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藍峯堂事件帖 ~犯罪は頁(ページ)の中に~  作者: 秋澄しえる
第1章「十二階の亡霊」

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第2話「踊る人形」

 三人は階段を駆け下りた。


 司の長い足が、段を踏み外しそうになる。咲が後ろから肩を支える。


「司さん、落ち着いて」


「あ、ありがとう」


 息を切らしながら、一階へ。


 関谷が先頭を行く。革靴がコンクリートの床を踏む音が、狭い空間に響く。


 廊下の奥にある扉には、「浅野虎三郎専用楽屋」と書かれた札が掛かっており、その扉の前には警官が一人立っていた。


「開けてくれ」


 関谷が短く指示を出した。



◆◇◆◇◆



 楽屋は、六畳ほどの狭い部屋だった。


 窓はない。天井から吊るされた裸電球が、薄暗い光を投げかけている。


 壁際には奇術の小道具が並んでいた。


 シルクハット、ステッキ、トランプの束、鳩を隠すための仕掛け箱。


 全てが整然と並べられている。


 司に続いて楽屋に入った咲が、ある違和感に気づいた。


「妙ね」


「どうしたの?」


「芸人の楽屋にしては、きれい過ぎない?」


 咲の言葉に、司も周囲を見渡した。


 確かに。


 埃一つない。本棚の本も、背表紙が揃っている。机の上も整理されている。


 まるで誰かが丁寧に片付けたような。


「ああ」


 関谷が頷いた。


「俺が最初に来た時からこうだった」


 机の上には、公演のスケジュール表や領収書の束、万年筆などが整然と並べられていた。


「そしてな…」


 関谷が部屋の奥へと歩き、北側の壁を指差した。


「やっかいなものとは、これだ」


 司と咲が、関谷の視線を追う。


 腰の高さあたりに、白いチョークで何かが書かれていた。


 棒人間のような図形。


 いや、人間というより、人形だ。


 手足を持つ小さな人形が、様々なポーズで並んでいる。


 腕を上げているもの。横に伸ばしているもの。足を開いているもの。


 そして、いくつかは旗を持っている。


 全部で二十個ほど。横一列に、律儀に並んでいた。


「これは…」


 司の目が見開かれた。


 咲も、ハッとした表情を見せる。


「『踊る人形』!」


 二人が同時に声を上げた。


 関谷が眉をひそめる。


「お前ら、何でそんなにすぐ分かるんだ?」


「だって、これは有名だもの」


 咲が壁に近づく。


「コナン・ドイルの短編。『踊る人形』よ」


「ドイル…あの、ホームズの?」


「そう」


 司も壁の前に立った。眼鏡越しに、一つ一つの人形を観察する。


「1903年に発表された短編ですよ。ホームズシリーズの中でも、暗号トリックの傑作として知られてる」



◆◇◆◇◆



 司の声が、本を語る時の弾んだトーンになる。


「舞台はイギリスの田舎。ヒルトン・キュービットという地主が、ホームズに相談に来るんだ」


「屋敷の壁に、謎の人形の絵が描かれるようになった。妻のエルシーは、それを見ると怯える」


 咲が続ける。


「ホームズは、人形が暗号だと気づいた。ポーズがアルファベットに対応してたのよね」


「そう」


 司が頷く。


「腕の角度、足の位置、旗の有無…全てに意味がある。旗を持つ人形は単語の区切りだ」


 関谷が腕を組んだ。


「待て。小説のトリックだと?本当に暗号として使えるのか?」


「使えますよ。ドイルが考案したこの暗号は、実際に機能する」


 司が壁を見つめる。


「ただし、条件があります。送り手と受け手の両方が『踊る人形』を知っていなければならない」


 司の目が鋭くなる。


「つまり、これを書いた犯人は、浅野の読書遍歴を知っており、この暗号を解読できると確信していた」



◆◇◆◇◆



 司は手帳を取り出した。


 ページを開き、壁の人形を一つ一つ書き写していく。


 咲も横から覗き込む。


「司さん、暗号表、覚えてるの?」


「何度も読んだからね」


 司がペンを走らせる。


 最初の人形。両腕を真っ直ぐ上に伸ばしている。


「これは…T」


 手帳に、アルファベットのTを書く。


 二番目の人形。片腕を横に伸ばし、もう片方を下げている。


「O」


 三番目。片腕を上げ、片足を開いている。


「N」


 司が、淡々と解読を進めていく。


 I、G、H、T。


「TONIGHT…今夜」


 次の人形は、旗を持っていた。


 八番目からの人形。


 T、W、E、L、V、E。


「TWELVE…十二」


 また旗。


 F、L、O、O、R。


「FLOOR…階」


 また旗。


 C、H、O、I、C、E。


「CHOICE…選択」


 また旗。


 O、R。


「OR…または」


 最後の旗。


 D、I、E。


「DIE…死」


 司が手帳を見つめた。


 そこには、こう書かれていた。


『TONIGHT TWELVE FLOOR CHOICE OR DIE』


 司が顔を上げる。


「今夜 十二階 選べ さもなくば死を」


 部屋に、沈黙が落ちた。


 関谷が低く唸る。


「呼び出しか」


「そうですね。犯人は、この暗号で浅野を展望台に呼び出した」


 咲が疑問を口にした。


「…浅野さんって、英語が読めたの?」


 関谷が手帳をめくる。


「ああ。浅野は帝大を出ている。英語を話すこともできたらしい」


「帝大…」


 司が呟く。


「それなら納得ですね。この暗号を解読できたわけだ」


 咲が首を傾げる。


「でも、なぜ奇術師に?」


「さあな。だが、頭は良かったそうだ」


 関谷が肩をすくめた。


「トリックを盗むのも、実に巧妙だったらしい」



◆◇◆◇◆



 咲が、部屋の隅にある本棚に目をやった。


「ねえ、見て」


 三人が本棚に近づく。


 一段目には、奇術の専門書。


 だが、二段目以降は探偵小説だ。


 司が、その中の一冊を取り出す。


 『シャーロック・ホームズの帰還』。


 ページをめくると、しおりが挟まっていた。


「『踊る人形』は、この短編集に収録されています」


 司がしおりを確認する。


 ちょうど、『踊る人形』の冒頭だ。


 司は本を本棚に戻した。


「そして犯人は、それを知っていた」


 関谷が手帳を開いた。


「浅野虎三郎、52歳。帝大卒業後、奇術師として活動を始めた」


 ページに、びっしりと情報が書き込まれている。


「浅草を中心に公演。人気奇術師として名を馳せた」


 関谷が顔を上げる。


「だが…」


 次のページを開く。


 そこには、証言が並んでいた。


「『師匠は私が考えたトリックを、翌日には自分の芸として使っていた』」


「『新作の見学に来て、盗んでいった』」


「『秘伝を盗んで勝手に使った。破門した』」


 司が眉をひそめる。


「トリック泥棒ですか」


「ああ。人のアイデアを盗み、自分の名声にする。浅野は、それを繰り返していたらしい」


 関谷が手帳を閉じた。


「奇術師の世界じゃ、よくあることだが、最も嫌われる行為だ」


 咲が小さく息を吐く。


「恨みを買う理由は、十分ってわけね」



◆◇◆◇◆



 司が、暗号の書かれた壁をもう一度見つめる。


「でも、引っかかることがあります」


「何だ?」


「なぜ浅野は、この呼び出しに応じたのでしょう?」


 司は考え込むように眉を寄せた。


「これは明らかな脅迫ですよ。普通なら警察に届けるはずだ」


 関谷が頷く。


「…届けはなかったようだ」


「危険を感じたなら、警察に頼る方が合理的ですよね」


 司が楽屋を見回す。


「それなのに、一人で展望台に行った。何か…応じざるを得ない理由があったんじゃないでしょうか」


 関谷が机を指差す。


「異様に整理されてることにも理由があるのかも」


「証拠隠滅?」


「可能性はある」


 司が机に近づく。


「もう少し、調べてみよう」



◆◇◆◇◆



 三人は、楽屋を隈なく調べ始めた。


 司は本棚。


 一冊一冊、丁寧に手に取る。


 いくつかの本には、メモが挟まっていた。トリックのアイデアを書き留めたもの。


 だが、決定的なものはない。


 咲は衣装箱。


 蓋を開けると、奇術用の衣装が畳まれている。


 黒いタキシード、白いシャツ、赤いマント。


 全て、整然と畳まれている。


「几帳面な人だったのかな」


 咲が呟く。


 関谷は机の引き出しを探したが、見事に空だった。


 関谷が引き出しを閉めた時に、異質な軽い音がした


 少し、浮いているような。


 関谷が再び引き出しを開け、底を叩いてみる。


 コツ、コツ。


 音が違う。


「おい」


 関谷が二人を呼ぶ。


「引き出しの底、二重になってるぞ」


 咲が駆け寄り、引き出しを覗き込んだ。


 木製の底板。だが、わずかに隙間が見える。


「何か、挟まってる」


 咲が細い指を差し込み引っ張ると、底板が、わずかに持ち上がった。


 その下には、差出人不明の一通の、開封済みの封筒が隠されていた。


 咲は、自分では確認せずに司に渡した。


 封筒に入っていたのは一枚の写真だった。


「これって…」

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