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タッパー越しのアイラブユー  作者: Yama


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ゾンビの部屋と、不器用なノック

初めまして、ご覧いただきありがとうございます。


本作は、婚約破棄で全てを失った一人の男と、心に深い傷を負った隣人の女性が、料理を通じて少しずつ心を再生させていく短編小説です。


完璧ではない二人が、不器用ながらも温かい未来を見つけるまでの物語を、どうぞ最後までゆっくりとお楽しみください。

婚約破棄、という四文字が頭の中でリフレインするたび、胸の真ん中にぽっかりと空いた穴が冷たい風を吸い込む。


まゆが部屋を出て行ってから、俺の生活は完全に機能を停止していた。仕事には行く。だが、それだけだ。部屋に帰れば、床にはコンビニ弁当の空き箱とビールの空き缶がタワーのように積み重なっている。薄暗い部屋のカーテンの隙間から差し込む沈む夕日さえ、「お前は何をやっているんだ」と俺を責めているように見えた。


生きながら死んでいるような、ゾンビのような毎日。


そんなある日の夜、不意に鳴ったインターホンが、静寂を破った。

「ピンポン、ピンポン……」

どこか遠慮がちで、不器用なノックのような音。億劫な体を動かしてドアを開けると、そこに立っていたのは隣の部屋の住人だった。


肩まで伸びた黒髪。おどおどとした目で、両手にプラスチックのタッパーを大事そうに抱えている。

「あの……これ、肉じゃが、作りすぎちゃって。もしよかったら」


差し出されたタッパーの蓋はうっすらと曇り、ふわりと甘い出汁の香りが廊下に広がった。受け取ったそれは、じんわりと温かい。部屋に戻り、一口口に運んだ瞬間、湯気と一緒に僕の凍りついていた胸が、音を立てて溶けていくのが分かった。喉の奥が熱くなり、涙がこぼれそうになるのを、俺は必死でこらえた。


それが、朝日奈ゆいとの出会いだった。


2. トントンと響く、再生の音

「次の部屋が見つかるまで、半年だけ、同居させてくれませんか」


少し人が怖くて、不動産屋に行くのも苦手だという彼女からの、突拍子もない提案。普通なら断るところだったが、あの肉じゃがの温もりが忘れられず、俺たちは奇妙な二人暮らしを始めることになった。


それからの毎日は、奇跡のようだった。

朝、キッチンから「トントン」と小気味よく響く包丁の音が、俺の目覚まし時計になった。実家の朝食のような温かい味噌汁と焼き魚がテーブルに並ぶ。


「行ってらっしゃい、お仕事頑張ってくださいね」


少し照れくさそうに、だけど真っ直ぐに送られる小さな笑顔。その声を聞くたび、俺の荒みきっていた暮らしが、少しずつ、確実に息を吹き返していくのを感じていた。彼女がいてくれるだけで、ただの四角い箱だった部屋が「家」になっていくようだった。


3. 袖の向こうの傷と、白い紙

同居を始めて数ヶ月。ゆいとの暮らしが当たり前の日常になりかけた頃、俺は偶然、彼女の秘密を知ってしまう。


ある夜、浴室で小さな騒ぎがあった。虫が出たと慌てるゆいを手伝おうと脱衣所へ向かったとき、キャミソール姿の彼女の腕が、露わになった。

白く細い腕のあちこちに、不自然に残る古い傷跡。火傷のような、何かに切りつけられたような跡。ゆいは俺の視線に気づくと、ハッと顔を強張らせて、 慌てて袖を引っ張って隠した。

「……昔、付き合ってた人に。気持ち悪いですよね、ごめんなさい」


消えない過去の恐怖。彼女が「人が怖い」と言っていた本当の理由が、痛いほど胸に突き刺さる。


そしてその数日後、リビングの引き出しの隙間から見つけてしまった、一枚の白い紙。

そこには、俺と、ゆいの名前が綺麗な文字で並んで書かれていた。提出日は空白の――婚姻届。


「ただいま戻りまし……あ」

買い物から帰ってきたゆいが、俺の手にあるそれを見て、顔からサーッと血の毛を引かせた。

「利用するつもりだったんですか」と、俺は動揺のあまり、少し冷たい声を当ててしまった。


ゆいはその場にポロポロと大きな涙をこぼし、崩れ落ちるように座り込んだ。

「違うんです……ただ、毎日のご飯が、普通の生活が、あまりに幸せで。でも、傷だらけの私なんかが出したら、東雲しののめさんを縛ってしまうと思ったから……。書くだけで、満足するつもりだったんです。ごめんなさい……!」


4. 未来を描く部屋

完璧な人間なんて、この世にいない。

婚約者に捨てられ、部屋をゴミ屋敷にしていた俺だって、こんなにだらしなくて、不器用で、欠陥だらけだ。


過去の傷がなんだっていうんだ。

俺は泣きじゃくるゆいの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。そして、テーブルの上に婚姻届を優しく置く。


「これ、まだ出してないんですよね」

「……はい」

「じゃあ、明日、一緒に役所に出しに行きませんか」


ゆいが信じられないというように目を見開く。


「完璧じゃない僕らだから、手を繋ぐんですよ。君が作るご飯があって、一緒にテレビを見る。そんな、君と過ごす毎日を、僕はもう愛してしまったんだ」


「私なんかじゃ、ダメですか?」と、ゆいはもう一度激しく泣いた。俺はその肩をそっと抱きしめた。


翌日、春の柔らかな風が吹く役所の窓口。

手続きはあっけないほどすぐに終わり、職員から「受理されました」と告げられる。


「これからは、本当の夫婦だね」

隣に並ぶゆいを見ると、涙の跡を残したまま、世界で一番綺麗な笑顔で頷いた。


過去の傷は消えない。触れれば今でも少し痛むかもしれない。だけど、これからの未来は、二人でここからいくらでも描いていける。


「今日、何が食べたいですか? 東雲さん……ううん、あなた」

「肉じゃが。やっぱり、あれがいい」

「ふふ、じゃあ今日は、ちょっといいお肉奮発しちゃいますね」


手を繋ぎながら、僕らの温かい部屋へと歩き出す。タッパー越しに始まった僕らの愛は、今、本物のカタチになった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


タッパー一杯の肉じゃがから始まった二人の物語、いかがでしたでしょうか。過去にどんな傷があっても、一緒に美味しいご飯を食べて、一緒にテレビを見て笑い合える人がいるだけで、未来はいくらでも温かいものに変えていける――そんな想いを込めて執筆しました。


もし「少しほっこりした」「二人の未来を応援したくなった」と思っていただけましたら、下部にある【☆☆☆☆☆】での評価や、ブックマーク、ご感想などをいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります!

※この物語を音楽にしてみました。こちらもよろしければご視聴下さい。

https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_maWt8CfLGFlTzHSsqfflfIdEcIpnKINTk


また別の物語でお会いできることを楽しみにしています。ありがとうございました!

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