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82話 「黒傘死す ― 湾岸の影」

【玲探偵事務所側(味方)】

れい

探偵事務所リーダー。全体指揮と作戦立案。港ルート壊滅作戦の司令塔。

朱音あかね

事務所待機で情報整理とスケッチによる犯人特定補助。危険回避のため現場には出ない。



【影班(味方・現場行動)】

成瀬由宇なるせ ゆう

狙撃・監視担当。港ヤードでの相手行動を制限。

桐野詩乃きりの しの

痕跡消去・毒物処理担当。港荷物の確認と現場処理を担当。

安斎柾貴あんざい まさき

周辺警備・潜入ルート確保担当。対象の精神制圧に長ける。



【協力者(味方)】

•アキト

港監視システム解析、突入タイミング調整。敵の心理を利用した尋問も行う。

藤堂とうどう

報道局記者。作戦をリアルタイムで報道し、世論形成と情報の拡散を担当。



【敵側】

•ミナト

港ルートの黒幕。灯台倉庫を拠点に密輸・武器取引を統括。人脈リストと国外逃亡ルートを保持。

城戸透きど とおる

ミナトの側近。国内拠点の一部管理を担当。取り調べで国外ルートの情報を供述。

•中東のボス(仮称)

今回の背後にいる国外勢力の首領。直接姿を現さず、別カットで一瞬だけ描写。

【2025年・晩秋/玲探偵事務所 午後9時12分】


 雨に濡れた靴音が、古い木の階段を軋ませる。

 ドアが開き、ひとりの男が小さなキャリーバッグを引きずって入ってきた。

 アキト――元ルートマスター、潜入と変装の達人。

 今日から、この探偵事務所の一角に住むことになった。


 室内には、古いランプの光と、書類とコーヒーの匂いが漂っている。

 玲は机から顔を上げ、無言で視線を送った。

「邪魔しないよ。……必要なときだけ動く」

 アキトはそう言ってキャリーバッグを隅に置き、濡れたコートを脱ぐ。

 窓の外では、雨粒が街灯の光を滲ませ、遠くでサイレンが微かに鳴っていた。


 その音が消えるより早く、玲のパソコンが短く通知音を立てた。

 ディスプレイに浮かぶのは――差出人不明の一通のメール。

 件名にはただ、こう書かれていた。

「爆破予告」


 アキトの目が一瞬だけ鋭くなる。

 雨音の中、事務所の空気が静かに張り詰めていった。


【2025年・玲探偵事務所 午後9時16分】


 玲は画像を拡大し、細部を指先で追った。

「ビルの外灯が一部消えている……この時間にしては不自然だ」

「防犯カメラの死角を作ってるな」アキトが即座に言い、端末を開く。


 キーボードを叩く音が、雨の音をかき消すほど鋭く響く。

 画面には複数のモニターウィンドウが開き、ビル周辺の交通カメラ映像が次々と呼び出されていく。

「……いた」アキトが画面を指差す。

 そこには、ビル裏手の搬入口へと歩く黒いフードの人物が映っていた。

 時刻は午後8時57分。メールが届く直前の時間だ。


 玲は視線を別のモニターに移し、地図データを呼び出した。

「裏口は地下駐車場に繋がってる。あそこを使えば……」

「装置の搬入が可能だな」

 二人の声が低く重なり、次の瞬間には互いに必要な情報を同時に求めて動き出していた。


 外の雨脚はさらに強まり、窓ガラスを叩く。

 その音の向こうで、何かが静かに動き出している――そんな確信だけがあった。


【2025年・影班作戦車内 午後9時20分】


 暗闇の中、作戦車の通信機が短く鳴った。

 安斎が受話器を取ると、低く抑えた声が響く。

『俺だ。ランドマークビルに爆破予告が来た。港から物資が運び込まれている。確認と阻止を頼む』


 安斎の目が鋭く光る。

「了解した。港の積み出しルート、即時確認に入る」

 短く返事し、受話器を置くと、隣の由宇と詩乃に視線を送った。


「現場は市街地の中心だ。……準備は?」

「いつでも行ける」由宇が銃のマガジンを静かに差し込み、音を殺して装填する。

 詩乃は無言で暗色のマスクを整え、指先で小瓶を確認。淡い薬品の匂いが車内に漂った。


 運転席の男が軽く合図し、作戦車はエンジン音を低く唸らせながら発進。

 車体が夜の雨を切り裂き、街灯の途切れる郊外へ――

 次の瞬間、車は港方面へと静かに進路を取った。


【2025年・港・西埠頭 午後10時03分】


 霧のかかった港に、青い回転灯がぼんやりと揺れていた。

 波が岸壁を叩く音の中、湿った潮の匂いが漂う。


 パトカーの横では、海保の隊員たちが引き揚げられた担架を囲んでいる。

 毛布の下から覗くのは、黒い布――海水を滴らせる長傘の柄。

 その傘は、持ち主の異名を象徴するように静かに横たわっていた。


 港の作業員が低くつぶやく。

「……黒傘だ」

 その声に、周囲の空気が一段と重くなる。


 記録員が名前を確認する間、海面ではまだ小さな波紋が広がっていた。

 霧の向こうで、何かが見ているような気配だけが残っている。


【2025年・ランドマークビル前 午後10時28分】


 夜の摩天楼が、張り詰めた空気に包まれていた。

 赤と青の回転灯がガラスの壁面を断続的に照らし、光が不規則に揺れる。

 規制線の向こう側では、警官たちが無線で短くやり取りしながら、ビル内の避難完了を確認していた。


 報道クルーのカメラが、入り口を見据えている。

 そのレンズの奥、特殊装備の警備部隊が静かに突入の合図を待っていた。


 風が強まり、足元のテープがはためく。

 誰もが次の瞬間を予測できずに、呼吸を潜めていた。


【2025年・ランドマークビル45階 午後10時34分】


 廊下の奥、空調室の扉がわずかに開いていた。

 玲が手を挙げ、由宇が静かに前へ出る。

 部屋の中は機械の唸りと低い電子音だけが響き、壁際の配管が熱を帯びていた。


 中央のパイプに、黒い金属ケースがワイヤーで固定されている。

 ケースの表面で、小さな赤いランプが規則性のない点滅を繰り返していた。


 「……来たな」

 無線からアキトの声。

 彼は別ルート――警備が薄い非常階段を選び、屋上から45階へロープで降下してきていた。

 顔は作業員のヘルメットとマスクで覆われ、背中のツールバッグには解体器具と信号遮断装置が収まっている。


 ドアの影に身を潜め、廊下の監視カメラが動きを止めた瞬間、アキトはすり抜けるように室内へ滑り込む。

 「タイマーは……残り12分」

 低く呟き、彼の指先が金属ケースの留め具へと伸びていった。


【2025年・ランドマークビル45階 午後10時41分】


 詩乃の指先が最後のコードを挟み、呼吸を止める。

「……切るぞ」

 ぱちり、と刃が当たり、電子音が途絶えた。

 一瞬、空調室が異様な静けさに包まれる。

 由宇が肩で息をつき、玲は無言で腕時計を見た――残り7分。

 ケースを慎重に持ち上げ、アキトが信号遮断装置の中に収める。


「都市側は解除完了」

 玲が無線で短く告げた。



【2025年・港・西埠頭 午後10時41分】


 同じ時刻、港の作業ヤードに影班の作戦車が滑り込む。

 外灯の下、成瀬由宇が暗視ゴーグルを下ろし、積み荷コンテナを素早くスキャンした。

 詩乃がコンテナの封印を解くと、中にはビルで見つかったものと同型の金属ケースがいくつも並んでいる。

 安斎は封筒を取り出し、中の伝票をめくった。送り主は偽名、送り先は市内中心部――ランドマークビル。


「……完全に繋がったな」

 安斎は伝票をジャケットの内ポケットに入れ、振り返りざまに港の報道スペシャリスト・藤堂に目配せする。

 藤堂はすれ違いざま、その封筒を自然に受け取った。


【2025年・ランドマークビル前 午後10時55分】


 規制線の外、カメラと照明が一斉に向けられた。

 45階から降りてきた解除チームがビルの自動ドアを抜けると同時に、報道スペシャリスト・藤堂慎一がマイクを握る。

 ライトに照らされた横顔は微動だにせず、低く落ち着いた声が夜気に響いた。


「ただいま入った情報によりますと、ランドマークビルで発見された爆発物は無事解除されました。

 しかし、関係筋によれば――港の西埠頭で押収された積み荷との関連が浮上しています」


 カメラが藤堂の後方、規制線越しに並ぶ警官や救急隊員を映し出す。

 人波の向こうで、アキトが無線を耳に当て、小さく頷いた。



【2025年・港・西埠頭 午後10時55分】


 その頃、港ではフォークリフトの音と怒声が飛び交っていた。

 安斎が押収コンテナに封を貼り、由宇がその横で警戒を続ける。

 詩乃は港湾局職員を装い、搬出記録をひとつずつ押さえていく。

 藤堂の声がポータブルラジオから流れ、港の空気を一瞬だけ静めた。


「――港と都市。二つの現場で同時に押収された証拠は、同一ルートを通った可能性が高いということです」


 その声を聞きながら、安斎は小さく笑みを漏らした。

「これで、世間も動き出すな」


【同時刻・ランドマークビル裏手】


 影班の車に乗り込んだ玲は、無線を握ったまま短く告げた。

「港へ向かう。爆破はアキトと影班に任せる」

 由宇が頷き、詩乃は「了解」とだけ答える。

 車が動き出すと同時に、藤堂の報道がスピーカー越しに流れた。


「――解除された爆発物は、現在、警察の鑑識班により残骸の回収が進められています」



【同時刻・ランドマークビル45階・空調室】


 アキトは金属ケースの内部から慎重に部品を取り外し、防護ケースに収めた。

 鑑識員がそれを受け取り、封印シールを貼る。

 その様子が記録カメラに収められ、封印番号が無線で本部へ送信される。

 背後のモニターでは、藤堂のニュース映像が流れていた。



【同時刻・港・西埠頭】


 安斎は大型コンテナの扉を開き、内部の木箱をひとつずつ確認する。

 その中には爆弾の外装部品らしき金属フレームや、加工済みの電子基板が並んでいた。

 由宇が即座に写真を撮り、暗号化されたメッセージに添付して藤堂宛に送信する。

 詩乃は港湾局の記録簿を抜き取り、搬出予定だった荷の行き先をマーキングした。


 ――港と都市、それぞれの証拠が、見えない線で繋がりつつあった。


【2025年・港湾区域・西埠頭 午後11時18分】


 港の照明は冷たく白く、雨に濡れた岸壁を鈍く照らしていた。

 規制線の向こう、警察官と鑑識が集まり、波止場の隅では黒いシートが風に揺れている。

 その下に横たわっているのが、黒傘――港の裏社会を象徴する存在だった。


 玲は車を降りると、静かに報道陣の間を抜けた。

 カメラの赤いランプが点滅し、フラッシュが海霧を切る。

 その中に、先ほどランドマークビルで爆破事件を伝えていた報道スペシャリストの男がいた。

 マイクを持ったまま、スタッフの陰で次の中継の準備をしている。


 【2025年・港・西埠頭 午後11時02分】


 現場の騒然とした空気を縫うように、玲は警察関係者と報道陣の間を通り抜けた。

 カメラのライトが瞬くたび、海面の霧が白く揺らめく。


 すれ違いざま、藤堂のコートの袖口へ、玲は小さく折り畳んだメモを滑り込ませた。

 藤堂は顔色ひとつ変えず、そのままマイクを持った手でライトの方へ向き直る。


 メモには、ただ一行――


「殺人事件の可能性。港の裏を探れ」


 玲は立ち止まらず、港の奥へと足を進めた。

 背後で藤堂の落ち着いた声が、何事もなかったかのように夜の港に響く。


【2025年・港湾区域・西埠頭奥 午後11時32分】


 規制線から外れた薄暗い通路を、玲は一人で歩いていく。

 海霧が足元を這い、波止場の錆びた手すりが冷たく光る。

 人の気配はほとんどなく、聞こえるのは遠くのエンジン音と、海面を叩く波の音だけ。


 足元のコンクリートに、微かに残った濡れた靴跡が続いていた。

 つま先が外側に開く独特の歩き方――昼間、黒傘が歩いていた映像で見た特徴と一致する。


 足跡はやがて途切れ、そこには濡れた木箱が置かれていた。

 端には港の積荷コードが記されているが、文字の一部は黒く塗り潰されていた。


 玲は懐から小型ライトを取り出し、箱の隙間に光を差し込む。

 中には銀色のシートに包まれた金属部品――形状は都市で見つかった爆弾の残骸に酷似していた。


 「……やっぱり、繋がっている」

 呟きは霧に飲まれ、夜の波音に消えていった。


 【同時刻・ランドマークビル地下駐車場 午後11時32分】


 アキトは非常灯だけが点滅する薄暗い駐車場を進んでいた。

 床には雨水が溜まり、タイヤの跡が何本も交差している。

 その奥、配電盤脇に置かれた工具箱の中に、不自然に固定された黒い筒状の装置があった。


 「……こいつが二つ目か」

 しゃがみ込み、手袋越しに慎重に持ち上げる。金属の冷たさが掌を通して伝わった。


 後方で警備員が駆け寄ってくる。

 「危険物処理班を呼べ!」

 アキトは短く頷き、装置の外殻を開けて内部を確認する。


 中にはタイマーと複雑な配線が組まれており、先ほど解除した45階の装置と同一の構造を持っていた。

 爆薬の量、回路の配置……そして、基盤に刻まれた製造番号――それは、玲が港で見つけた金属部品と一致する。


 アキトはその場で写真を数枚撮り、すぐに玲へ送信した。

 画面に浮かぶ送信マークが、薄暗い駐車場で青く光った。


【2025年・港湾区域・西埠頭奥 午後11時41分】


 玲は岸壁沿いの倉庫に入り込んだ。

 半開きのシャッターから冷たい海風が吹き込み、埃と潮の匂いが混ざって鼻を刺す。

 中は暗く、壁際に積まれた木箱やドラム缶が、街灯の明かりを受けてぼんやりと浮かび上がっていた。


 足元に目をやると、古い木箱の破片の間に、金属製の小型パーツが転がっている。

 拾い上げると、そこには微細な刻印――数字とアルファベットの組み合わせ。

 「……一致だ」玲は低く呟いた。

 その番号は、アキトから送られてきた写真の爆破装置の基盤番号と完全に同じだった。


 玲はポケットから封筒を取り出し、その部品を入れると、外に待機していた港の巡回記者に手渡した。

 「藤堂に渡してくれ」

 記者は何も聞かず頷き、車に飛び乗る。



【同時刻・報道ステーション中継車内】


 藤堂の手元に封筒が置かれる。中の部品と添えられた短いメモを見た瞬間、彼の表情が変わった。

 「……繋がったな」



【2025年・特報ライブ 午後11時48分】


 《速報です》

 藤堂の落ち着いた声が、夜の街に流れた。

 「本日、市中心部で発見された二つの爆破装置。その製造番号が、港で押収された部品と一致したことが分かりました。これにより、港湾で発生した殺人事件と都市の爆破未遂事件が、同一の犯行グループによるものと断定されます」


 背後のモニターには、港の夜景とランドマークビルの映像が並べられ、一本の赤いラインで結ばれていく。

 街中のテレビ、スマートフォン、公共ビジョンにその映像が映し出され、二つの現場がひとつの事件として結び付けられた瞬間だった。


 【2025年・港湾区域・西埠頭奥 午後11時49分】


 玲は部品を封筒に入れ、港の巡回記者へ託すと、倉庫の外に出た。

 霧がさらに濃くなり、遠くのクレーンの灯りがぼやけて見える。

 足を止め、コートのポケットからスマートフォンを取り出す。

 画面の照明が暗闇に浮かび、指先が素早く文字を打ち込む。


 《港とビル、同じルートで繋がった》


 送信ボタンを押すと、すぐに既読がつき、アキトからの返信が一行だけ返ってきた。

 《了解。こっちも残骸確保完了》


 玲は小さく息をつき、再び港の奥へ視線を向けた。

 まだ終わりではない――そう告げるように、冷たい潮風が頬を撫でた。


【2025年・港湾区域・西埠頭入口 午前0時28分】


 雨は細くなったが、港の夜はまだ重く湿っていた。

 玲は影班の作戦車の横で由宇たちを待ち、到着した二人に簡潔に状況を説明する。


「倉庫の奥で見つけた部品、都市側で回収された残骸と一致する」

 由宇が小さく眉を上げ、詩乃は無言で頷いた。

「藤堂に渡す。世間に繋がりを出すのは今だ」


 玲は封筒を由宇に託し、無線で港の出口付近に待機している報道車の位置を確認した。

 夜風がひやりと頬を撫でる中、由宇は封筒をジャケットの内ポケットに滑り込ませ、静かに闇へ消えていった。



【同時刻・首都報道センター】


 スタジオの照明が一段と強まり、藤堂は原稿の束を机に置く。

 カメラの赤ランプが灯り、オンエアのサインが出る。


「速報です――港湾区域で押収された部品と、市街地で発見された爆破装置の残骸が一致しました」

 背後の大型モニターには港の倉庫とビルの外観が並び、一本の赤いラインで結ばれていく。

「二つの事件は、同一の物流ルートを経由していた可能性が高まっています」


 藤堂の落ち着いた声が、全国のテレビと端末へ同時に響き渡った。

 そのニュースは、港にも都市にも、同じ緊張を走らせることになる――。


 【同時刻・ランドマークビル前】


 アキトは搬入業者の制服を着込み、肩には工具ケースを抱えていた。

 警備員に軽く会釈しながら、通用口からビル内部へと足を踏み入れる。

 耳元のイヤピースから、低く落ち着いた玲の声が届いた。


 《こっちは港での搬出証拠を追う。お前は残りの装置を探せ》

 《了解。そっちも時間との勝負だ》


 アキトは答えると、廊下を奥へ進みながら天井カメラの死角を巧みにすり抜けていく。

 搬入カートの影に身を潜め、警備巡回の足音が遠ざかるのを待った。


  桟橋に出ると、海霧の向こうにカメラの赤いランプが瞬いた。

 報道スペシャリスト――藤堂が、取材クルーとともに封鎖線ぎりぎりを歩いている。

 マイクを握り、視線は現場の奥を射抜くように向けられていた。


 玲は何も言わずに藤堂の横を通り過ぎ、瞬間的に濡れた手を差し出した。

 その掌に、小さく折り畳んだメモを滑り込ませる。

 藤堂はカメラから死角になる角度でそれを受け取り、声色を変えずに足を止めずに歩き続けた。


 メモには一行――

 《都市の爆破と港の殺人は繋がっている。輸送ルートを追え》


 その意味を理解した瞬間、藤堂の瞳がわずかに鋭く光った。


【2025年・都心報道センター・ライブスタジオ 午前1時15分】


 カメラの赤いランプが灯る。

 報道スペシャリスト・藤堂は台本を見ず、視聴者へ真っ直ぐに目を向けた。

 背後の大型スクリーンには、港の映像と都市の高層ビル映像が並んで映し出されている。


「先ほど入った情報です。港湾区域西埠頭で発見された遺体と、市街地ランドマークビルでの爆破未遂事件――

 これら二つの現場の間に、共通する“輸送ルート”の存在が確認されました」


 藤堂は指先で机上の資料を軽く押さえ、わずかに間を置く。

「港から搬入された物資が、都心ビルへと運び込まれていた疑いがあります。

 これにより、これまで別個に捜査されていた二つの事件は、同一の組織による計画的な犯行である可能性が高まりました」


 スタジオの空気が硬くなり、スタッフの動きが一瞬止まる。

 藤堂は視線を外さず、最後の一文を淡々と告げた。


「この二つの線が、今夜、一本の真実に繋がろうとしています」


【2025年・都心報道センター・ライブスタジオ 午前2時08分】


 藤堂の背後の大型スクリーンに、港湾区域の夜景と高層ビルの映像が交互に切り替わる。

 カメラは彼の顔をアップで捉え、息を飲むような沈黙が数秒続いた。


「港湾区域・裏桟橋で、先ほど防水ケースに収められた“輸送記録”が押収されました」

 低く落ち着いた声が、視聴者の耳に食い込むように響く。

「一方、都心ランドマークビルからは、爆破装置の残骸が確保されています。

 この二つの証拠は――港から都心への密輸ルートと、その末端での破壊工作を直接結びつけるものです」


 藤堂は台本を見ず、視聴者の目を真っ直ぐに見据えた。

「二つの事件は、もはや偶然ではありません。

 港での“始まり”と、都心での“終わり”が、一つの計画として動いていた可能性が極めて高い。

 今夜、その全貌が暴かれようとしています」


【2025年・都心・ランドマークビル地下3階 午前2時05分】


 アキトの指先が配線の間を軽やかに滑った。電子回路の複雑な網目をひとつずつ丹念にたどる。


「……まだ生きてる回路がある。解除までのタイムリミットは15分だ」


 玲が冷静に頷き、無線越しに港側の由宇へ短く告げた。


「港も進んでいる。時間との勝負だ」


 アキトは自嘲するように微笑みを浮かべる。


「元ルートマスターなめんなよ。いざとなれば解除できる」


 時折、地下の換気音が低く響く中、アキトの手は迷いなく動き続けた。

 一方、遠く港の夜風が霧を運び、波音が僅かに聞こえる無線越しの声が、都市と港の二つの戦場を繋いでいた。


【2025年・報道センター・藤堂デスク 午前2時20分】


 藤堂の机上には、港から届いた輸送記録のコピーと、アキトから転送された爆破装置の制御チップの画像データが並んでいた。


 彼はそれぞれをじっと見つめながら、指で軽くテーブルを叩く。


「……これは大きな繋がりだ」


 画面の前で、速報用のコメント原稿を書きかけていたが、視線は途切れず新事実の断片を組み合わせていく。



【2025年・港湾区域・裏桟橋 午前2時22分】


 由宇が防水ケースから輸送記録を取り出し、デジタルスキャナーで読み込む。


 「このルート…ただの物流じゃない。ここに記された搬入日時が、都市の爆破装置の稼働時間と完全に一致する」


 詩乃が警戒しながら周囲を見渡す。


「つまり、爆破と殺人は同時進行で計画されている…」


 由宇は決意を込めて拳を握りしめた。



【2025年・都心・ランドマークビル地下3階 午前2時23分】


 アキトが配線を細心の注意で切断していく。


「制御チップの解析が間に合えば、解除も確実だ。時間がないが、ここが勝負所だな」


 玲が冷静にモニターを監視し、無線で港側と連絡を取り続ける。


「港も進展あり。情報を共有し続けろ」


【2025年・港湾区域・倉庫C-17 午前2時42分】


 影班の由宇、詩乃、安斎が静かに倉庫の中へ踏み込む。鉄の床が低く軋み、冷たい空気が身体を包んだ。


 未開封のコンテナが複数並ぶ中、由宇が鋭く目を光らせる。


「ここに爆弾が……しかも二つとも、都市で回収されたものと同型だ」


 詩乃がライトを照らし、部品の刻印を慎重に確認する。


「刻印は完全に一致。同じ製造元のものだ。これが港から都市へ運ばれていた証拠になる」


 安斎が周囲を警戒しつつ、証拠写真を撮る。



【2025年・都心報道センター・ライブスタジオ 午前2時45分】


 画面の向こうで藤堂が、緊迫した表情でカメラを見据えていた。


「今夜、港湾区域の倉庫で爆弾二つが発見されました。都市での爆破装置と同型のもので、両事件の関連がほぼ確定的となりました。情報は断片的ですが、専門家はこれを“連動したテロ計画”と分析しています。引き続き、最新情報をお伝えしていきます」


 スタジオの照明が一瞬だけ揺れ、緊張感が画面を通じて伝わる。


【2025年・報道センター・特別スタジオ 午前5時00分】


 夜明け前の薄暗い照明の中、藤堂のデスクには港と都市から集められた証拠の山が整然と広がっていた。


 輸送記録の原本、爆破装置の制御チップ、倉庫の監視カメラ映像のコピー――それぞれが、数時間前まで全く異なる場所にあった断片だった。


 部屋の隅で、まだ眠気の残るバイトの少年が控えめに声をかける。


「藤堂さん、いつも思うんですけど……どうやってそんな情報集めてるんですか? どこから仕入れてるんです?」


 藤堂はふと少年に目を向け、軽く笑みを浮かべて言った。


「秘密だよ、君にはまだ早い。報道ってのは、見えるものだけじゃないんだ。影の中にも真実がある――そういうことさ」


 その言葉には深い意味が込められていて、少年は問い詰めることをやめた。


 部屋の空気は再び張り詰め、藤堂は机に置かれた証拠に視線を戻す。


 【2025年・報道センター・特別スタジオ 午前5時02分】


 照明が一斉に灯り、スタジオ全体が白く浮かび上がる。

 機材のモーター音とともに、カメラがゆっくりと藤堂を正面に捉えた。


 彼は台本を手にせず、深夜から積み上げられた証拠品の横に座る。

 背後の大型スクリーンには、港の桟橋とランドマークビルの夜景が交互に映し出されていた。


「――港で見つかった輸送記録。そして、都心の高層ビルで発見された爆破装置の残骸。

 これらは、今朝未明にひとつの線で繋がりました」


 藤堂の低く落ち着いた声が、夜明け前の都市に向けて静かに響き始めた。


【2025年・報道センター・特別スタジオ 午前5時12分】


 ニュースは終盤に差しかかっていた。

 藤堂の背後の大型モニターには、夜明けの港と都市の全景が二分割で映し出されている。


 港側の映像――霧が薄れつつある桟橋で、影班のメンバーたちが封鎖された倉庫前に立ち、警備員と短く言葉を交わす姿。

 都市側の映像――アキトがフードを深くかぶり、撤収準備を終えた警察車両の脇をさりげなくすり抜けていく様子。


「異なる現場で集められた断片は、やがて同じ地図の上に並びます。

 港と都市、その境界線を越える輸送ルートが――事件の核心です」


 藤堂は一拍置き、視聴者の目を真っ直ぐに捉えた。

「続報は、午前七時のニュースで」


 画面の端で、夜がわずかに白み始めていた。


 【2025年・報道センター・特別スタジオ 午前5時13分】


 その時、カメラの外から白い厚紙のカンペが差し出された。

 藤堂は一瞬だけ視線を流し、そこに記された太字の一行を読む。


 ――「犯人名:久遠直哉」


 指先がわずかに紙端を押さえたまま、藤堂は表情を崩さない。

 数秒の沈黙の後、視聴者に向かってゆっくりと言葉を紡ぐ。


「新たに浮上した名前があります。しかし、この情報は現時点で公式には確認されていません」

 声の調子を変えずに、彼はカンペを脇へ置いた。

「それでも、捜査の焦点は確実に一人の人物へと絞られつつあります」


 背後のモニターには、夜明け前の港と都市が静かに映り続けていた。


 撤収する車両の列が途切れた瞬間、藤堂が小走りで近づいてきた。

 肩で息をしながらも、その目は真剣だった。


「アキト……さっきの名前、本当に確かか?」


 アキトはケーブル入りのバッグを肩に掛けたまま、視線を外さず答える。

「証拠は港と都市の両方から出てる。偶然じゃない」


 藤堂は一拍置き、低く呟いた。

「じゃあ――もう、隠せないな」


 その言葉の直後、東の空がわずかに白み始めていた。


【2025年・港・封鎖された倉庫前 午前5時25分】


 朝日が港の水面に反射して、金色の揺らめきがコンテナ群を照らしていた。

 詩乃は現場写真の最後の一枚を撮り終えると、由宇と目を合わせ、静かにうなずく。


「終わったな」


 しかし、その声音には安堵よりも警戒が滲んでいた。

 由宇も同じく周囲を一巡し、背後の海面を見やる。

 波の向こうから吹き込む潮風は、まだ冷たく、どこか不穏な匂いを運んでいた。


 港の奥、封鎖線の外では、報道陣が遠巻きにカメラを構えている。

 この静けさが、ほんの束の間であることを、二人ともわかっていた。


【2025年・都市・ランドマークビル屋上 午前5時25分】


 アキトはビル屋上の柵にもたれ、夜明け前の街を見下ろしていた。

 低く垂れ込めた雲の切れ間から、淡い光が少しずつ滲み出す。

 まだ眠りから覚めきらない都市は、遠くで時折パトカーのサイレンを響かせる以外、ひどく静かだった。


 風がビルの間を抜け、彼のコートの裾を翻す。

 背後では、爆破装置の最後の残骸が警察の回収車に積み込まれ、無機質なドア音と共に運び去られていく。

 地上では、黄色い規制テープがゆるやかに風に揺れ、現場の緊張感だけがまだ残っていた。


 アキトは煙草に火をつけ、深く吸い込む。

 焦げた金属の匂いがまだ鼻腔に残っており、それが昨夜の混乱を思い起こさせた。

 視線を下ろせば、あの瞬間を境に動き始めた“別の時計”の針が、胸の奥で静かに進んでいる気がした。


 ——全ては、これで終わったはずだ。

 だが、終わりの静けさは、どこか不自然だった。


【2025年・都市・ランドマークビル屋上 午前5時25分】


 アキトはビル屋上の柵にもたれ、夜明け前の街を見下ろしていた。

 低く垂れ込めた雲の切れ間から、東の空がゆっくりと色を変えていく。

 群青から薄橙へ、その境界線はまだ滲み、都市の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。


 風がコートの裾を翻し、背後の規制テープを揺らす。

 爆破装置の最後の残骸は、すでに警察の回収車に積まれ、無機質なドア音とともに運び去られていった。

 だが、焼け焦げた金属と油の匂いが、まだこの場所に居座っている。


「……終わった、と思うか?」

 背後から低い声がした。振り返ると、灰色のスーツを着た玲が立っていた。

 彼は煙草に火をつけず、ただ指先で転がしながら空を見上げている。


「終わりならいいがな」

 アキトは淡々と返し、視線を再び街に向ける。

 下では早朝のバスがゆっくりと交差点を抜けていく。その車窓から、まだ眠たげな子供が顔を押し付けて外を眺めていた。

 その無垢な視線が、この場所で交わされた一切を知らないことに、妙な安堵と虚しさを覚える。


「……夜が明ける」玲が呟いた。

 東の空がさらに明るさを増し、ビルの影が長く伸びていく。

 その光は、都市の隅に潜む影を暴くようで、同時に新しい影を作り出す。


 アキトは口の中で短く吐き捨てた。

「光が届かない場所なんて、いくらでもある」


 その言葉が冷たい風に消えた瞬間、彼の携帯が震えた。画面には「久遠直哉」の名前。

 短く通話を交わすと、アキトは柵から離れ、階段へ向かう。



【2025年・湾岸道路 午前6時02分】


 久遠直哉の黒いSUVが、朝の薄明の中を疾走していた。

 バックミラーには、港湾のクレーン群が小さく遠ざかっていく。

 ハンドルを握る手は汗で湿っていた。

 助手席にはアキトが座り、窓の外に流れる水面と貨物船を黙って見つめている。


【2025年・港・臨時指揮車両 午前6時08分】


 影班の安斎は、モニターに映るドローンの俯瞰映像からSUVの位置を確認していた。

 湾岸道路の灰色の舗装が、朝の湿った光を鈍く反射する。

 目標の車両は一定の速度で南へ進んでいるが、その軌道はわずかに蛇行している。


「……目標、湾岸道路南ルート。出口は二つ、北は警察封鎖、南は我々が抑える」

 安斎の低い声が指揮車両の中を満たす。


 詩乃がモニターに目を走らせ、端末の地図上で赤い円を二度、素早くタップした。

 その指先は無駄がなく、視線はまるで獲物の動きを読む鷹のように鋭い。


「由宇、タイヤを撃ち抜け」

 短く、しかし迷いのない指示が無線を通る。


 受信音の後、由宇の声が返る。

「了解。南出口手前で待機中」


 詩乃は背後の装備ラックから長距離用のスナイパーライフルを確認し、照準データを由宇に送信する。

 その間も安斎は視線を逸らさず、SUVの微細な挙動を読み取っていた。


「……妙だな。加速が不自然に鈍い」

 彼の言葉に詩乃が眉をひそめる。

「つまり?」

「向こうも、こちらを察知している可能性がある」


 次の瞬間、モニターの映像でSUVが急ハンドルを切り、港湾倉庫群の細い側道へと滑り込んだ。


【2025年・湾岸道路 午前6時04分】


 黒いSUVは南出口を目前に減速したかと思うと、突然ハンドルを切り、港湾倉庫群の細い側道へと飛び込んだ。

 アスファルトからコンクリート舗装に変わる振動が車内を揺らす。

 直哉は舌打ちしながらギアを落とし、狭い通路を縫うように加速する。


 その頃、南出口の高台に伏せていた由宇は、スコープ越しにSUVの姿を見失っていた。

「……ルート変更。港湾倉庫の方へ回った」

 詩乃の無線が耳元で短く響く。

「了解。位置を変える」



【2025年・港湾倉庫群 午前6時06分】


 朝靄の中、積み上げられたコンテナの間をSUVが疾走する。

 狭い通路では速度を出し切れず、直哉はバックミラーで後方を確認した。

 ――二台。影班の車両が距離を詰めてきている。


 右手の高架足場に影が動く。

 その瞬間、乾いた破裂音が響き、SUVの右前タイヤが大きくはじけ飛んだ。

 由宇の狙撃だ。


 車体は制御を失い、斜めに滑り込むようにコンテナの壁へ激突。

 火花が散り、運転席の直哉は衝撃で体を前に投げ出された。

 助手席のアキトは即座にドアを蹴り開け、拳銃を抜いて車外へ。


 倉庫群の奥から、安斎が率いる影班の二人が現れる。

 アキトは短く息を吐き、両手を挙げる――だが、その表情は微動だにしない。



【2025年・都市・玲探偵事務所 午前6時10分】


 無線越しに港側の状況を聞いていた玲が、椅子から立ち上がった。

「港側が捕まえた……全員、署へ向かうぞ」


 机の端に置かれた黒いジャケットを手に取り、アキトは無言で袖を通す。

 腰には、本物そっくりの警察証が差し込まれた。

 そのままドアに向かいながら、ふと窓の外を一瞥する。

 夜明けの光がビルの谷間を満たし、さっきまでの戦場を遠く、現実感のない風景に変えていた。


【2025年・湾岸道路・事故現場 午前6時16分】


 久遠直哉は運転席から引きずり出され、冷たいアスファルトに膝をついた。

 背中で縛られた両手に結束バンドが食い込み、息が乱れる。


 影班の三人――安斎、詩乃、由宇――は無言で立ち、視線を周囲に巡らせていた。

 港湾の朝靄が低く垂れ込み、遠くで貨物船の汽笛が鈍く響く。

 由宇はスコープを畳み、詩乃は血の跡がないか路面を確認している。安斎は直哉の顔を覗き込み、冷たく言った。

「……お前が口を開くまで、ここで何時間でも立たせることはできる」


 その時、低いエンジン音と共に一台の警察車両が現場に滑り込んだ。

 ドアが開き、制服警官が二人降りてくる。

 一人は無言で直哉の身柄を引き取り、もう一人は車外で影班と短く視線を交わした。

 何も言葉は交わさなかったが、その目の奥に何かしらの了解が走った。


 その少し後、アキトも車から降ろされ、手錠をかけられた。

 彼は抵抗せず、ただ静かに夜明けの空を見上げていた。



【2025年・警察署・取調室 午前7時02分】


 金属製のテーブルを挟み、アキトと刑事が向かい合う。

 壁の時計の針が、やけに大きな音で刻む。

「なぜ逃げた?」刑事が低く問う。

「逃げてない」アキトは淡々と答える。

「じゃあ、なぜ現場にいた」

「……通りがかっただけだ」


 無表情のまま交わされるやり取りの中で、刑事の質問は核心に近づくようで、しかし一歩手前で止まる。

 アキトの視線は時折、壁の隅に取り付けられた監視カメラに向けられていた。

 まるで、その向こうにいる誰かへ合図を送るかのように。


 取調室の外側、モニタールームで映像を見ていた玲が、小さく笑った。

「……予定通りだ。あとはこっちで動く」


 その言葉を聞いた奈々が眉を上げる。

「やっぱり、最初から捕まるつもりだったんですか」

「そうしなきゃ、会えない相手がいる」玲の目が細くなる。

 画面の中のアキトは、椅子にもたれたまま、微かに唇を動かした。――それは「準備完了」という無声の言葉だった。


【2025年・中央署・取調室 午前6時42分】


 金属のテーブルに肘をつき、アキトは指先でゆっくりとリズムを刻んでいた。

 無言のまま、壁の時計の秒針だけが乾いた音を響かせる。

 扉の向こうで鍵が回る音。


 重い扉が開き、背の高い男が入ってきた。

 グレーの囚人服、両手は前で軽く拘束されている。

 短く刈られた髪と、目尻にかすかに残る古い切り傷。

 その視線は真っ直ぐアキトを捉え、わずかに笑みを浮かべた。


 刑事が簡単な紹介だけをして、外へ出ていく。

 二人きりになった取調室に、低く落ち着いた声が響いた。

「……ようやく会えたな」


 アキトは笑いもせず、ただ目を細めた。

「お前の口から聞きたいことがある」


 男は椅子に腰を下ろし、わざと大きく背もたれに寄りかかる。

「警察経由で呼び出すなんて、面倒な真似を……。相変わらずだな」

 その言葉に、アキトはわずかに口角を上げた。


 取調室の外側、モニター室では玲と影班が映像を見つめていた。

 安斎が低くつぶやく。

「……本当にわざと捕まったんだな」

 玲はモニターから目を離さず、小さく頷いた。


【2025年・中央署・地下取調室前 午前6時45分】


 厚い鉄扉の前に立つ二人の警官が、無言で敬礼し、通路の端に下がる。

 玲は手にしたバインダーを軽く閉じ、安斎へ視線を送った。

「……中は任せる。こっちは監視を続ける」

 安斎は短く頷き、由宇と詩乃は黙って壁際に移動する。


 扉の中――。


 蛍光灯の白い光が、二人の顔を等しく照らしていた。

 アキトは背筋を伸ばし、男の目をまっすぐ見据える。

「単刀直入に聞く。お前が持ってる“あの件”の情報……今、誰が握ってる?」


 男は笑みを浮かべたまま、テーブルの縁を指先でなぞる。

「質問の仕方は相変わらずだ。だが……お前も知ってるはずだろう? これは口に出した瞬間、全員が動く話だ」


 アキトの目がわずかに鋭くなる。

「動く連中の顔ぶれも、だいたい予想はつく。だが確認が必要なんだ」


 男は肩をすくめ、天井の監視カメラに一瞬だけ視線を向けた。

「ここじゃ話せない。……いや、話さない方がいい。お前の仲間にも聞かせられない」


 外のモニター室で映像を見ていた玲が、眉をひそめる。

「……わざと煙に巻いてるな。何を守ってる?」

 安斎は腕を組み、画面の中のアキトの表情をじっと見つめていた。


 取調室では、アキトがゆっくりと椅子から身を乗り出す。

「なら――ここから出してやる。条件は一つ、全部俺に話せ」


 男は口元に小さな笑みを戻し、低く言った。

「その言葉、信じていいんだな?」


【2025年・中央署・地下取調室 午前6時48分】


 男は椅子の背にもたれ、口元に余裕の笑みを浮かべていた。

「取引だ。お前が俺をここから出すなら……“荷”の在処を教えてやる」


 アキトは片眉をわずかに上げる。

「荷?」


 男は指先で机をとんとんと叩く。

「港の倉庫群のどこかにある。俺の仲間しか知らない位置だ。中身は――まあ、知ってしまえば誰もが黙っていられない類のもんだ」


 外のモニター室で映像を見ていた玲が、低く呟く。

「……自分が生き延びるための切り札ってわけか」


 アキトは無言で男を見つめる。

 数秒の沈黙の後、低く言った。

「じゃあ試してみよう。お前の荷、俺たちが先に見つけられるかどうか」


 男の目が細くなる。

「それは無理だ。場所も仕掛けも、お前らの足じゃ間に合わな――」


 その瞬間、アキトの腰の無線が小さく鳴った。

『こちら玲。港の“荷”……影班がすでに押さえた。』


 取調室の空気が変わる。

 男の笑みが、ほんの一瞬だけ硬直した。

 アキトは口元をわずかに歪める。

「さて……取引条件が一つ減ったな」



【2025年・玲探偵事務所 午前9時12分】


 玄関チャイムが鳴く。

 玲がドアを開けると、濡れた防水ケースを抱えた由宇が立っていた。

「港の“荷”……もう押さえた」


 短く告げ、ケースを机の上に置く。

 外側には塩水の染みがまだ残っている。

 玲は表面のロックを確認し、無線に向かって冷静に言った。

『こちら玲。“荷”は確保済み。アキト、そっちはどうだ?』


【2025年・中央署・地下取調室 午前6時50分】


 無線からの報告を聞き終えたアキトは、ゆっくりと腰を沈め、指先で机を軽く叩いた。

「港の荷は押さえた。じゃあ……残るは口しかないな」


 男は鼻で笑い、わざと視線を逸らす。

「俺が黙れば、お前らは何も掴めない」


 アキトは片手を組んで顎を乗せ、静かに言う。

「そうか? お前の仲間は荷を守れなかった。それに、この状況で黙るのは、自分だけの首を絞める行為だ」


 男の指先が、机の縁をかすかに叩く。

 それは、初めて見せた小さな焦りの兆候だった。


「……ふん。聞きたいのは、誰が指示したか、だろう」

 アキトは黙って頷く。


 男はしばらく目を閉じ、やがて低く呟いた。

「――“ミナト”。表の顔はただの貿易業者だが、裏では……」


 その言葉を最後まで言わせないように、アキトは目だけで外の玲を見た。

 玲は頷き、モニター室からすぐに行動班へ指示を飛ばす。



【2025年・報道局・藤堂の編集室 午後2時17分】


 窓際から差し込む午後の陽光が、防水ケースの金属を鈍く反射していた。

 玲は無言でロックを外し、蓋を開ける。

 中には、塩水を含んだ梱包材と、精密な爆弾部品が整然と収まっていた。


 藤堂は椅子から立ち上がり、一つ一つを手袋越しに確認する。

「……間違いない。これ、港の事件で使われたのと同じ型だ」


 玲は短く息をつき、視線を藤堂に向ける。

「こいつをどう扱うかは、あんたの報道次第だ」


 藤堂は唇を引き結び、うなずいた。

「なら……徹底的に、真実を出そうじゃないか」


【2025年・警察署・取り調べ室 午後2時25分】


 冷たい蛍光灯の下、男の顔色は午前中よりも明らかに悪くなっていた。

 机の上には、彼の身元を裏付ける数枚の書類と、押収された携帯端末。


 藤堂が持ち込んだ映像記録を見せつけられ、男は視線を逸らした。

「……お前、本名は“城戸 透”だな。港の非合法荷役を仕切っていた、元運送会社幹部」

 玲の声は、低く、逃げ場を塞ぐように響く。


 城戸は苦く笑った。

「ミナトの名前が出た時点で、俺の行き場はなくなったよ……あいつは、裏の人脈を全部握ってる」


 アキトが腕を組む。

「拠点はどこだ?」


 城戸は一瞬ためらい、やがて観念したように答えた。

「湾岸第七ターミナルの近くに“灯台倉庫”って呼ばれる場所がある。表向きは解体待ちの建物だが、中は……あいつの事務所だ」


 玲はすぐに無線を取り、影班へ指示を送る。

『目標、湾岸第七ターミナル南側“灯台倉庫”。内部の構造は不明、警戒レベルを最大に』


 無線越しに詩乃の声が返る。

『了解。現場に向かう』



【2025年・湾岸地区・第七ターミナル周辺 午後3時02分】


 午後の陽射しに照らされ、錆びた外壁と消えかけたペンキ文字が、倉庫の古さを物語っていた。

 影班の安斎が双眼鏡を下ろし、短く報告する。

「出入りは少ないが、港湾作業員の格好をした見張りが三人。背後の通用口に車が一台」


 由宇は静かに銃のスコープを覗き、呼吸を整える。

「……あいつら、本物の作業員じゃないな。腰の動きが違う」


 詩乃は足元の地図を折り畳み、玲へ無線を飛ばす。

『ターゲット確認。接近は二手に分ける』


 その頃、中央署の取り調べ室では――

 城戸がまだ口を開いていた。

「ミナトは、金と情報の両方で人を縛る。俺もその一人だった……あいつの手帳を押さえれば、全部の繋がりが出る」


【2025年・都市外縁・湾岸第七ターミナル南側 午後6時41分】


 海からの風が、錆びたフェンスを鳴らしていた。

 影班の三人は、灯台倉庫の影に身を潜め、最後の無線確認を行う。


『突入は二分後。東側通用口は安斎が確保、西側は由宇と詩乃が同時進入』

 玲の声は静かだが、一切の迷いを含まない。


 詩乃が手首の時計を見て短く答える。

『了解』

 由宇はスコープを覗きながら、出入り口付近の二人の見張りに赤いレーザードットを合わせた。


 安斎が低く呟く。

「……内部に四、奥にもう一つ影がある」


 その「影」は、倉庫のガラス窓越しに立ち、港の夜景を背にしていた。

 黒いスーツ、整えられた短髪、光を反射する銀縁の眼鏡。

 手にした葉巻の煙が、わずかな光を受けて白く揺らめく――ミナトだった。



【2025年・都市外縁・湾岸第七ターミナル南側灯台倉庫 午後6時48分】


 突入の合図と同時に、影班が一斉に動いた。

 西側扉が蹴破られ、詩乃が煙幕を投げる。

 濃い煙が視界を奪い、敵の銃口が左右にぶれる。

 由宇は無音で影のように進み、スコープ越しに次々と武器を撃ち落とす。


 東側から安斎が侵入、足音を殺しつつ奥の暗がりへ回り込む。

 そこから黒いスーツの男――ミナトが煙の向こうを振り返り、鋭い視線を送った瞬間、

 安斎の手が閃き、その腕を後ろへとねじり上げる。


 ミナトは苦痛に顔を歪めながらも、わずかに笑った。

「……お前ら、俺の手帳を探してるんだろ?」


 その言葉に、玲の声が無線越しに響く。

『押収優先。詩乃、二階奥の金庫を確認しろ』


 詩乃がうなずき、煙の中を消えていった。


【2025年・都市外縁・湾岸第七ターミナル南側灯台倉庫・二階奥 午後6時52分】


 詩乃は階段を駆け上がり、薄暗い廊下を進んだ。

 一つ目の部屋――古びた事務机と散乱した帳簿だけ。

 無線が耳元で鳴る。

『目標は二部屋目、奥の左』

 玲の声は冷静そのもの。


 扉を開けると、そこはほぼ空の倉庫室。中央に黒い鉄製の金庫が鎮座していた。

 詩乃は腰のポーチからツールを取り出し、素早くダイヤルを回す。

 カチリ、と金属が解放される音。


 扉を開くと、中から耐水ファイルに綴じられた分厚い書類が現れた。

 表紙には、黒字でこう記されていた。

「港湾連絡網 — 水城みずき みなと


 詩乃は即座にそれをバッグに収め、無線で告げる。

『玲、確保。ミナトの本名も判明した』

 階下で押さえられている黒スーツの男が、かすかに顔を歪めた。



【2025年・警察署・取り調べ室 午後7時22分】


 城戸透は机上のファイルを凝視していた。

 その中には、港湾関係者・運送会社・複数の政治家の名と金の流れ――そしてミナト、水城湊の顔写真が並んでいる。

 城戸の喉がひくつき、笑みとも苦悶ともつかない表情が浮かんだ。


「……やっぱり、全部あの男が仕組んでたのか」


 アキトが椅子の背にもたれ、低く返す。

「なら、次は口で証明しろ」


 蛍光灯の白光が、城戸の額に浮かぶ汗を際立たせた。


【2025年・警察署・取り調べ室 午後7時25分】


 城戸透はページをめくる指先を震わせながら、低く吐き出すように言った。


「……湊は、港湾を使って物資を動かしてる。

 表向きは中古車の輸出業者だが、本当は“荷”のほとんどが別口だ。

 行き先は……東南アジア。そこから、さらに西へ」


 アキトが身を乗り出す。

「西……中東か」


 城戸は視線を落とし、続けた。

「湊の背後には“もう一人”いる。顔も名前も知らないが、湊がその人物を“客”と呼ぶ時は必ず敬語だった。

 金の動きは湊が仕切っていたが……最終判断は全部、その客だ」


 玲がファイルをめくり、あるページで指を止める。

「国外ルートに使われている船舶、すべて同じ保険会社の契約だな」


 安斎が無線で外の影班に指示を飛ばす。

『詩乃、由宇、港湾保険のデータを洗え。国外ルートの現行便を止める』


 蛍光灯の下で、城戸はわずかに笑った。

「……あんたら、本気であの客を追うつもりか? 生きて帰れる保証はないぜ」


 アキトは無表情で立ち上がり、ドアへ向かった。

「保証なんて、最初から求めてない」


【2025年・報道局・藤堂のスタジオ 午後8時05分】


 藤堂は原稿を置き、カメラにまっすぐ視線を向けた。

「――現在、港湾第七ターミナルにて、国外へ逃走を試みた貨物船に対し、警察特殊部隊“影班”が急襲を開始しています」


 スタジオの背後モニターが切り替わる。

 ヘリからの中継映像――波止場に停泊する巨大な貨物船。

 甲板を駆ける黒装束の影班。桐野詩乃が煙幕を投げ、成瀬由宇が武器を狙撃で無力化。安斎柾貴が船内に突入し、抵抗する男たちを次々と制圧していく。


 藤堂の声が重なる。

「警察は、この逃走劇の背後に、中東を拠点とする国際犯罪組織の首領が存在することを突き止めました」


 画面が一瞬だけ切り替わる。

 中東の砂漠都市。高層ホテルの最上階、カーテンの隙間から港の方向を見下ろす壮年の男――鋭い目をしたその人物こそが、真の黒幕だった。


 再びスタジオ映像に戻る。

「同時に、本日夜、警察庁国際捜査課のエリートスペシャリストが現地へ急派されます」



【2025年・中東某国・港湾地区 現地時間 午前5時20分】


 まだ夜明け前の港。

 影班と現地警察の合同部隊が、黒幕のアジトを急襲する。

 逃走を図った男は、安斎の腕にねじ伏せられ、現地警察に手渡された。

 手錠を掛けられたままの黒幕は、薄く笑みを浮かべ、砂嵐の中へと連れ去られていく。



【2025年・成田空港 午後3時15分】


 帰国ゲートから現れる黒いスーツの男――エリートスペシャリストは、取材陣のフラッシュを無言で通り抜けた。

 その背後には、影班と玲が立っている。

 事件は終わった。しかし、彼らの表情には、まだ何かを追い続ける者の影があった。


【2025年・玲探偵事務所 午後9時14分】


 港と都市、それぞれで戦ったメンバーが、久々に一堂に会した。

 テーブルの中央には湯気の立つコーヒー、そして一枚の新聞。

 見出しには――


「港と都市、二つの影を繋ぐ黒幕逮捕」


 玲が記事を読み上げながら、低くつぶやく。

「……中東ルートは潰した。だが」


 彼の視線は、新聞の下に置かれた別の資料に移った。

 そこには、国内の地図と赤いピンが三つ――港とは無関係な内陸の都市に集中している。


 奈々が眉をひそめる。

「これ、まだ動いてるの……?」


 安斎が新聞を畳み、短く答えた。

「奴らは海外だけじゃない。国内にも、“別の道”を持ってる」


 重い沈黙の中、朱音が窓の外を見上げた。

 夜空の雲が切れ、月が覗く。

 その光は、まるで次に迫る影を告げているかのようだった。


【2025年・玲探偵事務所 午後9時28分】


 湯気の立つコーヒーの香りが、張り詰めていた空気をわずかに和らげていた。

 机の中央には大判の地図が広げられ、赤いピンが三か所に刺さっている。


「――港は塞いだ。だが、国内に残っている別ルートはまだ三つ」

 玲の低い声に、影班の三人が身を乗り出す。


 玲が最初のピンを指で叩く。

「北東都市・羽津。工業地帯の地下燃料庫跡が密輸の一時保管に使われている。旧軍施設を地元警察が黙認している可能性が高い」


 次に中央のピン。

「中央都市・藤江。高速と国道の交差する物流のハブだ。倉庫会社の名義貸しや、コンテナ番号の偽装――“貨物影消し”が横行している」


 最後に西端のピンを押さえる。

「西端都市・津羅。古い漁港を改造した水上倉庫群があり、小型船で国外へ直行できる。合法輸出に偽装して密輸を国外へ流している最終出口だ」


 詩乃が地図を見つめたまま低くつぶやく。

「つまり、港を潰しても……蛇の頭はまだ三つ、か」


 玲は短く頷く。

「順番を間違えれば、逃げられる。まずは――」


 その瞬間、外から救急車のサイレンが遠く響き、全員が視線を上げた。

 国内ルートへの戦いが、もう始まっている。


【2025年・玲探偵事務所・作戦室 午後9時35分】


 白い蛍光灯に照らされた地図の前で、玲と影班の三人が次の手を検討していた。

 壁際には港で押収された荷物と、解析中の資料が山積みになっている。


「羽津から潰すべきだと思う」詩乃が地図上の北東を指差す。

「燃料庫跡は閉鎖されて久しい。逆に人の出入りが目立つはず」


「いや、津羅を先に押さえるべきだ」安斎が腕を組む。

「最終出口を塞げば、残りの二都市は物を動かせなくなる」


 意見が分かれた瞬間、ドアがノックもなく開いた。

 アキトが無言で入ってくる。手には封筒がひとつ。


「……何の用だ?」玲が眉を上げる。


「これが、港の爆破装置に使われてた“最後の牙”だ」

 アキトは封筒を机に置き、椅子を引いて勝手に座る。

「俺も混ぜてくれ。三都市のうち、どこから潰すか――俺にも考えがある」


 由宇が警戒の目を向けたが、玲はしばしアキトを見つめ、低く言った。

「……いいだろう。ただし、俺たちのやり方に従え」


 アキトは片方の口角を上げ、地図に視線を落とす。

「羽津でも津羅でもない。最初に行くべきは――藤江だ」


 その言葉に、室内の空気が一瞬止まった。


【2025年・報道局屋上 午後7時48分】


 ニュースを終えた藤堂は、夜景を見下ろしていた。

 港のクレーン群が闇に沈み、街の光が遠くまで滲んでいる。


 手すりの上に置かれた一枚のメモには、達筆な文字でこう記されていた。

 ――黒傘は死んだが、港の闇はまだ残る。


 藤堂はその紙をポケットに入れ、深く息を吸った。

「……次は、何を伝えるべきか」

 夜風がスーツの裾を揺らす。彼の眼差しは、都市の南西――藤江港へ向けられていた。



【2025年・玲探偵事務所・作戦室 午後9時35分】


 白い蛍光灯の下、壁一面の地図には三都市の赤いマーカーが光っていた。

 詩乃は羽津を、安斎は津羅を指し、それぞれ理由を述べる。

 だが、アキトが机に封筒を置き、低く口を開いた。


「藤江からだ」


 その一言で室内が静まり返る。

 アキトは視線を地図に落とし、淡々と続けた。


「藤江は表向き漁業港だが、実際は小型貨物の積み替え拠点だ。

 大型港湾より監視が薄く、検査も形だけ。ここを抑えれば、国内の細いルートを一気に塞げる」


 玲が頷きかけたその時、ドアが開いた。

 入ってきたのは藤堂だった。


「話は聞いた。……報道の俺を使え」

 藤堂は懐から例のメモを取り出し、机に置く。

「奴らが一番嫌うのは、名前と手口を世間に晒されることだ。

 お前らが動く間、俺が世論を動かす」


 玲は短く笑い、全員を見渡す。

「いいだろう。藤江ルートの封鎖――これが国内ルート編の第一手だ」


【2025年・玲探偵事務所 午後10時16分】


 玲はソファに腰掛け、窓の外に広がる夜景をじっと見ていた。

 机の上には、港から届いた小さな錆びた鍵が置かれている。

 朱音がそっと近づき、カップを置いた。


「これ、港の倉庫のだよね……もう、使われないよね?」

 玲は短くうなずき、コーヒーを一口飲む。


 カップを置く音と同時に、作戦室のドアが開き、全員が集まった。

 壁の地図には藤江港と周辺ルートがマークされている。


「これからの動きだ」

 玲は低く、しかしはっきりとした声で指示を出し始めた。


「由宇と詩乃は港の積み替えヤードへ。貨物の出入りを監視し、怪しいコンテナがあれば即通報」

「安斎は周辺の警備と潜入経路の確保。万が一、現場が動いたら中に入って抑えろ」

「アキトは港のセンサーと監視カメラの死角を洗え。藤堂とは逐一連絡を取って、報道のタイミングを合わせる」


 玲は朱音に視線を向ける。

「朱音、お前はここで待機だ。危険すぎる」

「……でも、何かできることは?」

「ある。現場からの写真と情報を元に、スケッチを描け。奴らの顔や特徴を一目で分かるようにしてくれ」


 朱音は小さく頷き、スケッチブックを胸に抱きしめた。


 玲は全員を見渡し、最後に短く告げた。

「藤江ルートは必ず潰す。――全員、動け」

「「了解」」

【2025年・玲探偵事務所 午後11時03分】


 静まり返った事務所に、短い電子音が響いた。

 玲のノートPCに、新着メールの通知。

 送信者欄には――「Minato」。


件名:まだ終わりじゃない

本文:

玲。

港は諦めたが、道はひとつじゃない。

三つの都市、それぞれに“鍵”を置いた。

君が動くなら、きっとまた会えるだろう。

だが次は、君の方が追われる番だ。


M


 玲は画面を閉じ、深く息を吐いた。

 朱音が不安げに見つめる中、影班の三人が無言で視線を交わす。

「……次の作戦だ。三都市のルートを洗う」

 低く告げる玲の声に、部屋の空気が一気に張り詰めた。

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