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82話 黒傘の航路(ルート)― Route of Black Umbrella ―

登場人物紹介


れい


冷静沈着な調査の要。

警察・影班・報道、すべてを俯瞰しながら動く実務の指揮者。

感情を表に出すことは少ないが、誰よりも「真実が正しく残ること」にこだわる。

港で拾った錆びた鍵は、事件以上に彼女の中に引っかかり続けている。



アキト


潜入・爆弾解除・物流経路把握を担うスペシャリスト。

変装と現場対応能力に長け、「ルートマスター」と呼ばれる裏の顔を持つ。

軽口を叩くが、仕事の精度は異常なほど高い。

去り際に残す一言が、相手の心に深く突き刺さるタイプ。



由宇ゆう


影班の実働担当。

無駄のない動きと静かな判断力で、現場を確実に制圧する。

口数は少ないが、玲やアキトとの信頼関係は厚い。

後日談の港で、彼はもう一度「日常」に戻るための呼吸をしている。



詩乃しの


毒物・爆発物処理、記録回収を担う影班の専門家。

冷静で理知的、感情を挟まない判断が武器。

港湾職員、作業員などの変装も自然で、裏方の仕事を完璧にこなす。

最後の写真を撮り終えた朝、彼女は静かに事件の終わりを受け入れた。



安斎あんざい


影班の制圧・指揮担当。

現場では強引とも取れる判断を下すが、その裏には緻密な計算がある。

部下からの信頼は厚く、撤退の判断が最も早い男。

港の夜明けを見つめながら、「終わらせる役」を引き受け続ける。



藤堂とうどう


報道スペシャリスト。

事実を事実として世に出すことに徹する、稀有な報道マン。

感情を煽らず、言葉の重さだけで世論を動かす。

スタジオに一人残る夜、彼はまだ“出していない真実”と向き合っている。



久遠直哉くおん なおや


事件の実行と逃走を担った男。

物流と都市の隙間を熟知していたが、最後はその「ルート」に裏切られた。

取調室で俯く姿は、港の闇が終わった証でもある。



黒傘


港の裏社会を象徴する存在。

名前であり、記号であり、恐怖そのもの。

死によって事件は終わったが、その影は完全には消えていない。



〆の一文(作品全体の余韻として)


港は今日も動き、都市は光り続ける。

だが、その裏で交差した無数の“航路”を知る者たちは、

もう二度と、同じ景色を同じ目では見られない。


――物語は、まだ続いている。

なるほど、では舞台は港ではなく、20年前の事件とも直接関係のない現代・2025年に設定し直します。時間と場所も明確にして、小説形式・左寄せで書き直します。



【2025年12月14日・深夜1時30分・玲探偵事務所】


雨に濡れた街路灯の光が、窓ガラスに淡く反射していた。

玲は椅子に腰を下ろし、ディスプレイに浮かぶメールを凝視する。


「……差出人不明か。」

アキトが静かにバッグから小型機材を取り出し、テーブルに並べる。

「内容は?」

玲は息を吐き、画面を指でなぞる。

「“指定地点で爆発物を確認せよ”。場所も時間も指定されている。」


外の雨音が室内に低く響き、ストーブの小さな炎が影を揺らす。

アキトは軽く肩をすくめ、セットを確認した。

「深夜の指定か……厄介だな。」

玲は無言で頷き、端末のキーボードに指を置く。

「今回は港じゃない。場所は市街地の廃倉庫だ。」

アキトは目を細め、真剣な表情で玲を見た。

「了解。慎重に動く。」


雨はまだ降り続ける。街のざわめきもほとんど届かず、二人の間に張り詰めた静寂だけが漂っていた。

今夜、何かが動き出そうとしている。


【2025年12月14日・深夜2時15分・市街地廃倉庫周辺】


玲は画像を拡大し、細部を指先で追った。

「ビルの外灯が一部消えている……この時間にしては不自然だ」

アキトは端末を操作しながら即座に応じる。

「防犯カメラの死角を作ってるな。人の動きも不自然だ。」


玲は低く唸り、倉庫周囲の地図と照合する。

「ここの出口は二つ、だが片方は塞がれている……つまり侵入も退路も限定されてる。」

アキトは装備を確認しながら冷静に分析する。

「爆発物の設置はここからが濃厚だ。夜間の風向きと人通りも考慮する。」


窓の外、冷たい風が廃ビルの壁を叩く。

玲は端末を持ち直し、慎重に次の指示を考える。

「俺たちが動くしかないな……」


アキトは無言で頷き、ライトと装備を手元で整えた。

深夜の廃倉庫街に、静かな緊張が張り詰める。


【2025年12月14日・午後8時57分・探偵事務所内】


玲はモニターに映る倉庫街のライブ映像をじっと見つめていた。

「ここ……角の外灯が消えてる。何か隠そうとしてるな。」


アキトは端末を手元で操作し、複数の防犯カメラ映像を切り替える。

「死角を作っている。人の動きも不自然だ……侵入か設置作業の可能性が高い。」


玲はフロアマップと照合しながら低く呟く。

「出口は二つ、でも片方は塞がれている……つまり狙いはここからが濃厚だ。」


アキトは冷静に端末の解析結果を読み上げる。

「爆発物の設置箇所はここだ。夜間の風向きと人通りも計算済みだ。」


窓の外、冬の夜風が街路樹を揺らす。

玲は拳を軽く握り、深く息を吐く。

「……俺たちが動くしかないな。」


アキトは無言で頷き、装備とライトを手元で最終確認する。

午後8時57分――

メールが届く直前、事務所には静かな緊張が張り詰めていた。


【2025年12月14日・午後9時03分・高速道路沿いの作戦車内】


暗闇の中、作戦車の通信機が短く鳴った。

安斎が受話器を取り、耳に当てる。

「……了解。」


低く抑えた声が車内に響く。

『俺だ。ランドマークビルに爆破予告が来た。港から物資が運び込まれている。確認と阻止を頼む』


安斎は眉をひそめ、ハンドルに軽く手を置く。

「港から……搬入経路も押さえられるな。」


由宇が後部座席で端末を操作し、ビル周辺の3Dマップを回転させる。

「周囲の死角、監視カメラの角度、風向き……全部計算済みです。阻止は可能です。」


詩乃はワイヤー装備を腰に固定しながら低く言った。

「時間との勝負ね。手順を間違えたら……被害は避けられない。」


アキトは助手席からモニターを覗き込み、淡々と状況を整理する。

「侵入ルートと撤退経路を最短にして、爆発物を確実に押さえる。準備は整った。」


安斎はハンドルを握り直し、深く息をついた。

「よし……行くぞ。」


作戦車は霧と街灯の光を切り裂きながら、ランドマークビルへ向けて静かに走り出した。


【2025年12月14日・午後9時18分・霧に包まれた港湾地区】


霧のかかった港に、青い回転灯がぼんやりと揺れていた。

波が岸壁を叩く音の中、湿った潮の匂いが漂う。


安斎が無線を耳に当て、低く声を落とす。

「搬入ルートは確認済み。コンテナ群の配置も把握している。」


由宇は手元の端末をスクロールさせ、各カメラの死角を指でなぞる。

「ここからなら、誰も気づかずに装置を押さえられます。」


詩乃は肩の装備を調整し、冷たい海風を感じながら短く言った。

「水面も潮の流れも異常なし……狙い通りに動くわ。」


アキトは助手席から全体マップを確認し、静かに口を開く。

「侵入から撤退まで、最短の動線を確保。障害は全て予測済みだ。」


安斎がハンドルを握り直し、静かに車の速度を上げる。

「よし、行くぞ。無事に止める。」


港の霧が一瞬、車列を包み込み、青い光が水面に反射して揺れた。


【2025年12月14日・午後9時45分・ランドマーク摩天楼前】


夜の摩天楼が、張り詰めた空気に包まれていた。

赤と青の回転灯がガラスの壁面を断続的に照らし、光が不規則に揺れる。

規制線の向こう側では、警官たちが無線で短くやり取りしながら、ビル内の避難完了を確認していた。


安斎はハンドマイクを握り、低く指示を出す。

「フロアごとの警備は完了。内部に侵入するタイミングを待て。」


玲は遠隔端末で各カメラの死角を確認し、画面をスクロールしながら呟く。

「セキュリティのパターンは読めた。あとは物理的な障害だけだ。」


詩乃は双眼鏡で窓の反射を見つめ、冷静に分析する。

「ここから侵入すれば感知されない。照明の揺れも計算済み。」


由宇は携帯端末でフロアの換気システムと防火扉の状態を確認する。

「換気口から侵入可能。センサーもギリギリ回避できる。」


アキトは黒いコートにフードを深く被り、群衆に紛れながらビル内部へ滑り込む。

「動き出した……後は内部で調整する。」


霧雨の夜風が回転灯に反射し、摩天楼の窓ガラスを淡く濡らして光を揺らす。

影班の連携が緊張の中、静かに作戦の針を刻んでいた。


【2025年12月14日・午後9時52分・ランドマーク摩天楼・空調室前】


廊下の奥、空調室の扉がわずかに開いていた。

玲が手を挙げ、由宇が静かに前へ出る。


「センサーはほぼ無効化されている……でも、慎重に。」玲は低く囁く。

「了解。侵入経路を確保する。」由宇は端末で微細な動きを確認しながら応える。


詩乃が背後で微調整用の装置を操作する。

「温度センサーも短時間なら大丈夫。漏れは最小限。」


その瞬間、暗がりからアキトが姿を現す。

黒いスーツに変装し、警備員と見紛う外観を整えていた。

「俺は中に入る。内部での誘導は任せろ。」


アキトは無言で空調室の扉に近づき、息を殺して中へ滑り込む。

機械の低いうなりと電子音だけが、静寂の中に淡く響いた。


【2025年12月14日・午後9時53分・ランドマーク摩天楼・45階廊下】


無線からアキトの声が低く響く。

「こちらアキト。別ルートで侵入完了。監視は一時停止中。」


玲は静かに頷き、由宇に指示を送る。

「受信確認。作戦通りだ。詩乃、センサーの再起動に注意。」


アキトは別ルート――警備が薄い非常階段を利用し、屋上から45階へロープで降下していた。

顔は作業員用ヘルメットとマスクで覆い、背中のツールバッグには解体器具と信号遮断装置が収まっている。


「了解。そちらの状況、逐一報告を。」玲は無線に返答する。


ドアの影に身を潜め、廊下の監視カメラが一瞬停止した瞬間、アキトはすり抜けるように室内へ滑り込む。

足音一つ立てず、静寂に溶け込むような動きだった。


「中に入った。これで内部はほぼクリアだ。」アキトの声が再び無線を通して届く。

由宇は端末の画面を睨み、次の行動に目を向けた。

「よし、次は制御室だ。」


【2025年12月14日・午後9時56分・ランドマーク摩天楼・空調室】


詩乃の指先が最後のコードを挟み、息を整える。

「……切るぞ」


刃がぱちりと当たり、電子音が途絶える。

空調室は一瞬、異様な静寂に包まれた。


由宇が肩で息をつき、玲は無言で腕時計を確認する。

「残り7分だ……」


アキトはケースを慎重に持ち上げ、信号遮断装置の中に収める。

「これでセンサーと通信系統は一時的に停止。次の段取りに移れる。」


玲は端末を操作しながら指示を出す。

「由宇、入口の監視を再確認。詩乃、扉の制御盤もチェックしてくれ。」


静寂の中で、三人の呼吸だけが響く。

緊張と集中が交錯する室内に、次の行動への空気が満ちていた。


【2025年12月14日・午後9時56分・港湾作業ヤード】


安斎は暗視ゴーグル越しにコンテナの中を確認し、声を低く落として報告する。

「中身は全部一致。やはり、ランドマークビル宛てだ。」


無線越しに玲が応える。

「了解。残り時間は限られてる。すぐに回収して安全な場所へ移せ。」


安斎は仲間の目配せを確認し、手際よく金属ケースを積み上げる。

「慎重にな。これが爆発物なら、取り扱いを誤れば……」


車内で由宇が端末を操作しながら付け加える。

「信号も遮断されてる。ビル側のセンサーは一時的に無力化されている。」


詩乃は腕組みし、夜風に吹かれながら状況を整理する。

「移動経路と積み込み時間を計算済み。事故は起こさせない。」


作戦車は静かに走り出す。

港の波音とエンジンの低い振動だけが、冷たい夜に響いていた。


【2025年12月14日・午後9時57分・港湾作業ヤード】


安斎は伝票をジャケットの内ポケットに滑り込ませ、振り返りざまに藤堂に目配せした。

藤堂は微笑みを浮かべ、自然な動作で封筒を受け取る。

「任せてもらおうか」藤堂の声は低く、しかし確かな安心感を伴って響いた。


由宇が横で確認する。

「それで情報の流れは完璧だな。港側の動きも全部カバーされている。」


詩乃は腕を組み、冷静に海面を見つめる。

「これで作戦は半分完了。あとはビルまでの安全な輸送だけ。」


安斎は短く頷き、作戦車に乗り込みエンジンをかける。

港の夜風が作業ヤードを抜け、暗い水面に光を揺らめかせた。


【2025年12月14日・午後10時05分・ランドマークビル前】


藤堂はマイクを握り、カメラの前で落ち着いた口調で告げる。

「こちら、港湾署と連携し、全員の避難を完了しました。建物内に危険物は確認されていません。」


玲は無線を耳に当て、由宇と詩乃の動きを確認する。

「解除チーム、状況は?」


安斎が応える。

「全て順調。爆発物は安全に回収済みだ。」


藤堂はカメラに視線を向けたまま、淡々と状況を説明し続ける。

その声には現場の緊迫感を伝えながらも、視聴者に安心感を与える冷静さがあった。


遠くの夜景に反射するライトの光が、ビルのガラス面に揺らめく。

港の波音と、街灯の微かな振動が、静かに作戦の完了を告げていた。


【2025年12月14日・午後10時10分・港湾ヤード】


安斎が封を貼りながら低く呟く。

「……これで全てだな。」


由宇は海面を睨み、無線で確認する。

「全車両、出発準備完了。搬出ルートに異常なし。」


詩乃は港湾局職員の装いのまま、書類を確認しながら端末に入力する。

「記録も完全に一致。これで後から誰も追えない。」


ラジオから藤堂の声が流れる。

「……市内中心部、ランドマークビル周辺は現在安全が確認されました。港湾署の皆さん、ありがとうございました。」


安斎は肩越しに由宇を見やり、短く頷いた。

「これで一件落着だ。だが……まだ気は抜けない。」


港の波音が静かに響き、冷たい潮風が三人の背中を押すように吹き抜けた。


【2025年12月14日・午後10時10分・市内中心部へ向かう影班車内】


玲は無線を握ったまま前方を見据える。

「港へ向かう。爆破はアキトと影班に任せる。」


由宇がハンドル越しに頷き、短く返す。

「了解。」


詩乃は助手席で端末を操作しながら、冷静に言った。

「こちらも記録完了。予定通り動ける。」


車内に藤堂の報道がスピーカー越しに流れた。

「――解除された爆発物は、現在、警察の鑑識班により残骸の回収が進められています。市民の皆様の安全は確保されています。」


玲は再び無線に手をかけ、低く声を落とした。

「確認。港のチーム、状況報告を。」


由宇が無線機を操作し、海風を感じながら短く答える。

「全車両安全。搬出も順調。」


詩乃は窓越しに夜景を眺め、静かに付け加えた。

「このまま収束まで、目を離さないわ。」


車は静かに夜の街を抜け、港へのルートを確実に進んでいった。


【2025年12月14日・午後10時10分・港湾作業ヤード】


アキトは無言で金属ケースの内部から部品を取り外し、慎重に防護ケースへ収める。

「……これで、安全に運べる。」


鑑識員が横から受け取り、封印シールを貼り付ける。

「番号は記録しました。すぐ本部に送信します。」


アキトは手を止め、背後のモニターを確認する。藤堂のニュース映像が、港の緊張を報じながら流れている。

「市民への影響も最小限に抑えられたか。」


無線機から由宇の声が届く。

「ケースの搬出完了。全員、安全圏内。」


アキトは頷き、最後のチェックを行う。

「これで、作業は完了だ。港は……ひとまず、静かになる。」


冷たい海風が吹き抜け、波の音とともに港湾作業ヤードに静寂が戻った。


【2025年12月14日・午後10時12分・港湾作業ヤード】


安斎は大型コンテナの扉をゆっくりと開き、内部の木箱をひとつずつ確認する。

「……これは、爆薬の外装部品か……。」


由宇が端末を手に取り、素早く写真を撮影する。

「撮った。暗号化して、藤堂に送る。」


詩乃は港湾局の搬出記録簿を慎重に抜き取り、行き先を確認しながらマーキングした。

「このコンテナ、ランドマークビル行きだったわね……危険物扱いで押さえられる。」


安斎が唇を引き結び、港の夜景を見渡す。

「搬出予定の全容はここで止められた。だが、まだ気を抜くな。」


由宇が写真を確認しながら端末を閉じ、詩乃に視線を送った。

「これで、情報は全部揃った。」


冷たい海風が港湾に吹き抜け、波が支柱を打つ音だけが夜の静寂を埋めていく。


【2025年・】


港の照明は冷たく白く、雨に濡れた岸壁を鈍く照らしていた。

規制線の向こう、警察官と鑑識が集まり、波止場の隅では黒いシートが風に揺れている。

その下に横たわっているのが、黒傘――

港の裏社会を象徴する存在だった。


 【2025年12月14日・午後10時25分・港湾岸壁】


玲は無線を握り、低くつぶやく。

「安斎、確認を。彼の正体は……確実に押さえろ。」


安斎が暗視ゴーグル越しに岸壁を見渡す。

「動きはない。姿勢からして……死後間もないな。」


由宇は端末を操作し、現場の3Dスキャンを開始する。

「黒傘……加納湊。港の裏社会に深く関わっていた。情報はこれで全て収集可能。」


詩乃は濡れた手袋でシートの端を押さえ、確認する。

「ここまで計画的に隠されていた人物を目の前にするとは……。残された痕跡も、無駄なく整理されている。」


玲は波止場の先端を見据え、雨に濡れた光の帯を静かに追う。

「これで20年分の因縁が、ようやく終わる――」


港の夜風が、冷たく静かに、しかし確実に全員の背筋を撫でた。


【2025年12月14日・午後10時30分・港湾岸壁】


玲は肩越しに無線を操作し、低く声をかける。

「アキト、位置を維持。報道陣と警察の間で混ざってくれ。」


無線越しにアキトの声が返る。

「了解。警察の制服とIDで完全に溶け込む。近づかれれば、即座に逸らす。」


由宇が端末で現場の全体図を確認しながら言った。

「人数、配置、逃走経路……これで安全圏は確保済み。」


詩乃が玲の横で海面を見つめる。

「黒傘の痕跡は残るが、直接手を下す人間はいない。あとは全て記録に残すだけね。」


玲は雨に濡れたフェンス越しに港の波を見つめ、静かに息を吐いた。

「……これで港の夜は、少しだけ静かになるはずだ。」


【2025年12月14日・午後10時45分・港湾通路】


玲は無線を耳に当て、静かに確認する。

「由宇、詩乃、周囲の動きはどうだ?」


端末越しに由宇の声が返る。

「全員、位置について監視中。人影は確認できず、風による誤検知のみ。」


詩乃が冷静に補足する。

「電子機器も正常。爆発物や不審物の兆候なし。港内の動線も把握済み。」


玲は霧の中で手すりに触れ、視線を先に投げる。

「……この通路も、20年前の影を残したままだ。」


微かに耳に届く水音に注意を払いながら、玲は慎重に一歩一歩進む。


【2025年12月14日・午後10時45分・港湾駐車場】


アキトは工具箱に手を伸ばし、慎重に筒状の装置を取り出す。

「……これは起爆装置か」


端末を取り出し、信号遮断装置を接続する。

「ここからだ。解除手順を開始する」


周囲の影を確認し、わずかな音も見逃さない。

「警戒線の外だが、気を抜くな。センサーも手動でチェック」


光の届かぬ駐車場で、アキトの手元だけが静かに赤く光り、作業が進められていく。


【2025年12月14日・午後10時46分・港湾駐車場】


アキトは無言で工具を取り出し、筒状の装置の外殻を慎重に外す。

内部の基板と配線を目で追いながら、息を整える。

「……回路は複雑だが、信号の干渉は可能だ」


背後で警備員がまだ叫んでいる。

「危険物処理班を急げ!」


アキトは短く頷き、手元の端末を操作して信号遮断を開始。

赤く光るLEDが点滅し、カウントダウン表示が一瞬止まる。

「これで干渉は成功……次に解除だ」


爆弾処理のスペシャリストとして、冷静かつ正確に、命を預かる作業が進められていく。


【2025年12月14日・午後10時48分・港湾地区 立体駐車場 地下二階】


中には、秒針を刻むデジタルタイマーと、幾重にも絡み合った配線が収められていた。

アキトは一瞬でそれを見抜く。


「……45階のと同型だな」


爆薬の量、起爆回路の配置、信号受信モジュールの位置。

どれもが、先ほど高層ビルで解除した装置と完全に一致している。


彼は基板をそっと持ち上げ、指先で刻印をなぞった。

薄く削られたような数字――製造番号。


「B-07……いや、港で見た部品と同じロットだ」


無線を開き、声を低く抑える。

「玲、聞こえるか。地下駐車場でも同型を確認した。製造番号が一致してる」


一拍おいて、玲の声が返ってくる。

『……やはり港が起点か』


アキトは配線の一本を慎重に固定しながら続ける。

「爆薬量は抑えめだが、誘爆を狙ってる。ここで処理しないと、周囲ごと持っていかれる」


背後で警備員が息を呑む気配がした。

「……解除できますか」


「できる。だが時間はない」


アキトはツールバッグから色分けされたクランプを取り出し、回路を段階的に遮断していく。

タイマーの数字が一瞬揺れ、やがて完全に停止した。


空気が、ようやく動き出す。


「よし……安全だ」


その言葉に、警備員の肩から力が抜ける。

アキトは装置を防護ケースに収めながら、静かに呟いた。


「港で始まって、街へ流した……

――同じ手口だ。まだ終わっちゃいないな」


無線の向こうで、玲が短く応じた。

『ああ。だが、糸口は揃った』


地下駐車場に響くのは、非常灯の微かな唸り音だけ。

だがその静けさの下で、事件の全体像が、確実に姿を現し始めていた。


【2025年12月14日・午後10時52分・岸壁沿い倉庫内】


玲は倉庫の奥へと慎重に進み、端末で壁際の金属箱をスキャンする。

「……信号反応あり。アキト、君の位置は?」

無線からアキトの落ち着いた声が返る。

「倉庫奥、入口から北東2メートル。装置は確認済み、干渉済みだ」


玲は木箱の隙間に目を凝らし、薄暗い中で金属ケースを慎重に取り出す。

「これが……港で拾った部品と完全に一致する」


倉庫内は潮風に揺れる鉄扉の軋む音だけが響く。

玲は端末の光を頼りに装置の全体像を把握し、細部の配線を確認する。

「これも、あの45階の装置と同一構造……やはり、同じ人物の仕業だ」


データスペシャリストとして、玲は慎重に記録を取り、アキトの指示に従いながら次の処理手順を考える。


【2025年12月14日・午後10時52分・港湾臨時取材ステーション】


藤堂は封筒を開き、中の金属部品と短く書かれたメモを慎重に取り出した。

「……やはり、あの件と繋がっていたか」

彼の声は低く、周囲の喧騒を遮るように響く。


指先で部品を撫でながら、藤堂は端末に向かい、既存の報道記録と照合を開始する。

「港での搬出、45階での解除……全てが一本の線で結ばれた」


周囲のカメラと照明が淡く光を落とす中、藤堂は冷静に状況を整理し、次の報道方針を頭の中で組み立てていった。


【2025年12月14日・午後10時55分・市中心部ニューススタジオ】


藤堂の声が街頭モニターやラジオ、テレビに流れ、夜の街を静かに支配する。

「これにより、港湾事件と市内爆破未遂は、同一犯による組織的犯罪であることが明らかになりました」


その瞬間、スマートフォン片手に駆けつけたリコが、スタジオ脇の広場で短くスマホに向かって呟く。

「やばい……これ、リアルタイムでみんなに知らせなきゃ!」


リコの指先が軽快に画面をタップし、撮影したニュース映像と要約コメントが瞬く間にSNS上で拡散される。

投稿は数秒で数百件のリツイートとコメントを生み、街中の人々の視線を一斉にニュースに引き寄せた。


【2025年・】


玲は部品を封筒に入れ、港の巡回記者へ託すと、倉庫の外に出た。

霧がさらに濃くなり、遠くのクレーンの灯りがぼやけて見える。

足を止め、コートのポケットからスマートフォンを取り出す。

画面の照明が暗闇に浮かび、指先が素早く文字を打ち込む。


【2025年・午後11時02分・港湾倉庫外】


玲はスマートフォンの画面に目を落とし、指先で淡々と文字を打ち込む。

「港湾で回収した装置の部品、すべて封印済み。製造番号は市内で発見された装置と一致。安全確認済み。詳細は添付資料参照。関係各位、速やかに報告を共有」


打ち込みと同時に、撮影済みの部品写真と封印状況のスクリーンショットを添付する。

短い文章と画像で、港湾事件と都市の爆破未遂事件の関連性を即座に関係者に伝える構成だ。


玲は送信ボタンを押すと、暗い港の霧の中でわずかに息を吐き、背筋を伸ばした。

「……これで全員に届くはずだ。」


傍らで霧に濡れたコンクリートが冷たく光り、波の音が静かに反響していた。


【2025年・港湾作戦区域】


玲は影班の作戦車の横で立ち止まり、由宇と詩乃の到着を待った。雨は細くなり、夜の港は重く湿った空気に包まれている。


「倉庫の奥で見つけた部品、都市側で回収された残骸と一致する」

玲の声は低く、しかし確信に満ちていた。


由宇が眉をわずかに上げ、短く頷く。詩乃は無言で、視線だけで状況を理解している。


「藤堂に渡す。世間に繋がりを出すのは今だ」

玲は封筒を由宇に手渡す。封筒の重みが静かに手に伝わる。


「了解」

由宇はジャケットの内ポケットに封筒を滑り込ませると、港の暗がりに溶け込むように闇へと消えた。


玲は無線で港の出口付近に待機している報道車の位置を確認し、夜風が頬をかすめる中、作戦の最後の局面を見守った。


【2025年・スタジオ】


スタジオの照明が一段と強まり、藤堂は原稿の束を机に置く。カメラの赤ランプが点灯し、オンエアのサインが光る。


「速報です――港湾区域で押収された部品と、市街地で発見された爆破装置の残骸が一致しました」


背後の大型モニターには、港の倉庫と市街地ビルの外観が並び、一本の赤いラインで結ばれていく。


「二つの事件は、同一の物流ルートを経由していた可能性が高まっています」


藤堂の落ち着いた声が、全国のテレビと端末に同時に響き渡る。


そのニュースは、港にも都市にも、同じ緊張と警戒を走らせ、現場の関係者たちにさらなる行動を促すことになる。


【2025年・ランドマークビル/午後9時03分】


アキトは搬入業者の制服に身を包み、肩には重そうな工具ケースを抱えている。通用口前で立つ警備員に軽く会釈し、ぎこちなくも自然に足を踏み入れる。


「……位置は確認した。焦らず、ゆっくり進め」

玲の低い声がイヤピース越しに届き、アキトは軽く頷く。


廊下は薄暗く、蛍光灯のチカチカとした光が足元をかすかに照らす。壁沿いの配管や空調ダクトが複雑に絡み、監視カメラの死角を意識しながら一歩ずつ進む。


アキトは工具ケースを床に下ろすと、音を立てずに蓋を開き、中から小型の信号遮断装置と軽量ロープを取り出す。壁際に這わせた影に隠れながら、天井の配線に沿って監視カメラの電波を遮断する。


「カメラ、停止」

アキトのささやき声に反応し、端末で状況を確認する玲。画面に「OFF」の表示が点灯すると、アキトは素早く動き、壁際の非常階段へと移動する。


手すりに小型フックを引っ掛け、ロープを滑らせて屋上から45階へと静かに降下。作業員のヘルメットとマスクで顔を覆い、背中のツールバッグには爆発物処理や信号遮断用の道具を整えてある。


階下の廊下に足を着けると、再び周囲を確認。人の気配はほとんどなく、わずかな換気音とエレベーターの遠い動作音だけが聞こえる。アキトは一瞬、呼吸を整え、工具バッグから慎重に解体器具を取り出した。


「全て予定通り……」

低く呟き、静かにドアの影に身を潜める。監視カメラの視線が自分の死角に入る瞬間を待ち、わずかに体を傾け、室内へ滑り込む。


廊下の奥からは、空調室の機械音と低い電子音が微かに聞こえる。アキトの足取りは軽く、物音を立てず、部屋の奥へと慎重に進んでいった。


【2025年・テレビ局スタジオ/午後9時05分】


スタジオの照明が明るく灯り、カメラの赤ランプが点滅する。藤堂は台本に目を落とさず、視聴者へ真っ直ぐに目を向けた。背後の大型スクリーンには、港湾の倉庫群と都市の高層ビルの映像が並び、それぞれの現場を結ぶ赤いラインが動いている。


「今夜、港湾区域で押収された部品と、市街地で発見された爆破装置の残骸が一致したことが確認されました」

藤堂の声は落ち着いていて、揺らぎはない。背景のスクリーンでは、港のフォークリフト作業や警備員の動きがリアルタイムに再現される。


「これにより、港で発生した殺人事件と都市での爆破未遂事件は、同一の組織による関連性が極めて高いと考えられます」

映像は港で押収された金属ケースや電子部品のクローズアップに切り替わる。藤堂はわずかに頷き、さらに言葉を続ける。


「現在、警察は両現場の関係性を調査中であり、一般市民への被害を防ぐための警戒態勢が敷かれています」

画面上には、警察車両や赤と青の回転灯が点滅する映像が重ねられ、視聴者に状況の緊迫感を伝える。


藤堂は深呼吸ひとつで間を作り、カメラに向かって結論を語る。

「今回の事件は、港と都市を結ぶ物流ルートを狙った極めて計画的な犯行です。市民の皆様には、不要不急の外出を避け、最新の情報にご注意ください」


その瞬間、画面右下にSNS連動アイコンが点滅し、ギャルのリコがスマートフォンで映像をキャプチャし、即座に投稿していた。藤堂の冷静な報道が、瞬く間に全国へと情報を拡散させていく。


【2025年・テレビ局スタジオ/午後9時06分】


藤堂はカメラをじっと見つめたまま、低く落ち着いた声で告げる。

「速報です――港湾区域で押収された部品と、市街地で発見された爆破装置の残骸が一致しました」


背後の大型スクリーンには、港のフォークリフト作業や警察官の警戒活動、高層ビルの避難状況が交互に映し出され、赤いラインが二つの現場を結んでいる。


「これにより、港での殺人事件と都市での爆破未遂事件は、同一の犯行グループによる可能性が高まっています」

映像は金属ケースの封印や電子基板のクローズアップに切り替わり、視聴者に精密な証拠の存在を印象づける。


藤堂はさらに詳しく解説する。

「港湾で押収された部品は、特殊な加工が施されており、市街地で発見された装置の構造と完全に一致しています。これは、計画的な犯行であり、複数の現場を経由して都市部まで運ばれたことを示唆しています」


画面右下にはSNS連動のアイコンが点滅し、視聴者は瞬時に情報を共有可能だ。

「市民の皆様には、不要不急の外出を控え、安全を最優先に行動していただくようお願い申し上げます」


藤堂の声が夜の街へと流れ、報道としての緊張感と冷静な分析が同時に伝わる。

カメラは再びアップに戻り、彼の顔には一切の動揺がなく、状況の深刻さを淡々と伝えるだけだった。


【2025年・ランドマークビル45階/午後9時14分】


アキトは作業員の制服を身に着けたまま、足元の警備員の視線を避け、配電室の暗がりに身を潜めた。

手元の小型ライトが、黒い筒状の装置の複雑な回路とタイマーを照らす。


「……冷静に、順番通りだ」


彼の低い声がイヤピース越しに玲へ届く。

指先はブレることなく、赤、青、黄の細いコードを慎重に確認する。

回路のつなぎ目に微かな傷や接触不良がないか、センサーの反応を見極めながら、静かにコードカッターを差し入れる。


「タイマーは……残り3分20秒」


アキトは呼吸を整え、ひとつのコードを軽くねじるようにして切断する。

電子音が小さく途切れ、ディスプレイの数字が止まる。

続けてもう一本のコードをチェック。緊張の間にわずかな静寂が訪れた。


「信号遮断装置、起動」


彼は小型装置を装置に接続し、無線波と電源線の干渉を封じる。

モニターに赤く点滅していた警告ランプは徐々に消え、タイマーは完全に停止。

アキトは一呼吸おき、慎重に装置を工具ケースに収める。


「解除完了。港チーム、続けて確認を」


低く落ち着いた声はその場に張り詰めた緊張を緩めず、しかし確実に、危険を制御下に置いたことを告げていた。


【2025年・報道スタジオ/午後9時20分】


大型モニターに映し出された港湾区域と都市高層ビルの映像が、交互に切り替わる。

藤堂は台本に目を落とさず、カメラ越しに視聴者へ視線を合わせた。


「本日、港湾区域で押収された部品と、市街地で発見された爆破装置の制御チップが一致したことが確認されました」


彼の声は落ち着き、だが内容の重大さは画面越しにも伝わる。

背後の大型スクリーンには、港の倉庫や搬出コンテナ、都市のランドマークビルが赤いラインで結ばれ、事件の流れを視覚的に示す。


「二つの事件は、同一の物流ルートを経由して行われた可能性が極めて高いと見られます」


藤堂は机上の輸送記録と制御チップの画像に指を置きながら、さらに詳しく説明を加える。


「港から市中心部への搬入経路、押収された装置の型番、そして制御チップの製造番号……全てが一致しており、今回の事件は単発ではなく、組織的な計画の一部であることが明らかになりました」


カメラが彼の手元と顔を交互に捉え、ニュース映像はリアルタイムで視聴者に緊張感を伝える。

藤堂は静かに深呼吸し、最後に低く締めくくった。


「現在、警察は港湾区域および市中心部で追加調査を行っており、我々も最新情報が入り次第、随時お伝えします」


照明が柔らかく彼の輪郭を照らす中、ニュースは街と港に同時に緊迫感を走らせ、視聴者の耳に冷静ながらも切迫した声で届いていった。


【2025年・港湾作戦車内/午後9時25分】


由宇は防水ケースを開き、中から輸送記録の束を取り出した。

端末の光が濡れた手袋を反射する。


「……全てデジタル化されている。紙媒体の記録と照合すれば、搬入経路も完全に把握できる」


指先で記録をスキャンし、データが端末に瞬時に取り込まれる。

画面に映し出されるのは、港から市中心部へ向かうコンテナの経路、日時、運搬担当者の符号、そして封印番号まで詳細に刻まれた一覧。


「こいつを解析すれば、犯行のパターンも明確になるはずだ」


由宇は短く息を吐き、次に詩乃と安斎に向かって言った。

「確認を急ごう。これが揃えば、都市側で押収された残骸との完全な突合が可能だ」


詩乃は静かに頷き、安斎も黙って機器を手元に引き寄せた。

作戦車内の微かな電子音と、港の波音だけが、緊張の中で静かに響いていた。


【2025年・ランドマークビル45階/午後9時42分】


アキトは床に膝をつき、背中のツールバッグから絶縁手袋と精密カッターを取り出す。

「……まずは信号線だな」


指先で基板上の細い赤線と青線を確認し、カッターの刃先を慎重に滑らせる。

一切の衝撃を与えず、線を一点一点切断していく。

「この線を切るとタイマーは停止する……が、誤作動は許されない」


黒い筒状の装置の中で、LEDが微かに点滅し、電子音がかすかに響く。

アキトは呼吸を整え、次に黄色の制御線を確認した。

「これは爆発回路……絶縁材の微妙な厚みも見逃せない」


刃を入れる角度、圧力、タイミング、全てを計算して慎重に切断。

切断音はほとんど聞こえず、装置の残響だけがかすかに室内に残った。


「完了……これで、45階の装置と同じ制御チップは完全に無力化された」


アキトは小さく頷き、装置の外殻を閉じ、封印番号を端末に入力する。

背後の非常灯がちらつく中、彼の冷静な手際が、危機を未然に防いでいた。


【2025年・港湾倉庫/午後10時15分】


由宇は端末を片手に倉庫の奥をスキャンしながら、低い声で囁く。

「障害物は少ない……だが、床の金属板が腐食してる。足元に注意」


詩乃は腰の装備を確認し、暗視ゴーグルを装着する。

「光源は最小限でいく。見つかれば全て台無しよ」


安斎は無線機を肩に掛け、短く頷く。

「了解。警備の巡回ルートを確認済み。動きは慎重に」


三人は影のように移動し、木箱やコンテナの間を縫うように進む。

由宇が低く手を挙げ、静かに止まる。

「右側、重機の陰に何かがある……センサー反応は無いが、念のため」


詩乃がコードカッターを取り出し、扉のロックや簡易センサーを無音で解除する。

「……完了」


安斎は積み荷のラベルを手際よく確認し、予定された配置と照合。

「この箱か……都市側へ運ばれる前に抑える」


微かな金属音や空調の唸りだけが響く中、影班の三人は一切の無駄を省き、倉庫の奥深くへと進んでいった。


【2025年・報道スタジオ/午後10時30分】


藤堂は原稿をほとんど見ず、画面のカメラに視線を固定した。

背後の大型スクリーンには港湾倉庫の夜景と都市の高層ビルが交互に映し出され、赤いラインで両地点が結ばれている。


「港湾で押収された装置と、市街地で発見された爆破装置の残骸が一致したことが確認されました」

手元のモニターに映る輸送記録や制御チップの画像を指差しながら説明する。

「犯行グループは同一である可能性が高く、物流ルートを利用した計画的犯行と見られます」


藤堂は視聴者に向かい、落ち着いた声で続ける。

「現場では警察と爆弾処理班が協力し、すべての装置は安全に回収されています。市民の皆様は冷静に行動してください」


スタジオ内のカメラがアップで藤堂の横顔を捉え、緊張感が画面越しに伝わる。

彼の声のトーンは穏やかだが、言葉の端々に現場の緊迫した空気が滲んでいた。


「このニュースは全国ネットで同時に配信されています。続報は随時お伝えします」


藤堂の低く落ち着いた報道が、港と都市双方の関係者に確実に情報を届けていた。


【2025年・報道局編集フロア/午前4時12分】


夜明け前の薄暗い照明の中、藤堂のデスクには港と都市から集められた証拠の山が整然と広がっていた。

輸送伝票、監視カメラの静止画、爆破装置の部品写真、時系列を書き込んだメモ。

どれも無造作に見えて、配置には明確な意図があった。


藤堂はコーヒーに口をつけ、かすかに息を吐く。

「……点じゃない。最初から線だ」


隣の編集卓から、若いスタッフが声を潜めて話しかけた。

「港の搬出記録、三年前にも同じ業者名が出てます。表では休眠扱いですが」


藤堂は即座に視線を上げた。

「休眠企業は、再開の痕が残りにくい。誰かが意図的に使ってるな」


モニターに映る時系列グラフを操作しながら、藤堂は独り言のように続ける。

「港、倉庫、都市部……全部が“運ばれる前提”で組まれている」


別のデスクから、夜勤のデスクキャップが歩み寄る。

「次の速報、行きますか?」


藤堂は一瞬だけ考え、首を横に振った。

「いや、まだだ。今出せば“恐怖”だけが先に立つ」

机上の証拠に指先を置き、静かに言う。

「次は、構造と流れを見せる。誰が、どうやって、ここまで運んだかだ」


窓の向こう、東の空がわずかに白み始めていた。

藤堂は背筋を伸ばし、原稿用紙を一枚引き寄せる。


「夜が明ける頃には――」

低く、しかし確信を込めて呟く。

「この事件は、もう“隠せない”ところまで行く」


スタジオの静寂の中、キーボードの音だけが、一定のリズムで響き続けていた。


【2025年・午前4時12分/報道スタジオ】


照明が一斉に灯り、スタジオ全体が白く浮かび上がる。

機材のモーター音とともに、カメラがゆっくりと藤堂を正面に捉えた。


藤堂は背筋を伸ばし、デスクに置かれた資料に一度だけ視線を落とす。

港の倉庫写真、輸送伝票の拡大コピー、爆破装置の回路図。

すべてが時系列順に並べられ、赤ペンで引かれた注釈が静かに事実を主張していた。


「おはようございます」

低く、しかしはっきりとした声がスタジオに響く。


「夜を越えて入ってきた新たな情報です」


背後のスクリーンに、港湾区域の倉庫と市街地の高層ビルが同時に映し出される。

二つの映像を結ぶ白線が、ゆっくりと浮かび上がった。


「港で押収された部品、そして都市部で回収された爆破装置――」

藤堂は言葉を区切り、視聴者に考える時間を与える。

「その双方に、同一の加工痕と製造ロットが確認されました」


スタジオの空気が、わずかに張り詰める。


「これは偶然ではありません。計画は一夜限りのものではなく、段階的に進められていた可能性があります」


藤堂の指が、デスクの端に置かれた封筒に軽く触れる。

中身を見せることはない。だが、そこに“続き”があることだけは十分に伝わった。


「警察は現在、物流と港湾管理の双方から捜査を進めています」

「市民の皆さんに直接の危険は確認されていませんが、今後の動きには注意が必要です」


一拍置き、藤堂はカメラをまっすぐ見据えた。


「私たちは、事実だけを追い続けます」

「隠された線が一本でも残っている限り――」


赤いオンエアランプが、静かに灯り続けている。

夜明け前のニュースは、次の真実への入口となっていた。


【2025年・午前5時12分/報道スタジオ】


ニュースは終盤に差しかかっていた。

藤堂の背後の大型モニターには、夜明けの港と都市の全景が二分割で映し出されている。

港のクレーンは朝靄の中で影のように立ち、都市側では高層ビル群の窓が、少しずつ朝の光を反射し始めていた。


藤堂は一度、わずかに息を整え、視線をまっすぐカメラへ戻す。


「昨夜から未明にかけて発生した一連の事案は、港湾区域と市中心部を結ぶ物流の闇を浮き彫りにしました」


スタジオは静まり返り、原稿をめくる音すら聞こえない。


「押収された爆破装置、輸送記録、そして港で確認された不審な人物の動き。これらはすでに警察と関係機関による合同捜査の対象となっています」


背後の映像が切り替わり、規制線の張られた倉庫、鑑識がライトを向ける床、回収される金属ケースが順に映し出される。


「市民生活に直接的な被害は出ませんでした。しかし、それは偶然ではなく、現場で動いた専門家たちの迅速な判断と連携の結果です」


藤堂の声は抑制されているが、その一言一言に重みがあった。


「港は街の入口であり、都市の心臓部へと繋がる場所です。そこに潜む歪みを見過ごせば、次に狙われるのは、私たちの日常そのものかもしれません」


一拍置き、藤堂はわずかに視線を伏せてから、再び前を見据える。


「情報は、必ずどこかで繋がります。隠された事実も、消された記録も、追えば痕跡は残る」


夜明けの港の映像に、朝日が差し込む。


「以上、最新情報でした。引き続き、事態の進展をお伝えしていきます」


カメラの赤いランプが消え、スタジオの緊張がふっと緩む。

しかし、画面の向こう側――港と都市では、まだ完全には終わっていなかった。


朝の光が差し込む中、静かに次の動きが始まろうとしていた。


【2025年・午前5時42分/報道スタジオ】


藤堂は一拍だけ呼吸を置いた。

原稿にはない名前だったが、声色も姿勢も崩さない。


「――続報です」


スタジオの空気が、わずかに張り詰める。

背後のモニターが切り替わり、港湾倉庫の外観写真と、押収された部品の拡大映像が映し出された。


「警察関係者への取材で、新たに浮上した人物がいます」

「港湾物流を長年管理していた元業者、久遠直哉。現在、所在不明です」


カメラがゆっくりとズームする。

藤堂の目は、画面の向こう――視聴者ではなく、まだ見ぬ“当人”を見据えているかのようだった。


「久遠容疑者は、表向きは港の下請け業者として活動していましたが、実際には複数の偽名を使い、危険物の輸送ルートを管理していた疑いがあります」

「都市部で発見された爆破装置、その部品の一部は、彼が関与したとされる倉庫を経由していました」


スタジオの照明が、ほんのわずかに落とされる。

夜明けの港の映像が再び映り、霧の中にクレーンの影が浮かび上がった。


「二つの事件は、偶然ではありません」

「港と都市――離れた場所で起きた出来事は、一人の人物によって静かに結ばれていました」


藤堂は最後に、はっきりとした声で告げる。


「警察は現在、久遠直哉の行方を追っています」

「続報が入り次第、お伝えします」


赤いランプが消え、オンエア終了の合図が出る。

スタジオに張り詰めていた空気が、ゆっくりと緩んだ。


藤堂はイヤーピースを外し、静かに息を吐く。

机の上には、港の写真と都市の設計図、そして一枚の古い輸送記録。


それらを見下ろしながら、彼は低く呟いた。


「……表に出たな。黒傘の、最後の名前が」


画面の外、夜明けの港では、まだ波の音だけが変わらず岸壁を叩いていた。


【2025年・午前6時12分/港湾区域・第七埠頭】


朝の空気はまだ冷たく、夜の湿り気を引きずっていた。

朝日がコンテナの隙間から差し込み、錆びた金属を淡く照らす。


詩乃はカメラをケースに収めながら、低く息を吐く。

「これで裏は全部押さえた。搬入経路、部品、時間……言い逃れはできない」


由宇は港の外れに目を向け、霧の向こうで動き始めた作業車両を確認した。

「藤堂の報道で、もう隠せない。久遠は――表に出る」


少し離れた場所で、安斎が無線を切る。

「警察も動いた。表向きは“単独犯”の線で処理されるだろうが……裏は全部記録に残る」


詩乃は一瞬だけ、黒い海面に視線を落とした。

「黒傘の後釜には、もう座れないってことね」


由宇は静かに頷く。

「港は覚えている。消したつもりの記録も、波の下に沈めただけだ」


その時、由宇の端末が短く震えた。

画面には、スタジオから送られてきた速報の切り抜き。


――《犯人名:久遠直哉》

――《港湾物流を利用した連動型爆破計画、全容解明へ》


由宇は端末を閉じ、ジャケットの内ポケットに収めた。

「終わったな」


詩乃は小さく首を振る。

「区切りがついただけ。終わるかどうかは……この街次第」


港のサイレンが遠くで鳴り、朝の作業開始を告げる。

事件の夜を知らない人々が、いつもの日常へと足を踏み出していく。


由宇は最後に振り返り、静かに言った。

「それぞれの場所に、ちゃんと朝は来る」


三人は言葉を交わさず、それぞれ別の方向へ歩き出した。

港には再び、波の音とエンジン音だけが残り、

すべてを見てきた水面が、何事もなかったかのように光を返していた。


【2025年・午前5時12分/市内ランドマークビル 屋上】


アキトは工具ケースを足元に置き、イヤピースに指を当てた。


「こちらアキト。屋上、異常なし。残存装置も確認されていない」


耳元で、少し間を置いて玲の声が返る。


『了解。港側も収束した。久遠直哉は、今朝の報道で完全に表に出る』


アキトは小さく息を吐き、街の輪郭をなぞるように視線を走らせた。

ビルの谷間に朝の光が差し込み、昨夜までの緊張が嘘のように影を薄くしていく。


「……派手な夜だったな」


独り言のような呟きに、無線越しで由宇が短く応じた。


『派手なほど、痕跡は残る。消すより、晒した方が早い』


アキトは口の端をわずかに上げた。

工具ケースの留め金を閉じ、肩に担ぐ。


「報道が先に刺した、ってわけか」


『藤堂は仕事をした。あとは、司法の時間だ』


通信が切れ、屋上に風の音だけが戻る。

アキトは最後にもう一度、街を見下ろした。


港も、ビルも、夜を越えた。

そこに残るのは、事件ではなく、事実だけだ。


彼は背を向け、非常階段へと歩き出した。

夜明けはもう、完全に都市の上にあった。


【2025年・午前5時18分/湾岸高速・港湾地区外縁】


久遠直哉の黒いSUVは、制限速度をわずかに超えたまま走り続けていた。

フロントガラス越しに見える空は、夜と朝の境目で、鈍い群青色をしている。


久遠はバックミラーを何度も確認し、喉を鳴らした。

「……思ったより、静かだな」


助手席のアキトは、作業員風の上着のまま、窓に映る自分の影を見ていた。

港の水面に朝焼けが滲み、貨物船の影がゆっくりと流れていく。


「港も、街も。全部動き出す前の時間だ」

低い声で、アキトが応じる。


久遠は短く笑った。

「動き出したら終わりだ。だから今がいい。全部、片がついた」


ハンドルを握る手に、無意識に力がこもる。

信号が黄色に変わり、久遠はアクセルを踏み込んだ。


その瞬間、アキトが静かに口を開く。


「……久遠直哉」


名を呼ばれ、久遠の肩がわずかに跳ねた。

「何だ?」


アキトは、腰元に隠していた小型送信機を、シートの影で起動させる。

イヤピースの奥で、微かな確認音が鳴った。


「45階の装置。港の倉庫。

 配線の癖も、制御基板の刻印も――全部、あんたの仕事だ」


久遠の視線が、ゆっくりと助手席へ向く。

その目に、警戒と苛立ちが滲んだ。


「……何者だ?」


アキトは、作業員のマスクを外す。

露わになった表情は、感情を削ぎ落としたように静かだった。


「爆発物処理のスペシャリスト。

 それと――影班だ」


次の瞬間、SUVのダッシュボードが短く震え、

ルームミラーの奥で、赤色灯が一斉に灯った。


後方から、無線音とサイレンが重なって迫ってくる。


久遠は舌打ちし、急ハンドルを切ろうとする。

だがその前に、アキトの手が、正確に、確実に彼の動きを止めた。


「終わりだ。

 あんたが運んだ“荷”も、“名前”も――全部、朝のニュースに乗る」


フロントガラスの向こうで、朝日が完全に昇り始めていた。

港も都市も、ようやく目を覚ます。


そして――

久遠直哉の逃走は、その光の中で、静かに封じられた。


【2025年・午前5時18分/湾岸道路上空・影班作戦車】


安斎はモニターから視線を外さず、短く息を吐いた。

ドローン映像の右下に、速度と方位が淡々と表示されている。


「……運転が荒れてきたな。集中力が落ちてる」

隣でオペレーター席に座る追跡スペシャリスト・鷹宮が、別系統の画面を切り替えた。

道路脇の監視カメラ、交通量センサー、湾岸の気象データが一斉に重なる。


「南行き。次の分岐で一般道に逃げる可能性が高い」

鷹宮は指先でルートをなぞり、赤い予測ラインを走らせた。

「この先三百メートル、工事で車線が絞られている。速度は落ちる」


安斎は無線を取る。

「由宇、聞こえるか。挟み込むなら次だ」


『了解』

雑音混じりの返答の向こうで、由宇の声は冷静だった。


ドローンの映像が一瞬揺れ、SUVのブレーキランプが赤く灯る。

湾岸道路に、低いタイヤ音が伸びていく。


「……来るぞ」

安斎の低い声と同時に、画面上で予測ラインと実際の軌道が重なった。


夜が完全に明ける前の湾岸で、追跡は静かに、しかし確実に収束へ向かっていた。


【2025年・午前5時18分/港湾倉庫群・側道】


狭い側道に入った瞬間、空気が一変した。

倉庫の壁が左右から迫り、朝の光は上空の細い切れ目からしか差し込まない。

黒いSUVのエンジン音が反響し、逃げ場のない空間に重く響いた。


直哉はバックミラーを一瞥し、歯を食いしばる。

「……撒いたはずだろ」


助手席のアキトは、身体を揺らされながらも表情一つ変えず、シートベルトに指を掛けたまま外を観察していた。

倉庫番号、シャッターの位置、非常口――

逃走経路と遮蔽物を、無意識のうちに頭の中で整理していく。


「速度、落としすぎです」

低く、淡々とした声。

「この道幅なら、追跡側は無理に突っ込めない。逆に目立つ」


直哉は一瞬、助手席を睨んだ。

「……黙ってろ。お前は“協力者”だろ」


「ええ。だから言っています」

アキトは視線を前に戻したまま続ける。

「このまま南端の倉庫を抜ければ、旧フェンスがある。突破可能です」


その言葉に、直哉の呼吸がわずかに荒くなる。

知られている。

港の裏動線を、こちら以上に――。


次の瞬間、耳元のイヤピースがかすかに震えた。

周波数を絞った、短い通信。


『影班、確認。目標、倉庫B-17裏へ進入。ドローン高度下げる』


安斎の声だった。


アキトは一切表情を変えず、しかし指先だけでシート脇の送信ボタンを軽く叩く。

声は出さない。

ノイズに紛れた、極短のパルス。


――捕捉完了。


倉庫の角を曲がった瞬間、前方のシャッターが半分だけ下りているのが見えた。

直哉が舌打ちし、ハンドルを切る。


「チッ……どけ!」


SUVが減速した、その刹那。


上空から、低く唸る音。

影が、車体をなぞるように横切った。


直哉が顔を上げた瞬間、

倉庫の屋根縁に、黒いシルエットが一瞬だけ現れる。


――由宇。


次いで、側道出口の向こう。

逆光の中で、三つ目の影が静かに立ち上がった。


安斎だった。


逃走経路は、もう存在しない。


アキトは、ゆっくりとシートベルトを外した。

その動作が意味するものを、直哉はまだ理解していない。


港の朝は、静かで冷たく、

そして――確実に、終わりへと近づいていた。


【2025年・午前5時12分/港湾コンテナヤード】


直哉の喉が鳴った。

コンテナの壁が迫り、朝靄が視界を曇らせる。


「くそ……!」


ハンドルを切るたび、積荷の金属が低く軋む音を立てた。

逃げ場は限られている。直哉自身、それを理解していた。


助手席のアキトは、相変わらず無言だった。

作業員用の帽子を深くかぶり、膝の上に置いた工具ケースに手を添えたまま、前方を見据えている。


「……追ってきてるのか」


直哉が問いかけると、アキトは短く答えた。


「二台。距離は百五十メートル。ドローンも上だ」


その声は冷静で、感情の起伏が一切ない。

それが直哉の神経を逆撫でした。


「まだだ……まだ逃げ切れる」


直哉は強引にアクセルを踏み込み、コンテナの隙間を抜ける細道へ突っ込む。

だが、その先で視界が開けた瞬間、彼は息を呑んだ。


前方――

横一列に並べられたコンテナ。

道は、完全に塞がれていた。


ブレーキが悲鳴を上げ、SUVが急停止する。

タイヤが湿ったコンクリートの上で空転した。


同時に、背後からエンジン音が迫る。


影班の車両が左右から現れ、出口を完全に封じた。


ドアが開く音。

安斎が車外に出ると、ゆっくりと銃を下げたまま近づいてくる。


「久遠直哉」

低く、確信に満ちた声。

「ここまでだ」


直哉はハンドルに額を打ちつけ、荒く息を吐いた。

逃走経路、時間、部品、報道――

すべてが、もう繋がっている。


助手席で、アキトが静かにドアを開けた。


「降りろ」

それは命令でも、説得でもなかった。

ただの事実の宣告だった。


直哉は一瞬だけ彼を見た。

その横顔に、警察でも記者でもない“何か”を感じ取り、苦く笑う。


「……最初から、嵌められてたってわけか」


アキトは答えない。

ただ一歩、外へ出る。


朝日が、コンテナの隙間から差し込み始めていた。

霧の中、赤色灯が静かに回り、港の夜が完全に終わる。


こうして――

港と都市を繋いだ影の事件は、ひとつの終着点を迎えた。


【2025年・午前6時18分/市内臨時指揮室】


無線越しに港側の緊迫した報告を聞き終えると、玲はゆっくりと椅子から立ち上がった。

窓の外では、夜明けの光がビル群の隙間に差し込み始めている。


「……港側が捕まえたな」


低く、確信に満ちた声だった。

室内にいた捜査員たちが一斉に顔を上げる。


「久遠直哉、身柄確保。車両も押さえた。これで終わりだ」

玲は無線を切り、短く指示を出す。

「全員、署へ向かうぞ。裏の動線も洗い直す。逃げ道は全部潰す」


端末を操作していた奈々が、小さく息を吐いた。

「港の倉庫群を抜けて南へ逃げるルート……最短で、検問も避けてる」


玲はわずかに口角を上げ、独り言のように呟いた。


「さすがルートマスター……だが、今回は読み切った」


その言葉に、室内の空気が少しだけ緩む。

長い夜が、ようやく終わろうとしていた。


玲はコートを手に取り、出口へ向かう。

朝の光に照らされる街は、何事もなかったかのように動き始めている。


だが――

その静かな日常の裏で、確かに一つの闇が、港と都市の間で断ち切られたのだった。


【2025年・港湾倉庫群/午前6時12分】


久遠直哉は運転席から引きずり出され、冷たいアスファルトに膝をついた。

朝露を含んだ地面がズボンに染み込み、背中で縛られた両手に結束バンドが容赦なく食い込む。

荒い呼吸の合間に、錆びたコンテナの匂いと潮の冷気が肺に流れ込んだ。


「……くそ……」


直哉が顔を上げた瞬間、視界の端に黒いブーツが止まる。

影を落とすように立ったのは、作業員でも警備員でもない――

静かな圧を纏った男だった。


アキトはゆっくりとしゃがみ込み、直哉と目線を合わせる。

その視線には怒りも嘲りもなく、ただ事実を突きつける冷たさだけがあった。


「逃げ切ったつもりか?」


直哉は唇を噛み、何も答えない。


背後では安斎が無線で確保完了を告げ、由宇が周囲の死角を確認している。

コンテナの上を渡る朝の風が、金属同士を擦る低い音を運んできた。


アキトは小さく息を吐き、低い声で言った。


「――ルートマスターを、舐めんなよ」


その一言で、直哉の肩がわずかに震える。

物流、時間、逃走経路、偽装された動線――

すべてを読み切られた敗北だった。


少し離れた場所で、玲がその光景を見ていた。

耳元の無線からは現場整理完了の報告が流れ、彼女は静かに目を細める。


「終わったな」


誰に言うでもなく呟くと、港の向こうで朝日が完全に昇りきり、

長い夜の名残を、白い光が静かに塗り替えていった。


【2025年・午前7時18分/湾岸署・取調室】


蛍光灯の白い光が、金属製テーブルの表面に反射していた。

室内は無機質で、窓はなく、湿った港の空気だけがかすかに残っている。


刑事は一度、アキトから視線を外し、手元のファイルを開いた。

中には港の監視映像、ビルの解除記録、そして久遠直哉の拘束写真が綴じられている。


「通りがかったにしては、ずいぶん都合がいい場所だな」


アキトは椅子に深く腰を預け、肩の力を抜いたまま答える。

「港は広い。朝は誰でも通る」


刑事が鼻で短く笑う。

「45階の装置、駐車場の二つ目、港の部品。全部“通りがかり”か?」


壁の時計が、かちり、と一段大きな音を立てた。

アキトは一瞬だけ天井を見上げ、それから刑事に視線を戻す。


「偶然が重なっただけだ」


沈黙。

刑事はペンを置き、椅子をわずかに前へ寄せた。


「久遠直哉は、お前の隣で捕まった。

 逃走ルートも、港の裏道も、全部把握していた。

 あれは素人じゃない」


アキトの口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。

それは挑発でも余裕でもなく、事実をなぞるだけの表情だった。


「ルートマスターを舐めんなよ」


刑事の眉がぴくりと動く。

「……自分で認めるのか?」


「認めてない」

アキトは即座に言い切る。

「ただ、あいつが選んだ道が間違ってただけだ」


刑事はファイルを閉じ、深く息を吐いた。

「どのみち、全部繋がってる。港も、ビルも、久遠もだ」


アキトは何も言わず、視線をドアの方へ向けた。

その向こうで、誰かが静かに立ち止まる気配がする。


ノックはない。

だが、その沈黙の重さだけで十分だった。


この件は、もう個人の言い逃れで終わる段階ではない。

港と都市を貫いた一本の線は、完全に可視化されていた。


【2025年・】


金属のテーブルに肘をつき、アキトは指先でゆっくりとリズムを刻んでいた。

無言のまま、壁の時計の秒針だけが乾いた音を響かせる。

扉の向こうで鍵が回る音。


重い扉が開き、背の高い男が入ってきた。

グレーの囚人服、両手は前で軽く拘束されている。

短く刈られた髪と、目尻にかすかに残る古い切り傷。

その視線は真っ直ぐアキトを捉え、わずかに笑みを浮かべた。


 【2025年・取調室/午前9時12分】


男は椅子に座ると、金属の天板に視線を落とし、やがて小さく息を吐いた。


「久しぶりだな」


低く、掠れた声だった。

アキトは指先の動きを止めず、視線も上げない。


「誰と勘違いしてる」


男は肩をすくめた。

「現場に“通りがかっただけ”の作業員にしては、配線の切り方が綺麗すぎる」


その言葉に、アキトの指が一拍だけ止まる。

だが顔色は変わらない。


「爆弾処理班なら、誰でも知ってる手順だ」


「処理班“なら”な」

男――久遠直哉は、ゆっくり顔を上げた。

目の奥に、港で見せた焦りとは別の光が宿っている。


「だが、お前は違う。

 45階、地下駐車場、屋上――全部、最短ルートだった」


アキトはようやく視線を上げ、久遠を見据えた。


「だから言ったろ」


一拍置き、静かに告げる。


「――ルートマスターを舐めんなよ」


久遠の口元がわずかに歪む。

笑いとも、諦めともつかない表情だった。


「港から都市へ、都市から港へ……

 情報も、物も、人も、全部“流れ”で繋いだつもりだった」


「つもり、だな」

アキトは背もたれに身体を預ける。


「流れを読む奴がいるってこと、忘れてた」


取調室の外、ガラス越しに玲が腕を組んで立っていた。

隣で刑事が小声で状況を確認している。


玲は一瞬だけ口角を上げ、呟く。


「……さすが、ルートマスター」


取調室の中、久遠は天井を仰ぎ、小さく笑った。


「報道に出るか?」


「もう出てる」

アキトは淡々と言う。

「藤堂が、全部繋げた」


久遠は目を閉じた。

港のクレーン、夜のビル、霧の倉庫――

逃げ場は、もうどこにもない。


壁の時計が、午前9時13分を告げる。


港と都市を結んだ“流れ”は、そこで完全に断ち切られた。


【2025年・都内警察署 地下取調室/午前10時12分】


男は一瞬だけ視線を伏せ、それから肩をすくめた。

「相変わらず直球だな、アキト。昔からそうだ」


アキトは表情を変えない。

「雑談する気はない。港とビル、物流、爆破装置――全部繋がってる。核心だけ言え」


男は椅子に深く腰を沈め、拘束された手首を軽く鳴らした。

「今、握ってるのは俺じゃない。俺は……通過点だ」

「誰だ」

「名前は知らない。コードネームだけだ。“ルートマスター”」


アキトの指先が、わずかに止まる。

「……そいつが全体を?」

「ああ。港から都市まで、流れを一本で見てる。人も、物も、情報もな」


取調室の外、監視モニター越しに玲が低く息を吐いた。

「出たな……」


安斎が腕を組み、画面から目を離さず呟く。

「物流を支配するやつは、事件を支配する」


室内に戻る。


アキトは一歩だけ前に出た。

「そいつはどこにいる」

男は口角を上げる。

「教えたら、俺が生きて出られない」

「教えなくても、出られない」


沈黙。

蛍光灯が、じ、と小さく鳴いた。


やがて男は観念したように息を吐く。

「……港じゃない。都市でもない。“境目”だ」

「境目?」

「倉庫でも、ビルでも、署でもない。合法と違法の、ちょうど間」


アキトは静かに頷いた。

「それで十分だ」


男は目を細める。

「追うつもりか?」

「最初からそのつもりだ」


取調室のスピーカー越しに、玲の声が入る。

「解析班、今のワードを基点に洗い出せ。港湾、再開発区域、ダミー法人――全部だ」


由宇の落ち着いた声が続く。

「“境目”なら、必ず歪みが出る」


詩乃が淡々と付け加えた。

「歪みは、痕跡になる」


男は苦笑し、椅子にもたれた。

「相変わらず、チームが揃ってるな」


アキトは背を向け、扉へ向かう。

「忠告しとく。ルートマスターを舐めんなよ、って言われる前に――」

一瞬だけ振り返り、低く言った。

「俺たちを舐めるな」


扉が閉まり、金属音が取調室に残る。


通路に出たアキトを、玲が迎えた。

「……さすがルートマスター、か」

アキトは短く笑った。

「本物は、まだ表に出てない」


その先に続く“境目”を見据えながら、影班は次の動きへと静かに歩き出した。


【2025年・中央署・地下取調室 午前6時48分】


 蛍光灯が低く唸り、沈黙が一拍落ちた。


男は一瞬だけ目を細め、口角を上げる。

「……なるほど。道理でな」


アキトはそれ以上、何も言わなかった。

椅子を静かに引き、背を向ける。


扉へ向かう途中、立ち止まりもせず、淡々とした声だけを残す。


「勘違いするな」

「このルートを読んで、塞いで、終わらせたのは――」


振り返らないまま、短く告げた。


「俺だ。ルートマスターは」


金属扉が閉じる音が、重く響く。


男はしばらく、その音の残響だけを聞いていた。

やがて、誰にも届かない小さな声で呟く。


「……最悪の相手に当たったな」


通路の向こうでは、玲が時計を確認し、低く言った。


「終わったな」


アキトは歩きながら、肩越しに小さく息を吐く。


夜は、もう明けていた。


【2025年・夜明け直後・玲の自宅】


玄関先に、冷たい朝の空気が流れ込む。

由宇の髪から滴る水が、タイルに小さな音を立てた。


「港の“荷”……もう押さえた」


玲は一瞬だけ目を細め、防水ケースに視線を落とす。

その表情に、安堵と警戒が同時に浮かんだ。


「中身は?」

「全ロット。偽装伝票も含めてだ。搬出ルートは完全に潰した」


由宇はケースを差し出しながら、低く続ける。

「詩乃が裏を取ってる。港湾局の記録、書き換え前の原本も確保した」


玲はケースを受け取り、重みを確かめるように片手で持ち上げた。

中で、金属がわずかに触れ合う鈍い音がする。


「……これで、表も裏も繋がったな」


由宇は玄関の外を一度振り返る。

霧はまだ完全には晴れておらず、街は眠りと覚醒の境目にあった。


「アキトは?」

「拘束は解けた。あとは例の男の供述次第だろう」


玲は小さく息を吐き、ドアを閉める。

室内に戻った静けさの中で、彼女は短く呟いた。


「ルートマスターを舐めた代償は、高くつく」


由宇はその言葉に、わずかに口角を上げた。


外では、遠くで新聞配達のバイクが走り去っていく。

港も街も、何事もなかったかのように朝を迎えようとしていた。


だが――

水面下では、確かにひとつの“流れ”が断ち切られていた。


【2025年・/警察庁内・取調ブロック控室】


アキトは背もたれに身を預け、天井の蛍光灯を一瞬だけ見上げた。

白い光が、無機質に瞬いている。


「港を押さえて、ルートを潰して、証拠も表に出た」

低く、独り言のように呟く。

「……あとは、あいつが何を喋るか、だな」


隣で立っていた玲が腕を組んだまま答える。

「喋らせる必要はない。喋らなくても、詰んでる」

「そうだな。でも――」


アキトは口角をわずかに上げた。

「口を割らせたほうが、後が楽だ」


無線機が短く鳴る。

安斎の声が、雑音混じりに届いた。


『久遠直哉、拘束完了。弁護士要請中だ』

「了解」


アキトは立ち上がり、ジャケットを羽織る。

机の上に置かれたファイルには、港の倉庫、輸送記録、製造番号、そして赤字で囲まれた一行。


――物流管理責任者:久遠直哉


「……ルートマスター気取りも、ここまでだ」


玲が小さく息を吐いた。

「表に出ない仕事は、表に出た瞬間に終わる」

「違いない」


アキトはドアに手をかけ、振り返らずに言った。

「じゃあ、行ってくる。最後の確認だ」


扉が閉まる。

廊下に、足音が一つ、静かに遠ざかっていった。


港も、街も、ようやく朝の顔を取り戻しつつあった。

だが、その裏で張り巡らされていた“道”は、確かに今夜、完全に断たれたのだった。


【2025年・午後3時12分/玲のオフィス】


玲は部品を一つ取り出し、白い布の上に置いた。

金属表面には細かな腐食跡があり、港の塩分と湿気に長時間さらされていたことを物語っている。


「……量産品じゃないな」


低く呟くと、アキトが椅子を引いて隣に立った。

指先で基板の端をなぞり、刻印を確かめる。


「手作業だ。しかも癖がある」

「久遠のか?」

「いや……久遠は“運ぶ側”だ。これは――」


アキトは一瞬言葉を切り、由宇と視線を交わした。


「作れる人間は限られてる。港と都市、両方を知ってて、なおかつ表に名前が出ない技術屋だ」


詩乃がケースの奥から防水封筒を引き抜く。

中には、滲んだインクで書かれた管理番号と、簡単な記号列。


「これ、輸送管理コード。港湾側の非公式ルート用」

「つまり……」由宇が続ける。

「まだ“完全には”潰れてない」


室内に、短い沈黙が落ちた。

窓の外では、午後の街が何事もなかったかのように動いている。


玲は封筒を閉じ、防水ケースの蓋を静かに戻した。


「久遠は捕まった。荷も押さえた。報道も出た」

視線を上げ、三人を見る。

「それでも終わってないなら――」


アキトが、わずかに口角を上げた。


「次は、作った奴だな」


由宇がジャケットを羽織り直し、詩乃は無言で手袋を嵌める。

安斎の声が、別室の無線から割り込んできた。


『解析班からだ。刻印の一部、過去の案件と一致した』

「場所は?」玲が即座に問う。

『湾岸外れ。廃業した修理工場だ』


玲は立ち上がり、バインダーを手に取った。


「……行くぞ。港の影は、まだ完全には消えてない」


午後の光の中、防水ケースは再び閉じられた。

だがその中に眠る部品は、次の夜を確実に指し示していた。


【2025年・警察庁取調室】


冷たい蛍光灯の下、男の顔色は午前中よりも明らかに悪くなっていた。

机の上には、彼の身元を裏付ける数枚の書類と、押収された携帯端末。


アキトは椅子に深く腰掛けたまま、書類に視線を落とし、淡々と口を開く。

「久遠直哉。表向きは物流コンサル、裏では港湾ルートの調整役。

爆薬、部品、人間――全部、お前の指示で動いてた」


久遠は喉を鳴らし、視線を逸らした。

「……証拠は?」


「港のコンテナ、搬出記録、製造番号」

アキトは端末を一つ、指先で久遠の前に滑らせる。

「それに、あんたが切ったと思ってた“保険”。

全部、もうこっちで回ってる」


久遠の口元がわずかに歪む。

「藤堂か……あの男、嗅ぎ回るのが早すぎる」


「報道だけじゃない」

アキトは静かに言葉を重ねる。

「ルートそのものを、上書きした」


久遠が顔を上げた。

「……何をした?」


「港から都市までの裏ルート」

アキトは初めて、はっきりと久遠の目を見据える。

「今は全部、俺の管理下だ」


数秒の沈黙。

蛍光灯の唸りだけが、部屋に残る。


久遠は小さく息を吐き、乾いた笑いを漏らした。

「なるほど……最初から逃げ道はなかった、か」


アキトは立ち上がり、背を向ける。

扉へ向かいながら、去り際に一言だけ残した。


「覚えとけ。

ルートマスターは――俺だ」


扉が閉まる。

残された久遠は、机の上の書類と端末を見つめたまま、動けずにいた。


【2025年・午後2時18分/港湾地区・第七倉庫前】


午後の陽射しに照らされ、錆びた外壁と消えかけたペンキ文字が、倉庫の古さを物語っていた。

影班の安斎が双眼鏡を下ろし、短く報告する。

「出入りは少ないが、港湾作業員の格好をした見張りが三人。背後の通用口に車が一台」


由宇は倉庫全体を一度見渡し、足元の影の動きを確認した。

「人の流れが不自然だ。作業時間帯にしては静かすぎる」


詩乃が耳元のイヤーピースを押さえ、低い声で続ける。

「港湾局の公式スケジュールでは、この時間、この倉庫は“空”のはず。

 それでも人がいるってことは……」


安斎が小さく鼻で笑う。

「表に出せない荷、ってわけだな」


少し離れた場所で、作業員の制服に身を包んだアキトが工具箱を肩にかけ、倉庫へ向かう通路に立っていた。

帽子を深く被り、顔は影に落としている。


無線が短く鳴る。

『アキト、入れるか』玲の声だった。


「問題ない」

アキトは視線だけで見張りの配置をなぞりながら答える。

「通用口の車、エンジンがまだ温い。中に誰か残ってる可能性がある」


『無理はするな。中の確認が最優先だ』


「了解。――五分で合流する」


通信を切ると、アキトは自然な足取りで倉庫の脇を回り込む。

金属製の扉の前、見張りの男が一瞬だけ彼を見るが、工具箱と制服に視線を落とし、それ以上は追わなかった。


その様子を双眼鏡越しに見届け、安斎が呟く。

「……さすがだな」


由宇は短く息を吐き、低く告げる。

「中に“核心”がある。ここが終点だ」


倉庫の奥へ続く影の中で、見えない歯車が、確実に噛み合い始めていた。


【2025年・午後4時18分/湾岸・灯台倉庫外縁】


海風がフェンスを低く鳴らし、遠くでブイの鈍い音が重なった。

影班の三人は、灯台倉庫の外壁に沿って身を寄せ、最終確認の無線を回す。


「時刻、16時18分。こちら由宇。外周、異常なし」

由宇はフェンス越しに倉庫周辺を見渡し、視線だけで距離と死角を測る。


詩乃が小型端末を確認しながら、淡々と告げた。

「港湾局の入退記録、今ここで止まってる。公式ルートは使ってないわ。中は“非正規”だけ」

指先には薄手の手袋。ポケットには薬剤と小型の封緘具が収まっている。


安斎は倉庫裏の通用口に目を向け、低く息を吐いた。

「見張り三人。配置は変わらない。……だが、空気が張ってる。中に誰かいるな」

ダークグレーのコートの内側、精神制圧用の装備に手がかかる。


無線に短いノイズが走り、玲の声が入った。

『確認した。ここからは静かに行け。目的は“回収”と“裏取り”だ。派手にはするな』


由宇が小さく頷く。

「了解。影班、侵入準備」


三人は合図もなく散った。

由宇はフェンスの影から死角を縫い、詩乃は倉庫脇の排水口へ滑り込む。

安斎は一歩遅れて動き、見張りの視線がわずかに逸れた瞬間を逃さなかった。


倉庫の壁に手を当て、由宇が低く囁く。

「……内部、二層構造。上に人の気配。足音、三。武装は軽い」


詩乃がイヤーピース越しに応じる。

「空気中、揮発性なし。爆薬は密閉保管。位置、奥の区画ね」


安斎は短く笑った。

「なるほど……物流の最終ノードか。

――“ルートマスター”が使いそうな場所だ」


重い倉庫の影の中、三人は同時に呼吸を整えた。

ここが終点だと、誰もが理解していた。


【2025年・午後3時18分/港湾地区・灯台倉庫】


煙幕の中で、詩乃の声が低く短く飛ぶ。

「視界、奪った。右二、左一」


由宇は返事をせず、床を滑るように前進した。

煙の揺らぎ、足音の間隔、呼吸の乱れ――すべてが位置情報になる。

左手の男が一歩踏み出した瞬間、由宇の一撃が手首を弾き、武器が床に転がる。


「落とした」


安斎はその声と同時に、背後の通用口へ回り込んでいた。

コンテナの影から飛び出した見張りが振り向くより早く、体勢を崩させ、肘を極める。


「動くな。抵抗するな」


男は短く呻き、床に伏せた。


煙の向こうで残る一人が咳き込み、視界を確保しようと前に出る。

詩乃は無音で距離を詰め、肩越しに囁いた。


「終わりよ」


手首を捻り、関節を固定する。

力は最小限、だが逃げ道は完全に断たれていた。


数秒後、煙が薄れ始める。

倉庫の中央には、制圧された三人と、床に転がる武器。

由宇は周囲を一周し、異常がないことを確認する。


「制圧完了。死角なし」


安斎が無線を入れた。

「こちら影班。灯台倉庫、制圧完了。負傷者なし、確保三名」


詩乃は棚の奥へ歩き、木箱の刻印を確認する。

港湾コード、搬入日、そして――見覚えのある番号。


「……やっぱりね。物流、ここで繋がってる」


倉庫の外では、海風がフェンスを鳴らしていた。

騒音も悲鳴もない。

ただ、静かに、確実に――港の闇が一つ、押さえられた瞬間だった。


【2025年・】


詩乃は階段を駆け上がり、薄暗い廊下を進んだ。

一つ目の部屋――

古びた事務机と散乱した帳簿だけ。

無線が耳元で鳴る。

『目標は二部屋目、奥の左』

玲の声は冷静そのもの。


 【2025年・午前11時34分/港湾区域・灯台倉庫 内部】


詩乃は呼吸を整え、足音を殺して二部屋目へ向かう。

床板がわずかに軋み、壁の向こうから低い話し声が漏れ聞こえた。


「……時間がない。荷は今日中に動かす」

男の声。

金属が触れ合う乾いた音が続く。


詩乃は壁際に身体を寄せ、指先でカウントを刻む。

三、二――。


無線が一瞬だけ鳴った。

『由宇、配置についた』

『安斎、背後通路クリア』


詩乃は深く息を吸い、扉を一気に開いた。


「動くな!」


閃光。

スタンライトが部屋を白く裂き、男たちの視界を奪う。

反射的に上がった銃口が空を切り、次の瞬間、由宇の放った制圧弾が床を叩いた。


「武器を捨てろ。次は足だ」


低く、感情のない声。

男の一人が膝をつき、銃が床に転がる。


詩乃は即座に距離を詰め、関節を極めて床に押さえ込む。

「抵抗するなら、意識を落とすだけ」


安斎が背後から入り、残る一人の腕をひねり上げた。

「制圧完了。二名確保」


部屋の奥には、積まれた木箱。

蓋の隙間から覗くのは、防水加工された金属ケース。


詩乃は一つを開き、中身を確認する。

基板、起爆回路、同一規格の部品番号。


「……当たりね。都市側と同型」


無線越しに、玲の声が返る。

『確認した。搬出ルート、これで全部繋がる』


倉庫の外で、遠くサイレンが近づいてくる。

詩乃は箱の蓋を閉じ、静かに立ち上がった。


「終わり。あとは引き渡すだけ」


煙の残る室内で、影班は無言のまま次の動きへと移っていった。


【2025年・/都内某所・非公開捜査室】


城戸透は、ゆっくりと椅子にもたれかかった。

蛍光灯の白い光が、ファイルの紙面を無機質に照らす。


「……ここまで、繋がってたか」


指先で写真の一枚を弾く。

水城湊――港湾物流を牛耳ってきた男。

その背後に、政治家の名、企業の口座、そして“久遠直哉”のルート。


扉の外で、足音が止まる。

続いて、控えめなノック。


「入れ」


扉が開き、玲が入ってくる。

その背後に、安斎と由宇。

詩乃は扉脇に立ち、無言で周囲を警戒していた。


「揃ったな」

城戸はファイルを閉じ、机の中央へ滑らせる。

「港、都市、倉庫……全部、この線で繋がる」


玲はファイルに目を落とし、静かに言った。

「水城湊。表に出るのは、ここが限界ですね」


「いや」

城戸は短く首を振る。

「出す。全部だ。藤堂が待ってる」


由宇が一瞬だけ視線を上げる。

「……世間が動きます」


「動かすんだ」

城戸の声は低く、しかし迷いがなかった。

「二十年分の澱だ。今、流さなきゃ意味がない」


詩乃が小さく息を吐く。

「……後戻りはできませんね」


玲は無言で頷いた。

その表情は、覚悟を決めた者のそれだった。


「アキトは?」と城戸が問う。


「もう一段、奥を締めに行ってます」

安斎が答える。

「“ルートマスター”として」


その言葉に、城戸はわずかに笑った。

「らしいな」


窓の外、夕暮れの空に雲が流れていく。

港も、都市も、その下で何事もなかったかのように動いている。


だが――

見えないところで張り巡らされた線は、すでに切られ始めていた。


玲は静かに言った。

「終わらせましょう。今回で」


城戸は立ち上がり、扉へ向かう。

「いや。“始める”んだ。

 隠れていたものを、全部、光の下へな」


背後で、ファイルの紙がわずかに鳴った。

それは、港から始まった長い夜が、確実に朝へ向かっている音だった。


【2025年・港湾地区・灯台倉庫/午前11時過ぎ】


城戸透はページをめくる指先を震わせながら、低く吐き出すように言った。


「……ここまで、掴まれてるとはな」


蛍光灯の唸りが、やけに大きく聞こえる。

ファイルの上で止まったのは、水城湊の写真だった。

港の利権調整役、表向きはただの物流コンサルタント。

だが、その裏で爆破装置の部品と資金を流していた中枢の一人。


「港も、政治も、運送も……全部、一本で繋がってやがる」


城戸は苦く笑い、椅子の背にもたれた。

その瞬間――。


廊下の奥で、床を踏みしめる音。

重ならない、三人分の足音。


ドアノブが、ゆっくりと回った。


「動くな」


低く、冷静な声。

由宇が銃口をわずかに下げた位置で構え、照準は城戸の胸元に据えられている。

左右には、詩乃と安斎。

逃げ場はない。


城戸は両手を上げながら、乾いた笑いを漏らした。


「影班、か……。噂通りだな」


詩乃が一歩前に出る。

その視線は感情を含まず、事務的だった。


「城戸透。港湾法違反、組織的爆発物取締法違反、資金洗浄。任意同行を要請する」


「“任意”ね……」


城戸は視線を由宇に移し、わずかに眉を上げた。


「水城は? もう捕まったのか」


由宇は答えない。

代わりに、安斎が短く告げた。


「逃走ルートは全部潰した。あとは、お前が口を割るだけだ」


城戸は一瞬だけ目を閉じ、それから、観念したように息を吐いた。


「……ルートマスターが相手じゃ、無理か」


その言葉に、廊下の無線が小さく反応する。


『確保、確認した』

玲の声だった。


「そのまま連行しろ。港はもう、こちらで押さえてる」


由宇が頷き、城戸の背後に回る。

手錠がかかる金属音が、静かな倉庫に響いた。


城戸は最後に、机の上のファイルをちらりと見やり、呟く。


「……港は、もう昔みたいには戻らねぇな」


詩乃は淡々と返した。


「最初から、戻れる場所じゃなかった」


三人は城戸を挟み、倉庫を後にする。

外では、潮の匂いと午後の光が、容赦なく現実を照らしていた。


――港の闇は、静かに、しかし確実に終わりへ向かっていた。


【2025年・午前11時42分/全国ネット報道スタジオ】


藤堂は原稿から静かに手を離し、背筋を正したまま言葉を継いだ。


「現場は現在も緊迫した状況が続いています。港湾第七ターミナル、対象となっているのは今朝未明に出港準備を進めていた貨物船一隻。捜査関係者によりますと、積み荷の中に、これまで都市部および港湾で発見された爆破装置と同系統の部品が含まれている可能性が高いとのことです」


背後の大型モニターには、上空からの中継映像が映し出される。

灰色の海面、岸壁に沿って展開する警察車両、そして船体に取り付く黒い影――影班だ。


「突入にあたっている影班は、港湾・都市両事件を横断して追跡を続けてきた専門部隊です。内部では武装した関係者が立てこもっていると見られ、警察は一般人への被害を最小限に抑えるため、慎重な制圧を進めています」


藤堂の声は終始低く、しかし一語一句が重く響いた。


「今回の一連の事件は、単なる爆破未遂ではありません。物流、偽装、情報操作――複数の専門ルートが組み合わされた、極めて計画的な犯罪です」


一瞬、間を置く。


「そして今、その“流れ”そのものが、港で断ち切られようとしています」


カメラの赤いランプが点灯したまま、スタジオは静まり返る。

藤堂はわずかに息を吸い、視線を逸らさずに締めくくった。


「新たな情報が入り次第、続報をお伝えします。現場からは以上です」


その言葉が放たれた直後、画面は再び港のライブ映像へ切り替わった。

貨物船の甲板で、白煙が上がる――突入は、すでに最終局面に入っていた。


【2025年・午前4時12分/港湾第七ターミナル・旧冷蔵倉庫】


サイレンの残響が霧に吸い込まれ、港は再び不気味な静けさを取り戻しつつあった。

濡れたコンクリートの上に膝をつかされた黒幕の男は、拘束された両手をわずかに動かし、安斎を見上げる。


「……ここまでか」


低く掠れた声だった。


安斎は男の背中を押さえたまま、視線を一切逸らさない。

暗視ゴーグルを外し、冷え切った空気の中で淡々と言った。


「ここまで“来させた”のは、お前だ。港を甘く見すぎたな」


男は喉の奥で小さく笑った。

その笑みは敗北を認めたものではなく、どこか計算の残滓を含んでいる。


そこへ、足音を殺すようにして一人の男が近づく。

灰色のコート、首から下げた簡易端末、港湾作業服とも警察装備とも違う中間の装い。


港湾動線解析スペシャリスト――

城戸透。


城戸は周囲を一瞥し、無線機を切ってから男の前にしゃがみ込んだ。


「貨物船、第三バースで足止め完了。

 偽装書類、積み替えルート、全部洗った。

 あんたが使ってた“逃げ道”は、もう地図から消えたよ」


男の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「……解析屋か」


「そう呼ばれるのは嫌いじゃない」

城戸は淡く息を吐く。

「港はね、道じゃない。“癖”で動いてる。

 その癖を読める人間を敵に回した時点で、詰みだ」


安斎が男を立たせ、警察に引き渡す。

手錠の金属音が、やけに大きく響いた。


背後では、由宇が無言で周囲を警戒し、詩乃が押収物の最終確認を終えて頷く。

クレーンの影から、作戦車のライトが一瞬だけ灯った。


男が連行される直前、振り返り、ぽつりと呟く。


「……ルートマスターは、俺だと思っていたがな」


その言葉に、低い声が返る。


「違う」


霧の向こうから歩み出たアキトだった。

制服姿、だがその立ち方と目線が、ただの警察関係者ではないと告げている。


アキトは男の横を通り過ぎ、去り際に一言だけ残した。


「ルートマスターは――

 “最後まで残る道”を知ってる奴だ」


男の表情が、初めて完全に崩れた。


朝焼けが、港の端をわずかに染め始める。

長い夜は終わり、港は再び“表の顔”を取り戻そうとしていた。


だが、消えたわけではない。

ただ――

制圧されただけだ。


影班は、静かに次の動きへと散っていった。


【2025年・成田空港 到着ロビー】


フラッシュの嵐が遠ざかると、空港特有の低いアナウンスと人波のざわめきが戻ってきた。

エリートスペシャリストは足を止めず、わずかに肩越しで振り返る。


玲がその視線を受け、静かに言う。

「港も都市も、表の線は全部繋がった。あとは――裏だ」


由宇は周囲を一瞥し、無意識に人の流れを読んで立ち位置を調整する。

「もう動いてます。噂は早い」


詩乃は小さく息を吐き、手袋を外した。

「証拠は揃った。消す側じゃなく、残す側の仕事ね」


少し遅れて歩いていた安斎が、低く呟く。

「終わった事件ほど、油断すると噛みつく」


黒いスーツの男はそれに答えず、ただ前を見据えたまま言った。

「だから、俺たちは戻る。――次の線が引かれる前に」


ガラス越しに差し込む朝の光が、床に細長い影を落とす。

影班と玲はその影を踏み越え、雑踏の中へと溶けていった。


港も、街も、静けさを取り戻したように見える。

だが、物流の裏を知る者たちは理解していた。

線は消えたのではない。

見えない場所へ、引き直されただけなのだ――。


静かに、次の夜のために。


【2025年・】


港と都市、それぞれで戦ったメンバーが、久々に一堂に会した。

テーブルの中央には湯気の立つコーヒー、そして一枚の新聞。

見出しには――


「港湾テロ計画、未然に阻止 物流ルートを断つ“影の部隊”の動き」


太字の活字の下には、夜明けの港を俯瞰した写真。

規制線、クレーン、押収されたコンテナ、そしてぼかしの入った複数の人物。


由宇が新聞を手に取り、静かに読み上げる。

「爆破未遂事件と港湾殺人事件は、同一の物流網を利用した組織的犯行。警察は首謀者の身柄を確保し、背後関係の解明を進めている、か……」


詩乃がコーヒーに口をつけ、視線だけで紙面を追う。

「名前は出てない。ルートも、内部の手口も伏せたまま」


安斎が鼻で短く息を吐いた。

「藤堂らしい落としどころだな。必要なことだけ、世間に渡した」


少し遅れてページをめくった玲が、紙面の隅に目を留める。

小さな囲み記事。


《関係者の証言によれば、今回の事件解決には、複数分野の専門家による連携が大きな役割を果たしたという》


玲はその一文を指で軽く叩き、低く言った。

「十分だ」


アキトは椅子にもたれ、新聞越しに皆を見回す。

「表に出ない仕事は、こういう形でいい」


窓の外では、昼の港が静かに動き始めている。

クレーンが回り、車が行き交い、何事もなかったかのように日常が続く。


由宇が新聞を畳み、テーブルに戻した。

「……でも、線は全部切れたわけじゃない」


玲は頷いた。

「切ったのは“見えるルート”だけだ。

 だから――次もある」


誰も否定しなかった。

コーヒーの湯気が細く立ち上り、静かな時間が流れる。


事件は終わった。

だが、彼らの仕事は、まだ続いている。


【2025年・】


湯気の立つコーヒーの香りが、張り詰めていた空気をわずかに和らげていた。

机の中央には大判の地図が広げられ、赤いピンが三か所に刺さっている。


その脇に置かれた朝刊の一面。

太字の見出しが、無言のまま全員の視線を集めていた。


《港湾・都市連続爆破計画 全容解明》

《物流ルートを掌握した“影の司令塔”逮捕》

《二十社超のダミー会社、資金洗浄の実態》


写真には、夜明けの港と規制線、ぼかしの入った黒幕の姿。

小さな囲み記事には、爆破装置の製造番号一致、内部告発、

そして“影班”という名称は伏せられたまま、

「警察特殊部隊と民間協力者」とだけ記されている。


由宇が新聞を指先で押さえ、淡々と言った。

「全部、繋げたな。港、都市、資金……逃げ道はない」


詩乃はコーヒーを一口飲み、静かに視線を地図へ戻す。

「それでも、赤ピンは三つ。完全じゃない」


安斎が低く笑う。

「残りは時間の問題だろ。ルートはもう潰した」


少し離れた位置で、アキトは椅子に背を預けたまま新聞を見ていた。

「……名前は出てない。ちょうどいい」


玲は最後に新聞を畳み、机の端に置く。

「表に出るのは、ここまででいい。

 次は、名前の載らない仕事だ」


誰も異論は口にしなかった。

コーヒーの湯気がゆっくりと消え、

地図の赤いピンだけが、次の行き先を無言で示していた。


【2025年・】


湯気の立つコーヒーの香りが、張り詰めていた空気をわずかに和らげていた。

机の中央には大判の地図が広げられ、赤いピンが三か所に刺さっている。


その脇に置かれた朝刊の一面。

太字の見出しが、無言のまま全員の視線を集めていた。


《港湾・都市連続爆破計画 全容解明》

《物流ルートを掌握した“影の司令塔”逮捕》

《二十社超のダミー会社、資金洗浄の実態》


写真には、夜明けの港と規制線、ぼかしの入った黒幕の姿。

小さな囲み記事には、爆破装置の製造番号一致、内部告発、

そして“影班”という名称は伏せられたまま、

「警察特殊部隊と民間協力者」とだけ記されている。


由宇が新聞を指先で押さえ、淡々と言った。

「全部、繋げたな。港、都市、資金……逃げ道はない」


詩乃はコーヒーを一口飲み、静かに視線を地図へ戻す。

「それでも、赤ピンは三つ。完全じゃない」


安斎が低く笑う。

「残りは時間の問題だろ。ルートはもう潰した」


少し離れた位置で、アキトは椅子に背を預けたまま新聞を見ていた。

「……名前は出てない。ちょうどいい」


玲は最後に新聞を畳み、机の端に置く。

「表に出るのは、ここまででいい。

 次は、名前の載らない仕事だ」


誰も異論は口にしなかった。

コーヒーの湯気がゆっくりと消え、

地図の赤いピンだけが、次の行き先を無言で示していた。


【2025年・】


【2025年・】


湯気の立つコーヒーの香りが、張り詰めていた空気をわずかに和らげていた。

机の中央には大判の地図が広げられ、赤いピンが三か所に刺さっている。


その脇に置かれた朝刊の一面。

太字の見出しが、無言のまま全員の視線を集めていた。


《港湾・都市連続爆破計画 全容解明》

《物流ルートを掌握した“影の司令塔”逮捕》

《二十社超のダミー会社、資金洗浄の実態》


写真には、夜明けの港と規制線、ぼかしの入った黒幕の姿。

小さな囲み記事には、爆破装置の製造番号一致、内部告発、

そして“影班”という名称は伏せられたまま、

「警察特殊部隊と民間協力者」とだけ記されている。


由宇が新聞を指先で押さえ、淡々と言った。

「全部、繋げたな。港、都市、資金……逃げ道はない」


詩乃はコーヒーを一口飲み、静かに視線を地図へ戻す。

「それでも、赤ピンは三つ。完全じゃない」


安斎が低く笑う。

「残りは時間の問題だろ。ルートはもう潰した」


少し離れた位置で、アキトは椅子に背を預けたまま新聞を見ていた。

「……名前は出てない。ちょうどいい」


玲は最後に新聞を畳み、机の端に置く。

「表に出るのは、ここまででいい。

 次は、名前の載らない仕事だ」


誰も異論は口にしなかった。

コーヒーの湯気がゆっくりと消え、地図の赤いピンだけが、次の行き先を無言で示していた。


藤堂はネクタイを緩め、ガラス越しに夜景を眺めたまま、ゆっくりと息を吐いた。

スタジオの喧騒は背後に遠ざかり、残っているのは低く唸る空調音だけだ。


港のクレーンは黒い影となり、役目を終えた巨人のように動かない。

その向こう、都市の灯りが滲み、無数の窓が星座のように瞬いていた。


「……終わった、か」


誰に向けた言葉でもなく、独り言のように零れる。

だが、藤堂の視線は一点に留まらない。

港、ビル、倉庫、道路――

今夜つながった線を、頭の中で何度もなぞっている。


机の上には、すでに次の取材メモが置かれていた。

押収された物流ルート、名前が伏せられた協力者、まだ表に出ていない資金の流れ。


「全部は出せない……だが、出さなきゃならない」


報道スペシャリストとしての冷静さと、記者としての矜持が、その背中に重なっていた。


ガラスに映る自分の顔は、疲れているが、迷いはない。

藤堂は静かに踵を返し、スタジオの明かりの中へ戻っていく。


真実は、今夜で終わらない。

ただ一歩、光の下に引きずり出されただけだ。


港と都市を結んだ闇は薄れつつある。

だがそれを見届ける目は、まだ眠らない。


【2025年・午後9時12分/対策本部・簡易ブリーフィングルーム】


アキトが机に置いた封筒は、紙の擦れる音ひとつ立てずに滑り止まった。

部屋の空気が、わずかに沈む。


「羽津でも津羅でもない」

低い声だったが、はっきりとした響きがあった。

「ここだ」


封筒の中から取り出されたのは、複数の輸送伝票と、手書きのメモ。

由宇が覗き込み、詩乃は一瞬だけ目を細める。


「……中継地?」

安斎が地図に視線を戻し、赤いマーカーの空白地帯を探す。


アキトは頷いた。

「表に出ない港。正式な国際港じゃないが、貨物の“抜け道”になってる」

指先で地図を叩く。

「検査が甘い。帳簿も三日遅れ。ここを通せば、羽津にも津羅にも痕跡を薄めて流せる」


玲が腕を組み、静かに呟く。

「……第三の港」


「いや」

アキトは視線を上げ、玲と目を合わせた。

「第四だ。表の三つは囮。実際に“回してる”のは、ここ一か所」


詩乃が短く息を吐いた。

「なるほど。だから部品の製造番号が微妙にずれてた。再梱包の痕跡……」


由宇が赤いマーカーを一本、ゆっくりと追加する。

地図の端、これまで誰も指さなかった地点。


「名前は?」安斎が問う。


アキトは一拍置いてから答えた。

「潮見旧埠頭。今は倉庫会社の私有地扱いだ」


部屋の時計が一秒進む音が、やけに大きく響いた。


玲は地図を見つめたまま、静かに言う。

「……さすがルートマスター」


アキトは肩をすくめ、わずかに口角を上げた。

「舐められると困る仕事でな」


コーヒーの湯気が、再び立ち上る。

次の標的は、もう決まっていた。


【2025年・夜/玲の事務所】


玲はソファに腰掛けたまま、しばらく窓の外から視線を戻さなかった。

夜景の中に、港のクレーンの影がまだ残っている気がしている。


机の上の錆びた鍵に、朱音の視線が落ちる。


「……これ、港の?」


朱音が静かに尋ねると、玲は小さく頷いた。


「倉庫の裏。誰も気に留めない場所に落ちていた」

「使われてた、ってこと?」

「使われてた。でも――表に出るための鍵じゃない」


朱音はカップを玲の前に置き、湯気の向こうから鍵を見つめた。


「隠すための、だね」


その言葉に、玲は初めて朱音を見た。

わずかに口角が上がる。


「……鋭いな」


ノックもなく、事務所のドアが静かに開く。

入ってきたのはアキトだった。ジャケットを肩に掛け、表情はいつも通り淡々としている。


「分析終わった」

「早いな」


アキトは机に近づき、鍵を一瞥した。


「港湾の旧管理区画用だ。正式には二十年前に廃止されてる」

「じゃあ――」


玲が続きを促すと、アキトは短く息を吐いた。


「知ってる人間しか使えない。

 しかも最近、内部から一度だけ開閉された痕跡がある」


朱音が小さく目を見開く。


「終わった、って思ってた人たちの中に……」

「まだ、動いてるのがいる」


アキトの言葉を継ぐように、奥の部屋から由宇が現れた。

手にはタブレット。


「港のログ、全部洗った。

 表に出てるルートは潰れてるけど、地下が一本、生きてる」


玲は鍵を手に取り、重さを確かめるように指で転がした。


「――つまり」


視線が三人を順に巡る。


「これは“次”の扉だ」


窓の外で、遠くサイレンの音がひとつ鳴り、すぐに消えた。

事務所には、コーヒーの香りと、静かな緊張だけが残っている。


朱音が小さく、しかしはっきりと言った。


「まだ、終わってないんだね」


玲は頷き、錆びた鍵を机の中央に置いた。


「終わらせるところまでが、俺たちの仕事だ」


その言葉に、誰も異を唱えなかった。


玲は鍵に視線を落としたまま、静かに息をついた。

金属は小さく、錆びている。それでも――

まだ開けられていない扉が、確かにどこかに残っていることを示していた。


朱音は何も聞かず、ただ隣に座る。

窓の外では、都市の灯りが規則正しく瞬き、港の方角だけがわずかに暗い影を残していた。


「終わった、とは言えないな」

玲の独り言のような声に、朱音は小さく頷く。


遠くで、誰かの携帯が短く震えた。

新しい情報、新しい名前、新しい場所――

次の線が、静かに引かれようとしている。


玲は立ち上がり、鍵をコートのポケットにしまった。

影班も、報道も、街も、まだ動いている。


真実は一つ捕まえれば終わるものじゃない。

それは連なり、繋がり、次の闇を指し示す。


夜景の向こうで、まだ見ぬ事件が息を潜めている。


――この話は、続く。


【2025年・午前6時12分/港湾第七ターミナル】


夜明けの港は、あの騒動が嘘だったかのように静かだった。

クレーンはいつもの速度で動き、コンテナの列に作業員の声が響く。


「……結局、何があったんだ?」

ヘルメットを被った若い作業員が、岸壁を見ながら呟いた。


年配の作業長は、コーヒー缶を一口あおってから答える。

「知らんほうがいいこともある。港はな、動いてりゃそれでいい」


フォークリフトが低い音を立てて通り過ぎ、濡れた路面に朝日が反射する。

その端で、一人の女が立ち止まり、スマートフォンを閉じた。


詩乃だった。

作業服姿で、今はもう“影班”の雰囲気を微塵も見せない。


「……搬出記録、すべて正常」

彼女は独り言のように呟き、倉庫の列を見渡す。


耳元のイヤピースから、短い応答が返ってきた。

『了解。港は日常に戻ったな』

由宇の声だった。


詩乃は小さく息を吐く。

「日常、ね……壊れなかっただけ、良しとするか」


岸壁の先では、新聞配達のバイクが止まり、束ねられた朝刊が投げ渡されていた。

一面には、控えめな見出し。


《港湾爆破未遂事件 全容解明へ》


だが、そこに“影班”の名はない。

それでいい、と詩乃は思う。


彼女はヘルメットを深く被り直し、作業員たちの流れに紛れて歩き出した。

背後で、波が岸壁を叩く音が、いつもと変わらない調子で続いている。


港は今日も動く。

何事もなかったかのように。


【2025年・午前10時/湾岸署 取調室】


冷たい蛍光灯の下、久遠直哉は俯いたまま椅子に座っていた。

手首の拘束は外されているが、机の上に揃えられた書類と録音機が、逃げ場のなさを静かに示している。

机の向こうで、刑事が淡々とページをめくる音だけが続いていた。


「久遠直哉。港湾物流管理会社・元外注責任者」

刑事は視線を上げずに言う。

「爆発物の部品調達、偽装伝票の作成、複数の倉庫経由ルート……ここまで揃っている。何か付け加えることは?」


久遠は小さく息を吐き、唇の端を歪めた。

「……俺が喋らなくても、もう全部出てるだろ」


その時、取調室の扉がノックもなく開いた。

刑事が顔を上げるより早く、久遠の視線がそちらへ向く。


入ってきたのは、ラフなジャケット姿の男だった。

警察関係者でも、弁護士でもない。

だが、その歩き方だけで、場の空気が一段低くなる。


「……あんたか」


久遠の声が、わずかに揺れた。


アキトは壁際に立ち、取調室を一瞥してから、刑事に軽く顎を引いた。

「少しだけ。私的な確認だ」


刑事は一瞬迷い、無言で立ち上がる。

「五分だ」


扉が閉まり、再び蛍光灯の音だけが残った。


アキトは机の向かいに座らず、久遠の横に立ったまま言った。

「港の荷、全部押さえた。ビル側の残骸とも一致。

 お前が切ったつもりの線は、もう全部繋がってる」


久遠は顔を上げない。

「……ルートは俺が作った。だが、指示は別だ」


「知ってる」

アキトは淡々と返す。

「だから聞きに来た。

 次に“同じやり方”を知ってるのは、誰だ」


沈黙。

久遠の喉が小さく鳴る。


「……もういない」

絞り出すような声だった。

「表に出る前に、全員切った。

 俺が捕まった時点で、あのルートは終わりだ」


アキトは数秒、何も言わずに久遠を見下ろした。

やがて、静かに口を開く。


「なら覚えとけ。

 次に同じ匂いがしたら――俺が行く」


久遠は、初めてはっきりとアキトを見た。

その目に、諦めと、わずかな安堵が混じる。


「……ルートマスター、か」


アキトは答えなかった。

背を向け、扉へ向かう。


去り際、振り返りもせずに一言だけ残す。


「もう二度と、舐めるな」


扉が閉まり、鍵の音が響く。

久遠直哉は、再び俯いた。


外では、港のクレーンがいつも通り動いている。

事件は終わった。

だが、監視する者たちの日常は、静かに続いていた。


【2025年・深夜/都市・高層ビル屋上】


アキトはフェンスに肘を預け、風に揺れる夜景を見下ろしていた。

ネオンは静かに瞬き、車の流れは規則正しく脈打つ。

爆弾も、配線も、秒針に追われる緊張も――ここにはない。


耳元でイヤピースが小さく鳴った。


「……まだ起きてる?」

玲の声は、いつもの低さのまま少しだけ柔らいでいた。


「起きてる。街が静かでな」

アキトは視線を外さずに答える。


「港は平常運転。倉庫も、航路も、問題なし」

「そりゃいい」


短い沈黙。風がフェンスを鳴らす。


「藤堂の特集、今夜で一区切りだ」

「終わりじゃないだろ」

「ええ。繋がっただけ」


アキトはわずかに笑った。

遠く、夜明け前の空が薄く色を変え始めている。


「……次は?」

「次も、同じだ。表に出ない仕事」


通話が切れる。

アキトはポケットに手を入れ、最後にもう一度だけ街を見渡した。


静かな光の海。

それを守るために、名前の残らない役割がある。


「――ルートは、まだ続く」


彼は踵を返し、闇の向こうへ歩き出した。

物語は終わったように見えて、確かに、続いている。


【後日談/2025年・深夜 都内放送局・報道スタジオ】


スタジオの照明はすべて落とされ、モニターの待機灯だけが薄く点っていた。

藤堂は原稿を閉じ、椅子の背にもたれて天井を見上げる。

机の端には、まだ未公開の資料――輸送ルートの図、照合番号の控え、港で拾われた小さな金属片が、整然と積まれている。


静寂を破るように、背後でドアが軋んだ。


「まだ仕事か」


振り返ると、スーツの上着を肩に引っかけたアキトが、スタジオの闇に溶け込むように立っていた。

入館証も見せず、警備に声をかける様子もない。いつもの“ふらっと”だ。


「癖になってるだけだ」

藤堂は苦笑し、机を指で叩いた。

「全部出したら、次の火種がどこにあるかも見えなくなる」


アキトはモニター脇に腰を預け、資料に一瞥をくれる。

「出さないのも、また技術だな。――ルートは潰れた」


「完全じゃない」

藤堂は首を振った。

「名前は表に出た。でも、空白が残る。港も、都市も」


短い沈黙。換気音だけが低く流れる。


「それでいい」

アキトは淡々と言った。

「全部明るくしたら、影は別の場所に移るだけだ」


藤堂は視線を落とし、未公開資料の束を揃える。

「次は、どこだ?」


アキトはドアへ向かいながら、振り返らずに答えた。

「風の向く方。……ルートが騒ぎ始めたら、また呼べ」


ドアが静かに閉まる。

藤堂は一人、暗いスタジオに残された。


未公開の資料の上に、彼は一枚だけ新しい付箋を置く。

そこには、短くこう書かれていた。


――続報、待機。


───


巫女たちの集結、精霊たちとの契約——千華の旅は均衡の真理へと近づいていた。

しかし、影の精霊が示す最後の問いが彼女の前に立ちはだかる。


「封印を強めるのか、それとも、新たな均衡を築くのか?」


その言葉に、巫女たちは息をのむ。

それぞれが異なる均衡の解釈を持ち、この瞬間にすべての思想が交錯していた。


炎の巫女、朱音は言う。


「均衡とは変化だ。新たな均衡を築くことで、世界は生まれ変わる。」


霊水の巫女、深雪は囁く。


「均衡とは受容。影を拒むことなく、その力を理解するべきなのでは?」


封印派の巫女たちは顔を曇らせる。


「影の力を受け入れれば、世界は危機に陥るかもしれない……」


千華は静かに目を閉じ、旅の記憶を呼び起こした。

精霊たちの試練、風の囁き、均衡とは閉じ込めるものではなく、流れを生むもの——

それが本質なのかもしれない。


陽翔が剣を握り、決意の色を滲ませる。


「選ぶのは千華だ。俺は、その答えを受け止める。」


影の精霊、玄燐は静かに微笑み、千華の瞳を見つめる。


「均衡を紡ぐ者よ。お前の答えは——?」


千華はゆっくりと影の精霊へと歩み寄り、護符を胸に抱きながら口を開いた。


こうして、事件は一区切りを迎えた。

だが、それぞれの場所で、それぞれの人々は知っている。


影は形を変え、必ず次の場所に現れる。

そして彼らは――

また、そこへ向かう。


物語は、まだ続く。

あとがき


港は何事もなかったように動き続け、

都市は朝を迎え、ニュースは次の話題へと移っていく。


けれど、

その静けさの裏側で、誰かが配線を切り、

誰かがルートを断ち、

誰かが事実を言葉にした。


この物語は、

爆発を止めた瞬間でも、黒幕が捕まった場面でも終わらない。

人の手で作られた“仕組み”と、

それを見抜き、繋ぎ、断ち切る者たちの物語は、

常に次の影を生み続ける。


夜景を見下ろすアキトの背中、

鍵を指先で転がす玲の沈黙、

原稿を閉じた藤堂の視線。


それぞれが、まだ次の場所を見ている。


――この話は、続く。

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