(8)
『こんにちわー』
『konnnitiwa』
『www』
『are,nanndemozigautenainnda』
『チャット欄の右端のボタン、わかるかな。それをクリックするとちゃんと変換できるようになるよん』
『君、初心者さん? うちら結構長いから、よかったら色々教えてあげようか』
ふいに頭をよぎったのは、VOを初めてプレイした日のやり取り。チャットに文字を打ち込んでからエンターを押すまでの迷い。初めてPTに誘われ、参加した時のドキドキ感。味方のHPが一望できることへの驚きと感動。敵を倒し、倒されるだけで楽しかった時間。単独ではまず勝てないボス敵を大勢で一緒に叩くことにより生まれる連帯感。
そうした『初心者の祝福』とでもいうべき現象は、時が経つにつれて効率や惰性などといったものに押し流されていく。俺が飽きっぽい性質なのもあるかも知れないが、ゲームに慣れていくのに反比例して失われていく何かがあるのだ。
マンネリ化を招くものの最たる要因が氾濫する情報だ。プレイヤーが気を配れる人間ばかりであるならともかく、現実はそれほど甘くない。平然とネタバラシをする廃人(※1)プレイヤーが先行することによって、道の先に一体何があるのかが直接的ないし間接的に知らされてしまう。もしくは、逆にプレイヤーが攻略情報を求めるパターンもままある。ゲーム開始時からろくろく時間が経たぬうちに、そういったやり取りがそこかしこで起こり始める。
そうするとどうなるか。試行錯誤して進めていたまったりとした流れが唐突に加速し、競争が激化する。強くなりたいがために。冒険できる場所を一つでも増やすために。皆を出し抜いて利益を独占するために。獲得したレアアイテムを誰かに自慢したいがために。
それに付随して、より多くの時間をかけて強くなっていくヘビーユーザー。マイペースを守り、限られた時間の中で楽しもうとするライトユーザー。その垣根が猛スピードで広がっていく。ゲーム内にある種の格差社会が生まれるというわけだ。
格差は他にも存在する。MMOを語る上で欠かせない要素のひとつ、職業システムだ。各職業にはそれぞれ個性がある。戦闘に適した職業と適さない職業が存在し、キャラクターを操るプレイヤーにも得手不得手が存在する。
多くのゲームでは、単独では力を発揮できないものの、周りを支援する力に長じている職業がいくつか存在する。もっとも馴染み深いのは敵の攻撃によって負った傷を癒すことができる治癒士と呼ばれる類のクラスだ。
一般的な傾向として、MMOでは単独プレイより大人数でのプレイを推奨している。なので、キャラを成長させるのであれば概ねPTを組んだ方が成長速度も向上する。一見すると無害そうなこの二つの要素が、しかし根深い問題を引き起こす。特定の職業を募集したり、あるいは排除したりするプレイヤーが現れるのだ。
ゲームを進めていく上でレベルアップの問題は否応もなく付き纏う。自分自身のキャラが強くならないか、誰かの助けを借りない限り、強い魔物が巣くうエリアに進出するのが事実上不可能なためだ。
そうした背景からすれば、どうやってレベル上げという単調な作業を早く終わらせるか。そこに焦点を絞るプレイヤーが現れるのは無理からぬことだとは思う。ただ、俺の経験からすると効率ばかりを追い求める人間が雰囲気を良くすることはほとんどない。
一例を挙げてみると
『回復遅いよ、何やってんの!』
『魔力(MP)ポットがぶ飲みしない魔法職とかありえねえだろ、常識的に考えて』
『おまえ全然攻撃当たらねえじゃん、どんなくそ装備してんだよw』
などと上から目線の暴言を連発した挙句に
『抜けるわ』
というくそみそコンボを繰り出す輩が少なからず存在する。離脱宣言するのはまだましな方で、無言で抜ける者もいる。聞くに堪えない捨て台詞を残す者も、稀にいる。今あるもので間に合わせ、工夫し、なんとかやろうという姿勢は皆無だ。なぜなら、彼らにとっては効率こそが唯一無二の正義だからだ。人はそんな彼らのことを、畏敬を込めて効率厨と呼ぶ。
そういえば、たまたま同じPTに居合わせた社会人の友人が『会社の上司を思い出すわー、萎えるわー』などと個人チャットでぶーたれていた記憶が残っている。俺自身は未だ学生の身空なので正確に彼のニュアンスを捉えられたかどうか確証は持てていない。が、社会に出るのがちょっぴり怖くなったのは事実だ。
一応誤解なきように言っておくが、俺は効率を求める行為そのものを否定してはいない。限られた時間しかプレイできないのに単純作業に長い時間を割くのは誰だって避けたいだろうと思う。プレイヤー全員が強くて隙のない連携を取れるならば、もちろんそれに越したことはない。
要するに俺のスタンスは、そんなのはないものねだりにすぎないという現実に即しているだけだ。時間跳躍なんぞといったSFちっくなものが実現されない限り、誰にだって初心者な時期は存在する。世の中にオンラインゲームはごまんとあるが、だからといってやり慣れている者ばかりと組めるとも限らない。
実際、効率を求める人間は気の合った仲間同士だけで固定PTを組む傾向にある。そうすることである程度は自分が満足いくように出来るし、不特定多数の誰かを傷つけないで済む。臨時、即席PTで多くを求めることがナンセンスだと思う。
かくいう俺自身、昔は『正直すまんかった』を連発するレベルだった。不用意なタゲ取り。治癒術の医療過誤。チャット中の死亡。ソロ時の魔物列車(※2)によるMPK(※3)などなど。何度となく、他人様に迷惑をかけたことは認めざるを得ない。
だが今は、どういった職業であっても人並み以上にこなす自信がある。それはやはり、立ち回り方を懇切丁寧に教えてくれる人がいたからだし、それに応えようと練習した結果にすぎない。個人差はあるだろうが、へたれプレイヤーだって経験を積めば確実に上達するのだ。
■◇■
「ん、何見てんのよ」
「何となくだ、気にすんな」
隣で憮然と腕を組んでいる妹も、昔と今とではプレイヤースキルが雲泥の差だ。ただし、こいつの場合は化けたといった方がよりしっくりくるかもしれない。
一緒にVOをプレイし始めたのは、妹が中学に上がってしばらくしてからのことだったか。魔法という言葉に惹かれて後衛職をやっていた妹であるが、PT狩りですぐに死ぬので回復役さんの不興を買うこともしばしばだった。俺自身オンラインゲームを始めてから間もなかったこともあり、立ち回りのどこが悪いのかはっきりと指摘することができなかった。
『そこまで言うなら、いいわよ。要は死ななければいいんでしょ』
生来の負けん気が祟ったのか育てたキャラにあっさりと見切りをつけ、前衛職に転身。そこで妹の真の才能が開花した。というのはいささか大袈裟であろうか。敵に狙わせる行為。ターゲットを引きつけて体力のない味方を庇うのがやたらとうまく、やがては有名クランの要となった。
なんのことはない。人一倍反射神経に優れているがために敵が出現した際のクリックが無駄に早く、かつ後衛職向きの性格ではなかっただけの話だ。実際にこの目で確かめてみたわけではないのだが、今では後衛職も無難にこなせるとか。『待て』の命令を覚えた犬。そんなフレーズが脳裏をよぎる。
頬を緩めた俺に、妹が何を勘違いしたのか、悪戯っぽく笑った。
「もしかして、私の外装があまりに可愛くて見惚れちゃったとか?」
AV嬢が挑発するように腰をくねらし、上目遣いで見下すという高等技術を駆使した妹に、俺はせせら笑いで応えた。
「ははは、ご冗談を。俺は貧乳には興味ガッ!」
脛を思い切り蹴り上げられ、語尾が悲鳴に断ち切られた。さすがにゲーム内とあって現実ほどの痛みはないが、普通に効いた。ついでに言うと、俺の頭上に体力(HP)ゲージが表示され、あまつさえ一割ほど減っていた。あと九回蹴られたら死ぬのだろうか。いくらなんでも軟弱すぎだろう。
「て……てっめ、爪先かよ!」
「あーあー、聞こえない、聞こえなーい」
目を瞑り、耳を塞いだ妹に沸々と怒りが滾る。
と、先ほどまであったはずの痛みが急に薄らいでいった。足元を見ると蹴られた箇所が青白く発光していた。
GMバジーナが手に持っているボールペンをこちらに向けていた。治癒術、といったものが存在するかはまだわからないが、それに類する技能を使ってくれたのだろう。全快すると消える仕様なのか、体力(HP)ゲージはどこにも見当たらなかった。ボールペンぱねぇ。そして、ちょっと欲しい。
『あの、大丈夫ですか?』
「は、はいこの通り、全然平気っす」
顔を綻ばせて力こぶを作る俺の横で、ちっと舌打ちの音が鳴った。こいつ、後で覚えとけ。
と、一部始終を見られていたのか、人垣の後ろの方から新たな話題が提供された。
「これって、初めっからPK(※4)可なんすかね?」
ゲージが減少する様子をしっかり見ていたのだろう。妙に軽薄そうな声が聞こえた。初めて聞く声に対してそんな印象を抱くのも失礼だが、事実なのだから仕方ない。
『今回は特別なイベントということで、様々な制限を解除しています。ついでに申しますと、先ほどの天獅子に関しましても普段この辺りに姿を見せることはありません。少なくとも二つの条件を満たすまでは、PKに遭う心配はありません』
「へえ? それで、その条件っていうのは」
『それについては、私の口からは申し上げられません。プレイヤーの皆さんがご自分の目でお確かめください』
語調は柔らかいが、文脈は明確な否定だ。食い下がっても無意味なのを察したのだろう。つまんねえの、という捨て台詞を最後に声が途絶えた。
言動から推察するに、先ほど質問したのは十中八九PKをする側だろう。二つの条件。そのうちの一つは今までのオンラインゲームの傾向から一定以上の力を得ることだと推測できる。
もう一つに関しては何かしらのクエストが関連すると考えるのが筋だが、推測するにはまだ材料が足りない。こればかりはGMの言うように、プレイしてみないと何とも言えない。
はっきりとしているのは、これだけ臨場感を伴うゲームとなるとPKされる側の恐怖も生半なものでは済まないだろうということ。百戦錬磨の開発者にしてもそれは重々承知しているはずだ。制限区域を設けるか、PK行為に対して厳しいペナルティを課すかしても不思議ではない。
他に質問がないことを確認すると、GMバジーナの話は今後の予定に移行していった。
その中でも重要な連絡事項として、18日から始まるクローズβの日程とVR機のレンタルサービスが存在することを聞かされた。月六千円と決して安くはないが、纏まった金を捻出するのが難しい貧乏学生にとってはかなりありがたい。
なお、Closedβテストでは音声と文字で合わせて様々な報告を入れることがあるようだ。主な内容は制限エリアの開放や電波障害、不具合についての情報など。それについては、ゲーム内から公式のHPにアクセスが可能であるため、そちらからでも確認できるとのことだった。
「あの、話の途中で恐縮ですが質問いいですか?」
俺が控えめに挙手すると、GMバジーナはにこやかにうなずいた。周りにいるプレイヤーたちが一斉に目を向けるのがわかった。俺は声が裏返らないように大きく息を吸い、顎を下げた。
「エリアの解放があるとのことでしたが、レベル上限の解放はあるんでしょうか」
「それはつまり、レベルキャップ(※5)、ということでいいんですよね?」
「そうです」
「ありません。後日にゲームサイトが立ち上がりますのでそちらでも詳しい説明が載るかと思いますが、ディアスポラはレベル制とスキル制が融合された育成システムになっています」
俺は隣の妹と顔を見合わせた。一口にレベル制とスキル制の融合と言っても一体どういったものなのか判断がつかなかった。他のプレイヤーたちもあれこれと想像を巡らせているようだ。
「でも、いまどき珍しいよね。制限かかるのがエリアだけって」
「綿密な作り込みによる自信の表れってとこだろうな」
感心したように言う妹の表情は明るい。こいつもなんだかんだでこの場を楽しんでくれているみたいだ。連れてきた甲斐があったようで素直に嬉しい。
余談だが、レベルキャップがかからないとわかったのは俺にとっても喜ばしいことだった。大概のMMO開発会社側はより多くの収益を上げるため、プレイヤーに一カ月でも二カ月でも長く遊んでもらう工夫を凝らす。そのための方策として最も一般的なのが成長に対する束縛だ。レベルがある程度上がったところで成長速度を鈍化させる。もしくは、レベルに上限を設け、段階的なアップデートで上限を引き上げていく設定がこれに当たる。
モチベーションのことを考えた場合、レベルキャップに対する俺の意見は好意的なものにはなりえない。というのも、一度その天井まで到達してしまうとある種の達成感が生まれてしまうためだ。何度となく制限解除が行われるたびに、その都度上げ直さなければならないと考えると、どうしてもやる気が減退していってしまう。
パソコンでいうOSなどと同じく、オンラインゲームにはアップデートが付き物。それは建物でいう増改築みたいなもので、結果としてゲームの到達地点がより遠のくことを意味する。近づいてきたゴールが遠ざかるか。ゴールした後で新たなゴールが作られるか。そうした微妙な違いはあれど、以前に俺がプレイしていたオンラインゲームのひとつはレベルキャップが肌に合わなかったがために挫折した。料理を食べた時に一番おいしいのが一口目だと言えば、何となくわかってもらえるだろうか。
『それでは、そろそろ皆さんもじっとしているのが辛くなった頃だと思いますので』
説明が一段落したところで、GMバジーナがイベントの侵攻を仄めかした。場所を移動するのか。それとも魔物との戦闘か。言葉の続きに、否応にも期待感が湧き上がる。
『そろそろお開きにさせていただきます』
そしてこの台詞である。
「……は?」
「え、まじでか」
「いくらなんでもはやくね?」
失望の声が喧騒に変わる。その中には俺の声も混ざっている。当然だ。上げて落とすのは基本かも知れないが、それにしてもこの場でそれはいただけない。ざわめきの大きさは、裏返せばディアスポラへの期待のバロメーター。それを放置すればどういった展開になるか、運営側も簡単に予想がつくはずだ。
にわかに騒ぎ出したプレイヤーを前にして、GMバジーナは落ち着いた様子で下にずれていた眼鏡を直すと、再びボールペンを手に持った。
『ありがとうございます。名残惜しんでくださった皆さんの言葉を励みに、私たちGM一同、そして開発者スタッフ一同、みなさんとディアスポラの世界を盛り立てていきたいと思います。最後になりますが、みなさんにVRならではの臨場感を味わっていただくために、こういった催しを用意させていただきました』
催しという言葉に聞き耳を立てたプレイヤーをよそに、えい、と気合のこもった声が発された。GMバジーナが振るったペン先から蛍火のような光が生じ、くるくると螺旋を描きながら空に昇っていった。
はたと空に暗雲が立ち込め始めた。雲の中から下降してきたのは稲妻を思わせる線で結ばれた巨大な五茫星。そこから柱状の光が地上に落下。俺たちの視界を白く焼いた。そして――
地の底から轟くような鳴き声に、プレイヤーのざわめきが短時間で静まった。光が見る間に薄まっていき、反して巨影の輪郭が濃くなっていく。
「あ、あいつは……」
誰かが掠れた声で呟いた。この目で実物を見たことはない。だが、何かしらRPGをやった経験を持つ者ならば、その正体がはっきりとわかるだろう。
びっしりと体全体を覆う鱗は鈍く光るライムグリーン。地面を捉えた前足からは黒みがかった鋭い爪が三本覗いている。どうやら先ほどの音は高いびきだったようだ。ワニに似た大口をぴったり閉じて眠っている。
それでも、圧倒的な存在感だけは伝わってくる。重量も生半可なものじゃないようで、出現した先から地面が浅く陥没していた。身を丸めているにもかかわらず、二階建ての家屋にも匹敵する図体は、実際に目の当たりにすると言葉を失う。
多くの神話に置いて神と比肩する最強の存在。かつて恐竜の化石を目の当たりにしただろう先人たちが、畏怖と敬意を込めて創造した架空の生物。
どう見てもドラゴンです。本当にありがとうございました。
(※1)廃人:特定の趣味に没頭するあまり日常生活に支障をきたしてしまうような状態。またはそうした人たちのこと。
(※2)トレイン:近づくと攻撃を仕掛けてくる好戦型な魔物の群れから逃げ回ることである種列車のような状態を作り出すこと。
先頭を走るプレイヤーは逃走経路を見出すことに必死であり、周りが見えていないことが多いようだ。
(※3)MPK:Monster Player Killerの略。主にトレインによって好戦型モンスターを引きつれて逃げる途中、周りにいるプレイヤーに接近して巻き込んでしまうこと。悪意を持たない不慮の事故である場合がほとんどだが、狙ってやる人間も稀にいる。いずれにしても巻き込まれる側にとってはた迷惑な行為に違いない。
(※4)PK:Player killerの略。明確な害意を持ってプレイヤーを襲う行為のことを指す。ロールプレイの自由度を上げるという意味に置いては、プレイヤーに悪役の配役を割り振ることができる唯一無二のシステム。
冷やりとするようなスリルを求め、あるいは他人から収奪することに快感を得るプレイヤーに一般プレイヤーが脅かされ、割を食う。被害者と加害者のベクトルが一方的であるがために、システム発足当初からしばしば問題視されてきた。
開発者側が容認している場合に限っては、そういう仕様のゲームだと割り切ってプレイするしかないのだが、未だに運営サイドに苦情を寄せる者は後を絶たないようだ。
(※5)レベルキャップ:段階的なアップデートでレベル上限を引き上げていくシステム。プレイヤーが強くなり過ぎないようにすることで、魔物の強さに応じて侵入できるエリアと出来ないエリアをはっきり区分けすることが出来るため、ゲームの進行、到達速度を調整しやすくなるメリットがある。でもプレイヤーの足枷。