第1話 追放と無限の林檎
祝福の儀――それは、この世界に生きる者にとって逃れられない通過儀礼だった。
十三歳になった子どもは皆、教会へ赴き、神からスキルを授かる。その力は生涯変わることはなく、未来を決定づける絶対の指標となる。
だからこそ、人々は祈る。
強いスキルを。
稼げるスキルを。
人生を変える力を。
そして、アイリス・アルベールもまた、その例外ではなかった。
「次、アイリス・アルベール」
神官に名前を呼ばれ、彼女は一歩前へ出る。
小さな村の教会。石造りの壁と古びた木製の長椅子。天井のステンドグラスから差し込む光が、水晶球を神秘的に照らしていた。
(お願い……せめて普通でいい)
胸の中で祈りながら、アイリスは水晶球に手を置いた。
ひんやりとした感触。
次の瞬間、体の奥底から何かが引き上げられるような奇妙な感覚が走る。
光が弾けた。
そして――
「……スキル、《アイテムボックス》」
静寂。
一拍遅れて、ざわめきが広がる。
「は? アイテムボックスって……ただの収納じゃないか」
「戦えねぇし、金にもならねぇな」
「ゴミスキルだな」
遠慮のない言葉が、容赦なく突き刺さる。
アイリスの心臓が、ぎゅっと縮んだ。
(……そんな)
アイテムボックス。
確かに便利なスキルではある。物を収納し、持ち運びを楽にする。それだけだ。
だが、それ“だけ”なのだ。
戦闘力はない。
生産能力もない。
希少価値もない。
つまり、この世界においては――価値がない。
神官は気まずそうに咳払いをした。
「……次の者」
それで終わりだった。
祝福も、期待も、何もない。
ただ「外れ」を引いたという事実だけが残った。
⸻
家へ帰る道は、やけに長く感じた。
村人たちの視線が痛い。ひそひそと囁かれる声が耳に入る。
「かわいそうに……」
「いや、あれは厳しいな」
同情と侮蔑が混ざった空気。
耐えきれず、アイリスは足を速めた。
そして――家の扉を開けた瞬間。
「何だあのスキルは!!」
怒号が飛んだ。
父だった。
机を叩きつけ、顔を真っ赤にしている。
「アイテムボックスだと!? ふざけるな!」
「あなた、落ち着いて……」
母が宥めようとするが、その声にも焦りと失望が滲んでいる。
「落ち着いていられるか! よりにもよってあんなゴミを引きやがって!」
胸が締め付けられる。
「ご、ごめんなさい……」
思わず謝罪が口から出る。
だが、それが火に油を注いだ。
「謝って済む問題か! こっちはどれだけ期待していたと思っている!」
父は荒々しく椅子を蹴った。
「本来なら……!」
言いかけて、口を噤む。
だが、すぐに吐き出した。
「……良いスキルなら、貴族に出せたんだ」
アイリスは瞬きを忘れた。
「……え?」
「養子だ。優秀なスキル持ちは高く売れる。うちみたいな貧乏人が成り上がる唯一の手段だった」
言葉が、理解できない。
「売る……?」
「当たり前だろう!」
父は怒鳴った。
「お前に何がある!? 顔か!? 才能か!? 何もないだろうが!!」
心が砕ける音がした。
「だからせめてスキルだけは期待してたのに……それがアイテムボックスだと!?」
視界が滲む。
だが、涙は出なかった。
出る前に――すべてが冷え切ってしまったから。
そして。
「……出ていけ」
その一言で、終わった。
「え……?」
「役立たずは要らん。飯を食うだけの無駄だ」
母は何も言わない。
ただ目を逸らすだけ。
それが答えだった。
(ああ……)
理解した。
(私、家族じゃなかったんだ)
⸻
気付けば、外にいた。
荷物もなく、金もなく、ただ一人。
夜風が冷たい。
村の灯りは遠く、帰る場所はどこにもない。
「……どうしよう」
呟きは、虚しく闇に消える。
普通なら、ここで終わりだ。
生きていく術などない。
だが――
「……ん?」
ふと、違和感が走った。
視界の端に、何かが浮かんだ気がしたのだ。
意識を集中する。
すると。
【ステータスを開きますか?】
頭の中に、はっきりとした文字が現れた。
「……え?」
心臓が跳ねる。
(今の……)
知っている。
これは――ゲームのインターフェースだ。
「まさか……」
呟いた瞬間、すべてが繋がった。
この世界の構造。
スキルの仕組み。
そして今の表示。
「ここ……VRMMOの世界……?」
確信に変わる。
かつて、自分が寝る間も惜しんでやり込んだゲーム。
攻略も、裏仕様も、バグも――誰よりも知っている。
そして、その記憶の中に。
一つ、思い出した。
「……そうだ」
ゆっくりと、口元が歪む。
「アイテムボックスには“バグ”があった」
⸻
翌朝。
アイリスは町の市場にいた。
人で溢れ、監視の目が緩い場所。
ここなら試せる。
「確か……条件は“タイミングのズレ”」
果物屋の前に立つ。
山積みの林檎。
店主は別の客と話している。
今だ。
すっと一つ手に取り――
(収納)
林檎が消える。
(取り出し)
再び現れる。
ここまでは普通。
だが。
「ここから……!」
意識をわずかにズラす。
操作のタイミングを狂わせる。
そして――
(収納→取り出し)
一瞬、視界が揺れた。
次の瞬間。
手の中の林檎は――二つになっていた。
「……成功」
心臓が高鳴る。
さらに繰り返す。
2個、4個、8個、16個。
指数関数的に増えていく林檎。
「……すごい」
思わず笑みがこぼれた。
これがあれば。
食料に困らない。
金にも困らない。
生きていける。
いや、それどころか。
「……全部、手に入る」
この世界で。
誰よりも自由に。
誰よりも強く。
少女は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もう絶望はなかった。
あるのは――確信だけ。
「ここから、始めよう」
ゴミスキルと呼ばれた力は、世界を壊す。
そして少女は。
無限を手にした。
⸻
――これは、最底辺から始まる逆転の物語。




