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96話 ペットの行方

◆依頼人・関係者

佐藤優子さとう ゆうこ

警察生活安全課勤務の女性。愛犬モカを何よりも大切にしている。

散歩中にモカが突然いなくなり、深い絶望に陥るが、玲探偵事務所に依頼。

事件解決後は、再びモカと共に穏やかな生活を取り戻す。

•モカ

優子の愛犬で小型犬。活発で人懐っこい性格。

事件のターゲットとして盗難されるが、無事救出される。



◆玲探偵事務所

れい

探偵事務所の代表。冷静沈着で状況判断に長ける。

現場検証・聞き込み・依頼全体の統括を担当。

今回も落ち着いた行動でチームを導き、事件を解決に導く。

•橘奈々(たちばな なな)

情報処理・分析担当。PCやネットワークを駆使して事件の裏を追う。

今回も過去の類似事件を洗い出し、犯行グループの手口を突き止める。

沙耶さや

感情面での支え役。人の心に寄り添うことを得意とする。

優子の心情を受け止めつつ、家族や仲間と共に「失われたものを取り戻す大切さ」を示す。

御子柴理央みこしば りお

記憶や行動データの分析を得意とするスペシャリスト。

ペットショップや動物病院での聞き込みに同行し、行動パターンを整理。

犯行グループの流通ルートを掴む手助けをした。

•アキト

変装潜入のスペシャリスト。状況に応じて配達員や学生風などに変装し、現場に入り込む。

倉庫街での闇取引現場に潜入し、決定的証拠の確保に成功。



◆その他関係者

•闇取引関係者たち

犬猫の盗難を繰り返し、裏ルートで売買していたグループ。

倉庫街での取引を玲たちに押さえられ、証拠ごと警察に引き渡される。

日時:10月中旬、午後5時30分

場所:東京都内、住宅街の公園沿いの散歩道


秋の夕暮れが街路樹の間を淡く染め、落ち葉が風に舞う中、佐藤優子は愛犬モカのリードを握りしめて歩いていた。小さな犬は軽快に跳ね回り、落ち葉の上を駆け抜ける。


「モカ、もう少しで公園だよ。ほら、待ってて」


優子は笑顔を作りながら歩いたが、ふと足元に視線を落とすと、いつもなら隣を歩くモカの姿がないことに気づいた。


「…モカ?」


呼びかけても、返事はない。周囲を見渡すと、住宅街も公園もいつもと変わらぬ静けさを湛えているだけだった。


「まさか…」


優子はリードをぎゅっと握り直し、慌てて辺りを走り回る。通りすがりの子供や近所の住人に声をかけるが、誰も心当たりはない様子だ。


「すみません、犬を見ませんでしたか? 小さな茶色の犬で…」


誰も答えず、優子の胸に焦りが募る。落ち葉の上に残るわずかな足跡を追いながらも、途中で途切れてしまう。


「警察に…届けるしかないのか…」


不安と焦燥が交錯する中、優子はスマートフォンを取り出した。以前、探偵の玲と連絡を取ったことを思い出す。指先が震えながらも、連絡先をタップする。


「玲さん…お願い、助けてください。モカが…いなくなっちゃったんです…」


風に乗って、落ち葉がひらりと優子の肩に落ちる。秋の夕暮れが、いつもと違う不安な空気を街全体に漂わせていた。


日時:10月中旬、翌日午前9時

場所:東京都内、住宅街の公園沿いの散歩道


秋の冷たい風が住宅街を吹き抜け、街路樹の落ち葉が乾いた音を立てて舞い上がる朝。玲は優子の家の前に立ち、コートの襟を立てながら周囲を観察していた。


「おはようございます、優子さん。昨日の状況を、もう一度詳しく聞かせてもらえますか」


優子は緊張した表情で頷き、昨日の散歩の時間、モカが消えた瞬間、目撃した人や異変――細かいこともすべて話し始めた。


「その後、周囲を探したんですけど、どこにもいなくて…」

「公園のベンチや遊具の下も見たんです」


玲は黙って頷き、時折質問を挟む。

「足跡や毛など、何か異常な点はありましたか?」

「ええと…少しだけ、いつもと違う足跡があった気がします。でも、誰のものかはわからなくて…」


玲は目を細めて考える。

「わかりました。まず現場を確認しましょう。モカが最後に姿を見せた場所です」


二人は公園沿いの散歩道へ向かう。木々の間を朝日が斜めに差し込み、落ち葉の色が淡く輝く。


公園に到着すると、玲はゆっくりと歩きながら地面を観察した。落ち葉の重なり方、土の柔らかさ、遊具の陰の小さな痕跡。


「…足跡が途中で消えていますね。誰かに抱えられて連れ去られた可能性があります」


優子は息を呑む。

「抱えられて…? そんな…」


玲は冷静に続ける。

「公園の端から住宅街にかけて、防犯カメラの映像も確認する必要があります。それと、隣人の行動にも少し注意しておきましょう」


玲は視線を隣人の小林亮の家に向け、微妙な表情や行動を鋭く観察した。


「亮さんの行動にはいくつか矛盾がありますね。後で詳しく確認しましょう」


優子はただ頷く。胸の奥に、不安と期待が入り混じった複雑な感情が芽生えていた。モカはまだ、この公園のどこかにいるかもしれない――その可能性を信じながら。


日時:10月中旬、午前10時30分

場所:東京都内、住宅街近くのペットショップ「ハッピーテイルズ」および付近の動物病院


玲と優子、理央、そして変装したアキトは、ペットショップ「ハッピーテイルズ」の店内に入った。アキトは店員風の制服に身を包み、軽く笑みを浮かべながら棚を整理するふりをして周囲を観察する。


「ここ最近、特定の犬種だけが高額で取引されるケースが増えています」と理央が低い声で優子に囁く。


玲は黙って頷き、手帳を取り出さずとも頭の中で情報を整理していた。店員の児玉美咲が、控えめにこちらを見つめながら話しかけてきた。


「最近、少し変わった注文が多くて…特定のブリーダーが子犬をまとめて買い取ることがあるんです」


玲は目を細め、児玉の表情や声のトーンを観察する。

「ブリーダーの名前や、取引の時期は覚えていますか?」


「ええ、ここ一か月ほどです。取引先は遠方の方ですが、名前までは…」


アキトはレジ付近に自然に立ち、周囲の動きをさりげなく録画している。玲の目線はアキトに向き、静かに指示を出す。

「アキト、奥の棚も確認して。配送ラベルや伝票を撮影して」

「了解です」


理央は店内の在庫や売買記録をチェックしながら、玲に補足する。

「これで注文履歴も確認できました。やはり特定の犬種に偏りがあります」


次に、四人は付近の動物病院を訪れた。受付で簡単な聞き込みを行う。アキトは病院スタッフに軽く笑顔を向け、自然に目立たないように情報を集める。


「この時間帯に同じ犬種が複数来院していますね。偶然ではなさそうです」玲が小声で言う。


優子は不安そうに周囲を見渡しながら尋ねた。

「その犬たち…何か問題があるんですか?」


理央が静かに答える。

「いいえ、健康上の問題ではありません。ですが、取引の対象になっている可能性が高い。これを元に、潜入や防犯カメラ確認の計画を立てます」


秋の朝日が建物の窓から差し込み、落ち葉が吹き込む待合室に、静かな緊張感が漂っていた。アキトはモニター越しに周囲を確認しながら、潜入の準備を進める。


玲は優子に目を向け、安心させるように微笑む。

「大丈夫です。今の段階で全て把握しています。次のステップでモカの居場所に近づけます」


日時:10月中旬、午後8時15分

場所:東京都内、住宅街から少し離れた倉庫街の一角


夜の街灯が落ち葉をオレンジ色に染める中、アキトは配達員風の制服に身を包み、肩にかけた小さな段ボールを慎重に運んでいた。配送員を装えば、倉庫への出入りも自然に見える。


「監視カメラの死角を通る…ここだ」


耳に差したイヤホン越しに玲の声が届く。

「左手の通路を進んで。人影を確認したら停止。無理はしないで」


アキトは深呼吸し、足音を最小限に抑えながら倉庫の影に身を潜める。段ボールの中身は空だが、配送物に見えるよう巧みに重さを調整していた。


倉庫の入口付近に差し掛かると、モカが小さなケージに入れられ、奥でじっとこちらを見ていた。


「位置確認。モカは中央奥だ」玲の声が冷静に響く。


アキトは息を潜めながらケージに近づき、周囲を見渡す。倉庫内には数名の人影が行き交い、懐中電灯の光が壁に反射して揺れる。


「慎重に…落ち着け」アキトは小さく自分に言い聞かせる。


突然、作業員の一人が棚の影に気づき、懐中電灯を振る。

「誰かいるのか?」


アキトは素早く段ボールの影に身を隠す。モカは小さく鼻を鳴らすが、まだ吠えない。


玲の指示が耳元で響く。

「そのまま動かず。証拠とモカの安全を最優先。準備ができたら左手の非常口へ」


アキトは頷き、慎重にモカを抱き上げ、倉庫内の死角を選んで移動を開始する。落ち葉を踏む音も最小限に抑え、夜風が背中を押す。


「よし、外に出た」


倉庫の外に出ると、淡い月明かりの下、アキトはモカを抱えて安全を確認する。遠くで倉庫内の物音が響くが、もう追手はいない。


「玲、モカ確保。次の指示を」


「よくやった。証拠は理央が回収する。安全を最優先で戻れ」


秋の夜風が二人を包み、緊張の潜入作戦は無事に成功した瞬間だった。


日時:10月中旬、午後10時15分

場所:東京都内、警察生活安全課・佐藤優子の自宅前


倉庫街を離れたアキトと理央は、確保したモカと証拠データを抱え、警察署へ向かった。夜風が少し冷たく、街灯に照らされた落ち葉が道に散らばる。


生活安全課の受付には、中川真也刑事が待っていた。


「君たちが確保したんだな?」

アキトは小さく頷く。

「はい。現場の録画と写真、取引記録もすべて揃っています」


理央も手に持った証拠データを渡しながら説明する。

「倉庫内の映像も含め、関係者の特定に必要な情報は全て揃っています」


中川刑事は軽く頷き、署内へ手招きする。

「確認次第、関係者の聴取を進めます。協力ありがとう」


その間、優子は落ち着かない様子で署内の椅子に座っていた。アキトが静かに近づき、モカを抱えて優子の前に現れる。


「モカ…!」

優子は思わず涙を浮かべ、犬を胸に抱きしめる。モカも安心したように体を寄せる。


玲は少し離れた位置からその様子を見守り、静かに言った。

「無事に確保できて何よりです」


優子は声を震わせながら礼を言う。

「本当に…ありがとうございます。モカが戻ってくるなんて…」


中川刑事も静かに言葉を添える。

「証拠も揃ったので、関係者の処分はスムーズに進みます。君たちの協力が大きかった」


優子はモカを胸に抱き、夜空を見上げる。街路樹の落ち葉が風に舞い、事件の緊張は解け、平穏な日常が戻ったことを象徴していた。


玲は微かに微笑み、優子に一言残す。

「これで一段落です。でも、何かあればすぐ連絡してください」


優子は頷き、モカをぎゅっと抱きしめる。秋の夜風が優しく吹き、失われた日常の温もりがゆっくりと戻ってくる瞬間だった。


日時:10月中旬、午後11時00分

場所:佐藤優子の自宅前・周辺の住宅街


優子はモカを抱きしめながら、自宅の玄関前で立ち尽くしていた。小さな体が胸にぴったりと寄り添い、鼻を鳴らす音が優子の心を温める。


「モカ…もう大丈夫だよ、怖かったね」

「うん…ありがとう…」優子は小さくつぶやき、涙を拭った。


玄関先には玲、理央、そして遠くから静かに見守るアキトがいた。アキトは街灯の影に隠れるように立ち、配達員風の制服で自然に通り過ぎるフリをしながら、任務完了を静かに確認している。


玲は優子に向かって微笑む。

「無事にモカを取り戻せてよかったです」


理央も静かに頷き、証拠データを整理した鞄を肩に掛ける。

「今回の件で、全ての情報は警察に渡しました。もう安心していいでしょう」


優子はモカを抱えたまま、二人に深く礼をする。

「本当にありがとうございました。皆さんのおかげです」


玲は軽く頭を下げ、優子の手をそっと離す。

「日常の中でも油断は禁物ですが、まずはゆっくり休んでください」


その間、アキトは通り過ぎる際に、モカと優子をちらりと見やり、微かに頷く。変装した姿で静かに住宅街を抜けていく。


優子は玄関に入り、モカをケージに戻す。犬は安心したように小さく丸まり、優子は深呼吸をして家の中を見渡す。秋の夜風が静かに吹き込み、事件の緊張感は完全に消え、平穏な日常の温もりが戻った。


玲はその背後でチームに向かい、小さく声をかける。

「皆、お疲れさま。今回の件で重要なのは依頼人の安全と証拠確保。無事に両立できました」


理央は肩をすくめ、穏やかに微笑む。

「これで一息つけますね」


玲は夜空を見上げ、住宅街に漂う落ち葉を眺めながら、次の仕事に備えるように静かに歩き出す。チームの余韻が、秋の夜の街並みに柔らかく溶けていった。


後日談 ―それぞれの場所で ―


佐藤優子とモカ(自宅・リビング)


日時:事件から三日後、午後7時

リビングの照明は柔らかく、ソファの上には毛布がかけられていた。優子はその上に腰を下ろし、膝の上に丸くなったモカを見下ろした。


モカは小さく鼻を鳴らしながら、安心したように目を閉じている。

「……よかった。本当に、戻ってきてくれて」

優子はそっとモカの背を撫で、声を震わせながら微笑んだ。


モカが小さく「ワン」と鳴く。

「ふふっ、返事してくれるんだね。寂しかったんでしょう?」

彼女はモカの耳を軽くつまみ、頬を寄せる。モカは顔を上げ、優子の頬を舐めた。


「もう絶対に離さない。どんなことがあっても、私が守るから」

その言葉に応えるように、モカは小さな尻尾を揺らした。


しばらく撫でていると、優子はふと遠くを見るような目になった。

「玲さんがすぐに動いてくれなかったら……あなたは戻ってこなかったかもしれない」

「理央さんも、あの冷静な分析で手がかりをつかんでくれた」

「それに……アキトさん。あの人が危険を承知で潜入してくれたから、あなたは無事だったの」


モカは耳を動かし、優子の声に耳を傾けるように顔を上げた。

「本当に、みんなに感謝しないとね。あなたを助けるために、こんなに動いてくれたんだもの」


優子はモカの小さな頭を両手で包み、そっと抱き寄せた。

「でもね、モカ。これからはもう、毎日を普通に過ごしていいのよ。あなたがここにいるだけで、私は幸せだから」


窓の外では秋風が吹き、落ち葉が舞い落ちていた。

優子はその音を聞きながら、そっと目を閉じる。

「ここが、あなたの帰る場所よ。モカ」


モカは安心したように小さなため息をつき、優子の膝の上で安らかな寝息を立て始めた。


玲(探偵事務所)


日時:事件から四日後、午後10時

場所:東京都内・玲探偵事務所、オフィス内


夜の静けさが街を包む中、玲の事務所だけはデスクライトの白い光に照らされていた。

書類の山を前に、玲は無駄のない手つきでペンを走らせていた。


「……ペット盗難の手口、やはり組織的か」

彼は眉を寄せながら、資料を一枚一枚確かめる。


机の脇には、証拠品として警察に提出した写しのUSBデータが置かれている。

「優子さんはモカと戻れた……それで十分だ。だが、この裏で動いていた連中は、まだ一部が逃げている」


玲は小さく息を吐き、椅子の背にもたれた。

壁際の時計が午後10時を告げる。


「……次に備えよう。こういう事件は、一度で終わるものじゃない」


彼はカップに残って冷めたコーヒーを口に含むと、再びペンを走らせた。

報告書の最後の行に、淡々とした文字で記した。


――「被害者と愛犬は無事保護、警察へ正式に引き渡し済み。依頼終了」


一拍置いて、玲は微かに口元を緩めた。

「……だが、守られた絆は依頼書には書けないな」


静まり返った事務所に、紙をめくる音だけが響いていた。


御子柴理央(研究室・分析デスク)


日時:事件から五日後、午後3時

場所:都内・理央の研究室


午後の光がブラインド越しに差し込み、白い研究室の机を斜めに照らしていた。

理央は整然と並んだモニターの前に座り、指先で冷静にキーボードを叩いていた。


画面には「ペット盗難事件」に関するデータ解析結果が次々と表示されていく。

監視カメラの映像、押収された取引リスト、通信ログの断片。


「……やはり。表に出てきた名前は氷山の一角、か」

理央は独りごち、眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。


彼は解析結果をフォルダに保存しながら、淡々と記録用のメモを入力していく。

――『取引先の一部は国外拠点と繋がりあり。今後も類似の事件が発生する可能性大』。


「動物を“物”として扱う連中は後を絶たない……。だが、玲が言っていた通り、守られた日常が一つでもあるなら、今回の調査には意味がある」


彼は一瞬手を止め、机に置かれた小さな写真立てに目をやった。

そこには、事件解決後に優子が送ってきた「モカを抱く笑顔の写真」が収められていた。


理央は無表情のまま、しかしわずかに目元を緩める。

「……安心した顔だな。次の分析に進もう」


そう呟くと、彼は再び冷静な指の動きでキーボードを叩き始めた。

研究室には、静かなキー入力音だけが一定のリズムで響いていた。


アキト(下町の喫茶店・窓際)


日時:事件から一週間後、午後2時

場所:東京都内・下町の小さな喫茶店、窓際席


午後の柔らかな陽射しがガラス越しに差し込み、通りを行き交う人々の影を映し出していた。

アキトはカジュアルな学生風のパーカーにジーンズという装いで、窓際の席に腰をかけていた。

目の前のカップからは、ほのかに苦いコーヒーの香りが漂っている。


「……あの倉庫での顔ぶれ、まだ全部じゃないだろうな」

彼はカップを軽く揺らし、独り言のように呟いた。


事件は解決し、モカは飼い主のもとへ戻った。だが、闇取引の裏に潜む本当のネットワークは、まだ見えない部分が多い。

「玲も理央も、それぞれ次の準備を始めてる。俺は……俺のやり方で探るしかない」


店員が「おかわりいかがですか?」と声をかける。

アキトは柔らかい笑みを浮かべ、学生らしい調子で答えた。


「お願いします。甘めで」


だが、視線だけはガラスの外を鋭く走らせていた。

通りの向こう、黒い帽子を目深にかぶった男が、一瞬こちらを窺った気がしたからだ。


「……気のせい、か?」

アキトはコーヒーを受け取り、再び窓際に腰を落ち着けた。


外見はただの学生、だがその眼差しは依然として鋭かった。

「次は、もっと深いところまで潜る番だな」


カップを傾け、ゆっくりと苦味を喉へ流し込む。

喫茶店のスピーカーから流れるジャズが、彼の胸の奥に潜む警戒心をかすかに和らげていた。

沙耶(佐々木家・ロッジのリビング)


日時:事件から六日後、午後8時

場所:郊外・佐々木家が暮らすロッジのリビング


薪ストーブの火がぱちぱちと音を立て、リビングを柔らかな橙色で照らしていた。

沙耶は温かいマグカップを両手で包み込みながら、隣に座る朱音を見やった。


「優子さん、本当に嬉しそうだったね。……ああやって大切な存在を取り戻せることが、どれだけの力になるか」


朱音はスケッチブックにモカと優子の笑顔を描いていて、顔を上げるとにっこりと笑った。

「ママ、あの人たち、ちょっと怖そうに見える時もあるけど……本当は優しいんだね」


沙耶はその言葉に頷き、娘の髪を撫でた。

「そう。人を守ろうとする強さは、ときに冷たくも見える。でもね、優しさと勇気は、同じところから生まれるんだよ」


薪の爆ぜる音に混じり、彼女の声は穏やかに響いた。


橘奈々(玲探偵事務所・オフィス)


日時:事件から七日後、午後4時

場所:東京郊外・玲探偵事務所


薄曇りの午後、事務所の机の上には、分厚いファイルとタブレットが並んでいた。

奈々は椅子に深く腰をかけ、軽やかな指さばきでキーボードを打ち続けていた。


「ペット盗難事件、今回の件は解決済み……でも過去データと照らし合わせると、どうもパターンが残ってる」


彼女のモニターには、似た手口の過去事件がいくつも表示されていた。

「倉庫街、配送ルート、関わった人間の名前……繋がってるわね」


玲が後ろから静かに覗き込み、低い声で言った。

「やはりか。まだ終わってはいないな」


奈々は小さく笑みを浮かべ、タブレットに次の検索リストを送信した。

「次の動きに備えて、基盤は固めておく。私の役割はそこだから」


玲は静かに頷き、彼女の肩に手を置くと短く告げた。

「頼りにしている」


奈々の瞳がモニターに映り込み、その光は冷静さと決意を宿していた。

件名:心からのお礼

送信者:佐藤優子

宛先:玲探偵事務所



玲さん、皆さんへ


このたびは、私とモカのために本当にありがとうございました。

あの日、突然モカがいなくなった時の絶望は、今でも思い出すと胸が苦しくなります。

ですが、皆さんが力を尽くしてくださったおかげで、私はこうしてモカと再び一緒に暮らすことができています。


モカは、事件のことなど何もなかったかのように私の膝で眠っています。

けれど私にとっては、この小さな命を取り戻せたことが、何よりも大きな奇跡です。


玲さんの冷静な指揮、奈々さんの情報分析、沙耶さんの優しい励まし、

理央さんの緻密な調査、そしてアキトさんの勇敢な潜入……

皆さん一人ひとりのお力がなければ、この結果はなかったでしょう。


本当に、言葉では言い尽くせないほど感謝しています。

モカと一緒に、皆さんのことをずっと忘れません。


いつか必ず、直接お礼をさせてください。


― 佐藤優子 & モカ ―

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