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Diaspora Online  作者: 本倉悠
序章 仮想世界への誘い
2/10

(2)

 初めに戻ってきたのは聴覚だった。サラウンドで耳に入ってくる雑多な声に、閉じていた目蓋をそっと開く。

 緩慢に復活した視界には、人以外の顔がたくさん並んでいた。亜人種というやつだ。角が生えた者もいれば耳が妙に長く尖っている者も、背中から蝙蝠のような黒い翼を生やした者もいる。

 彼らは揃いも揃って、人間と同じ言葉を話していた。こちらが驚きに目を丸くしている間にも、光の輪で仕切られた領域内に光柱が出現し、その中から一人、また一人と転送されてきていた。



《ようこそディアスポラの世界へ。ここは皆さんが冒険へ旅立つ始まりの地のひとつ、草原の地ヴィングールでございます》



 拡声された説明が辺りに響きわたった。落ち着きある女性の声だ。直接的な肉声ではなく、ヘッドホンや高性能スピーカーなどを通して聞いている感じがした。

 声の持ち主を探そうとした矢先――

「――っとぉ」

「おぅ、すまんすまん」

 背を押された弾みで前に出た足を踏ん張ると、靴底から雑草を踏む感触が伝わってきた。細かい根がプチプチと引き千切られる感触まで。鼻に感じるのは湿った土の匂いだ。何だこれ、本当に仮想空間なのか?

 先ほどまで自分をすっぽり覆っていたはずの接続機器は、どこにも見当たらなかった。ちゃんと元いた場所に帰れるのか不安になってくるくらいの臨場感(リアリティ)。プレイヤーから発せられる熱気まで伝わってきた。



《今回当社が企画いたしましたイベントは、一週間後に控えておりますCloseβ(クローズド)の先行体験という位置づけになります。不具合等が発生する可能性についてはあらかじめご了承くださいませ》



 耳に入ってくる説明を聞き流しながら、人の隙間を縫うように歩く。なんとか人ごみを抜けたところで、抜けるような青空が彼方まで広がった。次いで、自分を取り巻いている景色がはっきりと知覚された。


「……うっはー」


 思わず驚嘆が洩れた。目の前に広がるのはまさしくもう一つの世界だった。新たなる『初めて』を求めて。エランド社が大々的に打ち出したコンセプトの一節が思い出された。

 一方では白雪を冠る優麗な山脈が霞んでいて、三方は見渡す限りの草原の大地だった。桃色、水色、黄色。色とりどりの蝶が群生した野の花の上で戯れている。灌木の中には鳥の巣があるのか、ヒナ鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。意外に高地なのか、遠くに霞む地平線と扇のように広がった筋雲の距離感は、非常に狭い。

 そんな、日本ではまずお目にかかれないような場所に、俺たちは転送(ポート)されていた。当然、驚いているのも俺だけじゃない。周囲のざわめきは一向に収まる気配がない。

 そよぐ風に乱れた髪が耳を撫でているのがわかる。右手には黄金色に輝くススキ野原に波が幾重にも走っているのが見える。降り注ぐ日差しの暖かさや草の香りさえも、はっきりと体感できる。空には陽光を妨げぬ程度の薄い筋雲を背景にして、渡り鳥の群れが列成して飛んでいた。

 祖父の世代ではドット絵の動きが多少滑らかになっただけで超感動したなどとのたまっていたらしいが、はっきり言って次元が違う。もはや、グラフィックという概念の内枠をほぼ網羅してしまったのではなかろうか。実際、出来のいいCG映画にそのまま飛び込んだようだ。その自然さが返っておぞましく思える。



「ああっ、こんなところにいた!」


 聞き覚えのある声に後ろを振り返る。と、色白の小柄な少女が満員列車並みの人ごみを強引に掻き分け、ポンと飛び出してきた。華奢に見えてタフなやつだ。と、押しのけられた男がこちらをギロッと睨んできたので仕方なく会釈だけ返しておく。なんで俺を睨んだのかは甚だ疑問であるが。



「早いな、おまえも接続終わってたのか」

「兄貴がのんびりしすぎなの。もう9割方のプレイヤーが揃ってるわよ」


 腰に手を当てた妹が、しかめつらしい顔で見上げてくる。現実世界と印象がまったく変わらないのは、やはり外装の容姿が非常に似通っているからだろう。

 炎のように揺らめく緋色の瞳は釣り上がり気味で気位の高いシャム猫のよう。ハンバーガーを食べるのにも難儀しそうな小さな口は真横に引き結ばれ、微かに八重歯がはみ出ている。細い肩で撓む豊かな漆黒の髪は、現実よりも少し長めで肩甲骨の辺りまで達しているようだ。ついでにいうと、背と体格だけは修正範囲内で精一杯頑張っていて涙ぐましい。

 っとまあ、ここまでなら普通の人間でもありうる格好だが、体の横からは蝙蝠のように角ばった翼がのぞいていた。確かディアスポラに存在する種族の一つ、デヴィルの外装だ。元々小悪魔みたいな性格をしているので違和感はそんなに――


「あんた今、なんか余談なこと考えたでしょ」


 誰が見ても納得のじと目を披露した妹に、俺は肩を震わせた。


「……おいまさか、ここでは心が読めるんじゃないだろうな」


 うろたえる俺に、妹は哀れみ満載の視線で応えてくれた。バーゲンセールなのに売れ残ってしまった商品に向けられる目だ。


「いっぺんあんたの頭の中身を拝見したいもんだわ。一体何年兄妹やってると思ってんの。顔見りゃ大体のことはわかるのよ」

「顔、ねえ」


 気まずさから頬に手が伸びる。以心伝心は遺憾ながら一方通行のようだ。俺は妹心なんぞさっぱりわからない。


「あの、もしかして怒っていらっしゃいます?」


 そして、早々に前言を撤回する。眉間にしわ寄せながら喜んでいるやつなんてそんなにいないだろう。妹は控えめに見ても怒っていた。が、怒りを買い叩いた覚えはまったくない。

 俺が首を傾げていると、妹は憤然とした様子で腕を組んだ。


「あんたが接続ログインしてくるのを待っている間に、私に声かけてくるやつが何人かいたのよ」


 そいつはもの好きな、という感想を「へぇ」という無難な相槌に押し込める。外装の容姿はプレイヤー本人の顔や体格に準じたものになる。つまるところ、俺の妹は容姿だけなら姫チックなので、周りの連中と比べてみても一際目を惹く感じだ。容姿だけなら。


「つまり、待たせた兄貴が全部悪いわけよね?」


 だがしかし、中身はこんなんだ。びっと向けられた指が目に近くて怖いので、俺は一歩後ずさる。


「だけどおまえ、それは今に始まったことでもないだろ?」

「……そうだけど、なんでMMO(※1)の中でまで現実と同じことで悩まされなきゃなんないわけ?」

「今まではネカマの振りしてたもんな。まあ、魅力があるのは喜ばしいことじゃまいか?」

「それ、本心で言ってんの?」


 疑うような目つきに俺はまごついた。異性にちやほやされたいやつなんて、正直いくらでもいると思うのだが。しっかりしているのか。それともまだ子どもだということなのか。やはり俺には、妹のことはよくわからない。



「そりゃまあ。一般的に、妹が可愛くて悪い気がする兄貴なんていないと思うぜ?」

「……ふーん。そんなもんなのね」


 妹は納得したような、納得していないような表情で視線を右下に逸らした。すぐその後で、何かを思い出したような顔で俺を見上げた。


「それで、結局兄貴はヒューマにしたんだ?」


 その口振りからすると妹にも薄々何の種族を選ぶか予想はついていたのだろう。まあな、と肩をすくめてみせた。

 接続ログイン前のキャラ作成では一人一つずつPCが宛がわれていた。お互いの外装が下着姿だったため、妹の強い要望もあって現実そとで見せ合うのはやめておいたのだ。昔はよく一緒に風呂に入っていたものだが、中学に上がってからは人並みに恥じらいというものを習得したらしい。ノックなしで妹の部屋に入ろうものなら命にかかわる。


「ヴァルハラオンライン(以下VO)でもそうだったよね。たまには亜人種も使ったらいいのに」

「外装は装備次第で色々と変化をつけられるって話だったからな。大きなはずれがなければそれでいいの」


 あら、と妹が少し意外そうに首をかしげた。


「種族補正とかの可能性は考えなかったの?」


 妹の言う種族補正とは、種族によって外装の初期能力値に付加される能力値のことだ。接続前にされた説明を大雑把にまとめると、ディアスポラにおいてプレイヤーが使える外装は現段階で四種存在する。


 額に角が特徴。力に優れるオーガ。

 尖った耳が特徴。速さに優れるエルフ。

 背に黒翼が特徴。魔力に優れるデヴィル。

 無個性が特徴。技に優れるヒューマ。


 それらの中から選択した種族の特徴に、スキャナーで解析されたプレイヤー自身の性別と身体的特徴の情報が加わり、基本的な外装(キャラ)が構築される。さらには、キャラ作成時に設定した宿星や質問によって能力値が加減されるという仕組みらしい。

 あくまで微加算なのでそんなに気にしなくても大差ない。そう考えるのはごく自然なことだと思うが、いわゆるヘビーユーザーたちから言わせるとそうでもない。というより、そうならない場合があることを知っていると言ったほうが的確か。


 巷には、低レベル時の頃には差がなくとも、上限レベルに近づくにつれてステータスが1違うだけで差が明瞭に現れるMMOが意外と多い。

 たとえば基本能力値が一定の値に達したところで、それとは別の補正ポイントが加算されるといった仕様がある。力が89で攻撃力が100の武器を装備した場合の最終的な攻撃力が261だとして、それが力が90になった途端に280になるといったことがままあるのだ。

 このパターンでは一桁に0が付く段階まで上がるごとに『二桁の数×2』の数列で攻撃力ボーナスが加算される。10に達した時点で攻撃力が+2され、20に達した時点でさらに+4され、といった具合に倍々で増えていく。低レベル時にはそれほどの差が実感できないが、最終的な加算は『+2(Lv10)+4(Lv20)――+16(LV80)+18(Lv90)』となる。つまり、力が89では攻撃力ボーナスは72ポイントに留まるが、力を90まで引き上げると90ポイントまで上昇する。MMOは数値が全てというある意味分かりやすい世界だ。わずか1ポイントの振り間違えに泣いたことのある者は決して少なくない。

 とはいうものの、既存のVRMMOではステータスよりプレイヤースキル(※1)が重要視されている傾向にある。付け加えると、俺としてはどちらの仕様でも構わなかった。


「接続前にも言っただろ? 初のVRMMO、いちいち細かいことを気にしてたら楽しめないって」


 そう。この体験イベントにやって来た当初から、俺は初心に戻ってロールプレイに徹すると決めていた。MMOを初めてプレイした時の感動を。エランド社のキャッチコピーを借りれば、新たなる『初めて』を体感したかったからだ。

(※1)MMO:Massively Multiplayer Online Role-Playing Gameの略。乱暴に言うと多人数で同時プレイができるゲーム。ゲーム内には独自の時間が流れており、個人でのセーブやリセットができないことが最大の特徴。


(※2)プレイヤースキル:キャラの能力や技能とは別個の、中の人の思考における立ち回り方。とても重要らしい。


STEP1:自分の扱うキャラの能力に精通しており、的確に敵を仕留めることができる。


STEP2:周りにいる味方の能力を加味して効率よく動くことができる。


STEP3:PT内の会話を盛り上げ、雰囲気をよくする潤滑油になれる。etc

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