ネクストスッテップ・インターバル
とりあえずこれで、寮母への挨拶は終わった。
せっかくだから、とこちらの遠慮という体裁の拒否をスルーしたアキラさんと再び正面玄関へ戻る。
なんでも裏口からは寮母室にしかいけない造りだとか。なにそれ欠陥住宅? すごいメンドクセーですね。という言葉を喉を通過する前に飲み込んだ。これから最低でも三年間は住む場所だ。マイナス評価してしまうにはまだ早い。
裏口は黒檀の一枚扉だった以外に特になんてことなかったが、正面玄関はちょっと凝った造りになっていた。館から突き出た形の庇――玄関口上部の雨よけの屋根――はよく見ると何かの花びらのようなレリーフが彫ってあり、それを支える四本の柱には蔦のようなレリーフが施されていた。この玄関口を一つの大きな花に模した演出だろうか。扉は両開きの二枚扉で重厚そうな濃い木色。ご丁寧にドアノックハンガーまで付いている。
「さぁ、」
先導していたアキラさんが扉を開け、あたしを招く。ああ、引き戸なのか。押すのかと思ってた。
あたしは素直に中に足を踏み入れ、思わず息を飲んだ。
「――ようこそ。ここが今日から貴女の住む所よ」
土足で上がるのが申し訳ないようなオプス・セクティレ調――多色石版をタイルのように組み合わせる装飾――の磨かれた床。エントラン・ホール式の吹き抜けと、螺旋階段。
壺や絵画のような調度品はないが、それが逆に無用物を排した均整のとれた美しさとなっている。……ここって日本よね? あたし知らない内に外国に不法入国とかしてないよね?
「どう? なかなか良いでしょう」
感激しているあたしに満足気に微笑を浮かべるアキラさん。この場の雰囲気のせいか、ただでさえ美人なアキラさんがよりキレイに見えてしまい、思わず見蕩れそうになる。
比べるべくもないくせに、なんとなくそれが悔しくて
「いいいいやぁ、べべべべ別にぃ?」
とか虚勢を張ってしまう。噛みまくりなのはご愛嬌。
「ふふ。そんなこと言って、お顔は正直よ?」
言われ、表情筋が緩みまくってるのを自覚する。クッ、情けない顔面め! ……なんか自分で自分を貶しているみたい。
「さ、行きましょう」
そう促して先に行くアキラさんを追いかけながら、この人はいつになったらいなくなるのかしらと内心で首を傾げた。
螺旋階段を昇って正面左手の奥。そこが今日から我が城となる一室である。いやまぁ我が城もなにも相部屋らしいが。ほら雰囲気とか意気込みよ。そういう心構えも大事なのです。
ノブを回すと鍵が閉まっているらしく、扉は開かなかった。留守なのかしら? と思いつつお京さんから渡された鍵をポケットから取り出す。この鍵一つとっても意匠が凝ってて、そのこだわり用に感心する。
室内は思っていたより広く、ベッドが二つ並び、本棚一体の机、タンスが置かれていながらもまだ十分な余裕があった。なんて贅沢。
「あら、あの娘たち居ないのね」
あの娘たち? 見た感じ二人部屋みたいだし、お京さんから聞いた同居人も一人だったはずだけど。
って、いやいやそれよりも。
「あの、アキラさん。何時まで一緒にいるつもりなのでせう?」
「今日一日?」
いい加減抱いていた疑問を問いかけたあたしに疑問で返すアキラさん。オーケー、その調子だと何を当たり前のことをとか思っていやがりますねこん蓄妾女。
なになになんですか? このオンナオオカミサマはさっそくあたしを美味しく召し上がる気ですか? そうは問屋が降ろさねぇ。他の誰彼はいざ知らず、このあたしが美人なだけの初めて合った他人様に、そう簡単にホイホイついてくかってんだべらんめぃ。
「はっはー笑えない冗談です。ここまでありがとうございました! ではでーはっ、サヨーナラー」
グイグイ背中を押してケダモノを追い出そうとするあたし。失礼かもしれないが知ったことではない。しっかりと意思表示をしないと後々大変なことになるのは世の常だ。あたしはそれをちゃんと学んでいる。主に漫画とかゲームとか、あと小説とかで。
それにあたしは某薔薇様に憧れる百面相主人公ではないのだ。思う立ち位置は賑やかしのモブAとか新聞部とかカメ娘とかそこらへん。主役サイドの相手をご所望なら他所をどーぞー。
そんなあたしの手をスルリと躱し、勢いに任せてつんのめるあたしの手を掴み、引き寄せるアキラさん。
「つれないこと言わないで、ソノちゃん。せっかくなのだから、仲良くしましょう?」
息がかかりそうな程顔を寄せ、そう優しく微笑みかけてくる。
いかん食われる!?
そう思ったあたしは、
「――っ!」
思わず突き飛ばすようにして、アキラさんの手を振り解き、大きく後ろに飛びずさってしまっていた。
やば。と思うも時すでに遅く。咄嗟に出た行動をフォローしようにも良い言い訳が思いつかない。
アキラさんは困ったような、悲しそうな、なんとも言えない微笑を浮かべてあたしを、無理やり解いた手を見ている。
「……着替えるんで、出てって下さい」
ようよう出てきたのは謝罪でも言い訳でも気の利いた冗句でもなく、そんなつまらない言葉だった。
「着替え、手伝いましょうか?」
「いえ、結構です」
気にしていないのか変わらぬ口調の台詞に、しかしあたしの声は若干カタい。
もしかしたらそれは、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
ただ純粋に、単純に仲良くしてくれようとしてくれていただけなのかもしれない。
もしかしたらこの学園での、初めてのお友達になれたのかもしれない。
けれどダメだ。考えてしまう。邪推してしまう。疑ってしまう。思ってしまう。気にするな忘れろと祈っても、浮かんできてしまう。
――イケナイ。らしくない。変わるんだ。変わったんだ。ソレはあたしじゃない。
気を抜けば押しつぶされそうな考えを必死に理性で抑える。黙れ、と。
「そう。それじゃあ、外で待ってるわね」
パタン――。
アキラさんはそんな風に笑いかけて、退室した。
一人になり。
叫び、壁を殴りたくなる衝動を、押し込め、抑えて、丁寧に殺す。
いち、にぃ、さん……胸中で小さく数を数えて冷静になれたのを確認してから、バックを開けた。
着替えるために脱いだシャツの背中が、知らぬ間に汗でグッショリと濡れていた。