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第9話:影に囚われた声

登場人物紹介(写真イメージ付き)


れい

•役割:冷静沈着な探偵。サイコメトリー能力で「記憶の影」を読み解く。

•外見イメージ:モノトーンのジャケットに白シャツ。切れ長の目と冷静な視線。

•写真イメージ:古い探偵事務所の窓辺で、煙草の煙越しに冷めたコーヒーを見つめる男性。



冴木涼さえき りょう

•役割:認識科学のスペシャリスト。影の残留を追跡する専門家。

•外見イメージ:長身、黒のコート。輪郭は光に溶け、影のように曖昧。

•写真イメージ:暗い路地の街灯下に立ち、半分だけ顔が照らされる男。



篠原悠斗しのはら ゆうと

•役割:通信暗号の解析担当。冷静で理詰めの分析屋。

•外見イメージ:眼鏡をかけ、ノートPCを前に集中する姿。

•写真イメージ:暗い部屋で複数のモニターの光に照らされる横顔。



秋津修司あきつ しゅうじ

•役割:現場追跡と護衛を担う。即断即決の行動派。

•外見イメージ:無精髭、黒のライダージャケット。

•写真イメージ:煙草を指で弄びながら監視カメラ映像を見つめる男。



八木真一やぎ しんいち

•役割:監視映像・資料解析のベテラン。堅実で冷静。

•外見イメージ:年齢はやや高め、スーツ姿。眉間に皺。

•写真イメージ:机に散らばった資料を腕を組んで見返す人物。



藤崎葵ふじさき あおい

•役割:副館長。保管庫管理と記録の専門家。

•外見イメージ:淡い色のブラウス、落ち着いた雰囲気。

•写真イメージ:書庫の棚に立ち、分厚い資料を抱える女性。



片瀬修一かたせ しゅういち

•役割:失踪者。影に囚われた意図を残す存在。

•外見イメージ:痩せた輪郭、どこか憔悴した雰囲気。

•写真イメージ:逆光の中、振り返るシルエットだけが浮かび上がる。

時間:午後四時

場所:神崎探偵事務所


玲はデスクに向かい、先ほど整理した事件資料を確認していた。静かな事務所に、コーヒーの香りだけが漂う。


突然、電話が鋭く鳴り響き、事務所の静寂を破る。玲は眉をひそめ、受話器に手を伸ばす。


「……はい、神崎です。」


受話器の向こうからは、わずかに震える女性の声。

「お願い……助けてください。あの件に関して、調査を……」


玲の目が鋭く光る。

「落ち着いてください。まず、状況を詳しく教えてもらえますか?」


静寂の中で、電話越しの声と玲の低い声が交錯する。

その瞬間、事務所の空気が、再び事件の匂いを帯びてざわめき始めた。


電話の会話を静かに聞きながら、篠原は背後の壁にもたれ、腕を組んで苦笑した。


「またか……玲さん、今回も複雑そうですね。」

玲は受話器を握り直し、眉をひそめる。

「篠原、覚悟はできてるか?」

「いつものことさ。解析班として、後ろから支えるだけです。」


篠原の表情には冷静さと、わずかに楽しげな余裕が混じる。

事務所の静寂が再び、緊張と期待に満ちた空気に変わった。


秋津はソファに腰をかけ、足を組みながら軽く笑いを浮かべる。


「はは……まさか、こんな手が残されているとはね。」

玲が端末の画面を見つめ、眉を寄せる。

「秋津、気を抜くな。これからだ。」

「もちろんさ、でも……こういう謎解きは、ちょっとワクワクするんだよな。」


室内には微かに緊張感が漂う中、秋津の笑みだけが異質に温かく光った。


玲はデスクに座り、無言でコーヒーを啜る。

その目には、端末の画面に映る複雑なデータと、秋津の軽い笑みが同時に映っていた。


「……やはり、手はまだ残されているな。」

玲の低い声が室内に静かに響く。

秋津は足を組み替え、微かに肩をすくめて笑った。

「ま、あなたの目にかかれば、どんな謎でも丸見えだろうけどね。」


コーヒーの香りが、緊迫した事務所にほんの少しだけ落ち着きを与えていた。


八木は窓際に立ち、外の街灯にぼんやり目をやりながら溜め息をつく。

「……まったく、次から次へと事件が絶えないな」

篠原が壁にもたれ、腕を組んだまま答える。

「それが俺たちの仕事だろう。まあ、今は一息つくしかない」

秋津はソファから顔を上げ、軽く笑う。

「一息つくって言っても、玲がコーヒーを啜るだけでこの静寂が持っていかれるけどね」


玲は無言でカップを傾け、窓際の八木に一瞥を送るだけだった。

室内に漂う静けさの中、街の明かりが淡く反射し、彼らの影を床に落としていた。


玲は無言のままコーヒーカップを置き、軽く肩をすくめた。

「どうせ俺たちは、次の事件も追いかけるしかないってことだ」


八木は窓の外から視線を外し、静かに頷く。

「……そうだな。でも、こうして一息つける時間も悪くない」


篠原が苦笑しながら壁にもたれ、腕を組む。

「一息つけるって言っても、俺たちが本当に安心できる日は来るのかね」


秋津はソファに沈み込み、足を組んだまま軽く笑った。

「まあ、コーヒーとちょっとした雑談くらいは許してくれよ」


事務所の静寂に、かすかな笑い声と街灯の光が混ざり合った。


篠原が眉を上げ、軽く唇を動かす。

「……ふん、まあ、こんな夜も悪くはないか」


玲はコーヒーを一口すすり、視線を窓の外に向ける。

「確かにな。次の事件が来る前に、少しでも平穏を噛み締めておこう」


八木は窓際で腕を組み直し、静かに頷く。

「平穏……そうだな。たまにはこういう夜も必要だ」


秋津は軽く笑い、ソファに身を沈めた。

「じゃあ、皆で夜食でも軽く……」


事務所には、ほのかな笑いと静かな安堵の空気が漂い始めた。


時間:午後三時

場所:玲探偵事務所


玲は受話器を手に取り、無表情で低く答える。

「玲探偵事務所です。」


その瞬間、事務所内の仲間たちから一斉に突っ込みが飛ぶ。

篠原が腕を組みながら苦笑し、

「またその言い方かよ、玲。もっと普通に『もしもし』でいいだろ。」


秋津はソファに腰かけ、足を組みながら茶化す。

「事件が来る前から怖がられてるぞ、この言い方じゃ。」


八木は窓際から溜め息をつき、

「……玲、せめて声のトーンくらい上げろよ。」


玲は軽く肩をすくめ、無言でコーヒーを啜る。

受話器の向こうでは、相手の緊張した声がまだ聞こえていた。


静かな男性の声が受話器の向こうから響いた。

「……玲さんですか。お願いがあります。急ぎで、至急調査してほしい案件です。」


玲はゆっくりと息をつき、声の主を見つめる。

篠原が横から小さく突っ込みを入れる。

「また妙に重々しい依頼だな、玲。」


秋津は笑みを浮かべつつ、端末に手を置きながら言った。

「……でも、どうやら今回は本物のヤバいやつかもな。」


玲は無言のまま受話器を握りしめ、冷静に応答の準備を整えた。


玲は短く息をつき、受話器越しに静かに問いかける。

「どんな件ですか?」


篠原がすかさず突っ込む。

「……その一言だけで済むと思ってるのか、玲!」


秋津はソファに腰掛け、腕を組みながら苦笑した。

「まったく、いつもの冷静すぎる入りだな。」


八木は窓際からこちらをちらりと見やり、

「いや、でも玲らしいっちゃ玲らしいけどな」と呟いた。


玲は軽く肩をすくめ、無言で会話を受け流しながら、受話器の向こうの声に集中した。


受話器の向こうの静かな男性は、しばし言葉を探すように間を置いた後、低く、しかし明瞭に告げた。

「……件名は、ある人物の不可解な行動です。至急、調査をお願いしたい。」


篠原が横から呟く。

「ほら、やっぱりただ事じゃない感じだ。」


秋津も興味深そうに端末から顔を上げ、

「なるほど、早速動けってことか。」


八木は窓の外を一瞥し、静かに一言。

「また、面倒な案件が始まるな……」


玲は受話器を握り直し、冷静な声で応答した。

「分かりました。詳しい状況を教えてください。」


受話器の向こうで男性は、沈んだ声で詳細を告げた。


「被害者は──正確には失踪ではありません。ここ数日、行動が完全に途絶え、連絡も一切取れない状態です。しかし、奇妙なのは、誰にも誘拐された形跡や争った痕跡がないことです。まるで……“消えた”かのように。」


篠原が眉をひそめ、端末に入力しながら呟いた。

「消えた……これはまた、不可解な案件だな。」


秋津はメモを取りつつ、冷静に分析。

「連絡が途絶えた時間と場所、周囲の監視情報も合わせて確認する必要がありますね。」


八木は窓の外を見ながら、低い声で言った。

「奴らの仕業か、あるいは自然では説明できない何かか……どちらにせよ、早急に動く必要がある。」


玲は受話器を握り直し、決意を込めて答えた。

「了解した。すぐに現場と関係者の情報を集め、調査を開始する。」


扉が静かに開き、男性が足を踏み入れる。肩にかけたコートをぎゅっと握り、眉をひそめながら静かに息を吐いた。


「玲さん……調査をお願いしたくて。」


玲は軽く頷き、椅子を示す。

「座ってください。まずは状況を詳しく聞かせてもらえますか?」


男性は慎重に椅子に腰を下ろし、封筒を机の上に置く。手は微かに震えていた。

「被害者は──正確には失踪ではありません。ここ数日、行動が完全に途絶え、連絡も一切取れない状態です。しかし、奇妙なのは、誰にも誘拐された形跡や争った痕跡がないことです。まるで……“消えた”かのように。」


玲は封筒を受け取り、視線を上げずに静かに問いかけた。

「わかりました。順を追って整理していきましょう。」


依頼人は慎重に封筒を机の上に置き、深く息をつく。手の震えが止まらない。玲は無言でその封筒を見つめ、慎重に受け取った。


封筒を開くと、中には一枚の写真と数枚の書類が収められていた。写真には、被害者の男性が街角の暗がりで立ちすくむ姿が映っている。光の角度のせいか、周囲の影が異様に長く伸び、不気味さを醸し出していた。


書類の一枚には、奇妙な文字列がびっしりと並ぶ暗号が記されている。数字と記号が入り混じり、解読の糸口は見えない。依頼人は写真を指で押さえながら、焦りを滲ませる。


「……どうしてこんなことに……一体、どこに行ったんだ……」


手元の紙を何度もめくり、ため息をつく。苛立ちは次第に声に滲み出し、低く震えた声で呟いた。

「誰も、何も……手掛かりがない……。」


玲は静かに封筒の中身を机に広げ、暗号の文字列を指先でなぞる。額縁のように並ぶ記号の並びに、何か隠された規則を見つけようとする目は鋭く光っていた。


依頼人の視線は常に玲に向けられる。安心感と不安が入り混じった微かな期待が、その肩に重くのしかかっているようだった。


玲は低くつぶやく。

「……なるほど、これは簡単には解けそうにない……。」


しかしその瞳には、確かな決意の光が宿っていた。


時間:午後三時三十五分

場所:玲探偵事務所


その紙切れは、ただのメモではなかった。

奇妙な記号や数字の羅列は、被害者が残した“足跡”そのものを示す暗号だった。


玲はペンを取り、暗号を一行ずつ丁寧になぞる。

「この数字の並び……緯度と経度の座標に変換できるかもしれない。」


篠原悠斗が端末を操作しながら、画面に映る街の地図に数字を当てはめていく。

「なるほど……これは現実の位置情報にリンクしているようです。」


玲は写真に目をやる。角度や影の方向、建物の輪郭から、撮影された場所と時間を推定する。

「夕方の光……あの交差点。間違いない、ここが最初の手掛かりだ。」


秋津修司は、過去の通信履歴や監視カメラの映像と照合し、被害者の行動パターンを解析する。

「数日前から、足取りは不自然に途切れている……これは誰かに見張られた可能性があります。」


八木真一は腕を組み、監視映像や街角のデータを慎重に観察する。

「複数の人物が影のように動いている……連れ去りか、あるいは誘導か。」


玲は暗号と写真、解析データを重ね合わせ、次の目的地を導き出す。

「ここから先、追跡者もいるはずだ……しかし、手掛かりは確実に見えてきた。」


薄暗い事務所に、緊張感と焦燥が混ざった空気が漂う。

依頼人は肩を震わせながらも、玲の指示を待つ。


玲は低くつぶやく。

「よし、行くぞ。足跡を辿ろう。」


その瞬間、背後から微かなささやきが聞こえた気がした——。


玲はペンを止め、わずかに顔を上げた。

事務所の空気が、一瞬だけ重くなる。


「……今、誰か言ったか?」

玲の声が、無意識に低くなる。


篠原は端末の画面から視線を外し、眉をひそめた。

「いや、何も……」


秋津がソファの上で足を止め、首をかしげる。

「外の風の音じゃないのか?」


八木は窓際から離れ、周囲を見渡した。

「……今の、俺にも聞こえたような気がする。」


依頼人の男が、不安げに椅子の端を握りしめる。

その手がわずかに震えていた。


玲はゆっくりと立ち上がり、事務所の奥に目を向ける。

机の上の封筒は、開いたまま。

暗号の紙切れの上に置かれた写真が、蛍光灯の光に淡く反射している。


「……“影の中に答えがある”。」

玲は小さくその言葉をつぶやき、背筋に走った冷たいものを振り払うように深呼吸した。


時間:午後三時五十分

場所:玲探偵事務所


「これは……?」玲が低く呟く。


封筒の中の紙切れと写真を慎重に広げると、そこには奇妙な文字列と不自然な折り目が刻まれていた。

紙の端に微かに凹凸があり、指先でなぞると小さなクリック音が響く。


篠原が端末に向かいながら眉を寄せる。

「これは……暗号に加えて、位置情報も隠されているようです。折り目や紙の質感にヒントがある。」


秋津が立ち上がり、写真を覗き込む。

「そして、この写真……影が妙に歪んでいる。光の方向や建物の輪郭に異常がある。」


八木が窓際から歩み寄り、紙切れを手に取る。

「なるほど……ささやきは多分、この仕掛けが起こす微細な音。紙を開いた瞬間だけ耳に届くようになっている。」


玲は紙切れを指先でなぞりながら、次の言葉を吐くように続けた。

「影の中に答えがある……つまり、この暗号は、次に向かうべき現場への誘導だ。」


依頼人の男が焦り混じりに声を上げる。

「でも、どうやって解読すれば……!」


玲は冷静に封筒を机に置き、紙切れと写真を見比べる。

「落ち着け。すべては順序通りだ。まずは暗号のパターンを解析し、写真の座標と照合する。それが次の目的地だ。」


事務所の空気が一層張り詰める。

小さなささやきの正体は、紙切れの仕掛けと連動する巧妙な誘導装置だったのだ。


玲は深く息を吸い込み、立ち上がる。

「行くぞ。時間はない。」


時間:午後六時

場所:玲探偵事務所


玲は封筒から取り出した紙片を卓上に広げ、慎重に文字列を追った。薄暗い事務所の照明に映る文字は、現実と幻想の境界を曖昧にするかのように揺れていた。


「影の中に答えがある……つまり、目に見える情報だけでは真実には辿り着けないということか。」玲の声は低く、誰にも届かぬ独り言のようだった。


篠原が端末のキーボードを叩き、文字列を解析する。「暗号のパターンは複雑ですが、写真の位置情報と合わせれば次の現場の候補がいくつか絞れます。」


秋津が地図を画面に表示させ、座標を指差す。「ここの倉庫街……ここが最初の手掛かりの場所です。被害者の足取りはここから始まっている可能性があります。」


玲は地図に指を置き、深く息をつく。「影として残された足跡を辿る……我々は、見えぬものの存在を感じながら進むことになる。」


依頼人の男性は封筒を握りしめ、焦燥と期待の入り混じった視線を玲に向けた。


「この足取りを辿れば、同僚の居場所につながる……かもしれません。」


玲は椅子から立ち上がり、冷たい夜風が差し込む窓を一瞥する。暗号が導く影の道、現実と幻想の境界をくぐり抜ける先に、新たな手掛かりが待っている――。


玲は封筒から取り出した紙片を卓上に広げ、慎重に文字列を追った。薄暗い事務所の照明に映る文字は、現実と幻想の境界を曖昧にするかのように揺れていた。


「影の中に答えがある……」玲の声は低く、独り言のように漏れる。


篠原が端末のキーボードを叩き、文字列を解析する。「暗号のパターンは複雑ですが、写真の位置情報と照合すると次の現場が特定できます。」


秋津が画面を指差す。「ここです。街の片隅にある古いアパート……足取りはここから始まっている可能性があります。」


玲は地図に指を置き、微かに眉を寄せる。「二つのメッセージ——まるで見えない糸で繋がれているかのように。」


依頼人の男性は封筒を握りしめ、焦燥と期待の入り混じった視線を玲に向けた。


「この糸を辿れば、失踪した人物の居場所に繋がるかもしれません。」


玲は椅子から立ち上がり、冷たい夜風が差し込む窓を一瞥する。暗号が導く影の道、現実と幻想の境界をくぐり抜ける先に、新たな手掛かりが待っている――。


玲たちが調査に没頭している最中、事務所のドアがきしむ音と共に、ゆっくりと開いた。誰もノックはしていない。しかし、空気が急に冷たくなり、まるで“異質な存在”が滑り込んできたような気配が漂う。


沈黙を切り裂くように、低く冷ややかな声が響いた。

「お前たち、面白いことをしているな。」


秋津が素早く振り向き、無意識に腰へと手を伸ばす。「……誰だ?」


暗がりの中に現れたのは、長身の男——冴木涼さえき りょう

妙だった。部屋に差し込むわずかな光が彼の輪郭を曖昧にし、まるで影そのものが形を成して立っているかのように見える。目は冷徹に光り、視線が刺すような鋭さを持っていた。


「どちら様?」秋津が声を強める。その声もわずかに震えていた。


冴木は無造作に部屋へ足を踏み入れ、壁にかけられた額縁の前で立ち止まる。そして、額縁の裏に刻まれた文字へ指を滑らせながら、低く呟いた。

「影の残留……なるほどな。」


篠原の眉が険しく寄る。玲の目も細まり、その鋭い視線が冴木を捉える。

「君は一体……何者だ?」


冴木はゆっくりと彼らに向き直り、口元に薄い笑みを浮かべる。

「認識科学の専門家だ。影の記憶を辿る仕事をしている。」


その瞬間、佐伯和人が静かに立ち上がる。

「冴木涼……やはり来たか。」

端末を手に取り、過去の監視ログと痕跡を凝視する。

「この人物、影の動きを解析して行動するタイプだ。通常の方法では足取りを追えないが、解析アルゴリズムを使えば予測可能だ。」


玲は佐伯に目を向け、短く頷く。

「頼む、佐伯。奴の動きを封じる手掛かりを示してくれ。」


佐伯は落ち着いた声で答える。

「奴の影を追う鍵は、この事務所の記録と額縁の残留情報だ。暗号や映像解析から、影が残した痕跡を辿る。」


秋津が端末を操作しながら不安げに尋ねる。

「本当に、この相手と直接対峙できるのか……?」


佐伯は冷静に答える。

「直接の危険はある。しかし、我々の知識と解析力を組み合わせれば、奴の行動範囲を狭め、証拠を押さえることは可能だ。」


冴木はその様子を静かに観察し、再び額縁に手を伸ばす。

「ふむ……面白い。影の痕跡を辿る者たちか。だが、お前たちには一枚噛ませてもらう。」


玲は拳を軽く握りしめる。

「ならば、影の答えを我々が先に手に入れる。」


事務所の空気は一層冷え、影と現実の境界が揺らぐ——。

解析と心理戦、そして証拠奪取の緊迫した攻防が、今まさに始まろうとしていた。


その瞬間、部屋の空気がさらに冷たく重くなり、玲の耳には微かな耳鳴りが響いた。呼吸をするたびに、空気の圧が胸を押しつけるようだ。


冴木は微動だにせず、薄く笑みを浮かべるだけで、その存在が場を支配しているかのようだった。

「……聞こえるか?」彼の声は低く、まるで空気を震わせる波のように玲たちの意識に入り込む。


玲は拳を握りしめながらも冷静に応える。

「聞こえている。だが、あなたのやり方はわかっている。」


佐伯が端末を操作し、暗号解析と残留痕跡の情報を画面に浮かび上がらせる。

「影の残留パターンはここにある。動きを読むには、奴の心理と痕跡の両方を同時に解析する必要がある。」


秋津が眉をひそめ、画面のデータを睨む。

「耳鳴り……これは影の残留による精神的圧迫か?普通の人間では耐えられない。」


八木は窓際から外をちらりと見やり、冷静に呟く。

「奴は心理戦を仕掛けてくる。だが、我々も影の足跡を読む能力がある。」


冴木はゆっくりと一歩前に出る。その動きだけで、空間が微かに歪むような錯覚を覚える。

「お前たち……面白い。だが、この先は簡単ではない。」


玲は低く息をつき、内心で決意を固めた。

「どんな影でも、我々は追い詰める——証拠と理で。」


耳鳴りと冷気の中、事務所は静かに、だが確実に戦場へと変わり始めていた。


時間:午後十一時

場所:都心の老朽化した倉庫街


玲は助手たちと共に、静まり返った夜道を歩いていた。街灯の光はまばらで、遠くにかすかに工場の煙突が影を落とす。


「ここが、最後に影の残留が確認された現場だ。」玲が低く告げる。


篠原が端末を手に、空気中の微細なデータを解析する。

「影の残留痕跡は、建物の奥に集中している。動線を読む限り、奴はこの中に潜んでいる可能性が高い。」


秋津が慎重に足を進めながら呟く。

「周囲の監視センサーも巧妙にすり抜けている……。完全に影として存在していると言えそうだ。」


八木は建物の入口を見つめ、影の心理を読み解こうと目を細める。

「罠の可能性もある。音や光に敏感に反応するタイプだ。」


玲は拳を握りしめ、廃工場の内部へ足を踏み入れた。

埃と鉄の匂いが鼻を突き、廃材が床を覆う薄暗い空間の中、微かな冷気が漂う。


「ここで決着をつける……。」玲の声は小さくとも強く、闇の中に響いた。


壁の奥から、微かに影が動く。冴木涼の気配だ。目には見えないが、その存在は確かにそこにある。


玲たちは息を潜め、影の足跡と痕跡を慎重に追い始めた——過去の痕跡、残留する情報、そして影の心理。


時間:午後十一時十五分

場所:廃工場跡・内部


篠原が手元の端末画面を凝視し、指を震わせながら指摘する。

「映像の乱れの直前……見ろ、わずかに影が動いている。」


玲は端末に視線を落とし、暗がりの中で揺れる微かな形に目を凝らす。

「確かに……奴の残留痕だ。動きが不自然すぎる。」


秋津が声を潜める。

「感覚的には、ここに“生きている影”が存在しているようなものだ……音も光も、通常の手段では捉えられない。」


八木が壁沿いに身を低くし、周囲の気配を読み取る。

「罠の可能性も高い。わずかな動きに反応するだろう。慎重にな。」


玲は拳を握りしめ、冷静に呼吸を整える。

「動かずに観察だ。焦れば奴の思う壺だ。」


廃工場の暗闇で、わずかに揺れる影——その存在は確かに現場に潜み、玲たちの動きを静かに見守っていた。


玲は端末画面に映る不自然な影を前に、低く呟いた。

「これは……?」


篠原が眉を寄せ、慎重に指を動かす。

「動きのパターンが人間じゃない。光の反射でもない……何か“意志”を持って動いているようだ。」


秋津も前傾姿勢で画面を覗き込み、声を潜める。

「ただの残像や錯覚じゃない……データ上にも微細な振動が残っている。」


八木が壁際から視線を上げ、鋭く言った。

「ならば、この影の存在を追うしかない。痕跡は必ず残るはずだ。」


玲は拳を握りしめ、暗がりに浮かぶ影を見据えた。

「分かった……行くぞ。まず、この足跡を辿る。」


微かに揺れる影――それは現実と幻想の境界に存在する、不可解な存在の痕跡だった。


時間:午後十一時三十五分

場所:廃工場跡・監視端末前


玲はモニターに映る映像を食い入るように見つめた。

映像の中で、影がうごめいている――まるで自ら意思を持っているかのように、壁や床の間を滑るように動く。


篠原が眉をひそめ、指先で画面の座標を追う。

「蠢き方が規則的だ……だが、人間の動きではない。」


秋津も息を詰め、微かなノイズに耳を澄ませた。

「微細な振動が残っている。まるで存在の痕跡をデータ上に刻み込んでいるみたいだ。」


八木が静かに口を開く。

「映像だけじゃ足りない。現場で足跡や痕跡を確認する必要がある。」


玲は拳を軽く握り、モニター越しの蠢く影を凝視する。

「よし……この影の行方を追う。必ず真実に辿り着く。」


薄暗い画面に蠢く影――それは現実か幻想か、誰も完全には判断できない、謎の存在だった。


沈黙を破るように、冴木が低くつぶやいた。

「面白い……動きの軌跡に意図がある。」


玲が反射的に振り返り、鋭い視線を冴木に向ける。

「どういう意味だ?」


冴木は微かに肩をすくめ、暗がりの中で影のように静かに立つ。

「この影……ただの映像のノイズではない。何かが、この世界の外側から介入している。」


篠原が端末に手を置き、眉をひそめる。

「外部から……? いや、信号パターンが内部からのものと一致している。」


秋津がソファから身を乗り出し、低い声で言った。

「つまり、影は意図的に残された痕跡……誰かが、わざと動かしているってことか。」


冴木はうなずき、ゆっくりと視線を画面から玲たちに移す。

「その通り。だが……その“誰か”は、君たちにはまだ姿を現さない。」


沈黙と緊張が再び部屋を包む。蠢く影の存在と、冴木の言葉――それは、この先に待つ謎の深さを暗示していた。


玲は端末から目を離し、額縁の破片や床に落ちた紙片にゆっくりと手を伸ばした。

「……感じる。」


篠原が眉を寄せる。

「感じる? 何を?」


玲の指先は微かに震えながらも、冷静に額縁の縁に触れる。

「この物──残留思念が強い。事件の当時の緊張、恐怖、そして誰かの意図……全てが残っている。」


秋津が目を見開く。

「つまり、額縁や現場から過去の感情を読み取れるってことか?」


玲は頷き、目を細めて額縁に集中する。

「感情の軌跡が影を動かしている。誰かが残した“意図”を追う手がかりになる。」


冴木が壁にもたれながら口元に薄い笑みを浮かべる。

「なるほど……君は、物が持つ記憶を読み解く者か。サイコメトラー、か。」


玲の瞳は鋭く光り、微かに震える指先に力を込める。

「影の意図を読む──そして、真実へ導く。」


部屋の空気はさらに重く、冷たくなった。静かな緊張の中、玲のサイコメトラーとしての力が、蠢く影の正体を暴く鍵となろうとしていた。


玲の指先が額縁に触れたまま、ピクリと震えた。

その瞬間、空気が深く沈んだように感じられ、外の音が一切遠のく。

耳鳴りに似た低い振動が、頭蓋の奥で鈍く響く。


そして——


響くはずのない声が、玲の心の奥底に直接囁きかけてきた。

それは、風でも機械音でもない。

もっと深く、もっと内側へ突き刺さる、冷たい声だった。


「……まだ、追うのか……影を……」


玲の視線が揺らぐ。

目の前の光景が一瞬かすみ、現実の輪郭が曖昧になる。

声は続く。


「答えは……境界の向こう……

影の記録をなぞれ……ただし……全てを知る覚悟があるならば……」


冴木が一歩踏み出し、玲を見据える。

「……何を聞いている?」


玲は額縁からそっと手を離し、深く息をついた。

「……私の頭の中に……“声”が直接、囁いてくる……」


その瞳には、恐怖よりも強い決意が宿り始めていた。

玲のサイコメトリーが、ついに“影”そのものの記憶へ接触した瞬間だった。


玲は深く息を吸い込み、目を閉じた。

外の冷たい風も、微かに響く耳鳴りも、すべてが遠のいていく。


内側の意識に集中し、心の奥底の静寂を探る。

その瞬間、額縁に残る影の痕跡や、封筒の暗号が、頭の中で鮮明に浮かび上がった。


冴木の低い呼吸が背後で響く。

「……集中しているな。玲、だが気を抜くな……影は一瞬で逃げる。」


玲はゆっくりと口を開く。

「わかっている……影の残像を、ここでなぞらなければ……答えには届かない。」


目を閉じたまま、玲はサイコメトリーを最大限に働かせる。

過去と現在、現実と幻の境界に潜む“影の記憶”に、静かに手を伸ばす――。


その瞳が再び開かれた時、玲の視線は、現実を超えた痕跡の全貌を捉えていた。


玲は目を閉じ、心を澄ませる。揺らぎ続けた影の気配は、次第に安定し、一つの形として浮かび上がってきた。


「……影の輪郭がはっきりしてきた。」玲の低い声が部屋に響く。


冴木は背後でじっと見守りながら、冷静に言葉を重ねる。

「ほう……やはり、お前の能力は本物だな。ただし、この影……ただの残像ではない。意志がある。」


篠原が端末を指差す。

「映像にも微細な動きのパターンが残っている。玲、あなたが感じたのと完全に一致する。」


玲はゆっくりと額縁を見つめ、指先を差し伸べる。

「答えはここに……影の痕跡は、次の場所へ導く道標だ。」


揺らぎが収まり、影が一つに収束したことで、玲たちは動くべき方向を確信する。


光と闇が交錯する薄暗い空間に、玲の視線が吸い寄せられる。揺らめく影の中から、一人の男の姿がゆっくりと浮かび上がった。


「……片瀬修一か。」玲は低くつぶやき、心の奥で確かな既視感が走る。


冴木は微かに笑みを漏らす。

「やはり、彼が鍵だ。影の残留は、すべて彼と関係している。」


篠原が端末の映像を拡大しながら確認する。

「動きのパターンが完全に一致する……つまり、影の痕跡は、片瀬の行動そのものを映している。」


玲は息を整え、静かに立ち上がる。

「よし、この影を辿れば、彼の居場所もしくは隠された真実にたどり着ける。」


秋津がすばやくメモを取りながら言う。

「行動パターンと時間軸を照合すれば、次の手掛かりの位置も特定できるはずです。」


冷たい空気の中で、影と光が交錯する現場。玲たちは片瀬の足取りを追い、真実への一歩を踏み出す。


時間:午前零時十五分

場所:玲探偵事務所


事務所の古びた椅子に深く腰掛け、玲は冷めかけたコーヒーをゆっくりと啜る。


「片瀬……一体何を残そうとしている?」玲は低くつぶやき、額縁の裏や監視映像に残された影の軌跡を思い返す。


冴木が端末の前で指を動かしながら言った。

「この影、ただの残像ではありません。彼の心理と行動パターンが、文字通り映像として残っている。」


篠原が眉を寄せる。

「時間軸を精密に解析すれば、彼が次に動く場所や目的も推測できる。」


玲はゆっくりと手元の暗号メモを広げ、影の動きと照合していく。

「これは……警告の意味だな。誰かを守るためか、それとも……自分の秘密を伝えるためか。」


秋津が声を潜める。

「彼の意図は単純ではありません。残された足取りには、意図的な混線と誤誘導が組み込まれています。」


玲はコーヒーを置き、額縁の影を凝視する。

「だが、意図的に残された痕跡こそが、真実への扉になる……影が示す先を辿ろう。」


静寂な事務所に、影と光の交錯する軌跡を読み解く緊張が漂う。


時間:午前零時二十五分

場所:玲探偵事務所


冴木が端末の前で疲れたような笑みを浮かべ、ぽつりと呟く。

「……影の中には、ただの痕跡だけじゃない。意図的に残されたメッセージがある。」


玲は監視映像に映る影の動きを凝視する。

「暗号は文字や数字じゃない。人の行動、歩幅、足取りそのものが、何かを伝えようとしている。」


篠原が画面をスクロールしながら言う。

「位置情報や過去の行動パターンと重ね合わせれば、影が示す“核心”が見えてくるはずです。」


秋津はソファに腰かけ、慎重にデータを操作する。

「微妙なズレや誤誘導がある。焦ると正解を見失う。」


玲はコーヒーを一口すすり、静かに決意を固める。

「焦らず、ひとつずつ読み解こう。影が残した意図が明かされる瞬間まで……。」


モニターの光だけが部屋を照らす。

人の動きに刻まれた痕跡、そして意図的に仕組まれた行動パターン。

それらが、真実への扉を静かに開こうとしていた。


時間:午後二時二十分

場所:旧商館ビル・二階廃室


室内には静寂が広がり、埃の舞う光が淡く差し込んでいた。

窓から差し込む陽光が崩れかけた壁を照らし、足元の埃を長い影に変える。


玲はゆっくりと歩を進め、その影の軌跡を追いながら低く呟く。

「……確かにここを通っている。」


冴木が壁際のひび割れを指先でなぞり、鋭い視線を走らせる。

「影の行動は偶然じゃない。ここで立ち止まり、何かを残した形跡がある。」


篠原はポータブル端末を開き、光量を調整して床を照らす。

埃の中に、わずかに乱れた線。

それは人為的に刻まれた「記号」のようだった。


「……文字か?」秋津が息を呑む。


玲はしゃがみ込み、その線を指でなぞる。

「いや……これは座標だ。地図と照合すれば——」


冴木が遮るように低く言った。

「次の手がかりの場所が浮かび上がる。」


室内を満たす沈黙は、ただの静けさではなく、何かが彼らを“次へ導こう”としているかのようだった。


時間:午後四時三十八分

場所:玲探偵事務所


事務所の電話が鋭く鳴り響いた。

静寂を切り裂くその音に、全員の視線が一斉に机の上へ向けられる。


玲は迷いなく受話器を取り上げ、短く名乗る。

「……玲探偵事務所です。」


受話器の向こうから、落ち着き払った男性の声が返る。

『座標の意味に気づいたか?』


篠原の手が止まり、秋津の表情が固まる。冴木の目がわずかに細まり、窓の外へと鋭い視線を投げた。


玲は沈黙を挟んだ後、低く応じる。

「お前は……誰だ。」


電話口の男は名を告げず、淡々と続けた。

『廃墟の座標は“入口”にすぎない。本当に追うべきは、彼の行動の“意図”だ。……影は目的を持って動く。』


受話器から聞こえる声は、まるで彼らの調査をずっと監視していたかのようだった。


電話が切れると同時に、部屋の空気はさらに張り詰め、冴木が低く呟く。

「……行き先だけじゃない。失踪者は“何を目指していたのか”を解き明かさなければならない。」


玲は机に残されたメモと座標を見つめ、冷えたコーヒーを一口含んだ。

「廃墟に向かうか……あるいは、この声の言う通り、“意図”そのものを追うか。」


沈黙の中、選択が迫られていた。


時間:午後五時過ぎ

場所:郊外・廃墟前


玲の目がわずかに細まった。

無言のまま立ち上がり、コートを羽織る。秋津が苦笑しながら端末を閉じ、篠原は封筒の暗号メモを握りしめた。冴木は黙ってその背中を追う。


車を走らせること数十分。

やがて郊外に打ち捨てられた廃墟が姿を現した。かつては工場だったと思われる建物は、窓ガラスが割れ、錆びついた鉄骨がむき出しになっている。周囲は草木に覆われ、風が吹くたびにかすかな金属音が鳴った。


「……座標の場所は、ここだな。」八木が低く呟く。


玲は建物を見上げ、慎重に息をつく。

「ただの空き工場じゃない……“彼”はここに何かを残した。」


篠原が端末を起動し、古いデータとの照合を始める。

「周囲の通信記録……十年前に何度もアクセスの痕跡がある。どうやら、この廃墟は“集合場所”として使われていたようだ。」


冴木がゆっくりと歩み寄り、地面に落ちる影を見つめる。

「……影は意図を写す。つまり、ここでの行動には“理由”がある。」


玲は頷き、錆びた扉に手をかけた。

「中を確かめる。ここからが本当の調査だ。」


扉が軋みを上げ、闇の中に冷たい空気が流れ出す。

彼らは足を踏み入れた。


時間:午後五時三十五分

場所:郊外・廃墟


錆びついた扉を押し開けると、暗がりの中にほこりの匂いが立ちこめた。

床には砕けたガラス片、机の上には雨に濡れて歪んだ書類が散らばっている。


冴木が懐中電灯を掲げ、壁際に刻まれた奇妙なマークを指さした。

「見ろ……これは暗号の続きだ。組み合わせると座標になる。」


玲は近寄り、指で埃を払う。

マークの並びは、一見落書きにしか見えなかったが、順に繋ぐと緯度経度を示していた。


「……第二の座標、か。」

低く呟いた玲の声が、廃墟の静けさに溶け込む。


時間:午後五時三十五分

場所:玲探偵事務所


八木は机に広げた資料と古い通信記録を照らし合わせながら、眉間に皺を寄せていた。

書類の端は黄ばんで波打ち、幾度も誰かの手に渡った痕跡を残している。


彼は深呼吸をひとつ置き、画面に映る断片的な通信記録へ視線を移した。

ところどころ途切れ、雑音にまみれたログの中に、奇妙に繰り返される座標の断片があった。


「……これが“第二の座標”の裏付けか。」


八木は独りごちるように呟き、机上の古い地図を取り出した。

ペン先でなぞると、その点はかつて存在した研究施設の跡地を示していた。


椅子の背もたれに深く沈み込み、彼は低く息を吐く。

「片瀬……お前は何を求めて、この場所に向かった?」


地図の上に影を落とすように、消されかけた署名が目に留まる。

そこには、うっすらと——“篠原”の文字が浮かび上がっていた。


時間:午後六時二十分

場所:玲探偵事務所


その頃、事務所に残った八木は資料を広げていた。

机の上には散乱した古地図、色あせた書類、そして古い通信記録のコピー。

その全てが一本の線で繋がり始めている。


八木は顎に手を添え、深く息をついた。

「……やはり、ここに行き着くか。」


電話を取り上げ、受話器に低い声を落とす。


「こちら八木だ。玲、聞こえるか?」


ノイズ混じりの応答が返る。

『ああ、こっちは現場だ。どうした?』


八木は紙の束をめくりながら、要点をかいつまんで伝えた。


「廃墟で見つけた暗号は“第二の座標”を示していた。照合した結果、旧研究施設跡地が浮かび上がった。……そして問題は、その施設の建設と運営に“篠原財団”が深く関与していたという事実だ。」


受話器の向こうで短い沈黙が落ちた。

やがて玲の声が低く響く。

『……つまり、片瀬の足取りは財団の影を辿っていた可能性が高い、ということか。』


八木は短く頷くようにして答えた。

「その通りだ。資料の一部には消された署名もあった。……篠原剛三の名だ。」


事務所の窓の外はすでに薄闇に沈み、街灯がかすかに瞬いている。

八木は無意識に腕を組みながら、受話器を握る手に力を込めた。


「片瀬が追っていたのは失踪ではなく——“抹消された真実”そのものかもしれん。」


時間:午後五時四十五分

場所:玲探偵事務所


八木は机に広げた資料の束を一枚ずつめくりながら、深く息を吐いた。

紙の端は黄ばみ、いくつもの黒塗りが施されている。だが、その隙間から確かに浮かび上がってくる名があった。


「……第二の座標、旧研究施設跡地。やはり財団が裏で関わっていたようだ。」


低くつぶやきながら受話器に向かって報告を送る。

『了解した。場所は確認した。』

玲の声は落ち着いていたが、その奥底にわずかな緊張がにじんでいた。


受話器越しに小さく紙をめくる音が混じる。

八木は短く言葉を継いだ。

「玲、気をつけろ。施設跡地は封鎖区域に指定されている。監視の目もあるはずだ。」


『承知した。……だが行くしかないな。』


背後で秋津がコートを羽織り、篠原が無言で機材を詰め込んでいる音が聞こえる。

玲は受話器を置き、コーヒーを飲み干すと、静かに立ち上がった。


「行くぞ。第二の座標が示す真実を確かめる。」


その声に、秋津と篠原が頷く。

冴木も影のような微笑を浮かべながら、ただ一言。

「影はそこに残っている。……必ずな。」


事務所のドアが音を立てて閉じられ、足音が夜の街へと消えていった。

時間:午後六時三十分

場所:旧研究施設跡地


夜の帳が降り始める頃、玲たちは錆びついた鉄門を押し開け、荒れ果てた敷地へと足を踏み入れた。

雑草が伸び放題に絡みつき、崩れかけたコンクリートの壁は冷たい風にさらされている。


「……まるで時間が止まったようだな。」秋津が低く呟く。

懐中電灯の光が薄暗い廊下を切り裂き、壁に残された古びた警告標識を照らした。

《立入禁止》《危険物管理区域》──文字はかすれ、今では誰も気に留める者はいない。


篠原が足元に視線を落とし、慎重に足跡を確かめる。

「最近……ここを通った痕跡がある。土埃が不自然に払われているな。」

指先で触れた跡は、確かに新しい。


奥へ進むと、一枚のドアが半ば外れた状態で斜めに掛かっていた。

冴木が手をかけると、軋む音を立てて開き、内部の冷気が一気に溢れ出す。


中は薄暗い実験室跡。

机にはひび割れたガラス器具や、黒ずんだ記録簿が散乱していた。

その中に、ひときわ新しい痕跡があった。


玲は机の上の紙片に目を留める。

「……これは、日付が昨日だ。」


そこには暗号のような数字列と、かすれたサイン。

そして、紙面の端には小さく書かれた言葉があった。


『まだ終わっていない』


玲は無意識に拳を握りしめる。

「失踪者は……ここに来ていた。」


冴木がその紙を手に取り、光にかざした。

「いや……ただの痕跡じゃない。これは“次の座標”を示す暗号だ。」


沈黙が落ちる。

薄暗い部屋の隅で、冷たい風が崩れた窓から吹き込み、埃を舞い上げた。


玲は視線を奥の闇に向け、静かに言った。

「彼の足取りは、まだ続いている──。」

時間:午後七時十七分

場所:旧研究施設跡地・臨時作業スペース


玲たちは荒廃した実験室の一角に、折りたたみ机を並べて即席の作業スペースを設けた。

暗号の書かれた紙片が机の上で揺れるたび、薄暗い光が反射して微かに紙面を照らす。


篠原が眉をひそめながら紙片を凝視する。

「この数字列……ただの座標や日付ではない。符号化された地理情報と、時間軸が重ねられている。」


秋津がタブレットを取り出し、古い地図データと照合する。

「座標をプロットすると、この施設から北へ約三キロの地点……河沿いの旧倉庫街だ。」


冴木が低くつぶやく。

「……影が残した痕跡は、単なる移動経路じゃない。俺たちを誘導している、まるで挑戦状のようだ。」


玲は指で紙片の暗号をなぞりながら、心の奥で声を聞く。

『ここで止まるな──次を見ろ』


「新たな黒幕……か。」玲の瞳が鋭く光る。

「失踪者の足取りと、この暗号は一つの線で繋がっている。辿れば、黒幕の影に近づけるはずだ。」


八木が資料を広げ、過去の通信記録や関係者リストを照合する。

「この座標に関わったのは、かつてこの施設で極秘研究に従事していた“影の人物”たちだ。黒幕の可能性が高い。」


篠原が紙片を慎重に折りたたみ、玲に手渡す。

「ここから先は、慎重に行動する必要があります。影は、きっと俺たちの行動を観察している。」


玲は深く息を吸い、拳を軽く握る。

「ならば……俺たちも、影を追う。次の座標に向かおう。」


暗号の意味と黒幕の影が、静かに、しかし確実に彼らを次の局面へと導いていた。

時間:午後八時三十分

場所:河沿いの旧倉庫街


玲たちは錆びた鉄扉を潜り抜け、湿った河風が吹き抜ける倉庫街に足を踏み入れた。

夕闇が街全体を覆い、瓦礫の山や朽ちた木箱が不気味な影を落としている。


「周囲を警戒しろ。」玲が低く声をかける。

篠原と秋津は端末を手に、倉庫街の監視カメラや古い地図と照合しながら慎重に進む。

八木は前方を睨み、足跡やかすかな物音にも敏感に反応していた。


その時、薄暗がりの影が一瞬動いた。

「……誰かいる。」秋津が小声でつぶやく。


玲は即座に影の方向を注視する。

足音は消え、冷たい夜風だけが通り過ぎる。

しかし、倉庫の窓に映る微かな人影――それは明らかに追跡者のものだった。


冴木が息を潜め、低くつぶやく。

「影はまだここにいる……俺たちの行動を見張っている。」


玲は慎重に距離を取りながら進む。

「焦るな。まず痕跡を確認する。失踪者の手がかりが近くにあるはずだ。」


篠原が暗号メモと現場の痕跡を照合する。

「この方向……この倉庫の奥が重要ポイントです。影はわざと私たちを誘導している可能性があります。」


廃倉庫の扉がわずかに軋む音が響く。

玲は振り向き、息を殺す。影の追跡者は、確実に距離を詰めていた。


「このまま進めば……接触するかもしれない。」八木の声に緊張が滲む。


玲は拳を軽く握り、冷静に周囲を見渡す。

「ならば、準備を整えろ。追跡者と接触しても対応できるように。」


倉庫街の闇は深く、影は生き物のように蠢いていた。

失踪者の足取りと、黒幕の影――すべてが、この古びた倉庫街で交錯し始めた。

時間:午後九時

場所:河沿いの旧倉庫街


玲たちは倉庫の奥へと慎重に進む。

瓦礫の影の中、微かな足音が確実に近づいてくる。

「……来る。」八木が低くつぶやく。


その瞬間、薄暗がりから人影が飛び出した。

「動くな!」玲が声を張る。

影の追跡者も構えを取り、冷たい目が光る。


篠原は端末を素早く操作し、倉庫内の監視カメラ映像を解析する。

「こちらの位置を感知している……だが動きは限定的です。」


秋津は倉庫の影に身を潜め、無線で玲に情報を伝える。

「左側の通路から複数の影が接近しています。少人数の迎撃で抑えられます。」


玲は冷静に距離を計算し、手元のライトで影を照らす。

「無駄な衝突は避けろ。手掛かりを確保するまで接触を最小限に。」


しかし追跡者もただでは引かない。

鉄製のパイプが地面に落ちる音、瓦礫がわずかに崩れる音が倉庫内に響く。

「影がこちらの動きを探っている……」冴木が静かに分析する。


突然、影の追跡者が玲たちの前に現れ、廃材を盾に襲いかかる。

玲は一歩後退しつつ、正確に相手の動きを読み取る。

「接触するぞ、準備はいいか!」八木が低く叫ぶ。


短い攻防が続く中、玲は追跡者の意図と動きを見切り、反撃の隙を見つける。

篠原と秋津の協力で追跡者は一時的に制止され、倉庫内の痕跡を確保することに成功した。


「足跡と暗号メモは確保した……次の現場に繋がる手掛かりだ。」玲が静かに告げる。

追跡者は影のように消え、冷たい河風だけが残った。

旧倉庫街の闇は再び静寂を取り戻し、玲たちは次の目的地へ向けて歩き出す。

時間:午後十時三十分

場所:河沿いの小道、旧倉庫街近くの路地


玲は確保した暗号メモと足跡の痕跡を慎重に確認する。

「この符号……ただのランダムな記号じゃない。座標が組み込まれている。」

篠原が端末を操作し、メモの暗号を解析して座標を導き出す。


秋津が資料を広げ、過去の人物関係や事件記録と照合する。

「この座標……かつて剛三財団が管理していた研究施設跡に繋がる。」

八木は腕を組み、周囲の環境を見渡す。

「ここから先、奴らが警戒している可能性が高い。慎重に行く必要がある。」


玲は息を整え、闇に紛れながら次の目的地を目指す。

「足跡は、ここで一旦途切れている。だが動きの意図は読める……黒幕は間違いなくこの方向にいる。」


冴木が冷静に分析する。

「足取りの変化、視界の乱れ……奴はこちらの動きを監視している。直接遭遇は避けられないかもしれない。」


薄暗い街灯に照らされる路地を進む玲たち。

風に揺れる紙片、錆びたフェンス、かすかな物音。

すべてが次の黒幕の居場所を示す手掛かりだった。


「くれぐれも油断するな……奴の影は常にこちらを見ている。」

玲の低い声が、静まり返った夜の路地に溶け込む。


その瞬間、背後から微かな金属音。

「来たか……」八木が低くつぶやき、玲たちは身構える。


闇の奥に潜む黒幕の影——その存在が、いよいよ玲たちの目前に迫っていた。

玲は足音を殺し、仲間と共に倉庫内へ潜入する。

壁に反射する薄暗い街灯の光が、影を長く伸ばしていた。


冴木が低く囁く。

「黒幕……奴の意図は、ここで圧力をかけて精神を揺さぶることだ。」

篠原は端末で監視カメラの映像を確認しながら頷く。

「動きは予測可能だが、油断は禁物。」


倉庫奥、影が揺らめく。

黒幕の声が響く。冷たく、計算された響き。

「お前たち、よくここまで来たな。だが、全ては私の掌の上だ。」


玲が一歩前に出て、落ち着いた声で応じる。

「その掌の上にあるのは、もうすぐ証拠と真実だ。手を下せば、自らを縛る鎖になるだけだ。」


黒幕は低い笑いを漏らし、暗闇の中で姿を揺らす。

「証拠……? お前たちにその価値が分かるか?」


秋津が冷静に資料を指さす。

「数字と記録が全てを語っている。もう隠し通せない。」


八木が慎重に前に出る。

「逃げ道はない。出て来い。」


倉庫内の空気が張り詰める。

黒幕の影が床に映り、まるで生きているかのように動く。

玲は心の中でサイコメトリーを働かせる。影の揺らぎ、微かな息遣い、心の奥底の恐怖を読み取る。


そして、ついに黒幕の姿が薄暗い光の中に現れる。

顔は見えないが、冷徹な目と笑みが影の中からこちらを射抜く。

「さあ、真実を見せてもらおうか。」


玲は拳を握り、静かに息を整える。

「ここで終わらせる。」


静寂と緊張、そして心理戦——

光と影の攻防が、旧倉庫に張り巡らされる。

時間:午後十一時四十五分

場所:河沿いの旧倉庫街、倉庫奥の暗室


黒幕は倉庫奥で立ちはだかる。冷たい目が玲たちを射抜き、周囲の空気を凍らせる。


玲は静かに息を整え、心の中で影の揺らぎを読み取る。

「隙は必ずある……」


篠原が端末を操作し、監視映像を解析する。

「黒幕の視線は壁の死角を避けている。攻撃はそこから。」


秋津が資料を手にしながら冷静に指示する。

「玲、影の動きに合わせて証拠を確保する。八木、逃げ道を封鎖。」


黒幕は低く笑い、壁に映る自らの影を操るかのように動かす。

「証拠を取れるものなら取ってみろ……!」


玲は一瞬のタイミングを見計らい、影の中から隠されていたファイルを素早く手に取る。

篠原の端末が光り、暗号化されていたデータが次々と解読される。


八木が追跡者を封じ、黒幕の退路を断つ。

「もう逃げられないぞ。」


黒幕の影が大きく揺れ、歯をむき出しにして抵抗する。

しかし玲たちは冷静に連携し、決定的な証拠を押さえつつ黒幕の動きを封じる。


冴木が低く声をかける。

「影は消せても、証拠は消せない。」


黒幕は遂に力尽き、倉庫の床に膝をつく。

「く……これほどとは……」


玲は静かに前に進み、ファイルを確かめる。

「全ての真実はここにある。あなたの支配は終わりだ。」


倉庫の中、冷たい夜風が吹き抜け、影と闇は徐々に収束する。

玲たちは息をつきながらも、緊張の糸を緩めず、証拠と共に夜の街へと歩を進める。


玲の後日談


時間:午後三時 場所:探偵事務所


冷めかけたコーヒーを啜りながら、玲は机の上に整然と並べられたファイルに目を落とした。

どの一枚にも、今回の事件で辿った軌跡と、影のように忍び寄る黒幕の記録が刻まれている。


指先で紙を軽く弾くと、わずかな音が静かな室内に響いた。

その瞬間、玲の瞳がわずかに細まる。


「……影は消えた。だが、痕跡はまだ残っている。」


机の端には、未だ解読の余地を残した一枚の資料が置かれていた。

玲はそれを手に取り、静かにコーヒーを飲み干す。


窓の外では午後の光が傾き始め、長い影を事務所の床へと落としていた。


冴木涼の後日談(接触の暗示あり)


時間:午後七時 場所:高層ビル最上階のラウンジ


窓際の席に腰掛け、冴木涼は琥珀色のグラスを静かに傾けた。

眼下に広がる街の灯りは、彼の瞳に無数の影を映し出す。


氷が音を立てて沈むと、冴木は薄く笑みを浮かべた。

「……影は、消えることはない。形を変え、また現れる。」


彼の手元の小型端末には、未だ解析途中のデータが瞬き続けていた。

その最下段に浮かび上がるのは、見慣れた文字列——《玲探偵事務所》。


冴木はその表示をじっと見つめ、しばし沈黙した。

やがて低く呟く。

「次は……彼らに知らせてやるべきだな。影の向こう側を。」


グラスを置き、窓越しに夜景を見据える。

その横顔は、静かな諦観と確かな決意を滲ませていた。


篠原悠斗の後日談


時間:午後四時半 場所:解析室


暗い解析室のモニターだけが淡く光る中、篠原は静かにキーボードを叩き続けていた。

暗号化通信のログを一行ずつ再確認し、パケットの断片を慎重に組み替えては、微かな相関を探る。画面の隅に残るノイズの波形が、先に押さえたUSBのデータと重なる瞬間、彼の目がわずかに光った。


「消せるものなら、とっくに消しているはずだ」──そう自分に言い聞かせるように、篠原はログを保存し、改竄の痕跡を赤でマーキングしていく。

誰にも気づかれぬよう、しかし確実に証拠を繋げる。解析は根気の勝負だと彼は知っている。


最後に画面を眺めてから、篠原は息を吐き、データを暗号化して同期サーバへ送った。

「まだ、終わりじゃない――」彼の声は小さかったが、確かな決意を含んでいた。


秋津修司の後日談


時間:午後五時 場所:事務所奥の小さなモニタールーム


薄暗いモニタールームの空気は、使い古された紙と微かな煙草の匂いが混じっていた。

秋津は椅子に深く腰を沈め、足を組み、未点火の煙草を指先で弄びながら無言でモニターを眺めている。


画面には、先の事件で回収した通信履歴の断片が並び、規則性を持たないはずのパルス信号が、奇妙な間隔で浮かび上がっていた。

「……遊んでやがるな」彼が小さく吐き捨てる。


指に挟んだ煙草を口元へ運ぶが、火をつけることはない。代わりに視線を鋭く画面へ戻し、ログを拡大する。

そこには微かに、“別の意図を持つ者”が刻んだ符号が見え隠れしていた。


秋津はゆっくりと煙草を机に置き、唇の端に皮肉な笑みを浮かべた。

「次は……こっちから出向いてやるさ。」


彼の声は低く、しかし次の一手を決めた者の静かな自信に満ちていた。


八木真一の後日談


時間:午後六時 場所:警察庁資料室・監視映像解析室


無機質な白色灯の下、八木は無言で映し出された監視映像を見つめていた。

硬い椅子に腰掛け、腕を組みながら画面に視線を注ぐ。その瞳はわずかに細められ、眉間に深い皺が刻まれている。


映像は事件当夜のもの。既に何度も確認したはずの記録だが、八木は再生速度を変え、フレーム単位で映像を止めては巻き戻し、繰り返す。

やがて、ほとんど誰も気づかぬ一瞬の「影」の動きを見つけ、息を止めた。


「……やはり、残っていたか。」

低く呟く声が、冷えた室内に落ちる。


その影は、事件の黒幕が残した微かな痕跡。消えたはずの存在が、確かに画面の隅に焼き付いていた。


八木は腕を組んだまま椅子にもたれ、静かに目を閉じる。

「終わってはいない……次が来る。」


決して気を緩めぬその姿は、彼自身が新たな戦いへの覚悟を固めていることを物語っていた。


藤崎葵の後日談


時間:午前十一時 場所:国立美術館・地下保管庫


冷たい蛍光灯の光に照らされた保管庫の中、藤崎葵は白手袋をはめた手で、ガラスケースの鍵を一つひとつ確認していた。

彼女の表情は落ち着いているように見えたが、その瞳には緊張と責任の色が濃く宿っている。


「……二重施錠を徹底してください。監視システムの更新も、予定を前倒しで。」


職員に指示を飛ばす声は毅然としていた。事件の渦中で自らの判断の甘さを痛感した藤崎は、もう二度と同じ失態を繰り返すまいと心に誓っていた。


彼女の視線は、かつて“幻の作品”が収められていた空の展示棚へと向けられる。そこには今、何もない。

それでも藤崎の中には、確かな決意が芽生えていた。


――この美術館を守り抜く。たとえ「影」が再び忍び寄ろうとも。


彼女は静かに深呼吸し、スーツの裾を整えて立ち上がった。

副館長としての責務を背負いながら、次の波に備えるかのように。


社会的波紋


時間:午後八時 場所:全国ニュース放送スタジオ


ニュース速報の赤い文字が画面を埋め尽くし、アナウンサーの硬い声が静寂を切り裂いた。


「本日未明、連続失踪事件の黒幕とされる人物が逮捕されました。

捜査当局は、事件の背後に存在した組織的な隠蔽工作についても調査を進めており――」


スタジオの映像は切り替わり、現場を包囲する警察車両、押収された証拠品、そして拘束された人物の後ろ姿が流れる。

キャスターは淡々と事実を伝えながらも、その表情には緊張がにじんでいた。


「今回の事件は、単なる失踪事件ではなく、社会的に大きな影響を及ぼしています。

防犯システムの信頼性、監視機構の在り方、そして情報改ざんのリスク……。

専門家の間では、“影のように潜む脅威”への警鐘が鳴らされています。」


視聴者の多くは息を呑み、SNS上では瞬く間に議論が巻き起こった。

――正義は守られたのか。

――まだ潜んでいる影はないのか。

――真実を暴いた者たちは、次にどこへ向かうのか。


ニュース映像の片隅、逮捕現場の遠景に、ほんの一瞬だけ黒い影が揺らめいたように見えた。

それは偶然の光の加減か、あるいは――まだ終わらぬ物語の予兆かもしれなかった。

時間:翌日午前十時

場所:玲探偵事務所


玲がデスクで資料を整理していると、パソコンの受信音が静かに響いた。

画面を見ると、新着メールの通知。件名は簡潔に――


件名:「感謝」


玲は無言でメールを開く。文面には、解決した事件に関する簡潔な報告と感謝の言葉が綴られていた。



本文

玲探偵事務所 御中


このたびは、私の身に起きた不可解な出来事に迅速かつ的確に対応していただき、心より感謝申し上げます。

あなた方のおかげで、長らく胸に引っかかっていた不安が解消されました。


事件の全容を知り、ようやく安心して日常に戻ることができます。

玲探偵事務所の皆様の冷静かつ緻密な調査に、ただただ感服いたしました。


今後も、貴所の活躍を影ながら応援しております。

本当にありがとうございました。


——依頼人 K



玲はメールを閉じ、しばし静かに画面を見つめる。

篠原が横から覗き込み、軽く笑う。


「……ふん、無事解決か。やっぱり玲さん、最後はきっちり決めるな。」


秋津もソファから顔を上げ、肩をすくめる。

「こういう感謝のメールは、何度も読むといい気分になるもんだな。」


玲はコーヒーを一口すすり、窓の外を眺める。

街は静かで、事件の影はすでに過ぎ去ったかのように見えた。


しかし、彼の瞳にはわずかに光が残る。

「……次が来るのは時間の問題だろうな。」


事務所には、解決の安堵と、次への覚悟が静かに共存していた。

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