プロローグ
プロローグ
「初恋はどんな人でしたか?」
他人との会話で良く上がる話題だ。
男子の場合では、幼稚園の保母さん、近所の年上のお姉さん、と答える奴もいるだろうし、自分の父親の再婚相手というディープな奴もいるだろう。
女子の場合でも、担任の先生だったりとか、テニス部のエースだったりすることもあるだろう。
もちろんこの俺にも語るべき暖かい初恋はあった。
ただ一つだけ普通とは違ったところがある。
俺の初恋の相手は人ではない。
歌声。
発声器官から生まれる歌声という現象に心を奪われたというところだ。
俺には、わざわざ他人に威張って、教えるような大それた名前はない。
”松本 翔太”
至って平凡な名前だ。
良くある名前を適当にランダムに選んで、決められたんじゃないかと疑うほどの平凡さである。
そんな平凡な名前を持つ俺の初恋は、小学三年生の頃だった。
今の俺も決してまともなやつでもないが、その頃の俺は名前に反して変わった子供だったと思う。
そもそも碌な小学生活をしてなかった。
学校にも別に行きたがらずに家で、赤い帽子を被ったヒゲオヤジのゲームをやっていたりしたし、無理矢理、親に車で学校に連れて来られても、授業になんか出ずに、学校中をぶらぶらしていた。
最初の頃は親も五月蝿く言ってたり、担任の教師達も頭を抱えていたが、入学して二年以上もその状態が続けば何も言わなくなるのも当然だろうと思う。
幸いだったのは、成績表に評価できないという理由で担任から嫌々受けさせられていた幼稚なテストの結果がいつもパーフェクトだったことだ。
このおかげで、親もまあ大丈夫だろうと自分達を納得させていたところはあるかもしれない。
そして、特別学級にぶち込まれなかったのもそのおかげかもしれない。
俺は気が向くままに、学校を徘徊していた。
本を読みたくなれば誰も居ない図書室で過ごし、飯時になり腹が空けば自分のクラスへ行き給食を平らげ、眠くなれば保健室のふかふかのベッドで横になった。
そのベッドに空きがなければ、校長室へ行き、頭の薄い禿げた校長なんか気にも留めずに、無駄に高そうなワインレッドのソファで眠ったこともあった。
ともかく、俺は異端児には変わりなかった。
俺の小学三年生の頃の記憶はそんなどうでもいいこととは別に語るべき出来事がある。
もう十年以上も前の記憶だ。過去を正確に描写することはとても難しいことであると思う。
現実だったのか、それともそれが後に修飾されて残った記憶なのかもしれない。
現実だったのか、妄想だったのか。
それを確かめることはもう出来ないだろう。
そんな不安を抱えながらも書くことしかできない。
ある作家は言った。
「完璧な文章など存在しない」
俺はそれを実感することになるかもしれない。
俺は不完全ながらも文章を組み上げていくしかない。
それが唯一の俺の慰めとなるかもしれないから。