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95話 見えない視線

①:玲

•探偵・主人公。冷静沈着で現場分析能力に優れる男性。

•女装潜入やカップル変装などもこなす柔軟性を持つ。

•チーム統率や作戦立案が得意。


②:アキト

•潜入・変装担当。現場での尾行や接触役。

•GPS設置や小型カメラ操作も自然にこなす。

•高い変装スキルで対象に気付かれずに近づける。


③:奈々

•情報解析・モニター監視担当。

•チームとの通信・データ整理を行い、作戦サポートを担当。


④:リコ

•ナチュラルメイク担当、玲の女装サポート。

•小型カメラ設置や記録撮影にも関わるが、メインはメイク。


⑤:俊介

•依頼者。妻の浮気を疑い、玲チームに調査を依頼。

•事件を通して心理的に揺れ動く。


⑥:真理子

•俊介の妻。浮気疑惑の対象。

•最終的に新しい相手と生活を共にする。


⑦:小型カメラ/監視装置

•設置場所や録画状況をチームが監視。

•証拠確保の要として機能。

【日本・東京郊外・夫婦宅/秋・平日夜 20:00】


薄暗いリビングの片隅、ソファに腰掛ける男―― 佐伯俊介 は、無言のままタブレットを見つめていた。

そこに映るのは、先ほどまで妻が触っていたはずのスケジュールアプリ。


「……また“残業”か」


俊介の声は低く、掠れていた。

画面に並ぶ予定は、どれも仕事や会議の名目。だが、心の奥底で違和感が膨れ上がっていく。


隣のテーブルには、帰宅直後に置かれた妻のバッグ。

中には整った化粧ポーチと、普段よりも高価そうな香水の瓶が覗いている。

俊介はそっと視線を逸らした。


「真理子……本当に仕事なのか?」


彼の独り言は、静まり返った部屋の中でやけに大きく響いた。

秋の夜気が窓の隙間から忍び込み、冷たい風がカーテンを揺らす。

時計の針が「20:00」を指し、カチリと音を立てた瞬間、俊介はタブレットをテーブルに置き、深くため息をついた。


「……俺ひとりじゃ、もう限界かもしれない」


彼の目は、決意の光を帯びていた。

この違和感を確かめるために、やがて彼は一つの扉を叩くことになる――玲探偵事務所の扉を。


【日本・東京郊外・玲探偵事務所/秋・平日夜 19:00】


街灯に照らされた静かな住宅街。

昼の喧騒が嘘のように、通りを歩く人の姿はほとんどない。

その一角に、小さなプレートが掲げられた建物があった。


――「玲探偵事務所」


ドアの向こうに灯る柔らかな明かりが、訪れる者を迎えるように揺れている。


扉の前で足を止めた 佐伯俊介 は、スーツの胸ポケットに忍ばせた資料を無意識に押さえた。

そこには、ここ数か月にわたって妻の行動を記録したメモが収められている。

心臓の鼓動が速まる。


(……本当に、依頼していいのか?)


逡巡しながらも、俊介は拳を握りしめ、扉をノックした。


「どうぞ」


落ち着いた低い声が返ってくる。

意を決して中に入ると、白いシャツに黒いベストをまとった男がデスクに座っていた。

透き通るような冷静な瞳――探偵 玲 である。


「……こんばんは。こちらが、玲探偵事務所で間違いないでしょうか」

「ええ、間違いありません。どうぞ、おかけください」


俊介は促されるまま椅子に腰を下ろした。

わずかに震える手で資料を取り出し、机に置く。


「……実は、妻のことでご相談がありまして」


その言葉に、玲の視線がわずかに鋭さを増した。

机上のランプが二人の影を壁に落とし、事務所の空気が静かに張りつめる。


「奥様の行動に、不審な点がある……そういうことでしょうか」

「……はい。残業だと嘘をつかれている気がするんです。けれど、自分だけでは確かめられなくて」


俊介の声は掠れ、苦渋が滲んでいた。

玲はしばし黙考し、ゆっくりと頷いた。


「分かりました。ご依頼、承りましょう。……ご安心を。真実は必ず、光の下に現れるものです」


俊介の胸に、初めて小さな希望の灯がともるのを感じた。

しかし同時に、背筋に冷たい予感も走る。

その真実が、果たして望むものなのかどうか――まだ誰にも分からなかった。


【日本・東京郊外・玲探偵事務所/秋・平日夜 20:00】


玲はデスクに資料を広げ、アキトと奈々を前に座らせた。

窓の外には、街灯に照らされた住宅街の静けさが広がっている。


「今回の依頼は、夫・俊介さんからのものだ。奥様の行動に不審な点があるとのことだ」

玲は資料を指でなぞりながら説明する。


アキトが腕を組み、少し不敵に笑った。

「なるほど。ここで俺が潜入して小型カメラを設置するわけだな」


奈々がタブレットを操作しながら頷く。

「データはリアルタイムで確認できるようにします。設置は夜間、奥様が外出されるタイミングが狙い目です」


玲はアキトをまっすぐ見据え、低く指示した。

「女装して、自然に家に入る。変装はシンプルで上品な女性ファッション。ロングコートにワンピース。香水は控えめだが、人がすれ違った時に分かる程度で」


アキトは軽く笑い、資料に目を落とす。

「わかった。ナチュラルにやる。俊介さんも外出している時間を事前に確認しておく」


玲は手元の図面を指さす。

「カメラ設置はリビング、寝室前の廊下に限定。目立たず、自然に見える角度を優先する。事務所メンバーも外からの立ち入りは禁止だ。映像確認は私と奈々で行う」


奈々はタブレットを操作し、設置位置の3Dシミュレーションを表示する。

「夜間の照明条件も考慮しました。影や反射で映像が見えにくくなることはありません」


玲は資料をまとめ、落ち着いた声で締めた。

「全ての準備が整ったら、慎重に潜入。焦らず、自然に。証拠は確実に押さえる」


アキトは頷き、軽く拳を握った。

「了解。女装アキト、夜の潜入作戦開始だ」


奈々もタブレットを閉じ、真剣な表情で二人を見つめた。

「映像の監視は任せてください。証拠は逃さない」


玲はデスクの灯りの下、静かに頷く。

「では、全員準備が整い次第、作戦を開始する」


外の街灯の光が事務所内に差し込み、三人の影を長く伸ばす。

この夜、慎重な作戦の幕が静かに上がったのだった。


【日本・東京郊外・夫婦宅/秋・平日夜 20:15】


玲は静かに夫婦宅の前に立ち、深呼吸した。

長いロングコートにワンピースを合わせ、足元には上品なパンプス。ナチュラルメイクが彼の中性的な顔立ちを引き立てる。夜風に漂うほのかな香水の香りが、近隣の通行人の目を引きそうなほどだ。


「……よし、行くか」

玲は低く呟き、玄関のチャイムを軽く鳴らす。


ドアが少し開き、夫婦宅の妻が顔を出す。

「こんばんは。どちらさま?」


玲は微笑み、自然な声で答えた。

「こんばんは。ちょっとお宅のインテリアの相談で……あの、写真を撮らせていただけますか?」


妻は少し戸惑った表情を浮かべたが、すぐに微笑み返す。

「まあ、いいですよ。どうぞお入りください」


玲は軽やかに室内に入り、カバンから小型カメラを取り出す。

「ありがとうございます。ちょっと置かせていただきますね」

そう言って、リビングの隅にカメラを自然な角度で設置する。電源は事前に入れてあり、赤い小さなランプは目立たない。


カメラを設置した後、玲は軽く部屋を見渡す。

「ふむ……これで完璧だ。証拠はしっかり撮れる」

小さな心の声を抑え、彼は優雅に微笑む。


妻が茶を出してくれる。

「どうぞ、座ってください」


玲は軽くお辞儀をして応じた。

「ありがとうございます。ほんの少しお話を伺うだけで」


夫は別室で書類に目を通しており、妻と玲のやり取りに気づかない。

玲は自然な仕草で部屋を歩き回り、設置したカメラが部屋全体を捉えていることを確認した。


「これで準備完了……後は俊介さんの疑念を確信に変えるだけだ」

玲は静かに呟き、部屋を後にした。

外の夜風がロングコートを揺らし、静かに潜入作戦は成功を迎えた。


【日本・東京郊外・夫婦宅/秋・平日夜 21:30】


リビングのソファに座る俊介は、手元のスマートフォンを何度も確認していた。

通知画面には、妻が外出するたびの位置情報やメッセージの履歴がちらつく。


「……どういうことだ、昨日もこんな時間に出てたのか?」

彼は低く呟き、画面を睨む。指先が微かに震えていた。


キッチンからの物音に俊介は耳を澄ませる。妻の足音が階段を降りる音。

「今夜も……またか?」

疑念が胸を締め付ける。


俊介はスマートフォンを握り直し、立ち上がる。

「行くしかない……後をつけて確かめるんだ」


玄関をそっと開け、冷たい夜風が彼の頬を撫でる。

街灯に照らされた住宅街の影を伝いながら、妻の後ろ姿を見失わないように足を運ぶ。


「まさか、こんなことになるなんて……」

思わず呟く声は、自分自身への苛立ちと不安に混ざっていた。


住宅街を抜け、妻の影を追う俊介。

その夜、彼の中で疑念は確信へと変わりつつあった。

後ろ姿から漂う香水の匂いが、心のざわめきをさらに増幅させる。


「絶対に逃がさない……真実を知らなきゃ」

俊介はそう決意し、闇の中を妻の後を追った。


【日本・東京郊外・玲探偵事務所/秋・平日夜 22:30】


玲はモニターに映る夫婦宅の映像をじっと見つめ、静かに口を開いた。


「俊介さんが疑い始めたタイミングを見計らう。次に妻が外出する際、こちらも行動を合わせる」

アキトは椅子に腰かけながら軽く頷く。


「変装を何度か挟んで、さりげなく周囲に溶け込む。カメラの位置も微調整だ」

奈々がキーボードを叩き、カメラ映像の録画状態を確認する。


アキトは薄く笑みを浮かべながら、冗談めかして言った。

「俺が何度も現れても、普通の通行人に見えるって寸法だ」


玲は冷静に指示を続ける。

「不自然な接触は避ける。あくまで自然に、偶然を装う。妻の行動を引き出すことが目的だ」


アキトは軽やかに立ち上がり、事務所の入り口で帽子と上着を整えながら言った。

「了解。じゃあ、俺はちょっと散歩に行ってくる感覚で、彼女の周辺に自然にいることにする」


モニターには、夫婦宅の玄関前や通りの影が映し出され、時折、街灯に照らされた妻の姿が確認できた。


玲は低い声で言う。

「アキト、くれぐれも目立たないように。証拠は映像とGPS、君の変装は補助にすぎない」


アキトは笑みを残し、すっと事務所を出て夜の街に溶け込む。

「わかってる。じゃあ、ちょっと彼女の様子を見てくる」


奈々はモニターを注視しながら、淡々と録画状態を確認した。

「全て記録に残る。これで疑念が確信に変わる」


玲は腕を組み、微かに息を吐く。

「さあ、次は現場での動きだ……」


夜の静けさの中、玲チームは夫婦の行動と証拠の整理に集中し、作戦を練り続けた。


【日本・東京郊外・住宅街/秋・平日夜 23:15】


夜風に乗って、街灯の橙色の光が歩道を淡く照らす。アキトは肩にかけたトレンチコートを軽く整え、キャップで髪を隠しながら住宅街に溶け込む。


耳には小型イヤホン。玲の声が低く響く。

「アキト、妻の動きに合わせろ。俊介には絶対に気づかれないように」


アキトは小さく頷き、スマートフォンで妻の動きを確認する。

「了解、玲さん。自然に通りすぎるだけの通行人に見えるようにする」


妻は住宅街の角を曲がり、外出する様子を見せる。アキトはすれ違いざま、さりげなく数歩後ろを歩く。


通りすがりのカフェ前で、妻が立ち止まり、バッグを整理する。アキトも偶然を装い、カフェの窓側に立つ。微かに香る女性用のフローラルの香水が、彼の鼻をかすめる。

「……間違いなく、ここで会うのは初めての偶然だ」

アキトは心の中で呟き、呼吸を整える。


イヤホンから玲の低い声。

「アキト、そのまま自然に後をつけろ。俊介には絶対にバレるな」


アキトは笑みを浮かべ、通行人として歩きながらも、さりげなく妻の視界に入り続ける。スマートフォンのGPSが追跡位置を正確に示していた。

「了解……これでGPS設置もスムーズに行ける」


住宅街の静けさの中、アキトは通行人の一人として、妻に気づかれず、夫にも気づかれず、自然に距離を詰めていった。


【日本・東京郊外・玲探偵事務所/同刻 23:15】


事務所の薄暗い部屋。モニターには、アキトが住宅街で妻の後をつける様子が鮮明に映し出されていた。


奈々がキーボードに手を置き、映像をズームインする。

「距離もバッチリですね……このままGPSを設置できます」


玲は椅子に座ったまま、深く息を吐き、アキトに向かって低い声で言った。

「今回、俺が女装してカップルとして接近する。アキトは彼氏役だ」


アキトは画面を見上げ、驚きと少しの戸惑いを滲ませる。

「え、俺が彼氏役……ですか?」


玲は真剣な眼差しで頷く。

「そうだ。自然に接触できるのはこの形しかない。俺が彼女役なら、怪しまれることなく部屋やカメラの位置も確認できる」


リコも画面を覗き込み、軽く笑みを浮かべる。

「玲さん、本当に……女装するんですか? これでバレなきゃ天才ですね」


玲は軽く肩をすくめる。

「俺の変装術に任せろ。アキト、お前はそのまま自然に彼氏役として振る舞え」


アキトは小さく息を吐き、覚悟を決める。

「……わかりました、玲さん。任せます」


モニターには、住宅街の静かな夜に二人のカップルとして歩く玲とアキトの姿が、通行人に溶け込むように映し出されていた。


【日本・東京郊外・夫婦宅/23:30】


夜風が窓から差し込み、リビングにかすかな物音が響く。俊介はソファに座ったまま、手元のスマートフォンを握り締め、視線を妻の動きに集中させていた。


「ねえ……今日、本当にどこに行くつもりなの?」

声には疑念と緊張が混ざっていた。俊介は思わず立ち上がり、少し前に進む。


妻は振り返り、微笑を浮かべて答える。

「ただの友達と食事よ、俊介。夜遅いけど、心配しないで」


俊介は拳を軽く握り、ため息交じりに呟いた。

「……友達、か。信じたいけど、どうも納得できないんだ」


背後には、薄暗い街灯に照らされながら、アキトと女装した玲の姿がひっそりと映っている。二人は自然に夫婦の視線に入らない位置を保ちつつ、監視と証拠撮影のタイミングを伺っていた。


奈々の低い声がイヤホン越しに響く。

「俊介さん、動かずに待機してください。証拠はすぐに掴めます」


俊介はスマートフォンを握り直し、窓の外を見つめる。疑念が確信に変わる夜の始まりだった。


【日本・東京郊外・夫婦宅~市街地/秋・平日夜 19:20】


玄関のドアの開閉音が、俊介の耳に鋭く届いた。彼はソファに腰かけたまま、息を潜めて音の方向を探る。


「……今夜も外出か」

小さく呟き、スマートフォンの画面をちらりと確認する。


その頃、街中では玲が女性に変装し、アキトとカップルのように肩を寄せ合って歩いていた。玲は上品なロングコートにワンピース、髪型はナチュラルなウィッグで整え、香水のほのかな香りが漂う。男性とは思えない自然な振る舞いで、街行く人々の目を一瞬奪うほどの美しさだ。


「俊介さんに見つからないように、小型カメラはここでいいな」

玲が低く囁く。


「了解。うまく映るはず」

アキトはバッグからカメラを取り出し、建物の外壁にさりげなく設置する。二人の動きは、まるで自然なデートのカップルそのものだった。


「よし、これで設置完了」

玲が微笑むと、アキトも頷き、二人は静かにその場を立ち去る。


俊介はまだ妻の行動を目で追うことはできず、街のどこかで確実に証拠が押さえられていることを、彼は知らないままだった。


【日本・東京郊外・路地裏~市街地/秋・平日夜 19:45】


人通りの多い駅前の商店街は、夜のライトに照らされて賑やかだった。


玲は男でありながら女装して街の雰囲気に溶け込んでいた。落ち着いたブラウンのジャケットにデニム風ワンピース、ナチュラルなロングウィッグを整え、誰も男だとは思わないような自然さだ。アキトもフード付きパーカーにジーンズ、帽子で顔を隠しつつ、玲とカップルのように腕を組んで歩く。


「ここで尾行すれば、夫にも怪しまれない」

玲は低い声でアキトに囁く。アキトは頷き、周囲の様子を警戒しながら歩いた。


一方、俊介は妻が自宅を出て行く様子を見て、胸騒ぎを覚えた。

「やっぱり、何か隠してる……」

スマートフォンを握りしめ、足音を忍ばせながら商店街を進む。


妻は人混みに紛れ、普段の散歩のように歩く。しかし俊介の目には、慎重な動きが映り、普段と違う何かを感じさせる。


玲とアキトは通行人に自然に溶け込みながら、小型カメラを設置する位置を確認した。


「よし、ここに置けば夜の動きも全部押さえられる」

玲が低めの声で確認し、アキトが慎重にカメラを取り付ける。


「完了だ」

二人は腕を組んだまま、さりげなく商店街を離れる。俊介はまだ、街のどこかで証拠が押さえられているとは知らず、妻の後をつけ続けるだけだった。


【日本・郊外ホテル街/秋・平日夜 20:10】


ネオンがぼんやりと輝くホテル街。タクシーの扉が開き、妻が静かに降り立った。


玲は街の雰囲気に合わせ、落ち着いたジャケットにスカート風パンツ、柔らかいブラウンのロングウィッグを整えて立っている。アキトも黒のジャケットとジーンズに帽子で顔を隠し、二人はカップルのように見えるよう自然に振る舞った。


「ここから先は、俊介に怪しまれないよう慎重にな」

玲は低めの声でアキトに指示する。


アキトは頷き、タクシーから降りた妻の後ろに回り込む。


その瞬間、俊介は少し距離を置き、スマートフォンの画面で地図を確認しながら尾行を続けた。

「やっぱり……間違いない。どこへ行くんだ、君は……」

俊介は自分の胸の高鳴りを押さえつつ、慎重に妻の行動を追う。


玲とアキトはホテル街の灯りに溶け込み、まるで周囲の一部のように立つ。アキトが手際よく小型カメラを設置し、ホテル前の通路を押さえる。


「設置完了。ここで夜の動きは全て記録できる」

玲は低い声で確認し、アキトが無言で頷く。


俊介はまだ知らない。妻の背後に、すでに証拠を押さえる目があることを。


【同刻・ホテル街近く/20:15】


少し離れた路地裏に、玲と奈々が身を潜めていた。


奈々は目を見開き、低く息をついた。

「玲さん……本当に、あの格好で入るんですか……?」

「大丈夫だ、俺の役割は潜入して自然に動くことだ。怪しまれないようにするだけだ」

玲は冷静に答えながらも、視線はホテルの入り口に固定していた。


アキトはすでにホテル内で、案内人に変装して妻を部屋まで誘導している。

「こちらです。今夜のお部屋はこちらになります」

アキトは落ち着いた声で応対し、妻を自然に部屋へ導いた。


部屋に入るや否や、アキトは小型カメラをさりげなく設置し、妻の動きを全て押さえた。


奈々は玲の横で小声で呟く。

「こんなにも自然に……さすがです、玲さん……」

玲は軽く頷き、目の前のモニターに映るホテル内の映像を確認する。

「これで記録は完璧だ。後は妻の行動がどう出るか見極めるだけだ」


夜のホテル街に静かに響くのは、控えめな空気の中で進む作戦の息遣いだけだった。


【ホテル街/秋・平日夜 20:25】


俊介はホテル街の片隅、雑居ビルの陰に身を潜めていた。

街灯の橙色が濡れた舗道に反射し、彼の心拍をあおる。


「……まさか、こんなことに……」

俊介は低く呟き、手元のスマートフォンで妻の行動を確認する。

ホテルのフロントから部屋に向かう妻の足取りが、カメラ越しに鮮明に映る。


目の前の光景に、息を呑む。

「……これは……やっぱり……」

彼の声は震え、足がすくむ。


妻は部屋のドアを開け、別の男性と接触する姿が映る。

互いに笑顔を交わし、軽く手を握る動作まで、全てがカメラに収められていた。


俊介は拳を握りしめ、必死に自分の感情を抑えた。

「……こんなはずじゃ……」

彼は後ろに下がりながらも、目を逸らさず、決定的証拠を目に焼き付ける。


背後の雑居ビルの影から、玲と奈々の声が低く届く。

「俊介さん、動揺しないで。これで全て確定です」

「ええ……ようやく真実が……」

奈々の声は静かだが、どこか重みがあった。


夜風がホテル街のネオンを揺らし、俊介の胸に冷たい現実を突きつけた。


【ホテル街・路地裏/秋・平日夜 20:30】


路地裏に隠れた玲チームは、息を潜めながらモニターを注視していた。

玲は冷静に、落ち着いた声で指示を飛ばす。


「アキト、妻の動きに合わせて距離を保って。俊介さんには絶対に気づかれないように」

「了解です。自然にいきます」

アキトは軽く頷き、ホテル街の雑踏に溶け込んで移動する。


奈々はキーボードを打ちながら、監視カメラの映像を分析していた。

「部屋の中、接触の瞬間を全て記録しています。これで証拠は確実です」

玲は頷き、報告書用のメモを取りながら冷静に指示を続ける。


その間、俊介はホテルの廊下で妻と対峙していた。

「……君、一体何をしているんだ?」

妻は驚き、声を詰まらせる。

「し、俊介……違うの……これは……」

彼女の手は震え、目には涙が光る。


俊介は拳を握り、顔を歪めながらも声を抑える。

「全部、見てしまった……もう誤魔化せない」


路地裏の玲チームは、モニター越しにそのやり取りを確認する。

「これで依頼は完了です。俊介さんも真実を受け止める段階です」

「はい……報告書に全て記録します」

奈々の声は淡々としながらも、事務所での作業と同じ緊張感を漂わせた。


夜風が路地裏を吹き抜け、ホテル街のネオンが二人の背中を照らす。

玲は静かに息をつき、全てが計画通りに進んだことを確認した。


【ホテル街・メイン通り/秋・平日夜 20:30】


ネオンが輝く通りを歩く人々の中、ひときわ目を引く二人のカップル。

玲は男でありながら、女性にしか見えない容姿でアキトと肩を並べて歩いていた。


通行人の一人が立ち止まり、思わず振り返る。

「……あの人、すごく綺麗……」

アキトは微笑みながらも軽く頭を下げ、誰にも怪しまれない自然な仕草で歩を進める。


玲チームは路地裏でモニターを注視していた。

「これで証拠は全て押さえました。依頼は完了です」

奈々が手元の資料をまとめながら報告する。

「夫・俊介さんも、妻の真実を理解しました」



【東京地方裁判所/翌日・午前10:00】


法廷には夫婦、弁護士、そして依頼者である俊介が座っていた。

玲チームが提出した報告書と映像資料が裁判官に渡される。


裁判官が判決を読み上げる。

「被告は……本件について、相応の責任を認めることとします」


妻は涙を流しながらも、静かに頷く。

俊介は深く息をつき、肩の荷が下りたような表情を見せる。



【東京郊外・玲探偵事務所/同日・午後5:00】


一日の業務を終えた玲チームが事務所に戻る。

「今回も無事に終了ですね」

奈々が椅子に座りながら微笑む。


アキトは窓の外を見やり、静かに呟く。

「玲さん、今回も完璧でしたね」

玲は小さく肩をすくめ、笑みを浮かべる。

「いや……俺一人じゃなく、チームのおかげだ」


全員が軽く笑い、互いに無言で頷き合う。

夜の静けさが事務所を包む中、次なる事件への準備が、静かに始まっていた。


【東京郊外・玲探偵事務所/裁判後・午後5時】


玲はデスクの前に座り、裁判資料を整理していた。

奈々がモニター越しに声をかける。

「玲さん、裁判の判決も無事出ましたね。俊介さん、妻との和解は…」

玲は少し肩をすくめる。

「和解じゃないな。離婚が正式に決まった。だが、双方が納得した上での結果だ」


アキトが近くで小型カメラの映像を再生しながら笑う。

「裁判所でも、証拠が完璧だったおかげで俊介さんは安心できたみたいですね」

玲は無言で頷き、窓の外の夕陽を見つめる。

「真実を知ることと、それを受け入れることは別だ…」


奈々が資料を手に取り、つぶやく。

「でも、これで依頼は完全に完了ですね」

「うん。依頼者も、これで前に進めるはずだ」玲は静かに答える。



【東京郊外・俊介の新居/裁判後・午後6時】


俊介は新居のリビングに立ち、深呼吸する。

「……やっと、自分の人生を取り戻せる」

彼の目には、安堵と少しの寂しさが混ざっていた。

窓の外に落ちる夕陽を見つめ、未来を思い描く。


妻は隣の町に引っ越し、新たな生活を始める準備をしていた。

涙はもう枯れ、過去を受け入れ、新しい一歩を踏み出そうとしている。



【東京郊外・玲探偵事務所/裁判後・午後7時】


玲、アキト、奈々は事務所の小さな会議室で解散前の簡単な打ち合わせをしていた。

アキトが軽く笑う。

「今回も無事に終わりましたね」

奈々も笑みを浮かべ、資料を片付ける。

「依頼者が納得して、証拠も完璧。私たちの仕事は成功です」


玲は少し考え込み、静かに答える。

「事件が終われば、人生はまた続く。でも、誰かの人生に踏み込む仕事は、いつも責任が重い」

アキトが軽く肩を叩く。

「でも、玲さんがいれば大丈夫ですよ」


夜の静寂が事務所を包む中、三人はそれぞれの思いを胸に帰路についた。


【ホテル街・某ラブホテル/305号室内部 21:00】


小型カメラの赤いランプは、壁の掛け時計の影に巧妙に隠されて微かに光っていた。

玲はそっとカメラを手に取り、慎重に外す。

「よし、回収完了。誰にも気づかれることはない」

アキトが壁際で微笑む。

「毎回思うけど、玲さんの女装って本当に自然すぎるな」

玲は軽く肩をすくめる。

「仕事だ。それに、これ以上露骨だと逆に怪しまれる」


奈々がモニターを確認しながら笑う。

「映像も全部回収しました。これで報告書は完璧です」


【日本・東京郊外・帰路/深夜 23:30】


車内は静まり返り、玲の運転する車は街灯に照らされながら郊外の道を走っていた。

アキトは助手席で軽く伸びをし、深いため息をつく。

「やっと終わったな……」


奈々は後部座席でタブレットを閉じ、肩越しに夜の景色を見つめる。

「今回は長かったですね。でも、証拠も揃ったし、依頼主には十分な報告ができそうです」


玲はハンドルを握りながら、後ろを振り返らずに静かに言った。

「うん……全て確認できた。あとは依頼主に渡すだけだ」


夜風が車の窓をかすかに揺らし、街路樹の影が揺れる。

三人の間に言葉少なな安心感が流れ、沈んだ緊張が少しずつ解けていく。


玲は視線を前に固定し、夜の郊外の街をゆっくりと走り抜けた。

「……次は何が待っているか、誰にもわからない」


静かな夜道に、車のエンジン音だけがゆっくりと響いた。


【ホテル街前/秋・平日夜 22:05】


やがてラブホテルの扉が開き、真理子と男が並んで出てきた。

男が微笑みながら真理子の肩に手を回す。


「行こうか」

男の低い声に、真理子は小さく頷いた。

「うん、もう大丈夫……」


二人は手をつなぎ、夜の街へ歩き出す。その背中に、過去の軋轢はもう残っていないかのようだった。

俊介は遠くからその様子を見つめ、固く唇を結ぶ。離婚は決まったが、もう二人の選択を止めることはできない。



【東京郊外・夜道/秋・平日夜 22:30】


玲は一人、夜道をゆっくりと歩く。

街灯に照らされるアスファルトに、自分の影が細長く伸びていた。


「……こういう仕事は、結果を見届けるまで気が抜けない」

玲は小さくつぶやく。

今回もまた、誰かの人生の一部を見届ける役目を果たした。

小型カメラで押さえた証拠、夫の苦悩、妻の選択、すべてが頭の中で整理される。


夜風が耳元をかすめ、遠くの車の音が静かに響く。

玲は立ち止まり、深く息を吸った。

「次の依頼が来るまでは、少しだけでも、この静けさを楽しもう……」


誰もいない夜道。月明かりの下、玲の足音だけが静かに響いていた。


【俊介自宅・リビング/翌夜 20:00】


照明は落とされ、暗い部屋にテーブルランプの柔らかい光だけが灯っていた。

ソファに座る俊介は、静かに手元の写真立てを見つめる。

「……これで本当に終わったのか」

小さくつぶやく声には、やはり寂しさと安堵が混ざっていた。


一方、遠くの玲探偵事務所では、玲がデスクに肘をつき、今回の事件を思い返していた。

「夫の疑念、妻の選択、そして押さえた証拠……すべて順調に進んだ」

玲は低く息を吐き、机上に置かれた作戦ノートを静かに眺める。

「こういう事件は、誰かの人生に深く関わる。終わったあとも、心に重みが残るものだ」


窓の外には夜風が揺れる樹々の影。

玲は一人、暗がりの事務所で、次の依頼が来るまでの静かな時間を噛みしめるように座っていた。


【玲探偵事務所・深夜/同刻】


玲は机に向かい、今日の調査報告書を丁寧に整えていた。ペン先で細かい文字を確認しながら、目の前に広がる紙面に集中する。


「……これで、全ての記録が揃ったな」

玲は小さく呟く。


その時、軽やかな足音が事務所に響いた。

「玲さん、お疲れさまです」

リコが差し入れのコーヒーを手に現れる。


「ありがとう、リコ。ちょうど手が空いたところだ」

玲は微笑みながら、手を止めてコーヒーを受け取る。


続いて、アキトも現れ、カジュアルに肩をすくめた。

「終わったな……でも、やっぱりあの変装は疲れる」

「お前の変装も完璧だったよ。あのホテル街での動き、自然すぎた」

玲は軽く頭を下げ、アキトの頬にわずかに笑みを返す。


リコも机の隅に座り、少し照れくさそうに言った。

「でも、玲さん……あの時の彼女役、やっぱり綺麗すぎます。通行人が二度見するくらいでした」

「……まあ、細かいことは置いておこう」

玲は肩をすくめ、軽く笑った。


夜の静けさの中、事務所には小さな余韻が漂う。

事件は終わったが、チームの連携や信頼、そして互いへの感謝の気持ちだけが、そっと残されていた。


「さて……次の依頼が来るまで、少しだけ休むか」

玲は深く息をつき、再び報告書に目を落とした。


【俊介自宅・リビング/翌夜 20:00】


リビングは張り詰めたまま、時計の針の音だけが響いていた。


俊介はソファに沈み込み、手元の書類を握りしめる。

「……やっぱり、現実だったんだな……」

ため息混じりに呟く。妻の行動が脳裏に浮かび、胸の奥に冷たい重みが広がる。


玲は静かに一歩前に出て、テーブルに置かれたタブレットを見つめる。

「これで全ての事実が揃いました。あとはあなたが決めることです」

俊介は視線を落とし、深く頷く。



【東京郊外・夜道/翌夜 20:30】


玲は事務所を出て、一人で夜道を歩いていた。

街灯に照らされるアスファルトが、濡れた夜気に光る。


「……今日も無事に終わったか」

口元で小さく呟きながら、玲は事件の経過を思い返す。

アキトの変装、ホテル街での証拠確保、俊介と妻の対峙……全てが鮮明に頭に蘇る。


深呼吸をすると、秋の夜風が肌を撫でた。

「真実を示すことはできた。でも、やっぱり人の心までは操作できない……」

玲は歩みを緩め、街の静寂に身を委ねる。


夜道を進む足音だけが響く。静かな街と、事件の余韻。

それでも、明日にはまた新しい依頼が待っていることを、玲は心の片隅で感じていた。


【玲探偵事務所・翌日 午前5:30】


秋の朝焼けが、事務所の窓から差し込む橙の光となって机の上に積まれた書類を照らす。まだ街は薄暗く、静寂が支配していた。


遠くの街灯に、小さな人影がちらりと映る。誰かが歩いているのか、足音はまだ聞こえない。けれど、微かに漏れる声が事務所まで届いた。


「昨日の報告書、もう少し整えておこうか」

「了解です。コーヒー淹れますね」


アキトとリコの声だった。玲は窓際に立ち、目の前の書類に視線を落とす。

「……事件は終わった。だが、次は必ず来る」


書類の上で朝日の光が揺れ、ほんの少しだけ温かさを感じさせる。

玲は深く息を吸い込み、机に手を置いたまま静かに佇む。


外の人影と声は、まだ薄暗い街に溶け込み、事務所の中に穏やかな余韻を残した。

今日もまた、新しい一日が始まろうとしていた。


【玲探偵事務所・玲チーム/東京郊外・数日後 午後2:00】


資料と映像をまとめ終え、玲はチームメンバーに向かって静かに言った。

「これで依頼は完了だ。各自、記録の整理と報告書の最終確認を頼む。」


アキトが肩越しにモニターを覗き込み、冗談めかして言う。

「玲さん、女装作戦、思ったより自然でしたね。通行人、絶対見とれてたでしょう。」


奈々は薄く笑みを浮かべ、キーボードを打ちながら答えた。

「ほんとですね。でも証拠は完璧に押さえられましたし、依頼者も納得してます。」


玲は軽く息を吐き、椅子にもたれかかる。

「これで一段落…だな。皆、お疲れ様。」


リコがファイルを机に置き、静かに付け加えた。

「玲さん、今回の件で学んだこと、次にも活かせそうですね。」


玲は窓の外の午後の光を眺め、静かに頷く。

「うむ…日常に戻る前に、しっかり振り返っておくことが大事だ。」


【アキト/東京郊外・ホテル街付近・同日 午後15:00】


アキトは人混みの中を歩きながら、周囲の服装や立ち振る舞いを観察していた。

「なるほど…あの歩き方とバッグの持ち方、自然に見せるには参考になるな」


路地で立ち止まり、カップルやビジネスマン、観光客の表情や動きをじっと見つめる。

「香水の香り、距離感、目線の動き…細かいけど、ここを抑えれば変装も自然になる」


スマートフォンを取り出し、メモを取る。

「今回の任務で使える要素はすべて吸収しておく。無駄は一つもない」


小さく息を吐き、再び街の流れに溶け込みながら歩き出す。

「さあ、次は現場で試す番だな…」


【リコ/東京郊外・自宅街・同日 午後17:00】


リコはリビングのテーブルにメイク道具を並べ、友人の主婦に手順を教えていた。


「ねぇねぇ、これだけで顔の印象ガラッと変わるんだよ~♡」

友人が驚いた顔で聞き返す。「ほんとに?そんなに簡単に?」


リコは鏡を差し出しながら笑う。「マジで!ほら、ここチョンチョンってつけるだけ!これだけで目がパッチリ見えるんだって!」

友人が恥ずかしそうに笑う。「うわ…なんか私、若返った気分…ありがとう!」


リコはにっこり笑ってウィンクする。「でしょ~?ギャルだけど、使えるテクはマジで便利だからね♡」


手際よくブラシで仕上げを整えながら、友人の表情が自然に明るくなるのを確認した。


【俊介/郊外の自宅・同日 夕方】


リビングのソファに腰を下ろし、窓の外の夕焼けをぼんやり眺める俊介。


「もう、あれで終わりだな…俺も前を向かないと」

小さくため息をつき、手元のスマートフォンを操作する。


「連絡は必要最低限で…そうだ、これからは仕事に集中しよう」

少し苦笑いを浮かべながら、カレンダーに予定を書き込み、心の整理を始めた。


「…元妻には幸せになってほしい。俺も、俺なりの幸せを探すだけだ」


夕暮れの光が部屋に差し込み、静かな時間が流れる中で、俊介は新たな一歩を踏み出す決意を固めていた。


【玲探偵事務所・玲/夜 20:30】


玲はデスクに肘をつき、窓の外の夜風に目を細める。街灯の光が静かに事務所の壁を照らしていた。


「今日も、無事に終わったか…」

小さくつぶやき、手元の報告書に目を落とす。


「けれど、こういう仕事は、終わりがあっても心はまだ整理できないな」

深いため息をつきながら、夜の静けさを味わう。


「まあ、俺たちは次の依頼が来るまで、少し休むだけだ…」

玲はゆっくり椅子にもたれ、夜風の匂いを吸い込みながら、事件の余韻に浸った。


【真理子/東京郊外・自宅近くのカフェ/午後15:00】


真理子は窓際の席に座り、カフェラテを手に静かに外を見つめていた。


「もう、あの頃のことは仕方ないわね…」

小さくつぶやき、隣に座る新しいパートナーに微笑む。


「でも、やっぱり、あの経験があったから今の私たちがあるのよね」

穏やかな声で、カップを傾けながら過去の痛みを受け入れた表情を見せる。


店内の静かな音楽と、柔らかい午後の光に包まれ、真理子は新しい生活へと歩み出していた。

【東京郊外・玲探偵事務所/翌日 午前10:30】


玲は机に向かい、前日の調査報告書を最後まで目で追っていた。静かな事務所に、パソコンの通知音だけが小さく響く。


「…ん、誰からだ?」


画面の新着メールアイコンをクリックすると、件名には『お礼です/俊介』とだけ書かれていた。


玲は少し眉をひそめながらメールを開く。


玲様

このたびは、妻の行動の真実を明らかにしていただき、ありがとうございました。

心の整理がつき、前に進む覚悟ができました。

感謝の気持ちをここにお伝えします。

俊介


玲は静かに息をつき、モニターの文字を読み返す。


「…しっかりしてるな」


その直後、もう一通のメールが届いた。件名は『ありがとう/真理子』。


玲さん

本当にありがとうございました。

自分の行動を正面から見つめ直すきっかけになりました。

これから新しい生活を始めますが、玲さんのおかげで踏み出せます。

真理子


玲は思わず、微かな笑みを浮かべる。窓の外に目をやると、秋の柔らかい日差しが事務所の机を照らしていた。


「どちらも、前に進めそうだな……。」


机の上には、報告書とカメラ映像のデータ、そして事件を終えた余韻だけが静かに残っていた。


玲は深く息をつき、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

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