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Diaspora Online  作者: 本倉悠
序章 仮想世界への誘い
3/10

(3)

「瑞貴、聞いてくれ。涙なしには語れない、俺の話を」


 MMO好きの友人Aが俺こと七城(ナナシロ)瑞貴(ミズキ)の前で鼻をすすりながら仔細を語り始めたのは昨日の朝のHRだった。

 話の要点を集約すると、MMO管理会社のエランド社がVR技術を導入した新作の体験イベント参加者をHPで先月一杯まで募集していたことが発端らしい。

 体験イベントについては寝耳に水だったが、エランド社のVRMMOサービス開始という噂はそこかしこで耳にしていた。現行の看板タイトルであるVOヴァルハラは他MMOとうまく差別化を図ったこともあって未だに多くのユーザーから一定の支持を得ていたが、サービス開始から四年が経過していることもあって新規ユーザーの参加が頭打ちになり、ゲーム内人口は減少の一途を辿っているらしい。

 ユーザーの入れ替わりが激しいこの業界。MMO一作当たりの寿命はよくて5年、悪ければ1年以内とかなり短い。ユーザーの常連化をいかにするかは、どの管理会社も頭を痛めている問題だろう。


 友人Aの話によれば、イベントの応募資格は履歴一年以上の公式会員であったとのこと。会員だけにclosedβの参加資格を与えるのは露骨すぎるから避けたものの、なにかしら恩恵(えさ)を与えておきたいという気持ちが働いたのだろう。

 結果的には223倍という馬鹿げた倍率になったイベントチケット。それを幸運にも引き当てた彼は、7月11日に行われるイベントをこの十日間、一日千秋の思いで待ち侘びていた。

 ところが三日前になって、両親から親戚の第三回忌法要があることを告げられたというのだ。折り悪く、イベント開催の日と狙いすましたように重なっていたらしい。


 こんなことならいっそ当たらなければ良かったのに、と机に突っ伏したまま、友人Aは涙と手汗に濡れたチケットを震える手で差し出してきた。この手の貴重なチケットを譲ってもらえるのは確かにありがたいことなのだろうが、いわれのない罪悪感まで抱かせないで欲しかった、というのも紛うことなき本音だ。

 おそらく届いた時には紙の端で指を切るくらいに綺麗だっただろうチケットは、両替機がちゃんと読み取ってくれるかどうか不安になる紙幣のような有様に。未練ありげな彼の様子からすると、高熱や怪我程度のことならば這いずってでも参加したに違いない。


 そんな不幸な友人のことはともかく。俺自身、中学生の時には二年近くMMOをやっていた。一番長くやっていたのは剣と魔法と怪物が出てくるようなお約束のRPGで、恥ずかしながら一時期学校の成績を落とすくらいにはまっていた。そんな俺が次世代MMOと謳われるVRMMOに興味がないはずもなく。チケットを入手できたのは僥倖と言って差し支えなかった。

 問題は、譲り受けたチケットが二人用(ペア)であるということ。高倍率のチケットを手にして一人でいくのはあまり気乗りしないし、イベント会場が二人連れだらけだったらと思うと肩身が狭い。

 彼氏彼女がいるならばまったく悩まずに済むのだろうが、生憎そんなものとは縁のない人生を歩んでいる。とはいえ、興味を示しそうなやつなら多少なりとも心当たりがあった。クラスメイトにもMMO好きなやつはそれなりにいるし、俺が所属しているMMO部研の連中ならばよほどの用事がない限り、否、所用をキャンセルしてでも飛びついてきそうだ。

 祖父の時代にはMMOをやっていると言うとひたすらオタク扱いされていたらしいが、家庭用コシュマーよりMMOオンラインの方がプレイ人口が多い昨今、そういったイベントに出向くことに抵抗を持つ者はほとんどいないはずだ。


 一限目の数学が終わり、授業の合間の十分休み。さて誰を誘おうかと携帯のアドレス欄をスクロールしていたとき、奇しくも手の中のものが震え始めた。

 光学液晶に映し出された送信者の欄には『妹様』と表示されている。休み時間内とはいえ午前様にかけてくるのは珍しかったので少々まごついた。六回目の振動が終わったタイミングで我に返り、立ち上がりつつ受信ボタンを押す。


《あっ、通じた通じた。今ちょっといいかな?》


 電話越しでもわかるハキハキとした声に、俺は耳と受話器との距離を少し離した。名は体を表すと言うが、朝っぱらから元気なやつだ。

 俺と妹の陽菜ヒナは同じ中高一貫校に通っている。年はひとつしか違わないが、俺は高校一年生で妹は中学三年生だ。高等と中等では校舎が違うため、校内で直接顔を合わせるのはイベント時くらいのもの。時間割は同じ先生が作っていることもあり、向こうが休み時間のときはこちらも基本的に休み時間と思って差し支えない。


「まだ平気だけど、あと五分もしたら実験室に移動しなきゃならん。長くなるようなら昼休み中にこっちから――」

《ううん、大丈夫。すぐ済むからさ》


 かけ直そうかと言いかけた俺の声に、妹が声を割り込ませてきた。この強引さには舌を巻くばかりじゃなく、見習おうかとも思わされる。

 教室の後ろ側の窓辺に移動し、窓の縁に身を預けて聞く体勢に入る。グラウンドでは体操着姿の三年女子(せんぱい)たちが棒高跳びをしていた。実にいい眺めだ。バーを背面で飛び越える一瞬が無防備すぎて目の毒である。マットの上で衝撃に身を窄める瞬間も捨て難い。俺は目の毒が大好きだ。


《それでね、明日ちょっと買い物に付き合って欲しいんだけど、予定空いてる?≫

「あー、そうだなー。って、明日?」


 にやけていた口がへの字に曲がる。よりによって明日とはいかにもタイミングが悪い。

 少し気が引けるがここは断るしかないか。いや、考えてみれば兄妹で出かけるのも久し振りだし、日を改めてもらえるならそうしてもらうか。悩みながらも口を開き、そしてまたすぐに閉じた。

 なんのことはない。妹もMMO経験者であることを思い出したのだ。


《あれ、ねえ、ちゃんと聞こえてるの?》


 応答が途絶えたからか、やや不安げな声。ああ、と気の抜けた相槌を返しつつ、ポケットからくしゃくしゃのペアチケットを取り出す。そう、ペアチケットだ。誘いをかけてくるということは、向こうも明日は空いているのだろう。


「付き合ってやりたいのはやまやまなんだが、どこで何を買うのかにもよるな」

《えー、なによそれ。どっか行く予定あったの?》


 ちょっと残念そうな声に、しかし悪い気はしない。俺の兄バカも筋金入りだ。


「実は、臨港パークのベイサイド・センターでイベントがあるらしくてな。せっかくだからそっちにも足を運んでみようかと思ってるんだが――」

《ちょ、ちょっと待って!》


 妹らしかぬ素っ頓狂な声に肩がびくっと持ち上がった。鼓膜を保護するため咄嗟に遠ざけた受話器を、恐る恐る耳に当てる。


「な、なんだ、いきなり大声出して。どうかしたのか」

《あ、うん、ごめんね。今、ベイサイド・センター、って言ったよね。ねえ、それってもしかして、ディアスポラのやつじゃないの?》


 妹の口調は、なんだか先ほどより柔らかくなっていた。猫なで声というよりは期待と戸惑いが半々といった感じだ。


「ディア……なんだって?」

《あ、あれ、違った? おっかしいなあ、別のイベントがあるなんて聞いてないんだけど》


 そう言えば、今もって不貞寝している友人Aがそのようなことを言っていたような気がする。というか、現在進行形で言ってるようだ。でぃあすぽらー、でぃあすぽらー。悪魔崇拝の呪言を囁いているようでちょっと不気味だ。周りの女生徒も引いているようだが、教えてやるべきだろうか。

 真後ろからの恨み言に呆れつつ、もう一度チケットをよく見てみる。なるほど。確かにそう読めそうな横文字がでかでかと書いてあった。


「ごめんごめん、アルファベットが目に入ってなかったわ。その、ディアス……なんとかのチケットが――」

《マジでディアスポラなの!? 冗談じゃないんだよね!?」


 受話器を当てている方の反対側の耳まで音が届いた。どうも食いつき方が半端じゃない。倍率が高いのはわかるが、そんなに貴重なものなのだろうか。

 冗談を言う意味がないな、と念を押してやると、妹は喜びの声を上げた。


《やったー! もうぜったい無理だって諦めてたのに! 持つべきものはチケットを引き当ててくれる兄貴だね!》


 そんな限定した『持つべきもの』の使われ方をされても兄はちっとも嬉しくないぞ。なんだか便利屋みたいだし。まあ、実際に当てたのは俺ではないのだが……これについては黙っていても問題ないだろう。借りは作れるときに作っておかないと。


「って、あれ? もしかしてもしかすると、おまえ〝も〝行きたいの?」


 少しだけ意地の悪さを発揮し、鈍感さを装ってみる。かつ〝も〝の部分に別の人間が候補に挙がっていることを匂わせる鬼畜っぷりだ。

 束の間の沈黙。電話の向こうで絶句する妹が想像できた。さてどう反応するかな、と少しわくわくして待つ。


《あ、ああ、そっか。もう誰か誘っていて行く約束しちゃってるって言うなら……その……》


 今もって諦めるという一言が言えぬ妹に、俺はにやにや笑いを噛み殺す。まあ、あまりからかうのも気の毒か。仕方ない、と了承の言葉を口にしようとした矢先。


《その人と一緒に行ってもいいよ?》


 本気で電源切ってやろうかと思った。

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