(7)
突如として姿を現したオーガの女は、周りに陣取るプレイヤーたちを舐めるように見渡し、コホンとひとつ咳払いした。
『皆さん初めまして! 私ディアスポラの水先案内人、GMのバジーナと申します。どうぞよろしくお願いいたします!』
GMを名乗った女が勢いよくお辞儀をした。おそらく、誰もその言葉を疑う者はいなかっただろう。彼女の快活な声は先ほどからゲーム内に流れていたのと同じものだった。
首元に刺繍が入った白いブラウスに膝丈くらいのスカートには際どいスリットが入っていて、しかし上の方は下着が見えないように四本のピンで止められていた。ぴっちりとしたパンストに包まれた足は扇情的なライン。銀ぶち眼鏡と赤いスーツのセットはなんとも大人の色気を感じさせる。
「よろしくお願いします!」
「赤いのキタコレ」
「むしろやつは金じゃないのか」
「クワト……じゃなかった、バジーナさん。素敵なお名前ですね」
「携帯の番号教えてください、メアドでもいいっす」
「彼氏はいますか? それとも妻子持ち?」
「やっぱり三倍の速さで動いたりするんですか?」
『え、ええっと。あのお、そのお』
ノリのいいプレイヤーたちに困ったような笑顔を返すGMさん。さすがにこの人数の話し声となると聞き分けるのも大変そうだ。それにしても、何十年も前のアニメネタをみんなよく知っているよ。理解できる俺も人のことは言えないけど。
『そ、そうそう。接続前に説明がなくて申し訳なかったんですが、今回の試写会に当選した皆さんには優先的に外装データとキャラの名前を決める権利が与えられています。それから、もし今回作成した外装が気に入らない場合には、一度きりですがClosedテスト開始日の三時間前から再構築が可能になります』
徒労という言葉が脳裏を過ぎる。確かにその話は先に聞いておきたかった。悩みに悩んだあの時間とは一体なんだったのか。
「やっぱりなー。制限時間あるって聞いた時点で、そんな予感はしてたのよね」
そして、知ったふうな口を利く妹の横目が痛い。
『ただ、名前の変更は不可能ですので、どうしても変えたい場合には申し訳ないのですが一旦消去し、Closeβ開始日に新たな外装を再構築してください。よろしくお願い――――あら?』
なにかに気づいたような素振りを見せるGMさん。ほとんど同時に、風を切り裂く音が近づいてきた。何人かのプレイヤーが空を仰ぎ、悲鳴とも歓声ともつかぬ声を上げた。俺も釣られて上を見た。
雪色の巨大な獅子だった。肩に生えている鳥のような翼を固定し、急降下に入る。
ぶつかる! 反射的に身構えた瞬間、獅子が大きく翼をはためかせた。EE車のような巨体が円弧を描くように上空すれすれを滑空していく。咄嗟に腕を掲げて生じた風圧から顔を庇う。足の付け根くらいの高さの草が左右に割れ、土埃が直線状に立ち上ってプレイヤーたちを分かつ壁を作った。
掲げた両腕の隙間から、遠ざかっていく獅子を見止めた。土埃の障壁に霞む白獅子は上昇に転じ、こちらを一瞥だにすることなく太陽の方角へ飛んでいった。
「すっげ。なんだあ今の……」
「と、鳥肌立っちゃった……」
オーガの大男とスマートなエルフの女が唖然と呟いた。お互いの身を寄せ合っていることから、二人組で参加したのだろう。リア充食われろ。
おっと、本音が。
他のプレイヤーたちもおのおの硬直から解かれ、肩にはらはらと降ってきた羽を掃ったり、今はもう豆粒大になった獅子に目を細めていた。
『ただいま上空を通過いたしました天獅子は、ディアスポラの住人たちにも相当に恐れられている魔物。ですが、いずれは皆さんもああいった魔物たちと心を通わせ、空を自在に飛び回ることも可能になるでしょう』
GMバジーナが語り口調で補足を入れた。プレイヤーの感動の余韻を打ち消さぬよう、慎重に言葉を選んでいるようだった。
6つものMMOを渡り歩いた俺だからわかることだけれども――とはいっても長続きしたのはVOだけだが――これが気の利かないGMになると『今の魔物はレベルが高いから注意しろ』だの『飼育すると乗れるようになるよ』だのといった説明に終始して雰囲気や世界観を台無しにする。人選ひとつとっても、エランド社がこのゲームにかける意気込みが伝わってくる。
『また、ディアスポラには未開の地や神々の遺産に関する伝承が数多く残されています。皆さんの探究心と開拓心次第で世界は無限に広がりを見せていくはずです』
この日のために何度も練習しただろう淀みない説明を聞きながら、俺はなおも空を眺めていた。天獅子とやらを見ていたわけではない。太陽の眩しさと、大きさに目を奪われていたのだ。陽光の温かさについて現実と差異はないように感じられたが、円の直径が現実の倍くらいはあった。
と、くいくいっと脇から袖を引っ張られた。
「ねぇ、これ見てよ。影が二重になってる」
やや興奮気味の妹に促されて足元に視線を落とすと、その通りだった。色濃い影が踵側から、それよりはかなり薄い影が爪先側から伸びていた。まるで、時計の長針と短針みたいに。見ていると、薄い影の方は少しずつ移動しているのがわかった。
訝りながらも顔を上げると、ちょうどこちらを見ていたGMと目が合った。彼女は――気のせいだったかも知れないが――にっこりと俺に笑いかけ、それから回りに視線を走らせた。
『この世界を生き抜く上で、重要な説明をいくつかさせていただきます。既に気づかれている方もいるかと思いますが、あちらをご覧ください』
GMバジーナが優雅に右手を掲げた。そちらには先ほども見た大きめの太陽があった。
『あちらがディアスポラを照らす太陽。そして――』
今度は体の向きを変え、後方を指し示した。
「え、太陽が二個?」
戸惑いの声がちらほらと上がった。まだ気づいていなかった者も少なからずいたようだ。そんなことにも気づかなかったのか、といった表情のプレイヤーもそれなりにいる。ドヤ顔のうざさを改めて認識。
ゲームの世界だからと切り捨てれば済む話なのだろうが、太陽が二つある空はとても異様な光景に思えた。背中の表皮の内側を虫が這いずっているような感覚。おそらくは人の根源に関わる何かから、強烈な拒否感が発されているのだろう。
『こちらの天体は時限光と呼ばれているもので、二時間ちょうどで太陽の周りを一周します。外での時間を知る目安になりますので覚えておいてください。補足すると、夜には太陽の消失と共に時限光も消えてしまいますので早めに人里へ戻られることをおすすめします』
「あの、そのことに関連してなんですけれど、質問いいですか?」
いかにも大人しそうな、おそらくは中学生くらいのデヴィルな少年がおずおずと手を挙げた。GMバジーナはどうぞというふうにうなずいた。
「この世界の時刻って、現実の昼夜と一致しているんですか? それと、時間の確認方法って他にはないんですか?」
俺の見識からするとやや無粋な質問にも思えたが、GMバジーナの表情は先ほどと変わらなかった。口元に握り拳を当てて考え込む仕草が可愛らしい。数秒黙考したのち、彼女が顔を上げた。
『ディアスポラでは現実世界における8時間が一日の目安となります。つまり、24時間に対して三回昼夜の入れ替わりが起きることになります。先ほど申しました通り、夜間の活動はあまり推奨していませんけれど』
「となると、時差が現実の体の方に悪影響を及ぼすような恐れは……」
GMバジーナの顔に再び笑みが戻った。想定の範囲内の質問だったのだろう。
『それについてはご安心ください。体内時計、いわゆる恒常性が狂ってしまうようなことはありません。ディアスポラオンラインではαテストにおいて最新の脳医学に基づいた治験を行っており、脳内に特殊な電波を適時送信することによって時間差のひずみを是正することに成功しています。健康面への被害も現時点では確認されていません。やりすぎ以外はね』
それだけが心配だと言わんばかりにGMが肩を竦め、プレイヤーたちの笑いを誘った。クラスや部活、課外活動内のムードメーカーと同様、こういう気配りのできるGMがいるだけで、そのゲームはより一層受け入れられやすくなる。
まあでも、ゲームの依存性については頭に入れておく必要があるだろう。たびたび問題視されていることだし、俺自身も中二の時で懲りているからな。初めて赤点を目にした時のショックは、とても忘れ難い。
『それから時間の確認方法ですが、まず、ディアスポラ内で確認できるのはあくまで現実の時間であることにご注意ください。もちろん自分が接続した時間と空模様を照らし合わせ、およその時間帯を逆算することは可能です。が、当社といたしましてはそうした行為は世界観を損ねると考え、推奨しておりません。時限光の目測に慣れていただければ、太陽との位置関係を見るだけで自然と時間の把握ができるようになりますので、その点はご了承いただければと存じます』
「わかりました、詳しい説明ありがとうございます」
少年がぺこりと頭を下げ、引き下がった。GMバジーナはそれ以上の説明――1日を8時間にした理由などについては言及しなかった。おそらくその必要はないと判断したのだろう。
今ここにいるプレイヤーはたまたま同じ時間に集っているが、実際に接続する時間は十人十色だ。社会人であれば遊べるのは夜以降になるだろうが、部活動やアルバイトをしていない学生だったら夕方辺りから始められるだろう。休日、あるいは夜間に働いている人なら朝昼のプレイも可能だが、完全に24時間を一致させるとどうしてもプレイできる時間帯の偏りが出てくる。
これだけ作り込まれた世界であれば、昼夜が違うだけでも全く違う印象になるだろう。天候の変動も四季もあるとのことだし、開発者側としても作り込まれた世界観を余すところなく体感して欲しいと思っているはずだ。時間によって発生するイベントが異なることだってあるかもしれない。
早くこの世界で遊んでみたい。ディアスポラへの強い期待感を、周りにいるプレイヤーたちの表情が何より雄弁に物語っていた。