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94話 「水無浜の追跡者」

玲チーム・関係者

1.れい – 冷静沈着な探偵。黒幕追跡の指揮を担当。

2.橘奈々(たちばな なな) – 玲の助手。情報処理・分析担当。

3.沙耶さや – チームの感情的支柱。直感と人間観察力で事件解明に貢献。

4.川崎ユウタ(かわさき ゆうた) – 記憶の証人、事件の核心情報を持つ少年。

5.御子柴理央みこしば りお – 記憶分析担当。冷静な判断力でチームを支える。

6.水無瀬透みなせ とおる – 記憶探査官。封じられた記憶を解放する役割。

7.九条凛くじょう りん – 心理干渉分析官。精神的サポート担当。

8.神谷(新登場・元軍隊スペシャリスト) – 軍隊出身の技術と経験で監視網・罠を突破。



佐々木家

9.佐々木圭介ささき けいすけ – 過去の事件に関わる父親。

10.佐々木朱音あかね – 圭介の娘。純粋な直感とスケッチで事件解明に寄与。

11.佐々木昌代まさよ – 圭介の母で霊感の持ち主。



影班

12.成瀬由宇なるせ ゆう – 暗殺・対象把握担当。

13.桐野詩乃きりの しの – 毒物処理・痕跡消去担当。

14.安斎柾貴あんざい まさたか – 精神制圧・記録汚染担当。



黒幕・関係者

15.潜伏者/黒幕(名前未判明) – 玲チームの標的。アジトで次の計画を練る。

16.幹部たち(黒幕側) – モニターや情報を管理し、黒幕の指示に従う。

17.田所(偽情報または証言提供者) – 黒幕追跡に関わる証言者。

【日本・東海道新幹線車内/現代・夕方17:45〜18:30】


夕暮れの車窓に、橙色の光が流れる。列車は東京駅を出発して数時間、高速で田園地帯を駆け抜けていた。車内は夕方の帰宅ラッシュの落ち着きを見せ、ビジネスマンや家族連れの会話が小さく響く。


玲は窓際の座席に腰を下ろし、タブレットの画面に映る車両配置図を眺めていた。

「監視カメラの映像は、すべてリアルタイムで確認できる。」

静かに言いながら、彼は目を細めて映像をスキャンする。


隣に座るリコが眉をひそめ、声を落とす。

「玲さん……この車両、誰か不自然な動きをしている人がいるかも。」

タブレットの画面には、車両内の人物の位置と動線が色付きで表示されていた。ひとりの乗客の移動が、他の乗客と異なるパターンで点滅している。


桐生が腕を組み、後ろの座席から身を乗り出す。

「閉ざされた空間だ。動きが制限されているから、少しの異常でも見逃せないな。」


アキトは笑みを浮かべ、手元の変装キットをいじりながら言う。

「僕の出番かもしれないね。列車内で潜伏者を追う……悪くない。」


玲はゆっくりと頷き、タブレットに表示された監視映像を指でなぞる。

「まずは現場確認だ。列車はまだ途中だが、車両ごとの不審人物の位置と移動パターンを分析する。」


リコが小声で続ける。

「島事件の経験があるから、閉鎖空間での異常はすぐに見抜ける……でも、今回の相手は巧妙かもしれない。」


桐生が肩を叩き、少し緊張をほぐすように笑う。

「ならば、今回もチーム一丸で行くしかないな。」


窓の向こうに、夕陽に染まる田園地帯が流れ、列車の音と人々のざわめきが混ざる。

玲の目には、既に次の事件解決への意志が宿っていた。


「閉ざされた空間……島での経験を生かすんだ。」

低く響く玲の声に、チーム全員が静かに頷く。


列車の速度が増す。夕暮れの光が車内をオレンジ色に染め、次の事件の幕が静かに上がった。


【日本・東京郊外/玲探偵事務所/翌日・午前9:15】


東京郊外の静かな住宅街に佇む小さなオフィス。ガラス窓から差し込む朝の光が、机に散らばった資料やタブレットの画面を淡く照らしていた。外では小鳥のさえずりと、通勤の車の音がかすかに聞こえる。


玲は椅子に腰掛け、無言でコーヒーカップを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。

タブレットには昨夜の新幹線車内監視映像が映し出されていた。

「……なるほど。」

小さくつぶやき、画面上の人物の動きを指でなぞる。


リコが資料の束を手に、玲の横に立つ。

「玲さん、昨夜の映像から不自然な動きがありました。赤いコートの男性……車両5号の通路を何度も行き来しています。」

目を輝かせつつも、声は落ち着いている。


桐生が後ろで腕を組み、冷静に分析する。

「閉鎖空間での不自然な往復動作……アリバイはあるはずでも、行動の矛盾があるかもしれないな。」


アキトは軽く椅子にもたれながら、にやりと笑う。

「ふむ……列車内で潜伏者の動きを追うのは、ちょっと楽しくなってきたね。僕の出番かも。」

リコが小さくため息をつき、眉をひそめる。

「アキト……また変装のこと考えてるでしょ。」

「……まあ、可能性を潰すためには仕方ない。」と、アキトは軽く答える。


玲は資料を指で整理しながら、低く指示する。

「まずは最初の容疑者の特定だ。車内の無線記録、座席表、監視カメラの映像を突き合わせろ。」

リコはすぐにタブレットを操作し始める。

「はい、玲さん。」


窓の外に朝の光が満ち、玲探偵事務所の静かな空間に緊張感が漂う。

昨夜の列車で始まった事件は、まだ解決の糸口さえ見えていない。


玲の目に、チーム全員の集中力と決意が映る。

「閉ざされた空間での犯人……見逃すわけにはいかない。」

彼の声は静かだが、意思は固い。


【日本・東海道新幹線/車内・殺人現場車両/翌日・午後13:30】


白銀の新幹線が陽光を反射させ、静かに停車していた。

玲チームは作業用手袋を着け、現場検証のため車内に足を踏み入れる。車両の中は普段の穏やかな移動空間とは異なり、緊張と静寂が支配していた。


リコが座席の隙間や床を覗き込みながら、手早く記録を取る。

「このあたり……血痕が残ってますね。車窓側の通路です。」


桐生はメモ帳に線を引きながらつぶやく。

「被害者はここで倒れた可能性が高い……周囲の座席や手すりの汚れからも動線が読める。」


アキトは車両の奥に向かって歩きながら、軽く首を傾げる。

「ふむ……誰かが通路を往復した痕跡がある。時間差で確認できれば、最初の容疑者を絞れるかもな。」


玲は座席に腰掛け、手袋のまま資料を広げる。

「まず無線記録と監視映像を突き合わせる。通路の往復動作、座席の使用状況、移動時間……全て照合だ。」

リコがタブレットを操作し、車両ごとの映像を確認しながら答える。

「はい、玲さん。最初の不自然な動きを特定します。」


桐生は手元のカメラで車両全体を撮影しつつ、静かに呟く。

「閉鎖空間だからこそ、痕跡は逃さない……この線が、犯人へと繋がるはずだ。」


アキトは窓際に立ち、外の光に目を細めながら言った。

「この列車内での潜伏……面白くなってきた。リコ、後で僕の変装アイデアも見てくれ。」

リコは目を丸くして振り返る。

「また……そのパターンですね。」


玲は窓の外の景色を一瞥し、冷静に指示する。

「動きを追うのは慎重にな。証拠を残さず、状況を整理しろ。容疑者は必ず映像に映っている。」


車内に漂う緊張感。

列車の走行音と静かな空調の音だけが、現場の沈黙を際立たせていた。

この車両の中で、犯人と証拠が交錯している。


【日本・東海道新幹線/車内・殺人現場車両/翌日・午後15:10】


玲はシートの間を歩きながら、周囲の状況を丹念に確認していた。

「ここか……被害者が倒れたのは、この通路沿いだな。」


リコは床の血痕に指をかざし、メモを取る。

「玲さん、座席の下にも微量の血液反応があります。犯人は通路を往復してる可能性がありますね。」


桐生は座席の背もたれや肘掛けを指差しながらつぶやいた。

「ここに手をついた跡がある。被害者の動きと一致する……誰かが近くで立ち止まった形跡も。」


アキトは窓際に立ち、外の景色を眺めつつも手元の資料に目を落とす。

「監視カメラの角度だと、この通路の半分しか映らない。残りは無線記録と照合するしかないな。」


玲は手袋をしたまま、座席に残された小物を注意深く確認する。

「忘れ物や座席の乱れも証拠になる。少しの違和感も見逃すな。」


リコがタブレットの画面を見つめながら声を上げる。

「玲さん、この映像……通路を不自然に歩く人物がいます。午後14時50分過ぎ、被害者の隣席に立ち止まっている。」


桐生が眉をひそめてメモを取る。

「よし、その人物が“最初の容疑者”の可能性が高い。名前と座席情報を特定できるか確認しよう。」


アキトは手元の資料をめくりながら笑みを浮かべる。

「ふむ……次の動きは僕が変装で張り込みをする。犯人が気づかないうちに動線を把握するぞ。」


玲は窓の外に目をやり、冷静に指示する。

「全員、焦るな。証拠は全て記録しろ。小さな動きも見逃すな。」


車内の静けさに、列車の走行音だけが混じる。

その中で、玲チームは確実に最初の容疑者の痕跡を追っていた。


桐生が腕を組み、低くつぶやいた。

「……この動き、妙だな。誰か、何か隠している。」


リコがタブレットを覗き込みながら答える。

「確かに、被害者の周囲に不自然な停止点がいくつかあります。犯人は一度、意図的にその位置で立ち止まったはずです。」


アキトは座席の陰から声をひそめる。

「通路の動線と監視映像を照合すれば、ほぼ特定できる。問題は、座席に座っていた人物たちのアリバイだな。」


玲は手袋越しに座席の小物を確認しながら、静かに指示する。

「桐生、全員の座席と通路の状況を整理して。リコ、監視映像と無線ログの時間を正確に突き合わせろ。」


桐生はメモ帳に素早く書き込みながら再びつぶやく。

「……不自然な行動と座席の乱れ……これは偶然じゃない。狙われた人物が明確にいる。」


リコは顔を上げ、決意を込めて言った。

「はい、玲さん。最初の容疑者の動き、もう少しで特定できます。」


アキトが窓際で微笑む。

「ふふ……動きが読めてくると、探偵って面白いな。」


列車は相変わらず滑らかに走り続ける。

だが、車内の空気は確実に緊張に包まれていた。


【日本・東京郊外/玲探偵事務所・応接室/翌日・午前10時】


重たい静けさが部屋を包んでいた。

玲はデスクの書類を整理しながら、窓の外の街並みをぼんやりと見つめている。


リコがソファに腰掛け、タブレットを操作しながら口を開いた。

「玲さん、昨夜の列車内の映像を整理しました。最初の容疑者、石田智弘氏の行動が浮かび上がってきています。」


桐生が腕を組んで立ち、低くつぶやく。

「彼、被害者と面識があったらしい。偶然じゃないな。」


玲は眉をひそめ、静かに答える。

「面識……なるほど。だから通路での微妙な停止も説明がつく。」


アキトは壁際に寄りかかり、片手で顎を支えて考え込む。

「なら、事情聴取で彼の行動パターンと時間を突き合わせればいい。映像も無線記録も、全部裏付けになる。」


リコは画面を指差し、声を少し強める。

「そして、ほかの乗客との接触も確認済みです。全員アリバイがある中で、石田氏の行動だけが微妙にズレています。」


玲は軽く息を吐き、メモ帳にペンを走らせる。

「よし、今日は石田智弘の事情聴取を行う。桐生、リコ、準備を頼む。」


桐生がうなずき、リコもタブレットを閉じて立ち上がる。

「了解です。玲さん。」


部屋に流れる緊張は、朝の静けさとは裏腹に、確実に行動の前触れを告げていた。


【日本・東京郊外/玲探偵事務所・応接室/午前10時30分】


張り詰めた空気の中、沈黙を破ったのは石田智弘自身だった。


取調官に変装したアキトが、落ち着いた声で切り出す。

「石田智弘さん。まずは昨夜の列車内での行動を、時系列で教えてもらえますか?」


石田はソファに座ったまま、手を組んで視線を落とす。

「……わかりました。私は、被害者の田所さんと偶然、同じ車両に乗り合わせていました。最初は何も問題ないと思っていましたが……」


リコが隣でタブレットを操作し、映像を再生しながら静かに尋ねる。

「偶然の接触……そのとき、他の乗客の動きは見ていましたか?」


石田は小さく息を吐き、言葉を選ぶように口を開く。

「はい。実は、田所さん以外にも、不審な人物の動きを見かけました。背の高い男で、何度も通路を往復していた……」


桐生が腕を組み、眉をひそめて低くつぶやく。

「ふむ……なるほど。最初の容疑者が、別の人物を見ていた可能性があると。」


アキトはペンを軽く叩きながら、冷静に促す。

「その男の特徴を、できるだけ詳しく覚えている範囲で教えてください。」


石田は目を伏せたまま、ゆっくりと答える。

「背は高い、黒いコート……顔ははっきり見えませんでした。ですが、確かに何かを隠すような動きでした。」


玲はノートにメモを取り、静かに声をかける。

「石田さん、貴方の証言は非常に重要です。我々はすべての手がかりを正確に把握したい。無理に思い出さなくて構わない、できる範囲でいい。」


石田は肩をすくめ、沈黙の後に小さくうなずいた。

「……わかりました。」


オフィス内には、再び緊張した静けさが戻った。しかし、その静寂は、事件解明への確かな第一歩を刻む鐘の音のようにも感じられた。


【日本・東京郊外/玲探偵事務所・解析室/午後2時15分】


静かな部屋に、映像の早送り音だけが流れていた。モニターの前には、リコと奈々が座り、映像を食い入るように見つめている。


リコが画面の一部を指差して、低くつぶやく。

「ここ……被害者が倒れる直前、通路を横切った人物、もう一度確認してみて。」


奈々はキーボードを叩きながら、眉を寄せる。

「一瞬だけだけど……黒いコートに帽子、背が高い。やっぱり石田さんの証言と一致する。」


玲は椅子にもたれ、腕を組んで静かに言った。

「なるほど……最初の容疑者だけでなく、別の人物も関わっている可能性が高いな。」


リコはタブレットを操作し、映像の一部を拡大する。

「顔はほとんど見えません。でも……手元に持っていたカバンの形状が特徴的。後で駅の防犯カメラ映像と照合できます。」


奈々は小声でつぶやく。

「ここまで一致すれば、次の動きは特定の人物に絞れそうです。GPSや切符の情報も合わせて確認しましょう。」


玲は深くうなずき、モニターに映る列車の車両を凝視した。

「石田の証言と映像解析。この二つを組み合わせれば、第二の容疑者の動きはほぼ追えるはずだ。」


部屋には再び静寂が戻った。しかし、確実に事件解明への道筋が描かれつつある、緊張感のある空気が漂っていた。


モニター画面に映るのは、黒いジャケットに帽子を目深にかぶった長身の男。姿勢はゆったりとしているが、動きには確かな緊張感が感じられる。


リコが息を詰めて指差す。

「……見えますか? この男、歩き方に独特の癖があります。肩の揺れ方とか、足の踏み出し方とか。」


奈々がタブレットにメモを打ち込みながら、鋭く言った。

「帽子で顔は隠れてますね。でも、このジャケットの色と形状、駅での監視映像と合わせれば……身元を絞り込めるかもしれません。」


玲は腕を組みながら、冷静に画面を見つめる。

「なるほど……映像と証言の両方を使えば、第二の容疑者の行動パターンは明確になる。ここで動きを見誤ると逃げられる可能性もある。」


リコが眉をひそめ、呟く。

「それにしても……何でこんな格好を? 警戒してるのか、誰かに見られたくないのか……」


奈々は即座に答えた。

「変装の可能性が高いですね。手元のカバンも特徴的ですし、偶然ではない。」


玲は静かに頷き、決意を込めて言った。

「よし、この人物の軌跡を追う。列車の降車駅、防犯カメラ、切符の情報……全部合わせて身元を洗い出す。」


解析室に緊張感が漂い、画面の男の一挙手一投足がチームの視線を釘付けにした。


【日本・東京郊外/玲探偵事務所・解析室/午後3時40分】


奈々がキーボードを叩く音だけが、静かな部屋に響いていた。モニターには、先ほど特定した黒ジャケットの男の軌跡が地図上に表示されている。


奈々は画面を指でなぞりながら、低くつぶやいた。

「ここ……前回の降車駅。防犯カメラの映像と照合しました。動きが微妙に不自然です。意図的に人目を避けている。」


リコが肩越しに画面を覗き込み、眉を寄せる。

「うーん……でも、この人、降車駅に着いてからも誰かを待ってるみたいですね。何かを受け渡すつもりなのかな。」


玲は椅子に深く腰かけ、冷静に分析する。

「待機行動の時間帯や位置も確認しておく。ここで誤差を出すと、追跡が途絶える可能性がある。」


リコが小声で呟いた。

「……アキトなら、こういう変装の人物もすぐ見抜くんだろうな。」


奈々は微かに笑みを浮かべ、手を止めずに打ち込む。

「今回の行動パターンは単独犯に見せかけているけど、監視の盲点をついている。もしかすると裏で協力者がいるかもしれません。」


玲が静かに頷き、決意を込めた声で言う。

「よし、これで第二の容疑者の全ルートを追える。降車駅から先、駅周辺の防犯カメラを確認し、次の行動を予測する。」


部屋の緊張感はさらに高まり、奈々のキーボード音とモニターの光だけが、解析室を支配していた。


【日本・新大阪駅 防犯解析室(特別協力室)/午後6時15分】


巨大なモニターに、新大阪駅の到着ホームの映像が映し出されていた。人の流れが途切れず、カメラは無数の顔を捕らえている。


奈々が画面を指差しながら報告する。

「ここです、到着ホーム。先ほどの黒ジャケットの人物、改札を出る前に何度も振り返っている。間違いなく誰かを確認してます。」


リコは腕を組み、モニターに映る群衆をじっと見つめた。

「……あの人、完全に変装してるわね。帽子とサングラスで顔はほとんど分からない。」


玲が静かにメモを取り、淡々と指示する。

「アキト、君が現場に入って、自然に近づいてGPSを設置する。」


アキトは軽く頷き、解析室を出る前に小さくつぶやいた。

「了解。今回はホームの人混みに溶け込む変装でいく。」


数分後、ホームに立つアキトは、アメリカ人風のカジュアルな服装に変装していた。帽子にサングラス、手には無造作に持った小型バッグ。まるで旅行者の一人のように周囲に溶け込む。


奈々がイヤホン越しに状況を確認する。

「アキト、ターゲットはまだホームにいます。自然にすれ違う角度を調整して。」


アキトは深呼吸し、群衆の流れに合わせてゆっくりと歩み寄る。まるで偶然にぶつかったかのように、ターゲットのそばで軽く体を触れ、バッグを落としたふりをする。


「……すみません、ぶつかりましたね。」


ターゲットが驚き、瞬間的にバッグを拾おうとする。そのわずかな隙に、アキトは手際よくGPSを仕込み、誰にも気づかれることなく後方へ下がる。


解析室のモニター越しに、奈々が小声で感嘆した。

「……完璧です。GPSは正確に作動してる。」


リコも微かに笑みを浮かべ、玲に小声で言う。

「アキト、あなた……本当にただの変装じゃないわね。」


玲は冷静にモニターを見つめ、次の指示を口にした。

「これで裏の会合場所まで追える。油断せず、データを逐一確認しろ。」


部屋にはGPS信号のビーコン音と、緊張感だけが残った。


【日本・新大阪駅南口 周辺路地/午後6時45分】


駅を出た群衆が交差点を越え、それぞれの夜へと散っていく。路地はやや薄暗く、街灯の光が点々と足元を照らしていた。


アキトは、解析室で決めた通りアメリカ人風のカジュアルな服装のまま、群衆に自然に溶け込んでいた。肩に掛けたバッグを軽く揺らし、スマートフォンをいじるフリをして足取りを合わせる。


奈々がイヤホン越しに囁くように指示する。

「アキト、ターゲットは右手の路地に曲がりました。無理に近づかず、距離を保って。」


アキトは頷き、背後から注意深く距離を詰める。群衆の中で目立たず、通り過ぎる人々の流れに同化するのは簡単ではない。だが彼はまるでそこに元々いた観光客のように振る舞った。


リコが解析室でモニターを見つめ、静かに呟く。

「……あの動き、完璧に自然。GPSが正確に作動してるわ。」


アキトは路地の角を回ると、ターゲットがわずかに立ち止まった瞬間を見逃さなかった。バッグを少し落とす素振りをして、ターゲットの視線を誘導する。


「おっと、すみません!」


ターゲットが反射的にバッグを拾おうとし、そのわずかな隙にアキトはGPSの取り付けを完了。誰にも気づかれず、群衆に再び溶け込む。


奈々は小さな笑みを浮かべ、解析室でモニター越しに報告する。

「位置情報が確認できました。このまま追跡可能です。」


リコは呆れたように微笑みながらも、玲に目で合図する。

「……アキト、まさかここまで巧妙だとは思わなかった。」


玲は冷静に指示を出す。

「いい仕事だ。GPSが示す先で、裏の会合の全貌が明らかになる。油断するな。」


路地の影に消えたアキトを、解析室のモニター越しに全員が見守った。街灯の光が、ほんの一瞬だけ彼の輪郭を照らしていた。


【大阪府・某倉庫街/午後7時20分】


夜風が倉庫街の鉄扉を揺らし、遠くで犬が吠える音が響く。街灯の明かりはまばらで、長い影が路地を横切る。


アキトは今度は倉庫街の管理人に変装していた。作業着に安全帽、手にはチェック用のクリップボードを持ち、まるで本物の管理人のように振る舞う。


彼は倉庫前で立ち止まり、周囲を警戒しながらも冷静に扉を確認する。


耳にイヤホンを差した奈々の声が低く響く。

「アキト、ターゲットは入り口を目前にして足を止めています。自然に近づいて。」


アキトは小さく頷き、扉の点検をする振りをしながら、GPSを再確認する。

「了解……静かに作業するフリで接触する。」


遠くからリコがモニター越しに声を潜める。

「……あの変装なら誰も疑わないわ。さすがアキト。」


アキトは倉庫の鉄扉越しにターゲットの動きを観察し、わずかな手の動きや視線の変化を逃さない。


「ターゲットが手を止めた。今だ……」


彼は小さくつぶやき、クリップボードを使ってさりげなくGPSの仕込みを完了させる。

「……これで追跡は確実だ。」


奈々が息を潜め、モニター越しに報告する。

「はい、位置情報が即座に反応しました。裏の会合の入り口まで追跡可能です。」


リコは半笑いで小声を漏らす。

「……アキト、管理人のフリでここまで自然に入り込むなんて、やっぱり油断できないわね。」


アキトは鉄扉の隙間から倉庫内の動きを観察し、影のように静かに待機する。街灯に照らされる影が、彼の冷静さと緊張感を際立たせた。


【大阪府・某倉庫/午後7時40分】


倉庫の奥、薄暗い蛍光灯がチラつく下で、黒いジャケットを着た“偽の田所”と数人の男たちがひそひそ声で話していた。木箱やパレットの隙間を縫うように、影が揺れる。


アキトは男たちの一員に変装して潜り込み、自然な動きで会話に混ざる。作業着の袖をまくり、手には工具箱を持った振りをしている。


「……確認は終わったのか?」

“偽の田所”が低く問いかける。声の端に緊張が滲む。


アキトは軽く頷き、低い声で応える。

「はい。予定通りです。問題なく運べます。」


別の男が鋭い視線でアキトをちらりと見るが、彼は自然に工具を持ち替え、何事もないように微笑む。

「よし、それなら計画通りだな。」


“偽の田所”は一瞬手元の書類に目を落とし、また男たちを見渡す。

「今晩の動きに間違いはない。監視もすべて確認済みだ。」


アキトは内心でGPSを確認しながら、わずかな呼吸の乱れや視線の動き、周囲の微かな足音を逃さず観察する。

「……奴ら、かなり警戒している。」


リコがイヤホン越しに小声でつぶやく。

「アキト、あの書類を見せてもらえれば、全体の計画が把握できそうよ。」


アキトは軽く頷き、手元のクリップボードを整理する振りをしつつ、次の行動を思案した。倉庫内の薄暗い空気に、張り詰めた緊張感が漂う。


【大阪府・某倉庫外/午後7時55分】


倉庫の外、薄暗い路地には街灯のオレンジ色の光がかすかに届くだけだった。玲チームは車両の陰に潜み、“偽の田所”が倉庫の扉を押し開けるのを確認していた。


玲は双眼鏡を通して様子をうかがいながら、静かに指示を出す。

「全員、位置を変えずに待機。動きがあればすぐ報告。」


奈々が手元のタブレットを操作し、倉庫内の監視カメラ映像を遠隔で確認する。

「田所、倉庫内に入った瞬間に複数の人物と合流。動きに異常はなし……でも、警戒は厳重ね。」


桐生が低くつぶやく。

「奴ら、周囲の警戒も怠ってない。普通の集まりじゃないな……。」


アキトは路地の陰から現場を見つめ、軽く息を吐く。

「予定通り。今夜のうちに動かないと、証拠を掴むチャンスを逃す。」


リコが小声で問いかける。

「アキト……あの中に入るの?変装して?」


アキトはにやりと笑う。

「もちろんさ。奴ら、変装のプロでも俺の手にかかれば気付かない。」


玲は短く頷き、冷静な声で確認する。

「なら、慎重に。無駄な接触は避けること。」


チーム全員が息をひそめ、倉庫の扉が閉まる音を待った。夜の静けさの中、次の瞬間に向けて緊張が張り詰める。


【大阪府・倉庫内/午後8時10分】


倉庫の重たい扉が、きぃ……と鈍い音を立てながら閉まりかけていた。

アキトは暗がりからタイミングを見計らい、ほんのわずかな隙間を見つけると、一瞬で影のように滑り込む。


――カタン。


鉄扉が完全に閉まる直前、アキトのブーツが床をかすめた音は、倉庫のざわめきに紛れて消えた。


中は薄暗く、裸電球が天井からぶら下がり、黄色い光が不気味に揺れていた。奥のテーブルには“偽の田所”を中心に数人の男たちが集まり、低い声で何事かを話している。


アキトは、すでに「倉庫作業員風」の変装を施していた。作業用ベスト、帽子、顔には薄い油汚れの跡。まるで元からここにいたかのように自然に、無言で木箱を抱え、壁際へ運んでいく。


男たちの一人がちらりとこちらを見たが、すぐに興味を失ったように顔を戻す。


アキト(心の声)

「よし……バレてない。これなら近づける。」


腰に隠した小型GPS発信機を指先で確かめながら、倉庫奥へ足を進める。テーブルの近くにある古びた木箱――その裏が設置の狙い所だ。


“偽の田所”が低い声で話し出す。

「……あの“高槻の件”が片付いた以上、次は都市での動きを早める必要がある。」


アキトはその言葉を耳にした瞬間、目を細めた。

「高槻……?やはり繋がっているのか。」


木箱を置くふりをして、自然な動作でGPSをそっと裏側に貼り付ける。

ピタリ、と微かな音。誰も気づかない。


リコ(無線・小声)

『アキト、どうだ?』


アキトは帽子のつばを下げ、作業員を装ったまま口を動かす。

「設置完了。……こっちは任せろ。だが、面白い話が聞けそうだ。」


再び木箱を抱え、倉庫の隅に溶け込む。そこは、彼の存在を完全に“風景の一部”へと変えてしまう場所だった。


【大阪府・倉庫内/午後8時15分】


倉庫の奥、黄ばんだ裸電球がぶら下がる長机の上に、雑多な書類や端末が並んでいた。

数人の男たちが椅子を寄せ合い、低い声で確認作業を進めている。


机を囲む一人が書類を指で叩いた。

「……これが“第二ルート”だ。新幹線での試験は成功した。次は――」


“偽の田所”が口を挟む。

「静かにしろ。ここで大声を出すな。だが……確かに計画は順調だ。」


別の男が小型端末をかざし、画面に映る地図を示した。

「この地点に集約すれば、資金も人員も一度に動かせる。……ただし、問題は“監視”だ。東京郊外での動きがすでに掴まれている可能性がある。」


偽の田所は薄く笑った。

「心配はいらん。俺が“田所”として動いている限り、向こうは混乱する。……本物は別の場所で“保管”してある。」


――アキトの眉がわずかに動いた。

倉庫の隅、積み上げられた木箱の陰に身を潜め、息を殺して耳を澄ます。


アキト(心の声)

「……やはり、本物の田所は別の倉庫に。証言どおりだな。」


さらに別の男が声を落とした。

「それと……“高槻仁”の件はどうする?あの事故死の裏を嗅ぎ回る連中がいると聞いたが。」


偽の田所の目が細く光った。

「捨て駒は使い切った。問題はない。……だが“次の都市”では、もっと鮮やかにやらねばならん。」


沈黙を破るように、机の上で金属が擦れる音がした。拳銃のスライドを確かめる音だ。


アキトは唇を噛み、低く呟いた。

「……これは、ただの会合じゃない。実働の打ち合わせか。」


無線が小さく震え、玲の声が耳に届く。

『アキト、状況は?』


アキトはわずかに帽子を下げ、倉庫の隅で囁いた。

「核心に入った。……“都市”と“次の計画”について話してる。ここは逃せない。」


【大阪府・別倉庫/午後8時45分】


人気のない倉庫街の一角。錆びついたシャッターは半分ほどしか閉まっておらず、隙間から冷たい夜風が忍び込んでいた。


倉庫内は薄暗く、天井から吊るされた裸電球がひとつ、頼りなく揺れている。その下で、スーツ姿の男が落ち着かない様子で足を揺らしていた。田所――本物の田所である。


額には玉のような汗が浮かび、両手でハンカチを握りしめている。

「……なぜ、こんな場所に隠されなければならんのだ……」


彼は声を潜め、誰にともなく呟いた。


倉庫の奥から、見張り役らしき男が冷たい視線を送る。

「黙って待っていろ。お前が表に出れば、全部が台無しになる。」


田所は顔を上げた。怯えと苛立ちが入り混じった声で、見張りに食ってかかる。

「俺は……利用されているだけじゃないか!偽物を立てて、好き勝手に計画を進めて……私の名を騙って……!」


見張りの男は動じない。無機質な声で応じる。

「安心しろ。お前がここにいる限り、“田所”は死なない。偽物が表で動き、本物は裏で生かされる。……それが“彼ら”のやり方だ。」


「彼ら……?」田所の声が震えた。

「いったい誰が裏で糸を引いている……?」


見張りの男は一瞬だけ口元を歪め、だがそれ以上は何も答えなかった。


倉庫の外で、遠くから車のエンジン音が近づいてくる。田所は息を呑み、目を泳がせる。

「……まさか……私を始末する気じゃ……」


彼の不安は倉庫の冷たい空気に溶け、静寂の中で震えていた。


【大阪府・別倉庫/午後9時15分】


倉庫内の空気は重く、古びた木箱と埃の匂いが漂っていた。

裸電球の下、本物の田所は小さな端末を必死に操作していた。画面に浮かぶ数字列は、外の世界と彼を結ぶ唯一の命綱のように見える。


「……早く……早く送信しなければ……!」

田所は震える指でキーを叩いた。

「偽者どもに全て奪われる前に、証拠を……」


その瞬間――。


ガシャッ!

倉庫のシャッターが外から一気に持ち上げられ、眩しい懐中電灯の光が内部を切り裂いた。


「動くな!」

低く鋭い声が響いた。玲だった。


田所は目を見開き、端末を取り落とす。

「な、なに……っ!」


黒いシルエットが次々に倉庫へ滑り込む。桐生が前に出て銃を構え、奈々が端末を確認しながら素早く周囲を警戒する。沙耶は田所の目を真っ直ぐ射抜き、ためらいのない声で言った。


「本物の田所……ようやく捕まえたわね。」


田所は後ずさりし、木箱に背をぶつけた。汗がこめかみを伝う。

「ま、待て……私は、ただ利用されただけだ!奴らが私の名前を勝手に……!」


玲が冷ややかに口を開く。

「利用されたにせよ、あなたが加担したのは事実だ。偽の田所の影で動いていた証拠もある。――観念してもらおう。」


桐生が一歩踏み出し、手錠を取り出す。

「抵抗すれば即座に無力化する。……選べ。」


田所は息を荒げながらも、やがて崩れるように肩を落とした。

「……わかった。投降する。」


その瞬間、奈々が床に落ちた端末を拾い上げた。画面には、まだ未送信のファイルが残っている。

「玲さん、この中に……“偽の田所”と繋がる証拠があります。」


玲は静かに頷いた。

「これで、表と裏、両方の田所が揃ったわけだな。」


倉庫の外からは、遠ざかるサイレンの音。

事件は、ようやく大きな局面を迎えようとしていた。


【大阪府・倉庫内部・制圧作戦開始/午後9時20分】


鋭い合図と同時に、倉庫の分厚い鉄扉が内側からこじ開けられた。

漆黒の影が音もなく流れ込み、瞬時に空気が張り詰める。


玲チームと影班――二つの刃が一斉に抜き放たれたかのようだった。


「動くな!」

玲の声が低く鋭く響く。


男たちが驚愕して立ち上がる。その中央に――“田所”がいた。

きっちり整えられたスーツ、無駄のない身振り、冷たい眼差し。

それは確かに、これまで裏で暗躍していた「田所」の姿そのものに見えた。


桐生が腕を組み、低く唸る。

「……こいつが田所、ってわけか。」


だが玲の目は冷静だった。

「違う。本物の田所は、すでに別の倉庫で確保してある。」


奈々が端末を操作し、映像を投影する。

小さなホログラムに映し出されたのは、別倉庫で確保された“本物の田所”の姿だった。

疲弊し、額に汗を浮かべ、必死に訴えている。


『私は……脅されていたんだ!あの男に!名前も、口座も、全て利用された!』


沙耶が目を伏せ、小さくつぶやく。

「……この声……恐怖と後悔が滲んでる。」


玲が偽の田所に視線を戻す。

「君にはその“にじみ”がない。ただの仮面だ。」


その言葉に、偽の田所はふっと笑った。

声色がわずかに変わり、冷たい嘲笑がにじむ。


「――なるほど。さすが観察が細かい。」


帽子の影を払うように顔を傾けた瞬間、そこに現れたのは――田所ではない。

口元の歪み、視線の強さがまるで別人。


「……アキト。」

玲が冷たく名を告げる。


桐生が険しい目を向ける。

「やはりテメェか……変装の達人、ってやつだな。」


アキトは肩をすくめ、芝居がかった口調で笑う。

「真実なんて脆いものだ。俺が田所だと言えば、十人中九人はそう信じる。人間なんて、そういうものだろう?」


奈々が端末を握りしめる。

「……けど、本物の田所はこう言ってる。」


ホログラムの田所が必死に叫ぶ。

『私の家族まで狙うと脅された!“事故に見せかけて消す”と!私は……逆らえなかったんだ!』


沙耶が偽の田所――いや、アキトをまっすぐ見据える。

「あなたの眼差しに“恐怖”はない。人を操る者の冷たい視線……それこそが、証拠よ。」


影班の成瀬が素早く動き、背後を封じる。

桐野は静かに毒物処理の位置を確保し、安斎が精神を揺さぶるような視線を突き刺す。


アキトはそれでも、怯むどころか口角を上げていた。

「……お前たち、やはり面白いな。だから俺は“影”を選んだ。」


玲の声が冷たく切り裂く。

「――もう仮面を外せ。ここから先は、素顔で勝負してもらおう。」


倉庫内の空気が、さらに一段張り詰めた。

偽者の仮面と、本物の証言。二つの“田所”がついに交錯した瞬間だった。


【大阪府・倉庫外/午後9時45分】


夜風が冷たく頬を撫でる。

先ほどまでの倉庫内の張り詰めた空気とは対照的に、外にはパトカーの赤色灯がゆっくりと回転し、規則正しい明滅で闇を切り裂いていた。


玲チームと影班に押さえつけられた田所と部下たちは、順に倉庫から連れ出される。

手錠の金属音が夜気に響き、周囲の緊張をさらに濃くした。


警察指揮官の一人が前に出て、深く頭を下げた。

「……ご協力、感謝します。ここからは我々が責任を持って拘束・護送します。」


玲は冷静に頷き、視線を田所へと向けた。

「供述はすでに録音済みだ。逃げ場はない。」


本物の田所は憔悴しきった顔でうなだれていた。

だが、その唇だけは震え、まだ何かを訴えようとしていた。


「……私は……ただ……家族を守りたかったんだ。だが……裏で糸を引いていたのは……」


言葉は途切れ、警察官に肩を押されるように車両へ連行される。


沙耶がその背中を見送りながら、低く呟く。

「……まだ何か隠してる。恐怖が消えてない。」


桐生が煙草を取り出しかけて、すぐにポケットへ戻した。

「黒幕がいるってことか。……まったく、わざわざ尻尾を掴ませやがって。」


奈々はノートPCを抱えながら警察車両を目で追う。

「データの転送痕跡……“田所”単独の動きじゃなかった。後ろに別のアクセスがある。」


玲は夜空を仰ぎ、低く一言。

「――本当の敵は、まだ姿を現していない。」


赤色灯の光がその横顔を照らし、倉庫街の夜に深い影を落とした。


【大阪府・倉庫街/午後10時00分】


倉庫街の奥に赤色灯の光が消え、静けさが戻る。

コンクリートの冷たい匂いと夜風の音だけが、そこに残されていた。


玲チームは倉庫の脇に集まり、それぞれがわずかな疲労を滲ませていた。


桐生が腕を組み、低く唸る。

「……とりあえず、表向きは片付いたか。」


沙耶は倉庫の壁にもたれかかり、視線を遠くに向ける。

「でも、あの人の目……恐怖の色が消えてなかった。まだ何かに縛られてる。」


奈々がタブレットを操作しながら眉をひそめる。

「田所の端末、解析にかけてるけど……護送ルートに関して不自然なデータが残ってる。誰かが事前に知ってた形跡がある。」


玲は短く息を吐き、冷たい視線を夜の街へと投げる。

「……つまり、護送そのものが狙われている可能性があるな。」


その瞬間、奈々の端末が警告音を鳴らした。

《警告:護送車両の通信が途絶しました》


全員の表情が一変する。


桐生が低く舌打ちした。

「ちっ……やっぱりか。護送中に仕掛けられたな。」


玲は即座に判断を下す。

「位置を追え。……田所は、このままじゃ“口封じ”される。」


奈々が急ぎ端末を叩き、座標を特定していく。

「……信号は大阪環状線の高架下付近。完全に包囲されてる……!」


沙耶は鋭く目を光らせ、短く言い放った。

「行きましょう。あの人を失えば、黒幕に迫る手がかりが消える。」


夜風の中、チームは即座に車へと走り出す。

その背後――倉庫街の暗がりで、誰かが見送るように立ち尽くす影があった。


【大阪市内・高架下/午後11時05分】


暗い高架下を走る護送車両。前方には一般車両が数台、後方には警察の随伴車が続いていた。


突如、上から鉄パイプが落下し、フロントガラスが粉砕される。

「ブレーキ!」

運転手が叫ぶより早く、側面のタイヤが銃弾で破裂。護送車両は制御を失い、ガードレールに激突した。


警官たちが慌ててドアを開けようとした瞬間、黒いバンが横付けされる。

煙幕が焚かれ、視界が真っ白に閉ざされる中、銃声が数発。

「伏せろ!」

叫び声と共に、護送車の後部ドアが力ずくで開けられた。


怯える田所の首根っこを掴む影。

「……約束通り、“黙って”もらう。」

低い声が響いた直後、閃光弾が投げ込まれ、現場は混乱に包まれた。



【大阪市内・高架下襲撃現場/午後11時25分】


サイレンの音を裂いて、玲チームの車が滑り込んだ。

砕けたガラス、焦げた煙、血痕。現場はすでに静まり返っていた。


玲が冷たい声で言う。

「……狙いは田所の口封じだ。」


奈々が膝をつき、路面を確認する。

「煙幕の残留成分からすると、軍用規格……入手経路が限られる。しかも銃痕の角度からして、訓練された部隊。」


桐生が怒りを抑えた声で低くつぶやく。

「完全にプロの仕事だな……。警察の護送ルートを把握してた。内部から漏れてる。」


沙耶は目を閉じて残留した気配を探るように立ち尽くす。

「……田所は生きてる。連れ去られただけ。でも……島の匂いがする。」


玲が鋭く目を細める。

「島……か。奴ら、隔絶された場所で仕上げるつもりだな。」


奈々がタブレットを叩き、位置情報を割り出す。

「最後に拾えた信号……“高槻仁の島”。通信用ビーコンが一瞬だけ反応してる。田所はそこにいる。」


玲は短く頷き、言葉を切る。

「なら次の戦場は決まった。」



【兵庫県・高槻仁の島/翌日午前9時】


小型の船が、霧に包まれた海を進む。波の音だけが耳に残り、重たい空気が漂う。


奈々が不安げに呟く。

「……まるで、この島自体が“外界から切り離されてる”みたい。」


桐生はライフルケースを肩に担ぎ、険しい顔で前方を見据える。

「敵は地の利を持ってる。油断すれば一瞬で飲み込まれるぞ。」


沙耶は朱音の肩に手を置き、柔らかく微笑んだ。

「でも、ここで諦めたら何も掴めない。朱音、あなたの直感が道を示すはず。」


朱音は小さく頷き、揺れる船の中でスケッチブックを抱きしめた。

「うん……見える気がする。島の奥に、誰かの“叫び”が。」


玲は静かに海を見つめながら、冷たい声で締めくくる。

「……島に入ったら、退路はない。全員、覚悟を決めろ。」


船は島の桟橋に接岸し、チームはゆっくりと上陸を開始した。


【兵庫県・高槻仁の島/午前10時30分】


潮の匂いが濃く漂う細い小道を、玲チームは一列になって進んでいた。

周囲は荒れ果てた廃墟の建物。風に押された鉄板が軋み、不気味な音を立てる。


先頭を歩くのは、軍隊上がりのスペシャリスト・神谷隼人かみや はやと

日焼けした精悍な顔つきに、鋭い眼光。迷彩風の軽装を着込み、手には軍用ナイフを握っていた。


「……罠の匂いがする。足元、気を抜くな。」

低く響く声が、隊列全体を緊張させる。


玲が問いかける。

「視覚的な監視か、物理的なトラップか?」


神谷は廃墟の壁を目で追い、すぐに答えた。

「両方だ。軍が使ってたタイプの赤外線センサー……その流れを隠すように廃材が置かれてる。素人なら見逃す。」


奈々が小声で続ける。

「つまり、完全に“訓練された敵”が島を抑えてるってことね。」


足元を見ていた桐生が、ふとしゃがみ込む。

「……このワイヤー、見ろ。」

彼の指先の先、雑草に隠れるように張られた細い金属線。


神谷がナイフで軽く持ち上げると、前方の木陰から爆音のように金属筒が転がり落ちた。

瞬間、周囲に白い煙が充満する。


「煙幕かっ!」

桐生が銃を構え、沙耶が朱音を抱き寄せて身を伏せる。


神谷が冷静に叫ぶ。

「動くな! これは威嚇用だ、本物じゃない。」


白煙が風に流れ去ると、前方の木陰には小型カメラが仕込まれていた。

赤いランプが点滅し、不気味にこちらを見据えている。


玲が冷ややかに言った。

「……歓迎されてるわけじゃないな。むしろ、“待ち構えてる”。」


奈々がタブレットを操作し、即座に解析を試みる。

「映像の送信先……島の中心部。つまり、水無浜の奥。田所を連れてる連中は、そこで待ってるはず。」


神谷は前を見据えたまま、表情を崩さず言った。

「正面突破は自殺行為だ。だが、俺たちには隠密ルートがある。……戦場の経験を信じろ。」


玲は一瞬考え、仲間たちを見渡す。

「……全員、神谷の指示に従え。ここからは軍規模の戦場だ。」


朱音が震える声で尋ねた。

「……大丈夫なの? 私たち、帰れるよね?」


沙耶がその手を握り、優しく答える。

「絶対に帰る。あなたの“直感”が、この道を照らしてくれる。」


重苦しい沈黙の中、一行はさらに奥、島の中心部「水無浜」へと進んでいった。


【同日・午前11時15分/兵庫県・高槻仁の島「水無浜」】


潮騒が絶え間なく打ち寄せる浜辺。

岩陰に身を潜めていた桐生が、砂利を払いつつ小さく声をあげた。


「……玲、こっちを見ろ。」


玲と神谷が身を寄せると、桐生の指先には小さな黒い金属片があった。

一見ただの石のようだが、よく見ると微細なレンズと発信機が仕込まれている。


桐生が低く吐き捨てる。

「監視ドローンの予備センサーだ。ここを通る人間を、すべて記録してやがる。」


神谷がそれを手に取り、慣れた動作で分解し始めた。

「……旧式だな。軍でよく見たタイプだ。電波の周波数帯も分かる。」


奈々が即座にタブレットを操作し、耳元のイヤーピースに囁く。

「信号追跡完了。監視網の中枢は……浜の中央に埋め込まれてるアンテナ塔ね。」


そのとき、影班の成瀬由宇が岩陰から身を乗り出した。

「……向こうに巡回が二人。十秒ごとに視線を交差させてる。」


紫の瞳をした桐野詩乃が冷静に続ける。

「こちらが不用意に動けば、即座に気付かれる配置。まるで“罠を仕掛けておびき寄せる”みたいな。」


安斎柾貴が不敵に笑みを浮かべた。

「つまり、俺たちが囮になればいいってことだな。」


玲がすぐさま制した。

「不用意に動くな、安斎。今は神谷の判断に従う。」


全員の視線が神谷に集まる。

神谷はわずかに息を吐き、軍人特有の冷徹な声で指示を飛ばした。


「いいか、影班。巡回の死角に入るタイミングは“八秒後”。成瀬と桐野、まず監視兵の意識を分散させろ。安斎は心理撹乱を仕掛けろ。玲たちは俺と共に中枢のアンテナ塔を潰す。」


「了解。」

三人の影が音もなく岩陰を飛び出した。


成瀬が砂浜を駆け抜け、わざと小石を蹴り飛ばす。

警備兵の視線が一瞬揺らぐと同時に、桐野の仕込んだ小瓶が割れ、刺激臭の煙が舞い上がる。


「な、なんだ!?」

兵士の一人が慌てて咳き込み、もう一人が無線を取ろうとする。


その刹那、安斎の低い声が響いた。

「おい、後ろを見ろ……“影”が立ってるぞ。」


兵士二人の動きが一瞬止まる。恐怖心を植え付ける精神撹乱に、思考が奪われた隙を神谷は逃さなかった。


「今だ、行くぞ!」


玲と神谷、そして桐生が浜の中央へ突進。

砂に埋もれるように隠されていた小さなアンテナ塔を発見すると、神谷は軍用ナイフでカバーを剥ぎ取った。


「奈々、信号をジャックしろ!」


「了解!」

奈々の指が走り、タブレットの画面に波形が乱れる。


「……制御完了! 監視網、ダウン!」


同時にアンテナ塔の赤いランプが消え、浜辺を覆っていた目に見えない“網”が崩壊した。


玲が短く告げる。

「――監視突破成功。」


だが、喜ぶ間もなく神谷の顔が険しくなる。

「……待て。これで終わりじゃない。“本命の罠”は、もっと奥だ。」


その言葉に、一同の表情が引き締まった。

水無浜のさらに奥、島の中心部に潜む黒幕の気配が、確実に近づいていた。


【兵庫県・高槻仁の島/午前11時30分】


茂みの影がわずかに揺れた。

玲が手を上げて合図すると、全員が一斉に息を潜める。


「……動いたな。」玲の声は低く鋭い。


神谷が双眼鏡を構え、茂みの奥を睨む。

「監視兵だ。四人。迷彩でカモフラージュしてる。軍用の装備だな。」


安斎がわずかに笑みを浮かべる。

「へぇ……こっちは歓迎してもらえそうだな。」


成瀬が冷徹な声で囁く。

「……前衛は俺が行く。桐野、煙幕を。安斎、撹乱を頼む。」


玲が頷く。

「俺たちは突破口を作った瞬間、施設の入口へ突入する。神谷、指揮を。」


神谷は短く答えた。

「了解。――戦闘開始だ。」



次の瞬間、茂みから銃声が響いた。乾いた破裂音が空気を裂き、砂が跳ね上がる。


「散開!」玲の声と同時に、桐野の投げた煙幕が白い霧を広げた。

成瀬はその霧を利用して、影のように監視兵の背後に回り込む。


「……!」

刃が一閃し、兵士の銃が砂に落ちた。


安斎が低い声を投げかける。

「おい、気付いたか? お前らの仲間は……もう消えてるぞ。」


幻覚のような声に兵士たちの動きが乱れる。そこへ玲と桐生が一気に駆け上がった。


「押し切る!」桐生の拳が兵士の頬を撃ち抜き、玲の蹴りがもう一人を制圧した。


最後に神谷が短銃を構え、残る兵士の額に狙いを定める。

「武器を捨てろ……三秒だ。」


兵士は歯ぎしりしながら銃を落とした。



煙が薄れると、茂みの奥に“コンクリートの壁”が姿を現した。

岩場の陰に巧妙に隠された、鉄扉付きの地下施設の入口だった。


奈々がタブレットを見ながら呟く。

「……ここだ。電波の発信源。この島の心臓部。」


玲は一同を見回し、声を低くした。

「よし、交戦は済んだ。次は潜入だ。」


神谷が頷き、兵士の装備からカードキーを奪い取る。

「軍規格のセキュリティか……だが抜けられる。」


成瀬が耳元で囁く。

「潜入は静かに。敵はまだ奥に潜んでる。」


鉄扉がわずかに軋む音を立てながら開いていく。

暗い地下通路の奥からは、冷たい風と機械の低い唸りが漏れ出していた。


玲は短く言った。

「――行くぞ。黒幕はこの奥だ。」


一同の影が暗闇に溶け込むように、地下施設の奥へと消えていった。


【兵庫県・高槻仁の島/同日・正午】


潮の匂いが漂う中、玲チームは旧倉庫の外壁沿いに潜んでいた。

コンクリートの壁にはひび割れが走り、長年放置されたような外観。だが奈々のタブレットに映し出された数値は、そこがただの廃墟でないことを示していた。


「……熱反応あり。内部に複数。最低でも十人。」

奈々が声を落として報告する。


玲は双眼鏡を下ろし、周囲を見渡した。

「警備が妙に薄い……逆に怪しいな。」


桐生が顎に手を当て、低く唸る。

「中で待ち構えてる、ってことか。正面突破は避けたいな。」


神谷は壁際を指さした。

「西側の壁に換気口がある。軍施設仕様だが、外側のボルトは錆びてる。そこから侵入できる。」


安斎が薄笑いを浮かべる。

「罠に嵌まりに行くのも芸だが……まあ、抜けるのは俺たちの仕事か。」


玲が頷き、チームに目配せをした。

「――行くぞ。」



倉庫内部はひんやりとしていた。

だが、すぐに違和感がチームを包んだ。


「……待て。足元、仕掛けがある。」

成瀬が囁き、ナイフで床を軽く突いた。次の瞬間、仕掛けが作動しそうになり――神谷が素早くコードを抜き取って止めた。


「トリップワイヤーだな。踏めば一斉射撃だった。」

神谷の目は軍人のそれに戻っていた。


桐野が壁を触れ、僅かな感触に眉を寄せる。

「この配線……毒ガス用のディスペンサーと繋がってるわ。施設全体を“処分”できる仕掛け。」


奈々が震える声で呟いた。

「……完全に、外部に知られないよう設計されてる。」


玲は拳を握り、低く言った。

「やはり、この倉庫は“表”だな。……奥に本当の施設がある。」



さらに進むと、分厚い鉄扉の前に監視カメラが光っていた。

だが安斎が囁く。

「……俺に任せろ。」


彼が視線をカメラに向けた瞬間、レンズが一度ノイズを走らせ――静かに沈黙した。

「一時的に“目”を眠らせた。……急げ。」


扉を開いた瞬間、薄暗い廊下の奥に“人影”がちらりと映った。

背広の男、帽子を目深にかぶり、こちらを一瞥するとすぐに奥へと消える。


桐生が息を呑む。

「……今の、黒幕か?」


玲は目を細め、低く答えた。

「確かに……ただ者じゃない気配だったな。」


奈々が震える指でタブレットを確認する。

「……人影が消えた先、電波が異常に強い……通信中継かもしれない。」


神谷が口を結び、短く言った。

「追うしかない。……だが気をつけろ。ここから先が本番だ。」


玲は仲間たちを見渡し、力強く頷いた。

「――黒幕を、逃がすな。」


チームは闇に潜む黒幕の後を追って、さらに奥へと進んでいった。


【兵庫県・高槻仁の島/同日・午後12時30分】


奈々のタブレットに表示された点滅が、じりじりと倉庫の奥へ進んでいく。

GPSの反応は、間違いなく“潜伏者”のものだった。


「……まだ動いてる。西棟の通路を抜けて、さらに下へ。」

奈々が眉を寄せて囁く。指先は震えていた。


玲は前を見据えたまま、低く言った。

「黒幕を追い詰めている証拠だ。……だが、やつもそれを承知している。」


その瞬間――廊下の奥から「カチッ」と金属音。

神谷が反射的に叫んだ。

「伏せろ!」


天井の隙間から火花が散り、鉄製の網が勢いよく落下してきた。

成瀬が素早く刃物で切り裂き、影班が一気に突破する。


「罠の質が違う……完全に軍用だ。」

桐生が低くつぶやいた。額に冷や汗が滲む。


さらに奥へ進むと、壁際に設置された赤外線が、細い光を張り巡らせているのが見えた。

桐野が眉をしかめる。

「これを踏めば……ガス室行きね。」


神谷は迷いなく床に這い、器用にワイヤーを抜き取ると、短く言った。

「解除完了。……進め。」



やがて、通路の先に――影が揺れた。

帽子を目深にかぶった長身の人物が、こちらを一瞥する。

その姿は逆光に包まれ、顔は判別できない。


だが次の瞬間、スピーカー越しに低い声が響き渡った。


「……ここまで来るとはな。お前たち、なかなかしぶとい。」


玲の目が鋭く光る。

「やはり……黒幕か。」


声は冷笑を帯びて続く。

「お前たちは、自分が真実に近づいていると思っている……だが、それは錯覚だ。ここにあるのは“影”にすぎない。」


桐生が苛立ちを隠さず吐き捨てる。

「影だと……ふざけるな!」


スピーカーのノイズが走り、声が低く笑った。

「追いたければ追え……その先で待っている。生きて辿り着ければ、だがな。」


直後、床が沈み込み、廊下の一部が落下。奈々が悲鳴を上げ、玲がとっさに彼女を引き寄せた。

落下した先は深い闇。仕掛けは完全に「足止め」と「処分」のために設計されていた。


玲は額に汗を浮かべながら、鋭く言った。

「……やつは確実に、俺たちを試している。」


桐生が強く拳を握る。

「黒幕――必ず追い詰めてやる。」


チームは罠だらけの通路を突破しながら、じわじわと黒幕との距離を縮めていった。


【兵庫県・高槻仁の島 倉庫前通路/同日・午後1時】


錆びた鉄扉が軋みを上げ、わずかに開いた。

その瞬間――風が止んだような緊張が張り詰める。


扉の隙間から現れたのは、黒いロングコートに帽子を深くかぶった長身の人物。

「潜伏者」――いや、玲たちが追い続けてきた“黒幕”に違いなかった。


玲は遮るように一歩踏み出す。

「……出てきたな。」


男は立ち止まり、視線を上げた。逆光に包まれて顔は判別できない。だが、わずかに覗いた輪郭と鋭い顎の線が、ただ者ではないことを告げていた。


桐生が低く唸る。

「……ようやく、姿を見せやがったか。」


すると、黒幕の口元がわずかに吊り上がった。

「姿……? これは“仮面”にすぎない。お前たちが追っているのは、影に過ぎん。」


その声は深く、冷たく響く。奈々が震える指で端末を握りしめた。

「……声紋が……やっぱり加工されてる……!」


黒幕が足を踏み出そうとした瞬間、低い唸り声が倉庫前に響いた。

影班が連れてきた軍用犬――“トラップ探知犬”だ。

鼻を鋭く鳴らし、通路の床を爪で掻く。


神谷がすぐに反応する。

「止まれ! 罠が仕掛けられてる!」


探知犬が示した地点に小型センサー。床のタイルにわずかな浮きがあり、踏めば即座に爆発する仕組みだった。


桐野が眉を吊り上げ、鋭く息を吐いた。

「やっぱり……出口に仕掛けてあるのね。まんまと誘導されたら一巻の終わり。」


黒幕はそれを見て、くぐもった笑いを漏らした。

「悪くない。犬を連れてきたか……想定以上だな。」


玲が冷ややかに睨み据える。

「お前の仕掛けも、俺たちの目は誤魔化せない。」


しかし、次の瞬間――黒幕の姿が煙幕に包まれ、視界から掻き消えた。

「追えるものなら追ってみろ……」という声だけを残し。


煙が晴れた後、残されたのは解除を待つ無数の罠と、黒幕の残響だけだった。


桐生が悔しげに拳を握る。

「……クソッ! あと一歩だったのに!」


玲は静かに探知犬の首を撫でながら、低くつぶやいた。

「いや――“一歩”近づけた。次は必ず、影の奥の顔を暴く。」


チームは息を整え、黒幕が逃れた通路の先へと視線を向けた。

そこにはまだ、数えきれない罠と監視が待ち構えていた。


【兵庫県・高槻仁の島/午後2時】


倉庫の内部には、まだ煙の残り香が漂っていた。

潜伏していた数人の下っ端はすでに影班によって床に押さえつけられ、拘束されている。


玲は腕時計を見ながら短く告げた。

「黒幕は逃げた。……だが、逃走経路は必ず残る。確認するぞ。」


奈々が端末を操作し、周囲の監視カメラを拾う。

「島内のカメラログ……一部消されてる。でも完全じゃない。断片的に――あった!」


モニターに転送された映像には、黒いコートの人物が小道を走り抜ける姿。

その足跡が砂地に深く残されていた。


桐生がうなずき、現場を確認しに出る。

「新しい……まだ湿ってる。数分前だな。」


探知犬が鼻を鳴らし、砂浜から林道へと鼻先を向ける。

神谷が即座に合図を出した。

「追跡開始!」


一行は黒幕の通ったと思われるルートを慎重に進んでいった。

茂みを抜けた先に、小さな岩場が現れる。


桐野が目を細め、岩陰を指差した。

「……待って。あれ、見える?」


岩の隙間に、金属の光がちらりと覗く。

玲が慎重に近寄り、布に包まれたケースを引き出した。


ケースの蓋を開けると、中には――

複数の偽造パスポート、海外口座のデータチップ、そして“田所の取引記録”が収められていた。


奈々が息を呑む。

「……これ……! 田所と黒幕の接触記録……しかも、護送経路まで記されてる!」


沙耶が顔を強張らせる。

「つまり、昨日の襲撃……計画的だったってことね。」


玲は記録を手に取り、鋭い目を細めた。

「決定的な証拠だ。これで“影の背後”に繋がる。」


しかし、その瞬間――探知犬が低く唸り、周囲を警戒する。

神谷が即座に叫んだ。

「……隠れろ! まだ終わっちゃいねぇ!」


岩陰のさらに奥、監視用の小型ドローンが複数浮かび上がり、赤い光をチームに照準していた。


玲は静かに、しかし鋭く指示を飛ばした。

「各員散開! ……証拠は確保済みだ。絶対に持ち帰るぞ!」


銃火の閃光が、午後の陽光に重なり、倉庫街の静寂を切り裂いた。


【同日・午後2時30分/島内全域】


島の上空に、不気味な羽音が響いていた。

複数の監視ドローンが、黒幕の命令を受けたかのように一斉に展開し、赤い照準レーザーが茂みや小道を舐めるように走る。


玲は即座にハンドサインを送り、チームを小さな分隊に分けた。

「三方向に散開! 証拠を死守する。――撃ち落とせ!」


銃声と電子音が重なり、空気が震える。

桐生がライフルを肩に構え、一発でドローンを撃ち抜く。

「一機ダウン! まだ来るぞ!」


奈々が木陰に隠れながらタブレットを操作する。

「制御信号をジャミング中! でも……数が多すぎる!」


神谷が低く笑い、肩から携行ランチャーを引き抜いた。

「なら、まとめて片付けるさ!」

ロケット弾が唸りを上げ、群れを成すドローンをまとめて吹き飛ばす。

空に火花が散り、破片が雨のように降り注いだ。


沙耶が息を切らしながら叫ぶ。

「まだ追ってくる……! 玲、どうするの!?」


玲は冷静に状況を見極め、短く答えた。

「脱出ルートを確保する。証拠を持ち帰ることが最優先だ。」


その言葉に応じるように、影班の成瀬が鋭くナイフを投げ、ドローンのセンサーを切り裂いた。

「……時間を稼ぐ。先に行け。」


「無茶はするなよ、成瀬!」桐野が声を上げるが、彼女もすでに紫色の瞳を光らせ、毒煙弾を投げてドローンのセンサーをかく乱していた。


玲は証拠ケースを抱え、全員に指示する。

「南側の浜辺に集合だ。船を回してある――そこまで持ち込む!」


探知犬が吠え、隊列を先導するように走り出す。

林を抜け、岩場を越えるたび、背後では銃火と電子音が激しさを増す。


奈々が息を荒げながら走りつつ、玲に言った。

「玲さん、このケース……ただの証拠じゃない。中のデータは“黒幕の所在”まで繋がる!」


玲の目が一瞬鋭く光る。

「ならなおさら、絶対に渡せないな。」


浜辺が見えた瞬間、最後のドローンが頭上から急降下してきた。

神谷が迷いなく飛び出し、軍人仕込みのナイフ投げでローターを切り裂く。

火花を散らしたドローンが砂浜に墜落し、爆ぜた。


玲は振り返り、全員の生存を確認すると静かに言った。

「よし……証拠は確保した。――島を出るぞ。」


背後には、まだ爆煙と電子音が残っていた。

だが、チームの手にある証拠ケースは確かな重みを持ち、黒幕の影を暴く“鍵”となっていた。


【同日・午後3時/旧灯台付近】


海風に混じる潮の匂いと、崩れかけた灯台の鉄骨が錆びた音。

玲チームは浜辺から急ぎ、島北端の旧灯台へと足を運んでいた。

証拠ケースを抱え、砂利道を慎重に進む。


桐生が後方を警戒しながら低くつぶやく。

「……あれ? 何か気配が……」


奈々がタブレットを確認する。

「無線反応があります。こちらのGPSと干渉する信号……刺客かも!」


玲は素早くケースを脇に抱え、手を広げて全員に合図した。

「分散しろ! 遮蔽物を使って進む! 狙われたら即反撃だ!」


影班の成瀬が目を細め、鉄骨の影に身を潜める。

「奴ら、こっちに気付いてないな……俺たちが先に仕掛ける。」


砂利道を進む途中、突然、旧灯台の屋上から衝撃音。

小型無人機が飛び降り、玲たちに向けて火炎弾のような装置を放った。


神谷が即座に反応する。

「くそっ、空からか! 桐生、カバーに回れ!」

桐生はライフルを構え、無人機を撃ち落とす。


沙耶が息を整えながら叫ぶ。

「またかよ……まさか島を出るまで安心できないなんて!」


玲は冷静に周囲を見渡し、チームに指示する。

「灯台まであと50メートル。全員、証拠を守りつつ突入。到達したら海岸線に脱出用ボートを準備してある。」


突如、茂みから数名の黒幕刺客が飛び出してきた。

「止まれ! 証拠は渡さない!」と叫ぶ声。

だが影班の桐野が毒煙弾を投げ、視界をかく乱する。


神谷が瞬時に斜めに飛び出し、刺客一人の動きを封じる。

「先に行け!」


玲はチームを引き連れ、崩れかけた階段を駆け上がる。

旧灯台の屋上に到達すると、そこには小型のボートが待機していた。

「よし、脱出だ!」


背後で、刺客の怒号と銃声が鳴る。

しかし、チームは証拠ケースを死守しながら、灯台から海へと滑り出す。


潮風に揺れる海面を見下ろし、玲は静かに言った。

「……これで、証拠は確保できた。次は陸地へ。」


【同日・午後4時/陸地】


波を切るボートは、島の北端から穏やかな湾を抜け、陸地の小さな桟橋へと接近していた。

玲チームは証拠ケースを抱え、警戒を怠らず周囲を見渡す。


桐生が双眼鏡で海面を確認しながら低くつぶやく。

「……おかしい。追跡してくる影がある。スピードは出してないが、確実にこっちをつけてる。」


奈々がタブレットのマップを操作する。

「位置データを解析したところ、島周囲のGPSに干渉する小型ドローンが二機。完全に尾行モードですね。」


沙耶が緊張した声で叫ぶ。

「やっぱり……黒幕、最後の悪あがきか!」


玲は落ち着いて指示を出す。

「全員、ボートの左右に分かれて障害物を利用しろ。ドローンは回避優先、直接衝突は避ける。」


成瀬が前方に身を乗り出し、ライフルでドローンを狙う。

「了解。狙撃一発で落とす!」

銃声が海風にかき消されるが、ドローンは爆炎を上げて水面に墜落した。


神谷が操縦席で舵を握りながら叫ぶ。

「スピードを上げろ! 桟橋まであと二百メートル!」


桐野が警戒しつつボートの左右を見渡す。

「茂みの影から何か動いてる……刺客か? 爆発物かもしれない。警戒!」


玲はチームに声をかける。

「ケースをしっかり抱えて、揺れるな! 黒幕の痕跡は確実に押さえた。陸に着いたら証拠と照合、全パターン確認だ。」


桟橋が目の前に迫る。

砂利や木の香りが漂い、緊張と安心が入り混じる。

「……あと少しだ。これで、島での追跡劇は終わる。」玲は心の中でつぶやいた。


ボートは衝撃音もなく桟橋に接岸。

全員が一気に降り、証拠ケースを安全な位置に運び込む。

桐生が警戒しながら周囲を見渡す。

「黒幕の刺客は……追ってきてない。今のところは安全か。」


奈々がデータ端末を開き、証拠と過去事件の照合を始める。

「島での潜伏者行動、証拠の位置、過去の事件……これで全体像が見えてきます。」


玲はチームの顔を見渡し、静かに指示する。

「ここで一度、全員の情報を整理。これまでの追跡、全てを記録して、黒幕の手口を確定させる。油断は禁物だが、ここで焦る必要はない。」


海風に混じる緊張の残り香。

それでも、玲チームの目は確実に次の段階──黒幕との最終決戦へ向かっていた。


【兵庫県・高槻仁の島/午後5時】


小さな港の防波堤に、玲チームが集まった。波の音が穏やかに響くが、全員の表情は緊張の糸を解いてはいなかった。

証拠ケースは安全な場所に置かれ、タブレットや通信機器が周囲を囲むように並べられる。


神谷が周囲を見回しながら低く言う。

「……まだ気を抜けません。黒幕、最後の手段を仕掛ける可能性が高い。」


桐生が茂みの影を警戒して双眼鏡を覗く。

「……来る、こっちだ。奴が走ってる!」


奈々が急いでデータ端末を操作する。

「証拠ケースを確保して! 陸上からもGPSを追跡中!」


砂利を踏む音と共に、黒幕の姿が防波堤の先端に現れる。

影班の成瀬が瞬時に反応し、銃を構えながら叫ぶ。

「止まれ! これ以上は進めない!」


黒幕はわずかに笑みを浮かべ、手に握る小型装置を操作する。

「フフ……最後の手札だな。だが、ここまでか。」


玲は冷静に指示を飛ばす。

「沙耶、奈々、ケースを囲め。神谷、桐生、影班は左右から封鎖。」


桐野が身を低くしながら警告する。

「装置が……爆発物の可能性。無闇に近づくな!」


神谷が駆け寄り、黒幕を追い詰める。

「降伏しろ! 証拠は全て押さえてある。逃げ道はない!」


黒幕は一瞬ためらったが、次の瞬間に攻撃姿勢を取る。

砂煙が巻き上がり、防波堤上での短い激しい追跡が始まる。


成瀬が影から飛び出し、黒幕の進路を遮断。

桐生が素早く捕縛用ネットを投げる。

「行け! このタイミングで!」


黒幕はネットに絡まり、装置を落とす。奈々が即座に回収し、作動を阻止する。

玲が近づき、冷静に問いかける。

「これで終わりだ。全ての証拠は確保した。抵抗しても無駄だ。」


黒幕は肩を落とし、息を荒くしながらも黙ったまま従う。

沙耶が証拠ケースを抱き、安堵の声を漏らす。

「……やっと、これで……」


玲はチームを見回し、静かに言った。

「油断はまだ早い。しかし、今日のところは、これで全ての危険は排除できた。証拠も確実に確保した。」


港に差し込む夕日が、チームと黒幕を長い影に変える。

戦いの緊張は残るものの、玲チームは確実に、黒幕の罠を突破したのだった。


【兵庫県・高槻仁の島/夕暮れ・午後6時】


海面に夕陽が赤く反射し、港の波音が静かに響く。玲チームは港に停めた車両に向かって慎重に歩きながら、最後の確認を行っていた。


沙耶が証拠ケースを抱え、車両のドアを開けながら言う。

「これで、全て確保できたわね。長かった……」


神谷が周囲を警戒しながら応じる。

「気を抜くな。島にはまだ不意の襲撃が潜んでいるかもしれない。」


桐生は後方を確認しつつ笑みを浮かべる。

「今回は黒幕も焦ってたな。装置を仕掛ける寸前で阻止できたのは大きい。」


奈々が端末を操作し、GPSと監視カメラの映像を確認する。

「全てデータは無事。これで陸地に戻っても証拠は揺るがないわ。」


車両に乗り込み、玲が運転席に座る。静かにチームを見渡し、低く指示する。

「全員シートベルト。陸に着いたら、警察に直接引き渡す。手順は昨日の打ち合わせ通りだ。」


成瀬が助手席から黒幕を見据え、冷たく言い放つ。

「お前の逃げ道はここで終わりだ。法の裁きを受けてもらう。」


黒幕は俯き、言葉を発せず、ただ重い息を吐く。

玲はハンドルを握りながら静かに呟いた。

「これで全ての事件が、法の下で決着する……」


車両が島を離れ、海沿いの道をゆっくりと進む。

夕陽の光がチームの背中を温かく照らし、長い戦いの終わりを象徴するかのようだった。


港を離れた後、奈々が通信端末を確認する。

「警察に連絡済み。黒幕はすぐに拘束、証拠も提出済みです。」


桐野がほっと息をつき、窓の外を見つめる。

「……やっと、全員無事で帰れるな。」


玲は静かに頷き、アクセルを軽く踏む。

「まだ報告書と検証は残っている。しかし、今日のところはこれで、全ての危険は排除された。」


港に別れを告げ、車両は夕暮れの道路を走り去った。

海面に反射する赤い光は、長く続いた追跡劇と黒幕との対峙を静かに締めくくっていた。


【東京郊外・玲チーム拠点/深夜・午後11時】


東京郊外の静かな住宅街にある玲チームの拠点。外は雨上がりの夜で、街灯の光が濡れた道路に反射している。チームは長時間の任務を終え、拠点のミーティングルームに集まっていた。


玲はテーブルに置かれた証拠ファイルを整理しながら、低い声で話す。

「黒幕は既に警察署に移送済み。明日の取り調べで全ての犯罪が明らかになるはずだ。」


沙耶がコーヒーカップを手に、ほっとした表情で言う。

「……やっと一息つけるわね。島での襲撃も、本当に危なかった。」


奈々が端末を操作しながら付け加える。

「警察への提出資料も揃いました。これで黒幕の法的手続きは確実です。」


成瀬は窓の外を見ながら、冷静に言う。

「しかし、これで終わりだと思うな。手口を見る限り、黒幕にはまだ協力者が潜んでいる可能性がある。」


桐生が肩をすくめながら、冗談めかして言う。

「協力者がいても、俺たちがいれば簡単には動けないだろう。少なくとも今夜は安心して眠れる。」


玲は頷き、書類をまとめて鞄にしまう。

「次章の動きも考えておく必要がある。今回の事件で浮かび上がった組織の影を追うのは、これからだ。」


沙耶が窓の外を見つめ、静かに呟く。

「……でも、チームが揃えば怖くないわね。」


玲は微かに笑みを浮かべる。

「そうだな。では解散する。各自、明日の警察との対応に備えて休息を取れ。」



【新幹線内/深夜・午後11時30分】


数時間後、玲は単独で新幹線に乗り込み、東京へ向かっていた。車窓には夜の闇と都市の光が流れる。


玲は座席で小さくため息をつき、携帯端末を確認する。

「……島での証拠は確保済み。黒幕は拘束、だがまだ終わりではない。次章の動きは、この足取りから始まる……」


静かな車内。玲の背後では、ほのかな灯りが揺れ、長い任務の余韻を残していた。

遠くに見える街の明かりが、次の事件への布石のようにちらつく。


玲は視線を窓に投げながら、静かに呟く。

「……次は、黒幕の背後に潜む影を暴く番だ。」


【エンディング】


【東京郊外・玲チーム拠点/深夜・午後11時30分】


東京郊外の夜は、静かに更けていった。

長時間の任務を終えた玲チームは拠点に戻り、それぞれの席で疲れを解くように腰を下ろしていた。窓の外には遠く首都高速の灯りが流れ、緊張感に満ちた昼間の戦場が嘘のように静かだった。


沙耶はソファに体を預け、息を吐き出した。

「……やっと終わったんだね。朱音も、今日はぐっすり眠れるだろう」


奈々は端末を閉じながら小さく頷く。

「証拠も引き渡し済み。警察も本腰を入れるはず……ただ、完全に消えたわけじゃない。あの黒幕の背後には、まだ影がいる」


玲は窓際に立ち、夜景に視線を落とした。

「……確かにな。捕えたのは一人の人間にすぎない。本当の『指揮者』は、まだ姿を現していない」


静かな空気の中、成瀬が低く言葉を落とす。

「俺たちの仕事は、まだ終わっちゃいない」


その一言に、部屋の空気が少しだけ引き締まった。


やがて、昌代が温かな声で呟いた。

「けれど……今夜ぐらいは休みなさい。闇はまた動き出すとしても、人は休まなきゃ立ち向かえないのよ」


その言葉に誰もが小さく笑みを浮かべ、重苦しい疲労が和らいでいった。


――その時。


テーブルの上に置かれた玲の携帯が震え、着信音が静寂を破った。

玲は短く息を吐き、画面を確認する。そこには「警察庁直通」の文字。


玲は受話器を取り、低く言った。

「……はい、玲だ。――何?……わかった。すぐに動く」


受話器を置いた玲の眼差しは、再び戦場に戻ったかのように鋭くなっていた。

「次の事件だ。……休む暇はなさそうだな」


沈黙の後、沙耶が小さく笑って言った。

「仕方ないわね、これが私たちの宿命なんでしょう」


窓の外、深夜の空に月が浮かび、街を冷たく照らしていた。


物語は、一つの終わりと、新たな始まりへ――。


【エピローグ・後日談】


【東京郊外・玲探偵事務所/数日後・午後6時】


西の空が橙から群青に変わりかけ、事務所の窓から差し込む光が机の上の書類を赤く照らしていた。

玲は背もたれに体を預け、静かに目を閉じていた。事件から数日、報告や整理に追われながらも、ようやく一息つける時間が訪れていた。


コツン、とカップの置かれる音。

奈々がコーヒーを差し出しながら、穏やかに声をかける。


「やっと落ち着きましたね、玲さん。こうして夕方に事務所で過ごすのは久しぶりな気がします」


玲は目を開けてカップを受け取り、口元に薄い笑みを浮かべた。

「……ああ。だが、嵐の後には次の波が来るものだ」


奈々はくすっと笑い、書類の山をちらりと見やる。

「その“次の波”、もう届いてますよ」

彼女は机の端に置いてあった新しい案件ファイルを手に取り、玲の前に差し出した。


玲は黙ってそれを見つめる。窓の外では街灯が一つ、また一つと灯り始めていた。

「休む間もなく、か」


奈々は肩をすくめ、椅子に腰を下ろす。

「でも、私たちがやるべきことなんですよね。放っておいたら誰も気づかない、けれど確実に人を追い詰める闇――」


玲は視線を外へ投げたまま、静かに呟いた。

「……闇の中に潜む影を追うのが、俺たちの役目だ」


二人の間に沈黙が落ちる。しかしそれは、決して重苦しいものではなかった。むしろ次に進むための、確かな決意を含んだ静けさだった。


窓の外、東京の街は夜の帳に沈みゆく。

だがその闇の奥に、まだ知られぬ真実が眠っている――。


【エピローグ・後日談】


【佐々木家・郊外のロッジ/同日・午後7時】


森の向こうに沈んでいく夕陽が、ロッジの窓を赤く染めていた。

朱音は窓際に腰を下ろし、膝に広げたスケッチブックに鉛筆を走らせていた。夕焼けのオレンジと紫を混ぜたような色を、幼い手で丁寧に描き写す。


「……できた」

小さく呟いて、朱音は描き上げた絵を胸の前に掲げた。夕陽に照らされた絵は、まるでそのまま外の景色を切り取ったかのように鮮やかだった。


背後から圭介が声をかける。

「上手だな、朱音。……お前の描く空は、なんだか本物よりあったかい」


朱音は振り返って、にっこり笑った。

「だって、ここにいると安心するんだもん。お父さんも、お母さんも、おばあちゃんも、みんな一緒だから」


沙耶が台所から顔を出し、微笑みながら言う。

「そうね……。やっと、普通の時間が戻ってきた気がするわ」


圭介はその言葉に一瞬だけ沈黙し、窓の外を見やった。

普通――その言葉の重さが胸に響く。

「……でも、あの日々を忘れるわけにはいかない。俺たちが生きている限り、あの影と真実は繋がっている」


昌代が静かに頷きながら、朱音の頭に手を置いた。

「それでも、守るべきものは変わらないのよ。朱音が描く絵も、この家の温もりも……どんな嵐が来ても残していかなきゃね」


朱音はうれしそうに笑い、スケッチブックをぱたんと閉じた。

「うん! 次はね、みんなの絵を描く!」


家の中には温かな笑い声が広がり、外では夜の帳がゆっくりと森を包み込んでいった。


【都内・影班のアジト/午後10時】


暗い照明に照らされたアジトの一室。

鉄の机の上には分解された銃器とナイフ、そして手入れ用の布が整然と並べられていた。


成瀬由宇は黙々と銃身を拭き上げ、静かに吐息を漏らす。

「……やっと終わったか。けど、またすぐに始まるんだろうな」


壁にもたれかかる安斎柾貴が、青い瞳を細めながら苦笑した。

「俺たちに“終わり”なんて言葉は似合わねぇ。……けど、あの子の笑顔を見た時、ほんの一瞬だけ忘れられたよな」


安斎の言葉に、由宇の灰色の目がかすかに揺れる。

しばらく黙っていた彼は、手を止めてぼそりとつぶやいた。

「朱音か……。護衛対象のはずなのに、気づいたら……」


「家族みたいに感じちまったんだろ?」

低く響く声で割って入ったのは桐野詩乃。紫の瞳が夜の灯りを反射し、彼女はマスクを外して珍しく柔らかい表情を浮かべていた。

「……私もだ。あの子の笑顔、まだ目に残ってる」


由宇は一瞬、目を伏せてから苦笑した。

「……俺たちは影だ。光の下で生きる連中に寄り添う資格なんてねぇ」


だが、安斎はその言葉を即座に否定した。

「バカ言え。資格なんざいらねぇ。ただ……あの子を守りたいって思った気持ちは、嘘じゃない。それで十分だろ」


静かな沈黙が三人の間に落ちた。

外の都会のざわめきが遠くに聞こえ、まるで別世界の音のように響いていた。


桐野がふと窓の外を見て、小さくつぶやいた。

「……次の影が来るまで、せめて今くらいは静かに過ごしたいわね」


その言葉に、由宇と安斎は無言で頷いた。

だが三人の胸には、次の任務の予感と、朱音という“光”が確かに刻まれていた。


【警察庁・特別対策室/翌日・午前9時】


会議室には分厚いファイルとノートPCが山のように積み上げられ、壁のスクリーンには複雑な相関図と事件の時系列が投影されていた。

室内は重苦しい緊張感に包まれている。


本物の田所から得られた証言は膨大で、関係する裏取引や組織の動き、さらには黒幕の動線までが細かく記されていた。


特別対策室の責任者、黒田管理官が眉間に皺を寄せながらファイルをめくる。

「……これは、警察庁の内部記録にすら存在しない情報だ。どれだけ深く潜り込んでいたんだ、あの連中は」


隣に座る捜査一課の佐伯刑事が唸るように言った。

「護送中に狙われた理由もはっきりしたな……。田所は黒幕の資金の流れをすべて知っていた。口を封じるには十分すぎる理由だ」


会議室の端で報告書をまとめていた女性分析官が声を上げる。

「こちら、玲探偵事務所からの提出データです。監視ドローンの残骸と通信ログが一致しました。黒幕は“高槻仁の島”を一時的な拠点として利用していたのは間違いありません」


黒田は眼鏡を外し、額を押さえながら低く言う。

「……民間の探偵事務所と影の部隊にまで頼らなければならないとはな。だが、彼らの働きがなければ、我々は今も偽の田所に踊らされていただろう」


佐伯刑事がため息混じりに頷く。

「本物と偽物……あれだけ巧妙にすり替えられれば、現場の誰も気づけなかったはずだ。……正直、ゾッとした」


黒田は資料を閉じ、会議室を見渡す。

「この証言と証拠が揃った以上、黒幕を逃がすことはない。――だが、奴はまだ網をすり抜ける術を持っている。油断するな」


沈黙が落ちる会議室。

その空気を破るように、分析官が小声でつぶやいた。

「……玲たちは、次の動きを読んでいるかもしれません」


黒田の表情がわずかに揺れた。

「……あの連中は警察の外にいる。だが――確かに“証人の記憶”とやらは、時に我々以上に真実を映すのかもしれんな」


会議室の時計が午前9時を告げる。

特別対策室の戦いは、まだ終わりを迎えていなかった。


【港町・高槻仁の島の浜辺/後日・夕暮れ】


夕暮れの浜辺。

波打ち際には、かつて銃撃戦や追跡劇が繰り広げられた痕跡がまだ残っていた。

焦げ付いた監視ドローンの残骸、砂に半ば埋もれた銃弾、そして崩れかけた旧倉庫の鉄骨。

潮風が吹き抜け、ひと気のない景色は静かに赤く染まっている。


そんな中、黒いコートを羽織った男がひとり、廃墟の前に立っていた。

顔の半分は影に覆われ、夕日を背にして表情は読めない。


彼の傍らには、無線機を肩に掛けた部下が跪いていた。


「……田所は、すべて吐いたようです。証言は警察の手に渡り、我々の“線”も一部が割れました」


男は微動だにせず、ただ海を眺めたまま答える。

「割れるべき線は最初から仕込んでおいた。……奴らが掴んだのは“影”にすぎん」


部下が顔を上げる。

「では、計画の修正は――?」


男はゆっくりと口元を歪めた。

「修正ではない。進化だ」


遠くで波が砕ける音が響く。

男は指先で砂をすくい、さらさらと落としながら続けた。


「警察も、玲たちも、必ず追ってくる。……だが、こちらも次の“証人”を用意してある」


部下が一瞬、息をのむ。

「……“証人”? まさか――」


男は無言で頷き、背を向けて歩き出す。

夕陽の赤が海に伸び、その姿を包み込む。


「次は、奴らの記憶そのものを――塗り替えてやる」


沈みゆく夕陽の下、不穏な笑みだけが浜辺に残った。


東京郊外・玲探偵事務所/深夜


夜の街はしんと静まり返り、窓の外には遠くの街灯が小さく光を放っていた。

玲探偵事務所の一室に残っているのは、玲ただ一人。


机の上には地図や証拠写真が散乱し、赤い印でいくつもの地点がマークされている。

壁に寄りかかるように椅子に腰を下ろし、玲は煙草に火を点けた。紫煙が細く立ち昇り、暗い天井に消えていく。


「……田所の証言。あれはほんの入口にすぎない」


玲の呟きは低く、夜気に溶けるように小さかった。

赤く灯る地図を見つめながら、彼は短くペンを転がす。


「本体はまだ、影の中に潜んでいる。……お前は次にどこで牙を剥く?」


独り言に返事をする者は誰もいない。

しかし玲の表情には、次に訪れる嵐を既に予感しているかのような鋭さがあった。


カーテンが風に揺れ、机の上の紙を小さくはためかせる。

静寂は不気味に長く続き、やがて時計の針が深夜を刻む音だけが響いた。



黒幕のアジト/同時刻・深夜


地下深くに造られたその空間は、外の時間を忘れさせるほどの閉塞感を漂わせていた。

モニターが壁一面に並び、都市の監視カメラ、衛星写真、人物のデータが絶えず切り替わる。


長いテーブルの前に座る黒幕の男は、片肘をつきながら資料をめくっていた。

その影に覆われた横顔は、薄暗いランプの光を受けて輪郭だけを際立たせる。


「……田所が捕らえられた件、影響は?」

幹部のひとりが問いかける。


「ない」男は淡々と答え、資料を閉じた。「あれは捨て駒だ。敵が満足するなら、安いものだ」


「だが、玲探偵事務所の動きは予想以上です。あの嗅覚は厄介かと」

別の幹部が慎重に言葉を選ぶ。


男は机を指で静かに叩き、わずかに唇を歪めた。

「ならば、匂いを操作すればいい。……奴らが嗅ぎつけるのは、我々が流す“偽の匂い”だけだ」


沈黙。幹部たちは互いに視線を交わす。

モニターには、玲の顔、朱音の笑顔、影班の姿まで映し出されていた。


「次の標的は既に決まっている」

男の声は低く冷たい。

「“証人”が生まれる場所をこちらが選ぶ。奴らは追うしかない……最後には、自分たちの記憶そのものを敵にすることになる」


「次の舞台は……東京か?」幹部の一人が問う。


黒幕は笑みを浮かべた。

「そうだ。舞台は整いつつある」


モニターの青白い光が揺れ、地下空間の空気はさらに冷たさを増していった。

玲チーム・関係者

1.れい – 冷静沈着な探偵。黒幕追跡の指揮を担当。

2.橘奈々(たちばな なな) – 玲の助手。情報処理・分析担当。

3.沙耶さや – チームの感情的支柱。直感と人間観察力で事件解明に貢献。

4.川崎ユウタ(かわさき ゆうた) – 記憶の証人、事件の核心情報を持つ少年。

5.御子柴理央みこしば りお – 記憶分析担当。冷静な判断力でチームを支える。

6.水無瀬透みなせ とおる – 記憶探査官。封じられた記憶を解放する役割。

7.九条凛くじょう りん – 心理干渉分析官。精神的サポート担当。

8.神谷(新登場・元軍隊スペシャリスト) – 軍隊出身の技術と経験で監視網・罠を突破。



佐々木家

9.佐々木圭介ささき けいすけ – 過去の事件に関わる父親。

10.佐々木朱音あかね – 圭介の娘。純粋な直感とスケッチで事件解明に寄与。

11.佐々木昌代まさよ – 圭介の母で霊感の持ち主。



影班

12.成瀬由宇なるせ ゆう – 暗殺・対象把握担当。

13.桐野詩乃きりの しの – 毒物処理・痕跡消去担当。

14.安斎柾貴あんざい まさたか – 精神制圧・記録汚染担当。



黒幕・関係者

15.潜伏者/黒幕(名前未判明) – 玲チームの標的。アジトで次の計画を練る。

16.幹部たち(黒幕側) – モニターや情報を管理し、黒幕の指示に従う。

17.田所(偽情報または証言提供者) – 黒幕追跡に関わる証言者。

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