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Diaspora Online  作者: 本倉悠
序章 仮想世界への誘い
10/10

(10)

「何で一人でほいほい先にいっちゃうのよ! ほんっっっとに信じられない!」

「も、申し訳ない」


 俺が竜にやられてから五分と少々経った頃。強制排除(ログアウト)した妹がVR機から出てくるなり金切り声を上げた。正直反省している。あの瞬間、妹の存在は頭になかった。やばいと気づいたのは、隣のVR機内で眠っている妹の姿を見てからで、何もかもが手遅れだった。


「あ、あのさ、別になにか起きたわけじゃなかったんだろ?」

「しょうがないから生き残った人たちと頑張って逃げたわよ! でも、途中で透明な壁に遮られてどこにも逃げ場がなくて。そんでもって竜が後ろから迫ってきて、すんごい怖かったんだから!」


 要約すると、イベントをつつがなく進行させるために行動できる範囲が限定されており、かつ妹(の外装)が竜においしくいただかれたということのようだ。よほど怖い思いをしたのか、妹の目尻には涙が薄らと浮かんでいた。俺としては平謝りするしかない。

 中等から高等学校に代わる過程で俺が寮に移ったこともあり、妹とは疎遠気味だった昨今。これほどに感情を露わにする妹を見るのは久しく、ましてや泣いたところを見たのは何年ぶり。罪悪感もひとしおだ。とはいえ一緒にいたところでなにが出来たわけでもないからなー、と納得しきれない自分もいるのだが。


「わ、わかった。じゃ、じゃあお詫びとして……」

「……えっ、なんでも言うことを聞いてくれるって?」

「勝手に都合のいい先回りすんな! 大体、俺が決めなきゃ意味ないだろ」


 不満げに脹れっ面をした妹から宙に目を逸らす。


「……ちゅ、ちゅ」

「……え、ええ?」


 滑稽なほどうろたえる妹に気づかず、俺は断腸の思いでその言葉を吐き出す。


「昼食を、奢ってやる」

「…………」


 突き刺すような視線と沈黙が痛い。町中で声をかけてきた軽そうなお兄さんにOLさんが向けるような目だ。まだかなり不満があるようだ。


「も、もちろんそれだけのつもりはないぜ。す、好きなケーキもつけていい。確かおまえ、苺のジェラードとか好きだったよな。な?」

「………………」


 お、ちょっと考えてるっぽい。口元を窄めてにやけるのを堪えてる感じだ。もちろん、俺は気づいていない振りを続ける。


「……わかった。それで手を打つ」

「おお、そうか。ありがとな」


 奢る側の俺がお礼を言わなくてはならない現実に、少し不条理さを感じた。


「んとね、お寿司食べたい。ちゃんと板さんが握ってくれるやつ」

「……そ、そうか」


 パック寿司で許してくれるのではという一縷の望みは儚くも消えた。廻り巡って完走(乾燥とかけました)する寿司でも許してくれるだろうか。俺はキャッシュカードの残額を確かめ、それからいそいそと携帯電話を取り出した。



■◇■



 危機は脱した。掲げていた湯呑を下ろしたとき、妹様の表情は底抜けに明るかった。


「あー、お腹いっぱーい! ご馳走様ー!」

「よかった、満足できたみたいだな」

「うん、そこらのお寿司屋さんよりずっと美味しかったよ。回転寿司も侮れないね」


 食べ歩きのブログをやっているバイト先の先輩に連絡を入れてみたところ、幸い近場にお薦めの店があるとのことだった。電話を切ってから五分後には最寄りの駅の地図と寿司屋が示された矢印ポインタがデータとして送られてきた。持つべきものは美味い店を教えてくれるバイトの先輩だな。と思い、その後は血って残酷だよなと独りごちる。調子の良さは亡き両親譲りらしい。

 さすがに人気店ということで30分の待ち時間があったが、味は文句のつけようがなかった。注文は端末からの指定で、乾燥防止用の半球状の蓋がすべての皿に被せられていた。その上15分以上放置されている皿は自動的に廃棄されるシステムらしく、ネタもシャリも鮮度が保たれている。新鮮であれば回転寿司も十分に美味しいのだ、と認識を改めさせられた。

 昔から光り物と白身魚が好きな妹は、アジやコハダ、ヒラメやアボガドなんかを頼んでいた。俺はタイ、ヤリイカ、ビントロ、アナゴなんかを頼んだ後、二人分の茶わん蒸しを注文した。食費と交通費合わせて一日分のバイト代がすっ飛んだが、この幸せそうな表情を拝めたことを差っ引けば、まあ許容範囲だろう。



 遅い昼食を終えた俺と妹は帰りの電車に乗り込んだ。満腹感と緊張疲れからか、妹は座席に座ってからすぐに目を擦り始めた。普段はしっかりしていてもこういう無防備な姿を晒すところを見ると、まだまだ子どもなのかなと思ったりもする。早く大人になって欲しいような、欲しくないような。自分の気持ちがいまいちよくわからなかった。


「どうする、疲れているなら買い物は明日以降にするか?」

「ううん、寄ってく。後回しにするのは避けたいし」


 いい心がけだ、と褒めつつ顔を上げる。窓を見るとちょうど大きな駅に止まるところだった。妹が振ってくるディアスポラの話題に俺は相槌を返していたが、最寄りのドアが開いたとき、そこからなだれ込んできた乗客の一人に目が止まった。


「――だよね。あれ、兄貴どうしたの?」


 喋っている最中に席を立った俺に、妹が不思議そうな顔をした。抱っこ紐を括りつけた女性が入ってきたのだ。片手に袋一杯の食材を持っていて、胸の中には苺柄のベビーウェアを着させられた乳児が抱かれていた。一歳くらいの、まだ頭の毛が薄い赤ん坊だ。母親にうなじを撫でられながらも気持ちよさげに眠っている。


「あの、ここどうぞ」


 周りを見てから吊革に掴まろうとした女性に声をかける。周囲の目がちらちらとこちらに向いた。若者が席を譲るのは当然だという顔をしている中年男性は、優先席でスポーツ新聞などを読んでいなければ説得力があっただろう。格好つけやがって、てな感じでしかめ面しているチャラ男にはだらしなく開いている足を閉じろと言ってやりたい。そうすれば一席分くらい余裕で空くだろう、と。


「あら、でも……」


 あと三駅で降りるのでお気づかいなく。そう言うと、女の人はすみませんとはにかみながら会釈し、俺が先ほどまで座っていた席に腰を下ろした。その横では妹が吊革に目一杯手を伸ばしていた。


「って、なんでおまえまで立ってるんだ」


 座った女性に聞こえぬよう、声を殺して言う。


「兄貴こそ座ってよ、私は大丈夫だから」


 妹も気を遣っているのか、聴き取りにくいくらいの声を返してきた。


「馬鹿言え、どこの世界に妹を立たせて自分だけ席に座るアホがいるんだ。おまえだって疲れてるんだから変に遠慮すんなって」

「だ、だって……」


 妹が不安げに俺の左足を見下ろした。最初はわけがわからなかったが、数秒してそういうことかと納得する。


「あのなあ、あれから何年経ってると思っているんだよ。もう全然平気だっつうの」

「……本当に?」

「ホントにホント。だからあまり気をつかうな、こっちが申し訳なくなっちまう」


 苦笑いした俺に、妹は唇を噛んだ。さっぱりしているようでいて、意外としょうもないことを引きずるやつだ。そこが美点でもあるのだが。


 さり気なく、周りの座席を見渡してみる。その中に席を譲れそうな人はごまんといて、余分にスペースを取るような座り方をしている人も少なからずいる。

 俺は、彼らの態度を注意する勇気は持ち合わせていない。いちいち突っかかって力で制圧したりされたりしていては、現代社会では生きていけない。そのことについては情けなさも無力さも感じて生きている。

 勇気を無謀や蛮勇などと呼び換えて蔑む世の中。それにちゃっかり適合してる俺自身に対しては、失望させられることも多い。不道徳を許さない生き方を貫ければ、どんなに格好いいだろうとも思う。

 その一方で、向かい風を受けて立っていられるほどの力がないこともまた、自覚している。警官だってヤクザにはおいそれと逆らわない。この世界では、分不相応な正義感を持つ人間ほど痛い目に合う。そういうふうにできている。危ないことはよしなさい。トラブルに首を突っ込むのはやめなさい。そうやって我が子に安全を説く親を誰も責められはしないだろう。

 だからせめて、不道徳な他人に干渉することを諦める代わりに、俺は俺の好きなようにする。世間が冷たいのならばなおさら、俺は妹にとってだけは頼られる兄でありたい。無理が効く限り我慢をいとうつもりはない。その決意だけは譲れない。

 それに、俺は心の底で信じてもいる。人の良心を。誰かに対する思いやりがささやかな反抗になり、後ろめたさや小さな罪悪感が誰かへの優しさに代わってくれることを。


「ここ、あいてますかの?」


 すぐ傍にいた、杖を手にした老人から遠慮深げな声が発せられた。妹が空けた席をちらちらと眺めている。妹は俺と一瞬だけ視線を交わし、にこやかにうなずいた。こいつも俺に負けず劣らず損な性分みたいだ。

 兄として、それを誇りにも思うけどな。

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