 と権三に言って、祠の中を覗き込んだ瞬間、僕の体は凍りついた。

「これは!」

 思わず心の中で叫んだ。……自分の目を疑った。朽ち果てた祠の格子状の扉の向こうに地蔵さんが鎮座しているのだ。なんとも悲しげな表情を浮かべて。そして次の瞬間、その地蔵の目から涙が一筋伝い降りたのだ。

「これは……」

 僕の直感が働いた。「これは紛れも無く、黒谷さんの山田恭二の墓標の上に鎮座していたあの地蔵だ!」諤諤と足が震えた。「あっ」と思う間もなく、突然めまいを感じると、僕は意識をなくしてその場に崩れ落ちた。

 

10.果たされた使命


 どれぐらいの時間が経過したのか僕にも分からない。おそらく一瞬であったのだろう。

「大丈夫か!あんた!」

 という権三の大きい声で意識を取り戻した。意識を取り戻した僕を見て、権三はホーっと安堵のため息をついた。

「急にへたり込むものじゃから、ほんに、びっくりした。まあ、なにごともないようじゃからよかったが……。ちょっと無理をしすぎたかのう?」

「権三さん……」

 僕は、権三さんに事の次第をすべて話す決心をした。この人なら、僕の話をまともに受け止めてくれそうな予感がしたからである。

 京都、黒谷さんでの不思議な女性との出会い、地蔵の涙の幻……。すべてを話した。権三はその間黙って僕の話を聞いていた。

 すべてを聞き終わると、彼は、すべての事情は分かった、という表情で、こう僕に告げた。

「あんた、この地蔵さんを京都の恭二さんのお墓へ持って行って、そしてそこへ一緒においてあげたらどないや?」

「えっ?」

 唐突な提案に一瞬驚いた僕だが、すぐに権三さんの優しい思いが理解できた。

8なるほど……」

 うなずく僕に権三は言葉を続けた。

「美代子さんは彼と一緒にいたいんじゃろう。……こんなとこで一人雑草に埋もれているよりも、こんな寂しいところにほったらかしにされているよりも、そこのほうがなんぼ幸せやろう。頼む、責任はわしが全部持つ」

 僕も彼の言ってることが正しいと思った。ここに到って僕は確信した。……これが僕の使命だったのだ。彼女はなぜか僕を選んで、彼女の生まれ変わりとも言うべきこの地蔵さんを恭二の墓標に持ってこさせようとしたのだ。いつまでも二人で一緒にいるために。

「わかりました」

 僕はそう答えると、改めて彼と二人でその場で祠に向かって黙祷を捧げた。

 何と悲しい物語であろう!

 目の前に広がる美しい海と空!

 戦争さえなければ!……二人は幸せにこの美しい海と空をここで肩を寄せ合って眺めていたに違いない。これも運命なのか。運命というにはあまりに過酷だ。

 「あまりにも過酷だ……」

 そう思う僕の目からもいつしか涙が流れ出てきて、感情を抑えきれなくなって、次の瞬間僕は思い切り泣きはじめた。思い切り、思い切り泣いた。

 ……どれだけ泣いただろう。

 権三さんに促されて、僕たちは帰路に着いた。僕の若狭小浜の調査旅行はこうして幕を閉じた。


 それから一月程経ったある日のことである。

「あなた、手紙が二通来てるわよ。自分の部屋にこもる前に目を通していってよ。置いとかれても迷惑なのよ!」

 仕事から帰宅するなり、妻がリビングルームから声をかけた。靴を脱いでリビングルームに入ると、妻が郵便物の整理をしている。

「おいおい、まずは〝ご苦労様でしたね〝って言ってほしいんだけど?」

 僕がもらしたこの苦言に対し、妻は「何贅沢言ってるの!私がいるからこの家はもっているんですよ!はい、いいからこれ手紙!」とやり返す。いつもこんな調子だ。

「はいはい分かりました」

 と、手紙を手に取ろうとした僕に、妻はさらに皮肉っぽい口調でこう追加して言った。

「変な手紙ね、一つは金戒光明寺社務所、請求書在中、って何よこれ。あなた、また変なもの買ったの?もう中途半端な仏教マニアは困るわね。家の家計には絶対迷惑かけないでね。もう一つは、−−これは福井県小浜市から。木村権三?誰?もう、あなたの手紙って変なとこからばかり」

 妻は、僕宛の手紙をポーンと放り投げると自分宛ての手紙を点検し始めた。

「まあ、そう言うなよ」

 金戒光明寺からの手紙の中身は分かっている。墓苑の維持管理費の請求書だ。実は例の地蔵さんを恭二の墓標に置いておきたい、と申し出たところ、彼の墓の維持管理費を払ってくれるならいいでしょうということになり、先日地蔵さんを恭二の墓標に収めると同時に管理維持の契約書にサインしてきたのだ。

 その後も、何度か恭二の墓標にお参りしている。墓標の脇に置かれた地蔵は最初に僕に見せたあの悲しげな表情と比べると、最近はいくぶんか、和らいだ表情でいつも僕を迎えてくれるように見える。そしていつも、「ありがとう」と僕に語りかけてくれる。

 僕には聞こえるのだ。

 聞こえる人には聞こえるのだ……。それでいい。

 黒谷さんへ行く楽しみが一つ増えた、というわけである。

 そしてもう一通、木村権三からの手紙……。妻から名前を聞かされた時にも多少動揺はしていた。彼とは小浜で別れて以来連絡がない。

「何だろう?」

 僕は封をあけてみた。

 昔の人らしく、手紙は見事な達筆でしたためてあった。曰く……。


「拝啓、その後いかがおすごしでしょうか。実は先日、あなたが来られて、しかも、ああいう祠の地蔵の一件があったものですから、先代の父母の荷物を一度整理してみようと思いましたところ、一枚の古い写真を見つけました。山田恭二と木村美代子が仲良く並んで写っています。見ればさぞかし驚かれると思います。私も見たときには我が目を疑いましたが、あなたが小浜まで足を運ばされたその理由がすべて分かった感じがします。この写真はあなたが保管されることこそふさわしいと思いここに同封しました。よろしくお願いします。云々」


 へー、と思いながら、封筒の奥から写真を引っ張り出し、早速、写真を確かめてみた僕は驚きのあまり言葉を失った。

 僕が黙ってじっと動かないでいるのを、不思議に思った妻が横から写真を覗き込んだ。

「あら、これ、古い写真ね!でも、え?これってあなたのお父さんの若いときの写真?まあ、何、これ、あなたにそっくりね。生き写しじゃないの。親子って、まあ似るものだけど、ここまで瓜二つなのも気持ち悪いわね!ってことは横にいるのはお母さん?……」

 放心してしまって妻の言葉もあとは覚えていない。

 僕はじっと写真を見ながら、恭二の墓標へと僕を導いたあの不思議な女性のことを思い浮かべていた。

「あれは美代子さんだったのだ」

 今、彼女が僕の前に姿を現した理由がこれでようやく分かった。体から力が抜けていくのが感じられた。ほっとしたというのであろうか?……すべての謎が解けたというわけである。

 するとどうだろう、不思議なことに次の瞬間には僕の目の前には黒谷さんの墓苑の景色が広がっていた。

 黒谷さんに瞬間移動したような非現実的な感覚だった。何か自分で自分の映画を見ているような感覚であった。それも白黒の……。気がつくと、僕はあの地蔵の前に今紛れも無く立っている。するとどうだろう!次の瞬間にはその地蔵さんの姿が、優しい表情をした山田美代子へと変化した。そして彼女は僕に近づくとこう言うのである。

「ありがとう。本当に」

 彼女の目から一筋の涙が零れ落ちるのを僕は見た。僕も思わず涙ぐんだ。そしてこう答えた。

「いや、こちらこそ、本当にありがとう。命の尊さを教えて貰って!」

 すると彼女はうれしそうな表情をしてにっこり微笑んだかと思うとすっと姿を消した。

 ……その次の瞬間には僕は家のリビングルームに戻っていた。

 夢から覚めたような心持であった。しばし茫然としていた。

 その夜は何とも心地よい気分で過ごした。そして夢見心地のまま一晩を過ごした。快適な眠りであったのは言うまでも無い。

  

 さてそんな体験をした僕は、

 実は今日もどこかの墓苑を歩いている。いや歩かねばならないのだ。

 魂の世界は時空を超えるのだから、たとえ

 非現実世界に迷い込んでも歩き続けなければならないのだ。

 悲しげな魂の叫び声に耳を傾けながら、

 悲しげな魂の姿に目を凝らしながら、

 二人のことをいつまでも語り続けよう、戦争の悲惨さをいつまでも語り続けようと心に固く誓いながら……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 負担にならない長さの物語でしみじみとよませていただきました。作中の場所へいってみたくなりました。次の作品を期待してます!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ